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2019年3月24日日曜日

Twolow presents “garlic? Vol.7” @小岩bushbash

皆さんお元気ですか?
私はなかなか忙しくやっております。
悩みのタネは尽きない。
なくなったらこっちが探すからです。
生活が苦しいのはもう慣れるしかねえな、と思う今日このごろ。
なかなかかぶりが酷かったこの日、自分が行ったのは小岩。

FIXED
見るのは2回目、おなじbushbashで。
ストレートかつパワフルなハードコアかと思いきや、ファーストフルリリース後改めて見るとかなり印象が異なる。
ずらりと並んでアンプも異様で音がでかい。
ドラムも位置だけでなく前に前に出てくる印象。
全音音量マックスの迫力だか、聞いてみるとハードコアに留まらない何かを感じる。
単に空間系のエフェクトを噛ませたスローパートがあるからじゃない。もっと他の何かだ。
このギター、ギターがロックじゃない?
ハードコアの枠に収まらなくない?
エネルギッシュに前に出てくるかんじ、でも勢いだけでない、フックがある。
スピーディなリフの中にもう一つアクセントを入れるような印象。
敢えてそれをハードコアに噛ませる姿勢だけど、しかしそれによって確実に類を見ない音楽になっている。
ブルースとまではいかないが、ビンテージな感じ、少し埃ぽい。
確実に違うところもありながら、私の頭に浮かんだのは最近新作をドロップした金沢のGREENMACHiNE。(ちょうど聴いていたってこともあるか。)
そういえば彼らはHardcore Rockを標榜、実践している。
あそこまで泥沼に足を突っ込んだ泥濘サウンドではないが、タメがありながらもそれによって生まれる独自の突進力とグルーヴを展開しているという意味で似てると思う。
そうなるとスローパートも老人の仕事の浮遊感に通じるような…穿ち過ぎ?

ALP$BOYS
始まってすぐ思ったのはこれはファストコアではない。
まず露骨にドラムのリズムがおかしい。
シンバルを多用するフリージャズの要素がある。
粘っこいベースと噛み合って横ノリを生み出している。
なんだこれは。
そして歪ませすぎないギターの反復。
これはEarthlessのサイケデリアか。
ボーカルもハードコアな低音かと思いきやラップも披露。
フリーキーな横ノリで揺らせて、サビはロックの縦ノリで吹っ飛ばす、華麗な空中コンボ。
さながらRage  Against the Machineか。
ロックのフォーマットでアウトプットされているが、その実雑多でマニアックなな元ネタたちが渦巻いてる、鎌首もたげてとぐろ巻いてる。
そんな殺気をフルファストな曲に込めてシメ。
ボーカリストは野球の素振りめいた動作をしたり、ナーバスのときに一人モッシュをしたり、近寄りがたい雰囲気で格好良かった。
音楽的には豊穣なんだけど最終的にハードコアになっているのはこういったアティチュードによるのかもしれない。

sasaya-
最近リリースされた二枚目のアルバムがとても良かったが、やっとこ見ることができる
張り詰めている。
緊張感が。
スリーピースで突き刺すように尖ったギターの音。
必死の形相のボーカルの力の入れよう。
まるで愉快なお芝居を見に来たはずが、それは実は口実であり、実際には非公式の法廷で観客の私たちが丸ごと糾弾されているようですらある。
ただしそれだけではない。
それだけではとても説明がつかない。

音的にはジャンクと自ら称することもあり、なるほどハードコア、パンクの範疇から逸脱したひりついた殺伐さは、シンプルな編成飾らない音作りという楽曲のスタイルとあいまってUnsaneに代表されるノイズロックに大いに通じるところがあると思う。
ただし血塗れの世界を狂気を孕んだ目で、ある意味冷たく俯瞰する彼らとはこのバンドは一線を画している。
冷笑的な、つまり皮肉に富んだユーモアがsassya-にはない。
あくまでも主観的に、世界が血塗れならそこで苦しんでいる姿を表現している。
浮世の生がもはやよ呪いなら「脊髄のラスト」で命を燃やして生きろというメッセージはその呪いが解けないことを指しているから残酷である。

 しかし「きっと今より良くなる」というメッセージよりも私にらよっぽど真実らしく響くのだ。
良かったね、圧倒的に。

Nervous Light of Sunday
ハードコアは、特にニュースクール以降は怖くないとみたいな思い込みがある。
なにも銃声を楽曲のイントロにいれたり、マフィアぽさをアピールする必要は無くて
ライブで見た時おっかないかどうかである。
この日のラインナップでは異質だろうと思うが、異質さを一切隠すことなくハードコアの怖さを披露。
怖くてステージ前に行けないあの感じ。
ガッチリ固めた低音の塊と、耳障りな高音の単音。
それが何かしら人体に作用するらしい。
とにかくミュートでザクザクというより、強制的に抑えつけるようにバツバツ空間を切り取っていくのが気持ち良い。
速いし重たい、タフなんだけど、どこかしら何かに追われるような神経症めいたところがあり、個人的にはそこが好きだ。(いわゆる激情系に通じるところはあると思う。クールすぎない。)
モッシュパート一辺倒のブルータルハードコアというより、ちょっとCave Inみたいに捻った所もある。
あっという間に終わってしまった。
音楽的には全然違うけど、前のsasaya-から繋がっているような気がした。

Twolow
ベーシストのメンバーチェンジ後見るのは初。
メンバーみんなでかい。
まずドラム。
単に音量が大きいのか?
周りが下げてバランス調整してるのかもしれない。
いずれにしてもドラムの存在感よ。
音数は決して多くないが一撃の重たさと思い切りの良さ、「俺はこのリズムで行く!」という潔さがバチバチ来る。
ギタリストはpaleのメンバーでもあるが、こっちでのプレイスタイルは明らかにこのバンドに寄せてきている。
徹底的な引き算の世界。
ミニマルですらあるし、無愛想すぎる。
ベースのシンプルな骨太さがドラムと噛み合い、骨組ができるわけだけど、ギターが二本更に乗っても、体感的には骨組しかない。
リズム、リズム、リズム。
ここまで削ぎ落とすと、ハードコア的なカタルシスはない、どっしり落ち着き、コード感もほぼ消えている。
ところがボーカルにメロディがあって、それ故にTwolowがオルタナティブと称されるのも首肯できる。
日本のHelmet。
メンバーが運営しているレーベル、3LAの性格もあってついつい分かりやすい日本らしさを探してしまうのだが、しかしアメリカだ。
スプリットの相方Sunday Bloody Sundayもそうだけど、アメリカを感じてしまう。

どのバンドも違って、それを違和感なくまとめているのは主催者Twolowのオルタナティブの魔力だからか。
個人的にはALP$BOYSが楽しかった。音源聞いて「なるほどなるほど」ってなるのをいざライブをみると印象全然違って面白い。こういう野ライブの醍醐味だと思う。
あとsassya-はやはりすごかった。
今回は会場でぽちぽち感想の元ネタを書いてみた。bushbashは良いライブハウスだな〜。

2019年2月17日日曜日

leave them all behind 2019@渋谷O-east

CONVERGEとNEUROSISが来日。これは行くだろう。
私なんて妙に焦って会社から抽選申し込んだくらい。そしてあっという間に当日が来るのだ。
開演後、ロッカーに荷物を入れるのももどかしいくらい逸る気持ちでステージ前に。

Self Deconstruction
久しぶりに見たが他に類を観ないバンドだなと改めて思った。
グラインドコア、パワーバイオレンス、似たようにうるさくて早い音を出すバンドはたくさんいるけど、よくよくこのバンドを目前にするとその特異さがすぐに分かる。
大きい特徴はほぼリフレインがない。メタル(ハードコア)はリフの音楽だというが、ほとんどはいくつかのリフによって楽曲が組まれている。いくつかの(多すぎない)コードがポピュラー音楽の楽曲を形作っているように。
ところがSelf Deconstructionは違う。リフを惜しみなく使い捨てていく。一回使ったリフはもう出てこない。(ように聞こえた。)まさに究極の贅沢。これって特にエクストリーム・ミュージック界隈ではかなり難易度が高いことに思える。尖れば尖るほどバリエーションを出しにくくなる界隈でお約束的なリフを使い回すことができないのだから。つまり弾き手の引き出しの多さが試されている。Self Deconstructionの楽曲をそういう観点で聴いてみると、ギターは確かに低音を貴重としながらも指板を文字通り縦横に行き来する相当フリーでフリーキーな弾き方をしている。すごい。グラインドコア、パワーバイオレンスに仕上げている、といってもその中身は相当異次元だよ。途中で「Concubine」のカバーを披露していたと思うけど、あのぶっきらぼうな曲ですらリフレインがあり、あきらかにセットリストで浮いていたもの。(もちろんとてもかっこよかった。)単に弾きまくるわけではなく、しっかりキャッチーなリフも挟んでいく。
3つのバラバラの個性がかっちりあっているからまた格好良い。お互いほぼ見ることないのに、決めるところはきっちり合わせてくる。

ENDON
昨年後半にリリースされた最新作「Boy Meets Girl」は明らかにそれまでの文脈とは異なる問題作だったと思う。そういった意味でも最新の形のライブを見たかった。
のっけからCONVERGEのKurt Ballouがプロデュースそた「Through the Mirror」のキラーチューン「Your Ghost is Dead」でぶっ飛ばす。いつものENDONだ。ところがライブが進むとどうも様子がおかしい。特に新曲群が異常だ。表面上はメンバー2人が垂れ流す激音ノイズがうるさいエクストリーム・ミュージックなのだが、なんだか…あれ?楽しい?すごく楽しい。なんじゃこれと思ったら、ドラムだ。豪腕だがリズムが明確ではっきりしたロックドラムだ。ミニマルなリズムがむしろロックを通り越してダンス・ミュージックに聞こえ始める。言語外のボーカルの存在感は一旦おいておく。そうなるとその他の音の出し方が非常に巧みだ。程よく重たくないギターは言わずもがな。しかしなんといってもこのバンドの主役ノイズの使い方だ。たしかにうるさい。でもいつもハーシュノイズが爆音で流れているわけではない。ときには音を小さく。時には完全に止め。また時にはハーシュノイズではなく、鍵盤から流れ出るような美麗な音も出てくる。これらの音のON/OFF。つまりビートを基調にそこに音を重ねていくやり方は確かにテクノ、ダンス・ミュージックのやり口ではないか?
「Boy Meets Girl」は単に逆に切った奇をてらうだけの飛び道具ではなかった。彼らはとっくに新しい未知を模索し、そして大胆に舵をとっている。かっこいいぜ〜。
初めてこんな広い会場で見たが、この広さの似合うこと。汚く狭い地下室(大好きだ)とは違う高い天井、その余白がなんだか異常にENDONにあっていた。

CONVERGE
続いてはいよいよ今日の主役の片方。ハードコアの街ボストンでジャンルを更新し続けるバンド。もはやその影響は語るまでもないでしょう。観客の期待度も半端なく、前に前にの圧がすごい。ドラマーのBen Kollerが肘の怪我でお休みのためRough Francisというバンドでドラムを担当するUrian Hackneyが急遽代役に。MCによるとほとんど練習する時間もなかったらしい。重たいカーテンがいよいよ開けられるとそこにいたのはCONVERGEだった。
初めて目前で見るとCONVERGEの異様さに気がつく。なんだろうこのハードコアは。完全にハードコアだけどエモーションが溢れすぎている。それはハードコアにしては複雑な楽曲(とくにKurtのギターは低音から高音まで隔てなく用いるリフはもちろんタッピング、ギターソロなど技巧的にも複雑だ。)、そこに内包される特に新作では顕著な(クリーンで歌われることもある)メロディライン。これらの要素は個別ではあるいでは複合でももはやハードコアのシーンでは珍しくない。ただこれらは諸刃の剣で、これらを多用すると音のヘヴィさとは別の「重たさ」が生じて、ハードコアから距離が離れてしまう。とたえばDeathwishならCult LeaderやOathbreaker、日本なら独自の激情系など。ところがCONVERGEに関して言えば表現力が他の追随を許さないくらい豊富なのに、どこまでいってもハードコアなのだ。どうなってんだ。
様々な楽曲の随所に仕込まれているシンガロングパート。乗車率200%のギュウギュウのおしくらまんじゅう状態で拳を振り上げ叫んだ。
Jacob Bannonはとにかく華があるシンガーで、特徴的な歌い方も初めて見るとちゃんと歌っているし(これはセットリストの関係もあるかもしれない)、細身で長身な体をよく動かす。マイクをぶん回してキャッチする、マイクに覆いかぶさるようにシャウトする、水を頭にぶっかける、両手を大きく広げて観客を煽る、どれもすごく画になる。MCは暖かく、またリラックスもしている。
その他のメンバーもさすがのベテランなので落ち着いているが、決して弛緩することはなく、ただ勢いだけではない楽曲、というよりは勢いがありつつ複雑な曲をがっちり合わせてくる。
クラウドサーフが結構発生していて、ステージと客席に隙間があるのでJacobはちょうどサーフ後に落ちた観客にマイクで歌わせていた。みんなすごい笑顔だった!
本当に時間がすぎるのがあっという間でラストの「Concubine」。なんとSelf Deconstructionのボーカリストの方と共演。すごかったなあ。

NEUROSIS
ラストはいよいよNEUROSIS。結成34年。様々なバンドに影響を与えたバンド。私が初めて知ったのはTVKのビデオ星人で流れたライブ動画。さっぱり何がなんだかわからなかったです。あれから20年位経っていまライブをようやく見れるのは感慨深い。
中核メンバー3人は全員髪の毛やひげに白いものが混じり(というかほぼ白い)ロマンスグレーな感じ。Scott Kellyは体格もよく、アメリカの田舎の偏屈おじさんのようで見た目からして怖い。(ギターよりチェーンソーなどが似合いそうだな…とちょっと思った。)
大阪名古屋の感想を見ると絶賛する人が多数。いざ目の当たりにするとたしかにすごい。どのくらいすごいかというと結構ずっと鳥肌立っていた。いやもう「神だな」って終わりにしたいのだが、なんとかそ(れらの音楽や本)の凄さを言語化したくて始めたのがこのブログなのだった。
分厚い音で静と動を大胆に取り入れた楽曲を演奏。実はそんな奇をてらったことはしていない。音はたしかにでかい、轟音と言っても良い。ただし音量やバランスはきちんとコントロールされていて耳に痛いということはまったくない。そして音もどこまで行ってもオーガニック。経年によって水分が抜けた頑丈の木材のような音だ。分厚いが温かみがある。
またスラッジといっても不吉なフィードバックノイズを必要以上に撒き散らすことはしない。むしろたっぷりと空間系のエフェクターを繋いで出した浮遊感のある音を曲中や曲間のつなぎに使っている。特にベースは結構曲中でも独特の音を出していたようだ。
かといって強面の大人がやっているゆるふわ系ポストメタルではまったくない。楽曲から見えるのは30年以上に及ぶ試行錯誤の歴史である。
たっぷりと時間と間をとった楽曲だが、引きずるようなドゥームさはなく、明快に区切られた音はやはりハードコア由来のスラッジだろうと思う。そこにアタックが強いが非常に明確にリズミカルでよく回転する、つまり重量感がありつつも跳ねるドラムが加わる。
原始的と言っていいようなシンプルで強靭なリズム、弦楽器のときにアンビエント、ときにラウドなアンサンブル、立体的なサウンドで時間をかけて楽曲を織り上げていく。トライバルだ。トライバルな呪文のようだ。
「Times of Grace」の「The Last You'll Know」。セットリストに入っていることは知っていたが、ライブで聞くのはやはり別格だ。私はこの楽曲が好きなんだ。厚みのある轟音が私の体にじんわり染み込んでいく。涙が出そうに。


終演後「Times of Grace」のパッチ、(オタクだから)2つ買ってこ!と思ってたら見事に売り切れだった。前の方に行きたかったから開演前に物販に並べなかったのだ。仕方ない。
個人的にとても思い入れのある2つのバンド、いっぺんに見れて幸せ。やっぱり別格だなと思いつつも、日本から迎え撃った2つのバンドも只者ではなかった。楽しかった。

2019年2月6日水曜日

sassya-/脊髄

東京のスリーピースハードコア・パンクバンドの2ndアルバム。
事前に公開されたMV「だっせえパンクバンド」がとても良く、楽しみに購入。
全9曲27分とコンパクトにまとまったアルバムを通して聴いてみると、しかしかなり印象が違う。
唸るギター、勢いのままに突っ走る様はまさにハードコア。
しかし何か違う。何か非常に重苦しい。暗い。陰鬱だ。これはおかしい。陰鬱を吹き飛ばすような爽快なバンドではなかったか?

アルバムの紹介で引き合いに出されるのがFUGAZIだ。
程よく音を抜いたジャギジャギしたギター、勢いがあるが決して飛ばしすぎないスピード。調整された速度の中でしっかり染み込んでくる歌詞、つまり主張。
ぶっきらぼうで飾らない。タフではあるがただうっぷんを晴らすバンドとは違う。
たしかにsassya-はこの延長線上にあるバンドだと思う。
極端に言えば「お前らが悪い」と主張する攻撃性から、「お前らというのは私達ではないのか?」と自問自答するハードコア。
ダサい(パンク)バンドにはなりたくない。俺たちは本当にそうでないといえるのだろうか?というのはまさしくこの系譜に属する内省的なアティテュードを表している。
だがFUGAZIはここまで陰鬱だったろうか?
sassya-のこのアルバムはなんか苦しい。勢いですらその背後に息継ぎなしで泳ぎ続けるような息苦しさがある。一種の異常なテンション、つまり緊張感(と弛緩)が張り詰めている。

ある音源を何回か繰り返し聴いていると急に気がつくことがある。
今回もなんだろうな?と気になりつつ聴いていて思いついた。
ノイズロックだ。
ギターの音に代表されるノイジーさはもちろんハードコア由来でもあるのだろうが、もう片親はノイズロックではあるまいか。
ノイズロックはその身に狂気をはらんでいる。
ノイズロックの楽しさというのは抜き身で、素っ裸でその危うい内奥をさらけ出す感覚だと思う。
だから彼らは人数は少なく、そしてうるさくはあっても、複雑なリフや必要以上に重低音にこだわらない。
あくまでも周りにあるものでその狂気を表現しようと試みるのであり、そうすることで他にはないすごみが生じる。
アメリカの狂気を体現し、皮肉な視線でそれを語るUNSANEとまではいはかないが、それでもここにあるのは勢いだけで突っ走るストレートさの範疇にはとどまらない、もっとドロリとした何かを感じる。それは狂気じゃないにしても、ただお気楽な歌に丸めて飲み込めるような何かではない。もっとささくれだったなにかだ。

ノイズロックと捉えると音の尖り方、抜き身の緊張感、そして一見それらと相反する微妙な歌心も理解できる。
特にメロディについてはオルタナティブ由来かなと思い、たしかにそうだが実はもっと深いノイズ「ロック」がルーツだとすると納得感がある。
なんとなく日本のRedsheerに通じるところがあると思ったのだが、ハードコアの枠にとどまらない陰鬱さに共通点が、表現の技法に差が出ていて面白い。

単にハードコアとノイズロックのクロスオーバーというのではない。
両者の間の絶妙な綱渡りだ。奈落の上で揺れる危ういバランスの美しさ。
後半にかけて真っ逆さま落ちるように盛り上がっていく。

どこまで行ってもsassya-は正気の音楽だ。
ここが前述のRedsheerとの決定的な差なのだと思う。(Redsheerは歌詞が非公開なので断言できないが。)
血まみれのバラバラ死体も、大鎌を構えた死神もいない、大量殺戮もない、事件すらない。あるのはダラダラ続いていく毎日。これは白線の内側の物語なのだ。(8曲目「T」の歌詞を読んでほしい。)踏みとどまった、死ななかった人の正気の世界だ。人生の大半が苦しいのだから、曲を作ればそれは陰鬱としている。
ノイズロックだけどニヒルじゃない。ハードコアの前向きさが後ろ髪を引っ張って、結果的にはっきりと迷いが露骨に出た曲になっている。日々の懊悩が重苦しくのしかかるが、私はよくよく迷う人間だから、こういう音楽が好きなのだ。
ラストの脊髄のクライマックス、
「いつだってそうだ
 生活の狭間で
 唯、立ち止まり
 途方に暮れる
 跳んだつもり
 それでも日々が
 止め処なく
 押し寄せる
 続いていく
 だから」
とてもとても良い歌詞だ。
そしてこの後に続く一言が。
もうこのアルバム自体がこの一言のためにあると言っても過言ではない。
脊髄は↓で聴くことができる。

2018年12月31日月曜日

SWARRRM/こわれはじめる

問題作。
SWARRRMは間違いなく過激で攻撃的なバンドだ。どのバンドにも似ない音を20年以上探求し続けてきた。その殆どの音源では攻撃的であるということはヘヴィであると同義だった。
ところが今作はどうだろう。
ギターの音はその重苦しいディストーションの鎧を脱ぎ去り、またメタリックなリフの呪縛から抜け出した。残ったのは軽い響き(相対的なものでやはりそれでもディストーションはかかっている)で奏でられるコード感。
コードはメロディを生み出し、ボーカルがそれに導かれて歌を紡ぎ出す。(メロディ性を保ちながらシャウトするという絶技が全編惜しみなく披露されている。)
ここにあるのは歌だ。
Swarrrmは結成当初から「Chaos&Grind」を掲げるラディカルなバンドだ。音楽がただ攻撃的というのではなく、曲の中に必ずブラストビートを入れるという縛りを課すストイックさを持ち合わせている。そんなバンドが歌を中心に添えたのだから驚きだ。ネットで言われている「グラインド歌謡」という表現もしっくり来るほどに。
ネットでは「(今作を)到底受け入れがたい」という意見もあってそれも理解できる。そのくらいの変化がある。

Swarrrmは核(「Chaos&Grind」)がしっかりしているバンドだから、そこを軸にこうも大胆に音楽性を変えることができたのだと思う。
ギターの音楽性のシフトチェンジに関して、ドラムがブラストを打っていること、ベースはかなり運指の激しい主張するラインを弾いていることが幸いして、結果曲が単に退屈な歌に堕することを防いでいる。そういった意味ではこの変化にはちゃんとそれを裏打ちする技術というか土台があったのだと思う。こういうふうに舵を切るバンドはそうそういないだろうが。

つまりこれは脱構築の試みであって、実は単にマンネリ化した(過去作がマンネリに陥っていたとは全く思っていないが)旧態に終止符を打ち、新規な要素に触手を伸ばしたというのでは不十分だ。
実は単にマンネリ化した旧態に終止符を打ち、そして自己解体をし、ばらばらになったパーツの中で次はどれを武器にするかを決め、そしてバンドを再構築したのだった。
明確に大阪のGaradamaとのスプリット、もっというとそれより以前「Black
Bong」の頃からか、各種スプリット、前作「FLOWER」を通して、そしてこの「こわれはじめる」までがその解体と再構築の過程であって時系列に沿って聞けばその試行錯誤と挑戦を目のあたりにすることができる。
この変化は変遷であって、決して突発的なものではないということだ。

エクストリーム・ミュージックとはつまり普通の「歌」の壁を突き抜けてその先に到達せんとする試みであって、そもそもなら直線的な運動であるはずだが、その試みの先に「歌」を見出したというのは単に後退というよりはそれの再発見であり、また1週回って戻ってくる球体の動きを彷彿とさせる。
20年かけておいてきたはずの歌を再発見し、拾い上げた。円が完成し、その内側には混沌とした激情をしっかりと閉じ込めた。
遅くなり、そしてわかりやすくなったその曲は、丸裸だ。これはおそらく個人的な経験をそのまま書き出したような歌詞にも如実に表現されている。
過去作が轟音でその身をごまかしているとは思わないが、最近のSWARRRMに関してはあまりに赤裸々である。スプリットという形で先に世に出た「愛のうた」「あなたにだかれ こわれはじめる」で歌われる歌詞は非常に個人的な懊悩をそのまま書き出したような、むき出しの感情が綴られている。
SWARRRMはいわば「弱さ」を手に入れた(弱いことを認めた)のではないか、今作で。その弱さが、赤裸々な歌詞であり、メロディーへの接近であり、音の作り方であったわけだ。しかしこのアルバムを聞いて受け入れがたい人はいても、軟弱な音源だと思う人はいないだろう。鋭く尖ったギターの音は特に、あまりに鋭くそしてあまりにも脆い。これは決死の一撃であり、捨てたものの分、逃げ場がなくなった分、それまでにない勢いで持って私達に迫る。

個人的に今年、一番退路を断った作品。挑戦的であり、革新的であり、そしてあまりに攻撃的。バンザイ・アタックのように鬼気迫り、そしてやはり、もうすでに、とっくに壊れ始めている。

2018年12月24日月曜日

CANDY/Good To Feel

何でもやりすぎがかっこいい。イカれているという評価は常に通常の一歩先を求めるものだ。ハーシュノイズを入れたり、低音を強調したり、色々なバンドがその一歩先を目指している。
このヴァージニア州リッチモンドのハードコアバンドはとにかく音がでかい。実際はきちんと考えてこそのバランスなのだろうが、私の耳には全く全部の楽器ができる限りのデカさで鳴らした音が一つの塊になっているような気がした。とにかくうるさい。結果的に細部がわからなくなってすらいるけど、それこそがやりすぎのマインドでもっと私をノックダウンしたのだ。追加の要素ではなく、とりあえず手持ちの楽器を全開で鳴らしてしまおうか、というのは潔い精神であると思う。

とにかく1曲めの「Good To Feel」が良い。私はほぼほぼこの曲だけを聴いているような気がする。別の他の曲がイマイチというわけではないのだが、どうしてもこの曲が好きなのでしようがない。まずこのバンドはドラムがかっこいい。カッチカチに張り詰めたドラムを力任せにひっぱたくという豪腕タイプなのだが、結構タイトでグルーヴィ通り越してマシンにすら聞こえる。この1曲めの途中で挟まれるパートはまるでブレイクコアを聴いているようだ。この感覚はハードコアではあまりない。

日本のハードコアの影響を受けた、というのは3曲めの「Ststematic Death」というタイトルもそうだろうし、曲中につんざくように(とても短い)悲鳴のようなソロを入れるやり方もそうだろうと思う。ただし日本のバンドがソロなどによってハードコアに叙情性を持ち込んでいるとしたら、このバンドはそれをリスペクトしつつ(ちょっと語弊があるかもしれないが)悪用しているといった趣でこちらも詩情なんてあったもんじゃないくらいのジーにしてしまっている。その解体性を持ったプロセスが非常に過激でしびれる。
このバンドの音楽性は実は結構複雑ではないかと思う。良くも悪くも1曲めだけが激速パワーバイオレンス感があって浮いているが、残りの8曲は割と中速。速くはない。きっちり低速成分としてモッシュパートを押さえているのだが、全体的に見れば一部でしかない。つまりブルータルなモッシュコアとは一線を画す内容で、独自の中速を模索している、そんなイメージ。
ハードコアバンドをやったら速くするか、それとも遅くするか、みんなきっと迷うのではないか。中速というのは実は一番難しいかもしれない。ミリタントのようにメタリックなリフに凝る、というやり方もあるがそれを採っているわけではない。前述の日本からの影響色濃いギターソロなどはわかりやすい暗中を切り裂く武器だろう。ただそんな試行錯誤も恐る恐るというかんじではなく、とりあえず興味あること全部ぶち込んでみたよ、というブレーキ壊れた感じがする。ラストの「Bigger Than Yours」(ひどいタイトルだ)は明らかにハードコアの対局にある甘いシューゲイザーを再現していて、悪意があるというかこれはもう完全にいたずらである。例えば半端にサンプリングして言い訳を残すとかではなく自分たちでやっちゃう。それで破滅的なノイズで占める。結構これはもうミクスチャーと言っても良いかもしれない。底抜けのポジティブさと混沌さはThe Armedに通じるところがあると思う。

2018年12月23日日曜日

City Hunter/Deep Blood

どんなジャンルにでも異端というのが存在するものだ。
このCity Hunterもそんなバンドの一つかもしれない。
リリース元はYouth Attack Records。
ジャケットは妙に昔のアメリカ映画のポスターのような雰囲気がある。
覆面の男がアーミーナイフ(ボウイナイフかも)を構えているという構図で、これ実は過去の音源を見ると全部同じ世界観で統一されている。
数少ないライブ映像を見るとボーカリストは目出し帽をかぶっており、体格もあってかなりいかつい。

マスクをかぶるという行為が何を意味するのかというと、個人でなくなり何かになる、ということだ。
なまはげなんかはわかりやすい。Slipknotなんかもこの流れに属するのではなかろうか。彼らは人間でない別の何かになって、非人間的な音楽を鳴らすわけだ。
ところが犯罪者というのもマスクをかぶってこれは単に特定の個人であることを放棄している。
このバンドはその流れに属し、目だし帽をかぶりCity Hunterという誰でもない男になるのだ。

演奏に関しては曲が短めでアルバムトータルで18分たらず。これで全部で14曲。
とはいえ型にはまったファスト&バイオレンスなスタイルではなくて、オールドスクール・スタイルを踏襲しつつテンポを早く、そしてムダな装飾やリフレインは極力省くというやり口。
いわば自然発生的なファスト(なハード)コアで様式美というよりは単にぶっきらぼうなだけといった潔さ。様々なインプットは当然あるわけなのであえて流行には背を向けているのだろう。メロディアスさ?当然あるわけがない。

なんといってもフロントマンに華があるバンドで、見た目もさることながら声質も相当特徴的。
タフなハードコアスタイルでもないし、喚き散らすファストコアスタイルでもない、整然と低音が利いたデスメタルスタイルでもなくて、喉に引っ掛けるような発声方法で内にこもったブラックメタルに近いスタイル。
ある意味ミスマッチなスタイルなのだが、かなりうまくハマっている。
というのも演奏はきっちり突進力とマッシブさを抑えつつ、バイオレンスとまでは行かなくらいの温度で、いわばまだ飽和状態に達していないところに劇薬のようなボーカルを突っ込むと、これで完成という感じ。
とにかく全開、全部乗せ!ってわかりやすいのだけど、いろいろな色を混ぜてもきれいな色にならないように、この手のジャンルでもバランスが大事なのだろう。とくにハードコアは概ね足すではなく引く、ほうのジャンルではと思っているので個人的にはこのバンドのやり方はしっくり来る。
やり方的には(The Infamous)Gehennaに似ている。純正ハードコアでは醸し出せない危険な雰囲気も共通項としてあると思う。ただGehennaのほうが音的にはより粗野か。
よくよく今バンドを利いてみると特にギターが凝っていて、がむしゃらに弾いているようでいて実は不安感を煽るSE的な音の出し方をしている。結構技巧的だ。

覆面をかぶることとアートワークへのこだわりから、粗野な音楽性も緻密な計算がされていることが推測できる。
演奏面でのバランス感覚もその感覚を強化する。芸術性を徹底的に排すことで(ただしハードコアのタフさという美学にはたとは異なるやり方で与している)、あざとさが発生するのを防いでいるのだろう。

2018年12月16日日曜日

BLOODAXE TOUR -JESUS PIECE JAPAN 2018-

年の瀬にJesus Pieceが来るという。なんせデモとプロモ音源しかリリースしていない状態で非常に話題になったバンドだ。満を持しての1stフル「Only Self」もまさにブルータルで良かった。または種々様々なハードコアバンドのライブ動画を発信しているHate5sixも帯同するという。ミーハーなもんでこれは!とばかりに向かったのは渋谷Garret。結構新しいライブハウスなんじゃなかろうか。かなりきれいで音も良い。最近のライブハウスはステージが横に広いような気がする。これだと単純に劇的になって良いよね。
先週の激務でまさかの昼寝で寝坊してしまい、一番手Blindsideに間に合わず…。

Coffins
東京オールドスクールデスメタルバンド。
MCでも言っていたが今回のラインナップでは異質なバンドで、流れでみるとやはり異彩を放っていた。モダンなハードコアがミュートでザクザク刻んでいくとすると、デスメタルは余韻を引きずるスタイル。重たい一撃がグワングワンする残響を残していく。これが速いバンドならまた話は違うだろうが、Coffinsは相当にDoomなので割合的に一音一音の比重(インパクト)がでかい。デスメタルのリフに極悪ハードコアを見出す動きもあり、結果ハードコアバンドとは別のアプローチでフロアにアクセスするイメージ。
個人的には来年から録音に入るという新曲群がとにかく良かった。キャッチーというと語弊があるかもしれないが、元々Coffinsはドゥームな割には曲の中で変化があるバンドだったと思う。ゆったり(もったり)その姿を変えていく、というスタイルが新曲ではかなり激烈になっていてその強引な感じがまた格好いいのだ。テンポチェンジも露骨でテンション上がってしまう感じ。
「Raw Stench Death Metal」と刻まれたパーカが新作で物販に並んでいてライブ良かったのでこれは!と思っていたのだが、終演後には売り切れていた。みんな考えることは同じみたい。

NUMB
続いては1995年から活動しているNUMB。とても有名だしいろんな場所でライブをやっているが見るのは初めて。
この日どのバンドも素晴らしかったが、一番衝撃を受けたのはNUMBだったと思う。色々なバンドが自分たちをライブバンドと称する。特にこのジャンルではライブがすべて、と言い切るバンドもいたと思う。たしかに音源で聞くのとライブで体感するのはぜんぜん違う。(そもそも使っている感覚が5倍(味覚はなかなか使わないが)になるからライブのほうがすごいのは仕方がない。)でもNUMBみてライブバンドってこういうバンドかと思った。まずは圧倒的なショウ感。これは演劇的という意味ではなくて、全部がつながっているということ。曲の合間にチューニングがてらMCというのではない。曲名をコールするMCが全部計算されていて流れるように曲に移行する。劇的にスムーズでこちらはライブ中にスマホ見ている暇なんてないんだよね。(そもそもライブ中に見ないと思うけど。)途切れないライブで集中させる。でも威圧的な感じが全く、本当にまったくなくてむしろ笑顔が多い。これは衝撃的だった。
曲はモダンにアップデートされているけど、随所にオールドスクールを感じさせるもの。音の作りも数もいい感じに引かれている感じ。ラフ、というのとはちがう。おそらくライブの運びもそうだけど、相当考え研究しているのだろうなと思った。重鎮というのは老獪で力が抜けているなんてとんでもない。むしろ知見をたゆまずアップデートすることなんだなあと感動したけど、ライブ中は何も考えずにただただ楽しかった。

Loyal to the Grave
続いても大変有名なバンド。(1998年結成。Bolodaxeの仕掛け人でもあります。)やはり見たことがなくて楽しみだった。
音楽的にはNUMBと共通項がかなりあるけど、よくよく聴いてみると違いがわかって面白い。まず音の数が多い。また音も重たい。ようするもっとヘヴィだ。こちらもルーツは様々だと思うけど、出音としては明確にニュースクールといった趣。それも硬派なやつ。メロディ性は皆無でほぼほぼグルーヴで引っ張っていくタイプ。ただモッシュに特化したモダンなブルータルさとはまた違う。落とす、というからには高さ(つまり速さ)が必要なわけで、ニュースクールは技術でもってそれらを演出する。ミリタントもそうだけど、ただ単に落とすためのその他ではなくて、落とし所以外も格好いいという。言うのは簡単だけれどそれを実行するのは難しい。それを難なくやってのけるのがこのバンド。とはいえミリタントほど装飾性がない。ドラムの音の抜き方に何かしら格好良さの秘密がありそうな…。
とにかくボーカルの方のMCが良かった。ハードコアはとにかくタフだけど殺伐としているかというと、少なくともライブの雰囲気は違うと思う。暴れるにしてもポジティブなモチベーションがあってそれを体現しているかのような語りがとにかく良かった。

PALM
このラインナップで見るとCoffinsほどではないが結構浮いているなと思ったのがこのPALM。マイクの取り合い合戦も確か始めてみたのがこのバンドだったので恐ろしいハードコアだぜ…と思っていたし、実際そうなのだが、いわゆるUSスタイルのハードコアとは結構趣が異なる。わかりやすいのはドラムで結構バチバチ存在感のあるブラストを入れてくる。突進力は確かに、だからといってトータルでグラインドコアかというとそうではない。ギターに関してもミュートで刻んでくるというよりはデスメタルっぽいトレモロを噛ましてきたり、短いソロを弾いたりもする。ただ音の肉抜きがされていて重苦しいメタルには聞こえない。いわば絶妙なバランス感覚でハードコアの綱渡りをしているようなイメージで、これがまたフロアを沸かせる。いい意味でのごった煮感は今はあまり聞かなくなった「カオティック」を彷彿とさせる。
何回か見たライブではユーモアに富んだMCが印象的だったがこの日は少なめ。ベーシストの外国の方がビザの関係で不在、というくらいの簡潔さ。あとはもうほぼほぼ演奏に振り切っていた。ボーカリストはマイクで体を叩くのだがその「ッゴ」という音がよく考えるとなんとも猟奇的。演奏もあって何するかわからんぞって雰囲気でもやっぱりこの日明らかに尖っていた。

Jesus Piece
いよいよ最後はモダン・ブルータル・ハードコアの雄、合衆国はフィラデルフィア州からやってきた5人組。
出音一発で思った「遅え〜」。地獄は速いのかと聞かれたら遅いんじゃなかろうかと思うのだが、この日はまさに地獄。浮かれているフロアに鉄槌を下すがごとおく容赦がない。フロアに居るみなさんも一発でこれは尋常じゃないな、と思ったのではないでしょうか。ギターがベースかってくらい音が重たい。そして遅い。叩きつけるというかもう押さえつけるくらい。これが良い。豪腕でズンとくるから、押さえつけられた反動でこっちは跳ねるじゃん?というわけで結果的にフロアも更に湧くのだ。わけがわからないがこんな感じ。(まともな人間はハードコアなんて聞かないそうだ。)
これ前編モッシュパートじゃんというくらいのえげつなさだが、耳と体がなれてくるとしかしよく練られた曲に込められた技工がわかってくる。2本いるギターで役割分担があって、片方はもうズンズン刻んでくるのだが、間を縫ってもう一本がかなりですメタリックなリフを奏でたりしている。踊らせるにしてもテンポチェンジはもちろん、結構拍子も変えてきて、3拍子は思った以上にハードコアに合うな!なんて地獄のようなフロアで思ったりもした。ボーカリストもデスメタルバンド顔負けの低音咆哮を見せる。長身でシャツを脱いだ体はとにかくしなやか。音の方もそうで、ハードだけど有機的なしなやかさがある。意外にライブで見るとガッチガチに固めたハードコア、という印象でもなかった。
フルアルバム「Only Self」はもちろん素晴らしいのだけど個人的に一番好きなのはデモの「Lost Control」。まさかと思っていたけど果たしてやってくれてテンション上がった!!横から上から人がどんどん飛んでくるのでじっくりなんて見れたもんではないのだが、これがまさに触覚を使ったライブなのだ。

この日は一番手からフロアが沸きに沸き、それこそ一番手からけが人が出たりもした。hate5sixに日本のハードコアを見せてやろうという気概があってか、演者もそうだしそれに答えるようにオーディエンスも非常に高いテンションで盛り上がっていたと思う。
Jesus Pieceのメンバーは根っからの音楽好きなのだろう。どのバンドでもほぼ最前に陣取り、誰よりもモッシュしていた。特にフロントマンのアーロンはCoffinsのときにすごく楽しそうだった。(Jesus Pieceもはじめはデスメタルやりたいねって集まったらしい。)
良いライブってどんなライブかというとフロアに居る人が笑顔のライブだと思うし、そういう意味では非常に素晴らしいライブでした。
Jesus Pieceはこれからツアーが本番なので迷っている人はこの機会に是非どうぞ。


それとこれは日記なんだけど、やはり私は耳栓が合わないみたい。現在のライブハウスでは耳栓の着用が推奨されている。安いやつを買ってみて好きじゃなかったので、ライブ用のちょっと良いやつを買ってつけてみた。音はちゃんと聞こえる(どの楽器ももバランスよく音を減らしてくれる)のだけど、どうしても迫力が足りない。早々にテンション上がって外してしまった。ある程度つけてれば慣れるんだろうかね〜。

2018年12月9日日曜日

Cult Leader/A Patient Man

ハードコアの何が面白いかというと人それぞれだろうが、わたし的には基本にハードコアがあるとあとは結構何を載せてもイケるってところだ。融通が効くなあというわけだ。ハードコアを出発点に色々なバンドが様々な要素をそこに追加していった。逆に言えば初めは表現力にやや難があったジャンルに対して、それを好むものたちがなんとかそれを自分が補填し完璧な音楽にしてやろう、という動きがなんとなくあったのだろう。
メタルからミュートリフを持ち込んだニュースクールやメタルコア、哀愁をメロディラインとギターソロで充填したジャパニーズ・ハードコア、どんどん遅くしたろうかなというスラッジコアに、いやー速いのがパンクよとばかりにファストコアやパワーバイオレンス、結果的に尖ったのが色々サブジャンルとして乱立してどれもハードコアなもんで面白い。

ユタ州ソルトレイクにGazaというバンドがいてこのバンドはグラインドコアばりの突進力にスラッジコアの要素を取り入れ、それもいい感じに混じり合わせるのではなく無理やりくっつけたようなヤケクソさがあって好きだった。ラストアルバムは歴史に残る傑作であると思っている。そんなGazaが終わり、残った3人で始めた(メンバーを一人追加している)のがこのCult Leaderだ。Deathwish INC.と契約し精力的に活動。今回が3枚目のアルバムだ。
Gazaで分裂してた別々の表現手法を融合させるというのが隠れたCult Leaderのテーマだったのかと思う。Gazaの放心したようなスラッジパートの空虚さ、そして物悲しい感情を今度は曲そのものに溶かし込んだ。前作「Lightless Walk」の「Sympathetic」でその方向性は極点に達し、そしてわたしは遂にCult LeaderはGazaを超えてその先に行ったんだと思い、感極まって泣いた。この曲に関しては私は日本における激情にたいするアメリカからの一つの回答でもあるなとひそかに思っている。

さて前作から3年が経ちリリースされたのが今作。アートワークから前作からの流れを組むものだと理解できる。さらに色が追加されているのが印象的だ。
聴いたら驚いた。やりやがった!このアルバムにあったのはまたもや露骨な分断だった。バラバラになった破片を集める修復作業がGazaを経てのCult Leaderだったとしたら、今作でまたそれを壊してしまったのだった。ただそのやり方は斬新で1曲の中で疾走パートとスラッジパートを同居させるようなやり方ではない。激しい曲とアコースティックなアンビエントな曲を分けたのだった。調和も何もあったものではない。二律背反の葛藤する心をもはやそのまま表現するような、穿った見方をすれば迷いのあるやり方だ。
前作同様1曲め「I Am Healed」からぶちかましそのままラストまで行くのかと思いきや、4曲目「To:Achlys」でダークなフォークで沈み込む。(2曲ともMVが作られていることからアルバム内でも露骨に重要な曲だということがわかる。)ディストーションもってのほかの生々しくダウナーな世界観をひきずり、「A World of Joy」のラストで再浮上する。普通のアルバムなら山があるのだろうが、「A Patient Man」には谷がある。一回沈み、そして死にきれずに戻ってくる。後半はいわば恨み節の二回戦であり(ジャケットの骸骨は泣いている。)、そこからまた突っ走っていく。
タイトルは「忍耐強い男」か、しかし冒頭が「私は癒やされる」だからおそらく「患者の人」だろう。3曲めのタイトルは「Isolation in the Land of Milk and Honey」で聖書に出てくるワードだったはずだ。つまりこの世の楽園ってことだろうが、そこで孤独。このアルバムは一つの物語であり、それ故中盤の露骨な沈降も納得できるだろう。ラスト手前の「A Patient Man」のアコースティックギターの響きのなんて空疎なことか。何もない空っぽが鳴っているようだ。

破壊と想像なんてこのジャンルではもはや聞き飽きたワードだが、このバンドはそれを地で行っているような気がする。しっかり根を持ちながらも新しい表現方法に挑戦していく。言うは易く行うは難し。現行でこんな大胆なことをやっているのは日本のSWARRRMくらいしか思い浮かばない。どちらも今年新作をリリースしたが、いずれもモニュメントや不気味なモノリスのように聳え立っている。
素晴らしいアルバムである。慟哭しながら地面をたたきたいほどに。こういうのが好きなんだ、私は。この雑念が混じり合い、もはや怨念となって渦巻いている感じが。そして如何ともし難い諦念が底流を這っている。狂乱と空虚だ。もはやそれしかない。「We Must Walk On」というリフレインが強烈なラストの「The Broken Right Hand of God」。決して癒やされることのない病を抱えてこの地上をさまよっていくのだ。それを呪いという人もいるだろう。

2018年11月25日日曜日

Spirits/Discontent

アメリカ合衆国はマサチューセッツ州ボストンのハードコアバンドの1stアルバム。
2015年にState of Mind Recordingsからリリースされた。
Spiritsはストレートエッジのバンド。メンバーは4人でかつてはTest of Timeという名前で活動していたそうだ。

お酒飲まない、タバコ吸わない、愛のないセックスは無しという厳格なルールで生活を縛るストレートエッジというのはハードコアカルチャーに結びついているものの、音楽的な特徴を表現する言葉ではない。どうしてもストレートエッジというとユースクルーかなと思ってしまうところがあるが、(一見すると)このSpiritsはあまりそれっぽくはない。もっとフックが効いている。わかりやすく言えばバキバキのブルータルさは全くないが、かといってタフなオールドスクールという感じではなく、自然体なニュースクールという感じだろうか。技術力というか、表現力はかなり豊かでパームミュートだったり、エモバイオレンスを思わせるトレモロ奏法などを短い曲の中に持ち込んでいる。ハードコアというのはどうしても力強さを志向するあまり極端に走りがちなジャンルだと思うが(メタルだとここに様式美的な表現力が加わるから音楽性自体は雑多になる)、このバンドに関してはとにかく中間が格好良く、そこが自分には自然体、に見えるのだ。言葉にできない余白的な感情を持て余すのではなく素直に表現している。概ねその感情がエモバイオレンスのような懊悩や葛藤になってしまいがちなのだが、このバンドはあくまでも健康的なハードコアのフォーマットに落とし込むことに成功しているイメージ。結果的に速くもなく落としどころ満載という感じではないのだが、とにかく横ノリといっていいくらいの気持ち良さが詰まったハードコアが出来上がっている。
そうなると俄然丁寧な作りが気になって聞き込んでしまう。例えば8曲め「The Pledge」疾走するパートでうおってなって、コーラスワークでじんわり感動する。あ、ここ実はユースクルーっぽいぞと気がつく。これは良い。
SNSには「世界をよくしていこう」「ホモフォビア(ホモに対する嫌悪)、ファシズム、女性差別主義、人種差別主義、憎悪のいるところは無い」と書かれている。ポジティブ里そして強い決心が伺えるバンドだ。そういったバンドがこういったしなやかな音楽を鳴らしているというのは非常に格好いい。(別に強面の音楽を鳴らしているバンドがかっこつけだといっているのでは無い。)

こういうシーンの中で断固とした主張をしながらも、大勢のやり方をなぞるでもなく自分たちなりのやり方を模索しているようなバンドにどうしてひかれてしまう。

2018年11月11日日曜日

Jesus Piece/Only Self

アメリカ合衆国はペンシルベニア州フィラデルフィアのハードコアバンドの1stアルバム。
2018年にSouthern Lordからリリースされた。Southern LorddといえばSunn O)))のイメージが強いけど結構ハードコアもリリースしており、最近だとXibalbaとか何気にGriefの編集盤とか。
Jesus Pieceは2015年には音源をリリース。ツインギターに選任ボーカルの5人組。ボーカリストのAaron Heardは最近オルタナティブ/シューゲイザーバンドNothingにベーシストとして加入している。

初めての音源がかなりなのあるレーベルからリリースされたり、来日が決まったり、しかもその来日にはハードコアのライブ動画では知らない人はいないであろうhate5sixが帯同したりと、なにやら非常に注目度の高いバンド。
色々見てみると「次世代ブルータル」と称されることが多い。そんなことを言えるのはやはりシーンに一家言あるような方達だろうから、そんな玄人も唸らせる、新しい流れも伝統をきっちりと抑えたバンドなのだろう。どうしても個人的には次世代ブルータルというとCode Orangeが頭に浮かんでくる。なるほど音的には結構似ている。ここでいうブルータルというのはミュートを多用したモッシュパートを曲の中心に据えてくる、ということを言うのではと思う。となると確かにこの二つバンドはほぼモッシュパートがメイン、のような曲作りをしている。ただし前述のXibalbaのようなデスメタルからの影響は希薄。ミュートのリフもあくまでもメタルハードコアに移行されて以降の伝統を用いている、といった濃度。(そういった意味では地下臭はあまりしない。アクが強いがさっぱりしたサウンドと言える。)アクセントしてメインとなる低音に対する高音を効果的に用いる、ノイズをうまく使うという共通点もあるが、聞いた感じ結構印象は異なるなとも思う。
徹底的にソリッドなCode Orangeに比較するとこちらの方が音がややこもっている。その分生々しい威力に満ちている。低音に凝りすぎて一部金属みたいになっているが、表面がざらついていて好みによるが私は好きだ。勢いのある曲に圧倒されるがよく効くとシンプルにまとめる精神で、下手するとオールドスクールな感じすらあるような気がするパートもある。

基本的には脳筋ハードコアなのだが、最後の2曲だけは妙にしっとりとしたドゥーム・アトモスフィアに満ちていて、ダークアンビエント〜ノイズ〜ポスト的なスラッジと言う感じで異彩を放っている。広がりのある音像は明らかに奥行きがあり、ブルータルつまりゼロ距離を理想とする接近戦の音楽とは一線を画す。最後に何気に自分たちの知性をひけらかすと言うよりは、Convergeの「Jane Doe」におけるラストの「Jane Doe」を思わせる(個人的にはConvergeがアルバムのラストに入れて来がちな大曲は大好きなんだ。)やり方だなと思う。Code Orangeもはっきりとメロディを持ち込んだ楽曲をアルバムに入れてくるなど、異なったアプローチを大胆に導入する手法をとっており、なるほどなーと思う次第。二つ以上の異なった要素を楽曲に混ぜると言うより、アルバムに混ぜ込むと言うやり方ね。

リリース日が近いこと、注目度が高いと言うことでなんとなくVeinとセットで次世代と言うイメージ。それぞれブルータルながら目指している音が異なるのも良い。

2018年11月4日日曜日

Your Dream is Our Nightmare@鶯谷What's Up

この日もよいライブが被る週末だったが、私は鶯谷へ。大阪のZyanoseが来るからだ。音源が格好良かったからぜひぜひライブが見たかった。
ホテルと無料案内所に挟まれて神社の下にあるのがWhat's Up。建物の上に神社のあの寄付した人の名前が入っている柵(?)がついている。18時開場で概ねその時間に着いたら人がズラーっと並んでいる。なんと。ボヤーっと並んでいると演者の方が私のあたりに並んでいるクラスティーズに「お前らもう入れねえぞ」と声をかける。なんと。でもなんとか入ることが出来ました。お店の人がのちにツイートしていたが、この日お店至上一番人が入ったとのこと。大きさ的には横浜にあるEl Puenteより大きく荻窪にあるPit Barより小さいくらい。ここは縦にやや長い。天井が高く鉄筋が組んである上にスピーカーが載っている。ステージは本当に狭くて演者のバンドが4人いればもうステージに乗れないのだ。Pit Barと違ってこちらは一階である。防音扉もないので音漏れがえぐいことになるのではなかろうか。ホテル街だからあまり騎乗がこないのかもしれない。面白いとライブハウスだ。(一応バーということになっている。)そこに人がパンパンに入っている。本当パンパン。というのもZyanoseは活動休止をアナウンスしており、おそらく少なくとも東京でのライブは最後だということだ。

System Fucker
一番てはSystem Fucker。見るのは二度目。ラスタな風貌だったベーシストがいなくなり、代わりに短髪なのに後ろ髪だけを伸ばした新メンバーが加入。この方は非常に若いそうだが、なかなか堂々として格好良かった。ボーカルの方は前は長いモヒカンだったが、今はサイドもある感じ。周りの人がボーカルの方を指して俳優みたいだねと言っていた。始まってみれば見た目もそうだしパフォーマンスも非常に華がある。
見た目はクラスティーズなんだが、微妙に日本特有のヤンキー文化と融合しているような趣があり、面白い。音は明快なクラストコアだが、反抗心を燃やす粗野さにジャパニーズ・ハードコアの要素を持ち込みかなり叙情的に。短く速いギターソロで哀愁を充填するスタイル。歌詞はおそらく日本語で、「バカヤロー」「このヤロー」と飾らない言葉で強烈に語りかけてくる。(語りかけてくるというのはなんとなくジャパニーズ・ハードコアっぽい気がする。)メンバーは冷静だが、ボーカルはどんどん客席に向かって突っ込んでくる。パンパンなんでこれはやべえなという感じがあってこれが最高。
中盤ではかなりストレートなラブソング(なんせ音がでかいのでちゃんと聞き取れているか怪しいのだけれど)も披露。歌詞が結構びっくりするのだけど、普通に歌う(というより叫ぶだが)ってしまうボーカルの方はやはり格好良い。この人ちょっと独特の世界観があってしっくり理解できるというのではないけどなんとなくその世界観に惹かれてしまうという意味ではTMGEのチバユウスケさんに似ているかもな、なんて思ったりした。

LiFE
続いてはLiFE。大変有名なバンドだが私は見るのは初めて。一応最近リリースされたEPだけ持っている。選任ボーカルにギターが二人という五人組。ギターは役割分担がはっきりされていて一人が明確な輪郭なかっちりとしたリフを弾き、もう一人がかなりノイジーな輪郭が曖昧な音を出す。前者はかなりメタリックで音もでかいのでこれはもう一方がきこえないかも?なんて思ったが始まってみればそんなことはなかった。Eyehategod顔負けの高音フィードバックノイズがえらいカッコい良いのだ。
メンバーものちに振り返っていたがかなり問題続出のライブで、結果的にはギタリストのアンプが二つとも音が出なくなる。(片方は壊れたらしく交換した。)ギタリストの方のシールドが切れる。ベーシストの方がかなり激しく流血する。なかなかないです。というのも非常に狭いライブハウス、狭いステージなのにメンバがー動く動く。特にベーシストの方は縦横無尽に動き、落ちたり転んだりしておりました。危ない。
こちらは完全にクラストコア。それもかなり無骨でおそらく曲も短い。(セットリストを見ると多分30曲くらいやる感じ。)音は思った以上にメタリックではなく、本当にもっと汚いし、とにかくノイジー。耳を突き刺すようなノイズギターが非常に良い。良い!System Fuckerと比べると聴きやすさのとっかかりは非常に希薄に思えるが、曲によっては単音リフで組み立てたようなものがあったりして表現方法もかなり豊か。
私がびっくりしたのドラム。D-beatを中心に組み立てられたプレイで例えば手数が多いか、ブラストビートだとかではない(ただし基本めちゃ速い)のだが、妙に引き込まれる。これはグルーヴ感というやつなのだろうか。とにかく歯切れの良い音がカチカチ決まっていってそれだけですぐに持ってかれる感覚。めちゃくちゃ気持ちが良い。こうなるともはやメロディなどもはや不要で、そういった意味では全体のアンサンブルが肉体的。フロアもえらいことになっていて、さながらぎゅうぎゅうすし詰め状態の満員電車が巨大な力で揺さぶられているようだ。そんな荒々しさのど真ん中でみんな笑顔なのがさらに輪をかけてすごかった。

Zyanose
続いては大阪のノイズコアバンド。Insane Noise Raid!
こちらもギターが二人いる五人組。全体的に完全にクラスティーズなのだが、ギタリストの一人はロンドンな感じのパンクファッションに身を包んでいる。
始まって見るととにかくうるさい。ただ思っていたよりほぼノイズです、という感じでもない。耳がバカになって悟りを開いたのかもしれないが、なんとなく結構曲が判別できるような気がする。音源を聴いているといやーノイズですなーとか思っていたが、ライブで見ると違う。これはクラストコアだ。ちゃんと曲になっている。ただ異常にでかい音で演奏しているだけで。つまりノイズに逃げていない。全く抽象的ではない。音をどんどんでかくしたらこんなことになった、という趣でとにかく元はハードコアなのだ。轟音をつんざく嗄れ声の吐き捨て型のボーカルが非常に格好良いのだ。ギタリスト、ベーシストもコーラスを入れるのだが、これはもう「うぎゃー」と叫んでいるようにしか聞こえない。もう最高。LiFEと異なるのは音の出し方と時間軸に対するその埋め型で、あちらはノイズの中にも緩急をつけて隙間を開けていたが、Zyanoseはもう病的なまでに最初っから最後まで轟音で塗りつぶしていく。さながらブルドーザーのように全てを巻き込んで雪崩のように駆け抜けていく。
フロアの方は一体感というか、こっちも負けてられないくらいの対抗意識で盛り上がっていく感じで大荒れ。
やばい、頭おかしい、病的というのは簡単なんだけど、クラストコアはそうじゃないんだよな。音がでかいからそう思いがちだけど、もっと現実的な闘争だなと改めて思った。


いい気持ちで物販に向かったらすでにZyanoseの音源とT-シャツは売り切れていたのだった…。これはもう慟哭するくらい後悔したのだった。開演前にかっとけばよかった。
まあでも私が買えなかったということは他の誰かが買えたということなのだ。
楽しかったなあ。

2018年10月28日日曜日

25 ta Life/Strength,Integrity,Brotherhood

アメリカ合衆国はニューヨーク州ニューヨークシティ、クイーンズのアストリアで結成されたハードコアバンドの3rdアルバム。
2009年にBack ta Basics Recordsからリリースされた。
1991年に結成されたバンドで2002年には一度解散し、その後メンバーを変更しつつ現在も活動しているようだ。
ハードコアを調べていると必ず「極悪ハードコア」という単語と一緒に出てくるバンドで気になっていたので購入してみた。バンド名はおそらくスラングだろうか。昔読んだ本に中国の犯罪組織は本当の組織名を隠すために画数で表した隠語を使う(例えば324のような)と聞いたことがある。極悪という言葉や刺青のびっしり入ったメンバーの容姿をみてなんとなくそんなことを思い出した。

極悪ハードコアというのはおそらく日本特有の呼び方だし、激情ハードコアのように実はきちんと音楽性を説明していない。場所も場所だし音的にはニューヨーク(シティ)のハードコアということになるのだろう。オールドスクールからシンプルな攻撃性を受け継ぎ、メタリックな音で武装したタフなハードコアだ。今聞くとモダンというよりはオールドスクールに近いような印象。力強いがその方向性が、例えば抒情派ニュースクールなどとは明確に異なる。個人的にはオールドスクール・ハードコアに足し算して作ったのがこのバンドの音楽性なのかな?と思っている。
「闘争とストリートを忘れるな」という7曲目からしてかなりのタフガイさが伺える。なるほどメタリックにザクザク刻んでいくリフは非常にモッシーだ。ライブはきっと恐ろしいことになるのだろう。極悪だ。ただ極悪と想像するよりもっと喜怒哀楽がある音像をしていて、曲によっては軽快ですらある。シンプルなリフに唸るベースが乗るとパンキッシュといってもいいくらい気持ちの良いオールドスクール感。感情豊かなギターソロやコーラスワーク、そして独特の男臭い哀愁。これは足し算だなと。音的には非常にモダンだし、どうしてもこれはモッシュパートだな、という風に考えてしまうけど、根っこはオールドスクールだ。吐き捨て型のボーカルもメタリックなリフに乗ると極悪だが、疾走パートに乗っかるとそれはそれでまた違った良さがある。
当時はそういった視点で捉えていなかったけどVision of Disorderもニューヨーク州のバンドで、その音楽性もハードコアをベースにメロディアスな歌メロというもう一つの要素を乗っけていた。音楽性は全然違うけど、何かしらひょっとしたらその考え方に共通しているものがあるかもしれないと思った。

歌詞に結構「Hardcore」という単語が含まれてて、自分たちこそハードコアなんだという気概を随所に感じ取ることができる。極悪というのは音もそうだし、もっとアティチュード的なものが含まれるに違いない。

Nothing Clean/Cheat

イギリスはイングランド、レスターのパワーバイオレンス/ファストコアバンドの1stアルバム。
2018年にAbusive Noise Tapesをはじめ複数のレーベルからリリースされた。私はBandcampで購入。
SNSはやっているもののあまり情報を描かないタイプのバンドで、おそらく2014年以前に結成されている。(FBの登録日とDemoのリリース年から。)今はドラム、ベース、ギター、ボーカルの4人組。今までいくつかの音源をリリースしており、中にはSpazzのトリビュートも含む。

今時パワーバイオレンスも珍しくないわけで、色々なバンドがそれぞれ個性を出そうと奮闘している。一リスナーとしてはそんな切磋琢磨が本当嬉しいわけだけだ。このNothing Cleanもそんな波の中で生まれた比較的若いバンドなのだろう。これがびっくりするくらい素直なパワーバイオレンスなのだ。特徴がないというわけではない、もちろん。ただことさらわかりやすい要素を入れていない。最近はブラストに乗っける速いパート、それと対応する遅いスラッジパートを入れて短い曲の中にメリハリのある展開を込めるのが流行なのかもしれない。このバンドは遅い方にはあまり力を入れていない。もちろんテンポチェンジはかなり頻繁にやるし、遅いパートもあるのだけど、ただこれはもう地獄だぜ〜苦しいぜ〜というわかりやすさ、がないのである。スタート一直線走り出したらもうあとは止まらないような、そんな気迫がある。100%ケツに火がついていて、止まったら死ぬ、そんな気迫すら感じる。音的にはきっちりとクリアでメタリックな音にアップデートされている。だから音楽的にはもちろんパワーバイオレンスもそうだし、ガチガチに音をアップデートしたファストコアにも聞こえる。Capitalist Casualtiesのような凝ったリフを劇速で演奏する、というのとはまた違ってかなり速さにパラメータを全振りしているような趣があって、その代わりに失うものがあっても気にしないスタイル。全ては速さ。全ては勢い。そうなると持てないものは捨てていくしかねえな。そんな覚悟だ。なんて言ったって41曲だ。それをぴったり24分00秒に込めたのだ。

何かを追求するなら全部を持っていくことはできない。なるほどこの楽曲は確かに抑揚はないかもしれない。展開だって乏しいかもしれない。同じパワーバイオレンスだってもっと豊かな表現をするバンドはたくさんいるだろう。ただそんなものは糞食らえだ。ファストコアってなんだ。速い音楽だ。速いハードコアだ。ファストコアはやべえ。しかりだ。しかしはじめっからやばかったわけではない。速くて異常だったからやばくなったのであって、Nothing Cleanというバンドはやばい音源をやる、のではなくファストコアをやる、がその出発点になっている感じがする。ピュアな動機であり、なるほど結果的にはやばいのだが、そこには形式だけに囚われない(つまりいかにも頭のおかしそうなハーシュノイズを入れたり、病的なモチーフをジャケットに引用したりということをしない)本質的な原動力がある。

私のようにただただ流行りだからだという理由でパワーバイオレンスに興味を持っている人間というのはよくよく軸がないのでブレがちだが、その軸をぶっ飛ばしにかかってくるのがこの音源。いやー格好いい。妙に反省しちゃってファストコアってこういうものでした、ってなってしまう。ぜひどうぞ。(ちょうど24分で書けたのでここまで。)

Enodn/Boy Meets Girl

日本は東京のノイズバンドの3rdアルバム。
2018年にBlack Smoker Recordからリリースされた。Black SmokerといえばThink Tankのメンバーが運営する日本(主に)ヒップホップの作品をリリースするレーベルなのでかなり意外だ。DJ NOBUというアーティストとBlack Smokerがコラボしていくつか音源を生産するラインを作ったらしく、その第一弾がこのアルバム。
前作「Through the Mirror」で話題をさらったバンドがKurt Ballou順番待ちの列に並ぶことなく、Boriのメンバーとさっさと新作を作ってしまったわけだ。その間たった1年。

バンドがアナウンスしたところだと、このアルバムの楽曲はいきなりライブでプレイしないそうだ。それくらい過去作品とは趣が異なる。
事前に作られたMVを見ればわかるが、ギターがストラトタイプのものからGibsonのSGタイプのものに変更されている。要するにギターの音が変わっている。バンドが作品によってギターを変えることなど珍しくもなかろうが、Endonの場合は少し違う。ノイズから始まったバンドだから、そことぶつからないようにギターの音はあえて軽くて乾いたサウンドで設定されていた。前作ではそれが滑らかに動いてメロディアスさ=わかりやすさを曲に付加していたけど、今作ではギターがうるさい。バッチリ低音が出てていてディストーションをかけたベースのような役割になっている。かと思えばめちゃくちゃロックなリフが出てきて曲を導いたりもする。(6曲目「Final Acting Out」)
さらにこれは一番大きいかもしれないが、今作では曲によっては歌詞がある。ラストの「Not for You」に関していえば日本語の歌詞がかなりはっきり聞き取れる。結構事件でバンドの根底を揺さぶるような大きな変化じゃないかと思う。(あとで述べる。)
Endonを始め知った時そのバンド名(〜ドン)、ボーカリストの坊主頭と振る舞い(出血していたこともあったと思う。)、出音からなんて恐竜的(野蛮な動物的な意味合いで)なバンドなんだろうなと思ったものだ。その明確に認識が変わったのが前作であり、ノイズをバンドアンサンブルでやることでその向こう側、ポストノイズの地平線が見えるようなこれは全く革命的なアルバムだった。また積極的にバンドがわが色々なメディアで発信したメッセージもこちらを煽りながらも、色々な意図や主張を垣間見せる知的なものだった。バンドに憧れたノイジャンたちがいよいよバンド化した、というのはだからわかりやすいストーリーだった。例えるなら手のつかない不良がいよいよ更生した、みたいなイメージだろうか。今作におけるギターの音の変化や貸しの導入もおおよそその流れもあると捉えることもできる。MVやアートワークも極彩色で空電する白黒ノイズが色を手に入れた感もある。Endonはセルアウトしたのか?コマーシャル化したのか?音楽を金に変えるゲームにいよいよ本腰を入れ出したのだろうか。私はどうしても否だろうなと答える。部分的には分かりやすさがあっても、「Boy Meets Girl」全体で見れば非常に混沌としているからだ。このアルバムをわかりやすいハードコアバンドのアルバムです、と形容するのは無理がある。曲順を追ってドラマティックに展開していく「Through the Mirror」に比較すると圧倒的に整理されていない。雰囲気的には「MAMA」やもっと遡って「Acme.Apathy.Amok.」に通じるところがある。原点回帰ではなくて、随所に歴史の重みを感じさせる技巧がみれるが、全体的にはやはり拡散していくように自由で不規則だ。鏡を抜けた先に家を焼いて見せたあの光景はなんだったのか、という唖然とした気持ちだ。ここにあるのは野生だ。短い曲はさらに早く短く、ロック的な鋭角さを持ち合わせ、長い曲はさらに遅くなった。(1曲しかないのだが、存在感があって個人的には「Acme.Apathy.Amok.」を一番彷彿とする。)ただメロディに代表されるキャッチーさは(またもや)意図的に配され、全体的にはノイズバンドの面目を躍如する出来である。

今作では前作と違ってあまりバンド側からのステートメントがないので、そちら方面からこのアルバムの意図を見ることができない。個人的にはあえて前作に唾棄するような意図があるように思えるし、その過激さこそ変わらないバンドの本質のようにも思う。だとするとバンドとしては全くぶれていないわけだし、勝手にバンドに思い入れしていた私の頬をこのアルバムが叩いたわけだ。呆然としつつニヤニヤしてしまうのはきっと私だけではないと思う。いいね。いいね。
あとは来年のライブを見ればまたこのアルバムを立体的に考えることができるだろうなと思っている。みんなかって聞いたのかな?感想を知りたいですね。

2018年10月8日月曜日

Frail Hands/Frail Hands

カナダはノバスコシア州(調べてみるとだいぶ端っこの方で、ほぼ島に見える半島)のハリファックスのスクリーモバンドの1stアルバム。
2017年に自主リリースされた。
女性ボーカルの五人組のバンド。バンド名は「脆い手」という意味だろうか。なんだか意味深だ。(Dead Kennedysのアルバムのジャケットが思い返される。)

全10曲でランニングタイムは15分。
激しく速い音楽だが、ファストコアでもグラインドコアでもパワーバイオレンスでも無いのだ。エモなのだ。割としょっぱなからクライマックス感出してくるのでエクストリームな感想を即座に持ってしまいがちだ。それは彼らの作戦で、別にそれにハマるのも気持ちが良いから問題ないのだが、何回か繰り返して聞くと彼らがスクリー(エ)モバンドだということがわかる。女性ボーカルはほとんど叫んでいるが、叫んでいないパートも、ちょっとはある。そして曲が練られている。リフレインがこれでもかというくらい削られているので、圧倒的な瞬間風速的なイメージがあるが、例えば劇速でブラストをぶちかまして拍の頭で叫ぶ、というスタイルとは違う。これを持ってして歌っているというのはなかなか断言してしまって良いかわからないのだが、バックトラック、つまり演奏を聴けばちゃんと曲になっていることがわかる。だいぶ複雑だ。(前述の通り繰り返しがあまりないので掴みにくいというのもある。)大抵非常に短いが、この手のジャンルとは切っても切れないアンビエントなアルペジオ、滑るように展開していくメロディアスなトレモロリフ。静寂と轟音を同居させたダイナミズムがバンドアンサンブルの限界(つまり余計な音は使わない)に挑戦するかのように短い曲の中に詰め込まれている。だから単に「ブチギレフィーメール・ハードコア」といってしまうのは乱暴。
不安定に揺れる心をそのまま曲にしたというのはいかにも混沌としている。ただ不安定に直線を軸に軌道を描くのではなく、行き当たりばったり猪突猛進を繰り返していくような趣があって、それが不安定なのだ。それこそが不安定といっても良い。軌道が読みにくいのが、混沌としているし、聴いているものを混乱させる。Oathbreakerに似ているところがあるが、あそこまで混沌の元となる感情にしても非常に整然とわかりやすく並べるあちらと比べると、こちらの方が整合性がない。個人的に面白いのは整合性がない感じを大抵のバンドはヘヴィネスで表現しようとするが、このバンドの場合は割ときちんとエモで表現しているところ。結果的にわかりやすさは失われているわけだけど、そんなこと知ったことかという態度が非常に格好良いのだ。こういう比喩的な表現は良い。この時比喩というのは直接それとは言わないで、何かを表現することで、本でも音楽でもそれが醍醐味じゃないかと思っている節がある、自分には。
尋常じゃない感じは日本の激情に通じるところがあるけど、こちらはハイテンションの裏側はきちんとエモ(バイオレンス)の伝統踏んでいるのが差異だろうか。聴いてて保守的と全く感じさせないのはすごいところ。

Accidente/Pulso

スペインはマドリード(マドリッド?)のパンクロックバンドの3rdアルバム。
2016年にPifia Recordsをはじめ世界のいろいろなレーベル(日本のVox Populiからも)からリリースされた。
Accidenteは2010年に結成されたバンドで、つい先日日本各所をツアーで回っていた。それキッカケで音源を購入してとても良かったのだけど、ライブには行けず。

女性ボーカルなメロディックなパンクバンド。全10曲で収録時間は24分弱。世代だからポップなパンクというとどうしてもメロコア(メロディック・ハードコアというよりはメロコア(私は今はもうあんまり聞かないけど別に下に見ているわけではないです。))が思い浮かんでしまうのだけど、削ぎ落としまくった高速ミュートでメロディを引っ張るあのジャンルとは明確に違って、もっと明確に歌が中心になる。勢いはそれらに比べると少ないわけだけど、代わりに曲が面白いし、何より独特の哀愁がある。哀愁がなんなのか考えても言葉にするのは難しい。(私は楽器ができないのでひょっとしたらマイナーコードのことか?と思ったりするが、そんなに単純なものでもない気がする。誰か教えてください。)可愛い女の子が可愛く歌って、うおー可愛い!というのではないのだ。もっとこう奥行きがある。曲が暗いわけではないくてむしろ陽気な方だと思うが、人生の紆余曲折がその陽気さの背後に見える感じ。イスラエルのNot on Tourほど突き抜けていない、どちらかというとデンマークのGorilla Angrebに似ているが、あそこまでわかりやすく外に放射する怒り(あちらは結構ハードコア)がない。
スペイン語で歌う早口がたまらない。男性メンバーのコーラスも良いのだけど、ボーカルが単独で歌うときたまに伸ばした声が透き通るみたいになってそこが私は非常に好きだ。顕著なのは5曲目「Bandada」。この曲は途中の短いし、どちらかというとシンプルなギターソロにもこのバンドのメロディックさがあふれていてとても良い。
飾らない、あくまでも自分たちの手の届く範囲の道具で組み立てた音はまさにDIY。程よく小粒でぎゅっと硬い生々しい音が渦を巻くように流れていく。劇速というわけでは無いけど、音の密度が濃いので体感はやく聞こえる。たまに入れてくる高速連続カッティングがギターの生音が生かされているので、メタリックなそれらと異なって聞こえる。やはり世代なのかthee michelle gun elephantを思い出してしまってか妙にエモーショナルな気持ちに。肩の力は抜けているのだけど真剣じゃ無い訳が無い。あえて尖らせないことでH表現できるものがあるな、と突き抜けている音楽ばかり聴いているからか思った。

2018年9月30日日曜日

TJxLA FEST 2018 Day2@Zirco Tokyo

日本のレーベルTokyo Jupiter RecordsとLongLgesLongArms Recordsが共同で主催するその名もTJxLA FESTが2回目の開催ということで行ってきた。めあてはスペインのネオクラストバンドKhmerで、音源もさることながら前回見た来日公演でけっこうな衝撃を受けたのでこれはもう一度見ないと、と思ったのだ。2日間の開催で迷ったのだが、私は2日目にいくことした。
会場のZirco Tokyoは初めて行くライブハウス。多分まだできて間もないのではないかな、きれいでした。歌舞伎町のど真ん中くらいにある地下二階。分煙で喫煙所が別れているのが嬉しい。エントランス、フロア、バーカウンターの順につながっている結構広いライブハウスでフロアは決して広いわけではないけど、横に長くて何より特徴的なのはステージが広い!経営者としてはチケット代を稼ぐために客を入れたいわけだから必然的にフロアが広くなるのはわかるんだけど、ここは結構ステージに場所を使っている面白い。結果いろいろな演者が立ててライブハウスのラインナップも豊かになるってわけだ(と思う)。面白いなあ。音も相当に良かったと思う。自動で動くカーテンがステージに付いていて、転換のときはこれを閉じるシステム。

Pale
一番手は日本は東京のブラッケンド・ハードコアのPale。一発目の出音が素晴らしくて圧倒されたしこのイベント間違いないなと確信した。そのくらいの迫力がある。
ギター1本に専任ボーカルの4人組。ギタリストは日本では珍しい?長髪にヒゲぼーぼーの浮世離れスタイル。(ちゃんと清潔な感じ。)
速度の早いハードコアにこれでもかというくらいトレモロをかぶせるTheブラッケンド・スタイル。一時期一部の界隈では隆盛を極めたが、それ故今ではここまでストレートに鳴らしてくるバンドは珍しいかもしれない。何が良いって音が良いのである。一連のブラッケンド・ブームの火付け役であるAlcestはその後の正しくシューゲイザーの美麗な音作りに接近していったが(最新作ではまた違う報告に舵をとっているらしい)、個人的にはそうじゃないという気持ちもあって。というのももはやそうしたらブラック(メタル)じゃないじゃん。私が聞きたいのとはちょっと違う。ところがこのPaleに関してはそんな美麗さとは全く違うベクトルのトレモロを鳴らしているわけだ。それでは小汚いプリミティブかと言われるとそれともちょっと違う。まるでMortiferaの1st(AlcestのNeigeが在籍していた頃)のようなガリガリとした音なのだ。このザキザキささくれだった音がたまらない。有刺鉄線でできているようでこれが高速で回転するとこちらの気持ちがザリザリ削られていくようでたまらなく快感である。このマゾヒスティックな快感は確かにブラック・メタルの耽美差につながる。ハードコアデコレをやるというのは更に倒錯していて良い。そう考えるとボーカリストの動きもなんとなくDeafheavenのボーカルに通じるものがあるように思えてくる。ラスト近くにやった曲は高速で刻んでいくスタイル(シューゲイザーmeetsスラッシュメタルな感じ)はどことなく往年の(今はちょっとスタイルが違うので)Coaltar
of the Deepersを彷彿とさせた。とても良かった!理想の1番手だったと思う。


Klonns
続いては東京のハードコアバンドKlonns。主催の3LAからリリースされたコンピレーション「ろくろ」収録のインタビューでは明確にブラッケン度とのつながりを否定していた。実際聞くと確かに違うんだよな、ということがわかる(ただしノイジーなトレモロなど似ている要素が少しあるのも否定出来ないと思う。)んだけど、この日見てさらに完全にハードコアバンドだなと再確認した。
曲やパートによってほぼハーシュノイズとかしているギターに印象を持っていかれがちだけど、ベースがD-beatか2ビートが基本のローファイなハードコアなんだ。ローファイっていうとあれだがオールドスクールと言っても良い。ボーカルがリバーブかけているのも前衛的に誤解しがちだけど、歌唱法を聞いてほしい。ほぼメロディがなくて単発でシャウトをうるさい演奏にかぶせるスタイルだ。(ただしライブ後半は結構ボーカルの頻度が多くなっていたような気がする。)叫びであって歌じゃない。これがなにかというとD系のクラスト・コアかなと。たまに挟まれる短くつんざくようなギターソロも個人的にはそちら方面の影響色濃いような気がした。もちろん当時のそれからはかなり表現方法を独自にアップデートしているわけだけど、抑えるべきところはきっちり抑えている。もちろんなにかがあってその本質をどこと捉えるのか、というのは人によって異なるわけだから個人の印象になってしまうのだが。
抑えめの楽器隊とよく動くボーカリストの対比も良い。以前スタジオライブのときはステージとフロアの境がなくて怖かった。この日もそんな緊張感があってよかった。


老人の仕事
続いては東京をベースに活動するトリオ編成のストーナー/ドゥームロックバンドの老人の仕事。音源は持っているのだがぜひともライブを見たかった。この間のkillieのライブが恐ろしく良かったからだ。
ドラム、ベース、ギターのトリオ編成。全員狙撃手が原っぱに隠れる際の迷彩であるギリースーツらしきものに身を包んでいる。はじめ老人というバンド名なのでボロを着ているのかと思ったら、もっと森の精的な意味合いがありそうだ。オーガニックな感じだ。つまり葉っぱだ。葉っぱの妖精なんだ。(深い意味はない。)照明は当然緑一色で、メンバー三人が三角を結んで向かい合っているのは神秘性を演出するというよりはフリーな楽曲で合わせるところを合わせるためだと思った。
ステージに持ち込んだ小さい鐘の音がなって演奏が始まると、ブリブリ分厚いが温かみのある埃っぽいヴィンテージ・サウンドが桃源郷に導く長尺ストーナー絵巻だ。同じ煙たさで行ってもどんよりとこもった邪悪なドゥームというよりは煙に巻かれて高みに立ち上る無双の中を明晰が打つような密教的な音楽。反復的だがそこにのみ固執するというよりは、確たるテーマを反復しつつ、それを足がかりに自由に広がっていくような奥行きのあるサウンドで、何かというとこれはSleepだ。もうもうたる音楽に巻かれているとal
cisnerosのけだるいボーカルが聞こえてきそう。サイケデリックなのだが、酩酊的なのはそうだが、たとえばEarthlessのように弾きまくるというよりは音程よくのばし、そしてアンサンブルで合わせるところは合わせる。これが例えばめちゃでかい音とかじゃない。あくまでもアンサンブルでかっちり頭を合わせていくというオーガニックなもので、この強弱のバランスが酩酊状態をいい感じに持続させてくれる。まさに夢見心地。気持ち良い。グリーンなんだ。緑なのだ。人間にはこれが必要なのだ。リラックスしろ。ぼんや~りしているとメンバーがカーテンを締めて終了!もっと見たい。少なくとも倍の時間でも良い!もはや中毒。またライブに行きます。


thisquietarmy
続いてはカナダの一人ユニット。持っているのはギター1本なんだが、足元ののスイッチ類の量がえげつない。足元のペダル、スイッチをじっと見るからシューゲイザーなのだが、このユニットの彼はもはや見るだけじゃなくてあっちを押したり、つまんで回したりと、むしろこっちがメインのようだった。大量のエフェクターでギターの音を加工し、それを多重録音でどんどん重ねていく。使っているのはルーパーだろうか?あくまでも短い録音タイムを反復させて重ねていく。手法的にはシーケンサーを使ってつくるテクノっぽいのではなかろうか。(私はカオシレーターしか持っていないからあっているかわからないけど。)
ただ音の方はテクノとは程遠い、分厚くまた輪郭のはっきりしないものだ。(おそらく)歪ませた上で空間系のエフェクターを何重にもかけているようで、出ている音はヘヴィ・アンビエント(こんな矛盾した言葉もないな)やヘヴィ・ドローンといった趣でもったりと重たく厚みがある。どれも滲んだように音の輪郭が合間でそれらが半ば融解して一つになり、巨大な音像を生み出している。トレモロが儚いメロディを奏でているのが音の隙間に垣間見えるような気がするが、それも木のせいなのかもしれない。ただ不安定に振動するノイズの間に聞こえた空耳だったのかもしれない。面白いのは曲によってはマシーンドラムによるビートが入ること。これも重たく遅く、見るからに機械製といった趣でそういった意味では同郷のヘヴィ・ドローンユニットNadjaに通じるとことがあると思う。ただ向こうは多重録音をここまで駆使するわけではないので、音の数という点では差異がある。
プロジェクターを使ってモノクロの景色を映し出す中でこの轟音を聞いていると、深海で巨大な生き物がゆっくりと反転しながら泳いでいくさまを見ているようでもあった。


of decay and sublime
日本は大阪のVampilliaのギタリストの方の別のバンド。こちらは洒脱なポストロックという感じのイメージ。物販を見ると音源の装丁やTシャツのデザインなどが非常に洗練されていて世界観をきちんと構築していることがわかる。大体白を基調に統一されていたようだ。
ブラックメタルからの強い影響はありつつも、それらを用いて最終的にはポストロックの形でアウトプットしているなと言う印象。ギタリストが三人いるのが特徴で、きちんと役割分担されている。一人はアルペジオ担当、もうひとりは和音担当(ただこの人はもっと細かい技を駆使していたように思う。)、そして最後の一人がトレモロ担当。最後のトレモロがこのバンドの肝であるメロディを担当している。これでもかというくらいトレモロを弾きまくる。一番手Paleはプリミティブなブラックメタルの病的さを受け継いでいたけど、こちらは技法はそのままにすでに聖別されて浄化済みでむしろ神々しさすら感じるレベル。スライドから滑るようにメロディを奏でるトレモロの美しいこと。楽曲に緩急があって一辺倒でくどくなりがちなマンネリからしっかり脱却していた印象。イヤモニをおそらくつけていたのは、とにかく正確さを至上としているアティチュードの表れだったのかなと。音楽的にはオランダの一人ブラック/シューゲイザーのHypomanieに似ているところがあると思う。あえてトレモロの存在感を絞ることで儚さを演出する辺りに共通点があるかなと。こちらのほうがもっと外へ外へ広がっていくという音像で明るく、そしてポストロックの成分が強めだけど。あとドラムがかなり強靭だった。三拍子の曲が多かったかな?(自信ない)

sans visage
続いては日本は東京のエモ/エモバイオレンスバンド。
見るのも聞くのも初めての3人組。いわゆる激情スタイルのハードコアなのだろうが、完全に西欧スタイルで新鮮。おおよそエモからスタートした音楽は日本でけっこう独自の進化を遂げているのではと思うのだが、このバンドに関しては割と正統派なエモ/エモバイオレンスをやっているのでは?という気がした。日本のバンドが次々と暗黒方面に落ち込んで行き、見た目や音楽にもその方面の差異が現れてそれは島国ジャパンの良い意味でガラパゴスという感じで大好きなのだが、こういう素直で正統派な表現方法もやはり良い。メンバーはたぶんかなり、とても若そうだが、そのてらいのない真っ直ぐさとエモという音楽/文化ががっちりタッグを組んでフックのないストレートな音楽が波になって私を襲う=泣きである。これはくる。ただ別に冷房の効いた部屋でおっさんが甲子園を見ている気持ちとは違う。年齢不問の主張がバシバシくるのだ。別に彼らが老人だって良いんだ。単純に良い音楽なんだ。大人が偉そうに青くて素晴らしい音楽だなんていう上から目線で言うヤツじゃないんだ。
正当といってもオリジナリティはあって、例えばメンバーが終演後City of Caterpillarのシャツを着ていたが確かに生音を残した生々しいイメージ(像)という音的には非常に通ったところがあるものの、あの反復的に繰り返していく病的な、生で見ていると思わず固唾を飲んでしまうような緊張感はなく、その代わりエモバイオレンスのバイオレンス、つまりもう感情が爆発してしまうあのパートが全編続いているような、そんな感じなのだ。曲はおそらく短く、矢継ぎ早(途中で弦が切れて中座するところはあったけど)に曲を演奏していく。速い、重たくはないがそれゆえ生々しい。


Khmer
続いてはスペインはマドリードのネオクラストバンドKhmer。
2年前の来日ライブは衝撃的だった。非常にポジティブだったからだ。観客の多くが笑顔で楽しそうだった。概ねライブで人は楽しそうだけど、こうもポジティブな雰囲気だったのは後にも先にもKhmerだけだ。もちろんフロントマンMarioの立ち居振る舞いの影響が多いのだろうが、それだけではないはずだ。機会があればもう一度ライブが見たかった。というわけで本日のお目当てである。今日はあの謎を説いてやろうという気がまえでなるべく前の方に。
前回ベーシストはオライアさんだったが今回は欠場で、かわりに坊主にヒゲのいかついメンバーがベースを担当。この人はもとIctus。でギタリストとドラマーも元Ictus。なので今回ボーカリストのMario以外は全員Ictusのメンバーということになる。Ictusといえばスペインから全世界にネオクラストを発信した伝説的なバンドだ。今回そういった意味でも貴重なライブになった。見終わってみるといい意味で前回のライブの印象が裏切られる形になった。まず音が出た瞬間に思ったのはKhmerってこんなにヘヴィなバンドだっけ?ということ。メンバーが全員Ictusというのもあったかもしれないが、そういえば目下の新作「Larga Sombra」でも典型的なブラッケンドから身軽に脱却して新しい世界観を提示していたのだった。あの新曲群をライブで見るとこうも強靭なのか。速さを維持しつつリフは結構めまぐるしい。例えばビートダウン的な要素は皆無で、由来はあくまでもクラスト。濃密でありながらかなり無愛想かつ贅沢(リフレインや過剰な装飾性には目を向けない)に突っ走っていく。メロディアスなトレモロはキャッチーでエモーショナルだが、それゆえコマーシャル的で画一的でもある。とっとと次の挑戦をする姿勢はパンクだと思った。
Marioは相変わらず長身を生かした(多分ステージ上では実際より大きく見えていたんじゃなかろうか。)しなやかなステージングとそしてあの笑顔!見ているこちらまで楽しくなってくる。ただ今回近くで見てわかったがMarioだった常に笑顔でステージ上に立っているわけではない。叫んでいるときはめちゃくちゃ張り詰めている。当たり前だが真剣だ。今回はステージからフロアにも降りてくるMario。暴力的ではなかったがそれでも非常にラディカルだ。曲だけ聞けば「とにかくこの場だけをみんなで楽しもう」的なバンドではないことはすぐわかる。攻撃的で時には陰鬱なハードコアだ。彼らは別に悲しいふりもしない、怒っているふりもしない(曲を消えば怒りも悲しみもしっかり含まれているが、ステージ上ではそれを過剰に装飾しない、つまり演技しない。)、ただ伝えてくる。それが自然で多分ありのままの彼らがすっと目と耳から入ってくる。
非常に謙虚なMCもとても良かった。ただ楽しいじゃなくて本当締めるところバッチバチにしまっていて結構個人的にはビリビリ震えた。すごかった。


Rosetta
続いてはこの日のとり。アメリカ合衆国はペンシルベニア州のポスト・メタルバンド。
白状してしまうと1st「The Galilean Satellites」しか持っていない。2枚組の同時がけ推奨の厄介なやつである。
ギタリスト2人に、選任ボーカルがいる5人組。最近は追っかけてなかったので、もっと頭でっかちなバンドで例えばシンセ担当のメンバーがいるのかな?とか複雑な展開のアートっぽい曲なのかな?と思っていたのだが、始まって見ると全然肉体的な音楽やっていてびっくりした。(1stも聞き返すと別に頭でっかちでは全然なかったのでした。)バンドアンサンブル以外の音はボーカリストがタブレット(?)から出すくらいでそれも味付け程度。基本はかっちり重厚なメタルサウンド。ポストとついてもロックとはかなり違(これはバンドによって異なるだろうが)って、Rosettaに関していえば全編これクライマックスというくらいギュッと凝縮した曲をプレイするバンドのようだ。もっとこう静かに始まって徐々に組み立てていくのかと思っていたので結構びっくりした。音は大きいが刺々しいでかい音というよりは轟音を柔らかいわたで包んだような独特なもので、シューゲイザーとはまた異なる。これに浸っているととても気持ちが良い。そうこうしているとボーカリストの咆哮が入ってくる。こっちはこっちで声が入るときは基本全部叫んでいる。例えばアルペジオから轟音パート、のようなわかりやすい展開というよりはゆっくり曲が鳴り続けてその姿を変えていくようなイメージか。とにかくうるさいの独特の恍惚感があって確かに、ポスト・メタルというジャンルをしっかりに脳に刻んでくる。ボーカリストの方は細身だが、格闘技の経験者のようなゆっくりしているが非常にしなやかな動きで妙に雰囲気があってかっこいい。煽り方も非常に良かった。
終演後アンコールの拍手が鳴り止まなかったのだが、締められたカーテンからボーカリストの方がひょっと顔を出して「ごめん今日はここまで、またすぐにくるよ」(たぶん)とのことでした。

Tokyo Jupiterと3LAはかなりカラーの違うレーベルで、こうやってそれぞれが選出したバンドが顔を並べてイベントをやるとその違いが浮き彫りになっていて非常に面白かった。ひとえに轟音といっても結構違いがあるし、ポスト感の解釈も結構千差万別かなと。個人的にはブラッケンドという一つのムーブメントに対して色々なバンドがそれに参画し、それを構成しつつも、今この時にそれぞれの付き合い方が微妙に変わってきているのが面白かった。

2018年9月23日日曜日

Palm/TO LIVE IS TO DIE,TO DIE IS TO LIVE

日本は大阪のハードコアバンドの3rdアルバム。
2018年にDeliver B Recordsからリリースされた。
活動拠点は大阪なのだが活動は活発で関東圏でも結構よくライブを行なっている印象。何回か目にしたライブではどこもマイクの奪い合いが起こるほどの盛り上がりで、熱い楽曲だけではなくてバンド側からどんどん盛り上げて行く姿勢が非常に印象的だった。(結構珍しいのではなかろうか。)4人編成だがメンバーは流動的なようで今作でも録音したベーシストは多分今在籍していないようだ。

メンバーの変遷はあっても音楽的な嗜好は普遍。コンセプトがしっかりしているのだろう。異常に忙しない他動的なハードコアだ。ただ不安定なところがなく変幻自在な曲をぶっとい芯が貫いているようでもある。Follow-upのインタビューを読むと初めはハードコアというよりはメタルバンドとしてスタートしたそうだ。確かに随所はかなりメタリックである。ツーバスはかなりがっちり正確でぎっちり詰まった重量感がありメタリックである。ギターに関してもかなりの技巧が冴えているリフが印象的でサラサラーと流れるというよりはリフ自体にフックがあって思ったより直接的ではない。この手のバンドには珍しいだろうギターソロも曲によっては存在する。音色も豊かである。このままだとパートごとの重量感に引きづられて曲もそれなりに重たくなってしまうのだろうが、このバンドはここから良い感じに音を抜いていて、またメタリックな奏法をパーツ的に取り扱うことで
メタリックといっても単音リフに代表されるミリタント的なマニアックさからはあえて距離を置いて、全体的にカラッと仕上げているところが特徴で何よりそういうところがフロアでもうけているのだろうと思う。モッシュするもの腕や脚を振り回すものも発生するのだが、バッチリタフガイオンリーです的な敷居の高さというより、体が動いちゃうやつ全員で暴れようぜ的なポジティブさが感じられた。ここら辺は音楽性というか関西的なノリもあるのかな?と個人的には思う。(私は思うんだけど関西人ってその人が面白いというよりは他人を喜ばせようという人ってイメージ。)
落とすところではバッチリ落としてくるんだけど、それすらもあっという間にすっ飛ばしていくような勢いが爽快。曲は上記の通りよく練りこまれているのだが、このバンド何が面白いかというと頓着というか拘泥がない。刹那的というか生き急いでいるというか、今があっという間に過去になる過程を曲にしているように常に今を更新し続ける。インタビューを読むとそれまでは英語で書いていた歌詞を試しに日本語で書いてみたらしっくり来たと書いてあって、その歌詞を読んでみるとなかなかヘイトに満ちた危険なものなのだが、これもネチネチとしてない。いうこと言って次に進む感じ。お前はそこにいればいいけど俺らは先に行くから、というようなポジティブさがあってそれがこのバンドの駆動力かと思う。

発狂したメーターのように極端を行き来するようで非常に面白い。ドロドロの高エネルギーを捏ね上げて作り上げたようなロウな質感でそういった意味で混沌としている。タイトルに関しても前作「My Darkest Friends」のラスト「My Battle Could Be Yours, Your Battle Could Be Mine」に通じる逆さまの視点でそういった意味で一貫してぶれてないバンドだと思う。

2018年9月17日月曜日

killie単独公演@下北沢ERA

秋になるとセンチメンタルになる人がいるらしい。私はというと苦手な夏が緩やかに倒れていくような秋の気配がたまらなく好きだからむしろ笑顔になってしまう。一回下がり、そしてまた上がった気温も断末魔めいて悪い気がしない。そんな気分で下北沢へ向かう。killieのライブがあるからだ。昼と夜の二部構成で私は昼の方のチケットを購入した。確か早々にチケットはソールドアウトしていたはずだ。調べるとチケットを買ったのは6月でその時は9月が来るなんで想像ができなかった。そして今はもう9月の後半戦だ。光陰矢の如し、というよりは暗殺者のすり足で時は忍び寄る。そして私たちの命を奪っていくのである。時間が私たちを殺すなら私たちは常に死んでいっているのだから、別に秋だからって感傷的にならなくても良いではないか。特にできることもないんだし。呼吸のことを考えても埒もない、いわんや死ぬことをというわけだ。

12時20分ごろに会場に着くと13時開演を前にすでにそれなりに人が入っている。物販は一つ上の5階でということで見にいくと妙に充実している。音源は既存のもののみだったが、アパレルなどが充実しており、私はHis Hero is GoneをもじったT-シャツとメンバーが大胆に移ったお洒落なT-シャツを購入した。
下に降りるとすでに黒山の人だかりである。これはまずったなーと思ったが時すでに遅しでフロアの真ん中あたりの列に。緊張感がたまらなくてなんども時計で時間を確認してしまう。ほぼ13時きっかりにメンバーが登場してライブがスタート。

私は最近killieを知ったにわかリスナーでライブも数えるほどしか見ていないが、この日のkillieはいつもとちょっと違った。killieといえばライブハウスの照明を全部落として自前の蛍光灯を足元に置いただけでライブを行う。本日はまずその蛍光灯にバリエーションがあった。都合6本で2本がいつもの白色、2本が鮮やかなブルー、2本がショッキングピンクだ。さらにはプロジェクターを用いてメンバー越しにライブハウスのステージ後ろの壁に映像を投影。これはニュースキャスターが喋っている映像というらしいものから、ゲーム(ディグダグらしくものは少なくとも)、さらには雰囲気のある(おそらく)映画から抜粋したもの。どうもそれなりにショッキングな映像もあったらしいが良い感じに不鮮明なのとメンバーばかり見ていたので私は気がつかなかった。

ほぼ最近リリースされた編集版を忠実に再現したセットリストだと思う。まさしく自分も含めてだが、客層は何かしらの忸怩たる思いを人生に抱えてそうな男性が多くなんとなく大人しめなのかなと思ったいたが割と冒頭の「先入観を考える」で私を含め多くの人間のタガが外れたようである。勢いで前の方に行って頭を振っていた。
City of Caterpillarを見たときに思ったのはkillieに似ていると。今回killieを見て思ったのはやっぱり似ている。一つは緊張感で、これはもう一つの要素の演奏方法から生じているところもあると思う。確かにkillieの曲は激しいパートもあって盛り上がるが、そうではないパートもかなりある。ポスト感のある美麗なアンビエントパートというには不穏だし今日思ったのは演奏が異常にかっちりしている。これで耽美さがないポスト・ハードコア的なパートに力を割いていく。このミニマルさの中に何かしら積み上げられていくのだ。リズムがはっきりしているからこの反復はむしろ気持ちがよく、そうこうしている間に蓄積された像が完成し、そしてハードコアパートでこれをぶち壊すような勢いがある。なんとも背徳的な曲構成であると思う。今日生で聴いて改めて思ったおは前述の通り演奏の巧さと、そしてメンバー陣の音の被らなさである。技術の向上による恩恵でひたすら低音一辺倒を志向するモダンでブルータルなハードコア界隈でkillieはメンバーそれぞれで音の受け持つ範囲がきちんと決まってそしてそれらが綺麗に分離している。分厚いけどギターの音がソリッドであることはすぐにわかると思う。低音から高音まで出揃っていて全てがごまかしがきかないくらいソリッドだ。ギター2本の掛け合いも何回もあったけどどれも素晴らしく、付かず離れずでときにはすれ違ったり、被って行ったりでそれが正鵠を射て釘を使わずに組み立てていく日本の伝統建築のようにかっちり噛み合っていく、見たこともない聖堂が組み上がっていく。それをぶち壊すような劇速パートはまさに神も仏も拒否する世界で(キリストは復活する!!!皮肉な物言いだ。)そんなことやられた日にはビリビリ震えるしかない。もしくは阿呆のように頭を振るかだ。
全てのパートが必然だ、全てのパートが必要なのだ。散漫なごまかしなど一切ないのだ。どれが欠けても曲が違うものになってしまう。そんな雰囲気がある。「地下室には何かあるはずだ」とはkillieのメンバーの言だが、そこには瞬間があるのだ。常に流れていく時間の中では(早回しや戻しが容易にできてしまう音源とは違って)常に瞬間しかない。その瞬間が全体を構成して、それはもう一つも欠けては別ものになってしまうし、そしてもう過ぎ去ったら取り戻すことができないのだ。
ラストアンコール「お前は労力」で〆。あっという間の1時間であった。

ライブ後に情報量の多さやその圧倒的な質感に一旦整理させてくれ、となる状態がたまにあって、この日はそう。汗だくで一旦どうにかして頭と体を冷やさなければと、這々の体で下北沢のまちに歩き出した。
そのあとカレーを食べて、すごいレコード屋さんに寄って帰りました。
ビールを2缶、記憶が消える前にこの感動をせめて書き留め(ようとす)る。
今頃夜の部がやっているだろうな。

2018年9月16日日曜日

REDSHEER Presents Gray World Vol.7@高円寺二万電圧

9月はいろんなライブがあるぞ、楽しみだなあなんて思ったのに全然ライブハウスにいっていないハイプ野郎こと私はその思い腰を上げて高円寺二万電圧に向かった。いろんなライブが被っていたが別にへそ曲がりなわけではない。純粋にREDSHEERが観たかったのだ。

ele-phant
一番手はele-phant。2012年に結成された(今は)三人組のバンド。なんとこの日が解散ライブとのこと。ドラムとベース、それから選任ボーカルという変則的なバンド。ステージ前面フロアから見て左に構えるドラムセットが迫力がある。ギターレスだがことさら低音を強調するわけでもない。かといってベーシストが持つのは多弦(5本以上という意味で
)ベースではなくリッケンバッカースタイルの通常の4弦ベース。これでギター以上に豊かなメロディを奏でるのだ。アルペジオ、それから2本以上の弦を同時に鳴らしてコードも行けるし、ソロも大丈夫。リフは多様で音の種類も非常に豊富である。音だけ聞いたら普通にギターだななんて思ってしまう。ただし例えば高音のチョーキングのようなものはなかったような気がする。一風変わった演奏をするバンドなのだが、音の方がドゥームを基調としたサイケデリックロックといった趣。変則的なのは形だけで音の方は変態的というワードに逃げを打つ臆病さは微塵もなく、むしろ堂々としたロックンロールだ。日本語で綴られる歌詞がビンテージなドゥーム・リフが奏でるメロディライン上に曲線を描いていく。ことさら遅いというわけではないが、よくよく聴いていると地の鳴りが動いてその姿を変えていくのがわかる。生きた楽曲という感じでサイケデリックであるが、出しているのは轟音でしかもソリッドだ。思い切りの良いドラムが格好いい。記憶の忘れていくその過程を曲にするというコンセプトはなかなかないだろう。だって誰も知らない音ということになるからね。忘れていく過程だから。すでに忘れた、ではないところに美学を感じる。最後の最後に見れてよかった。この体験は忘れないようにしたい。

kowloon ghost syndicate
続いては東京のハードコアバンド。kowloon ghost syndicate。まず名前がカッコ良い。バンドのメンバーの方のインタビューなど、音より先にその他の情報が入ってきていて非常に気になっていたバンド。なかなか見る機会がなかったので個人的には非常に楽しみだった。ギタリスト二人に選任ボーカルの五人組。いわゆる激情というスタイルなのかなと思っていたのだが、実際に見て聴いて見ると結構それらとは異なる。
まず音がでかい。5人全員がフルボリュームで鳴らしているかのような轟音で耳がやられる。計算されたバランスなのだろうが、楽器陣がぶつかり合うので曲の判別はやや難しい。(これは私のいた位置も大いに関係あると思う。ライブハウスの音響はその他のバンドの演奏を聴けば問題ないことがわかる。)歌詞は日本語でなかなか聞き取れないが、ストリートにおけるタフさを強調するようなものではないだろう。確かに速度と音の数を落とすアンビエントなパートもあるし、つぶやくように歌詞を読むパートもあるのだが、それらは非常に短い。要するに冗長なパートが一切ない。一瞬でも早く飛び立ちたい、そんな性急な感じがある。懊悩や正義感がなるほど出発点なのかもしれないが、募る焦燥感が曲からナイーブさをほとんど拭い去ってしまっている感じがあって、それが病的で、むしろそれが激情というかエモバイオレンスとしては正しいのではと思ってしまう。肉体的なところは非常に肉体的でたまに入る低音ミュートのサウンドが混沌とした楽曲の中で異彩を放っていて格好良かった。大抵なんだこれ!ってわからなくなるのは良いものであるから、また見たい。

REDSHEER
トリは企画主REDSHEER。見るのはだいぶ久しぶりになってしまった。東京を拠点に活動する3人組のハードコアバンドである。個人的には激情という文脈で判断していたし、ある部分は確かにそうなのだろうが、独特な音を鳴らしているバンドで私はとても好きだ。
REDSHEERは忙しいバンドだ。やかましいバンドだが音の数が多いわけではない。速度も中速がメインだ。ただそれぞれの楽器陣が詰め込むアイディアが半端ない。1曲あたりのリフの種類の多さがわかりやすいが、構成も練られていてここが聞き所というところはその他の2つまたは声を入れて3つの楽器はぶつからないように抑制されている。逆に言えばそれぞれ個性があって、特に私はドラムのプレイがすごく好きだ。別にブラストを入れるわけではないが、実際の高さ的な意味で低くセッティングされたドラムから叩き出されるやや変則的なフレーズがたまらない。三者三様の個性のぶつかり合い、せめぎ合いがあってその切磋琢磨の間隙でなっている曲がREDSHEERの曲なんだという趣すらある。
この日思ったのは、REDSHEERはわかりやすさのないバンドだ。別に難解なわけではないが、わかりやすい必殺フレーズを(多分というか絶対)あえて使わない。激情のスタイルなら綺麗なアルペジオ(このバンドのアルペジオはなんか以上に反復的で病的である)や静寂と轟音のドラマティックな展開、浮遊感などだろうがそんなのは一切なし。殺伐としているが、かといってブラストを打つわけでも、陰惨さを過剰に演出するためのスラッジパートを入れるわけでもない。掴みやすいとっかかりがない。そういった意味でわかりやすくないのだけれど、そういうとっかかりを排除した楽曲は私はこのバンドにしかない、病的な円を感じてしまう。音が丸いというわけではなくてむしろ尖りすぎるほどに尖っているのだが、どこかに到達するような直線的なイメージではなく、病的な円を描いて沈み込んでいくような負の感情があって良いのだ。恨みつらみ逆恨み、なるほどそんな感情は含まれているのかもしれないがもっと多様だ。もっといろんな感情が溶け込んでいて、それが何か言い表すことができないのだけど、聞くたびに「それなんだよ!」と勝手にわかった気になってしまう。音楽性は違うけどToday is the Dayに通じるものがあるな!!と妙な納得感。この日もすごく良かった。

自転車漕いで帰宅。