2018年1月28日日曜日

小手1stFULLALBUM「雑記」発売記念イベント@三軒茶屋Heaven's Door

小手という少し変わったバンドが居るということはなんとなく知っていた。最近会社の音楽好きの人からかっこよいから聴いてくれ!と小手のyoutubeのライブ動画を紹介されたのをきっかけに仕事をしながら聴いてみるととても良くて驚いた。タイミングと言うものが人生にはあって、その紹介してくれた人も意図してたわけではないが、小手が1月に結成18年目にして初のフルアルバム「雑記」をリリースした。これは当然買うわけだし、発売記念のライブをするということなら行くことになる。「雑記」もそこまで聴き込めてないし、ライブを見るのも初めてだ。会場は三軒茶屋Heaven's Door。始めていくがいい雰囲気(スタッフの方が皆さん愛想が良い)のところで、ステージの正面が少しだけフロアにせり出しているのが特徴か。

小手
初っ端は小手。半端に知っている状態でいきなりライブを見るというのは面白い。4人のメンバーが揃ってややくたびれた作務衣に身を包み、ボーカルの人以外は狐のお面をかぶっている。当然音源で聞くより音量がでかく、また音も立体的に聞こえる。小手というバンドは変わっていて、ボーカルは歌を歌うというよりは詩を語る、というのに近い。節回しは少なく(曲によってはある。)、リズムを付けて押韻していくのでもないからラップとも趣が異なる。(ただし押韻に関してはかなり意図しているのではと思う。)ポストロックや日本の激情系ハードコアのスポークン・ワードのパートに通じるところがあるといえば伝わりやすいのではなかろうか。ただ小手の詩というのは、ポエトリーとはまた異なる、もっと散文めいた、日記めいたもので、それも書き手の日常生活を包み隠さず生々しく書いたような内容だ。装飾的なかっこよさとは大分かけ離れた音楽なのだ。その特異さ、異質さがまずは大音量で強烈に意識される。ただ音源よりもっと音楽的である。特にギター、ベースの存在感が有りながらも濁りのないクリアな音は印象に残る。決してディストーションを噛ませた(パワー)コードで弾きまくるようなことはなく、単音もコードも弦の一本一本それぞれの音が分離して聞こえるような透明さが意識され、またアルペジオやそれよりもっと少ない音がほぼほぼ全編に渡って続く。いわばポストロックの静謐なパートに語りが乗る、というような特殊さ。ただしベースもギターもそれぞれ通常より弦が一つ多く、たまに繰り出す重たいパートはかなりの重量感がある。まずは圧倒されているうちに持ち時間は終わり。小手はこの日一番手とトリの二回ステージに立つのだ。

phone
続いては栃木県足利のバンドphone。この日小手以外は初めて見る聴くバンドばかり。phoneは三人編成のバンドでドラムとベースとギター。弦楽器の二人がどちらもボーカルを取る。マイクを正面でなくややステージ中央に向けて配置するからメンバー三人ががっぷりしのぎを削る用な構図になっていて面白い。曲が始まってみると完全にハードコアだ。それも結構ややこしいやつで、なんとも形容し難い複雑な世界観を持っている。開始当初はギター・ベース両者の叫びも生々しく(基本的にクリーンはほぼ歌わなかったと思う。)、かなり初期衝動的なエモバイオレンスかと思った。ギターの音をガッチガチに武装するのではなく、ややジャギジャギした生音を残しており、黎明期のエモに対する愛着と敬意があるのではと。スリーピースならではのムダと冗長さがないヒリヒリした音なのだが、曲がかなり凝っている。カオティックやマスコア的な要素があり、展開が目まぐるしく変わっていく。そうこうしているとボーカルが鳴りを潜め、インスト曲に突入。突っ走るギターが一点空間的な音色を身にまとい、ポストロック的に反復していく。この時も緊張感を途切れさせないのがさすがで最後までビリビリしていた。個人的にはドラムが正確なのと展開が多いのと、特にバスドラムを打つタイミングが微妙にずらされているような気がしてそこが気持ちよかった。これがグルーヴ感と言うやつなのだろうか。

Slang Boogie
続いては地元三軒茶屋で長く活動しているというSlang Boogie。ドラム、ベース、ギターにボーカルの四人組のバンドで音的にはやっぱりちょっと変わっている。基本はハードコアパンクだと思うのだが、ボーカルの人が「ヤーマン」といってステージが始まったこともありレゲエ(音的にも思想的にも)の要素がある。ハードコア・パンクが軽くなるととたんに軽薄になったりするもんだが、このバンドに関しては結構軸がぶれていないのか、ハードコアの肉体的な明快さと、レゲエのゆったりとした楽しさが良い感じに結びついていて独特のミクスチャーサウンドを出している。というのも突発的な疾走パート、唸る硬質のベース、コーラスワーク、日本のハードコアを彷彿とさせる感情的なギターソロなどきっちりとハードコアのポイントをオリジナリティをだしつつきちんと抑えているので、ここがどっしり発信の中心になっている。ソリッドかつ余裕がなくなり、際限なく攻撃的になっていきがちなハードコア精神を良い感じにレゲエの要素がゆるくさせている。半端などっちつかずの中庸に陥らずに、潔くそれぞれの特徴が生かされているのが印象的。ボーカルの人はとにかくピースサインを良くする。この世がもし地獄なら、「この世はクソだ」というよりは「平和を!」と叫ぶほうがきっとこんなんだろうと思う。ステージの前には(おそらく)メンバーのお子さんがいて、とても良い雰囲気だった。不思議なバンドだ。

Risingtones
続いてはレゲエ、スカ、ロックステディバンドのRisingtones。なんといってもテナーサックス、トランペット、トロンボーンというホーン隊がいるのが特徴。さらにドラム、ベース、ギター、ボーカルに加えてキーボードがいるから全部で8人の大所帯。流石にステージが狭い狭い。ホーンはアンプを通さないので、音を拾うマイクの本数も多い。
この日一番ブラックな音をだしているバンドでやはり異彩を放っていた。手数は多くないがしっかりとしたドラムに、音の数のメリハリがついたベース(リフが凝っていて格好良いのだが、小節の中でかなり休符を入れてグルーヴを意識している。)、裏打ちのギターはあくまでもシンプル。そこにボーカルがとにかく歌いまくる。激しい音楽を聞いているとなんだかメロディアスさが悪徳みたいになってくるが、このバンドはもう伸びやかに歌う。歌詞も甘いもので、下手なポップスみたいに格好つけた割に語彙が貧弱だったり、ただ下品なそれらとは異なり、真っ直ぐで情熱的でそこが格好良かった。ホーンは私の耳が慣れないせいもあってかとにかく印象的で、一個の音を吹いたり(これも強弱がついていてやはり弦楽器とはぜんぜん違う。)、リフを奏でたり、どれも音に圧力があって、それでいて音は暖かく、歌を後ろからブワーッと押すような、浮かすようなそんな力がある。途中でそれぞれの楽器のソロパートを挟んだり、カバーを2曲(宇多田ヒカルとJackson5)披露したりと、やはりロック、ハードコアのフォーマットとは流儀が違って面白かった。あとメンバーが多分みんな(トランペットの人はタオルかも)帽子をかぶっていた。おしゃれである。

小手
トリは何と言ってもこの日2回めの小手。とにかくそのオリジナリティに圧倒されてあっという間に終わってしまった先ほどとは違ってこちらももうしっかり聴く気満載である。
相変わらずポストロックのフォーマットに語りが乗っていく。音源を聞いたときは静かに始まり、それが盛り上がっていく(つまりポストロック的な王道展開)のが面白いのだと思っていたがこれは明確に違う事に気づいた。まず小手の歌詞は長い。普通ならあるサビのリフレインとかがほぼない。なるほど演奏の方はミニマルかもしれないが、存在感のあるボーカルのせいであまり反復性は感じられない。そして静かに始まると思っていた部分も生で見ると全然むしろ迫力しかない。言葉は力強く、そして生であるゆえに揺らぎもある。ボーカルの人の力が異常にこもっている。詩というにはあまりにも赤裸々な言葉の羅列がその書き手の人生を詳らかにしていく。起こった出来事とその時感じた気持ちが語られていく。そこには実際面白いこと、新奇なことは一つもない。曰く「冴えなく」、「灰色の」、「ひからびた」日常の写し絵である。それが、私の旨を強烈に打つ。そこにあるのは紛れもない、ある人の人生である。小手の音楽はヘヴィだ。音的にはもっともっと重たいバンドはいる中でも、図抜けて異常にヘヴィと言っても良い。そしてエモーショナルだ。感情的に叫ぶから情熱的ではなくて、毎日についてうたっているから必然的に情熱的になるのだ。つまらない毎日には、たくさんの面白くないこと、悪心、たまにある良い心、時間の浪費、怠惰、愛情が細切れになって散らばっている。単に善悪という二項対立ではなく、その細切れの感情が小手の音楽に詰まっている。小手の音楽はウルトラ・ヘヴィだ。なぜなら取るに足らない(あなたの/私の)人生でもそれなりの重たさがあるからだ。私もまた取るに足らない男なので、小手という他人が歌うその歌の中に、私の人生があるのである。
小手がなぜ通常のハードコアのフォーマットで曲を演奏しないのか、澄んだギターのアルペジオは落ちつている心を反映しているのではない。むしろ逆に生きることに焦りはやる気持ちをあえて透明な音で抑えているのだ。あの独特な静謐さの裏には爆発的な感情がぎっちぎちに詰まって、それが嵐のように相克している。どろどろした原始の海のような感情をどうにかあの形に押し込めて、うたに昇華しているのだ。だからたまにフラストレーションを爆発させるような重たいパートに凄まじい説得力があるのだろう。(単にうるさいパートのために退屈な静かなパートがある音楽とは全く趣が異なる。)いわば透明になりたい音で、そうなりたいと思っている時点で決して透明なんかじゃないのだ。それが良い。
終演後まさかのアンコールに次ぐダブルアンコール。最後の最後にはかなり大規模なモッシュが発生していた。小手のライブでモッシュというのは見たことがない、と私に小手を紹介してくれた会社の人はいっていた。

小手の「葛藤、極まる」を購入して帰宅した。23時を過ぎてライブハウスの外はあまりに寒く震えたが、実のところ感動して体がわなないているのだった。楽しかった。

2018年1月22日月曜日

ダグラス・アダムス/ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所

イギリスの作家による長編小説。
作者ダグラス・アダムスはなんといっても映画化された「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズが有名だと思う。かくいう私も大学生時代に何気なく買った冒頭の一冊が大変面白くてシリーズを一冊ずつ読み進めていった。とても楽しい経験だった。(「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」のwikiページがすごい充実していることに気づいたので後で読む。)私はそれっきりになってしまったのだが、と思って調べてみると元々寡作な人だったようで邦訳されていたのは上記シリーズくらいのものらしい。この「ダーク・ジェントリー」シリーズもNetflix(どうでも良いがもてたいならNetflixでみんなが見ている映像作品を見れ!と言われたことがあるがまだ入会すらしていない。)でドラマ化されたようで、おそらくその流れだろうか、このシリーズも邦訳されたのでワクワクしながら買った次第。

ケンブリッジ大学の卒業生リチャード・マグダフは真面目な学生ではなかったが、紆余曲折あった末にプログラマとして成功していた。ある日彼が務める会社の社長が撃ち殺され、家を荒らされた上に放火されるという事件が発生。リチャードは彼の死の周辺に不自然な邂逅を果たしており、警察に重要参考人としておわれることに。偶然にも大学時代の旧友でカンニングの罪で放校処分になり、今は私立探偵をしているダーク・ジェントリーに助けを求める。ダークは全体論という独自の理論で事件を解決すると豪語するが…。

ダグラス・アダムスがミステリーを書くのだから一筋縄で行くはずがなく、冒頭からイギリスらしい持って回った諧謔に飛んだ文体で、わけの分からない文章が綴られていく。キャラクターはどこか奇矯であるが、ほとんどみんな愛嬌があり、ウィットと皮肉(いかにもイギリスな感じ)、そしてユーモアに富んでいるため読みにくいというのはないのだが、どうにも後にも話しの中心というのがみえにくく、しばらくは座りが悪い。ミステリーというのは(大抵)一人もしくは複数人の殺人自体(状況と犯人(動機))が謎であって、それを解きほぐしていく物語だが、この物語に関しては体裁はミステリーで、たしかに主人公の雇用主の殺人も謎なのだが、その他にたくさんの謎が散りばめられておりその中の一つでしかない。夜空に煌めく星が星座を隠しているように、ダーク・ジェントリーがこの雑多な謎を一つの回答に導くのがこの本の醍醐味だろう。ジャンルの垣根を超えてもそういった意味では謎を解き明かすという意味で抜群のミステリーと言える。
全体的に軽いノリにくるまれているし、読後感も爽やかなのだが、そこは(あっさり地球をぶっ壊してこの上なく天蓋孤独になった男を主人公に据えたシリーズを描いた)筆者のことなのでこの作品でもやはり深淵のような孤独(しかも2種類の)を描いていて、よくよく考えてみるととても笑ってられない。さらっと書いてあまり言及しない、というのは一つの美学であり、読者としてはそこが楽しみだったりする。いわば物語が文字だけでなく、こちらの頭のなかでカチリと音を立てて完成するようで、とても爽快である。混沌とした遠景が一つの絵として捉えることができたように。そしてその絵の奇妙さに感動するように。

すべての読書好きな人におすすめの一冊。二作目も近々邦訳の上発売のことでとても楽しみ。

2018年1月21日日曜日

Butcher ABC/North of Hell

日本は東京のデスメタル/ゴアグラインドバンドの1stアルバム。
2017年にObliteration Recordsからリリースされた。
1994年にプロジェクトとしてスタート。2002年にバンドとして再始動したとのこと。
結成から20年以上経ってからの待望の1stアルバム。タイトルはSlayerのかの名盤「South of Heaven」に対するオマージュとのこと。

結構な数の音源をリリースしているバンドで私はメキシコのParacocci(以下略)とのスプリット(2004年)とGeneral Surgeryとのスプリット(2009年)を持っている。特に前者だとだいたい30秒位の曲を矢継ぎ早に演奏するグラインドコア/ゴアグラインドバンドだなと言う印象だったのだが、今回のアルバムはかなり音楽性が異なっていて驚いた。
学生時代に過激さを求めてグラインドコア〜ゴアグラインドを少し聴いていた時期があったんだけど(私は死体ジャケが苦手でガッチリいろいろな音源を買うには至らなかった。LDOHとかJig-AiとかCock and Ball Tortureとか有名所をちょっとくらい。)、どれもやはり損壊した人体を思わせる残虐性と腐臭が音と曲の構成に影響を与えたドロドロ具合だった。Butcher ABCに対してなんとなくそんな音のイメージというか先入観があったのだが、実際この音源を聞いてみると、バリエーション豊かな音楽を統一し見事にまとめている。その洗練されようと言ったらある種のメジャー感すら漂う、20年以上の活動期間から来る王者の風格を感じさせる堂々としたデスメタル。爽やか、とは流石に行かないがとにかく抜けがよくて耳を通してスコーンと脳に突き刺さって、体が動いちゃうようなポジティブさ/楽しさがある。
全編ツインボーカルスタイルが特徴で、片方はどう聴いてもゴアグラインドなキュルキュル吸い込むような低音、もうひとりが喚き立てるようなシャウトで両者がそれぞれ、ときに重なりつつ曲を彩っていき、Napalm Deathの「Scum」のようにグラインドコアの伝統を感じさせる。ボーカルだけでなく曲もひたすら残虐性に振り切っているわけではなく。また金太郎的なジレンマに陥らず、きちんと曲によってそれぞれの個性が光っている。5曲目「Morbid Angel of Death」は中盤以降にハードコアのモッシュパートを彷彿とさせるゴリゴリ肉感的なリフを挟んでいたりする。ただし単純なメタルとハードコアの混交、または色んな音楽を混ぜ込んだごった煮ミクスチャーではなく、あくまでもデスメタル。というのも前述のハードコア・リフも全体を彩る豊富なリフの一つでしかない。練りに練ったリフで曲を組み立てるかっちりしたメタルから始まり、そこを足場にしているからどこまで行ってもピュアなデスメタルでい続けていることができている。
ゴアというどう考えてもアンダーグラウンドな音楽をやっているのに、そのジャンルの垣根を押し広げるような音楽性がひたすら面白い。tiwtterでは「踊れる」という言葉で表現されていたが、それも実際にこのアルバムを聞けば納得できた。メンバーの方が以前やっていたC.S.S.O.というバンドはグラインドロックをやっていたバンドだからデスメタルに何か別の要素を加えていく、という姿勢は納得できる。ただデスメタルバンドとしてゴアをもっと推し進めて尖った音楽を追求することだってできたと思うのだが、あえて表現の幅を広げつつ、あくまでもデスメタルという音楽性にこだわり続ける、というその姿勢から、さらにメンバーの方が長く運営しているObliteration Records、そしてディストロであるはるまげ堂のことも加味して考えると、なんとなくただひたすらデスメタル/ゴアグラインドを追求するというのと同じ軸で、この素晴らしい(と演奏している本人たちが思っているに違いない)音楽を楽しみつつもっと世に広げたい、という意思を感じるのは私だけだろうか。そういった意味では非常に挑戦的なバンドであり、まさに日本に腐臭を拡散するという意味で日本のデス界を牽引するようなバンドなのかな(シーンが厳格であるべき、そうではなく広がって行くべき、というようにここに関してはいろいろな意見があるとはお思うが。)、と思ったりした。

イントロが終わって2曲めが始まるところで良い意味で期待を裏切られた作品。めちゃくちゃ楽しい。非常におすすめ。
「Vice」加速してからの「ABC Butchers co.,ltd.」の流れがたまらん。

2018年1月20日土曜日

Su19b/Neurtralize

日本は神奈川県のブラッケンド・パワーバイオレンスバンドの2ndアルバム。
2017年にObliteration Recordsからリリースされた。
結成は1997年でフルアルバムより先にディスコグラフィーが出る(つまりアルバム以外の音源はかなりの量リリースしていたアンダーグラウンドな)バンドだったが、待望の1stアルバムを2015年にリリース。2年間というかなり短いスパンで2ndフルアルバムをリリース。結成20周年記念、ということもあるとのこと。

「ブラッケンド・パワーバイレオンス」という枕詞で語られるのだが、この言葉から想像される音とはちょっと異なる音楽を演奏するバンド。
パワーバイレオンスというジャンルはハードコアの先鋭的なサブジャンルで、その音楽性を簡単に一括りにできないオリジンリティのあるバンドがたくさんいる振れ幅のあるジャンルだが、SpazzやInfestのような伝統的なハードコアの激速版みたいな手法が一つと、それから昨今の流行り(なのかはわからないけど)短い曲の中で強烈なストップ&ゴーを取り混ぜたスタイルがあると思う。Su19bの場合はこのどちらにも当てはまらない。ブラッケンドの方も、純粋な音楽として捉えたブラックメタルから抽出した要素を用いる、という用法だとするとやはりSu19bの音楽性に合致しているとは言い難いかもしれない。というのもこのSu19b、ブラッケンド、パワーバイレオンスというにはおもすぎる、強烈すぎる、そしてどろどろしすぎている。これは前作もそうだがアートワークがよく中身を表現していて、モノクロにゾンビ(骸骨)と言うのはなるほどハードコア的だが、よくよく見るとゾンビにしては元気でそしてやはりどろどろしている。この溶解した腐肉感はどちらかというとデスメタルを彷彿とさせる。音に関しても同様で、ファストコアとスラッジを短くひとまとめにした、というよりはそれぞれをそれなりの尺で(といっても真性のスラッジに比較すれば長くはないが)、丁寧に、つまり陰湿にやるのがこのバンドのスタイルであり、「うげええええええ」と吐き出すようなボーカルもデスメタルを彷彿とさせる。ゾンビのうめき声みたいで超かっこいい。当然それをやるにはハードコアを経由した重たくもカラッと乾いてわかりやすい音ではなく、ジリジリ輪郭が撓んで腐りかけた湿っぽく邪悪な音にチューニングされている。外へ外へ突き抜けていくポジティブさというよりは、音が瘴気のように渦巻くネガティブさがあって、わかりやすくヘイトとフロアに混沌をぶちまけるスタイルのパワーバイオレンスとは一線を画していて面白い。もっとこう胃もたれするようないやらしい重たさがあって、それが停滞するのだ。特に遅いパートはデスメタルとスラッジコアを重量と陰湿さという要素でがっちり結びつけており、この表現力はちょっと他のバンドにはないのではなかろうか。遅さから突き抜けるブラストは一見爽快なのだが、これで何処かに行けるわけでもなくひたすら地獄なのが非常に良い。聞きやすさとは無縁で、しかし全編通してかっこいいという、まさにハードコアなスタイル。

Bathoryのカバーはややフューネラル・ドゥーム感も漂い、非常に音楽的な懐の広いバンドだと思った。私はCDを購入したが、今ではBandcampでデジタル版も購入できる。流行りに迎合しないオリジナリティのある音を鳴らすバンド。いわゆるパワーバイレオンスを想像するとびっくりするかもしれないが、底なしのヘイト感なら満載なのですぐにこの瘴気のような重たさと腐臭漂う邪悪さが気に入るのではなかろうか。おすすめ。

椎名誠/椎名誠 超常小説ベストセレクション

日本の作家、椎名誠さんの短編集。その名の通り日常から離れた変わった物語を集めた短編集。
椎名誠さんのSF以外の短編集を何冊かかって読んでいたが、これで一旦区切り。(多分他にももっとたくさんあるのだろうが。)この本のみ新品で買った。(私は音楽でも本でも新品買えるならなるべく新品を買うようにしている。)

元々椎名誠さんはSFが好きで何冊か読んでいる。この人の書くSFというのは最先端のハードSFとは一線を画す独特の世界観がある。簡単に言うと2つあって、一つはサイエンス的な要素はふんだんにあるがそれの説明をしないこと、造語を用いたオリジナリティのある世界観がありマクロな視点で野性的な世界のごく狭い範囲を旅や冒険という形で書くこと、だろうか。とにかく全世界人があまり行かないような僻地まで旅をする方なので、それを活かして新奇ながらどこで見たことのあるような懐かしい別天地(もちろん矛盾している概念である。)を生き生き(時に非常に厳しく残酷でギラギラと人を惹きつける。)を描き出す。いかにもインテリジェンスが知の迷宮に閉じこもって描いた執念のハードSF(こういうのも私は好きだ。)とはやはり結構違う作風だと思う。
そういうわけで椎名誠さんの書く物語というのはSF的であると同時に生活臭がして、そしてそこが異常事態に片足を突っ込んでいる(こともある)ので、超常小説、というのは実はしっくり来るのだ。何冊か読んで、おそらくサラリーマン時代の経験を活かした超常なのか日常なのか怪しい小説があることも知った。この人は特異な状況を描くが、それ自体が目的でなく、とにかく無骨でぶっきらぼうな語り口なのでその真意というのは常にはっきりとしないのだが、なにかしらこちらの、少なくとも私の胸を強烈に打つ、感情豊かな何かがある。

椎名SFではおなじみの灰汁と百舌シリーズも何作か収録されており、楽しい気分で再読した。やはりこの二人のたまにあって悪さをする、そして何かトラブルに巻き込まれる、みたいな関係性が良い。
初めて読んだ「ぐじ」は日本の失われつつ風景が田舎の萎びた温泉宿に結実している叙情性溢れる作品かと思いきや、これがとびきりの怪談であって非常に面白かった。椎名誠の怖い話というのは他の短編でも幾つか読んだと思うけど、こうも正統派な怪談というのは初めてで面食らいつつも、怪談というジャンルでも相当の出来なのでは。
「問題食堂」に関しても尽きることのない人間の愚かさを時代の変遷とともにコミカルに書いた作品なのだが、こちらもとある場所に書けられた”呪い”では?って考えると結構怖い。
やはり表紙にもなっている「雨が止んだら」が白眉の出来で、前述した無骨な語り口のは以後にある感情の豊かさ、というのがこの短編に結実していると思う。三角錐のプリズムのようにキラキラしている。そしてその光は暖かく、同時に切なく苦いのだ。この環状の本流こそ読書の醍醐味だろう。

この本ならまだ普通に本屋で買えると思う。ベストセレクションというとおり、この本でSFから少し不思議まで椎名誠さんの小説世界をざらっと総括して楽しめると思う。後書きによるとこの本にはネタの本があって、作品がいくつか入れ替わっているようだ。元ネタの本も読んでみたいという気持ちになっている。

Unbroken/Life,Love,Regret

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴのハードコアバンドの2ndアルバム。
1994年にNew Age Recordsからリリースされた。
いわゆる名盤とされるアルバムで中古でほしいなと思っていたが、調べたら普通にBandcampで買えてしまうことがわかり買ってみた次第。
Unbrokenは1991年に結成されたバンドで2枚のアルバムをリリース後、1995年に解散。その後再結成と中断を繰り返し、現在はまた活動をしているようだ。wikiによると少なくとも活動当初はストレート・エッジの思想を持っていたようだ。

”メタルコア”と称されることもあり、かなりガッチリしたハードコアをプレイしている。オールドスクールなハードコアパンクがその持ち味としている「速さ」の要素にあっさり見切りをつけて、代わりにどっしりとした中速にメタルから持ち込んだテクニカルかつ重厚なリフを持ち込んでいる。はじめの印象はかなり複雑な曲をやるのだなという印象。かなり金属質な音だが、大仰に広がらずに非常に筋肉質な音をだすのだが、ただただウサを晴らすように暴れるための楽曲というよりは、展開もリフも種類が豊富な叙情的なもの。この場で叙情的というのは、クリーンで歌メロが入るとか、アルペジオや浮遊感のあるシンセサウンドの導入とかではまったくなく、むしろ頭から爪先まで攻撃的で無骨なハードコアなのだが、その表現力が多様であるということだ。ニュースクールなのだが、いわゆる”カオティック”と称されたバンドに通じるところがある。それはハードコアであることにこだわって、その限界に挑戦するかのような、ただ速く(逆にただ遅く)、ただ激しく、とはべつのアプローチである。The Dillinger Escape PlanもConvergeという2大巨頭もカオティックと称されたが、どちらのバンドもやや他ジャンルに足をかけていた(初めからジャズを巻き込んだTDEPはわかりやすくそうだし、Convergeはアルバム単位でみると結構面白い変遷をしていると思う。「Jane Doe」だけ浮いているのかな??)ように思えるのだが、このUnbrokenに関してはそういった浮気心はなくあくまでもハードコアのみで勝負している。そういった意味では求道的でそれでいて保守的にならずに挑戦的だ。

「生活、愛、後悔」というタイトルは要するに日常のことだと思う。ハードコアというのはリアルであること、というのが一つあるなと最近思うのだが(だから思想的にはヒップホップに通じるところがある。要するにカウンターカルチャーということだろうか。)、このUnbrokenに関してもおそらくそういった姿勢で活動しているのだろう。ハードコアの曲の中にそういった日常の事ごとが透けて見えるようで、そういった意味で非常にエモーショナルだ。エモーショナルというのはただ感情を表に出せばよいというのではない。泣いている人だけが悲しいわけではないように、無骨なハードコアの欧州の向こう側に豊かな感情が垣間見えるアルバム。まだ聞いたことが無い人は是非どうぞ。

Wolfgang Japantour/A Mutable World

日本は北海道札幌の殺幌発青春メタルポップバンドの2ndアルバム。
2017年にCrew For Life Recordsからリリースされた。
2003年か2004年に結成されたバンドで今は3人組のようだ。ベース兼ボーカルが女性。オフィシャルサイトもないようなのであまり情報がない。新作リリースのタイミングでジャケットが印象的だったので心に留めて過去作をyoutubeで聞いたら良かったので購入。

まず何と言っても隠そうともしないコラージュ感あふれるジャケットが良い。CDの盤面やインナーの裏側など結構世界観が違うアートワークが施されていて、何となくこのバンドの方向性が垣間見える。
再生してみるとCoaltar of the DeepersのイチマキさんがやっているBP.に似ているなと。特徴的なボーカルの声質が似ているというのがまずあるのだけど、楽器がガシャガシャうるさいバックの演奏に、女性ボーカルが割りと絶妙なメロディアス具合で歌う、というスタイルが共通している。ただこちらのほうが自称することもあってかなりメタリックで激しい。音はそれなりに厚みがあってうるさいがシューゲイザーのような耽美的な陶酔感は少なめで、あくまでもソリッドに突っ走るハードコアスタイル。曲は短めで9曲を18分で駆け抜けるから1曲あたり大体2分。軽めのスネアが特徴的なドラムも手数が多くて速いし、ギターはとにかくよく動く。メロディアスなハードコアだがブリッジミュートを主体に極限まで軽くしたような速めのリフに、ただボーカルがひたすらメロディアスな歌を乗っけるメロコアスタイルとは一線を画す音楽性で、絶妙なメロディアス具合といったのはこのボーカルとギターの歌い具合がとても良い塩梅に曲の中で戦い合っている感じ。女性ボーカルの憂いのあるメロディラインと思ったら、ギターが叙情的なソロを奏でて、よくよく聴くとそれ以外の部分でも、いろいろなパートがぐいぐい主張していて、それがやかましいのだけど不思議に噛み合っていて、賑やかで暖かい独特の音楽になっている。
バンドサウンドってただバンドで音を出せばそれになるってわけじゃなくて、こうやってバンドの中で音の相克と掛け算があって、わざわざパートごとに集まってやる音を出す意味というのがひしひしと感じられて、こういうのだよな〜と思ってしまう。(私バンドやってないから実際のところはわからないんだけど。)
かなり濃いことをやっているのだが、全体的に晴れ上がった青空のようにさっぱりしているのはやっぱりボーカルの力によることが多いのだろうか。あとはたまに挟まれるギターソロも爽やかで良い。決意と達観を巻き込んだような歌詞も特徴的でアルバムのタイトルは「無常の世界」という意味だそうな。
メンバーの人はKnuckle Headというハードコアバンドでも活動しているようなのだが(聞いたことなし)、ハードコアを通過した上でメロディを獲得しにいったのがこのバンドだとすると、安易に音の軽いメロコアに行くのではなくて音はむしろ混沌として、そこにメロディを溶け込ませるというのは非常にややこしく、こだわりがあって良いなと思う。

700枚限定とのことで油断するときっとなくなってしまうと思うので気になっている人は是非どうぞ。早速ライブが見たいバンド。

2018年1月15日月曜日

椎名誠/胃袋を買いに。

日本の作家の短編集。
個人的な椎名誠さんの短編集買いあさり祭りのうち一冊。11の短編が収録されている。
何冊か読んできた中では一番バランスが良いかもしれない。完全にSFと読んでもいい物語と日常生活の延長線上にあるフィクションを扱った作品が良い感じに混じり合っている。後半に行くに従って幻想味が増してくるように配置されていて、その世界観の異質さに徐々に慣らされていくようだ。
前半の日常生活に何かしらの”異変”が起こる系統の物語は、サラリーマン経験もあり、妻と子供もいる社会人・家庭人しての作者の経験が生かされている。その会社の上司・同僚たちとの関係、妻との何気ない会話などの設定と言うのはもちろん、その普通の生活に根ざす不安が小説の元になっているケースが結構多い。例えば自己臭恐怖(これはどちらかというと思春期ごろに多いらしが)、疲れて帰ってきた週末自宅のアパートのエレベーターが帰宅の本当直前に停止して中に閉じ込められたり、などなど。また家庭内の不和も相変わらずこの短編集でもさり気なくしかししっかりと物語の中に閉じ込められている。圧倒的に歪んだシーナ・ワールドに飛び出す前(実際にはおそらく同時に書いているから表現的には間違っているのだろうけど)のダラダラ続く割には消耗する日常世界の閉鎖性を描いた作品が多く、語り口は軽妙だがむしろ暗く不安にさせるような持ち味がある。
不安やフラストレーションを一歩その日常の先に進めたのが「足」や「八灘海岸」、「猫舐祭」などの日常生活からふわりと浮上したかのような異形の”怪談”群であり、ここでは前述した個人的な不安から離れ、集合的な”恐怖”が描かれている。読み手の感情的には「わかるその気持!」というのから、「よくわからないけど怖い」に移行するイメージだ。ここでは見たことも聞いたこともない、椎名流のほら話が展開されていく。
そしてそのホラがSF的な形に徐々に結実していき「引綱軽便鉄道」(その後固まりつつある北政府ものの世界観の萌芽が感じられてテンション上がる。)を挟みつつ、最後を飾る「ループ橋の人々」は短いながらもポスト・アポカリプスものというジャンルの良いところをギュッと集めたような短編で、世界の残酷さと一向に明かされることのない災禍への興味がありつつも、たくましい少年たちの目に映る新奇な世界への好奇心がギラギラ光るようで、ただただやられている陰気な小説よりよほどワクワクして面白い。物語は違うが、きっとこの少年たちが野蛮な世界に飛び出していくことで椎名誠さんのSF小説が生まれていくのだろうという気がして、個人的には感慨深かった。

やっぱり抜群に面白いというか、読むほどに好きになる作家なのだと思う。異形のSFを求めるなら別の本を選ぶべきだが、まず椎名誠さんの小説を読んでみたいという人や、日常にイライラを感じている人ならそこから別世界を垣間見る窓を手に入れることができるだろう。冒頭にも書いたが短編集だが、思考の流れが物語の構造の変遷に感じられるようで、とにかく流れが良くて、バリエーションに富んでいる割には統一感がある。

2018年1月8日月曜日

ミシェル・ウェルベック/プラットフォーム

フランスの作家による長編小説。
前回「地図と領土」が大変面白かったので読み終えないうちからこちらを購入。「服従」が売り切れだったので反射的に選んだようなものだが、あとから調べると色々と曰く付きの物語だ。まず買収観光という問題を取り扱っているし、それからイスラム過激派の台頭を予見した(この本は2001年に発表されている。)ということらしい。「地図と領土」はウェルベックにしては性描写が抑えめということだったので、結果的には都合良かったなと言う感じ。

フランスで公務員として働くミシェル。年は40代。友達は一人もいない。長続きするような恋人もいた例がない。仕事が終わったら寝るまでテレビを見る。たまに本を読む。生まれてこの方何かに熱中したわけではない。長期休暇の折には海外旅行に出かけることもある。タイのパックツアーに赴いた先でヴァレリーという女性に出会い、そしてミシェルの人生は好転していく。旅行会社に務める彼女のためにミシェルは売春観光というアイディアを提供する。

スキャンダラスな話題に事欠かない作家らしいが物語はかなりしっかりしている。これは空虚な中年に差し掛かった男が情熱を取り戻し、人生を奪還するという成長の物語でもある。人生の伴侶を見つけてそれまでの人生観を一変させるという稀有な体験を味わう恋愛小説でもある。喪失と再生の物語でもある。(異論はあると思うが。)「地図と領土」でも書いたと思うが、ウェルベックの小説は読み手がそこに”何か”をわかりやすく認めることができる、という意味で非常に優れている。主人公ミシェルの抱える著しい情熱の欠如が一体何なのかということだけで相当面白い問題である。父親との、そして母親との関係故なのか、情報過多で軽視される肉体的接触の減少が産んだ弊害がもたらす現代病なのか。そしてセックスというのも常に人間の興味を惹きつけるもので、私達というのは特に芸術の分野ではそのセックスというものに付加価値をつけたがるものなのではないだろうか。そういった意味ではキャッチーでやはり何かありそうな物語だ。(当然ウェルベックの各物語は思わせぶりで結局何もいっていないという人もいるのではなかろうか。私は別にそういうったことは求めていないので全然かまわない。)別に悪口ではなく、実際の自分たちの抱える様々な問題を簡潔な形で、この小説の中で私達が見いだせるだろうと思うのだ。つまり、私達の悩みをうまく整形して描いているのだ、ウェルベックという人は。

私は子供の頃に一回海外にいったきりだが、なんとなく海外で売春をするというのはよろしくないと思う。たまに日本人旅行者の渡航先での買春に関する文章(「好色で無遠慮な日本人的な」)を見るとやっぱりやめたほうが良いよな〜と思っちゃう。この本は売春観光を描いているから、買ったあとに気がついたけどあまり反りが合わないかもな、と思ったがそうでもなかった。というのもウェルベックはこの本の中でセックスと言うものを非常に良いものとして描いている。表現は過激だが(でもあまり下品ではないと感じた。ただし非常に大胆であるが。)、例えば女性に対する強要、暴力(ただしSMの表現はあり、そしてウェルベックはセックスが持つ善きものから外れているとして批判しているように思えた。)はほぼない。ミシェルと恋人ヴァレリーのセックスは素朴であり、そしてそれゆえに神聖ですらある。一方でミシェルが、そして西側の人間が体験する売春も相手側の女性も非常にしたたかなものである。彼らは暴力で売春観光の目玉として集められたわけではないし、現実的な、つまりお金という目的のために体を提供しているように書かれている。もちろんこれは小説であり、私も売春観光いいじゃない、そこには搾取と言うのはないのだ!とは全く思わない。つまりこれはミシェル・ウェルベックの考える一種のユートピア、存在しない現代にはとうに失われて久しい安息の地として売春観光を考えているのではないか。(もしくはやはり愚かしく、人を見下す西洋人の傲慢さを書いているのかもしれぬ。)

「地図と領土」の主人公は生まれながらの芸術家だった。一方この「プラットフォーム」の主人公は冴えない中年男性である。そういった差異も面白く、また語り手、つまり切り口をガラリと変えても、人と社会(個から見た全体という視点で)の抱える問題に関してサラリと書いてしまうあたりがすごい。

2018年1月3日水曜日

Starkweather/Crossbearer/Into The Wire

アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアのメタルコアバンドの編集盤。1992年の1st「Crossbearer」にEPの音源をボーナストラックを追加した再発盤(1994年)、1995年の2nd「Into the Wire」、さらにスプリット音源とコンピレーション・アルバムに収録した曲を追加したもので、2015年にTranslation Loss Recordsからリリースされた。
Starkweatherは1989年に結成されたバンドでアルバムは前述の2枚を含めて4枚と、マイペースに活動を続けているようだ。
FBのメッセージによると「個性を剥奪された個人のための(この個人のため、というのは良い)孤立した音楽。内耳にとっての障害。原初の叫び療法を通した厭世的な内的告白。」とのこと。曲がりなりにもハードコアをやっているバンドにしてはちょっと珍しいスタンスである。ちなみにバンド名は1950年代の実在のスプリー・キラー(短時間に複数の場所で殺人を行った人のことをこう呼ぶとのこと。)Charles Starkweatherから取ったものだそうだ。(調べてみると俳優みたいに魅力的な風貌で驚く。)

前述の通り通常とはかなり異なったアプローチでハードコアを表現しているので、やはり中身の方も相当おかしい。メタルコアが流行った頃私は殆ど聞かなかった。なんとなくイメージ的にはエモい髪型をした人がゴリゴリから始まり、一転とてつもなくメロいサビに突入する音楽というイメージが有り、もちろんこれはメタルコアの上澄みを掬ったオーバーグラウンドのバンドのイメージにほかならないのだが、それなら別にはじめから別にやってもいいんじゃないかという感じだったのだ。(友人からは強くKillswitch Engageを勧められたのだが、今思うとちゃんと聞いておけばよかった。)実際この典型というのは批判があれど説明には手っ取り早いなと、改めてStarkweatherを聞いて思った。全然出てくる音は違うのだが、まあ大体ハードコアのゴリゴリとした音に、 クリーンボーカルを乗せるアプローチという風に(そもそもこの説明自体が適当すぎてあまり意味が無いんだけど)説明できる。とにかくソリッドな音だったオーバーグラウンドのメタルコアに比べれば、ざらついた粗野な音でゴリゴリというよりはガリガリした鈍器で殴るようなイメージだが。さらにただサビのための記憶に残らない騒音部というのではなく、ブレイクダウン含めて凝りに凝ったハードコアが展開されている。そしてそこに乗っかるクリーンパートが超曲者で、はじめ聞いたときはMr.Bungleが真っ先に頭に浮かんだ。あの変態Mike Patton(私は顔も含めて超好き)が好き勝手わめきまくるアヴァンギャルドでプログレッシブなハードロックバンドだ。まず声質がとても良く似ている。芝居がかってふざけているような、あの歌い方もそう。正直言ってハードコアでこれをやるのはやりすぎじゃなかろうか、と不安に思ってしまうくらいに独特の味わいがある。これは、なかなか…という何とも言えない表情になるのだが、待ってほしい。このアルバムは全部で2時間20分弱あるのだが、絶対2ndまでは聞いてほしい。1stは正直アヴァンギャルドなメタルコアで、両者の差異が妙に強調されてしまって、インパクトはある反面両者の要素がよく馴染んでいないように聞こえるのだが、2ndでその接合部は見事に癒着しており、絶妙でそして奇妙で奇形なメタルコアが展開されている。これはしばらく聞いて耳が慣れたせいもあるかも、そういう意味ではいわゆるスルメ盤だろうか。アヴァンギャルドとハードコアがなあなあにスケールが小さくなって落ち着いたわけではなく、むしろハードコアのゴリッゴリ感は2ndのほうが強い。もうこれは完全に残虐なハードコアだ。やはり完全に目が座っている系で殺しに来る低速が圧倒的に格好いい。(2枚めラストの「Taming Keches with Fire」のラストは露骨におかしい。)頭がおかしいんだな、という共通項にネジが何本か飛んでいるクリーンボーカルがしっくり馴染む。相乗効果で直接的な表現に向かいがちなメタルコアにはなかなかない”雰囲気”が演出されている。奇形なメタルコアの歪んだ影に浸るような、そんな不気味さがたまらない。そうなると冒頭に掲げたバンドのやや病的なステートメントが妙にしっくり来るではないか。

久しぶりに音源聞いて、「ふ〜む」となってからの「あら、あららららこれはヤバイ」って感じの体験ができて個人的には超良かったです。とにかく2nd(というか2枚め)が危険すぎる。是非どうぞ。おすすめ。

2018年1月2日火曜日

Tho Body & Full of Hell/Ascending A Mountain of Heavy Light

アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドのドゥーム・デュオThe Bodyと同じく合衆国メリーランド州オークランドのパワーバイオレンスバンドFull of Hellとのコラボレーションアルバム第2弾。
2017年にThrill Jockey Recordsからリリースされた。LP盤を購入。
私は前作「One Day You will Ache Like I Ache」(タイトルが最高)が大変気に入っているアルバムなので今作も非常に楽しみだった。
幸いなことに2017年Full of Hellの最新作「Trumepting Ecstacy」のリリースに合わせた日本公演で両者のステージングを見れたのは良かった。どちらのバンドからも凄まじいエネルギーが感じられたし、バンドの今を確認できた。

激しく、そして先鋭的な音楽を演奏している2つのバンドだが、微妙にやっているジャンルは異なり、普通に考えればそのコラボというのはちょっと異質だと思うのだが、その先入観をふっ飛ばしたのが前作で、それはもうパワーバイオレンスとドゥームをノイズ、低速という共通項でもって一つに繋いだ、というかもう完全に融合した一つの別個の生命体だった。停滞する厭世感と爆発起動するヘイトを併せ持つ、不安定な物質としての純粋なニトログリセリンのように危険なやつだ。ハードコアにはなかなか出せない淀んだ停滞を強烈に全面に打ち出したその音楽性は個人的にとてもツボである。
今作も基本的に両者がっぷり四つの出来だが、前作とはやや音楽性が異なる。The BodyはFull of Hellだけでなく、Hexan Cloak、ThouやKrieg、日本のVampilliaなど多様なバンドとの合作を行っており、とくにFull of Hellとの2作に関してはどちらかというと主導権を握っているのはThe Bodyなのではと思う。はじめに聞いたところではさらにThe Body化が進んだのかと思ったのだが、来日公演で見たThe Bodyを思い出して微妙にそうではないことに気づいた。The Bodyの音楽性の変遷がこの共作にも影響を与えているのだ。来日公演ではThe Bodyの二人はドラムとギターを利用せず、ほぼ目の前にセットされた卓をいじることで音を出していた。なるほどノイズの要素は大きかったが、個人的に驚いたのはテクノ然としたはっきりとしたビートの導入だった。おそらくアナログシンセとビートマシンを用いているのだろう、凝った音というよりは実直でシンプルな音で驚いた覚えがある。
この共作でも電子音に対する愛着とこだわりが散りばめられている。前作ではまだ披露されていた速さという爽快感が徹底的にオミットされている。遅鈍さにDylan Walkerの強烈に喉に引っ掛けるような低音ボーカルが乗ってくる。垂れ流し系のズルズル演奏はスラッジを通り越した過剰装飾性すら感じさせるが、さらにそれを冷徹で重たいインダストリアルなビートがぐるっと一巻きにしているのだから明らかにやりすぎである。2つのバンドをつなぐ共通項がノイズ(単にハーシュノイズを用いた楽曲を制作するという意味ではなく、うるさい音へのアプローチとして)だったので、出来上がった音がうるさいのはわかりやすいのだが、冷徹なビートを用いるというところが面白い。もちろん単に今ハマっているから、という説明だけで充分なのだが(そもそも作り手側に説明を求めるのはお門違いであるが)、なんとなく意図が気になってしまうのが私だ。ミニマルなビートで陶酔させると言うにはあまりに曲の出来がカオティックで情報が多すぎる。そうなると垂れ流しに拍を導入することで引き締めるというのが一つあると思う。(逆に5曲目「Our Love Conducted with Shields Aloft」は生ドラムを叩きまくり徹底的にやりたい放題やっているのも興味深い。)うねりがあった前作に比較すると今回は曲の中で相克があって、抑圧感が半端ない。それがストレスに感じられる人もいるだろうが、個人的には「Didn't the Night End」「Farewell,Man」(邦訳すると「さよなら人類」になってたま感が半端ない。)の2曲はもうビートがおもすぎて最高。

Full of Hellの最新作のようなヘイトに満ちたデスメタリックなハードコアを期待すると、もったりと停滞したドゥームな世界観に驚くだろうが、根底にあるのはこの世に対する恨みつらみなのでそういった意味では全くぶれていない。バンド名知っているという時点で買って間違いない。今更速いとか遅いとかの話ではない。

Spectral Voice/Eroded Corridor of Unbeing

アメリカ合衆国コロラド州デンバーのデスメタルバンドの1stアルバム。
2017年にDark Descent Reocrdsカラリリースされた。
2012年に結成されたバンドで、メンバーのうち二人はダーティなデスパンクneklrofilthの元メンバーとのこと。結成以来デモ含めてそれなりの音源をリリースしているが聞くのはこの音源が初めて。

全部で5曲のアルバムだが、収録時間は44分。大体わかると思うがかなりドゥームの要素色濃い遅いデスメタルをプレイしている。バンド名は「奇妙な声」と訳せば良いだろうか、アルバムタイトルは「非存在の腐食した廊下」となるのかな…。
デスメタル界隈からするとやや婉曲的な表現を用いていることもあり、直球型の残虐デスとは一線を画すオカルティックな内容。そのサブカル的な文脈を音で表現しきっているのがこのバンドの持ち味で、オカルト風味をPortal風の不協和音めいたテクニカルリフとは別のアプローチで表現している。不安を掻き立てるのはブラックメタルならDeathspell Omegaのように、メタルの持ち味である低音リフに中音から高音の音をブレンドすることで違和感を演出するのがメタル流の確立された方法論だとすると、このバンドの場合は2本のギターで役割分担を明確に分けるオルタナティブな方法論を提示している。片方はひたすら低音に特化したリフのみを担当。ドゥーミィな遅さもあって名状しがたい存在、例えばラブクラフトの代表作「ダンウィッチの怪」におけるウィルバー・ウェイトリイのような不吉な巨体が、人間にはない触腕めいた器官をうごめかしているような音を演出。一方もう片方のギターはその低音にかぶせるように単音の中音〜高音を爪弾く。この両者の相乗効果が良い。徹頭徹尾容赦のない世界観(ちなみにボーカルは低音のみしか吐かない。)にその世界観を維持したまま圧倒的な負の叙情性を持ち込むことに成功している。いわばデスメタルの武骨な残虐さに奥行きを与えるような、アトモスフェリックと表しても良いようなアプローチを全く賢しげ(洒脱なポスト感は皆無)になることなく実現している。鈍足さもあって真っ先に頭に浮かんだのは同じくドゥーム・デスでフューネラルに片足を突っ込んだEvoken。ただSpectral Voiceはあくまでもデスメタルの原型を損なわずに保ち続けているのが素晴らしい。
何と言ってもボーカルレスの「Lurking Gloom」にこのバンドの魅力が詰まっている。無骨で無愛想かつ、ミニマルな前半を通して、単音ギターがのる後半の視界の広がりといったら、ビリビリ来るような感動である。

年間ベストが選定されるこの時期、随所で話題になっているこのバンドをまだ聞いていない人は是非どうぞ。デスメタルという殺伐としたジャンルで、このようにアプローチすると言うのは面白いし、単純に技巧や企図以上に出ている音が良く、芳醇にただれているという意味では間違いなくデスメタル的なデスメタル。
デスメタル愛好家はもちろん、デスメタルの無骨さが苦手だという人は豊かな表現がその苦手意識を良い感じに埋めてくれるのではと思う。おすすめ。