2015年7月25日土曜日

Palm/My Darkest Friends

日本は大阪のハードコアバンドの2ndアルバム。
2012年に日本のAlliance Traxからリリースされた。
Palmは2010年に結成されたバンド。実は気になっていた音源であったのだがリリースからしばらく絶った後では売り切れ状態。2014年にリリースされた「The Unusual」という7インチを最近手に入れたらこれがかっこ良くて。調べたら普通にこのCDが売られていたので買った次第。再販したのかな?いずれにしろ嬉しいことです。

Palmは一回だけTwitching Tongues来日の時のライブを見た事があって、その時はフロアがえらい盛り上がっておりました。ハードコアな激しいライブだったのだが、とにかくお客さんが一緒に歌ったり、ボーカルの人をサーフしたりとポジティブな雰囲気があって楽しそうだったのが印象に残っている。
今作のアートワークはConvergeのJacob。ざらついたアートワークは恐らく日本の国旗をモチーフにしたものであると思う。
再生するといきなり怪しいギターがつま弾かれ、何やら聞き覚えのある独特の歌い回しが…。birushanahのアートワークやCavoのボーカルだったりの彫り師ヨナルテさんのゲストボーカルで幕開け。雰囲気抜群。
2曲目からは全編喧しいハードコア地獄が始まる。とにかくテンションが高い。歌詞はほとんど日本語。畳み掛ける様なボーカルのシャウトの応酬である。
いわゆるカオティックさはあるもののあくまでも勢いを重視した曲構成。速さのみを追求した極端な音楽というよりは、速くて重いが聴きやすい剛球タイプでまさに正統メタリックハードコアという印象。
ギターは八面六臂という感じで一つの曲の中でも相当様々なリフを披露している。音質もあってかなりメタリック。弾き倒すようなハードコアトレモロリフ。メタリックに刻みまくるリフ。一気にスピードを落とすスラッジパートと弾きまくる。どこかしら伸びやかなロックっぽさがあってそれが気持ちよい。5曲目とかは結構ロック。低音から高音まであっという間に行ったり来たりする様な忙しさ。
ベースゴロゴロガラガラした暴力的なもの。スラッジパートでは鈍器の様な衝撃。ぐーーんとひっぱるようなスライドのタメ感が爆発寸前の緊張感を演出する良い味に。
ドラムは乾いて中音を強調したもので曲調もあってか手数は多め。あまりシンバルを使わないのかな?疾走パートではバスドラムの連打が嵐のよう。
リズム隊が土台を作ったらギターが豊かな音色で一気に曲を膨らませてそこにボーカルがのっかり、まさにつんのめる様な勢いでもって突っ走るタイプのハードコア。空間を真っ黒に塗りつぶしていくかの様な暴力性と、そんな中でも曲を陰惨なものにしないからっとした爽快さがある。これはライブで聴いたらそれは盛り上がるだろうというもの。目まぐるしく曲展開が変わるものの猛烈な嵐が刻一刻とその姿形を買えるように自然で、自然に耳に入ってくる。
ConvergeっぽさはあるけどたしかにPalmの方はもっと野性的なイメージ。Convergeも相当激烈な音楽をやっているからこういう言い方は自分でも不思議だけど。
きっちり歌詞が乗っているのもハードコアって感じで個人的にはとても良い。
全身全霊である。暑苦しい位の必死さ。でもほんとのかっこよさはきっと必死から生まれるのだと思う。あぐらかいて涼しい顔しているヤツをはったおすような音楽性でそこがハードコアだ。激しくブルータルだが元気になれる音楽。まだ聴いてない人は是非どうぞ。カッコいい日本の音楽!

リチャード・モーガン/ブロークン・エンジェル

イギリスの作家によるSF小説。
以前紹介した「オルタード・カーボン」に続くタケシ・コヴァッチシリーズの第2弾。
言うまでもなく前作が大変面白かったので続くこの物語も購入した次第。
今作は文庫でなく専用のスリーブケースに入った2冊で一組の単行本形式。

27世紀、人類は今は姿を消した火星人の未だに全容が明らかではないの技術の一部の恩恵により、宇宙に進出。いまでは地球以外にも多数の星々をその版図としている。また人の意識は脳ではなくスタックと呼ばれる小さなメモリーに移され、それを換装可能な人工的人体スリーヴの首筋に埋め込むことで、ある種の不死性を獲得していた。
政府ではなく実質的に企業カルテルが支配する宇宙世界で、エンヴォイ・コーズと呼ばれる特殊部隊にかつて所属していた日系企業開発の星系出身のタケシ・コヴァッチ。今はサンクション星系第四惑星で政府側機甲部隊に所属し、同星の革命家ケンプ率いる反乱軍との苛烈な戦争の矢面に立っていた。ある日負傷したコヴァッチにシュナイダーというケンプ派の脱走兵がもうけ話をもってくる。曰く火星人のお宝を見つけたと。コヴァッチは怪しいもうけ話に乗る事にし、機甲部隊を逐電する。

前作「オルタード・カーボン」は地球を部隊にした派手なアクションシーン満載かつ哀愁のあるハードボイルドなSFだったが、今回は登場人物とハードボイルドさはそのままにやや趣を変え、失われた火星人の宇宙船を追うという冒険小説になっている。
つまり謎のお宝という、特に男子を魅了する目的がガッと一本物語を貫いている。未知の探求が主眼なんだが、面白いのはそこに至るまでの過程がかなり丁寧に書かれている事だ。冒険するといっても未開のジャングルを鉈で切り開いていく訳ではない。なにせ惑星レベルの戦争をしている星を部隊に、一兵卒が宝探しをする訳だからまずは装備を整えなければいけない訳で、コヴァッチ一行はまずもうけ話を企業に売り込みにいく訳だ。企業側だって半信半疑なわけだし、コストを抑えて丸儲けしたい訳だからコヴァッチ側を騙しにくる。緊迫感あふれる駆け引きを経て、今度は戦争状態にある発掘地帯を確保していく…と一歩ずつ火星人の宇宙船に文字通り近づいていく訳だ。
戦争状態というのは不思議なもので一応規定や決まり事にあふれている訳だが、実のところ緊急事態の戦時下ということで様々な倫理観は文字通り暴力で持って踏みにじられる事になる。兵士たちは邪魔者を吹き飛ばしていく事に躊躇は無いし、企業側は鐘を何より優先するというよりは常に利益の事しか考えない訳で、よりもうけが出るなら人命に何ら頓着しない。(悪役企業にありがちな価値観、つまり命に価値がないと考えている訳ではない。徹底的に利潤を追求しているにすぎない。)おまけに兵士も企業に牛耳られている訳でこれはもう最悪のコンビとしか言いようが無い。おまけに前述のスタックとスリーヴがあるおかげで兵士たちもどこか余裕がある。死んでもスタック(と金、だが軍に所属していれば基本再スリーヴの心配は無いようだ。)があれば再スリーヴ出来る。薬物と軍隊的な規律で精神をドーピングし、外科的技術の粋をこらした人口肉体(スリーヴ)に身を包んだ彼らはもはやあっさり人を超えた存在に見える。当然見た目を変えたけりゃスリーヴを着替えれば良い訳だし、金があればバックアップを取って永遠に生きられる。命の価値が今とは違う。そんな未来でも、星は沢山あるのに人は相も変わらず狭い地域に集まって、金のために殺し合いを続けているのだ。ディストピアというと閉じた社会というイメージがあるが、モーガンが描くのは開けたディストピアであり、だからこそ逃げ場が無いのだ。つまりどこまでだっていけるが、どこまでいっても金と暴力が支配するディストピアなのだ。ここから脱出するには文字通り世捨て人となって未開の惑星にでも引っ込むしか無いのかもしれない。もしくはスタックをつぶしてリアル・デスを選択するか。
特殊部隊故の技能があることと、感情面では色々”ない”ことが強みのコヴァッチはしかし非人間的というよりはそんな世界の最先端に上手く適応した人間に思える。基本的にコヴァッチの独白形式で進むが、ところどころエンヴォイとしての超人間的さが自覚しているほど浸透していない様がにじみ出ていてそこに人間性を見いだし、読者は共感と憧れを覚えるのかもしれない。
戦いに明け暮れる人間の愚かさから重力から逃れた後の世界でも逃れられないというのはある種の呪いの様なもので、激しいアクションやテクノロジーの背後にはそういった厭世的な無常さが垣間見えて、それがこの作品を結果一風変わったものにしていると思う。

趣が異なるものの前作同様楽しめた。次作も勿論読む予定。
ピンポイント的にはいかにも軍隊然とした悪口が面白かったので、そこら辺好きな人は是非どうぞ。ただし読むなら前作からの方が良いと思います。

Tengil/Six

スウェーデンはボロースというところの4人組ポストハードコアバンドの1stバンド。
2015年に日本のTokyo jupiter Recordsからリリースされた。

このバンドは自分たちの音楽を準交響的ポストハードコアと名付けているとの事。なるほど。ちょっと聴いて私は思ったね、これは間違いなく無く準交響的ポストハードコアだと。混じりっけなしの準交響的ポストハードコアだとね。まさしく準交響的だったね。ということにはまあ全くならんかったわけで、まあ音楽的な素養とかないし、知識もねえわけだから仕様がない。レーベルの丁寧な解説によると古典交響曲から大きな影響を受けているとの事。なるほどなあ。
古典交響曲全く聴かない私だけどまあ簡単に彼らの音楽を表現していこうと思うよ。
同郷のポストメタル界の巨人Cult of Lunaメンバーがマスタリングを手がけている、とかくとまあなんとなーく彼らの音楽性が想像できるかもしれない。ようするに”ポスト感”である。それも準交響的だからわりと知性に富んだ音楽性。Cult of Lunaの窒息する様な重苦しさとメタルと称すべき真っ黒い重量感ではなく、”ポスト感”でも浮遊感の方向に舵を取って、繊細かつ儚くおぼろげな音楽スケープを描き出している。
勿論切羽詰まった嵐の様な轟音がある訳だが、それが一つのクライマックスだとするとそこに至るまでの道程を非常に丁寧アンサンブルでもって描き出している印象なんだな。それは例えば非常に間の取り方が贅沢なその曲構成に良く現れている。静と動の対比というともはやありがちですらあるが、動のため静というには勿体ないくらいの力の入れ様であって、例えばクリーンかつ広がりのある透明感に満ちたギターのつま弾かれるようなアルペジオの、その単音にも彼らの志向する音楽性というのがなんとなく見て取れる様な。
"ポスト感"というのは便利な言葉だが、彼らが音楽で持って描き出そうとするのは激しくもあるの憂いを帯びたメロディであって、激しかろうが大人しかろうが曲の中心に常にメロディがあってそれがうねりながら展開していく様なイメージがあります。
ボーカルはリバーブのかかったボソボソから、繊細な歌声を経て、ブチ切れたスクリームまで。激情感を一手に担っているかの様な八面六臂ぶり。
そんな激情的な熱さが泣きのメロディとガッチリハマってカタルシス感が半端無い。MVも作られた3曲目のキラーチューン(私もここで掴まれた訳だけど)のキャッチーさ。個人的にはラスト6曲目の壮大な広がりが良かった。まさに交響曲かも。

”ポスト感”に目がない人は是非どうぞ。
この透明感は今の季節にはぴったりかも。

2015年7月12日日曜日

High on Fire/Luminiferous

アメリカはカリフォルニア州オークランドのドゥーム/ストーナーバンドの7thアルバム。
2015年にE1 Musicからリリースされた。
High on Fireはドゥーム界隈では伝説となっているSleepのギタリストMatt Pike率いるバンド。アルバムをリリースするのはConvergeのKurt Ballou。相変わらずの八面六臂ぶり。タイトルの「Luminiferous」というのは発行性の〜という意味らしい。濃いいアートワークはいかにもメタル的美学に則っていて大変よろしい。
アルバムの2曲目が「Carcosa」でニヤリとする人も多いはず(「カルコサ」はクトゥルー関連ワード)。前作の「De Vermis Mysteriis」(妖蛆の秘密)もモロだったがやはりそちら方面からの影響があるらしく、楽曲の方も重さ一辺倒のドゥームメタルではなく、何となくオカルトな怪しさがある不思議なバンド。荒々しく男臭いロックンロールを基調としたストーナーなんだが、力強さだけでなくて過剰でない知性もキラリと見せていくスタイル。

個人的にはこのバンドはドゥーム/ストーナーのカテゴリに属するもののかなり自由奔放に音楽を演奏するイメージがあってそれが面白く、結果かっこ良いからすごいなと思います。メタルのバンドというのはどうしても攻撃性に特化していく様なところがあるんだけど、High on Fireの場合勿重たい音質に彩られた論爆走する攻撃性、圧殺する様なドゥーム感もあるもののどちらも過剰じゃない印象があって、自分の立ち位置ってこうなんよ、って感じのどっしりしたマイペースさがある。ボーカルMattのボーカリゼーションも掠れたようなしゃがれ声(超カッコいいよね)をベースにシャウトしたり、ぼそぼそつぶやいりたり、割と歌心をだしてきたりと。かなり感情豊かなギターソロも自然に馴染んでしまう楽曲というのもそんな”らしさ”にあふれた独特なものだと思う。
テンション張ったドラムは結構故こぞって時にはやたらと手数が多い。バスドラとスネアの音の対比が気持ちよい。
ベースは三人体制という事で度量が試されるポジションだと思うが、堅実且つかなり縦横に動き回る弾き方でどっしりバンドを支える屋台骨な印象。
ギターはボーカル兼務とは思えないくらい多彩な音を出していて、ドゥーム特有のズルズルしたものから、メタリックに刻んでくるリフ、弾き倒す様な爽快感のあるもの、ソロも多め。
アンサンブルで出来上がってくる楽曲ははっきりいって男臭いものなのだが、前述の通り力一辺倒ではなく、個人的にはやはり特有の繊細さがあって、それが(一番分かりやすいのは)うっすら聴こえるメロディだったりに現れて来ている。
タイトル曲とシングルカットされた4曲目はひたすら爆走するロックンロール成分全開の曲でひたすら爽快感がある。
キャラキャラしたアコースティックなギターに導かれるようにふわふわ進む7曲目は邪教的な怪しさと、どっしりとしたドゥームさ、そして男臭いメロディと彼らの魅力がぎゅっと詰まった様な楽曲で個人的には聴かせるドゥームって感じで好き。

High on Fire節という感じでひたすらカッコいい。男臭い。オススメ。
まずはシングルカットされているこの曲から聴きましょう〜。

2015年7月11日土曜日

Iron Monkey/Iron Monkey/Our Problem

イングランドはノッティンガムのスラッジバンドのディスコグラフィー盤。
2009年にEarache Recordsよりリリースされた。
セルフタイトルの1stが1997年、2ndアルバム「Our Problem」が1998年にリリースされている。前者にBlack Sabbathのカバー、後者に日本のChurch of Miseryとのスプリットの音源を追加して一つのパッケージにまとめたもの。ギタリストのライナーも追加されている。(それぞれの音源のインナーも入っているのはとても親切!)
バンドは1994年に結成され、このディスコグラフィーに含まれる2枚のオリジナルアルバム、スプリット音源をリリースし1999年に解散。残念な事にボーカリストのJohnny Morrowは2002年に逝去。(インナーの写真を見るになかなか迫力のある人だ。)再結成は難しいかもしれない。後述するが中々特徴的でまさにバンドの顔と言ったボーカルだもの。
元々スラッジの文脈で良く目にするバンドだったので気になっていたところ、ジャケットもカッコいいし買ってみた次第。

ジャンルとしては至極真っ当な、つまり至極ろくでもないスラッジコアとなっている。紳士の国イギリスのくせに遅い!汚い!うるさい!と三拍子そろった好きな人にはたまらない騒音を鳴らしている。
泥濘感のあるリフを鳴らす、ドゥームメタルの影響も色濃いズルズル感のあるスラッジで遅さを過剰に強調している訳ではなく、ビンテージなロック、あるいはブルースっぽい雰囲気のある跳ねる様なグルーブなリフが曲の主体になっている。スプリットもリリースしたChurch of Miseryにもちょっと通じるところがあると思う。
ギターの音質は質量のあるざらついた音で、水を吸ったサンドバッグのような重さと強靭さと嫌らしさがある感じだ。たまに顔を見せるソロにその影響が色濃く表れるのだが、結構オールドなロック感がある。ただしフィードバックにまみれたその音は正しく汚い。(勿論褒め言葉だ。)低音は迫力があるし、中音域はグルーヴィなリフが映える。鈍足でときおり鳴る不穏なハーモニクスも不愉快さが増す。
ベースは強靭な音でぐっと一本頭からお尻まで突き通した様な感じで曲の背骨となっている。まさに屋台骨と言った感じでこの音が無ければ曲に迫力が圧倒的に足らないのではって位の存在感がある。上手い下手は分からないが何となくこう思った、不思議。
ドラムはこの手のバンドには結構あるが、タスンタスンと結構抜けの良い軽めの音で小気味よい。比較的手数も多いし、遅い曲でやや変則的なリズムで叩くものだから、ドラムラインをなぞるように聴くと大変面白い。もしここまで低音で固めるともはや曲が単調になりすぎてしまうのだと思う。バンドって面白いもので、それぞれが極端には汁よりトータルバランスを考えた方が、曲自体極端かつ映えるものになるのかもしれない。
ボーカルもまさにスラッジな感じでしゃがれて汚いスクリーム。中音かともすると高音二特化してかなり特徴的な声をしている。酔っぱらった様なリズムがあって跳ねる様な曲調と良く合っている。聴きやすさとは無縁の類いの音波でもって憎悪を喚き立てる邪悪なものだ。
曲の尺はだいたい5分〜9分くらい(2ndには20分に迫る曲もあるが)で、牛歩や変にインテリぶったところは無い素直なスラッジメタル。程よい間が強調された曲はとにかく頭を振るのに最適でお酒でも飲んで聴けばさらに気持ちがよいだろう。(私はあまりお酒が飲めない。)とはいえ聞き手のこびたところは皆無で、それはインナーのアートワークを見ればわかるわけで。特に「Our Problem」のそれは稚拙に書かれた下品且つ陰惨な絵でアウトサイダーアートっぽい独特の不快感がある。全体的に酔漢のジョーグめいたところはあるもののよく見れば目は笑っていない類いの油断鳴らないもので、そのユーモアの向こうに彼らの憎悪と本気度が垣間見えるようである。
この手のジャンルが好きな人は買って損する事は絶対無いはず。気になっているんだったら買ってしまいましょう。

ブライアン・オールディス/寄港地のない船

イギリス・ニュー・ウェーブSFの中心人物ブライアン・オールディスの初めての長編小説。1958年に発表された。翻訳は中村融さん。

巨大な宇宙船の内部には熱帯性のジャングルがはびこり、そこに住む人間たちはもはや自分たちが何者なのかもわからず、船の行き先も、船の装備に関する知識も失い、狩猟と採集に支えられた原始的な生活を営んでいた。危険な「前部人」、かつての船の所有者で今は消えた「巨人族」、そして幽霊のように消える「よそ者」におびえながら。狩人コンプレインは自分の女を他の部族に攫われ失意の中、司祭マラッパーに誘われ危険な前部への旅に出る事を決意する。その度の先にとてつもない事実が待っている事を知らずに…

偉そうに中心人物!と紹介したが私は著者の本は名作と誉れ高い「地球の長い午後」しか読んだ事が無い。ジャングルの熱気に浮かされた悪夢的な小説だった覚えがある。唸りながら読んだ。次が読みたいくてもいつも通りほとんどブライアン・オールディスの本は全般状態な訳で、そんな訳で発売と同時にこの本を買った訳だ。まず設定だけで興奮する。宇宙空間を疾走する超巨大な船、いわば科学技術の粋を集めた未来の象徴なのに、”何らか”の理由で廃棄され、今は無知で退化した様な人間がジャングルがはびこった船内でその日暮らしをしている。主人公はそんな巨大で広大で無骨、なのに妙に生命が躍動する構造物の間を歩き回る。なんだか私の大好きな弐瓶勉さんの漫画「BLAME!」のようだ。(勿論本書の方が先ですよ。)私はこういう設定に弱いのだ。
そんな状況下で危険な探検を進める主人公たちの姿には(キリイのように)やはり冒険小説としての面白さもある訳で。つまり何故この船はこんな状況になってしまったのか?という一つの大きな謎である。

昨今前に紹介した「Wool」だったり「パインズ」だったり巨大な箱庭に無知な民が集められて、自分たちを欺き続ける世界の謎を暴き反旗を翻すという小説が微妙に流行っている(前述の二作はともに映画化がきまっている)のか、それとも常にそういった類いの物語は人を魅了して来たのかは分からないが、この本はまさにそのカテゴリに入るのではなかろうか。もしかして源流なのか?と思うけど私が無知なだけでこの本以前にもきっとそういった物語はあったのだろう。とにかく前述の二作も面白く読めたのは確かなのでおとしめるつもりは無いのだが、はっきりいって個人的には今作の方が比べられないレベルで面白かった。物語はテーマが同じでも、設定が派手だろうが地味だろうが関係なく、”書き方”(どんな書き方かと言われると大きな謎だが)でその魅力は全然変わってくる。なるほど50年以上前に書かれた古い小説だし、ブライアン・オールディスの語り口は無骨だが、その背後にある物語はキラキラは光っていない、むしろ宇宙の闇のように真っ黒だがしかし、こんなにも人を魅了する。残酷な真実。その書き方も熱に浮かされた主人公たちと反対に妙にさめているように読者の前に提示される。本書の原題は「NON-STOP」(「寄港地のない船」という邦題も寄る辺無くて素晴らしい。)である。宇宙空間を光速以下の速度で突っ走る巨大宇宙船。まさにノンストップな訳なんだが、本書を最後まで読めばこのタイトルの意味がわかるだろう。まさに体が震えた。幻想から外を見た主人公・コンプレインの気持ちが分かる、って訳ではないけど以上に感情移入してしまう。ブライアン・オールディスは完全にこの本で人間の心理を彼らの行動を描写する事で書ききっている。

最先端と原始的な暮らしという二項の対比、手に汗握る冒険小説としてのスリル、明かされる無慈悲な真実とまさに盛りだくさんな内容で私は読書の素晴らしさを実感したわけである。素晴らしいですね。本当に良い本です。なんて贅沢な体験だろう。つまらない日常からあっという間に広大無辺な夢中空間に意識を飛ばせる。是非皆さん読んでみてください。超絶オススメ!!!!!!

ポール・グリーヴ/殺人鬼ジョー

ニュージーランド出身・在住の作家による長編クライム・ノヴェル。
漫画チックな表紙が気になって購入。

ニュージーランドのクライストチャーチを騒がせた「切り裂き魔」こと連続強姦殺人犯ジョー・ミドルトンは遂に逮捕された。収監されたジョーは心神喪失を盾に無罪を主張するが、当然自分の弁護士も含め信じるものはいなかった。折しも死刑制度の復活の是非を問う国民投票で揺れるニュージーランド。このままでも死刑になってしまう…裁判開始がすぐそこに迫り焦るジョー。一方かつてのジョーの恋人メリッサは指名手配中。裁判で一時的に出獄するジョーを狙撃すべく動きを開始した。

この物語は実は同じジョーを主人公にした「清掃魔」という小説の続編。普通はこっちから読むべきなのだが、残念な事に絶版になっている。そっちとこっちだと版元が異なるんだよね…「清掃魔」ではジョーがクライストチャーチの切り裂き魔と呼ばれて逮捕されるまでの顛末を書いているようだ。
さて主人公が悪人という犯罪小説は少なくないだろう。ぱっとこの間読んだウェストレイクのドートマンダーシリーズだったり、ブロックの殺し屋ケラーシリーズだったり、トンプスンの様々な小説だったりと。そんな中でもこの本の主人公ジョー・ミドルトンは異彩を放っていると言える。まず前述の物語の主人公たちは危険さは勿論だが、彼ら特有の美学をもっており、それがアンビバレンスな魅力になって読者を惹き付けたものだが、一方ジョーはまず自分でも思っているほど頭が良くないし(ただし警察に出入りするのろまな清掃人を演じる事で彼らを欺くほどの頭とどちらかというと度胸はある。)、なにより彼はただただ自分の性欲と殺人欲によって強姦、拷問、殺人を繰り返しているのであって、まあ一言で言えば吐き気のするくらいのクソ野郎なのだ。この小説は彼の語りで進む部分がとっても多いのだが、全く反省の色が無いし、腕が立つ訳ではないし(刑務所では囚人や看守に結構良いようにされている。)、行き当たりばったりだし、とにかくどこかしら俺関係ないしくらいの能天気さがある。全く好きになれないタイプの男なのだが、しばらく読者はコイツと一緒に歩いていく事になる。(ほぼ監獄にいるから大して歩けるスペース華忌んだが)。一方ジョーを捕まえた本人シュローダーは実直な男だが、ジョーを逮捕後問題を起こして(作中では最後まではっきり言明されないが)警察を辞し、今では望まないテレビ業界で犯罪コンサルタントとしてインチキ霊能者の使いっ走りをされている始末。どう考えても読者はシュローダーに肩入れすべきなのだが、不思議と読み進めるとジョーに感情移入している自分を感じさせるから面白い。この小説の良いところは文字通りジューが最後の最後までクソ野郎である事だ。コイツに反省の二文字は無く、読者がいかに彼に感情移入しようともあっさりそれを裏切ってあまりある鼓動を重ねていく訳で最後読み切ってページを閉じた読者はこう思うだろう、なんてクソ野郎なんだと。そういった意味ではポップな装丁・文体(ジョーの軽口は結構良い)にも関わらず読者に迎合しないハードな小説であるといえる。
監獄にいるジョーは動けないから、反面恋人でやはり殺人鬼のメリッサが良く動く、スタンド使いでは無いのだが、やはりサイコ同士は惹かれ合うのかろくでなしばかりが集ってジョーの裁判をクライマックスにどんどんテンションを挙げていく展開は中々盛り上がりがあって面白かった。
不真面目で下品(相当きつい描写が何回もあるのでご注意されたし)なの大好物!って人はどうぞ。

2015年7月5日日曜日

The Armed/Untitled

アメリカはミシガン州デトロイトの4人組ハードコアパンクバンドの2ndアルバム。
2015年にNo Rest Until Ruinからリリースされた。
プロデューサーは売れっ子Kurt Ballouで彼のスタジオGodCity Studioで録音された。
このバンドの事は全然知らなかったのだが、BandcampでSmashing Pumpkinsの「Fuck You(An Ode to No One)」をカヴァー・公開しており、私は中学生の頃Smashing Pumpkinsを良く聴いていたのだが、「I don't need your love」と歌うこの半分曲名通りストレートにいかれた様な曲が(ギターソロを聴いてこれってグランジなの?って思った当時。)私は一番好きなのだ。原曲に忠実にしかしハードコアパンク超にさらに壊れた感じになっており、非常に気に入りちょうど良いタイミングで発表された新作を聴いた次第です。ちなみにこのアルバムは同じくBandcampで無料で公開されている。Name Your Priceではなく無料です。

AとMとDをあしらったロゴ、奇抜なペイントをしているのに放心した様な男(良い顔してる。)をフィーチャーしたお洒落感と「武装したヤツ」という剣呑なバンド名。
Kurt Ballouというとブラッケンド感あるクラストハードコアを想像しがちだが、このバンドは喧しいという点で勝るとも劣らないが、音楽性はより目まぐるしいハードコアに振り切っている。例を挙げるならConvergeやThe Dillinger Escape Planに近しいところがある。いわゆるカオティックハードコアと称されるバンド群にカテゴライズされるかもだ。(海外だとマスコアとかシンプルにメタルコアとか称されるようです。)
曲はだいたい2分から3分台で、ストレートに突っ走る曲と、それに少しフックを加えたちょい長めの曲と言った構成。
再生ボタンを押した瞬間にクラウチングスタートで突っ走る様な勢いがある。勢い第一のハードコアバンドなのだが、一秒先には曲がどうなっているか全く予想できない緊張感とヤバさに満ちあふれている。まさにいき急ぎ感マックスなテンションである。
ばしんばしんとやや湿った音で叩き付けるようにぶっ叩くドラム。マシンガンというよりは見にがんの様な重たい連射が気持ちよい。
ゴロゴロゴロゴロ岩が転がるようにうねりまくる硬質なベースはとにかく動く動く。(なんと女性が弾いているようです)
縦横無尽に低音から高音、ハードコアな弾き倒すリフからリズミカルかつグルーヴィに惹きまくるギター。高音のトレモロから叩き付ける様な低音鉄塊の様なリフがカッコいい。やけっぱち感のあるギターソロ、フィードバックノイズ多め。
内蔵全部でちゃうんじゃないかなって位終始ぶち切れている少し掠れたハードコアなボーカル。(男臭いのに妙に艶があって大変よい。)たまに出てくるコーラスワークも熱い。
それらがアンサンブルになると真っ黒く塗りつぶすハードコアではなく、まさしくジャケットの男のように赤、青、白と様々な絵の具を力一杯キャンバスに塗りたくった様な色彩豊かな楽曲が出来上がる。やかましく何がなんだか分からないが、スカムでも妙に高尚でもない。トレモロギターはブラックメタルを彷彿とさせるメロディセンスが光るし、ハードコア特有の乾いた表裏の無さは聴いていて耳に良く馴染む。まさにハードコア祭り状態。ブルータルながらも高揚されるお囃子に乗ってこっちとしては踊りまくるしかねえなといった様である。
とにかく突っ走りまくる前半戦、そして中盤に鎮座するスラッジ曲も激ブルータルで震える。次の曲では電子音を大胆に取り入れてとっちらかした後のアンビエントパートも映える(ぼそぼそしたボーカルはちょっとトレントっぽいかも)。後半は速度を落として、アンサンブル以外の音も取り入れた実験的な曲が増えてくる印象だが、こちらもばっちりハマっている。

やべーカッコいい、うおおおとなった後に、アレレ?これ本当ヤバくないですかね…となんか不安にすらなったアルバム。超カッコいい。とっととDLするんだ。超オススメ。
とりあえずこの曲を聴けば良いですので〜。

2015年7月4日土曜日

Refused/The Shape of Punk to Come

スウェーデンはウメオのハードコアパンクバンドの3rdアルバム。
1998年にBurning Heart Recordsからリリースされた。
ハードコアパンク界では有名なアルバム。かくいう私も妙にレトロ感のあるアートワークだけはどこかで見知っていた。このRefusedというバンドはこのアルバムを出した後、活動を休止してしまったのだが、2014年に再始動を果たし、2015年実に17年ぶりの4thアルバムをリリースする(もう現時点ではしているのだが)ということで話題になっている。そのタイミングでまずは名盤と誉れ高いこのアルバムを買ってみた。
「The Shape of Punk to Come」というタイトルはConvergeのBenらのバンドUnited Nationsが曲名でもじってたな〜と思っていたら、何と元ネタのさらに元ネタのアルバムがあるらしい。1959年のOrnette Colemanという人の「The Shape of Jazz to Come」。

さてそんな界隈からタイトルを拝借してくるくらい、そして「来るべきパンクの形」という中々過激なタイトルをつけてしまうくらい前衛的なスタイルのハードコアをならしている。
圧倒的にハードコアパンクの形式に則りながらも、ジャズや電子音、それだけでなくガッツンガッツンしたメタル感のあるリフや、妙にフックのあるメロディラインなどなどハードコアパンク以外の要素を大胆に取り入れた音楽を演奏している。全くパンクらしくないがインタールード的なテクノトラックをのぞけば曲はだいたい4分台か5分台だから(1分から長くて8分台まであるが)、ピュアなハードコアパンクにしてはの尺が少し長め。勿論疾走するパートは速めなのだが、それ一辺倒にならない、つまり速度を犠牲にしてもそれを補ってあまりある個性を取りにいっているバンドといえる。
全体的に音質はクリアで、各楽器の音がまとまりはありつつ、キッチリ分離して聴こえる。ドラムは歯切れの良い乾いて張った音で、ベースは硬質な音でガロガロいうスタイル。ギターは乾いた音で音圧至上主義ではなく、たまに妙にビンテージなロック的にも聴こえる。透明感のあるアルペジオだったり、ジャジーなリフだったりととにかく多彩な演奏スタイルでバンドの普通じゃない感をになっている。ボーカルはまさにハードコアな感じで血管が切れそうなテンションの高いわめき声。アンビエントパートでは一点憂いのあるクリーンボーカルも披露。
このバンドは曲作りの才能が突出していて、普通一つの楽曲に要素をぶち込みすぎたら結果なんなのかさっぱり分からなくなるのだろうが、パンクを下地に様々な要素を追加しても曲の良さはちっとも損なわれていないばかりか、既知の音楽と似ていないくせに耳にしっかり入ってくる。安易なメロディへの接近などは皆無で全編シリアスなのだが、このバンドはの音楽は”楽しい”ものであると思うし、複雑怪奇な音楽性は勿論だが、最大の魅力はこの楽しさだろう。なんだかよくわからんが楽しいのだ。体が動いちゃうあの感じだ。恐らく全編通してからっとした音楽性である事。そしてさらに独特の跳ねる様なリズムがぶっとい背骨のように曲とアルバムをがっしりと一本でつないでいる様な感じがある。この跳ねるリズムこそがフックのある楽曲を生み出し、スピードを落としてまでも彼らが獲得したかった一つの魔法の様なものだろうと思う。
また不思議なのは多様な音楽を取り入れつつも包括的に見ればまぎれも無くハードコア二聴こえる事だ。例えばサビだけクリーンでメロディを歌い上げる様なある種ありふれた分かりやすさは無い訳で、難解ではないにしても相当凝った音楽性ではあるのに隠し様の無いパンクの精神が聴いてとれるのだ。ハードコアはストレートが心情だとするとかなりキテレツなハードコアパンクではあるのだが、見えにくい真意もねじ曲がった曲の向こう側に意外にピュアなものが感じ取れるようだ。
私が今更言うまでもないが名盤出ある事は間違いない。まだ聴いていない人は是非どうぞなオススメ音楽です。