2016年9月25日日曜日

Orchid/Gatefold

アメリカマサチューセッツ州アマーストのハードコアバンドの3rdアルバム。
2001年にEbulltion Recordsからリリースされた。
このバンドは元々タイトルがつけられなかったのだが、リリースした際の形式がゲートフォールドだったのでその名前がアルバムになったらしい。面白い。あぶらだこみたい。
1992年に結成されこのアルバムを含め3枚、その他音源をリリースの後2002年には解散している。
激情ハードコアを語る上で重要なバンドという事で前回感想を書いたYaphet Kotto(とそれからPortrait of Past)と合わせて購入した。

さてYaphet Kottoが轟音ギターに文学青年的な青臭く”弱さ”のあるボーカルが負けじと声を張り上げて哀愁のメロディーを歌い上げるというまさに「エモ」それも「スクリーモ」の萌芽を感じさせる抒情的なバンドだったのに対し、同じジャンルや文脈で語られるこのOrchidというバンドは大分異なったアプローチでジャンルの形成に一役を買ったようだ。
バンドサウンドを前面に出した五月蝿いギターロックという材料は共通するものの(ただしこちらは録音状態がYaphet Kottoに比べるとクリアだ。が向こうは1st、こちらは3rdということも加味しないと。)、ざっくりいってこちらは速くてより暴力的だ。
まず1曲が非常に短い。例外的に似2分を越える曲が幾つかあるものの、19曲で24分と平均すると1分そこらで、だいたいの曲は60秒以下である。そしてボーカルはほとんど叫びっ放しでクリーンを使い分けるものの割合は少なめ。叫ぶといってもエフェクトも一切かけないし、独特の歌唱法で持って低音または高音を強調している訳ではない。気持ちが乗りすぎた結果叫びだした、という感じ。多分にナイーブでそういった意味ではYaphet Kottoと共通点がなくもない。ざっと歌詞に目を通してみると社会への不満をぶちまけ、自己改革をアジテートするプロテストとしてのハードコアパンクというよりは、自己の内面に切り込みそれを吐露する(ハードコア界隈ではエモーショナル、つまり女々しいと揶揄する事もあっただろう)スタイルのもの。思春期の悩みという訳ではないのだが、この叫んでいるやつは俺と同じ世界にいるのだな、と感じさせるその身近さがある。
この速く叫び立てる演奏スタイルはグラインドコアかパワーバイオレンスか?然りであって本当にグラインドコアにカテゴライズされる事もあるみたい。ただ個人的にはやっぱりちょっと違うと思う。まずは多分に感情的であること。特定の感情に特化した無慈悲さが感じられず、かわりにもっと迷いのあるサウンドが展開されている。その迷いは、なんとも憂いのあるクリーンボーカル、短い曲の中にも印象的なアコースティックなパートを入れたり、ノイズを入れたりという敢えての複雑さが導入されている事。エクストリームミュージックは求道的な世界なので、そこでは時に余計な感情がこぼれ落ちてしまう。それらをこぼさないように、でも全速力で突っ走るとこのOrchidと彼らが作る音楽が生まれるのだろう。
彼らの音楽はエモバイオレンス(Emo-Violence)と呼ばれる。文字通り音楽としてのエモとパワーバイオレンス(パンクより激音へのアプローチ)がクロスオーバーした音楽の事だ。なるほど。スクリーモとも呼ばれることもあるが、地下を抜け出して商業化された(同時に洗練されている訳で例えば入門的な意味もあっただろうから一様に(悪い意味で)セルアウトしたとは個人的には思わない。)スクリーモとは明確に違うからやっぱりエモバイオレンスの方がしっくり来る。

昨今流行のブルータルではないパワーバイオレンスを聴きたい人は是非どうぞ。溢れ出した感情がどうにもならない感じの音楽。オススメ。

2016年9月24日土曜日

椎名誠/パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り

日本の作家によるパタゴニア地方への旅行記、エッセイ。
何冊か感想も書いているが私は作家椎名誠さんのファン。以前はSFばかり読んでいたが、最近ではエッセイにも手を出すようになった。思うに私は本当に出不精で旅行なんてほとんど行かないんだけど、「どっか遠くに行きたい」と常にぼんやり考えている様な人間なのでひょっとしたら見知らぬ土地への憧憬があるのかもしれない。そういったものが椎名案の本を読むと満たされるのかもしれない。

この本が出版されたのは1994年で数は多くないけど写真も収録されている。当たり前だがいまより椎名さんは若い。パタゴニアというとアメリカのアウトドア用品のブランドが有名だが、実際には地名。しかし国の名前ではなく南米大陸のチリとアルゼンチンに属する一地方をパタゴニア、とよぶらしい。この土地を旅した探検家のマゼランが現地の人を見て「足でか!!」と思ったらしく、足の大きい人たち=パタゴンが住む土地、ということでパタゴニアとなったらしい。
パタゴニアというのは非常に大きい土地を指して言うのだが、概して非常に風が強く、天気がコロコロ変わり、人は勿論住んでいるが、だいたい巨大な荒野が広がり、(この本が出版されてから20年以上経つ今ではどうかは分からないが)あまり観光地的な目立つものがない。南米大陸というと陽気で熱いイメージがあるが、その大陸の一番下の方だからとにかく寒さが厳しい。なんていったって氷河が山のようにそびえているのだから。本書にある車くらいの大きさの氷の塊が次々と氷河の表面から剥離し、轟音をたてて海に落ちていく様は力強い筆致もあって大迫力だ。なんとなく静寂のイメージのある氷の世界は、実際意外にも騒々しく荒々しい。そんな厳しく、寂しい土地だからかあまり人も通わず、当時椎名さんが旅するときもあまり旅行記というかそういったパンフレット的なものに使える文献もあまりなかったようだ。本に収録されている写真も厚い雲に覆われていて、陽気とは無縁な景色が果てなく広がっている。
ところで私は昔から世界の果てみたいなところにいってみたかった。人がほとんどいない。荒涼として寒々しいところだ。なんとなくアラスカがそんなんじゃないかと勝手に思っているのだが。まあそういった思い入れもあってこの本を手に取った訳なんだが、もちろんパタゴニアだって人が住んでいる。旅人として時に結構長く(チリ海軍の戦艦に同乗して文字通り絶海の孤島を訪れたりする)、まあまあそれなりに(ホテルの女の子と立ちと馴染みになったりする)、そしてほとんどは通り過ぎるくらい軽く、作者とその一行(テレビ番組を作るためのクルーが同行している、)は土地に住み暮らしている人たちと触れ合っていく。旅の醍醐味で強風吹き荒れる荒野を四輪駆動車で駆け抜ける彼らはまさに身軽な風だろう。前述の自分の例もあって(とくに男性の方がそんな気がするけど)人間というものは安定を求めるのに心のどこかではどっか遠くに生きたいと思っているものだ。(そういった意味でもDeftonesの「Be Quiet and Drive」は思春期の私のアンセムだった。)真っ白い砂浜に、真っ青な海と空、燃える太陽、あるいは荒涼とした絶対零度の世界。天空のかつて人が暮らした遺構。誰も自分を知らないところ。本当は世界に色々な景色があって、それは今も存在しているのにそれを体験できないのはおかしいと、そんな事思った事はないだろうか。こん本でのパタゴニアの描写はどれも素晴らしかったが、一番心に突き刺さったのは、会社員時代27歳の時に椎名さんが出張先で出会った(といえないくらいの)女性とのエピソードだった。バスの車窓越しに目が合った女性、彼女についていけば全く今の社会人とは違う人生が広がるのでは?という考え。大げさに言えば異世界への扉みたいなものだ。それに乗れなかった椎名さんは7年かけて、自分で異世界に漕ぎ出す事にしたのだという。そして今でもその女性についていったら…と考えるそうだ。私はなんかもの凄く感動してしまった。

パタゴニア旅行記として力強くもどこかのんびりとした語り口は非常に魅力的だし、なによりつかれてどこかとおい土地に本当の自分がいるのでは、と思う様な人には是非読んでいただきたい一冊。非常に良かった。オススメ。

2016年9月19日月曜日

Yaphet Kotto/The Killer Was In The Government Blankets

アメリカ合衆国カリフォルニア州はサンタクルーズのハードコアバンドの1stアルバム。
1999年にEbullition Recordsからリリースされた。
1998年に結成され2005年に解散しているバンド。「ヤフェット・コットー」という変わったバンド名は何となく知っていたが、このバンド名の元ネタは黒人の俳優というのは初めて知った。有名なのだと「エイリアン」、「バトルランナー」にもでていたそうな。私もこの人だと言うのは湧かないけどきっと見た事はあるだろう。
バンド名に有名俳優の名前を拝借するというとパワーバイオレンスバンドCharles Bronsonが思い浮かぶ。なにかそういった文化があるのだろうか。
このバンドは激情系ハードコアの文脈で語られる事が多く、私は一体激情が何たるかわかっていないのでこれを機に買ってみた次第。

ハードコアを土台にしながらもマッチョイズムを排し、凝った演奏、メロディラインを導入、内省的な感情を吐露するその音楽性は、今では簡単に「エモ」とくくられてしまうのだろうが、発表された1999年にはまさに過渡期の、そして言葉は悪いが消費された「エモ」という音楽ジャンルに冠しては報われない(「エモ」が隆盛を極めた時一体どれだけの人がこのバンドまでたどり着いたのだろうか、分からないが今Yaphet Kottoは有名なバンドではないと思う)功労者ということなのだろうか。wikiのエモのページを見ると欧米では「エモーショナル」という言葉は「悪い意味で感情的」という意味があるらしい、そうなるとあえてハードコアのフォーマットで「弱さ」を吐露するエモというジャンルは(弱さを吐き出しつつ、オーソリティに与しないという意味で)中々挑戦的である。
良くも悪くも生々しい音質で録音されたこのアルバムはあまりゆがみをかけないジャキジャキしたギターを複雑にかき鳴らし、そのでかい音に埋もれそうになる文学的な雰囲気を持ったボーカルがバックの演奏に負けないように声を張り上げて、時に叫びながら(シャウトはクリーンに被る事もあるのでひょっとしたらそれぞれ別の人が担当しているのかも)メロディを紡いでいく。その様はまさに巨大な都市に渦巻く喧噪に半ば飲み込まれながらも反抗の声をあげる冴えない、ひょろひょろした若者の声のようだ。そういった意味デャ非常に詩的だし、何故このフォーマットで(つまりバックの演奏をもっと大人しくしてメロディを強調しないのか?)やろうとしたのか、というところが面白い。今ならそれは「エモ」というジャンルだからといえるだろうが、当時は一体どうだったのか。
それほど曲が速い訳でもないし、メロディもそこまで分かりやすいものでもないが、逆巻く感情をそのまま曲にしたみたいな演奏はかっこ良く、いわゆるカオティックといっても良いくらい結構こちゃこちゃしている。クリーントーンの単音のフレーズがキャッチーさ醸し出すのとと縦横に広がっていく曲をまとめあげているようで心地よい。

伝えないといけない事がある!と言わんばかりの感情に突き動かされて胸のうちを赤裸々に吐露する様な熱い音楽性に胸を突かれる事請け合いのハードコア。この手の音が好きな人は是非どうぞ。

2016年9月18日日曜日

ColdWorld/Autumn

ドイツはライプツィヒのブラックメタルバンドの2ndアルバム。
2016年にCold Dimentionsよりリリースされた。
アメリカのハードコアバンドCold Worldとは勿論別もの。
Georg Börnerという渋いおじさまがすべての楽器を演奏しているソロプロジェクトのようだ。このプロジェクトは2005年に開始されている。マイペースに活動しているようだ。
私は全然知らなかったのだが、アルバム発売前にみた動画が気に入って購入した。CDを購入。デジタルはあるのかちょっと分からない。
バンド名で検索すると1stのレビューが結構出てくる。なにげに日本では人気なのかもしれない。

「秋」というタイトルが良い。コールドなブラックメタルだと厳しい冬のイメージだが、ちょっとそこからは外して来ている。Panopticonも「Autumn Eternal」というアルバムをリリースしていたし、四季の中では秋が一番好きな私は期待があがる。
ジャケットの女性のアートワークが象徴するように「メランコリー」をテーマにしたバンドで(FBにもそう記してある)、ブラックメタルのフォーマットでそれを表現している。元々ブラックメタルは暗い音楽だから、メランコリーを表現しようとする試み自体は珍しくないが、どうしてもShiningのようなデプレッシブだったり、Tristのようなスーサイド系に走りがちだったりする中、血なまぐさくない幻想的な物語という音楽に舵を取るのは実は珍しいかもしれない。またデプレッシブにしても”メタル”なので(特に前述のShiningなんかも)たとえ自分に向けだとしても攻撃的(自殺も勿論自傷行為)な一面をもっているものがだが、このバンドに関してはあまり(イーヴィルなシャウトは入るのであまりと表現)それらも感じられない。美麗なブラックメタルというとAlcestをはじめとしたシューゲイザーに接近した(一部のバンドの)キラキラした感じはない。そこまでは洗練されてもあか抜けてもいなく、やっぱり鬱屈としている。適度にガリガリとしたプリミティブさを残しつつも中速くらいのスピードで多恵なるメロディを持つトレモロを奏でるギターが最大の特徴で、そこにバイオリンなどのストリングス(実際の楽器なのか打ち込みなのかは不明)や女性のボーカルを大胆に投入してくる。キーボードも勿論あり。アコースティックギターを始め、牧歌的な雰囲気も曲によってはかなりある。ボーカルはクリーンとイーヴィルなブラックメタルのシャウトの使い分けだが、前者の方が出番が多いかもしれない。こちらはかなり朗々とした威厳のある声だが、やはりその雄々しさの中にも陰鬱としたあきらめの様なものが感じられていて非常にバンドの表現する世界観を盛り上げてくる。ストリングスの導入などでドラマチックな雰囲気は横溢しているのだが、面白いのはメロディにしてもそこまでくどい(またはクサいとも評してもよいかも)訳ではなく、この手のジャンルにはない上品さが意識されている。「儚い」といってもいいかもしれない、この幻想的な景色には常に脆さがつきまとい、起きたら消える夢か、もしくは触ったら壊れそうな結晶に移った影絵のようだ。とかくなんでもやり過ぎてしまうメタルの世界ではこのようなバランス感覚はちょっと希有なのではなかろうか。比較的ブラックメタル然とした「Climax of Sorrow」はシャウトが強烈でなんならちょっとアルバムの中で異彩を放つくらいだ。

メタルは勿論様式美の世界だから基本的に強い物語性が魅力のジャンルだと思う。そんな中何とも言えない寂寞とした光景を冷たく、そして暖かく描き出しているという意味で非常にかっこ良いアルバム。幻想的、ということばが非常にしっくり来る何とも儚い虚構の世界、大変美しい。ブラックメタルにそこら辺の物語を求めてしまう貴方は是非どうぞ。オススメ。

浅草エクストリーム37@Studio 蔵 9/17

夏の蒸し暑さがぶり返した9月17日。
この日はアメリカのパワーバイオレンスバンドACxDCことAntichrist Demoncoreの来日最終日。さらにイタリアのグラインドコアバンドCripple Bastardsの来日の一発目を重ねて来るというまさにエクストリームなイベントが開催された。もはや外タレのライブにしか行かないマンになってしまった私も蔵前を目指したのだった。
ACxDCは解散する事が決まっており前売りもいい感じにはけているとの事。16時スタートで普段だったら余裕の遅刻を決めていくところだが、私はどうしても日本のFriendshipのライブが見たかったので颯爽と(汗だくで)開始時刻に到着。
会場は蔵前「Studio 蔵」。「Kurawood」という名前だったが最近改名したらしい。結構広い四角形(どこにいてもステージがよく見える)の良いライブハウスでした。天井に提灯がつってあるのが下町らしくて良い。

Friendship
本日のトップバッターFriendship。私は彼らの「EP1」、「EP2」を持っているがその音楽はただ「暴虐」。異常にブーストされた暗黒ハードコアをならしている。音が極端にでかいノイズに接近したハードコアというと同じ日本のStruggle for Prideが思い浮かぶ。確かに異常なテンションのブルータルさは共通しているものの、Struggle for Prideハードコアを超越した(”結果的”にクラブシーンにも接近した)ポジティブな前進する力を持っているが、Friendshipはひたすら黒く、ハードコアの基本に忠実のように感じる。
メンバーは思っていたより若く見える、多分私より若いのだろう。しかし音の方は老若男女ぶちたおすハードコアだった。まずはドラムの音がデケエ。ようするに叩く音が非常に強いのだろうがちょっとビックリした。フランスのMonarch!位力一杯。ギター、ベースともに山と詰まれたOrangeアンプの鉄塔から低音がぶわーっとリミッター解除でぶちまけられる。冒頭2曲目位からボーカルがフロアに降りてくる。低音で咆哮する合間合間に客に向かって突っ込んでいく。オーディエンスがボーカルの周りに空間を作る。ここでピットが出来れば恐ろしくも楽しいハードコアのライブなのだが、だれもこのボーカルにぶつかっていく事が出来ない。なんかもう「コイツはヤバい」的な雰囲気が横溢。かかってこいとばかりに一歩も引かないボーカル。その姿たるやまさに孤高。尖りすぎるほどに尖り、私はただただ驚嘆の目を持って彼らを目撃したのだった。普通曲の合間に拍手が起こるもんだが、Friendshipはこの日、演奏が終わるまで拍手は出なかった。演奏とパフォーマンスは最高だった。ただここで拍手すると殺されそうな気がしたのだ(少なくとも私は)。そのくらい緊張感あるライブだった。すごい。上辺の共感すら拒絶する様な一切媚びない攻撃的なハードコア、滅茶苦茶かっこ良かった。このまま尖り続けてほしい。見れて良かった。

Tainted DickMen
続いてはACxDCのツアーの帯同者で福岡のバンドTainted DickMen。「きたないチンコ男達」というものすごいバンド名とチンコを模したギターが特徴。ふざけているのかと言われればふざけているのだろうが、その実力はtwitter界隈では非常に評判が良いので個人的にはどんなバンドなのか気になっていた。3人のメンバーが長髪の佇まいはまさにオールドスクールなメタルを感じさせる。始まってみれば終始テンションの高いスラッシーなグラインドコア。グラインドコアといってもとにかくリフが凝っており、ひょっとしたら異常に加速したスラッシュメタルなんじゃないかと思った。歪みつつもクリアな音質のギターがとにかく!高速で!リフを!刻みまくる!という聴いたら絶対盛り上がる事間違い無しの音楽。フロアのテンションもすごくあがっていた。何と言ってもちょっとしゃがれたわめき声スタイルの高音ボーカルが良かった。ふざけるにしても全力でふざけるのが彼らの流儀なのだろう。カッチリ決まった演奏は途方もない練習を感じさせるが、人当たりは非常に暖かく、そんな雰囲気がフロアにも伝わったのが終始非常にポジティブなライブだった。

Abigail
続いては東京のブラックメタル/スラッシュメタルAbigail。なにげに見るのは2回目か。こちらも長髪にキャップを被ったメタルスタイルで、ならす音はDickMenよりもっとピュアなもの。まさにオールドスクール。ぎゃうぎゃうわめくボーカルはブラックメタルだが、刻みまくるリフはプリミティブ以前のハイブリッドなメタルを感じさせるし、もっといえば非常にスラッシーだ。刻みまくる低音リフに伸びやかに弾きまくるソロのコントラストがシンプルに気持ちよい。アンダーグラウンドなのだが、誰でも乗れる曲が魅力的で結構女性のファンもいるのではないでしょうか。皆さん非常に楽しそうでした。
なんといっても曲を始める前にイーヴィルなボイスで曲名をコールするその美学が個人的にはカッコいい。前回見たときはMC無しだったように思うが、今回はほんのちょっとだけ「アルバムでたのでかってね」があってそこは普通の声になるのが何とも言えずかわいらしかった。

Coffins
続いて東京のデスメタルCoffins。こちらも見るのは何回目か。
低音で這い回るようなデスメタルを演奏するオールドスクール・デスメタルバンド。改めて思ったのはCorruptedの元ボーカルHeviさんに彷彿とさせる極低音ボーカルが歌いすぎないがかっこ良い。曲に緩急を付けるという意味で非常に効果的にかっこよさを煽っている。こうなるとバックの曲で聴かせないと行けない訳なのだけど、ギター、ベース、ドラム各一人というシンプルな構成をものともしない豊かな表現力で持って聴かせる。リフに印象的なテーマがあるのと、それだけではなくてバリエーションが豊富な事。それから曲に展開や速度の緩急を付けることなどで真っ黒い曲の中にも豊かな表情を持たせていると思う。個人的にはドラムがかっこ良くてとくにバスドラに耳を傾けていると、力強い反復的の中にもバリエーションがあってずっと聴いていると催眠をかけられたようにとろーんと気持ちよくなってくる。
このバンドも寡黙な印象があったが、この日はベースのあたけさんが解散するACxDCに対して非常に心のこもったMCを披露して当然フロアも湧く。

Cripple Bastards
続いてイタリアのグラインドコアバンドCripple Bastards。
私は「Your Lies In Check」、「Varinate Alla Morte」しか持ってないくらいのにわかファンで伊達男グラインドコアみせてもらいましょうか〜?位の気持ちで臨んだのだが…
メンバー全員上背があり、さらに体系もしゅっとしているため非常にステージ映えする。こういったバンドではメンバーはとかくアグレッシブに動くものなのだが、このバンドのボーカルGiulio the Bastardは動かない。かっと目を見開き、顔は無表情。そして微動だにしない。マイクを持った両手を顔の上辺りまで持ち上げた様はボクシングのファイティングスタイルのようだ。そういえば彼の髪型は剃り上げたクルーカットだ。思わず「ううう」となるくらい、怖い。
曲が始まってみるとなんかすごいぞ、なんだなんだ、となる。ですぐ分かるのだけどドラムが本当にすごい。こういうバンドは激しく、また速かったりするのでライブでは多少ラフになることもあるし、それも含めて楽しいものだが、このCripple Bastardsのドラム、全くずれていなくないでしょうか?(私が音楽的に素人なのでじっさいはちょっと和kら無いのですが)私の耳には滅茶苦茶正確に聴こえる。「うえええ?」と思って、音に集中すると他の楽器もその正確なドラムに合わせて非常にカッチリしている。機械の様な正確さというのは賞賛と他に、むしろ非人間的な批判として使われる事もあると思うけど、このCripple Bastardsのライブを見ればこの手のジャンルでの恐ろしいまでの正確性が非常にヤバいかっこよさを発生させている事が分かると思う。正確無比に加速減速するブラストビートを聴いてライブ中に鳥肌が立つ私。ここでGiulio the Bastardの動きの謎も解ける訳だ。侍だ!あれはまさに最上段に構えた刀であったのだ。「私の間合いに入れば斬る。」ということだ。勿論実際には刀は持っていないのだけど、このストイックさは本当日本人がはだしで逃げ出す侍ぶりだった。ハードコアの持つ精神的なストイックさが音に見事に表れているのだと思う。波紋波打つ抜き身の日本刀の様な鋭さ、格好良さ。
ちなみにGiulioはその後笑顔を見せる事もあり、ギャップもあって非常に魅力的だった。
来日はここからスタートだと思うので、迷っている人は是非足を運んでいただきたい。

ACxDC(Antichrist Demoncore)
とりは解散が決まっているカリフォルニアのパワーバイオレンスバンドのACxDC。フロアもぎっしり。パワーバイオレンスというのは結構マニアックなジャンルだと思うけど、日本でもこれだけの人が集まるというのはなんか嬉しい。
音楽は激烈だがボーカリストと特にギタリストは(兄弟ですよね?たしかアンコール前のMCでも「My Brother〜」といっていた様な気が。)英国紳士の様なジェントルな佇まいだなと思った。タトゥーはいっているけど。
バンド名にもAntichristと入れたり、アートワークにも山羊をモチーフにしたりとイーヴィルな成分も入っているバンドでブラックメタルの仰々しさは感じられないものの、ハードコアの中にコールタールのようなドス黒い感情をぶちまけており、爆速と停滞を中間無く行ったり来たりするその様はまさに嵐。やはりブラスとぶちかまして一点もの凄く強引にドン!!と落ち込む低速パートがカッコいい。無限に頭が振れる。ボーカルは高音と低音のパートを使い分け、Cripple Bastardsとは違って動きまくり、煽りまくる。「クルクルしろ!」とオーディエンスを煽っていく、必然的に盛り上がるフロアは運動会の様相。サーフも発生して盛り上がりはやはりこの日一番。一体全部で何曲やったのか分からない。
アンコールもえーと3回かな?やってくれた。これから解散という事で2003年に結成して活動し続けたバンドなので思うところは色々あるのだろうけど、湿っぽい雰囲気は皆無でひたすら楽しく、暴れまくるライブであった。色んな人も同じ気持ちだろうが、ただただこんなカッコいいバンドが解散というのは残念。

Cripple Bastardsの最新アルバムと日本公演限定のソノシートを購入して帰宅。
楽しかった。遠くから来日したバンドと招聘してくださった主催者の方々ありがとうございました。
繰り替えにしなるけどCripple Bastardsは軽くグラインドコアの意識を変えてくるくらいすごいので迷っている人は今回の一連の来日公演是非どうぞ。

2016年9月11日日曜日

SECT/SECT

アメリカ合衆国ノースカロライナ州ローリー、同じくオレゴン州ポートランド、カナダのトロントの混成バンドの1stアルバム。
2016年に発表された音源で私は日本のレーベルALLIANCE TRAXから購入。CDというフォーマットではこちらからのみとこと。Bandcampでも買えるみたい。
複数のエリアの混成バンドという事でわかるかもなんだが、いわゆるスーパーバンドというやつで名だたるバンドで活躍するメンバーが集まって2015年に結成された。
ボーカルがChris Colohan (Cursed, Burning Love)、ギターが Scott Crouse (Earth Crisis)とJames Chang (Undying, Catharsis)、ベースがIan Edwards (Earth Crisis)、ドラムがAndy Hurley (Fall Out Boy)。私はボーカル目当てで購入。他のバンドは申し訳ないが聴いた事ない、と思ったらFall Out Boyは会社の先輩からCD借りた事ある。有名なバンドだと思うんだけど音楽性はポップなパンクでこの面子だとちょっと違和感がある。調べてみたらFall Out Boy以外でもEnablerとか、ガッチリアンダーグラウンドでも活動している人のようだ。見た目も入れ墨ばっちりで恐ろしい。

ジャンル的にはメタリックなハードコアパンク/クラストコア。音的には近代的でクリアなものにばっちりアップデート済みでモダンだが、そんな音で演奏するのは正攻法で突き進む飾りっけのあまりないハードコア。パワーバイオレンスでもビートダウンでもないが新旧色々な音を飲み込んで伝統に敬意を払いつつ自分たちなりの音を模索している印象。
全部で10曲を16分で駆け抜ける。
速度のコントロールが抜群に上手いバンドで短い曲の中で曲のスピードが結構変わる。一番分かりやすいのはバスドラムの連打がもはやえげつない高速パートだが、ためのある低速も勿論カッコいい。ギターは明快なもののメタルの影響を大きく受けて結構音の数が多い。ミュートを多用したメタリックなものから、ハードコア影響かの荒々しいトレモロまで、ギタリストも二人いるのでその表現は実に多彩。なんといっても独特のしゃがれ声で言葉を吐き出していくボーカルが良い。Burning LoveもCursedも好きだが、なんというかドロップアウトしそうでギリギリ踏みとどまっている様な危うさと悲壮さがあってとても良い。
自分だけかもしれないが2曲目「Death Dealer」のイントロはcarcassの超有名曲「Genital Grinder」のそれにちょっと似ているかもと思う。色々なバンドがカバーしている曲だし、ハードコアからデスメタルへの敬意表明ではないかと勝手に思っている。
個人的にはギターがうねうね動いてちょっとブラックメタルっぽさもある6曲目「All or Nothing」が好き。タメのあるイントロ、突き進む中盤、また速度を落とす後半と、このバンドの良さが短い中にもぎゅっと詰まっている。

ちなみにヴィーガン&ストレート・エッジなバンドである。マジでハードコア。ここでいうハードコアというのは敢えて厳しい道に進む、というよりは確固たるポリシー(つまり明確な意志を持ってやるべき事と逆に断じて許せないので絶対やらないこと、その両方)があるという事だ。言うは易し行うは難し。言葉と音楽でアジテートするバンドだが、決して言葉だけにはならないのだろう。
バンドメンバーに引っかかる人は買ったら楽しめる事請け合いだと思う。

Sunday Bloody Sunday/Sunday Bloody Sunday

日本は埼玉のオルタナティブロックバンドの1stアルバム。
2016年にFixing A Hole Recordsからリリースされた。
Sunday Bloody Sundayは3人組のバンドでその活動歴は10年を越えるらしい。メンバーの脱退や活動停止などの紆余曲折を経て待望の、という形でリリースされたのがこのアルバム。バンド名の由来は分からないが同名の曲がU2であるようだ。私は全く知らないバンドでしたが、リリースされるやいなやtwitterのTLで絶賛の嵐、ディストロでは売り切れ状態。なにを〜と思って再入荷と同時に購入した次第。

私は1984年生まれでいわゆるkorn、Limp Bizkitに代表されるニューメタル世代なんだけど、ギリギリオルタナティブ終末期にも被っておりまして。すでにジャンルとしては(嫌な言い方だというのは承知の上で)終末を迎えていたのだと思う。ただ私が人生で一番好きなnine inch nailsだったり、The Smashing Pumpkinsだったりはもちろん「オルタナ」という文脈で持って出会い、その文脈の中で聴いていた。グランジというくくりなら前述のスマパンだったり、Alice in Chains、そしてやっぱりNirvana(音楽好きな男の子はみんな一度は聴いてた)を聴いておった訳。(ここら辺は図書館で借りてMDに録音してた。)何事にも凝り性の音楽好きの友人はミーハーならスルーしてしまうSoundgardenや、Dinosaur Jr.、The Jesus Lizardあたりにも聴いてた事を憶えている。
死んだジャンルとは良くいうが、メインストリームからその姿を消しただけで(多分)どんなジャンルであっても完全に演奏する人がいない絶滅状態になる事はそうないのではないだろうか。ピュアな形でアンダーグラウンドで活動するバンド、血統を引き継ぎながら時代にあった新しい音楽性を模索するバンド(例えばkornはニューメタルの始祖的存在だが、1stの音楽性は自分にとっては良く表現されるヒップホップよりグランジ〜オルタナに近しいところがあるように思う。)。
このSunday Bloody Sundayはそんな”死んだ”ジャンルを自分たちなりに解釈して死後15年か20年たった今まで地道に活動し、じっくりことこと煮込んだすえに見事に煮詰まった(本来煮詰まったというのは良い意味で、ここではそっちの方の意味でお願い)オルタナティブロックをならしている。
再生ボタンを押して1曲目「Intro」を抜けたその先はぎゅっと濃縮された”あの頃”がむわっと鼻を突いてくる。うおお、これ、この感覚、と恐らく私と同世代ならそう思うのではなかろうか。必要最低限のアンサンブルで余計な音は入らず、さすがに20年前よりは圧倒的に音質、音圧もブーストされているが、ギターとベースが低音が強烈に意識された音(いわゆるダウンチューニングというやつだろうか)で持ってグイグイ迫ってくる。黒か灰色でぐわーっとキャンバスを塗りつぶした様な世界に圧倒されるが、そこは何と言ってもオルタナティブ、荒廃したキャンバスにはじつは多様な色の痕跡が見受けられるという訳。ほどよく粒子の粗いきめ細やかな音でスライドを多用したタメとうねり、そして伸びのあるリフを反復的に繰り返していくまさにオルタナティブなスタイルで、明快なドラムが気持ちよい。ここからどう料理してもハード、ヘヴィに進んでいく余地のある音なんだが、そこに気持ちのよい高音ボーカルとメロディラインを大胆に導入することで、見事に”もう一つの選択肢”たるオルタナティブロックバンドとして成立しているのだと思う。ギターの音はヘヴィかつ艶やかだが、高音ボーカルはどちらかというとなんとなくの若さがあってその全体的なアンバランス感がとても魅力。いわばメランコリックであって、同じく昨今突出している同じ日本のTwolowの持つハードコアの由来をビビビと感じさせるタフさ、無骨さとは一線を画す音楽性で、同じヘヴィな現代に蘇ったピュアなオルタナティブといっても共通するところと同じ暗い違うところがあって非常に面白い。ひねたロックンロール感という意味でこれもやはり日本の金沢のヘヴィロックマシーンGREENMACHiNEにもちょっとだけ似ていると思った。
個人的にはラストを飾る「A Weightless Life」のギターワークがとにかくカッコいい!

現在30台くらいの男性は聴けば必ずはまることと間違い無し!だと思う。思わずにやけてしまうのではなかろうか。この記事に出てくるバンド名に思い入れがある人は是非どうぞ。ちなみに私が買ったディストロではまた売り切れ状態。人気っぷりが伺える。カッコいいです。オススメ。

2016年9月10日土曜日

チャールズ・ウィルフォード/拾った女

アメリカの作家によるノワール小説。
オシャレな装丁と「ローレンス・ブロック絶賛!」という煽りで購入。
原題は「Pick Up」。

芸術家を志しながらも挫折したハリーはサンフランシスコでカフェの店員などの半端な仕事でその場しのぎの生活をしていた。大切なのはアルコール。彼はアルコール中毒だった。ある日カフェで仕事をしているとブロンドの髪をした見目麗しい女が入って来た。相当よっている。美しい見た目もさることながら何かを彼女に感じたハリーはすかんぴんの彼女の食事代を払い、ホテルまでおくってやる。女の名前はヘレン。危険だと思ったハリーだが、結局彼女と付き合う事になる。ハリー以上のアル中のヘレンは厄介な女だった。ある金はすべて酒を飲んでしまう。2人の生活は破滅に向かって落ち込んでいく。

ノワールということもあって暴力は出てくる。ドラッグは酒のみ。マフィアは出てこない。いわゆる暴力と裏社会を舞台にしたノワールではない。アル中で金のない、社会からドロップアウトした2人が大都市サンフランシスコで肩を寄せ合って生きていく、その決して長くない暮らしを描いている。アル中で有り金全部さけに突っ込む2人はどう考えてもろくでなしの類いなのだが、この物語を読んでいるとそんな2人が妙にいとおしく見えてくるから不思議だ。”良い暮らし”(といってもたいした暮らしではないんだけど)をしているこちらが何か彼らに対して悪い事をしている様な気持ちにすらなる。何故彼らの幸福が続かないのだろうか?彼らは何故長生きできないのか?という問いは面白い。そこに「彼らがクズだから」と自信満々に返答する人間は好きじゃない。私はアル中ではないが弱いところがいっぱいあって、今はただ運に恵まれて普通に生きている事が出来ていると思っているからだ。あなたは私より立派だろうが、あなたもそうではないと何故言い切れるのだろうか。
幸福な生活に思いがけない不幸が舞い込んでくるのは悲劇だが、この先悪い事しかないだろうなと思ってもその生活から抜け出せないのは希望がないと分かっているという意味でもっと地獄だ。愛するヘレンに頼まれて彼女の肖像画を仕上げるハリー。2人は幸福だった。とてもとても短い間。
酒を飲むのは自分の意志の問題だから(といってもアルコール中毒は依存症(病といってもいいのか)だから事情は変わってくるのだが)、主人公達は社会に迫害された被害者とは思わないんだけど、それでもなにかしら哀切のような感情がむらむらと浮かんで来て、何ともいえない気持ちになるのである。私はなにか芸術作品かそれ以外に触れた時、このなんとも言葉にできない気持ちがわき上がってくるのがなんともいえず好きだ。(それをなんとか言葉にしようという試みがこのブログという訳です。)
物語の本筋とはちょっとそれるのだが、個人的に面白かったのは「酒を飲むと頭が明晰になってくる」という表現だ。具体的な作品名を挙げる事が出来ないのが悔しいのだが、ほかにもアル中の登場人物が出てくる物語でこのような表現を何回か見た事がある。私はあまり酒が飲めないのだが、酒を飲むとどっちかというと頭は霞みかかったようにぼんやりしてくる。感覚も鈍くなる様な気がする。だからこういう真逆のことを言うのはなんだか面白い。そしてアルコール中毒というのは恐ろしいものだと思う。

駄目な人間が読めば感じるところは多いだろうが、私はむしろ自分は駄目でない人間だと思っている人にこそ読んでほしいのだが。彼らの多くは向上心のない物語だと思うのかもしれないが、なかにはきっと大いに感じ入る人もいるのではないだろうか。とても面白かった。是非どうぞ。

khost/Corrosive Shroud

イギリスはバーミンガムのドゥームメタルバンドの2ndアルバム。
2014年に同郷のレーベルCold Springからリリースされた。
この間買った漫画ドロヘドロのサウンドトラックのDisc1の1曲目を飾ったのがこちらのバンド。独特でとてもかっこ良かったのでフルアルバムをBandcampで購入。
2013年に結成されたバンドで、バンド名はすべて小文字。アフガニスタンにそういった州があるらしいが、もしかしたらghostのスペルをもじったのではと。前者なら「ホウスト」、後者なら「コースト」と読むのかもしれない。Andy SwanとDamian Bannettからなる2人組で結成は最近だが、2人とも色々なバンドを経験して来たベテラン。AndyはJesu、GODFLESHのJustin K. Broadrickとバンドを組んでいた事もあるそうな。私は多分Andyが参加しているIrohaというバンドの音源を持っていると思う。Damianの方もTechno Animaslに参加していた事もあるという事でJustin繋がり。

「腐食性の覆い」と銘打たれたこのアルバムは既存のいくつかの音楽的要素を組み合わせて全く新しい音楽を想像している。音的にはとてつもなくヘヴィなインダストリアル・ドゥームという事になると思う。自分達自身ではその音楽性を「Experimental Metal」という言葉で表現している。
激烈にダウンチューニングされた7弦ギターが重苦しいリフを牛歩で引きずり回し、ソリッドなドラムが金属的な響きを牛歩でもって響かせる。そこにお経の様な陰鬱なボーカルが妙な節で歌をのせる。
これだけ書くと相当五月蝿く、相当音の数が多いメタルという結果に陥りそうだが、そこは引き算の美学で持ってまずドゥームという様式をとる事、それから意図的にそれぞれの個性が引き立つように余計な教唆物をがっつり減らしている。音に広がりがあるので圧倒されるのだが、よくよく聴いてみると使われている音の数はそこまで多くない。ただし一番強烈なのはやはりギターとベースだが、一つ一つの音がとんでもなくでかい。本人も「ほぼベース」というギターはあまりに低音でノイズで輪郭がぶわぶわ撓んでいる。確かにドローン要素も多分にあって例えばSunn o)))みたいにがろーっと空間的に広げる感じは確かに似ているのだが、あちらが圧倒的な重量を持ちながらも拡散していくのに対し、こちらはもう少しソリッドで金属的。拡散しがちな奔放さをぎゅっと引き締めてまとめあげる力が働いている。要するにそこを担当しているのがインダストリアル成分ってことなのだろうが、ここら辺の音もよくコントロールされている印象で凶暴で退廃的な景色の背景に冷静な知性を感じさせる。
厚い雲に覆われた空の下で油に覆われた海をその背に訳の分からない機械をのせた巨大な無人のタンカーがのったりこちらに向かってくる様な、そんな雰囲気がある。無機質なビートに(負の)感情的なボーカルを乗せる事で剛と柔をうまく融合させたありそうでないとても良いバランスを完成させている。

荒廃しまくった音にビックリする事請け合いなんだが、よくよく聴くとそれらは大変よく練られたものだと分かる。ベテランらしいいろいろな音楽的背景の遍歴が垣間見えるようだ。とてもかっこ良い。幅の広いJustinの音が好きな人ならきっと気に入ると思う。
ドロヘドロのサントラのリリース元のインタビューは大変有益なので合わせて是非どうぞ。

2016年9月4日日曜日

SUBROSA/For This We Fought the Battle of Ages

アメリカはユタ州ソルトレイクシティのドゥームメタルバンドの4thアルバム。
2016年にProfound Lore Recordsからリリースされた。
前も書いたかもなんだが、このバンドとの出会いはライター行川さんが自身のブログで2ndアルバム「No Help for the Mighty Ones」を紹介していたのが切っ掛け。これを含めて2枚のアルバムは未だに良く聴く。2005年に結成されたバンドで今は5人組。そのうち3人は女性。女性多めのバンドも珍しくはないのだろうが、このバンドでは女性のうち2人がバイオリンを担当しているのが特徴の一つだろうと思う。音楽的にはドゥームメタル。女性でドゥームというとまっさきにJuiciferが思い浮かぶが音楽性は結構異なる。比較的長い(10分越えの曲が多い)尺で、バイオリンを大胆に取り入れた叙情性たっぷりの音楽をやっている。

多分前作からベーシストが変わっていると思うが今回も基本的には前作の延長。少なくとも2ndアルバムからバンドの音楽性はずれていないようだ。
独特の乾いた埃っぽい音像が特徴。曲はだいたい10分を越えてくる。ボーカルの女性はおいくつか分からないのだが、年季の入った声で妖艶というよりは情念たっぷりの呪詛、また逆に語り部の訥々としたような趣もあり、独特。歌い方は色々だがクリーンのみで、たまにバッキングで男性メンバーの咆哮が入る。長い尺を活かした豊かな曲展開が魅力で、重たいギターに女性的なバイオリンの音が非常にフィットしている。メロディをとても大切にしているバンドで、バイオリンは勿論歌も幻想的かつとてもメロディアス。音作りもあってか土臭い雰囲気もあってか、野天の星空の下で薪のそばで語られる昔話の様な懐かしくメランコリックな感情を心中に沸き立たせる。
前作、前々作と何が変わったかというと曲の幅が圧倒的に広がったかと思う。前作までは長居曲の中でもはっきりとパートが別れていて、似た様なテーマを繰り返しつつ曲の中盤で展開をがらりと変えていく、というある意味分かりやすいスタイルだった印象。今作ではその繋がりがとにかくスムーズになっている。滑るように、流れるように、物語性のある曲が刻一刻その形を変容させていく。重苦しいバンドサウンドで圧倒してくるだけでなく、アコギやら独唱を取り入れたりして取り扱っている音の種類も広くなったと思う。インタールード的な4曲目「Il Cappio」に象徴されるように持ち味であるトラッドな雰囲気が倍加されていて、それもあって曲全体が外に向けて開かれている。ラスト「Troubled Cells」はディストーションサウンドを排した優しさあふれる前半から後半音の数を増やし、重なり合う混成ボーカルが劇的で集大成的な曲。内省的だった2ndに比べると結構な変化かもしれない。
あえて不満を述べるとしたら前作の「Ghosts of a Dead Empire」のクライマックスの様なややミニマルっぽいキラーメロディが今のところまだ発見しきれてないかな。ただまだもうちょっと聴き方が足りないと思うし、全体的なクオリティは上がって来ていると思う。

バイオリンの物悲しい音色に導かれるのはやはり暗鬱なストーリーだが説得力のある歌がその物語を圧倒的に美しいものにしている。やはりとてもカッコいいバンドだ。女性が主役で、メタルという男性優位な世界で男性とそのままやり合うのではなく、女性独自のやり方で勝負を仕掛けて来ているのも”強さ”をヒシヒシと感じる。カッコいいぜ。オススメ。

キジ・ジョンスン/霧に橋を架ける

アメリカのSF作家による日本独自の短編集。
表題作は権威のあるSF文学賞であるヒューゴー賞とネビュラ賞を獲得している他、その他の短篇も色々な賞を獲得している。要するに今旬な作家という事だろうか。文庫になったタイミングで買ってみた。
世界幻想文学大賞も獲得している事から分かるのだが、ガチガチのハードSFではなく、現代には存在しない未来的なガジェットを使いつつ、不思議な世界を書いている。解説で書いてあって確かにと思ったのだが、どの物語も特定の人物を主人公をその中心に据え、全編に渡ってあくまでも個人的な視点で持って綴られている。そういった意味では非常に読みやすかった。
気に入ったのはやっぱり表題作「霧に橋を架ける」。
これは気体状の酸(のようなもの)の霧があり、その中には正体不明な”魚”が潜む、という一番超常的な時代設定(一番SF的なのは問題作「スパー」だろうか。)。その霧を渡る橋を造る男の姿が結構長いスパンで書かれている。色々な事件があるものの基本的には本当に主人公が実直に橋を架けていく様を、技術的な描写も交えつつ書いている。この物語から色々な意味や意図を抽出する事も出来るのだろうが、個人的にはそういったのを脇に置いていて一風変わった生活を書いているところが面白かった。そういった意味では椎名誠さんのSFに似ているかもしれない。(が椎名さんの物語にはもっと男の子的な冒険があるから似ているというのはその書き方くらい。)SFが思考実験だとすると、有害な霧が存在する世界で人間がどのように進歩していく(技術的には現代より幾らか昔の世界観)様を非常に非常に丁寧に書いているように思う。それゆえスケールは小さくなるのだが、前述した通りそこが魅力の作家だと思う。
難点を挙げるとするどの物語もちょっと奇麗にまとまりすぎているかな。暴力や流血が足りないとかいう意味ではないし、実際様々な感想を巻き起こしている「スパー」(エイリアンの脱出船で人間の女性宇宙飛行士がエイリアンに延々レイプされる話。)は十分すぎるにショッキングなんだけど、その他の物語に関しては物語にもし”お約束”があるとしたらわりとそれに沿っている様なイメージ。もうちょっとこう作者本人の濃い個性を出しても良いのでは…と思ってしまったりした。
ちなみにキジとは変わったお名前なのだが、これは本名をもじったもので本人は女性。私はその女性を知らずに読み始めたのだが、冒頭を飾る「26モンキーズ、そして時の裂け目」を読んで割とすぐにひょっとして書いているのは女性かな?と思った。多分私は普段男性作家の小説を読む事の方が多そうだ。特に作者の性別にこだわりはないので女性の作家の小説も楽しく読める、というか性別を気にすらしないのだが、たまーにこのキジ・ジョンスンのように作者が女性だな!と思う事があって不思議だ。(一つには恐らく男性の書き方があるように思う。同じように男性が書く女性も女性が読んだら「これ書いたの絶対男だな〜」と思うのだろうな。)「ストーリー・キット」は女性にしかかない話だと思うけど、その他の物語も特有の女性らしさ、というのがあってそこが面白かった。
SFって小難しいんでしょう?という方は是非どうぞ。