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2020年12月27日日曜日

ミヒャエル・エンデ/鏡のなかの鏡-迷宮-


「モモ」「はてしない物語」(「ネバーエンディング・ストーリー」として映画化された)など児童文学で有名なミヒャエル・エンデに連作短編小説。
どちらかというと大人向けの物語。

鏡の中に鏡がある、つまり鏡が向かい合っている。
そうなると鏡の中に鏡像が連続してどこまでも続いていくように見える。(実際には際限なく続いていくわけではないそうだ。)
微妙に関連する物語が並んでいる様はまさに合わせ鏡で、私達が現実とよんでいるものが横に、縦に連続してつながっている。
これらの物語は現実ではなくて夢とされていて、私達の現実とは程度に差はあれどいくらかは隔たった不可思議が展開されている。
シュールレアリスム絵画を見ているような感覚だ。(シュールレアリストだったエンデの父の作品が挿絵として使われている。)

夢という形で展開される連作小説というと夏目漱石の夢十夜を思い出す。実際にシュールな風景は似ているところがあるのだが、今作では連続性という点で明確に異なっている。
エンデは前回の話の設定を引き継ぐというか、どこかしらつながっている要素を持って次の話が展開させていく。並行宇宙、数珠つなぎ、しかし最終話が冒頭のエピソードに関連しているから正しくは円環である。

これらの夢はしかし概ね不穏な空気をはらんでいて、極彩色の幻想というわけには行かない。
というのも物語の多くに闘争の要素がある。
エントロピーの増大、拝金主義者が作り上げた危うい構造体、疲れ果てて戻った我が家を乗っ取った大量のネズミ、平原での大虐殺、暴力的な権威による弾圧。
これらは全て敵側というのが常にはっきりしない。どれもなにかの象徴であるのは間違いがないが、しかし暗喩というよりはどちらかというと目にした耳にした触れた現実が混じり合って夢で不可思議な形で結実したという趣がある。キメラ的というか。

この不定形の捉えがたい、名状しがたい悪夢の中でいくつか普遍的な設定があると思う。
一つは前述の通り、常に安寧や安穏というものはなく、何かと戦わなければならないこと。
もう一つは同じ場所にとまどることは死ぬこと。
「惑星の回転のようにゆっくりと」「教室では雨がたえまなく降って」という短編ではかなり直接的に心理的に止まっていたい、安定していたい欲求と、しかしとどまればそのまま凝り固まって死ぬことが示唆されている。
登場人物たちは常に移動することが求められているわけなのだが、この移動とは変化のことで作中では落ちる、もしくは全てを失うことが伴うと書かれている。
移動とは次の夢にいくことであり、これはこの夢(一つの現実)での死を意味する。
だから移動しても移動しなくても死ぬわけではあるんだけど、少なくとも移動すれば次の夢が約束されている。
移動しなければずっとその夢に縛られてそのままだ。
これらの物語の中では年を取ることが残酷に描かれている。
人生はコップみたいなもので別れけば色々と知識や経験が入る余地があるが、老いてしまえばもう新しいことが入る余地がない。
老人は動けなくなり、罠にハマったかのように彼らの人生は停滞する。(「手に手をとって,二人が道を」「俳優たちの廊下で私達は」など)
移動した先にももちろん困難と闘争がある。
しかし常に待っていてはだめだ。
待っていれば唯老いてしまう。
若いうちに動かなければならない。移動しなければならない。

「ここは部屋である,と同時に」は人生には無限に時間がある若者がしかし老いて挫折し、そして恋人とは(少なくとも彼彼女の思うような形では)決して会うことができない、という世界を書いている。
このすれ違いはしかしありふれた地獄でもある。
しかもこの物語は単体でループしている。
このありきたりの悪夢を人間は飽くことなく繰り返していく。
様々な幻想の夢の中があるのに、その全てが不穏な闘争とすれ違いをはらんでいる。
多様な悪夢の中で人間は苦しむ。
当たりの夢がない中で、何回繰り返しても天国に行けない中で。

この人間の解けない謎を抱えたまま、人とわかりあえずに苦しむ人生を、醜悪と思うのか、それともそれでも美しいと思うのか。
問題提起ではないが、プリズムのように地獄なりに色々輝いているように描いてしまえるエンデは凄いな、、、と小学生のような感動を覚えた次第。

2020年6月13日土曜日

種村季弘 編/ドイツ怪談集

河出文庫の世界怪談アンソロジーシリーズ、ドイツ編。
収録先は下記の通り。

  1. ロカルノの女乞食 ハインリヒ・フォン・クライスト著
  2. 廃屋 E.T.A.ホフマン著
  3. 金髪のエックベルト ル-トヴィッヒ・ティ-ク著
  4. オルラッハの娘 エスティ-ヌス・ケルナ-著
  5. 幽霊船の話 ヴィルヘルム・ハウフ著
  6. 奇妙な幽霊物語 ヨ-ハン・ペ-タ-・ヘ-ベル著
  7. 騎士バッソンピエ-ルの奇妙な冒険 フ-ゴ-・フォン・ホ-フマンスタ-ル著
  8. こおろぎ遊び グスタフ・マイリンク著
  9. カディスのカ-ニヴァル ハンス・ハインツ・エ-ヴェルス著
  10. 死の舞踏 カ-ル・ハンス・シュトロ-ブル著
  11. ハ-シェルと幽霊 アルブレヒト・シェッファ-著
  12. 庭男 ハンス・ヘニ-・ヤ-ン著
  13. 三位一体亭 オスカル・パニッツァ著
  14. 怪談 マリ-・ルイ-ゼ・カシュニッツ著
  15. ものいう髑髏 ヘルベルト・マイヤ-著

日本の階段との共通点
共通認識としての宗教、勧善懲悪と因果応報、つまり民衆のための怪談。
上記のうち、
1,4,5,6,10,11、14
は幽霊譚に属する。
幽霊譚の構造というのは(物語の逆順をたどると)過去思いを残したまま死んだ人が現世に幽霊として現れて、そのわだかまりとともに成仏(や昇天)するというもの。
いわば人生のロスタイムであり、おまけ。
本来死んで終わりの人生に対する想像上の救済措置といえる。

これに加えてあるのが因果応報の要素。
1,2,3,4,5,7
幽霊譚とかぶりつつも上記の作品がこれに該当する。
こちらは言うまでもなく過去の悪行は未来で必ず相応の罰で返されるというもの。
悪いことをすれば必ず報いを受ける、ということは善行の奨励でもある。

幽霊譚と因果応報の要素が一番わかりやすく出ているのが4の「オルラッハの娘」。これは善悪の幽霊両方にとりつかれた娘が主人公の極めて宗教的な物語。

宗教はいろいろな側面があるけど、大衆を押さえつけておくための手段として為政者に機能していた面もあるはずだ。
  • (年、または権力の)上にあるものを尊敬し、いうことを聞くこと。
  • 悪行をすると必ず報いがあること。
  • 善行と勤勉が奨励され、その報いは死後に待っていること。
(余談だが私は宗教を現代において、例えばテロリズムの言い訳や隠れ蓑にされることを上げて無益どころか有害、という言に関しては強く反対だけど、じゃあ宗教が全部良かったかというとそうではない。宗教の各キャラクターが象徴するがごとく、宗教を良し悪しで判断するのは無理だ。)

この宗教観が敷衍した世界で成立する怪談というのが、構造的に日本に似ている。
日本の怪談は仏教、儒教的な規範に基づいているところが多いから、死後報われるというよりは徳のランクがあがってまた人間に生まれる、とかなのか?ここは少し違うね。

為政者が幽霊を使って愚かな民衆に説教をかましている、とは流石に穿ちすぎでもっと純粋に楽しめば良いと思うけど、背景を考えると清濁合わせて民衆のための物語である、という認識。

逸脱した怪談たち=Black Metal
友達のお兄ちゃんの同級生が体験した話なんだけど~
上司の親戚に起こった話なんだけど~
怪談の枕に語られるこの手の導入には、この怪談は実話ですよ、というエクスキューズが含まれる。
幽霊なんていないし、といったら怪談はだいなしなのである。
難しいもので人の体験の伝聞というのは整合が取れすぎていると逆に嘘くさくなる。
実話というのは少し不整合や、矛盾が残っているものである。

上記の「典型」の範疇に入らない怪談たち。
それも抜群に面白い。
8,9,12,13,15
がそれらか。
9「カディスのカ-ニヴァル」の意味不明さ、それ故に残る不気味さはまさに口述される怪談の醍醐味だ。
またこれらの逸脱はキリスト教外というのがキーワードにもなりそう。
pagan、つまり異教(キリスト教こそ異教で土着の信仰なんだけど…って思うけど)の物語は、常識として大衆に定着した宗教観の埒外にある。
それは非常識でそしてオルタナティブだ。
12「庭男」は恐ろしくも自由だ。自然の大きさ、わけの分からなさ、人間を魅了するが人間の味方ではないその闊達さを表していてめちゃくちゃ面白い。

これらの怪談の野蛮な力は、権力としてのキリスト教に反旗を翻し、顔に死化粧を施し、土着の神々の名をなのって気炎を吐いたブラックメタルを彷彿とさせる。
キリスト教の生に対するアンチテーゼだから当然死がモチーフになるんだけど、実は相当エネルギッシュだ。
(面白いのは文字通り死のデスメタルはスラッシュメタルなどの激化だから、対立的なブラックメタルとはちょっと構造が違う。)

2018年7月30日月曜日

人間機械

インド生まれのラーフル・ジャイン(1991年生まれでまだ27歳だという)が監督として、インド、ドイツ、フィンランドの3か国で制作されたドキュメンタリー映画。
原題は「Machines」で2016年に公開された。日本では今映画館でかかっている。

舞台となるのはインドのグジャラート州にある繊維工場で、ここでは多くの労働者が働いている。ここにカメラが切り込んでいく。とにかく巨大な工場で、人の背丈を縦にも横にも遥かに凌駕する機械が休みなく(文字通りおそらく24時間)稼働している。巨大の機械の合間を人間たちが動き回っている。彼らは1回のシフトで12時間働く。そして1時間休んでまた12時間のシフトに入る(全労働者がこうなのかはわからないが)。あまりにも広い工場で、労働は多岐にわたる。肉体労働、事務。体を使うもの、頭を使うもの。手を動かすもの、全身を使うもの。単純作業、非常に神経を使う作業まで。染める前の繊維を運ぶ仕事。繊維の染料の配合の仕事。稼働している機織り機のような機械のリアルタイムのメンテナンス。コンベア状の染色作業の保守。染め上がった繊維が機械に詰まらないように手で引っ張る仕事。染め上がった染料の荷運び。大量のゴミの廃棄。巨大な乾燥機のような機械への繊維の出し入れ。ゴミの焼却。その他よくわからないような仕事の数々。ラーフル監督はこれらの作業を淡々と写していく。説明は皆無であるし、意外なことに労働者へのインタビューも全体から考えると非常に少ない。この映像作品の主人公は巨大な気工場だと言わんばかりに、その動きをひたすら取っていく。
巨大な機械は一寸の狂いもなく、巨大な轟音を巻き上げ、地響きをあげて稼働し続ける。その間を人間が動き回る。彼らはまるで巨大な機械のはらわたで蠢く、寄生機械のようだ。柔らかい体を持った意思のない、単純作業をこなす機械たち。しかし彼らはしっかり生きて、長時間働き、そして工場の中で食い、体を洗い、そして売り物となるはずの染料の上で寝る。出稼ぎ労働者が多く、この工場の中で生活しているのだろう。彼らは皆痩せている。寡黙である。子供もいる。彼らの何人かの服はありえないくらい汚れて濡れてビタビタ体に張り付いている。外から見ると白く美しい工場の中は混沌としている。ここでは機械が主役なのだ。人間は脇役に過ぎない。こう言う感想を抱くのは不謹慎かもしれないが、なんとなく漫画家の弐瓶勉さんや作家の酉島伝法さんの描く作品が現実に展開しているような、そんなSFを私はこの映像から嗅ぎ取ってしまった。柔らかく生々しい肉が、無機質な機械の間を埋めるような、そんなSFを。ことば少なな彼らは機械のように働く。それは機械のように働くことを求められているからに他ならない。誰に?
労働者の一人がいう。自分は望んでこの仕事をしているので搾取ではないと。彼らは社長を見たこともないという。工場側の人間は言う。給与を上げることはできるが、給与を上げると労働者は働かなくなる。怠慢になる。権利を主張すると。ここでは労働組合ができない。もしできれば工場側がリーダーを殺すから。
この工場で行われていることは搾取である。彼らは生活と家族を暗に人質に取られて、無理な労働を押し付けられている。これはまぎれもない搾取である。私たちはそう言う。彼らが作った服を着て。(当たり前だが直接私たちがこの工場由来の服を着ているかどうかは問題ではない。)
この映画はことさらメッセージ性が強くはないと思う。むしろ意図的にそう描かれている。終盤にカメラを取り囲んだ労働者たちがカメラの先に向かって言う。お前たちは何を撮っているのか?少しだけ撮影して、そうして帰ってしまう。結局何も変わらない。お前たちは政治家と同じだと。彼らの視線が痛い。

先日見た「ラッカは静かに殺されている」もそうだった。この手の映像を見るのは何故なのだろう。「非常に考えさせられる」、「ひどい話だ。何かしなければ。」そう言って、私たちはまた日常に戻ってしまう。それならはじめからこう言った作品を見なければ良いのでは。何も考えないで高級で質の良い外国製の服を、それがどこから着たのかを考えないで着ている方が、まだ卑怯ではないのではないかと思う。
この映画を見れば選択を迫られるのだ。この映画を見た後で何もしないのか、それとも何かをするかを。

2018年5月27日日曜日

Henry Fonda/Front Antinational

ドイツはベルリンのパワーバイオレンスバンドの2ndアルバム。
2017年にNerdcoreからリリースされた。
5人組のバンドでFBのステートメントからも分かる通り生粋のDIY、生粋のライブバンドのようだ。
日本のFast Zineのパワーバイオレンス特集で吉祥寺のtoosmell Recordsの方がリコメンドしていたのがこちらのアルバム。ほかに推していたMellow Harsherと一緒に購入した。

バンド名はアメリカの往年の有名俳優からとっている。同じパワーバイオレンスのCharles BronsonやスクリーモバンドのYaphet Kottoなどもそうだがどうもこう俳優から名前を拝借するバンドというのがいるのがハードコアらしい。
短い曲の中に高速と低速を巻き込んだ、つややかな音もモダンな香りのする今風パワーバイオレンスバンドだ。〜分というタイトな時間の中でも長尺(といっても3分くらい)のスラッジ曲もきっちり挟んでくる。
低速に落としてくるところは徹底的に暴力的だが、疾走するパートは重さを抜いており、またパンキッシュなリフをたようすることもあり、なめらかで爽快。ここら辺は同郷のYacøpsæを彷彿とさせるところがあると思う。低速高速どちらも地獄のバンドとは異なり、高低と明暗の対象がはっきりしている。流石にひたすら明るいという種の音楽でもない。メロディ性もきっちり皆無。なんといっても疾走感のあるパートからなめらかに、そして唐突に低速パートに突入するこの脈絡の無さが最高なのだ。気分屋の男が気持ちよく飲んでたら、突然本人しかわからない事情でキレだすみたいな、そんな嫌な感情の急展開を実にスムーズにこなす。この一見した所矛盾した自然な不自然さがこのバンドの何よりの魅力ではなかろうか。バンド名からして人を食っており、ステートメントにもユーモアのセンスを伺わせている。実際にその感覚は曲の所々で感じられて、やはりひたすら酷薄なバンドとは一線を画している。ただ終始ふざけているのかというとそんなことはなくて、特にアルバムの後半はそのシリアスさを増していく。雰囲気に酔っているとふとした瞬間張り詰める緊張感に突然気が付いて背筋が凍るということはたまにあるが、まさしくそんな流れを地で行っている。このファニーさとシリアスさの対比と同居というのも極端なパワーバイオレンスというジャンルによく合っている。
やかましくて展開が混沌としていてまさしく騒々しいという言葉ぴったりのパワーバイオレンスという。個人的に最近かなりよく聴いているお気に入り。

2018年2月25日日曜日

Dead Fader/Jenny 153

イギリスのブライトン出身、今はドイツのベルリンを拠点に活動するアーティストのフルアルバム。
2017年にParachute Recordsからリリースされた。
当初は2人組で活動していたが、今はJohn Cohenの一人ユニットになっている。
当初はインダストリアル・ビートを主体とした攻撃的な電子音楽をリリースしていたが、2014年に象徴的なアルバムを2枚同時リリース。今までの路線を踏襲した過激な「Scorched」。もう一方はビートが鳴りを潜めたアンビエントな雰囲気のある電子音で構成された「Blood Forest」。おそらくメンバーの数が減ったことにも要因があるのではと思う。
その後は2つの路線を明確に分けるのではなく、融合させる音楽スタイルにシフト。EPのリリースも多く、まさに試行錯誤で新しい音楽性を貪欲に模索していた。

今作ではそんな試行錯誤の果にリリースされた前作「Glass Underworld」の延長線上にあるものの、(おそらく)初めて人間の写真をジャケットに採用して今まで最も有機的な作品になっている。
当初は本当ガムガムしたドラム(すげー好き)が主役でむしろ後はどれだけ音を少なくしてビートを聞かせるかというコンセプトだったのだが、浮遊感に目覚めてそちらを追求しだしたのだが、やはりセンスがおかしくてうるせーノイズをしっかり残しておくという容赦の無さ。多幸感に包まれた浮遊感のその浮きかけた足を泥のようなノイズが引っ張るという、情緒もへったくれもないような気概がやはり最高である。3曲め「Raw Food」からの「FYI」はそんな芸風の真骨頂でありアルバム前半のクライマックス。2つの曲で微妙に相反する音の立ち位置を逆転させているのが面白い。
よくよく聞いてみると、低音にこだわりのない、空間的なエフェクトのかけられたフレーズもテクノの単純明快なミニマルさとは少し距離があり、また曲の展開も音の種類もテクノにしては複雑な方である。”異物の侵入”つまり違和感がいかに違和感なく曲に紛れ込むかという裏のテーマが曲作りの背後にあるのではと言うのは穿った見方だろうか。微妙に間延びしたような音、そして連続していながらゆっくりとその姿を変えていく音の使い方はどちらかと言うとわかりやすい攻撃性(ハーシュ)の牙を意図的に抜かれたノイズの手法か。不安定性のないノイズというのは巨大な水槽の向こうでゆっくりとその巨体を回転させる巨鯨をみるようになにか壮大である。心臓の鼓動がビートなら、その上に乗る生命活動は不安定。躍動する生命の芳醇さにまろやかなノイズでアプローチを掛けているとしたら、ジャケットに人の顔を配置するオーガニックさにも頷けるような気がした。

同時にリリースされた「Jenny 153 Remixes」ではJK Flesh、Roly Porter、Konx-Om-Paxの3人(このラインナップで大体当人の出す音がある程度想像できるのではないか。)がDead Faderの曲を分解し、再構築している。中でもやはりJustin先生のJK Fleshのリミックスは、バキバキ硬質なサウンドをミニマルにリフレインするというDead Faderにはありそうでなかった絶妙なバランスで凶悪な音の新しい可能性を提示しておりとても格好良い。そちらもぜひ合わせてどうぞ。
デジタルで購入したがやはりLPが欲しい。

2017年2月25日土曜日

Berlin Atonal presents New Assembly Tokyo@渋谷Contact

Berlin Atonalはその名の通りドイツ、ベルリンで行われる実験的な電子音楽のイベントのことらしい。それが日本でもやりますよ、というのがこのイベント。これには元Nine Inch Nais(2004-2008,2013)のキーボディストAlessandro Cortiniが出演するとのこと。私はなんだかんだ言って一番好きなのは中学生の時に出会ったninなのだが、熱心なファンというわけではなく、現にTrent以外のメンバーときたらDanny Lohnerくらいしか思い浮かばない(Lohnerはとっくに辞めてる)。これはきっかけみたいなもので実は(単独)音源も持っていないMerzbowと共演するということもあって、なんとなく渋谷Contactに行って見た。
Contactは入場する際に会員登録しないといけないのでちょっとめんどい。駐車場の地下にあるので秘密基地感があるのは良いけど。中に入るとバカみたいに広いわけではないけどいくつかのフロアに分かれている。
19時過ぎに着くとメインフロアではRyo Murakamiがプレイしている。ドローンとしたノイズをプレイしているのだが、弦楽器のアンサンブルをサンプリングしていたりと結構お面白そうだった。しかし私は同時にやっているKiller-Bongが気になったのでそこを離れた。

Killer-OMA
いわゆるダブってことになるのだと思う。おそらく即興性の高いもので日本で一番黒い(あるいは煙たい)レーベルBlack Smokerの首魁Killer-Bongがビートを作ってラップを乗せていく。ラップには音響処理がその場で書かれており、ぼわんぼわんしている。独特の声をしている人だが、実際生で聴くとその変態性は頭抜けており、台本があるとは思えないのだが、流れるように言葉を吐き出していく。声質と音質で歌詞の内容は聞き取れない。まるで酔っ払った男の日記めいた独白を聞いているようだ。五月蠅くないトラックとあってこれがかっこいい。どうでも良いがベースラインが凄すぎないか?と思ったらなんとこの日は鈴木勲さんというベースプレイヤーとのコラボ。鈴木さんは真っ白な髪の毛が印象的などう見てもたたき上げのジャズプレイヤー。ウッドベースをバッキバッキスラップ奏法で聞いていく。研ぎ澄まされた短いリフが途切れることなくフロアにこだまする。眩惑的なダブだが、ベースの音に限って言えばこの上なくソリッドでリアルだ。時にビートになって曲を作っていく。体を揺らせていたらあっという間に終わってしまった。

伊東篤宏+カイライバンチ
先ほどとは違うフロア。この時は既に人がすごくてかなり後ろの方で見たんだけど、蛍光灯が等間隔に3つ放射状に設置されたさながら風車のような機械がぐるぐる回転をしている。何かと思われるが、他に表現のしようがない。風車はマニュピレーターになっており、蛍光灯は広がった状態から蕾のように閉じたりしながらその回転速度を変えていく。蛍光灯は明滅しており、その時に音が出るようだ。伊東さんは蛍光灯を使ったノイズユニットoptrumの人。私はこのoptrumはCDを持っている。この日は巨大なよくわからない機械を使って音楽を奏でるカイライバンチとのコラボ。蛍光灯風車の他にも、ジェットエンジンみたいなのが回転したり、アナログテレビを複数台つなげたものが明滅することで出すノイズを出したりと、音楽というよりそれを包括する前衛芸術だと思う。というのも機械の動きが音を出しているので(音と機械が連動している)、妙な機械がすなわち楽器である。出される音は全部ノイズといっても良い。人類が死に絶えた未来で壊れかけた機械が偶然出している音を聞いているみたいで面白かった。

Ena + Rashad Becker
続いてはメインのフロアでドイツ人と日本人の音楽家のコラボ。
音としては完全にノイズなのだがいわゆるハーシュノイズとは一線を画す内容。音がもっと単発で無作為である。それも引きずるような、軋むような、どこかに引っかかったような音が落ちてくる水滴のように予測不能で繰り出される。それからベースとなるような低音が出てくる(これはパイプオルガンのような音で非常に好みだった)と音の数が次第に増えていく。とは言え相変わらず音の種類は同じで連続性がない。ふと思ったのだが深宇宙からやってくる電波を受信したのをなんらかの機械を使って音響化したような響きがある。声はランダムさが最大の魅力で、連続するノイズのそれとはかなり違う。グリッチ音のみで構成されたノイズのようなイメージ。常に前に前に進んでいく直線のイメージ。渦を巻いていないからトンネルで音が通り過ぎていくみたい。とっかかりになる低音を見つけたとしても、それはいつの間にか何処かに行ってしまう。黙って宇宙からの音に耳を傾けることにした。

Alessandro Cortini + Merzbow
続いては元ninのキーボーディストと日本のノイズシーンの巨人とのコラボ。Merbowはロック、ハードコアのアーティストとも積極的にコラボしている。私は単独音源は持っていないけど、ぱっと思い浮かぶとBorisとFull of Hellのコラボ作を持っている。
Alessandroはyoutube見ていると相当の機材マニアみたいで私からするともはや楽器にすら見えない機械を使って音を出す人のようだ。
始まってみるとAlessandroがシンセサイザーを使ってループする小単位を作ってそれの形を少しずつ変えていく。一方Merzbowは連続性はあるが単位はない低音のノイズを出していく。明確にビートがあるわけではないがシンセ音は時にそれの代替物としての機能を持っており、またMerzbowの出す音も良いバランスで抑えられているので大変聴きやすい。同じノイズでもEna + Rashad Beckerとは全く違った音だ。こちらの方も次第に音の厚みが増してくる。それに浸っているとこの上なく快感だ。音がでかいが耳が痛いということはなかった。シャーとどこまでも滑らかな平面上を滑っていくかのようなノイズが例えようもなく美しい。音の洪水でそれは幻なのだ。たまに現れる高音も霧の波間に浮かぶビーコンのように幽玄としている。阿吽像のように佇む二人はさながらゲートのようだった。本当に最後合わせるところ以外、ほとんどお互いをみることもしなかった。

軽い気持ちで行って見たが楽しかった。Black Smokerはもう少しライブを見てみたい。

2016年12月11日日曜日

Downfall of Gaia/Atrophy

ドイツはハンブルグ、ベルリンのネオクラストバンドの4thアルバム。
2016年にMetal Blade Recordsよりリリースされた。
Downfall of Gaiaは2006年に結成され(2008年とされることもあるが、3laのインタビューでメンバーが発言。当初はバンド名が違った様だが。)たバンドで今まで3枚のアルバムをリリース。昨年来日経験も果たした。前回のアルバム「Aeon Unveils the Thrones of Decay」からドラムとギターのメンバーが入れ替わっている模様。
タイトルの「Atrophy」は「萎縮」という意味とのこと。
クラストを基調としならがブラックメタル、アトモスフェリック・スラッジ、ポストメタルなどさまざまな異種音楽をミックスした独特の音楽を鳴らしており、ネオクラストと紹介されることもある。

メンバーチェンジの影響からか、前作とは結構印象が違う出来になった。
ブラッケンド、つまりブラックメタルに影響されたクラスト・ハードコアという大きな音楽性自体はブレないものの、曲作りに関しては若干の変更が見られる。
10分にやや満たないくらいの長い尺は相変わらずだが、中身はひたすら大作志向だった前作に比べるとややシンプルになっている。静のパートと動のパートという基本はもちろん、曲の速さやリフなど1曲の中に色々ぎゅっと詰め込んでいたのが前作だとすると、今作はミニマルとまではいかないもの明確なテーマがあってそれを長い尺の中で繰り返すことで盛り上げていく様に作風がいくらか変わっている。
どちらがというのは個人の好みだろうが、私は今作の方が好きだ。やや難解だった前作は聴き処が明確に際立ちすぎていたが、さすがに聴き処以外は魅力なしというわけではないが、今作はあえて削ぎ落としてきていることで全編聴き処にすることができていると思う。つまりこのバンドの持ち味である、激しくも感情的に突っ走るトレモロリフが全編にわたって楽しめるからだ。端的に言えば魅力を10分弱聴かせることができているということじゃないだろうか。繰り返すがこの評価はこのバンドに何を求めるかでかわってくると思う。表層的にはかなりブラックメタルの要素が強いが、外に開いていく様な開放感(閉塞感だけにとらわれない)、そして明るいとまでは言えないものの光に向かう様な必死かつ温かみのあるリフに込められたメロディー(3曲め「Ephemerol」の美しさ!)を考えると(そしてまたインタビューでもパンクが出自という通り)その中身はブラックメタルとは違う何かを感じ取れる。
喚き声のボーカルに一切キャッチーさがない反面、疾走するトレモロリフがメロディアスを担う。「言葉にすると嘘になる」割とよく聞くフレーズだが、確かに言語化するとわかりやすくなる反面、意味が固定されてしまう。渦巻く感情をテーマにする場合は言語に頼らない、つまりそれ以外(別に音楽でなくても絵画とかでも)で表現するのは非常に理にかなっていると思う。ただ激しいだけでない、激情/ネオクラストと表現されるゆえの、悩みや不安、そして言葉にならない事事が反映されたDownfall of Gaiaの音楽がこの様な携帯を取るのは必然かもしれない。(そうなるとジャンルが先に来るのか、後に来るのかって問題があってこれをどう考えるかは非常に面白いと思う。)

長所をぎゅっと濃縮してきた新作。私はこの変化を非常に楽しめた。前作がやや難解だったという人も今作は楽しめるんではなかろうか。非常にオススメ。

2016年9月18日日曜日

ColdWorld/Autumn

ドイツはライプツィヒのブラックメタルバンドの2ndアルバム。
2016年にCold Dimentionsよりリリースされた。
アメリカのハードコアバンドCold Worldとは勿論別もの。
Georg Börnerという渋いおじさまがすべての楽器を演奏しているソロプロジェクトのようだ。このプロジェクトは2005年に開始されている。マイペースに活動しているようだ。
私は全然知らなかったのだが、アルバム発売前にみた動画が気に入って購入した。CDを購入。デジタルはあるのかちょっと分からない。
バンド名で検索すると1stのレビューが結構出てくる。なにげに日本では人気なのかもしれない。

「秋」というタイトルが良い。コールドなブラックメタルだと厳しい冬のイメージだが、ちょっとそこからは外して来ている。Panopticonも「Autumn Eternal」というアルバムをリリースしていたし、四季の中では秋が一番好きな私は期待があがる。
ジャケットの女性のアートワークが象徴するように「メランコリー」をテーマにしたバンドで(FBにもそう記してある)、ブラックメタルのフォーマットでそれを表現している。元々ブラックメタルは暗い音楽だから、メランコリーを表現しようとする試み自体は珍しくないが、どうしてもShiningのようなデプレッシブだったり、Tristのようなスーサイド系に走りがちだったりする中、血なまぐさくない幻想的な物語という音楽に舵を取るのは実は珍しいかもしれない。またデプレッシブにしても”メタル”なので(特に前述のShiningなんかも)たとえ自分に向けだとしても攻撃的(自殺も勿論自傷行為)な一面をもっているものがだが、このバンドに関してはあまり(イーヴィルなシャウトは入るのであまりと表現)それらも感じられない。美麗なブラックメタルというとAlcestをはじめとしたシューゲイザーに接近した(一部のバンドの)キラキラした感じはない。そこまでは洗練されてもあか抜けてもいなく、やっぱり鬱屈としている。適度にガリガリとしたプリミティブさを残しつつも中速くらいのスピードで多恵なるメロディを持つトレモロを奏でるギターが最大の特徴で、そこにバイオリンなどのストリングス(実際の楽器なのか打ち込みなのかは不明)や女性のボーカルを大胆に投入してくる。キーボードも勿論あり。アコースティックギターを始め、牧歌的な雰囲気も曲によってはかなりある。ボーカルはクリーンとイーヴィルなブラックメタルのシャウトの使い分けだが、前者の方が出番が多いかもしれない。こちらはかなり朗々とした威厳のある声だが、やはりその雄々しさの中にも陰鬱としたあきらめの様なものが感じられていて非常にバンドの表現する世界観を盛り上げてくる。ストリングスの導入などでドラマチックな雰囲気は横溢しているのだが、面白いのはメロディにしてもそこまでくどい(またはクサいとも評してもよいかも)訳ではなく、この手のジャンルにはない上品さが意識されている。「儚い」といってもいいかもしれない、この幻想的な景色には常に脆さがつきまとい、起きたら消える夢か、もしくは触ったら壊れそうな結晶に移った影絵のようだ。とかくなんでもやり過ぎてしまうメタルの世界ではこのようなバランス感覚はちょっと希有なのではなかろうか。比較的ブラックメタル然とした「Climax of Sorrow」はシャウトが強烈でなんならちょっとアルバムの中で異彩を放つくらいだ。

メタルは勿論様式美の世界だから基本的に強い物語性が魅力のジャンルだと思う。そんな中何とも言えない寂寞とした光景を冷たく、そして暖かく描き出しているという意味で非常にかっこ良いアルバム。幻想的、ということばが非常にしっくり来る何とも儚い虚構の世界、大変美しい。ブラックメタルにそこら辺の物語を求めてしまう貴方は是非どうぞ。オススメ。

2016年3月28日月曜日

Panopticon & Waldgeflüster/Panopticon & Waldgeflüster split

アメリカのブラックメタルバンドPanopticonとドイツはミュンヘンのブラックメタルバンドWaldgeflüsterのスプリット音源。2016年にスウェーデンのNordvis Produktion(自らをpoor music for poor peopleと標榜するレーベル。)からリリースされた。私はbandcampでデジタル版を購入した。お目当てはPanopticon。因にざざっとしたアートワークはPanopticonのA.Lunnの手によるものとのこと。

全4曲収録でそれぞれ2曲。面白いのは双方ともに12分を越える大曲と3分から4分の比較的短い(まあ短くはないんだけれども)の曲のセットになっている。
まずはWaldgeflüster。
このバンドの事は全く知らなかった。2005年に結成され既に3枚のアルバムをリリースしているとのこと。バンド名を訳してみると「森のささやき」とのこと。ほう。FBのバンドの説明を見るとこう書いてある「情熱的で深遠で自然に結びついている」。なかなか分かりやすい。いまもこういうのか分からないけどカスカディアンな音を鳴らすブラックメタルバンドである。最新作では一人高見に解脱した感のあるWolves in the Throne Roomが一番有名だろうか、このジャンルでは。ブラックメタルという音楽形態をとりつつも、サタンや神、血みどろの人間界から遊離し、電気とテクノロジーを使うという矛盾をはらみつつも自然を賛美する曲を、長く複雑で攻撃性やイーヴィルなシャウトを盛り込みつつもなんとも雄大かつ美しさに満ちた曲を演奏するという、彼らである。Panoptioconもそちらの影響色濃いバンドなのでそういう流れでばっちりハマったスプリットってことになる。
儚いトレモロが一気になだれ落ちるイントロでばっちりこちらのハートの琴線を内ふるわせてくる。何と言ってもちょっと(同郷のエモバンドMournfulを彷彿とさせる様な)なよっとした感のある内省的かつ憂いを含んだボーカルが素晴らしい。ナイーブで大人しいヤツがぶち切れたみたいなシャウトも攻撃的でありながらもバックの演奏陣の美麗なトレモロに不思議にマッチするから不思議。早々にストリングスを持ち込んでくるあたり、完全に優しく殺しに来たりしている。ドコドコ高鳴るドラムにストリングが被ったらそりゃもうこっちとしては感涙に拳を振り上げるしか無いと行った有様である。あざとい。さらに男臭い落ち着きのあるコーラスワークまで入れてきやがるので琴線は崩壊状態。私は全く詳しくないのだがバイキングメタルというか、雄々しく高揚させる様なコーラスワークとキャッチーなメロディはそこら辺の影響があるのではなかろうかと思った。無骨なドイツ語のつぶやきがアコースティックギターとともにつま弾かれ、豊かなストリングスが彩る切ない幕切れも何とも余韻に満ちて素晴らしい。

一方のPanopticon。
長い尺の曲は「Roads to the north」を作っている間に出来た曲だそうで、彼の長男に捧げられたもの。Håkanというのは息子の名前だそうな。
Waldgeflüsterよりは太くぶ厚い音でより野性味があふれる。こちらのボーカルは完全にブラックメタル然とした堂に入ったものでやはり貫禄という点ではこちらに分があるか。表現力という意味では声意外のファクターがやはり非常に饒舌。トレモロを基調としながらもミュートやハーモニクスなどのブラックメタルではあまり見られないメタルの要素をうまーく取り込んでいると思う。「Roads to the north」を聴いた時にその表現力の幅が広がった事に驚いたものだけど、同時期に制作されたこの曲もやはりその流れを大言する様な感じで、「Autumun Eternal」はそれらの技巧をもう少し自分流に使い込んでいる印象だったけど、まだまだこちらではそれらが暴れている感じ。これはこれで喧しくカッコいい。ひとしきり暴れまくった後にアコースティックギターに子供の声を重ねてチルアウト、リバーブのかかったギターがつま弾かれて後、再び音を分厚くする展開は非常にドラマチックだ。ここでは敢えてその速度を落とす事で圧倒的に叙情性が高まっていると思う。前半は派手なギターも後半ではメロディアスなトレモロに徹している事に気づく。こちらで噛み締める時間があるからなのか、やたらと雄大なリフが耳に入ってくる。そこから連続的な再加速をしつつ曲は終了。素晴らしいぜ。
激しい音楽性の中にも深い(父性)愛を感じさせる。雄大な自然というよりは個人的なものがその対象になっている分より真に迫っているのかもしれぬ。

Panopticon目当てで実際素晴らしい出来なんだけどWaldgeflüsterもとてもカッコいいな
この手の音楽が好きな人は是非どうぞ。オススメ。

2016年3月6日日曜日

Subheim/Foray

ドイツはベルリン在住のアーティストの3rdアルバム。
2015年にDenovali Recordsからリリースされた。
Kostas Kなる人物によるユニットで私は1stアルバム「Approach」を持っていて結構よく聴いている。ジャンル的にはアンビエントになるのだろう。基本的に電子音を主体とした曲作りなのだろうけど、アコースティックな生音をのせてくるのが特徴で静謐ながらも感情的な曲を作るアーティストだと思う。私はiTunesでデジタル版を購入。

間の2ndアルバム「No Land Called Home」を聴いていないので何とも言えないのだが全体的な方針は変わっておらず。ただ今回はドローン的なアプローチが増している分1stとは少し違うかなと思う。かっちりさが抜けてより模糊としたイメージで、全体的には拡散しているというか漏れだしているというか。
割とカッチリしたビードを土台にしいて、そこに低音気味のドローンがゆったり侵入してくる。そのうえに生音をかぶせてくる、というのが基本的なスタイル。相変わらず生音の使い方は堂に入ったもので、作る楽曲は暗くて音の数も少ないものの、血の通った有機的なもの。曲によってはビートが規則性を発生させている事もあり、思ったほど敷居は高くないが、メロディ性は希薄。うわものにしてもでてくるのはフレーズくらいなので何ともとらえどころがないのだが、冷たくも暗い中に独特の暖かみがあって癖になるタイプ。(多分)フィールドレコーディングで録音した環境音を導入していたりして、スナップに音をのせた様な趣があるかもしれない。冗舌ではないが音像は豊か。全体的にしっとりとしていて雨の様なイメージ。今回は結構人の声をサンプリングした様な使い方が特徴的で、特に3曲目の表題作は加工の仕方で何となく歌っているようにすら聴こえる。
ピアノの使い方が個人的にはとても上手く、なので4曲目や9曲目は個人的にはとても良い。また8曲目は中音〜低音のしっとり湿った霧の様なドローンの上にホーンが入るという、Kilimanjaro Darkjazz Enesembleに共通点を見いだして一人でテンションあがってしまう。

たまには静かなのが聴きたい人は是非どうぞ。難解というのではなくただひっそりとしているという意味で思ったよりフレンドリーなヤツだなという感じでオススメです。

2015年12月28日月曜日

Shapednoise/Different Selves

イタリアはパレルモ出身、今はドイツのベルリンを中心に活動しているアーティストNino Pedoneによるノイズユニットの恐らく2ndアルバム。
2015年にType Recordsからリリースされた。
かのJustin K Broadrickが参加しているという事で興味を持ち買ってみた。アナログもあるらしいが私はデジタル形式で購入。

Ninoさんは若干20代ながらもレーベルを2つ立ち上げたり変名でリリースしたりと精力的に活動している人のようだ。2013年には来日経験もあるという。
ハーシュノイズを使ったハードな音楽を演奏しているが、テクノ的なアプローチによって聴きやすさを獲得しているというまさに私好みのスタイル。
その手法と言えばドラムとベースのリズムパターンを組み込む事でノイズがもたらすカオスに法則性を与える試みが一つと、さらにノイズ自体を切り刻むなどの処理を加えて制御しようという試み。さらにはともすると放っておくとどこまでも五月蝿くなろうとするノイズをうまくしぼる(音の数的にも、質的にも)ことで聴きやすさと面白さを、ノイズ自体の魅力を失う事無く獲得している。
例えば2曲目は歪みまくったキックを派手に導入することでダブ感のあるトラックを作り出し、そこに飛び交う妙に浮遊感のあるノイズを貼付ける事で、荒廃しきったSF的な音風景を現出させる事に成功している。妙に退廃的でロボットが人類を抹殺しきった後のような世紀末感がたまらん。
一方8分ある8曲目や続くラストを飾る9曲目なんかはリズムトラックは一切登場しないが、強力なハーシュノイズが刻一刻とその姿を変えていく。低音、中音、グリッチな高音を混ぜる事で多彩でありつつも、それぞれが非常に上手く音数がしぼられていてドローン的な側面が強い。ノイズの魅力の一つにはミニマルさとそれに相反するように形を変えていく不定形さがあると思うけど、そんなジャンルを非常に上手く深堀していると思う。
ノイズを軸にジャケットが表現する様な灰色の世界観を構築しているのだが、曲単位で結構バリエーションがあり聴いていて飽きない。
個人的にはノイズの使い方すごく上手くてかなり好きです。
まさに「整形されたノイズ」というユニット名にぴったりの音楽。変名も含めて他の音源が気になるところです。
インダストリアルなノイズにがつんとやられたい人は是非どうぞ。

2015年11月22日日曜日

Svffer/Empathist

ネオクラストバンドAlpinistのメンバーらが結成したドイツはミュンスター/ベルリンの女性ボーカルハードコア/エモバイオレンスバンドの2ndアルバム。
2015年にVendetta Recordsからリリースされた。
私はBandcampでデジタル版を購入。
2014年に発表された1st「Lies We Live」はその苛烈かつ人を惹き付ける音楽性でもって日本でも話題になったバンドなので、今作も2nd出てるぜ!とTwitterで話題になっておりました。タイトルの「Empathist」というのはどうも造語らしい。Empathyというのが感情移入という意味なので、感情移入者だろうか。なかなかこの類いのバンドには珍しいタイトルかもしれない。
今回は全部で8曲、16分と速かった前作よりさらに削ぎ落とし、切り詰めて来た超攻撃的な作品にし上がっている。

滅茶速い音楽性は確かにグラインドコア感もあるのだが、由来を感じさせるのは圧倒的なハードコア感。それでいてパワーバイオレンスとは一線を画すこの音楽性は改めて新作を聴くと中々面白いものがあると思う。
重たくざらつきまくったギターの音色はダークなクラストを感じさせる。ただクラストにくくるには速すぎる感じがある。勢い重視の曲展開、そしてその短い曲の中にアイディアが詰まっており、高速⇄低速を始めとして展開が目まぐるしく変化する。なんとなくカオティックハードコア感が感じ取れる。なんというか神経症患者がConvergeを早回しでプレイしている様な激烈さがある。カオティックハードコアというと凝りまくった展開という要素でもってともするとインテリジェンスかつアーティスティックに走ってしまう傾向もあるもんだけど、このバンドに関してはそこら辺の装飾性は皆無であくまでも曲の勢いを殺さないというか、むしろ色々やっているのにスピードは増している様な印象すらある。メタルの正確無比を突き詰めた結果の非感情的な残虐性とは無縁で、怒りを筆頭に日々の感情を2分そこそこの曲にむりやり詰め込んだ様な音楽性。例えばスピードアップして正気じゃない人間の日記を読んでいる様な訳の分からなさとそして無類のかっこよさ。エモバイオレンスというのはなるほどこういった音楽性なのか。確かにエモい。
この間紹介したYacopsaeのトリビュートにも参加していたLeonieのボーカリゼーションもいよいよ映えて良い。掠れまくったハスキーボイスで終始叫びまくっているのだが、これが重たく速く金属質な演奏の波にぐわーっと乗っているかのように聞き手に迫ってくる。Svfferの音楽は巨大な波が崩壊しつつこちらに迫ってくるような勢いと恐ろしさの予感がある。ラストが少し長めで(といっても3分台だけど)余韻を残して終わるのも非常に良い。何回でもリピートしてしまう。

という訳で短いスパンでいりリースされた今作も素晴らしいものでした。
気になっている人は是非どうぞのオススメ音楽。

2015年11月8日日曜日

Yacøpsæ/GÄSTEZIMMER

ドイツはハンブルグのパワーバイオレンスバンドのMCD。
2015年に同郷のPower It Up Recordsからリリースされた。
Yacøpsæは1990年に結成された3人組のバンドで、1stアルバムのタイトルが「パンク糞食らえ、これはパワースピードバイオレンスだ!!!」という素晴らしいバンド。その音楽性は徹底的に苛烈なのだが、The Cureのカバーをしたり、「Pop-Punk Alienation」というカバーアルバムではNirvanaやEverclearのほぼほぼ原曲に忠実なカバーを披露したりとなかなかマイペースというか、面白いバンドである。私は彼らの膨大な音源をたまーに買う程度だがとにかく元気が出るので大好きだ。とにかく曲が短くて一つの音源に沢山入っているので、シャッフルで聴いているとYacøpsæ率が非常に高いのが私のipodなのだ。
そんなバンドが結成25周年を記念したのがこの音源。全部32曲なのだが扱いとしてはMCDになっている。まあ16分しかないからね。だいたい1曲30秒ないです!最高だ。タイトルは日本語に訳すと「ゲストルーム」。(ちなみにジャケットはぼろぼろに壊れきった廃墟の建物でこれが俺たちのゲストルームだ!といわんばかりのユーモアセンスが良い。)どういう事かというと全32曲すべてゲストボーカルを迎えて歌ってもらっているのだ。その面子が豪華絢爛で最近新作がTwitterでも絶賛されているSvffer、この間来日した大御所Capitalist Casualties、イタリアのグラインドコアCripple Bastardsなどなどなどなどと本当にそうそうたるもの。ドイツだけでなくアメリカ、イタリア、インドネシアと色んな国のバンドマンたちがゲストで参加している。(ブックレットには丁寧に彼らの思いが綴られている。)この手のジャンル好きな人ならこの面子が集まって一つの音源が出来ている事に驚きを隠せないのではなかろうか。

でやる事と言ったら全く容赦ないショートカットチューンの32連続である。
ぎゃりぎゃりした低音を強調したギター。伸びやかで唸る様なこれも低音のベース。終始ブラストしまくるドラムといういつものYacøpsæがまさに嵐の様な演奏を披露。演奏面で言うと音質もあってかやっぱり結構メタリックに聴こえる。(ただアティチュードは完全にハードコアのもの。)素直に終始突っ走る曲、曲間にスラッジパートを取り入れた曲、終始ドゥーミィなノイズを聴かせる鈍足な曲などなど短い中にもまず様々な曲のバリエーションを見る事が出来る。バンド結成して25年が経っているというが日和ったところは一切なし。このバンドに限って言えば音源と技術が向上している分進化しかしていないんじゃないかなと思える。すげえ事だ。
そこに多彩なボーカルが乗る。まず男と女(女性ボーカルかなり多い。)があるからそれだけでも聴いていて楽しいし、デス声、ハードコア声、金切り声、シャウト、妙に伸びのある歌声と色々なものがまるでおもちゃ箱やーってくらいに矢継ぎ早に飛び出してくる訳でこれが楽しく無い訳が無い。
個人的にはYacøpsæは明るいバンドだと思っている。例えば超名曲「Frost」のように度を超した激しさの中に暗い憂いを持っている事曲も沢山あるし、一般の人が聴いても決して明るいとは思わないだろうが、ハードコア特有の気持ちの良さとい明快さがあってそれが無邪気でカッコいいのだ。怒りや悲しみだってそのストレートさに胸が空く様な気持ちになるわけでこっちが元気の無い時だってすっと入ってくるエクストリームな音楽。今回はその気持ちよさが友情とリスペクトとユーモアでもって倍加されている様な印象がある。初っ端から童謡からはじまるんだもの。彼らがふざけているとしたら全力でふざけているのであって、それが聞き手には楽しいのである。笑われてるのではなく、私たちを笑わせているのである。

Yacøpsæはとにかく音源の料が莫大なのでバリエーション豊富という意味で初めてYacøpsæを聴く人には意外に良いんじゃないかなと。(後はいくつか出ているベスト盤かな?)とにかくストレートに胸に突き刺さるハードコア。同じ様な取り組みでこの間紹介したTeenage Time Killersの音源があったんだけどあれを振り切ったのがこっちという印象。とにかく度を超しているのにそれがきちんと成立していて、しかも滅茶かっかいいのがすごい。オフィシャルサイトによると限定1000枚らしいので是非どうぞ。この手のジャンルが好きなら絶対勝手損はしないと思いますよ〜。短さもあってか私はすごく沢山聴いています。超オススメ。
視聴が見つからなかったので名曲Frostで。

2015年11月3日火曜日

Dead Fader/Glass Underworld

イギリスはブライトン生まれで現在はドイツ・ベルリンにて活動するJohn Cohenによるインダストリアルテクノユニットのミニアルバム。
2015年にRobot Elephant Recordsからリリースされた。
タイトル通り焦土としかいいようがない無慈悲なインダストリアル世界を提示した2014年発表の「Scorched」は衝撃だった。ボーカルが無い電子音楽でここまで凶暴な音楽を帆湯減できるのかと打ちのめされたものだった。しかし同時に発売した「Blood Forest」では一転してドリーミーでアンビエントな世界観を模索するという思考の多様性を魅せていた。そんな彼が2015年になってからは同じくRobot Elephant Recordsから「HYP30」、「Sun Copter」というEPを立て続けにリリース。「Blood Forest」方面をさらに突き詰めるという音楽活動に今は熱中しているようだ。前述の2枚に続いてリリースされた本作もほぼ同じベクトル上にあり、さらにその音楽性を進めた内容になっている。

こちらにのしかかるような極端に歪められた重低音ノイズはいかにもDead Fader節なんだが、そこにのっかるうわものに関しては音数の少ない余韻はあるが澄んだ音であってこの前者と後者の対比が独特の音世界を作り上げている。
どの曲でも中心にあるのは微妙なメロディなんだがあまり饒舌ではなくて、かすかなフレーズがひたすら反復される。どれも残響が意識され、ある程度の広さのある空間に放り出された音が余韻を残して消えていく様な儚さがあって、ここが好きだ。
その脆弱なフレーズを囲うのがお得意のインダストリアル要素なんだが、こうなってくると彼の独壇場というか、元々ノイズが上手いので、ミニマルさの中でも微妙に変化し続ける変幻自在さ(というかちょっとの居心地の悪さと言うか不穏さというか)がどの曲でも非常に活きて来ている。たしかにドリーミーなんだか、微妙にしみ込んでくるノイズが曲の雰囲気を刻一刻と変容させている。
インダストリアルさとアンビエント性が混ざり合わずに一体化した、というと変な表現なんだがこの音の共生関係が大変面白い。周りを囲う音は音量抑えめにしてあるから自然に粗野な音に挟まれた、フレーズが生きてくるという構造でアンビエントというには正直なところ音の数は多めなのだが、ある程度数のあるからこそ沁みてくる寂しさもあるものだなと感心。
個人的には1曲目がその方向性を一番分かりやすく突き詰めたもので白眉の出来かなと。
Dead Fader好きなら是非どうぞ。
ちなみにほぼ同時にTouchin'BassというレーベルからはDosage EPというインダストリアル路線の音源を出していてこちらもすこぶるカッコいい。ハードな路線が好みの方はチェックしてみてください。

2015年9月6日日曜日

Downfall of Gaia/Aeon Unveils the Thrones of Decay

ドイツはハンブルク、ベルリンそしてアメリカはニューヨークのメンバーが在籍するネオクラストバンドの3rdアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。
発売は去年だしネオクラストと言えばマイナー界隈では良く目にするジャンルでなんで今更という感じだが、このバンド日本のTokyo Jupiter RecordsとLongLegsLongArmsという二つのレーベルが共同でぶちあげた来る11月に開催されるその名もTJLA Festのヘッドライナーで来日する事が決まっており、慌てふためいて買って来たのが私なのである。完全に後追いも良いところで恐縮です。

さてこのバンドは2008年に結成されてメンバーチェンジがありつつも現在は四人体制でやっているという事。「アイオーンが腐敗の王を暴く」と中々物々しいタイトルでもってどちらかというとデスメタル感さえ漂う。
いざ再生ボタンを押すと結構驚いた。ネオクラストというと私はほとんど素人であるからどうしても最近聴いたKhmerだったり、同郷のAlpinistだったりをなんとなく頭に浮かべていた訳なのだが、それれのバンドとは共通点はありつつも相違点がデカく、そこに圧倒されたのであった。まず曲の尺が極めて長い。インタールード的な曲をのぞけばだいたい8分から11分くらい。ハードコアでこれだけの長さとなると真っ先に曲の速度を著しく落としたスラッジが頭に浮かぶし、(Metallumでもアトモスフェリックスラッジと称されている)なるほど速度を落としたスラッジパートも盛り込んでいる。ただアトモスフェリックという形容詞があるように汚いズルズルとしたスラッジ感というよりはポストロック、ポストハードコアを通過した轟音の中にも寂寥とした荘厳な美しさを感じさせる、そっちの方の要素が強い。そしてそのスラッジパートもあくまでもパートとしてなので全編低速で無声な訳ではない。要するに曲がドラマチックなのだ。展開が複雑という意味である。前述の通りポストハードコア感が強いのだが、しょっちゅう出てくる荒々しさは確かにクラストのもの。激情という言葉が上手く彼らのイメージを補完する訳なのだが、私はその荒々しさの先頭に立つ様なボーカルの恐ろしさにビックリしてしまったのである。掠れまくったそれはブラックメタル感を感じさせつつもそこにとどまらない異様な存在感を放っている訳で、一言で言うならおっかないな、という感じでただただ圧倒されたのだった。
ところがむむむという感じでイマイチ掴みきれなかったこの音源も、2回3回と聴いていくとその本当の姿がやっと見えて来た。それは徹底的に荒廃しつつもどこかしら幻想的な雰囲気のある音風景である。まったく制約があってのアートワークは今や中の音楽と完全に一体となっている様な気がするのだが、印象的なジャケットは良くこのバンドの音楽を表現している。暗くて荒涼としているがどこかしら詩情のある風景だ。何と行ってもこのバンドは演奏が劇的。ドラマチックという言葉がぴったり。同じネオクラストでもLight Bearer方面。(ネオクラストとか全然知らない頃に「Lapsus」を買った。)あくまでもバンドサウンドの形でしかも暗くて重い方に完全に舵を切っているのによくもここまで豊かな曲を作れるものだと思う。それこそポスト感の漂う停滞した様なスラッジパート。クリーンな余韻がたまらないアルペジオ。一点ブラックメタルそこのけのトレモロの嵐感。静と動はやはりこの手のジャンルのお家芸だが、クラストバンドがそのフォーマットでポスト感を完全に飲み込んでしまうとは結構な驚きである。(ポスト感横溢しているもののあくまでもクラストフォーマットに則っている様な。)個人的にはドラムが回すように勇壮なマーチっぽいリズムを刻んで2本のギターが切ないトレモロを奏でる2曲目の最終部分は白眉。

良い意味で予想と違った内容で驚いた作品。とにかく荒々しく劇的。来日するわけだしこの機会にまだの人は是非どうぞ。オススメです。

2015年8月16日日曜日

Alpinist/Lichtlaerm/Minus.Mensch

ドイツのミュンスターのネオクラストバンドの1stアルバムと2ndアルバムをくっつけた編集版。
2011年にSouthern Lord Record Recordingsからリリースされた。
2000枚限定で私が持っているのは999番。ぞろ目でなんか嬉しいです。
バンドは2007年結成。ネオクラストの文脈で語られるバンドで私は完全に後追いですがディストロの紹介で視聴したらかっこ良かったもので購入。

2ndアルバムLichtlaerm(2010)は「明るい騒音」1stアルバムMinus.Mensch(2009)は「マイナス。人間」という感じではっきりとはしていないもののなんとなーく彼らの姿勢というが見える様な気が。このアルバム2枚目が頭の面白い構造(普通は時系列に並べるのかな?と思います)なんですが、スパンが1年という事もあり路線も同じなのでそんなに違和感無く聴けます。
FBのジャンルには重たく低く速く遅く暗いハードコアと書かれており、この説明だけでだいたい好きなヤツだなと分かりますね。
クラストを土台にした呵責の無いハードコアなんだが、同時に滅茶苦茶ドラマティックで爆発寸前の激情っぷりに涙がちょちょぎれるタイプの叙情性を持っている。終始喧しいのにここまで感情込められるのが不思議なくらい。
空間を真っ黒に塗りつぶすタイプのハードコアで徹頭徹尾容赦ないが弦楽器が奏でるメロディが疾走感と相まって非常に気持ちがよい。
ドラムはハードコアっぽくズダズダ突進するタイプだが、結構転がすようにタムを回したりして手数は多め。
ギターが暴れる分低音を一手に担っているのかとにかくベースがごろごろ存在感を出してくる。
ギターはどっしり重たい低音で嵐のように左官屋のように塗り籠めてくる塗り壁タイプで、不協和音っぽい高音だったりアルペジオだったり、遅いパートては単音つま弾いたりでで雰囲気だしてくる。とにかくメロディアスに弾き倒してくるのでボーカル以上にギターが歌っている印象。低音リフからの高音トレモロが泣ける。
ボーカルは激情系な絶叫タイプが主体で終始シャウトしっぱなし。血管切れないのだろうかとこっちが心配になってくる。たまに出てくる低音ボーカルも彩りを添えて大変良い。
スローパーともふんだんに取り込んでいるものの基本は疾走するハードコア。かなり極端なジャンルには間違いないのだが、なぜこんなにも感情豊かなのか。ストイックさ、そして全身全霊さ。一番最後の曲、1stアルバムの「Outro」を聴けば分かるのだが、このイントロの曲の中には荒々しさの中にもポストロックを彷彿とさせる空間的な広がりと、音の厚みが重なって作られるアンサンブルが強く意識されている。ボーカルなしのただのアウトロと侮るなかれの魅力がぎゅっと詰まっていて、ここにこのバンドのすごさをかいま見た。小器用さ、ひけらかしとは無縁のバンドだが、無骨な音楽性をささえる圧倒的な表現力の豊かさがギラリと光る。彼らの言葉は血が通っている故に聞き手に対して説得力があるのだろうと思った。

ある程度聴いていると結構なれてくるのだが、曲の終わり引きずる様なフィードバックノイズでこのビリビリ震える様な重低音を再認識する様な感じでまさに圧倒的な余韻。

2000枚限定でBandcampはあるもののデジタル販売はやっていない様なので気になる人は速めにゲットしておくのが良いかと。

2015年4月26日日曜日

フェルディナント・フォン・シーラッハ/犯罪

ドイツ人の作家による短編小説。
2009年に発売されるや否や人気を博し、既に全世界33カ国で出版されて発行部数をのばしている。日本でも2012年に複数の賞の1位や2位を獲得している。
版元は東京創元社という事で私も結構前から読みたかったのだが、今回文庫化されたというタイミングでようやっと買ってみた。
作者のフェルディナント・フォン・シーラッハは実際にドイツで刑事事件を扱う弁護士として働いており、今作はそんな作者の経験を生かした”創作”である。なんでも家柄が良いみたいで祖父はナチ党全国青少年最高指導者だったようだ。親戚も弁護士だったりなんだったりするようです。

この本にはタイトル通り犯罪を扱った11の短編が収められている。一つの犯罪に付き1章でそれぞれは独立している。主人公「私」は弁護士をしており、11の犯罪に関わっていく。
犯罪小説というと銃であったり麻薬であったり、大量であったり猟期であったり、国家的な陰謀であったりととかくフィクションでは話が大きくなりがちであるところだが、この本に出てくる犯罪というのは窃盗、殺人、死体遺棄などおどろおどろしくも正しく日常の延長線上にあるもので、犯罪者たちも不良や職業犯罪者はいるものの普通の人たちである。著者は序文でこう書いている。私たちは薄氷の上にいてたまに氷を割って冷たい水の中に落ち込む人もいる。幸運にも落ちない人もいる。この本に出てくる犯罪者たちの境遇というのは隣にあって、何かあれば私たちもそこに落ち込んでしまう事があるのだと言っている訳である。彼が弁護士として様々な犯罪を目にし、自分でも関わって来た分説得力のある言葉で、説得力のある物語が紡がれている。
人が犯罪に走るのは何故かというと理由はあるだろうが、この本では環境的な要因に焦点が当てられている。勿論同じ状況でも犯罪を犯さない人はいるだろうから最終的には人の資質によるところもあるのだろうが。どんな状況で人は犯罪を犯すのか?気になるところである。「大人しい人でとてもそんな大それた事をするとは…」ニュースで何度も目にする言い方ではないでしょうか?
弁護士は基本的に依頼人の味方であるから、この本は警察小説は明確に違って善悪というのと真相というものからは一定の距離がある。どうしても犯罪者本人の言質に弁護士は左右されるからで、それがどんなものであってもできる仕事の範囲が決まっているからだ。これは非常にミステリアスな結果を小説に生じさせていて、本当は結局どうだったのだ?となる短編がいくつかある。ちょっとぞっとする。
作者の文体というか書き方は面白く、登場人物とくに犯罪者たちの何を考えているか心のうちを描写する事は無い。ただ動作などの機微で案に心情を描写している。これも人の心がどんなものなのかってことは分からない、というスタンスに因っているからこそのものだと思う。一番の味方だが何を考えているのか弁護士だって分からない。本当は何が起こったのかも。さてそんな感じで淡々とわかりやすい言葉で書いている。比較的簡素でお話自体も短い。しかしそこの人の人生がぎゅっと凝縮されているようだ。簡潔な言葉で人の人生が必要あればその生い立ちから書かれている。そこには楽しみがあり、悲しみがある。面白い事もあれば嫌な事もある。そんな思いだったり、どうしようもない外部の出来事だったりが原因で人は犯罪に走っていくのである。私たちはそこに自分の人生の一部を見いだし、そしてちょっと恐ろしくなるのだ。これは自分かもしれないと。

話題になるのが納得の面白さ。作者の本はまだいくつかあるのだが、文庫化まで待てないかもしれないな。面白い小説を探している人は是非どうぞ。読みやすく面白い。それでいてよ見終えたら自分の人生について色々考えずにはいられないと思う。とても良い本です。

2015年3月21日土曜日

Svffer/Lies We Live

ドイツはビーレフェルト(もしくはミュンスター、ベルリン)のハードコアバンドの1stアルバム。
2014年にドイツのPer Koro Recordsからリリースされた。私はデジタル版をBandcampで購入。
2014年ベストアルバムに上げる人も多かった話題のアルバム。いま検索したら日本でも沢山レビューされていてその人気を再認識してビックリした。まあ話題になっているし〜位の気持ちで買いました。すみません。

バンド名はSuffer(苦痛)のuをvにしたのかな?字面通り尖りまくった攻撃的なアルバム。ジャンル的にはグラインドコアかパワーバイオレンスになると思う。所謂クロスオーバーな音で分類が難しい。ただ個人的にはハードコアが根底にあるバンドだろうと思う。ブラックメタルやネオクラストの文脈というか影響もあるそうな。
要するに速くて重たい音楽。ドラムはブラストしまくり。ギターはブリッジミュートを多用しないハードコアタイプでとにかく弾きまくり。ベースはゴウゴウした固さのあるこれもハードコアタイプ。ボーカルは女性で終始吐き捨て型の完全ハードコアタイプ。しゃがれていてドスのあるわめいている割にキンキンしていない。
全体的に荒々しさがあって、そこがハードコア由来というイメージを際立たせている。よそ様のレビューでも引き合いに出されているが、Convergeと似ているところがある。喧しい事この上ないが、影のあるメロディが随所に仕込まれているところも似ている。
個人的にどうかというとギターがメロいと思う。曲が馬鹿みたいに速くてメロいのだからこれが受けないはずは無かろう。何がすごいてやはり攻撃性が少しも損なわれていない事だろう。この手のバンドでは良く激しさとメロディアスさが同居されているが、このバンドは激しさ一辺倒かつ抒情的なのだ。矛盾しているようだが、ブラックメタルとか好きな人は多分何となく分かるのではなかろうか。ボーカルは派手だが、あくまでもメンバーの一人なのでギターがメロディを引き受けているのだと思う。しかもずっとめろめろしている訳ではなく、場面によってはメロい。テクニカルだが技巧自慢にならないタイプでとにかくフレーズのバリエーションが豊富で、低音を主体に飛び道具的な高音リフ、グルーヴィで跳ねる様な中音リフと忙しく弾く割には煩わしくない。(よくよく聴いてみるとベースも結構色々弾いている様な気がする。)ずるい。

というわけでこりゃあ話題になるはずのクオリティ。五月蝿い音楽が好きだ!という人でまだ聴いていない人はいますぐどうぞ。超カッコいいです。

2014年6月22日日曜日

Dead Fader/Blood Forest

イギリス生まれドイツ在住のインダストリアル/ノイズアーティストの2ndもしくは3rdアルバムのもう片方。
こちらの方はRobot Elephant Recordsから2014年にリリースされた。
この間紹介した「Scorched」は1stアルバムからさらに装飾を削ぎ落とした、ぶっといビートにノイズの塊を乗っけるというシンプルかつ破壊力抜群の焼け野原のようなアルバムだったが、同時にリリースされたこちらのアルバムはかなり様相が異なる。

土台となるビートは音が分厚く太いものだが、それほど歪められていない。音の数がまし、より細かく刻んでくる様なスタイル。シンバル、ハイハットの音も多くはないが入ってくるようになった。ブリブリしたDubい悪夢めいたベースラインもその鳴りを潜めている。
過剰な装飾性は皆無だが、やや分かりやすさの増したビートに空間的に広がりのあるシンセ音が乗っかる。音の境界が曖昧で反復性があり、聴いていると妙に夢見心地になってくる。まるで霧のの用に空間を埋め尽くす様なドローンめいた持続音も異界めいた雰囲気を曲に付与するのに一役買っている。
一見インダストリアル/ノイズというよりはかなり硬質なエレクトロニカと言ったところか。とはいえ過剰なドラムンベースな訳でもない、やはり持ち味であるシンプルさでもって、当たり前のように美麗なメロディは皆無。
しかしたまに入る怪獣の雄叫びのような歪んだベース。手数が多く軽快ながらもノイジーなビートは確かにDead Fader由来。
聴いているとこう思う。なるほどこれは確かに「Blood Forest」だ。「Blood Forest」って何だ?それは分からないが「Scorched」は悪夢のトンネルのようだった。Dead Faderはその音楽でもって聴いている人をどこかに連れて行こうとしている。つまり別の世界を作ってそこに没入させようとするのが彼の試みである。いわばもう一つの悪夢である「Blood Forest」はもう一つの世界に比べれば硬質ではない。暖かみすらある。ジャングルのように湿気がある。常にピンク色の霧に覆われている。見たことも無い植物が独特のリズムに合わせて踊っているように見える。視界が利かない。一人っきりの酔うなきもするし、たまに何か他の何かが霧の向こう側にいる気配がする。居心地が良いのか悪いのかは意見が分かれるところだろうが、私はとても楽しい。そう、楽しい。一見不穏で感情の振れ幅が狭いように思えるが、よくよく聴いてみるとこれは結構なダンスミュージックのように思えてくる。妙にずれた陽気さというのがあって、それは奇形的だが見た目で判断してはいけない。ぶっきらぼうな中の優しさみたいのがあって良い。

どうなるんだ?という期待と不安で聴いたもののこれはすごい良いじゃん。
大衆性といったらこっちの方に軍配あがるんじゃないかなと思う。
変名ではなくDead Fader名義で出すあたりに、彼のメッセージが込められているように思う。つまり結果があって筋道が沢山あるのがDead Faderなの、かもしれない。
面白いテクノ聴きたい人はどうぞ。