2016年4月24日日曜日

Cobalt/Slow Forever

アメリカはコロラド州デンバーのブラックメタルバンドの4thアルバム。
2016年にProfound Lore Recordsからリリースされた。
Phil McSorleyのソロプロジェクトにErik Wunderが加わる形でキャリアがスタート。2003年に前身のバンドから名前を変えて活動。2009年までにアルバムを3枚リリースしたが、ボーカリストであるPhil McSorleyはアメリカ陸軍に所属しているためかその後の活動は停滞。(wikiをみるとバンド活動初期から軍人として生活しているようだ。)2013年に新しいアルバムの制作がアナウンスされるが、その後2014年にPhil McSorleyが脱退を表明。Erik一人バンドになってしまったがLord MantisというバンドのCharlie Fellをボーカルとして迎えた。CharlieはLord Mantisを脱退しているから引き抜いたのかもしれない。んでもって発売されたのがこのアルバムという訳。
私は彼らの3rdアルバム「Gin」はかなりお気に入りのアルバムだったのでうひょーとばかりに購入。

基本的な音楽性は前作から変わらず。標準からすると長めの尺でアバンギャルドな要素のあるブラックメタルを演奏している。
ギターの音質が特徴的なバンドでひたすら低音を意識する昨今の流れとはそぐわない、どちらかというと中音域を強調したソリッドかつ敢えて厚みを削ったカミソリの様なもの。高音を強調するとプリミティブ感が増すから中々面白い選択だと思う。このアルバムでも勿論健在。いわば攻撃性よりブラックメタルの禍々しさを表現しようとするバンドなのだが、前作のアルバムのアートワークにもヘミングウェイを大胆に用いてくるあたりからも分かる通り、その表現の仕方はかなり独特。ひたすらトレモロでつっぱしる訳でもなく、うねる様なリフが特徴で展開もやや複雑。前作ではJarboeをゲストにかなり大胆に女性ボーカルをフィーチャーしていたりした。今作は多分ゲストボーカルはいないんだろうが、ボーカルの無いパートをかなり長めにとったりとその実験性は損なわれていない。
実験性と行ってもその過激さの欠如の良い訳にしている感やよくわからない水増し感は皆無で、分かりやすいクリーンパートを導入すること無く不気味さの演出にフルでその才能を発揮している。一見非常に取っ付きにくい印象なのだが、疾走するパートに独特にフックがあってカッコいいこと(これは前作からの流れ)、それから例えば9曲目なんかはそうなんだが妙に哀愁のあるメロディをギターが奏でて来てとても様になっている。後者の方はブラックメタル界隈では珍しくない手法なんだけどCobaltとしては正直結構な新機軸だと思う。その他一切優しい印象が無い音楽なので結構効果的に利いていると思う。曲も長いのでこういったパートがあるのは個人的には嬉しい。

正直初め聴いた時は悪くはないのだけど前作に比べるとな〜と思ってしまったのだが、ボーカルの差異がなれてくればやはり良く練られた曲の巧みさが素直に耳から頭に入ってくる。素直に良いアルバムだと思う。特に中盤、7曲目「Cold Breaker」から後の流れは中々どうして素晴らしい。最後の曲だけちょっと他の曲からすると浮いているのが面白い。個人的にはボーカルは意識的に前任の声質にあわせようとしているのだろうが、もう少し高音より中音域を意識した自前の歌い方の方がその良さを出せるかも、と思う。そういった意味でも早くも次作に期待感。
アヴァンギャルドといってもかなり真面目に制作されたアルバムだと思う。やはりカッコいいな、とため息が出てしまう。オススメです。

2016年4月23日土曜日

Graves at Sea/The Curse That Is

アメリカはオレゴン州ポートランドのドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2016年にRelapse Recordsからリリースされた。
なんとなく視聴して気に入ったのでデジタル版を購入。
1stアルバムだがバンドの結成自体は2002年。途中休止をはさみつつEPやスプリットをリリースしつつ待望のという感じでフルアルバムがリリースされたようだ。現在は4人編成だが、結構メンバーの変遷があったようで一時期はNoothgrushのNukaga Chiyoさんもドラムで在籍していたとのこと。

アルバムの方は全8曲で76分という、どう考えてもドゥームな内容になっている。
パワーで押し切るモダンな圧殺ドゥームというよりはクラシックなドゥームメタルに敬意を払ったオールドスクールな音が土台になっていると思う。影響を受けたバンドにBlack Sabbathを挙げている。
重々しいが金属質でどことなく埃っぽい質感のある音で、とにかく伸びのあるギターリフが曲を引っ張っていく。裏で這うようにもっこりした音質で厚みをくわえていくベース。音の数より一撃一撃を意識したタメのあるドラム。そしてかなり特徴的なボーカル。かなり掠れた様な質感で、なんなら女性の金切り声ぽい甲高いわめき声をメインに中音〜低音まで結構幅広い。
アートワークからもうっすら感じさせるのだが、暴力性第一位というよりは魔術めいた怪しさが光るバンドでとくに甲高いボーカルと反復的かつ複雑性でもって呪術的な雰囲気から同じドゥームメタルバンドのYobに似ているな、という印象。ともにサイケデリックな要素が多分にある。ただしこちらの方がYobに比べてまだこちらの世界にとどまっている印象の分取っ付きやすいのではなかろうか。Yobが高みに登り上げて悟りを開いていく様なイメージなら、こちらは降下して次第に地獄に迫っていく様な感じ。長い尺もあって中々の拷問具合だが、ストリングスやアコースティックギターを大胆に導入していたりして中々飽きさせない作り。全体的に黒一色に染まりきらない灰色といった風景でもって、想像力をかき立ててくる。フィードバックノイズもこういった風景にはよく似合う。

決して取っ付きやすい音楽性ではないが、ドゥーム好きならすっと受け入れられるのではなかろうか。Yob好きな人は是非どうぞ。

Weekend Nachos/Still

アメリカはイリノイ州シカゴのパワーバイオレンスバンドの4thアルバム。
2013年にRelapse Recordsからリリースされた。
「週末のナチョス」という変わったバンド名で(ナチョスはメキシコ料理)で、FBをみるとタコベルとWhite Castle(調べるとアメリカのファストフードチェーンのようだ)が好きだよ、と書いてある。おそらくふざけているのだろうが、その音楽は真剣そのものである。
元々Pig DestroyerのScott Hullが編集したコンピレーションに収録されたのが切っ掛けでその名を知り、激しい音楽性をやっているのに「静寂」というアルバムをしかも何ともエイ内深い味わいのあるアート枠でリリースするとは…と気になってはいたのだが、そのままになっていた。このバンドなんと2016年に解散すると事前にアナウンスしており、最終アルバムをリリースするタイミングでの世界ツアーの一環として日本にもライブに来るという。(このライブについてはこの間感想を書いた。)なんとそういうことならと今回アルバムを買った次第。

音の方としては完全にハードコアで、高速と低速の間を神経症的に往復する激しいものでまさにパワーバイオレンス!
ほぼほぼ1分位の曲が全部で12曲21分。
スタスタ疾走するテンション張ったタムが気持ちのよいドラム。
ハードコアらしく硬質な低音でゴロゴロ唸り上げるベース。
金属的な触感を持つ重みのあるギター。
欠陥切れそうなボーカルは終始咆哮。勿論メロディもへったくれもあったものではなく、甲高いシャウトは神経症的だ。ハードコアなドスの利いた吐き捨て型との使い分けもとても良い。たまに入る男臭いコーラスも高揚感を煽ってくる。
文字開局の中でもグラインドコア顔負けの獣のように疾走する激速パートと、ためのある重苦しいリフが印象的なスラッジパートを巧みに織り交ぜてくる。いわば完全に殺しに来ている音楽だが、5曲目などは「I don't give a fuck」と叫ぶ自暴自棄めいた激しさの中にもギターのメロディアスさがキラリと光ったりする。メタル方面にありがちな無慈悲さや禍々しさとは無縁で、もっと背中で語る様な哀愁がある。それは猛スピードでぶっ飛ばした後の、放心した様なスラッジパートによりよく良く表現されている。例えばクラスト勢が一見近寄りがたい雰囲気の中にその激情を隠し持っているあの感じに少し似通っているものがある。ただしこちらの方が圧倒的に無骨だ。

呵責の無い音楽性なのだがライブだと、音の迫力はさらに増すのに断然暖かい雰囲気になるのはとても不思議でそこが面白いところだ。もちろん音源だけ聴いてもとても素晴らしい。
パワーバイオレンスが聴きたいんだけどな気分で未だの人は是非どうぞ。

トレヴェニアン/シブミ

アメリカの作家による冒険小説。
トレヴェニアンというのは勿論筆名で正体を明かさない覆面作家だったようだ。(実際はこの人では?と当たりをつけられていたみたいだが。)残念ながら既に鬼籍に入られている。
冒険小説では有名な作品で作者の死後、同じくアメリカの冒険・探偵小説家であるドン・ウィンズロウがこの作品の前日譚を書いており、ドン・ウィンズロウ好きな私はそこからこの作品を知って興味を持ち、今回読んでみた。

ユダヤ系アメリカ人のハンナは1972年のミュンヘンオリンピックのテロ事件で殺されたユダヤ人たちの報復をすべく、彼女の叔父が組織した報復組織ミュンヘン・ファイブに加わった。しかしあらかじめ当局に動きを察知されており、目的地に向かう経由地であるローマ国際空港で仲間2人が殺される。命からがら逃げ出したハンナは叔父から繋がりのある引退した凄腕の暗殺者であるニコライ・ヘルの元を訪れるべく、バスク地方に向かう。ニコライは数々の困難な暗殺をこなした伝説的な人物で、シブミを希求する一風変わった男だという。

「シブミ」というタイトルは勿論日本語の”渋み”を指している。複雑な出自を持つニコライは戦時中日本で暮らしその文化に大いに感化され(戦後は西洋化した日本に失望してその地を早々に去った)渋い男になるべく日々鍛錬に励んでいる。洞窟探検が趣味の変わった男で隠棲者か求道者といった趣がある。禁欲的だが性的には先進的だったりしてまあ大分変な人である。まずはこの特異なキャラクターが気に入るかどうか、なのだが当初私は結構厳しかったのである。
作者トレヴェニアンは相当真面目な人のようでとにかく世界を股にかける暗殺者が活躍する話を書くにあたって相当勉強している。CIAを始めとする当局側の(闇の)組織を通じて、国際情勢の経済的・政治的な動きを書き、地理的にはスペインに属しながらも独特の文化を育むバスク地方の豊で美しい景色を肌で感じられそうなほどリアルに描く。何より「渋み」をタイトルに参照するくらい日本の文化についての造詣が深い。戦時中のアメリカの軍事戦略・軍事的行動を相当痛烈に批判して、桜の花の美しさを解するトレヴェニアンという人は中々どうして日本を理解し、そして日本に優しい。
しかしどうしてもトレヴェニアンが描くニコライ・ヘルは好きになれなかった。いわば悟りを開いた状態なのだろうか、生まれた時から異常なまでな落ち着きと知性を備え、人を殺すという覚悟とそれを体現できる体躯をもち、異常に冴え渡る緑色の瞳が印象的な外見によって、同姓には一目置かれ、異性にはもてる。困難な暗殺をこなし伝説になった後早々と引退し、田舎で日本風庭園の造作にいそしむ。というまさに完璧人間。男が憧れる男を体現した人物で、私はこういう人物を見ると憧れるというよりは、なんとなく物寂しくなってしまう。どうしても中年男が考えた理想像を見せつけられているようでゲンナリというか冷めてしまうのだ。例えばこの間感想を書いた「暗殺者グレイマン」も同じ縁説的な暗殺者を書いたが、グレイマンは非人間的な技能と引き換えに、あるいはその決定的な要因として地味すぎる外見を付与されていた。ほとんどの人は彼の顔を憶えていないし、まあ女性にもてない訳ではないだろうがグレイマンは暗殺者としての誇りが高いので持てようと言う気は皆無だ。要するにグレイマンは何となく生きていてその魅力はしかと私に伝わった。ニコライ・ヘルの場合はそう出なかった。外見なのか?ひがみなのか?というと実はそうでもない。ニコライ・ヘルは思想的に完結していて、自分が最高であることを知り、他者を見下している。(ニコライの賢さを他者が説明するという体裁の情婦や情報斡旋者との会話はさすがに読んでいてきつかった…)なるほど確かに頭が良く、他者を圧倒する才能を持っているのだが、寛容ではない。考えてほしいのだが、渋い男を思い浮かべたらその人は優しくないだろうか?優しいというのは一つは寛容であるということだ。寛容というのは他者の多様性を認めるということだ。自分に対して反省を持っているということだ。ニコライにはそれが無く、そして私的にはその要素は決定的にシブミには必要だと思ったのでそこで齟齬が生じてしまった。ただしこのニコライのいわば傲慢さと冷徹さに関しては作者は意図して作成しており、劇中でもはっきりと日本人の養父からそういわれている。いわば好みの問題なのだろう。
結構きつい物言いになってしまったがじゃあ面白くなかったのか?というと実は面白かった。なぜかというと完璧人間であるニコライが中盤以降でその鼻っ柱を折られ、ぼろぼろになり反撃に転じるのである。必死なニコライはそれまでの味方を覆らせて中々に魅せられた。この構成に上手いなあ〜と思わず唸ってしまった。トレヴェニアン、中々に読者を煙に巻く作家のようだ。一筋縄では行かない。彼の思うように手のひらの上で転がされてしまった気分である。
というわけで冒険小説が好きな人、日本にも関わりがある作品なので興味を持った方は是非どうぞ。

2016年4月17日日曜日

Khmer Japan Tour2016@新宿NineSpices

ネオクラストというジャンルがある。
恥ずかしながら私はいくつか搔い摘んだだけでそれが一体どういったジャンルなのかははっきりせつめいすることができない。言い訳する訳ではないがまだこれからのシーンなのだと思う。そんなシーンをずっと追いかけて、いや応援しつつなんならそのシーンの発展に寄与しようというレーベルがある。AkihitoさんとYasuさんが運営する日本のLongLegsLongArms(通称3LA)がそれである。海外の音源を仕入れて売るにとどまらず自らレーベルとしても国内外(!)のネオクラスト音源を発表し続けている。そんな中でネオクラストの歴史の中で一つの里程標的なバンドであるスペインのIctusのメンバーが新しく始めたバンドがKhmerである。前述の3LAでもいくつも音源をリリースしているこのバンドがいよいよ来日ということで私もその初日に足を運んでみたのである。
金沢のThe Donorはメンバーの体調不良ということで出演がキャンセルとなったのが残念。ただ代わりに非常に良い出会いもあった。
場所は新宿の9spicesというライブハウス。初めて行ったのだけど横に広くて開放感があるし、客としてはステージがとても見やすい。奇麗だし良いところでした。今回なんとライブハウスのご好意もあってツードリンク代のみという破格のお値段で見れた。ありがとうございます。

いつも通り押っ取り刀で駆けつけると(ライブハウスの道順案内を見ていながらご多分に漏れず道に迷った。)一番手Vertraftが始まったところ。
Vertraft
自らをTOKYO BLACK SIDE SOLUTION HARDCOREと称するハードコア。カオティックハードコアを通過して激情性を盛り込んだかなりブルータルなハードコア。がっつりタフなハードコアとは一線を画す内省的な陰鬱さを激しさに昇華させた印象。カオティック/激情の要素はあるのだが頭でっかちでにはならないあくまでも直感的なイメージで知的なポスト感でもったいぶる(ちょっと悪口に聴こえてしまうがポスト系も好きです)ような小細工はなし。ボーカルの人のMCはリスペクトにあふれていて良かった。

Gleamed
The Donorの代役を急遽つめることになったバンド。まず第一印象はメンバーが皆さん若い。ギタリストは本当大学のお兄ちゃんみたいな感じでおおおと思っていたら、鳴らす音の方はこの日一番ブルータルだったのではなかろうか。Agnostic Frontのカバーも演奏していた通りオールドスクールな先人たちへのリスペクトを感じさせる音楽スタイルで、キャッチーさ、コマーシャルさ(例えば分かりやすいモッシュパートなどもその範疇だろう)とは一切無縁で叩き付ける様な無骨なハードコア。高速と低速を極端に行ったり来たりするところはかなりパワーバイオレンスで、いわば伝統に則った最先端という感じだろうか。滅茶カッコいい。私はかなりやられてしまってカセットを購入。そろそろ私はカセットプレイヤーを買わないといけない。

Redsheer
3番手Redsheer。沁みた。別に奇を衒ってRedsheerは癒し系なんて言わないけどやはりこのバンドの音は不思議と心の琴線を揺らしまくる。枯れていることなんて全然なくてむしろ間合いに入ったら刺し違えて殺されそうな、絶命しているのに首だけで噛み付いてくる狂犬の様な、そんな殺気に満ちた様相のあるバンドなのに不思議だ。2曲目の「Silece Will Burn」でもう完全に正気ではいられない。陰鬱なヘヴィネス、重量感とコード感のある美しいギターの音色を黒く塗りつぶしていくコールタールの様な粘性の音。それに浸食されるのはひたすら気持ちがよい。披露された新曲も静からの動、いやさ慟哭ででもって素晴らしく心が揺さぶられた。この時点では正直今日一番はまちがいなくRedsheerでしょと思ってしまった。そのくらい良かった。一つ難点としてはもっと曲数多かったら良かったな。

Sekien
極東の日本でネオクラストを鳴らすバンド。間違いなくこのジャンルだと日本の旗手に経つのがこちらのバンドでは無いでしょうか。正式な音源のリリースは未だ(正確にはこの日初めて発売開始された。)なのにもかかわらずその名は轟いている。これがマッチョ苦戦に伸びるおっそろしいハードコアだった。前のGleamedもブルータルだったがこちらはもっとクラストっぽい。ハードコアパンクをもっと正統進化させたような。ただこのバンドの勢いというのは常軌を逸していてひたすらまえへまえへ突進していく。徹頭徹尾呵責の無い疾走性で持って駆け抜けていく。ボーカルは野太い方向で滅茶カッコいい。一見孤高な音楽性で客もおいていきそうな取っ付きの悪さなのだが、これがフロアが盛り上がること半端無い。MCもないし本当無愛想なんだけど、まさに曲で魅了するわけでフロアの盛り上がりは相当なものだった。あっつい。最後の曲?かなコーラスが本当高揚感やばくてフロアもさらに点火した。

Prize of Rust
「錆賞」というバンド名は皮肉が利いていてカッコいい。「Regret&Progress」を掲げる東京のハードコアパンクバンド。ごりごり感と叙情性をあくまでもハードコアのフォーマットで表現するバンドだと思った。ツインボーカルで疾走するハードコアでちょっとPoison the Wellを彷彿とさせる。PtWのようにクリーンパートがある訳ではないのだが、同じように激しさとそれと相対する様な憂いの感情を曲に込めているのだ。ここら辺のバランス感覚は非常に良くてともすると悲しくなりすぎる曲を攻撃性の横溢したハードコアの形式で鳴らすものだから、うっぷんを晴らすにはもってこいの音楽になっている。ベースの弦が切れてSekienの人のベースに持ち替えて(ましたよね?)演奏してなんだかそれは卑怯なくらいカッコいいなと。

Khmer
ラストは勿論スペインネオクラスト総本山Khmer。これがね〜本当にね〜、前述の通りRedsheer越えるのはナインじゃないですか〜?くらいの気持ちで臨んだんですがそれが裏切られることに。この日一番だったのは恐らくあの場にいた皆さんも頷いてくれるのではなかろうか。
1曲目が始まった瞬間フロアが飲まれた。勿論期待感も大きかったし、前の素晴らしいバンドのかたがたが場を暖めていたということもあるのだろうが、やはりKhmerの実力がすごいのだろうと思う。ブラックメタルを巻き込んだ壮大な音楽性をクラストのシンプルなフォーマットで鳴らす、その音楽があっという間に客をみんな持ち上げた。点火されたフロアの気温が上がって人が飛んだ。そして1曲終わってKhmerのもう一つの魅力に気づいたよね。それは特にボーカルのMarioがそうなんだけど圧倒的に楽しそうに演奏すること。Marioの笑顔ったらないぜ!本当に!なんて楽しそうに歌うのだろうか。決して明るい音楽じゃないし演奏はシリアスなんだけど、とても楽しそうに演奏する。伸びやかに手が伸ばされる。それが見ている人たちの心臓をぐっと掴む。素晴らしいよね。人に伝播するポジティブさというのを目の当たりにして猛烈に感動した。ライブにほとんど行かないけどきっとこれがこの高揚感と一体感(この一体感の前には個々人の感動があると思うんだ)が、ライブの醍醐味の一つなのではないだろうかと。ほぼ1曲毎に「アリガトウ」というMarioそして拍手する私たち。突き上げる拳の何と楽しいことか。終始人が飛びまくり、跳ねまくり、そのほとんど皆が笑顔。アンコールも2回。あっという間に終わってしまった。

という訳で本当素晴らしかったライブでした。未だ迷っている人がいたら是非!!足を運んでみることをお勧めします。

さて楽しいライブが終わり、帰る道すがらレーベルが今回のツアーのために用意したブックレットを読んだ。敢えて紙のフォーマットで出したレーベルの意向もあるし(なにより売り物だってものもあるんだけど)あまり内容には触れないんだけど、行って、見て、楽しかった、次の外タレ、というライブにならないようにしたいという3LAの思い入れがビシビシ感じられた。その内容はメンバーへのインタビューを盛り込んでKhmerが一体その音楽を通して何を考え、そして伝えたいのか、ということにも目を向けてほしい、そういうことだと私は思った。実はライブの途中でもMarioが「自然はとても大切だ。私たちは自然を破壊している。それは遠回しに自分たちを害することになるんだよ」と言っていた。(私の英語理解力は破滅的なので間違っていたら申し訳ありません。)そんなシリアスな一面がMarioのインタビューを読むとよくわかる。3LAは他の音源でも丁寧な歌詞の和訳を付けてくれる。こちらももっと読んでみようと思う。
それからMarioがインタビューの中で影響を受けた音楽の一つにnine inch nails、そして影響を受けた本にセリーヌを挙げていた。双方ともに私がそれぞれのジャンルで一番すきなアーティストなのである。とても嬉しかった。

2016年4月14日木曜日

Pump Up the Volume WEEKEND NACHOS JAPAN TOUR 2016@初台Wall

前々から気になってたWeekend Nachosが解散前に日本に来るというのでミーハー根性丸出して足を運んできました。初台Wallは初めて結構小さいけどその分距離感近くて良い感じ。
ハードコアのライブってのはほぼ行ったこと無いと思うんだけどとにかくメタルと違っておっかない印象があって怖かった。行ってみるとオシャレな人(帽子率高し)やガタイのいい人がいっぱいいてやはりハードコア…って思ったりしたんだけど、あれ?意外にフレンドリー?な雰囲気。3時開場でわたしはおっとり4時前に到着すると一番手のOtusが終盤に差し掛かったところ。

Otus
4人組ハードコア。若い!
ベースの音がガロガロしていてハードコアのライブに来たぞという感じ。
3曲しか聞けていないけどミドルテンポで迫ってくるタイプ。
メタリックな音質もあいまってブレイクダウンでずんずん来るのは割とモダンなイメージ。

Low Vision
ボーカルの人が背が高く、トップを残して剃りあげた頭でとにかく動きまくる。(ちなみにドラムの人も直立したりして動きが派手。)でもってハードコアならではの格闘技を思わせる動き。人を上がらせるならまずは自分からを地で行くスタイルで見ていて楽しい。
曲を始める前にどんな気持ちで作った曲かを説明してコールする。
これは門外漢の私には嬉しかった。フロアももちろん盛り上がる。
とにかくドラムの音がでかい。めちゃパワフル。ハードコアなんだけどとにかく速い。ボーカルはまくしたてるように言葉を吐き出していってちょっとだけファストコアっぽいなと思った。

Endzweck
お目当ての一つ。
もっと後ろの出番かと思っていたらすっと始まっていた。
さあこのEndzweckがなかなかすごかったです。
さきの「Tender is the Night」の感想でも書いたのだが、割とストレートかつシンプルな(ハードコア)音楽、という印象だったのだがライブで聞いてみると印象がかなり違う。
もちろん複雑や何回というのは全く無いのだが、曲が深く、そして言葉以外の面で非常に饒舌。前の2バンドがわりと感情をもろに押し出してくる攻撃型の音楽を演奏していたのでその対比もあるかもしれない。envyのような激情っぽいポストハードコアとストレートなハードコアの橋渡しする様な、そんなイメージ。勿論シンプルかつストレートなので冗漫さは一切なし。MCも非常に敬意を払いつつもさっぱりしたもの。
とにかく一口にシンプルといってもその裏には厚い層があるのだというのと、音源とライブはやはり違うのというのが個人的にはおもしろい驚き。もっと長いライブをじっくり見たいです!

Saigan Terror
アンプのトラブルが合ってギタリストの人が場をつなげてくれます。これがなんとも言えない味のあるシモネタを交えたもので会場がゆるい雰囲気に。
しかしトラブル解消して曲が始まると超強面のスラッシュハードコア。ギャップがスゲー。ボーカルの人が恐ろしすぎる。ザクザクしたリフにドスの利いたハードコアボーカルを乗せるオールドスクールなもので否が応でも体が動く。ミドルテンポで本当に体を動かすのに最適な音楽という感じで、低音だけでないギターの高音パートは良いブレイクになる。ハードコアだとボーカルの人が手をグルグルして客を煽るのがあるのだな。

Coffins
唯一ライブを見たことのあるバンド。完全にメタル。それもアングラ志向。ハードコア要素は個人的にはあまり感じられなくてそういった意味でも面白いラインナップだったともう。ベースの音が硬質なものから太くて広がりのある音に変わり、メタルだな!と実感。曲の方は重たくスローでドゥーミィなデスメタル四面楚歌かと思いきや会場の盛り上がりはもの凄かった。ファンの人だけでなくハードコアフリークも魅了していたと思う。別に場の雰囲気の媚びる訳ではなくまさにCoffinsだなという感じだった。バンドの持つ骨太さがガッチリハマったのかなと思う。ボーカルの人がたまにいれてくるデスくない声は格好いい。

Abigail
名前しか知らなかった。調べてみるとブラックメタルということ。正直なところボーカルのイーヴィルな声質以外はそこまでブラックメタル成分は感じなかったかな。音も五月蝿いんだけど結構開けた感じでアングラ臭はあまり無し。ノリを信条としたロックンロールなスラッシュメタルという感じ。同じイベントだとSaigan Terror
のスラッシュ分をもっとメタルよりにした感じ。こちらもどちらかというとオールドスクールという感じでやはりハードコアファンたちのハートをがっちりと掴んだようで盛り上がりがすごかった。MCはほぼ皆無で曲名をコールするのみ。それもイーヴィルな声でやるもんだからかっこ良かったな。最後はSodomのカバーで締め。

Fight It Out
続いては横浜のハードコアバンド。ボーカルの人はがっつり入れ墨が入っていて相当恐ろしい。音の方も相当恐ろしい。というかここからうるさかった音のレベルがさらに上がった印象でまさに「ボリュームあげろ!」を地でいく地獄絵図に。
色々なバンドが出ていたしすべてのバンドが凶暴さとも言うべき攻撃性を持っていたが、一番それらがピュアに出ていたのがこのバンドではなかろうか。スピードは低速から高速まで幅があるもの基本はかっちりいやがっちりとしたハードコア。これがハードコアだ!と言わんばかりのタフさであった。フロアもステージに向かってぎゅっと圧縮され、人が飛ぶ跳ねるで大変な騒ぎであった。マッチョというよりはやはりタフという感じ。とげを向けてくるブルータルさというよりは観客を攫ってうねらせる音の波で暴力的ながら気持ちよいことこの上無し!

Primitive Man
アメリカはコロラド州デンバーのスラッジ/ドゥームメタルバンド。その名も原始人。まずはギターボーカルの人がデカすぎる。(というか三人組でみんなデカいんだけど。)殺陣にも横にもデカいし、ドレッドヘアだし、見た目のインパクトはばっちり。
鳴らす音は凶悪の一言でほぼほぼノイズと言っても良いくらいのトーチャースラッジ。叩きのめした様なリフはあった苦の数は少ないはずなのに、デカすぎる音量のフィードバックノイズでまさに安堵の息をつく暇もない真綿で首締め系の音でほぼ物理的に観客を圧殺しにかかってくるスタイル。ボーカルは低音で「ぐおー」とうめくスタイルでこれは歌詞とかあるのだろうか、と朦朧とした頭で考えていた。今風に追加の機材ノイズを散らすことは無いので逃げ場が無い。そんな壁の様な低音の厚さに酩酊しているとたまに言をこする様なノイズが不思議な開放感を持って聴こえるから不思議だ。「アリガト!」なMC
は何故か和む、不思議。

Weekend Nachos
アメリカはイリノイ州シカゴのパワーバイオレンスバンド。
目まぐるしい高速と地獄のような低速を行ったり来たりするエクストリームなバンドでライブでその威力は何倍かましになっていた。まず音がデカいのはそれとして、全部がそこでならされている生々しさに満ちている。ノイズは飛ぶし、バランスも足し算的に音の質と量が増していっている。正確さにはかけるのだろうが、特にこういった音楽の場合は圧倒的に迫力が増す。こんなに速かったっけ?こんなに迫力あったっけ?と呆然とする、暇もない訳で。音の渦に飲まれてひたすら楽しい。激烈さという意味ではPrimitive ManとNachosがずば抜けているが、前者と違ってこちらは陰惨ではないんだよね。とにかく高揚するし、体は動くし、拳は突き上げたくなる。演奏中はそれこそ緊張感半端無いし、人はこの日一番飛んでいたんだけどとにかく一体感とともに寛容でポジティブな雰囲気があって居心地が良かった。ボーカルJohnのあったかいMCもそんなムードを作り出す一因だったんだろうと思う。ただやっぱり演奏は本当すごかった。会場全体の雰囲気を一気に変えた。こんな激しい音でこうも一体感がでるものか、と感動。

というわけでハードコアを基調としながらもメタル色も出し、終わったのは22時ごろと結構な長丁場でしたが全9つどのバンドもばっちりハマるという非常に楽しいイベントでした。

2016年4月9日土曜日

ジョーゼフ・ヘラー/キャッチ=22[新版]

アメリカの作家による小説。
早川書房70周年のハヤカワ文庫補完計画の一環として復刊された。言わずと知れた名作らしいのだが、表紙がオシャレだな位の感覚で購入。(めちゃかっこいいよな)ところがこれがすごかったのです。

第二次大戦中アメリカ空軍に所属するヨッサリアン大尉はイタリアのピアノーサ島に配属されていた。ヨッサリアンは死にたくなかった。とにかく死にたくなかったので仮病を初め様々な手練手管でとにかく飛ぶ事を回避しようとした。自分は狂気に陥った振りをする事もした。狂気に侵されたものは前線からはなれる事が出来るからだ。しかし自分の狂気を証明できるという事はその人は正常であると判断されてしまう。また他人に自分の狂気を判断させようとしても彼らが全員狂気に陥っているので彼らはヨッサリアンの狂気を証明する事が出来ない。なぜなら彼らは狂っているのであり、その判断には正当性と信頼性が無いためだ。結果ヨッサリアンは戦地からはなれる事が出来ない。これがキャッチ=22だ。気まぐれな上官たちが規定の出撃回数を増やしていく中、ヨッサリアンを始めとする部隊の面々は正気を失っていく。それでも本国には帰れない。

ヨッサリアンとは聞き慣れない名字だ。ヨッサリアンは軍服を着るのが嫌なので裸で歩き回っている。ヨッサリアンは身の危険を感じて常に反対向きに歩いている。ほかにも妙に変な名前の隊員たちがいて、彼らは配給される酒をちょろまかしたり、軍の飛行機を使ってサイドビジネスを始めたりする。「キャッチ=22」は軽妙な文体で書かれているユーモア小説である。隊員たちの会話はどこかとぼけていて噛み合ない。とくにおうむ返しの妙のようなものがあってとにかく会話そのものが面白い。兵士たちはそれぞれ個性があって良いヤツ悪いヤツというよいうよりはそれぞれ個性的だ。粗野で酒を飲み、下賜休暇ごとにローマにいって女を買う。
「キャッチ=22」は愉快な小説だ。本文の中ではキャッチ=22は陥穽である。体制が兵士たちを延々戦わせるための方便であり巨大な罠だ。そしてこの本「キャッチ=22」もそれ自体が罠だ。面白さにかまけて読み進めているとあなたは深い井戸の中にいる。この本の核の部分は実は毒だ。猛毒だ。ジョージ・オーウェルの「1984年」は言わずと知れた名著である。ディストピアを描いた人類への警鐘だ。つまり先を見ているのが「1984年」だとすると、「キャッチ=22」で描かれているのは既に進行中の地獄である。つまり人間の文明はとっくにクソに浸かっている、少なくとも前線で戦う兵士たちはすでにその状態にあるという事をジョーゼフ・ヘラーは甘くて愉快なオブラートに包んで私たちに笑顔で手渡したのである。この本の構成はすべて彼の計画であったに違いなく私たちは面白い小説を読んでいるはずが、とんでもない文字通りぶん殴られる様な衝撃を被る事になる。「キャッチ=22」には善と悪が無い。生きるか死ぬかで、(ひとまず)生が肯定されているから明確に反戦小説である事は間違いない。安全なところにいる上官のつまらない維持や権力争いのため死地に赴かされる下級兵士たち。金のためには自陣すら爆撃する事をいとわない親友。死すべき大義、面白い事にはこの本ではそのような言葉は一回も出てこないのではなかろうか。ここでの死は敢えて言うならすべて滑稽で馬鹿げている。ヨッサリアンの心に深々と刺さった少年兵の死。鬼気迫る描写に私は嘘ではなく通勤途中の車中で足が萎えそうになった。(私は血とか苦手なのだ。)彼は一体何のために死んだのだろう。軍隊は彼は國のために戦って死んだというのだろうが、果たしてそうなのだろうか。そしてよしんば国の、大義のために戦って死んだとしてそれが個人にはどういった意味があるのだろう?ヨッサリアンは言う。
「敵というのはな(中略)どっちの側にいようと、とにかくおまえを死ぬ様な羽目に陥れる人間すべてを言うんで、それにはキャスカート大佐(私注、味方の大佐)も含まれているんだ。そのことをおまえ忘れるなよ。長く憶えていればいるほど、それだけおもえは長くいきられるんだから」
よってヨッサリアンにとって自陣にいようと回りには敵視界無く、彼らが自分を殺そうとするので彼は後ろ向きに歩くのである。殺されたくないから、軍隊に嫌気がさしているから軍服を着ないで素っ裸にいるのである。
下巻のクライマックス、徹底的に破壊されたローマの町を彷徨するヨッサリアン。ローマは地獄と化していた。爆撃によってではなく、ひとそのものが堕落しきっているのだ。ヨッサリアンは地獄巡りをする。戦場が地獄だと思った。理不尽な命令を下す上官たちがすべての地獄の現況だと思っていた。しかしこの様はどうだろう。帰るべき家ははじめっから地獄の様相を呈していたのだ。私は暗い物語は大好きだが、徹頭徹尾ここまでくらい話は中々読んだ事が無い。ヘラーは人類に絶望していたのだろうか。
私は暴力と無益な争い毎が嫌いなので戦争には反対だった。というかほとんどの人は戦争反対だろうと思う。でも戦争反対!と単純に叫ぶには疑問があった。なぜかもう少し考える必要があると常に思っていた。今でもその疑問は解けないのだが、「キャッチ=22」を読んで少し思うところもあった。私は死にたくないので戦争には行きたくない。殺すのはもちろん嫌だけど、その前に死にたくはないのだ。意味があっても無くてもただ死にたくはない。私は臆病者だと常々思っているが、改めてそれでもそう思ったのである。

戦争という巨大な何かが、よくわからない、という人がいたら是非この本を読むべきである。そうでない人でも今生きている人は読んだ方が良いと強く思う。

Gadget/The Great Destroyer

スウェーデンはイェヴレのグラインドコアバンドの3rdアルバム。
2016年に御馴染みの激音レーベルRelapse Rrecordsからリリースされた。
1997年に結成され2枚のフルアルバムをリリースしたがそれ以降活動が鈍化してしまい2010年にリリースされたPhobiaとのスプリット以来6年ぶりとなるフルアルバム。2ndアルバムである「Funeral March」殻数えると10年!恐らく活動を休止していたのだろうと思うのだが。メンバー自体は少なくとも2004年の1stアルバムの時から変わっていないようだ。

私はもうなんでこのバンドを知ったのか分からないのだが、アルバムは2枚とも持っていて(「Remote」は実はボーナストラックを追加した日本盤が出ていてこれをもっている。ボートらはかなりカッコいい。)、今でも結構良く聴く。要するに好きなバンドだったので活動再開と新音源リリースは素直に嬉しく、個人的に期待値もとても高かった。
ほぼほぼ1分台(例外もある、後述)の曲で固められた楽曲はブラストビートをふんだんに取り込んだまさに純正のグラインドコアスタイル。ハードコアの要素は勿論あるのだが、どちらかというとデスメタルが速さに振り切れた様な重厚な音楽性である。
今作でもそのスピードと攻撃性を一切落とす事無く、さらに研ぎすませた作品になっている。思いながらも尖ってシャープ、金属的なギターの音が非常に特徴的。個人的には結構こもっていた2ndよりはクリアになっていて好印象。そして1stより重たい。リフに関してはひたすら突っ走るその音楽性もあってトレモロというかミュートをあまり使わないドリルの様なもの。速く短い曲の中でも印象的なフレーズを贅沢に使うのが彼ら流で、ふんだんに盛り込まれたフレーズがカッコいい。
ボーカルも低音と高音(選任ボーカルと確かドラムの人のはず)2種類あるのもグラインドコア的には一つのかっこよさの典型である。ちなみに今回のアルバムにはそんなスタイルの始祖であるNapalm DeathのBarney Greenwayがゲストで参加している。
さてGadgetの特徴の一つで私が大好きなのが速度を落とした曲が毎回アルバムに何曲か(決して多くないのだが)入れて来てスラッジの要素を感じさせるそれらの曲が滅茶良いのだ。今回も数は少ないがそんな曲がいくつか入っていて、牛歩スラッジというよりはギアをいくつか落とした様な作りなのだが、Gadgetの持つ曲のメロディアスさ、鈍く光る地獄の片鱗の様な陰鬱さの結晶がより濃く表れていて素晴らしい。
とにかく環境表現が豊かで音質と曲はデスメタリックだが、これでもかというくらい感情的なのは結構ハードコア的なのかもしれないな。よくよく聴いてみると怒り以上の感情もとけ込んでいる様な趣があって心が高揚する。

という訳で期待を遥かに大きく上回る素晴らしい内容にリピートが止まらない。とにかくこの手の音のが好きな人に非常にオススメなので是非是非聴いていただきたい。これからも精力的に活動してくれる事を切に願う。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/あまたの星、星冠のごとく

アメリカのSF作家による短編集。
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは同じ短編集の名作「たった一つの冴えたやり方」しか読んだ事が無い。今その本は表紙がオシャレなものに変わっているから、読んだのは結構前だと思う。
有名な話だがジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは筆名で本当はアリス・ブラッドリー・シェルドンという女性作家である。CIAで働いていたという事もあってデビューしてから10年弱くらいは性別は明らかにされなかったそうだ。(wikiによると本意ではなかったのだろうがある出来事から女性だという事がばれてしまった形だそうな。)認知症の夫を打ち殺してその後自分も自殺したという末期のエピソードもとても衝撃だ。この短編集はそんな彼女の死後1年経ってから刊行された最晩年の作品集。原題は「Crown of Stars」だから「あまたの星、星冠のごとく」という邦題はなかなか印象的だ。(どうでも良いがSFは良いタイトルの本が多いな。一番好きなのはスタージョンの「君の血を」かも知れない。)
全部で10の短篇が収められている。一つは非常に短いものだが他は結構分量があって読み応えがある。異星人、タイムリープと扱っているガジェットもあって内容的にはほぼSFだが、ハードさはさほどでもない。あくまでもガジェットはさらっと、当然あるかのごとく存在しているように書かれている。タコ型の宇宙人が地球人と邂逅する「アングリ光臨」、神の死をきっかけにサタンがかつて追放された天国に弔問に行く「悪魔、天国へ行く」、寓話風のおとぎ話のような文体と雰囲気で書かれた「すべてこの世も天国も」などは軽妙と言って良いほどの陽気さ、面白さがある。
一方で薬物中毒の離脱体験を極めてリアルに描いた「ヤンキー・ドゥードゥル」(この話はSF的な要素は表に出てこない、薬には実際にモデルがあるのではと思わせる程克明だ)、貧富の差が天と地のように開いたディストピアを描く「肉」、なんと地球に恋をし、”彼”とのセックスを熱望する女性を描いた「地球は蛇のごとくあらたに」などはとにかくシリアスである。
明るい話も、暗い話もかける器用な作家である事は間違いないが、後書きでも指摘されているが一見明るい物語でも実はくらい未来が暗示され、何とも言えない陰鬱さは陽気さの影に見え隠れする。どの作品でも暗示される未来は概して暗く、ティプトリーはとにかく人口が増えすぎることが人間文明の荒廃や衰退を導くと思っていたのか科学的計画的な人口抑制がいくつかの作品でテーマになっていると思う。「アングリ光臨」は一見心温まるファースト・エンカウンターものだがどうしてもこの緩やかに衰退していく人類の姿が隠せずその穏やかな語り口の背後に横たわっている。「地球は蛇のごとくあらたに」は性的描写にちょっと辟易してくるとだんだんと女性の狂気が肉欲以外に向いてくるあたりで俄然面白くなる。良い意味で読者の期待は裏切られる事になる。そういった意味でこれはタイトルが非常に良い。この作品では地球はストレートに崩壊に向かう事になる。一方「死のさなかにも生きてあり」は個人の世界の崩壊を描いている。鬱病にかかったやり手の投資家である主人公は銃口をくわえて自殺してしまうのは作者の未来と重なる。その後彼が奉公する死後の世界は何とも滑稽であると同時に”死んでしまうくらいつまらないこの世界”が死後もずっと付きまとうという一つの地獄が描かれている。主人公が捕われるのは作中では「リンボ」(言わずと知れた辺獄)であると表現されている。つまりこの世はすでに「リンボ」であるとティプトリーは、そんな風に思い至っていたのかもしれない。

ゴージャスな邦題通り、キラリと光る多彩な作品が収録されたこの短編集はまさに星をリちりばめた様な宝石箱だが、その底には毒蛇が潜んでいる。その箱に手を突っ込めば私たちはいつの間にか知らず噛まれた毒が回っている、そんな趣がある。説教臭くないので非常に読みやすい。未来は暗い。そして人間が園も自体に希望が無いのかもしれない。そんなSFが好きな人は是非どうぞ。

2016年4月8日金曜日

東雅夫編/文豪山怪奇譚 山の怪談名作選

題名通り山の怪談を集めたアンソロジー。
ホラー界隈では著名なアンソロジストの東雅夫さんが編集ということで買わないという手は無いなと思い購入。印象的な表紙は鉛筆で書かれたもの。珍しく単行本を買いました。

版元は山と渓谷社というところで多分買うのは初めてではなかろうか。ホームページを見るとかなりガッチリした山とかアウトドア関係の出版社らしい。ところが黒い本というシリーズで山にまつわる怪談を収録した本を何冊か出していて、この本もそんなシリーズの一環ということのようだ。
そんな山専門の出版社なので東雅夫さんも気合いばっちりの本気なラインナップになっている。作家陣の一部を抜粋すると岡本綺堂、宮沢賢治、太宰治、泉鏡花、平山蘆江、柳田國男、そして個人的には夭折の作家としても有名な村山槐多が入っているのも素晴らしい。ホラーというジャンルにくくられない、というかむしろいずれも文壇で活躍し、現在も読まれている様な超一流の作家ばかり。彼らのホラー、しかも題材が山にまつわる、というくくりだからこれだけで相当贅沢な一冊である事がわかる。タイトルの「文豪」というのも納得のラインナップ!
私は恐がりのくせに怖い話し好きでネット上で匿名で書かれる怪談サイトも良くのぞいたり、最近は動画サイトでそんな怪談の朗読を聴いたりして楽しんでいるのだが、山の怪談というのは結構な人気コンテンツでそれらをまとめたサイトなんかもあったりして、もう会談の中では立派な一ジャンルのようだ。海の怪談というのも勿論恐ろしいのだが、山はやはり怪談に向いている。というのも山は以前人間にとって異界だからだ。私も昔山に登った事があるのだが(見事に高山病にかかり非常に苦しんだ)、幽玄なという形容詞がくるくらいに平地とはかけ離れている。登り始めは傾斜のついた斜面くらいの気持ちだが、まず人がいないし(当たり前なのだがやはり都会に暮らしている人からすると結構な驚きがあるものだよ)、そのくせに生き物の気配が目に見えないのにするのである。標高が上がれば天気はすぐに変わるし、植物の数も減って殺伐としてくる。ゴロゴロ岩が転がる風景は何とも渺茫としていて寂しいけれど、高山植物の咲かす花が何とも美しい。要するに静寂であるのに生が横溢していて、心休まるのに同時になんとも殺伐とした一面のある不思議な空間(と時間)なのだ。幽霊というのは超常的なものだから都会の真ん中に怪異を現出させるのは結構難しいと思う。要するに舞台装置が必要になってくる訳で、それが夜だったり、廃屋だったり、はたまたピラミッドだったりする訳だ。そうなると一つの巨大な謎の空間である山中というのはやはり怪異が現出するのにこの上なく適している。
村内界に幽霊、妖怪、そして人間たちが暮らしているのがこの本。
村山槐多は熱情に浮かされたラブクラフトのようなくどい文体がやはりたまならい。この人はやっぱりどこかで変態っぽい。熱に浮かされているようでとにかく常に全力という感じ。未完で終わっているのが残念にならない。
泉鏡花はやはり凄まじい。この文体の美しさは何だろう。何度も分を読み返してしまうからちっとも進まないのである。この上なく幸せだ。山、花、美女と着てのラストがこの上なく美しく切ない。ちょっとだけ坂口安吾の「桜の花の満開の下」に似ているところがある。舞台装置と登場人物(といっても要するに男女2人だけなんだけど)、そして圧倒的な視覚的豊かさ(美しさ)そして胸を打つ優しい切なさ。
切なさという意味では太宰治の短篇も素晴らしい。まずはこの擬音語の豊かさ、そしてその楽しさよ!山奥に暮らす親子2人がもはやおとぎ話である。ちっちゃい女の子スワ、彼女に対して私は一体どういう気持ちを抱けばよいのか読み終わった今でも分からない。そして底が素晴らしい。
暗黒版夢十夜といった趣の中勘助の一連の散文もまさに別世界へのチケットであった。

という訳で非常に楽しめた。ホラー、しかも怪談には目が無いという人には勿論文句無しに読んでいただきたいし、このラインナップにピンとくる文学好きな人も是非!なオススメの一冊。