2017年3月26日日曜日

Break The Records presents War for Peace Vol.5@新宿Antiknock

日本は姫路のネオクラストバンドsekien(赤煙)が解散後、メンバーが新たに立ち上げたバンドがKUGURIDO。デモリリースでも話題を呼んでいたが、2017年満を辞してBreak The Recordsから、愛知は岡崎のハードコアバンドDIEAUDE(ダイオード)とのスプリット「叫鬥(「きょうとう」と読む)」をリリース。リリースを記念したライブが東京で行われることになった。KUGURIDOはこのライブが初ライブになる。つまり初ライブが地元の外。スプリットはそこまで聴き込めてなかったけど、sekienのライブはすごかったので新宿のAntiknockに見に行ってきた。
Coffinsのあたけさんが言っていたがなんとも形容しがたい取り合わせのライブだった。

NoLA
一番手は東京のNoLA。ライブを観るのは2回目かな。Redsheerとのスプリットリリース以来。改めて見るとその勢いに圧倒される。出している音としてはハードコアなのだろうけど、どうしてもドゥーム/スラッジの泥濘感があるような気がする。バンド名(Nolaはニューオーリンズ・ルイジアナの特定の音楽を指す言葉でもあるので)からの先入観もあるだろうが。しかしフレーズの語尾をだるい感じに引き延ばす感じ、そして何より速度のコントロール、というよりは低速パートはハードコアのそれというよりはスラッジのそれを彷彿とさせる。ただ早いだけではなくてハンマー投げの射出する前の状態のよう。つまり遠心力。思い何かをぐるぐるぶん回す。その楽しさがあるなと思った。ボーカルの人の動きも激しく一番手としてはうってつけのアクトだった。

No Excuse
続いて同じく東京を活動拠点にするハードコアバンドNo Excuse。Break The Recordsから音源をリリースしているらしい。この度初めて聞くし、見る。4人組のバンドでメンバーの立ち居振る舞い、衣装でハードコアパンクバンドだとわかる。調べてみるとジャパニーズ・ハードコアの系譜に連なる音楽を演奏するバンドで、とにかくストレートに攻めてくる。ドラムは勢いのあるD-Beat、ベースの音は尖り、ギターは分厚い中域が強調された温かみのある音であまりミュートを使わないハードコアらしい演奏。ジャパニーズ・ハードコアはとにかく恐ろしい伝統の世界、というような先入観があるのだけどこのバンドを見るととても親しみやすくて曲を知らなくても楽しめた。非常にキャッチー。ボーカルはひたすら叫んでいるのだけど、一つはメロディラインというかコード進行がそれとわかるような軽快なメロディアスさを持っていること。それから熱くそしてシンプルなシンガロングパートがある曲が多いこと。これは盛り上がる。性急な感じのギターソロも多めでかっこよかった。この間音源を聴いたThink Againに似ているけど、こちらの方がシンガロング多めでその代わりボーカルはよりハードコア。だけどむしろNo Excuseの方がキャッチーかも。

Terror Squad
続いては1992年に東京で結成されたスラッシュメタル/ハードコアバンド。私はこの間リリースされた兵庫のSwarrrmとのスプリットを持っているので聞いたことはある。ライブに行くにあたり他の音源も聴いてみようかなと思い、youtubeで調べたらヒップホップユニットのMVばっかりひっかかる。やって見て。
転換の時は明らかにベテランの佇まいだな〜と思っていたけど始まってみたら、めちゃくちゃ熱い。ボーカルの人はNoLAのボーカルと同じくらいアクティブだった。とにかく細かく早く刻むギターがスラッシー。スラッシュメタルだと思ったんだけど、よく聞くとそうじゃない、というかそれだけじゃない。まずボーカル、スラッシュならこんなに顔真っ赤にして叫ばない。そしてベース(ベースの人はMelvinsのバズみたい、もしくはガンズのスラッシュ。)はよくよく聞くとめっちゃグルーヴィ。かっちりしているけど根底にはMotorheadから連綿と続くロックンロールのグルーブがある。この縦横のノリを維持したまま速度を上げると、確かにハードコアっぽくも聞こえるから不思議。初めはギターの音量が小さいかな?と思ったけど次第に良い感じの仕上がりに。拳を振り上げるのが楽しかった。ボーカルの人の笑顔が素敵でした。

Coffins
次いで東京のオールドスクール・デスメタル、Coffins。結構見ている。つなりいろんなイベントに呼ばれているってことなんだろう。この日は割とハードコア色の強いイベントだったけど、このバンドはきちんと自分たちの役割をわかっている。いつも通り徹頭徹尾暗くて重たいデスメタルをプレイ。ただ比較的コンパクトな楽曲をプレイしていたと思う。這い回るような、引きずるようなドゥーミィなリフは間違いなくオールドスクール。重たく吐き捨てるボーカルに全くメロディがないので、剛腕リフをぶん回してそこにグルーブを生み出すバンド。一見全く優しくないのに棒立ちで聞くバンドではないのはひたすらすごい。この日はいつもより高音〜中音域のソロが映えていたように思う。特に中音でうごめくように弾くフレーズは個人的にはツボ。ドラムの人は軽く叩いているように見えるのになんで音があんなにでかくて、そして正確なのだろうか。Coffinsはライブのたびにドラムがすごいな、ドラム…ってなる。

DIEAUDE
さていよいよスプリットの片方、愛知は岡崎のダイオード!4人組のバンドでドラム、ベース、ギターに加えてボーカル。佇まいもそうだが鳴らす音もNo Excuseに似ている。つまりジャパニーズスタイルのハードコア。突進する演奏陣に野太く、男臭いボーカルが怒号を乗せる。No Excuseと違ってキャッチーさはない。シンガロングはあるんだけど頻度が少ないし、初見で乗るのはちょっと難しい。ロックの香りがするギターソロもない。その代わりミュートを多用したり、音の数が多かったり技巧的な「テクニカル」さではないが独特の音づかいをしていた。フロアは盛り上がっている。拳が振り立てられ、体の動きが激しい。私が感じたのは語弊があるかもしれないが「ヤンキー感」である。これは決して悪い意味ではない。そしてダサいという意味でもない。ただ東京で幅を利かせているお洒落と行かないまでも洗練された様式とは明確に異なる。粗野な勢いがある。頭で考えるけど、フィジカルにも重きを置いているようなアティテュードが感じられるような。その勢いというのがこのアウェイの地でも今までの経験に裏打ちされた自信ゆえだろうか、確固たるものとして私の目には何かしらの異質なものとして見えた。ライブを見て面白いのは「なんだか説明できないけどすごいものを見ている」という感動で半笑いになってステージを見上げる時なんだけど、この日はこのDIEAUDEはまさにそうだった。音自体はあくまでもハードコアで奇を衒うことは全然ないんだけど、何か別のものを感じてしまった。

KUGURIDO
続いては播州播磨、つまり兵庫の姫路のKUGURIDO。メンバーがこのバンド結成する前にやっていたsekienはすごかった。khmerの来日で見た時は両者の違いにネオクラストというのは考え方やアプローチであるのかなと思ったものだ。この日のバンドで唯一ボーカルが専任ではなく(ベーシストが歌う)、また唯一バンドのフラッグをステージに飾った。「HIMEJI CITY HARD CORE」と書かれたそのフラッグは東京の地で非常に誇り高く見えた。ドラム、ベース兼ボーカル、ギターの3人体制。この日が初ライブ。
実はこの日一番難しいバンドだったのでは。sekienに比較するとボーカルの登場頻度がやや減ったように思う。代わりにギターの変幻自在さが否応でも目立つ。とにかく1曲の中に多様なリフとフレーズが詰まっている。ただテクニカルかというとそんなことはない。ミュートをあまり多用しないリフはハードコア的だし、ボーカルがぶっきらぼうな分、ボーカルの後ろで、それからボーカルがないパートではそのメロディアスさを存分に発揮している。力強さと叙情性を併せ持つギターと酷薄といってもいいくらい前に進むボーカルの対比、ここはこの日SEとして繰り返しなっていたTragedyに似ている。ただネオクラストに対する回答がsekienだったように、やはりTragedy的であっても決してTragedyのコピーではないということだろうか。異形の新しさが”これから”の期待を煽る、そんなライブだった。

今回スプリットを出した主役の二つのバンドはともに東京から離れた土地で活動するバンドで、やはりどうしても東京のシーンとは違いがあるように思った。そしてその異質さこそが面白さなのでは。逆説的に東京がダサくて地方がクールだ、無論そんなことはない。存在しないユートピアとしての他所ではなく多様性の問題であって、この差異は例えば地方ごとに築かれたシーンの伝統(3la水谷さんより)にその要因を求めることができるだろう。「インターネットで均質化さ」れるとはよく聞くフレーズだが、均質化されているのはあくまでも受取手に過ぎないのではないかなと思った。多様性こそがきっとシーンを活性化させる。それは音楽だけではなく。そんなことを考えて楽しくなった。DIEAUDEのCDとKUGURIDOのT-シャツ(デザインがカッコ良いのよ〜)を買って帰宅。

2017年3月25日土曜日

Fall Silent/Drunken Violence

アメリカはネヴァダ州リノのハードコアバンドの3rdアルバム。
2002年にRevelation Recordsからリリースされた。
1994年に結成されたバンドで3枚のオリジナルアルバム、その他の音源をリリース。2003年ごろに解散したのだが、どうも最近再結成したようで7インチを15年ぶりの2017年にリリース。それが話題になりバンドを知った私がなんとなく買ったのがこのアルバム。新作のEPは聴いていないです。

酒ビンを呷る兵士が運転する戦車(馬で動くやつ)が天使をひいているものや、同じく酔っ払いが酔いつぶれているのかと思いきや自分の頭をでっかい銃で打ち抜いているものなど、なんともファニーかつ不穏なアートワークが大胆に使用されている。タイトルは「酔っ払った暴力」、なんとも嫌な結果しか引き起こさなそうな言葉だ。
中身の方はというとハードコアなんだけどかなりメタリック。90年代〜00年代の音だからもちろんハードコアといえど明確に音楽としてのメタルから影響を受けているのは珍しくないのだけど、このバンドはかなりメタリック。どこかというとギターの音が。艶のあるソリッドな音に仕上げられていて、ハードコア特有のざらついた荒々しさがあまりない。それがとにかく刻みまくる。当時の特有の音の質感もあってスラッシュメタルみたいにグイグイ刻んでくる。グルーヴというかひたすら高速に刻んでくる。勢いがあるのが醍醐味だったスラッシュメタルにしても色々な多様性を技巧でアピールしてきたんだろうから、ここまで極端なのは個人的にはジャンルに関係なく新鮮に聞こえた。どっちかというと速さと重さを追求したオールドスクールなデスメタルっぽさも感じられるかもしれない。そういった身ではメタルの音をハードコアのテクスチャに貼り付けた(コピペって意味ではないです)のかな?って気もする。というのも、まとめて聞くと(デス)メタルっぽくは聞こえないのだ。これはハードコアだなとわかる。ギターがメタリックなのだけど、軽く抜けの良いドラムと、ゴロゴロ尖ったベースはハードコアの香りがするし、何より甲高いボーカルはメタルにはあまりないのでは。メタルのとにかくハイトーンなそれとは違う。声がクリアなので時に非常に幼く聞こえる。順序が逆だけど現行の日本のハードコアバンドShut Your Mouthのボーカルに似ている。メタル要素を「貼り付け」たというのはギター以外もあいまってハードコアでまとめられているから。ミクスチャー感、ごった煮感はあまりない感じ。跳ねるような縦ノリ。速度の頻繁な変更(例えばパワーバイオレンスなど現行の激しい音楽と比べるとその以降は非常にスムーズ)など、ハードコアの醍醐味がこれでもかというくらい曲の中に詰め込まれている。
ここら辺の多ジャンルの要素を取り込みつつ、どこまで行ってもハードコアというのはやっぱりニュースクール・ハードコアという感じがする。
ちなみにアルバムの中でも異色なHeartというバンドのカバー曲「Barracuda」ではバンドのメタリック成分をややユーモアを交えて誇張して表現しているようでそこら辺も面白い。(ただ結構原曲に忠実。)

ちなみにブックレットのノーサンクスリストには「テレビゲーム」とか「Puff Duddy」とかあって面白かった。「アル中」ともあるから結構厳格なハードコアなのではと思う。かなりかっこいい。新作も聞いてみるつもり。

マイクル・コナリー/転落の街

アメリカの作家によるハードボイルド/警察小説。
この作者の作品は初めて読む。面白そうなあらすじと良い評判で購入。

LAPD(ロサンゼルス市警)強盗殺人課未解決事件班で働くハリー・ボッシュ。彼は60歳の定年を迎えたあとも定年延長選択制度により警察で働き続けていた。ある日1989年に発生した19歳の女性の暴行殺人現場に残された血液が前科のある人物のそれと一致することが判明。ところがその人物は当時わずか8歳であった。ハリーと相棒のチューは一筋縄では行かなそうな雰囲気を感じつつ事件に取り組む。しかし時を同じくして警察に対して大きな権力を持つ市議の息子がホテルから転落死を遂げ、市議は因縁のあるハリーに捜査の指揮をとれと直々に指名してくる。政治の絡む事件は複雑だ、頭を抱えつつハリーは二つの難事件に挑む。

ハリー・ボッシュを主人公とした一連のシリーズのなんと15作目!ということだ。前述の通り作者の他の作品は読んだことがない。
とにかく読みやすく、また物語も謎に次ぐ新たな謎といった展開でのめり込ませる求心力は相当。ストーリーが練られていて破綻なくきちんと収まるところに収まる、という警察小説の見本みたいな小説。上下に分かれているが結構あっという間に読むことができた。
じゃあ面白かったかというと実はそんなことはなかった。上巻を読み終えるところまでは楽しいな〜という感じだったのだが下巻を読み進めるうちに頭に疑問符が浮かんでしまった。よくできているがゆえに綺麗に収まりすぎている印象。円熟しきってしまっているような。全ての物語は作為的であるから、だいたい筋があってそれに沿って事件や出来事登場人物が並べられるのだけど、それでも一つ一つはいかにも偶然によって噛み合いつつ、現実と同じようにラストに向かって落ち込んでいくわけなのだけど、この小説はどれもスムーズにいきすぎていてどうにも感動が薄い。明らかに都合が良すぎ。女にモテるボッシュ(なんかめんどくさい女に振り回されて困るそぶりを見せるけどあくまでも女の方がめんどくさいという男臭い書き方)、片親だけど娘と良好な関係を保っているボッシュ、押しが強く仲間思いだが手柄は独り占めにしたいボッシュ(それならそうといえば好感持てるのに)、自分の能力に衰えを感じるけど崇高な正義のためには結局働き続きたい強いボッシュ(やる気がないのが悪に直面して奮い立つならいいけど、能力不足だけどやっぱやるわってどうなんだろう)とにかく主人公ボッシュが強すぎ。別にジャズが好きな家に帰らない父親に対して理解のある高校生の娘がいたって、女にモテても、若い部下が使えなくても、喧嘩に強くても全然良いんだけどそれらが全部のせ!ってなると読んでいるこっちは冷めてしまう。ちょっと前から北欧の警察小説が盛り上がっているけど、ヘニング・マンケルの刑事ヴァランダーシリーズをあげるまでもなく、凄惨な事件とそれを追う刑事の個人的な問題を一緒の直線上に乗っける手法が今では結構メインなのかもしれない。どれもそんな作りだった。この小説だと老年を迎えるハリーにもそんな色々な悩みがあるんだけどどれも本当っぽくない。全部がそうすることで小説が盛り上がるんでしょ?って計算で配置されている感じ。(前述の通りそれ自体は悪くないんだけど書き方がおざなりすぎて本当っぽさがないんだ。)
個人的には警察小説の面白さというのは、善悪という概念に対して絶対的正義の側にある警察官が矛盾を感じつつも、現実的な事件を落着に落とし込まなければならない、というその葛藤にあるわけで、この小説はそれがあんまりない。さすがに一番最後で組織の正義と、個人の正義の対比を持ってきてそこはさすがに抑えてきたか、という感じだったけどそれも技巧的にしか感じられなかった。初めっから正義を盲信しているみたいでなんだかな…という感じ。主人公は色々悩んでいる、迷っている、と書いているのだけど本当の失敗は実はしていない。本当に恥ずかしい思いはしていない。”かっこよさ”の殻に守られていていたい目には合わないようにできている。だから読者の私はそんな彼に共感できないというか、逆に「うげー」となってしまったのである。ひょっとして私は異常に嫉妬心が強くてひたすらイケメンが活躍する話にジェラシーを燃やしているだけなのだろうか?と地頭してしまった。それとももっと凄惨な話でないとぐっとこないのだろうか?

読みやすいからといって面白い小説は限らないんだなあと思った。これが世間一般にひどい小説だとは言わない(個人的にはそう思っているけど)けど、小説というかフィクション、というかノンフィクションでもいいんだけど物語に何を求めるのか、ということで私には合わなかったようだ。ただ非常によくできたうまい小説だと思う(ドラマ化されたり人気はすごいあるみたい)ので、ひたすらおじさんが活躍する物語を読みたいんだ!という人にはうってつけではなかろうか。私はもうこの人の小説はこれだけで良いかな。

V.A./KEEP AND WALK 10th Anniversary Compilation

全国に展開するレコードショップdisk union傘下のレーベルKEEP AND WALK Recordsのコンピレーションアルバム。
2017年に自身のレーベルからリリースされた。
タイトル通りレーベルの創立10周年を記念してリリースされたもの。アートワークはyuvikiri-zukeiことkamomekamomeのボーカリスト向さんの手によるもの。二つ折りになった紙のジャケットとソフトケースに包まれた簡素なスタイルだが、これはおそらく値段を下げてなるべく手に取ってもらおうという意図だと思う。
全部で16バンドが1曲ずつ提供しており、全てが新録音された新曲(未発表曲)ということらしい。非常に贅沢なアルバムで、収録バンドの中には現在活動停止中のものもあるとか。

一つのレーベルが関係のあるバンドの既存曲から選択して行けばそれはレベールのこの植えない名刺になるだろう。このアルバムは全て新曲で構成されてるので過去に加えて現在進行形の現状と未来を提示している意味で面白い。収録バンドは全て国内のバンドというのも明確なレーベルの姿勢が見て取れる。
全部で16曲、バリエーションはあるが軸になっているのはハードコアだと思う。そのぶっとい背骨が一本アルバムを貫いている。面白いのはかなり日本的なハードコアに特化しているなと思う。後半Blindsideから後ろはかなりピュアで攻撃性の高いハードコアが展開されるのだが、それ以外は結構フックのあるバンドが多い。カオティックというとちょっと違って、クリーンボーカルの頻度と重低音に偏向していない音作り、クリーンボーカルの登場頻度、そしてメロディアスさを鑑みると激情ハードコアっぽい。ここでいう激情は例えばOrchidやYaphet Kottoのような始祖的なバンドではなくて、それらを父母に持ちながらも独自の進化を遂げたenvy以降の激情のこと。(私はこっちから入ったもんで激情というとどうしてもenvy...!となってしまうのだ。)歌詞は日本語で乾いた音のハードコアを基調としつつ一旦その曲構成をバラバラに解体して、そこに叙情感をニューススクール・ハードコアとは別の観点から注入して再構成したもの。激しいパートに加えて、アルペジオに象徴されるゆったりとしたアンビエントなパートを対比させる曲構成。ドラマチックかつ空間的でじわっと広がっていくようなドラマティックさ。
と言ってもこのコンピレーションの場合は”哲学”(というよりは衒学と言ったら怒られるかもだけど)的な崇高さを希求するというよりはもっと聴きやすい、聴き手にもストレートに届く、ポピュラーなロックの要素を曲に持ち込んだバンドがおおい。だから非常に直感的に聞こえて、楽しめる。いわば実際的であって「歩き続ける」という前向きなレーベル名、そしてその特色をよく表していると思う。そんな中でも妖しい歌謡曲的な雰囲気をプンプンに放出するマシリトだったり、やっぱり圧倒的に黒いisolate、鋭くシリアスなNervous Light of Sundayなどそんな中にも振れ幅の極端なバンドが同時に違和感なく収録されているのが、コンピレーションの醍醐味という感じ。
時に青臭いほどに真っ直ぐな歌詞がこのジャンルでは大きな特徴だと思う。おそらくコストの関係でオミットされた歌詞をオフィシャルHPで補完されているので是非曲と合わせてどうぞ。

これからの季節にぴったりのコンピレーションだな〜と思う。日本らしさはともすると悪い意味でも使われることが多いけど、むしろ明確に日本の特定のハードコアをぐっと提示する力強さはかっこいい。この手の音楽が好きな人は是非どうぞ。

2017年3月19日日曜日

フィリップ・K・ディック/高い城の男

アメリカの作家によるSF小説。
最近Amazonがリドリー・スコットに指揮をとらせてドラマ化して話題になっている作品。そういえばと思って買って見た。ドラマの方は見ていない。まずは原作からという気持ちで。ディックの熱心なファンというわけではないがどうしてもSFを読もうとなると映画「ブレード・ランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は避けて通れないわけで。その作品を筆頭に長編「ユービック」「流れよ我が涙、と警察官は言った」、そしていくつかの短編集を読んだりした。日本人はフィリップ・K・ディックが好きなんだと思う。結構今でも新しく邦訳されている事実を鑑みると。

第二次世界大戦で枢軸国が勝利した世界。アメリカはドイツと日本が分割統治していた。
古物商ロバート・チルダンは日本人の官僚田上からの無理難題に喘ぎ、田上はスウェーデン人の実業家バイネスとの会談を前に気を揉んでいた。腕のいい職人のフランク・フリンクは些細なことで工場の仕事をクビになり途方に暮れている。フランクの別れた妻ジュリアナは偶然であったイタリア人の長距離運転手ジョーと懇ろになる。戦後”普通”の世界で普通の人々の生活にとある陰謀が見え隠れし始める。

群像劇というか、登場人物が多くしかも微妙に全ての人が周縁部にいるというか、王道なら身分もバラバラの登場人物たちが次第に集まってきて大団円に向かうわけでもなし、またそのカタストロフィがほのめかされるのも”噂”だったりして結構物語としては捉えどころがない。
フランクが主人公を務める抑圧から歴史のない未来が芽生えるという一つの筋はなるほど特にアメリカ人には受けが良いのかなと思う。(作中でもこの新しい芸術はアメリカ人にしか受けていないのが露骨に示されている。)また歴史のもしもを考えるのはやはり面白い。あの時ああしていれば、って誰にもあるわけだから。個人的なそれなら一番だが、そこは小説なので誰にでもわかる分岐点(この小説は1962年に発表された)が世界大戦だったわけだ。歴史好きは枢軸国側が勝利を収めた世界の設定を考えるのがさぞや面白いのだろうと思う。自分は歴史さっぱりなのでそこまで。
じゃあ何かと言うと個人的にはこれは世界が終わる話を描いていると思った。世界はとかく創作では終わりがちだが、その中心にいる人(または巻き込まれて否応無く中心に引っ張られた人)がその破滅を防ぐために奔走するというのが筋になっていく。非常に派手で面白いのはもちろんだが、実際に世界が終わるとしたら陰謀が渦巻き、そして多くの偶然によって粛々となされていくのではあるまいか。市井の人はきな臭さを感じつつも、意外にそれにほぼ直面するまで気がつかないのではないか。こういうふうに考えてしまうんだけど、この小説はそんなひっそりと終わりつつある世界を描いているのではあるまいか。なるほどスパイや政府の高官たちが出てくるが、彼らも位置は中心に近くても当事者ではないのである。傍観者と言っても良い。自分の役目をわきまえていてそれを逸脱することはない。田上しかりバイネスしかり、「自分はやるべきことはやった」という諦観めいた無力感に襲われているように見えた。考えても欲しいのだが、常に日々のことが大切で、大きすぎる問題に関しては現実感がなくはないだろうか?「世界が終わるんだ!」と言われて実際にあなたは何かするかな?程度や伝え方にもよるだろうけど。割と高い身分にいる人でもそれはそうで、だからやたらと決断を易(古代中国の占い)に頼ることになる。そうでないと判断がつけられないし、自分の判断には根拠や理由の後押しが欲しいからだ。このもしもの世界は別に格別霊力があるそれではないと思う、個人的には。当たるも八卦当たらぬも八卦、でこの世界と50歩100歩なのでは。(そういった意味ではこの世界でも責任ある人の多くは占いに頼っているかもね。)そんな人間のサガを書いている作品なのではないかと思った。

割と注目度の高い作品だと思うので、ドラマを見て気になっている人は原作を読んで見るのはいかがでしょうか。ちょっと調べて見るとだいぶ内容が違うみたいだけど。

ENDON/Through The Mirror

日本のノイズ/バンドの2ndアルバム。
2017年に日本のDaymare Recordingsからリリースされた。
ENDONは2006年に結成されたバンドで今はドラム、ギター、ボーカルに加えてノイズのメンバーが2人いるちょっと変わった体制のバンド。
今回の新作は日本のバンドとしては初めてConvergeのギタリストKurt Ballouと彼のGod City Studioで録音・プロデュースされるということで発売前からかなり期待値が高かったと思う。

ENDONには歌があるのだが歌詞がない。ずっと意味のない音を叫んでいることになる。ノイズを激しく噛ませたバンドなので非常にその主張することは謎に包まれているのだが、今回リリースに合わせたプロモーションということもあって色々なメディアに直接的な言語で新作やバンドについてのステートメントが発表されていて、それが彼らに対する情報不足を補完するという以上に単純に読んでいて非常に面白い。
私が読んだのはメンバーの一人名倉さん(弟)がアルバムの曲目ごとに短編小説を書くCDJournalの一連の連載(今の所まだ連載中)、ディスクユニオンのフリーペーパーFollow UPのインタビュー、それからEle-kingの女子会と称されるインタビュー。それから再読になるが前作リリース時のCDJのインタビュー。どれも面白いのでまだの人は是非読んでいただきたい。
ENDONはやばい。当初からそういう話だったし、初めてライブを見たときは意味がわからなかった。ノイズがフリーすぎてどこに乗れば良いかわからなかったのだ。ただ「Acme.Apathy.Amok.」は買って帰った(あの時の自分を珍しく褒めてやりたい)。今作もやはり”ヤバイ”ということになっているし、バンド側もそう思われることを企図しているように感じる。しかしこのバンドの側からの日本語のステートメントを読んでなるべく”ヤバイ””すごい”で片付けないようにしないといけないという気持ちがしている。というのもボーカルの名倉さん(兄)が「俺は感じるな、考えろ、お前らバカなんだからって思うよ」といっていて(ele-king)、私は感情的な人間だが、常に考えることがたとえ良い結果につながらないことが往往にしてありながらも、それでも考えるということが絶対的に良いことだと信じたいと思っているのでこの言葉が非常にぐさっときてそして好きなのだ。

ENDONの音源を全て抑えているわけではないのだが、前述の「Acme.Apathy.Amok.」、それから1st「MAMA」を踏まえるとだんだんノイズの自由さが制限されて代わりにロックバンドとしての機能が台頭してきている。今作もその流れにあると行って良い。過激な内容であることは間違いないが、今までの音源の中では一番聞きやすいのではないだろうか。いわゆるアンダーグラウンドな音楽界隈では聞き易くなること=セルアウトとして嫌われるが、本人たちは「単純に金と名誉が欲しい」と嘯くヒールっぷりである。前作まではノイズを主役として捉えて色々とノイズを中心に工夫していたのだが、今回Kurtはノイズを全部定位置で録音しているという。単に楽器の一つとしてノイズを使い出したそうだ。つまり今作でノイズ担当がいるロック(フォーマットの)バンドということにENDONはなった。(次作以降どうなるかは当然わからない。)
twitterでもちらほら見るがブラックメタルっぽくなったというのも頷ける。トレモロギターの登場頻度が増えたからだ。しかし前作リリース時のインタビューを読むと当初からノイズとの相性がいいとしてトレモロを多用していることを打ち明けている。つまり単に壁のようなノイズが鳴りを潜め地金がよく見えるようになったということだけなのかもしれない。トレモロも含めて全ての音が敢えて重さをある程度抜いたガシャガシャした音で作られているのが個人的に面白い。Full of Hell/Code Orangeはモダンなハードコアの重低音を足し算/掛け算したが、ENDONは引き算をやってきたのだ。強いやつ強いやつ×無限大の螺旋から抜け出してもっと別天地に行くことにしたのだろうと思う。「Perversion 'Till Death」の重厚なノイズと相対する爪弾かれるギターの旋律の美しさをきいてほしい。今までのENDONとは明らかに毛色が違う。そうこう思っているとタイトル曲「Through The Mirror」になだれ込む。激しいノイズと絶叫の応酬のその後ろに何かが見えている。私はそれは”美しさ”ではと思ったのだが。絶叫で構成されているそれは何かしら不穏な空気をはらんでいる。大仰にいえば巨大な兵器が爆発する様を遠くから(爆心地にいたら美なんて感じるわけがない)眺めているような、そういってしまうのが不適当であるような美しさであった。「Tourch Your House(お前の家に火をつけろ)」は大爆発で帰る場所がなくなって、さあてこれからどうするのだ、というそういう歌であるように私は思った。退路を絶って前進せよ、とは過酷である。そして曲は直接的に感情的だ。現状の音楽ジャンルであるところのエモ、激情系を「エヴァンゲリオンごっこ」と切り捨て(Follow Up)、もっと直接的、彼らの言葉によると大脳皮質ではなく情動に訴えかける音楽をノイズという劇薬で持って、そして直接的に言葉を用いずに表現した。不敵で挑戦的だが、出来上がったものを受け取って聞いた人が何かを感じずにはいられない作品になっていると思う。
ある意味ではなんでもノイズ味(黒)にしてしまう必殺の黒い絵の具であるハーシュノイズに何か別の意味を付与しようという試み(=彼らのいうところの実験)であって、そういった意味では非常に挑戦的な作品であり、個人的にはこの1作品でもはやその回答を垣間見ているのではないかという感動がある。だってこのアルバムの色鮮やかさを聞いてほしい。

非常に真面目な作品だと思うし、憧れで音楽をやっているというステートメントも理解できるような気がする。そういった意味では純真といっても良いかもしれない。だって期待があるからだ。素晴らしい音楽だ。私は大好きだ。まだ聞いていならこれから聞けるという幸せを持っている。是非聞いてみていただきたい。

TORSO/Sono Pronta a Morire

アメリカはカリフォルニア州オークランドのハードコアパンクバンドの1stアルバム。
2015年にイタリアのAgipunkというレーベルからリリースされた。
4人組のバンドでBandcampによるとヴィーガン(菜食主義)でストレートエッジとのこと。ボーカル含めて女性が2人在籍している。
アルバムのタイトルを翻訳すると「私は死ぬ準備ができています」と出る。アートワークは魔女裁判で火炙りにされている女性。

D-Beatハードコアと自称するくらいのオールドスクールなハードコアをプレイするバンド。全部で11曲で17分。長くても2分ちょいで大体1分台。疾走”感”って実際には必ずしも速度にイコールなわけではないと思うんだけど、このバンドの場合はD-Beatを主体に据えてその疾走感を演出している。もちろん遅いわけではないのだけど、じゃあファストコアばりに早いのかというとそうでもない。きっちり演奏の妙もバリエーションも詰め込める余裕のある”速さ”で勝負している。素材の音がかなり生かされたジャカジャカ感と厚みのあるギターに、非常によく動くベース(どうやらもう一人の女性はベース担当みたい)がツタツタ刻んでいくD-Beatに伸びやかに曲を織りあげていく。
ボーカルはほぼほぼ叫びっぱなし。いい感じにかすれた声だが女性のそれだってわかる。一緒にEP(2014)も買ったんだけどちょっと声質(録音状態かも)が変わっている。このアルバムの方が高音が強調されているかなと思う。
メンバーの半分が女性な訳なんだけど、じゃあ女性特有の〜というのがあるかというと音源を聞く限りはあまりそう行ったのは感じられなかった。分かりやすくメロディアスな訳でもないし、女性らしいボーカルの取り方もほぼなし。Oathbreakerみたいにフロントマンが女性であることを強みしている感じとは正反対だし、再結成したらしいGorilla Angrebみたいにそこはかとないミクスチャー感(かわいい感)はなくてよりハードコアだし。ハードコアバンドを組んだけどメンバーはたまたま女性だったくらいの感じ。ひたすらストレートを信条とするバンドらしく、いやらしいフックがない。EPのアートワークも女性が登場するし、性差については結構重要なファクターっぽいが音楽的には女性らしさはおそらく敢えてカットされているのでは。ハードコアという(おそらく)男性的なフィールドで一個のバンドとして勝負していく、という気概の表れだろうか、気迫めいたものを感じてそういった意味でも気合の入ったタイトルも納得感があるなと思う。
ちなみにEPから先に聞いたんだけど、このアルバム序盤だけ聞くとEPの方がいいかな?と思ったんだけど後半えらいテンションが上がってくる。普通冒頭にキラーチューン持ってきそうなもんだけど、このバンドは圧倒的に後半に入ってからの方がかっこいいと思う。

なんだか女性+ハードコアというのがトレンドなのかな?そんなことない?わからないけどそのフォーマットでも色々違うことをやるバンドがいて(当たり前なんだけど)、面白いなと思う。いわば女性の特異性があるわけでこれも男性優位社会の考え方なのかな…とか思う。まあそこらへんは置いておいてかっこいいハードコアバンドなので気になった人は是非どうぞ。

2017年3月15日水曜日

イアン・バンクス/フィアサム・エンジン

英国、スコットランドの作家による長編SF小説。
1994年に発表された。題名はおそらく「Fearsome Engine」なのだが、(日本語にすると「ものすごいエンジン」という感じかな)表記は「Feersum Endjinn」というスペル。ひょっとしたら登場人物、主人公の一人の子供が書いたってことなのだろうか?という気もする。
もともとオーストラリア出身、アイスランド在住の音楽家Ben Frostがイアン・バンクスの「蜂工場」を元ネタにしたコンセプトアルバムをリリース。普段のノイズ成分強目の音像からは一線を画す内容で、しかもそれが格好良かったもので元ネタの方がきになるのが人情というもの。ところが「蜂工場」を買うはずが同じ作者の別の作品である「フィアサム・エンジン」を買ってしまったのが私なんだ。こういうことがよくあるんだよな〜。別にへそ曲がりではなくてあらすじ読んで気になった方を買ってしまうのだ。
「蜂工場」は現代を舞台にした小説らしいが、こちらはバリバリSF。もちろんとっくに絶版なので中古で買った。
表紙の木は「聖剣伝説2」の人の作品。ちなみに私は2が一番好きなんだ。

遥か未来、人類の科学技術は進歩を極め広大な宇宙に進出。活動拠点をホーム地球から写すことにした。これをディアスポラと呼ぶ。しかしディアスポラに乗らない人たちも少なからずいて彼らは進歩と技術を封印。そのくせちゃっかりと残されたテクノロジーを利用して安穏に暮らしていた。ところが銀河の果てから暗黒星雲が地球に向かっていることがわかり、数千年の平和は破られることになる。暗黒が太陽を覆い尽くしたら人類には衰退しかない。ディアスポラ以前の脱出の技術を巡り、職業クラン間で戦争が始まる。そして巷間には共通ネットワーク「クリプト」から救世主”アシュラ”が人類に遣わされると囁かれ始める。

この小説が弐瓶勉さんの漫画「BLAME!」の元ネタの一つだとは知っていたが、そこはあまり意識してなかったが読み始めてみたらびっくり。この小説からいろいろなネタが取られている。空虚な巨大建築物が積み上がる世界設定はもちろん、構造体に埋設されたネットワーク、そしてその密使、セーフガード、基底現実などの単語、それからセリフと!枚挙にいとまがない。「BLAME!」ファンならニヤニヤすること間違いなし。私は元ネタということをきっかけに椎名誠さんの「武装島田倉庫」、マイク・レズニックの「キリンヤガ」などを読んだんだけど元ネタという意味では今のところこの小説が一番。
「BLAME!」ネタを差し引いてもめちゃくちゃ面白い小説。退廃というよりは精神的文明的な衰退(それと最先端のロストテクノロジーの対比という構図だけでワクワクしてくるよな〜!)が支配する世界で”脱出手段”を探る、つまり人類を救うためにヒーローたちが別個に立ち上がり、結束しながら文字通りの保身に走る為政者たちを追い詰める、という筋書きは奇抜で先進的な設定と比べると非常にオーソドックス。現実の7つの生と仮想の7つの生という寿命が延びた世界で未だ死を体験しない若者が老獪だが頭の固いメトセラめいた老人を退けるというのも古典的だが没入感を加速させる。
決して詳細に説明する小説ではないので、いちいちこれはどういうことなんだろう?これ誰だっけ?とページをめくる手を止めて考えたり、巻き戻ったりする必要が生じてくるのだが、個人的にはこれを煩わしくなくむしろ逆に楽しみながらできるって読書の最高の醍醐味の一つ。そういった意味では素晴らしい読書体験だった。世界設定的に異形めいてアンバランスな世界なのでおとぎ話めいた幻想性が甘い膜のように鋼鉄の世界を覆っていて、個人的にはエンジンつながりで「エンジン・サマー」(ちなみにこの小説もすごく好き)に少し似ているところがあると思う。どちらかというと奇妙に歪んだ世界そのものを描くのを作者が楽しんでいるような。そう考えると王道的なストーリーは納得できる。「広大な」というのがテーマで、さらにこれがぎっしりと詰まっているのではなくとにかく間隔が広い。空虚である。暑いストーリーだが、それすらも巨大な建築物の中に冷えていくような無情さがあって、何よりそれが面白い。もっとハードコアに(あるいはアンビエントにと行ってもいい)、この空虚な世界観を一人歩く、みたいな短編集があったら是非読みたいと思うのだが、邦訳はあまりされていないみたいだしイアン・バンクスもすでにこの世の人ではないということで残念至極。

「BLAME!」が好きな人は間違いなく楽しめるのではなかろうか。初期の静謐な感じも、中盤以降の動きのある展開もこの小説には含まれているのでどちらが好きな人も是非どうぞ。それから一風変わった空虚なSFに目がない人も是非どうぞ。私は本当に楽しめた。次はいよいよ「蜂工場」を読まねば。

2017年3月13日月曜日

ENDON Sadistic Romance Tour2017@新大久保アースダム

東京のディオニソスこと酩酊とノイズの神ENDONが3月8日にニューアルバム「Through The Mirror」をリリース。間髪を入れずに新作のリリースツアーに出る。
それならば行かねばならない。歌詞がないバンドだがアルバムのリリースに合わせて直接的な言葉をかなり赤裸々に表明。そして事前に公開された音楽そのものでももちろん話題を巻き起こしていた。新作は3回くらいしか聞いていない状態(MVも作成された「Your Ghost is Dead」だけは何回も聴いた)だが、期待感も半端なくアースダムへ。
お客の入りはかなり。最終的には少なくともフロアの前の方はぎゅうぎゅうだったのではなかろうか。ENDONはドラム、ギター、ボーカルに加えてノイズのメンバーが2人もいる。彼らが左右に展開。配線が森のようなわからない機材がステージには準備されている。プロジェクターがステージに二つ、フロアからステージに向かって2つ設置されている。ビジュアル面にも気を使っていることがわかる。

まずは行松陽介さんによるDJ。これがノイズはもちろん、ダブ、デスメタル、テクノと、「ウルサイ(ノイジー)」を共通項にする音楽を絶妙につないでいくもので、多彩なジャンルだけど親和性はばっちりだったのではなかろうか。私は全然曲がわからなくて曲目が欲しいなと今でも思っております。アナログのDJセットはやっぱりいい。動きも無駄がないように見えてかっこよかった。(なんでDJの人ってもっとあたふたしないのだろうね)少なくともDJという役割は知っていることが強さになるからうかうかしているとあっという間に追い抜かれてしまうなあなんて思っていた。(流行という線的なものでなくて深みという意味で)

そうこうしているとステージにはスモークがもくもく炊かれている。かなりの量でステージがよく見えない中メンバーが登場。ボーカルの名倉さんはGuns And RosesのT-シャツを着ている。ガンズ!?となっている内にアルバムの冒頭を飾る「Nerve Rain」が始まる。これライブのために書いた曲でなかろうか。繰り返される反復にちょっとづつ断絶が入る。焦らされる。どんどん前に詰めて行きたくなる。2曲目「Your Ghost is Dead」。この曲は前半でリズムを変える場面がある。そこを心待ちにしていたのは私だけではなかっただろう。フロアが爆発するようなテンションを感じる。全てが計算されている。ENDONを見るのは3回目くらいだろうか。初めはとにかく何をやっているのかわからなかった。フリーだった。次見たときはより曲っぽいなと思った。具体的にはグラインドコアに近いかも、そう思った。今回は完全に曲だった。再現度も高い。ノイズというのは再現が難しいものだと思うので、これは何かいうとノイズへの偏重が減退している。つまり楽器の一つにノイズが落とし込まれていて、もちろんそこでは存分にカオスそのものであるかのような暴力性(つまりハーシュノイズという役割)を発揮するのだが、屋台骨となる曲があるので、例えばドラムは決められたリズムを刻み、ギターもリフや旋律を奏でる。制限を作ったのでわかりやすくなった。曲をあまり聞き込んでいなくても聴きどころがかなりわかる。逆にいうと聞き手が喜ぶポイントを刺激する曲を作り込んできている。この知的な戦略を自身の強みである暴力性を損なわずにやってのけるのが今のENDON。不遜だ。傲岸。いわばノイズを飼いならしたバンドなのだろうか。プロジェクターが真っ白い強烈な光をレーザーのように放射する。ボーカルの名倉さんは言葉にならない種々の声、主に絶叫めいた「でかい」声をフロアに向かって投げかけていく。音がでかけりゃいいわけではない。だが言葉のない音がここまで空虚にならないのはただすごい。フロアはめちゃくちゃ盛り上がっていたと思う。暴れる人も多かった。
中盤になるとノイズの自由さが前面に出てくる。アルバムを再現しているから音源でいっても中盤の曲群。ここでは巨大な壁のようなノイズが質量を持ったまるで粘性の水のようにフロアを満たしていく。ブラックメタルを通り抜けたプレイが目立つギターもここでは、音を抑えて爪弾いていくのだがこれが一個の道になっていて、この対比が面白かった。これを命綱にノイズに潜っていけばいいのか。巨大な地獄に垂らされた一本の蜘蛛糸か。あえての対立構造は面白かった。正気でいる方が辛い、そういったメッセージかもしれない。
そして終盤。タイトル曲「Though The Mirror」から「Torch Your House」。劇的だ。ドラスティックだ。音源を聴いていただければわかってもらえると思うが、ここに着て綺麗なENDONが現れてくる。これは本当にちょっとまだわからない。形骸化した”激情””エモーショナル”への強烈な皮肉なのだろうか。しかしこのクオリティはふざけ半分でないことがわかる。雑味しかないのがノイズならそれを使って透明を作り出した。強烈に光を放射する夜明けを作り出した。綺麗なものを汚いと呼ばれるもので作り出した。レーザーのような光が美しかった。明るくされた照明も。
アンコールは過去作から。「じゃあ昔の曲」。名倉さんがマイクを通して発した日本語はこの日これだけだったと思う。暴力的な曲でENDONはその出自を再認識させた。

お客さんは笑顔を浮かべている人が多かったと思う。面白いのはもちろんだが笑うしかない。自分も含めて一体これどうしたらいいんだという笑いもあったのでは。
現状への不満、フラストレーション、その要素を非常に強く感じた。混沌の中から、それを全身に塗れさせて、それを引きずりながらぐわっと出てきた。それを感じた。シーンのことはよくわからないが、このバンドがそれを非常に面白くする、それをかき乱していくとしたらこんなに痛快なことはないと思った。

2017年3月12日日曜日

TRAGEDY/TRAGEDY

アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド(かつてはテネシー州メンフィスを拠点としていたとのこと)のハードコア/クラストバンドの1stアルバム。
TRAGEDYはやはりクラスト・ハードコアバンドHis Hero is Goneのメンバーらによって2000年に結成された。このアルバムはその結成の2000年に自身のレーベルTragedy Recordsからリリースされた。

この界隈では後続に多大な影響を与えたバンドで、その中でも1stと2ndが名盤!という声も多くあるとか。私は2nd、3rdと聴いていて正直なところ3rdがそこまで(2ndと比較してという意味でも)優れていないアルバムだと思うし、なんなら確かに暗くなっているけどそこまで変化したアルバムかな?と思ったり。そんな中1stが売っていたのでよしこれはと思って買った次第。
変な順番で聴いているからあれだけど、音楽的には1stからブレていない。叙情的なハードコアをやっている。クラストの持つ小汚くも(crustはかさぶたとか、そういった意味)激しい攻撃性を土台にある意味クラストから最も遠い、というよりは一見相入れそうにない感情的でメロディアスという要素を見事に両立しているバンド。ハードコアとメロディーに親和性がないわけでなくて、それこそメインストリームに近づくほどその傾向は強くなるんだけど、アンダーグラウンドの底流でそれができるのか。つまりそれをやっちゃってまだアンダーグラウンドでいられるの?的な野次馬な余計なお節介Lawがなんとなくへばりついている頭(見る方もやる方も)がひしめく中でそれをやってのけたのがTRAGEDYというバンドかもしれない。もちろんTRAGEDYがそれを単独でやったかというとそうではないだろうけど、みんなが驚くようなバランス(つまりとても多くの人の心に訴えかけた)を打ち立てのが彼らであって、だから後続に大きな影響を与えたバンドと言われるのかもしれない。そういった意味だと後続を聞いて入った人は別に真新しさを感じないのかもしれない。(私が3rd悪くないな…と思うのもここら辺ではと思ったり。)
そんなわけでいきなりシーンにどでかい一石を投じた記念碑的なアルバムであるこの1stなかなか緊張して再生ボタンを押すと、まずは短いイントロでアコギの旋律が流れる。続いて2曲め「Point of No Return」。このイントロでやられた。そうしてああみんなこうだったのでは、と思ってしまう。あれやっぱりTRAGEDYは必要以上に内省的にならなくてもいいじゃない…なんてすぐに思ってしまうのは私の軽薄さだろうが、それでもこの勢いにはやられてしまう。無骨でメタリックなリフはあくまでもクラストハードコアで一歩も引かない強さ。その直線的な”強さ”に曲線的に絡むのがツインギターの片方であって、それらが無骨な男の叫びと演奏にストーリーを与える。勢いよく拡散しがちなアトモスフィアをぎゅっと引き締める。割合シンプルな構成の曲にこれが一つの回答を与えたようにしっくりくる。全てが筋道だって見えてくる。キャッチーとはこのことか。つまり読み方をある程度教えてくれる。
やはり勢いなのかと言われるとしかし否と言いたいところ。やはり暗さの萌芽、内省の香りは感じ取れると思う。長めの曲(といっても3分から4分だけど)でHis Hero is Goneでも披露していた停滞した暗さというのはしっかり封じ込められている。ただテンポチェンジによってその鬱屈をむしろその後の疾走の助走、というか前段階に使っているからわーっとテンション上がってそこは忘れがちになってしまうのだが。TRAGEDYにしてはもちろんそこも曲で、3rd以降はそちらをもっと追求したいということだったのかな、と思う。

2nd、3rdも好きだけどやはり初めて聴く人に一枚渡すならこのアルバムかな…と思ってしまう。なんというか納得感を感じてしまったアルバム。

FIGHT IT OUT/MOST HATED

日本は横浜のハードコアバンドの3rdアルバム。
2017年にBOWL HEAD Inc.からリリースされた。
YokohamaCityPowerviolenceを標榜する5人組のバンド。2000年に結成されメンバーチェンジを経て2枚のアルバム、そのたの音源をリリース。(多くは多分現時点ではすでに入手困難。)2011年の2ndアルバム「Talk Shit and Hope」から約5年と半ぶりのアルバムが今作。
私はライブが凶暴という話をtwitterで見ていておっかね〜とか思っていたのがたまたま見たライブ(1月に小岩でみたやつ)が非常に格好良く、物販では音源が売られてなかったので結構この新作はタイミングが良い、というか楽しみにしていた。

1月のライブではとにかくフロアが盛り上がっていたという印象(怖くて前に行けない始末)で肝心の楽曲は割とハードコアっぽいかな?と思っていた。ただトータルの演奏時間からしておそらく曲自体は短いのでは?と。実際に聞いてみると印象とあっているところ、そうでないところがあって面白かった。
アメリカのファッションブランドDickiesのカラーからとったという濃い藍色が印象的なアートワーク。中身の方はというと全部で13曲を14分弱で突っ走るハードコア。ハードコアを基調としながらこの音源の音楽性はほぼパワーバイオレンスに振り切っている。目の覚めるような高速パートから一気に低速に落とすダイナミズムはまさにパワー✖️バイオレンス=無限大の喜び的な勝利の方程式。個人的には乾いているけどファットなドラムとギロギロいうえぐいベースラインだけでエヘエヘしてしまう。(いかにもポーザーな感想ですまない。)EPのタイトルにもなっているが「Locos Only」つまり「バカ(イかれたやつ)だけ」というキャッチがしっくりくるくらい賢ぶらない正しいバイオレンス。ACxDCみたいなハードコアに(グラインドコアというよりは)デスメタルのフックというか禍々しさをテクニックとして取り入れているようなバンドとは一線を画してひたすら技巧なしのフロア一直線サウンド。2Pacの格好でYouth of Todayを、というコンセプトが結成当時はあったらしいのだが、現在の楽曲はかなりピュアなハードコアスタイル。ただメタルもかじる程度に聴く雑食性がラッパーC.O.S.A.という他のジャンルのミュージシャンを招聘している部分に現れている。ただハードコアにヒップホップを混ぜるというミクスチャーな手法というよりは、ヒップホップのトラックとしてインタールードトアウトロに使っているというやり方であくまでもハードコアであり続ける。
FIGHT IT OUTのハードコアとは”悪さ”である。危険さを隠すことなく前面に出していくスタイル。”悪さ”が敬遠されるのは他人(つまり究極的には自分)によろしくない影響を与える(と思われる)ことなので、実は結構これを武器にしていくことは難しいのではと思うが、臆面もなく悪さを前面に出していく。近づいたらやばそうだけど、何か凄いというのはまさに私が見たライブに他ならない。ハードコアは音楽以上になんなのか?というのは深すぎる質問だと思うけど、(ハードコアに限ったことではないけど)激しさを伴う音楽では”悪い”という要素(もしくはストーリー)は常について回る問題といっても良いのではなかろうか。FIGHT IT OUTは誰彼構わず殴るバンドだというのではもちろんなくて、悪さの求心力というのが確かに感じられるなということ。(特に私のようにそういったタフさから一番遠い人種にとっては。)

悪いハードコアである。敬遠されるハードコアかもしれない。なんていっても「最も憎まれている」んだもの。ただ暴力性に身を委ねるのも悪くない、っていうかだいぶ気持ちが良い。激しい音楽を好きな人ならバッチリハマると思う。非常にかっこいい。おすすめ。入手困難になる前にゲットしましょう。

2017年3月5日日曜日

バリントン・J・ベイリー/カエアンの聖衣

イギリスの作家によるSF小説。
ちょっと前に読んだ同じ著者の「ゴッド・ガン」という短編集が面白かったので長編のこちらも購入。1978年に発表された小説で日本でも発売されたが、早川の創立70周年記念ハヤカワ文庫補完計画で新訳で復刊された。この補完計画も意識しているわけではないけど何冊か読んでいるね。

遥か未来宇宙に進出した人類。惑星、銀河系単位で独自の文化を育んでいた。そんな宇宙で隣り合うザイオードとカエアン。カエアンには変わった文化が根付いており、彼らは服飾に心血を注ぎ「服は人なり」という哲学を持っていた。文化が発展して真っ裸も許容されるザイオードとは相いれず、両国間では緊張が高まっていた。しかしカエアンの衣装の素晴らしさはザイオードでも一目置かれており、借金で首の回らなくなったザイオードの仕立て屋ペデルは小悪党らに付け込まれ、不時着したカエアン船から衣装を盗む仕事に一枚噛むことになる。そこでペデルが見つけたのはカエアン衣装の最高峰のスーツだった。

ベイリーの各作品はワイドスクリーン・バロックと呼ばれているようだ。どうも壮大なホラ話、という意味を含んでいるらしくwikiを見ると「バカSF」とまで呼ばれるようだ。ちょっと前のスリップストリーム文学もよくわからないジャンルわけだがこのワイドスクリーン・バロックというのもよくわからない。SFはネタが壮大になりがちだけどフィクションなんて全てホラ話に決まっている。もちろん愛はあるのだろうけど「バカSF」というのはどうだろう。少なくとも読む限りはそんなことは全く感じなかったが。いきなり愚痴になってしまったがまず読み終わってそう思ったのでした。
程度の問題で結構ありえない設定を使うのがその所以だろうということはわかる。(しかし衣装が人を操るというのはそこまで奇想かな?クトゥルーでも頭にペタッと張り付く寄生生物ネタがあったよね。)カエアンの聖衣に操られるペデル、それからザイオードからの調査チームはその性格上どうしても道中行き当たりばったりになるわけでそう言った意味では途中物語がどこに進んでいるのかややわかりにくいかもしれないが、それでも金属スーツこそ我がからだと思うロシア人の末裔、彼らと敵対する日本人の末裔(ヤクザ坊主)など目を引くアイディアをぶち込んでくる(ここら辺もバロックと称される所以か)のでなんだなんだと中弛みなく読み進めることができる。
全体的に妙なコミカルさが作為的にまぶされているのだが実は断絶がテーマで、ザイオードとカエアンもそうだが、ペデルとマスト、アマラとエストルー、そして人類とそうでないもの、結局誰も彼もが断絶している。(アレクセイだけは他人とわかりあっていたがそれもあっさり断絶させられてしまう)、特にアマラがそうなのだがわかり合うという選択肢が初めから排除されており、基本的には利用し、利用される関係が書かれている。人間誰しもそうでは、と嘯くこともできるのだがそれでも一定以上のルールがあることを認めざるをえないと思う。そう言った意味ではある意味精神的に荒廃しきった未来を描いており、実はペシミスティックな雰囲気が全体を覆っている。

というわけで私は最初から最後まで楽しく読めた。ユーモアはあるがバカっぽさは感じられなかったので、ワイドスクリーン・バロックかあとちょっと否定的に思う人がいたらそんなことは全然気にせず手にとって見るのが良いのではと。

J・L・ボルヘス/アレフ

ボルヘスの本が出るということで買ってみた。
と言っても別の版元からすでに発売済みなのが改めて岩波文庫から出版されたという形らしい。青い表紙は赤い「伝奇集」と対をなすものだということがわかる。
表題作「アレフ」に関しては別のアンソロジーで読んでことがある。

「知の工匠」、「迷宮の作家」その他も色々な二つ名がついているボルヘス。前も書いたけど学生の頃に買ったらよくわからなくてそのまま本棚の肥やしになったことがある。やたら知的な感じで煽られ押されるボルヘスだが、別に賢い人にしかわからない話では全然ない。(現に私も読んでいる。)ただ自分の経験もあっていわゆるわかりやすい作風ではないことは確かだ。というのも書き方が地味で(昔は物語ではなくてこの人の日記なの?と思った。)、物語も何かしら捉えどころがない。「バベルの図書館」みたいな突飛な発想自体が珍奇で面白い物語もたくさんあるけど、なんだかよくわからないまま終わってしまった、という物語もある。
この本には十七の短編が収められているけど、大半はわかりやすい物語とは言い難い。というのも結局何が言いたいのか?わからないことが多い。はじめに断っておくといい加減に年を食ったせいか最近は何が言いたいかわからない作品もそうでない作品と関係ない感じに楽しめる。つまり中身が面白ければどっちでもよい。(私はもともと作品に込められたメッセージ性というやつをあんまり、ほとんど信用していないのだ。)今回特に思ったのはどうも時間というものに対してボルヘス氏は色々と思うことがあるみたい。世界といってもよいかもしれない。常に生き物に対して影響を与える時間、という視点で書かれているので。(というか生き物がいないと時間が意味がないというか、存在しないかもしれない。)「不死の人」という短編はもろにそうだが、どうも死なないということがその時間の問題の鍵である。死なないとなんでも起こったし、これからなんでも起こるので珍しさというか希少性というものが失せる。死があるから生が輝く、というよくわからないキャッチとは全然違う生命に対する捉え方であると思う。死なないということは全てが存在することなのでそうすると全てが平らになってしまう。ボルヘスを語るときは円環というワードが頻出すると思うが、それは永遠であって閉じている。丸く閉じている。そうするとどこかにいても本質的にはどこにいるかわからない。つまりどこにいても違いがない。それが永遠。どこかにいる、ではなくどこにでもいるになる。不死は孤独になるのでは、と思っていたが(漫画「トライガン」が思い浮かぶ)、実は違ってむしろ誰でもいつもいる、ということになるのかもしれない。

ボルヘスが読みにくいのは文学性が乏しいからだ。ここで文学性というのは正しくは文学の娯楽性であって、ボルヘスは賢いがどこか浮世離れした孤独な男が田舎の昼間の酒場でボソボソいうのを居合わせた旅人(昼食でも取ろうと行き当たりばったりに昼営業の居酒屋に入ったのだろう)がたまたま聞いた、みたいな風情がある。さすがの変人ボルヘスもあまり長い話を聞かせるのは…という配慮があるらしくその壮大な物語は(文学という意味では結果的に不幸な話かもしれないが)だいぶ端折られた簡素な言葉でだから語れられることになる。私の場合は何年か経ってあいつすごいこと言ってたぞ!と気づいたのだろうか。そう言った意味では語り部ボルヘス氏がその物語を書き残してくれたことに感謝するのみだ。

Chain of Strength/The One Thing That Still Holds True

アメリカはカリフォルニア州南部のハードコアバンドの編集盤。
1995年にRevelation Recordsからリリースされた。
1989年「True Till Death」、1990年「What Holds Us Apart」という二つのEPをまとめたもの。バンドは1988年に結成され1991年に解散している。いわゆるユースクルーというジャンルに当てはめられるバンドで、最近ユースクルーという単語が会話に出たので気になってたところたまたま目にしたので買ってみた。ユースクルーというのは酒を飲まない、タバコは吸わない、麻薬もやらない、愛のないセックスはしないという厳格なストレート・エッジ思想から生まれたハードコアのジャンルのことらしい。私はユースクルーだなんて知らない状態でGorilla Biscuitsの「Start Today」をだいぶ前に買ったくらい。
調べてみるとだいぶ面白いバンドだったみたいで、厳密にいうとユースクルーでないのでは…と思ったりもするんだけど。(ストレート・エッジは思想なので。)

音的にはオールドスクール・ハードコア。乾いたドラムがシンプルながら高揚感のあるリズムを刻んでいき、疾走感のあるギターが時にスラッシーなリフを乗っけていく、硬質なベースは結構面白いことをやっていると思う。ボーカルはやや掠れてしゃがれ味がある。いかにもな感じでかっこいい。そしてとにかく男らしいコーラスを多用してくる。
前述のGorilla Biscuitsはメロコアっぽいなと思ったんだけど(もちろん順序は逆)、こちらは同じユースクルーでもだいぶ趣が違う。もっとハードコア。といっても音の重さ的にはそんなに大差がないので、こちらの方が基本速度は速い。リフももっとそっけなくそのぶん力強いハードさに溢れている。面白いのは1周したくらいだと勢いのあるハードコアだなと思うだけなんだけど、よく聞いていると速度の調整は実は結構細かくされていて勢いを殺さずにそれをむしろ生かしている器用な曲作りを丹念にしている感じ。音の密度の低いイントロから徐々に力を入れてくるようなやり方、サビというかコーラス前に一瞬だけ間を入れてくる、だいたい2分くらいの曲でも中間に贅沢にサイレントなパートを入れてくるなどなど。結構ドラムのリズムというか叩き方を追っていくように聞くと面白い。ギターとベースも音の密度が結構短いスパンで変わっている。
ひたすらハードコアに攻め立てるコーラスが映える「True Till Death」はもちろん、中盤の妙にレトロにメロディアスなパートが面白い9曲目「Never Understand」もよい。

ハードコアってストレートだよね、とか自分で言っていたけどよくよく聞くとそうでもない。勢いがある、シンプルと言ってもストレートと纏めてしまうのは良くないなと思った。同様に好きなものに意味みたいなのを考えすぎるのもどうかなという話かもしれない。思想云々はあるだろうがかっこいいオールドスクール・ハードコア。

2017年3月4日土曜日

Code Orange/Forever

アメリカはペンシルベニア州ピッツバーグのハードコアバンドの3rdアルバム。
2017年にRoadrunner Recordsからリリースされた。
2008年にまだ高校生だったメンバーらにより結成。当初はCode Orange Kidsというバンド名だった。メキメキ頭角を現したのだろう4年後にはConvergeのフロントマンJacobのレーベルDeathwishから1stをリリース。バンド名からkidsの文字を消し去り、2014年には2nd「I Am King」をリリース。おそらくこのアルバムで幅広く知られるようになったのだろうと思うが、3rdアルバムのリリースがアナウンスされ、先行MVが公開されると結構盛り上がりを見せていた。私は2ndから聞いている。Roadrunnerの音源を買うのはかなり久しぶりだ。

明らかに同じテイストで作られたアートワークが象徴しているように前作を踏襲した作りになっている。プロデューサーは前作から引き続き売れっ子Kurt Ballou。Convergeとは音の種類はだいぶ違うが、メタリックに武装したハードコアという意味ではやはりその影響は大きいのではないだろうか。音はクリアで重低音はすでに強烈だった前作からさらに強化されている。
事前に公開されている2曲はもうほぼメロディといったものが排除されている。リズムでできているというとダンスミュージックになるのだろうが、それは例えば4つ打ちのわかりやすさなんてものはないわけで、走ったと思ったら止まる、これはハードコアでは割と一つの方法として大雑把に確立されているわけだけど、それを割と長いスパンでやるとパワーバイオレンスみたいになるけど、最も次回スパンでぶった斬りにやるとCode Orangeみたいになる。要するにつんのめるようなあの特徴的なリフだ。昨今いろんなところで耳にすることも多いが、Code Orangeはその使い方がうまい。リフ自体はかなりシンプルに削ぎ落とされているなと思う。せっかく作るんだから装飾性を音の数やメロディに籠めてくる作り手は多いし、それは多くの場合歓迎すべきことなのだが、逆に無慈悲に削ぎ落として異常なリズムで演奏するとまた別のかっこよさが生まれてくる。
そうかと思えば曲間の不穏さを演出するためにノイズも導入している。例えばFull of Hellのようにノイズを楽器の一つとして前面に出してくるのではなくあくまでもバネのような強靭な筋肉を補強するためにしようしている。言い方は悪いが結構あざとい、というか単なる脳筋っぽく見えるが実はそうではない。コマーシャルになっているかというとそうでもなくてそれが分断された曲に現れている。というのもこのバンドはハードコアの塊みたいな曲と妙に不吉なメロディが主役になる曲を同じアルバムにぶち込んでくる。前作でいうとMVも作られた「Dreams in Inertia」なんかもそう。両者を融合させるのではなくもうアルバムを分断している。この思い切りの良さはいいなと思う。どちらの曲もかっこいいので。ここら辺はほぼ同じメンバーでやっているオルタナティブ・ロックバンドAdventuresでの経験が活かされているのかなと思う。ちなみにAdventuresはとてもかっこいいのでこのバンドが好きな人は是非どうぞ。

バンド名からKidsを取ったのは単に歳をとったからというより、若いという色眼鏡で見られたくないという覚悟からだろうと思う。自ら「王」と称する前作のアルバムを聞けば歳を感じさせないサウンドで、それは今作もそうだが1曲めで高らかに(すごい低音だけど)「Code Orange is Forever」と歌うあたりにまっすぐさを感じられるなと思った。手っ取り早く格好いいハードコア聞かせろ〜という人の手にそっと握らせたいアルバム。