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2018年8月11日土曜日

ベン・H・ウィンタース/地上最後の刑事

アメリカ合衆国の作家の長編小説。原題は「The Last Policeman」で邦題とはちょっと趣が異なる。2012年に発表された。

タイトルにインパクトがあるが決して誇張という訳ではなく、巨大な小惑星が地球に衝突することが確定しており、ほぼほぼその衝撃でほとんどの人類が生き残れないだろう、という世界での物語。作中にも出ているがネヴィル・シュートの「渚にて」に滅亡を前にした世界、という点で共通している。ただし要因が明確に違うのと、こちらはまだ破滅まで時間がある。このまだ時間があるというのがなんといってもこの作品のミソだと思う。自暴自棄になって破滅するにはまだちょっとだけ時間がある。1週間後に滅びる、ではないのだ。考える時間がどうしてもまだ残されている。そこで人々は残りの時間をどうするかという問題に直面せざるを得ない。当然働いても意味がない、というかどうせすぐ死ぬのだから好きなことをやりたい、ということになり多くの人は仕事を辞め、そのため都市のインフラをはじめ色々な機能がうまく働かなくなっている。インターネットは一部でしか使えないし、ガソリンが市場からほぼ姿をけして自動車がほぼ走っていない。携帯電話も基地局が散発的に稼働しなくなっているためかなり繋がりにくい。考えてほしい。だって死ぬのだから、働いたってしようがないだろう。地球滅亡のお知らせだ。まだ最終的な混乱には陥っていない世界で、主人公は刑事として働いている。警察官も人間なので退職者が多く、警察署は機能不全に陥りかけている。

この作品をしてでも人間はいつか死ぬのだから、実質地球の滅亡が宣告されても生活は変わらない、と言うのはちょっと無理がある。人間は多分(自分だけかもしれないが)自分が本当に死ぬ寸前までなんとなく、しかしかなり強固に自分は死なないと思っているので、明確な死の宣告はどうしたって人に影響を与えるだろう。そういった意味ではやらなくても良い仕事をやると言う意味で、同僚にすら揶揄される主人公は気高い人間だと言える。この小説の筆致はあえて淡々としたものだが、オフビートな文体の中にもちろん人間としての尊厳も感じられるが、他にすることがない、どうしようもない、言い方は悪いが死ぬまでの暇つぶしをやっているようなヤケクソ感もある。((主人公の部屋が異常に殺風景だったりして、そこらへんが示唆されている。)麻薬やアルコール逃げるもの。銃器を集めるもの。店舗や人を襲うもの。爆発的なエネルギーはしかし長続きするのが難しい。カタストロフィにまだもう少し時間がある世界で、寄る辺ない人間の本性がむき出しにされているようで、なんとも虚しい趣がある小説だ。そこが良い。ある意味この上なく巨大なショックによる放心と、もはや拭い去ることのできない諦めがただ息をしていると言う状態から無理やりよろめき歩いているようだ。なんていったって未来がないのだ。どこにたどり着いていくのでもない。真っ赤に燃える世界の終末!!その手前の静かに機能不全に陥っていく世界、と言うのがよかった。みんながダメージを受けてそれが、静かさの薄皮一枚裏側でともするとちらっと見えるような。

2018年5月6日日曜日

ヘニング・マンケル/ピラミッド

スウェーデンの警察小説。
私はヘニング・マンケルのヴァランダー・シリーズが大好き。何回か書いているけど1作め「殺人者の顔」を本当なんともなしに買い、それからシリーズを読み進めるのは本当良い読書体験だった。なかなか苦しい時期だったこともあって良い思い出。作者ヘニング・マンケル氏は非常に残念ながら2015年に逝去されてしまった。ちょっと横道にそれるのだが、ご冥福を〜のようなコメントももちろん良いのだけど作者が生きているうちに手紙(今は紙媒体でなくてもよいわけだし)でも認めたほうが良いのではって気がしてする。

さてこの本はヴァランダーがまだ若い頃、というか警察に勤めだした制服警察官の頃から始まって、前述のシリーズ一冊目の「殺人者の顔」の本当手前(最後の「ピラミッド」はこの事件の冒頭で終わるという形式)までを時系列順に並べたもの。ヴァランダーの何が良かったかってそれは冴えないおっさんだからだと思うんだけど、どんなおっさんだって若い頃があったのだ。信じられないだろうけどそうなのだ。どの物語か忘れたけどヴァランダーは娘が誰と付き合っているか気になって尾行して「何やってんだ俺は」と思ったり、女性とデートする前に服にソースをこぼして凹んだりする、まあ結構なおっさんである。優秀な刑事ではあるけど癇癪持ちで独断専行が多すぎる。いわばそんな彼ができるまでを描いているのがこの短編集だ。人はそう簡単に変わらないもの、それは確かでなるほど元々彼の個性は若い頃があるし、逆にそうでないものもある。ヘニング・マンケルは本当巧みな作家だと思うのは言葉少なに(この本結構な厚さはあるんだけど、文章は極めて簡潔で読みやすい。翻訳者柳沢由実子(敬称略)の技量ももちろんあるはず。)、ヴァランダーの心構えの変遷を書いている。それはナイーブさかというとちょっと違う。冒頭少女に糾弾される場面はその後年を取ったヴァランダーの心に引っかき傷のように残り続けたわけだし。ナイーブさを覆うからのようなものが次第に形成されていく。それは防壁であり、生きる知恵であり、若者からしたら諦めやずるさ、つまり(汚い)大人の象徴でもある。繰り返しになるけどおっさんって自然におっさんの状態で発生するわけではないんだ。若者が老いておとなになっていくのだ。それをグラデーションで書いたのがこの連作短編集なのだ。だから次第に、増えていくシワのようにおっさん味を増していくヴァランダーには失っていくもの、そしてかわりに獲得していくものが(おとなになってもいいことはあると思うんだ、私は。辛いことも多いけど。)淡々と書かれている。汚い方便に見えてもそれが強靭さだったり、熟練だったりする。大人の悪いところは説明不足なところなのだ。自分がすでに経験してきたことだからある程度わかっているわけで(ただそう思い込んでいる場合も往々にしてあるのだが)、それをせめて年下の人たちには丁寧に説明してあげればよいのだが、どうしても例えば「〜するな!」のような高圧的な命令になってしまう。そりゃ老害とも呼ばれてしまう。ヴァランダーの父親を一つ上に配置することで、その関係性がもう一個入れ子構造というか多層構造になって俯瞰的に読者が気付けるるようにもなっている。良し悪しで判断すればヴァランダーの父親は良い人物ではないけど、でも2人の親子関係とても良いものにも見える。ヘニング・マンケルというと社会派と言われて実際そうだと思うんだけど、こうやって普通に身近なことをはっと気が付かせる、そういう優しい視点を常に持っている。だからやっぱりのめり込んで読んだのだなと思った。

刑事ヴァランダー・シリーズは冊数もあるのでまずこの一冊を手にとって見るというのは良いかもしれない。実はまだ未訳の作品もこの後邦訳が控えているということで嬉しい限り。

2018年4月15日日曜日

レイフ・GW・ペーション/許されざる者

スウェーデンの作家による長編小説。
この物語の主人公ヨハンソンの設定は面白い。あまり他に類を見ない。まずすでに定年を迎えた老人であること。それから現役時代は制服警察官から始まり国家犯罪捜査局の長官にまで上り詰めた有能な男であること。警察小説では概ね出世すればするほど嫌われるものだけど、引退した今でも現場からは厚い信頼と好意をむけられていること。自信家で頭の回転が早く、口が悪いが友人には恵まれていること。妻は20歳年下の銀行の頭取であること。家族は裕福で自分も警察意外の会社の役員であること。普通警察小説の主人公たち、あるいは彼もしくは彼女と組むことになるパートナーというのは敏腕であるがどこかしら社会性を欠如している人物であることが多い。同じく北欧のヘニング・マンケル(RIP)による刑事ヴァランダー・シリーズや、ユッシ・エーズラ・オールスンの特捜部Qシリーズなどなど。これは犯罪事件の解決に、1人の人間である刑事が抱える個人的な問題の解決(あるいは未解決)をダブらせることで物語に深みを与える手段でもある。だからこうやってともすると読み手に嫌な気持ちを持たれてしまうような、完璧な人物を配置することは普通やらない。ペーションは持てるものである主人公を老人にすることで、さらにそれゆえ(老衰ではなくて体にガタが来ているという意味で)死にかけている(主人公ヨハンソンは脳梗塞で倒れて右半身が麻痺している。)という属性を付与することでそんな批判的な感情をうまく回避している。さらに主人公が老齢ゆえの物語の機能的な「苦味」がうまく走るように巧みに物語を設定している。

警察組織に属さない、体もうまく動かないので安楽椅子探偵のような趣で、警察組織の面倒なしきたり(縄張り争い、無能な上層部の入れるチャチャなど)から開放されていて、好きに動ける。それに尊敬を集めているがゆえに警察の機能は無限に使える。金持ちの兄、トラウマを抱える腕っ節の強いロシア移民の若者をチームに入れて、いわばチート状態で事件捜査に乗り出すわけで、そういった意味では警察小説というよりは探偵小説のか形式なのかもしれない。兎にも角にもそうすることで色々なしがらみから解脱した結果捜査のテンポがあがり、ただただ目の前の時効を迎えた殺人事件にフォーカスされている。
犯人はわかっても法的な精査を課すことができないので、当然主人公は彼/彼女の殊遇について一体どのような判断を下すのか、というところが犯人は誰か?という根本的な問題に加えて読者の楽しみになる。これは大きい。章ごとの冒頭には「目には目を」というあの有名な警句を配置し、またトラウマを抱えたロシア人を主人公のそばに配することで暴力的な解決方法(それが読者の望みの一つでもある。)を目の前にチラチラさせる、というこなれた書き方である。(ペーションの小説が日本で発売されるのはこの本が初めてだが、本国では国を代表する作家だそうだ。自身警察官ではないが警察で働いたこともあり、犯罪学の教授でもあるそうだ。)

強気に振る舞う主人公にとってこの事件の操作が大きな楽しみであると同時に、大きな負担になっていることは作者は直接的に書かない。(ロシア人の若者がちらほら心配する様子を書く程度。)ここのバランス感覚が個人的には好きだ。つまりただ文字を追うのではなく、その情報を組立てて頭のなかで完成する物語が。忠臣蔵を紐解くまでもなく、古今東西西洋登用問わず、人間というのは復讐譚が好きなものだが、そのきれいな物語は実際どのような味がするのだろう、というテーマを非常に真摯に(そのテーマについて作者が直接的に登場人物の口から語らせている描写は皆無である)描いている、と思った。面白かった。

ドン・ウィンズロウ/ダ・フォース

アメリカの作家の長編小説。
私立探偵、麻薬取締官ときていよいよ本丸の警察官を書いたのがこの作品。(サーファー探偵で元警察官という主人公はいたけど。)警察の戦いを書いているのだが、そこはウィンズロウなので一筋縄ではいかない。主人公たちは汚れきった警察官であり、立場を利用してギャングやマフィアと結託している。賄賂を受け取る。麻薬を嗜む。(正当防衛でない)殺人をする。
個人的には警察小説の醍醐味の一つに実在しない”正義”という概念を無理やり現実に当てはめようとして、当然生じる両者の不整合がもたらす葛藤があると思っている。ところがこの小説の主人公マローンはこの葛藤がない。もはや迷う境地には居ない。なぜなら最前線(=街/ストリート)で戦う警察官として嫌なものを多く目にしてきた結果、現場に合わせて自分の正義の形を器用に変えてきたから。これこそが彼と仲間たちが落ちていく過程だった。つまり柔軟になるということが。ヤクザものたちに幅を利かせ、N.W.A.の「Fuck the Police」を鳴らしながら愛車のカマロを駆り街の王を自称するマローンは一見タフだし、自分でもそう思っている。ところがマローンは前述の通り自分の持つ正義に拘りがなく、場面場面で都合よくその正義のかたちを変えてきた男だ。正義を捨てる潔さはなく、ギャングを非合法に葬り、その麻薬を強奪しても自分は正義だと思っている。マローンは愚かな男だがそれは汚職警官だからではない。端的に言ってダサいのだ。言っていることとやっていることが全く一致していない。タフぶっている割にすぐに楽な方に流れる。その証拠に忌み嫌っているネズミにいざ自分がなる段には全く逡巡すらしないではないか。仲間を家族以上の魂のつながった存在だと賛美する割にあっさり彼らを裏切り、そして「妻と子供のためだから」というのである。ダサい。ダサすぎる。この男の弱さはもはや醜い。(私は自分がマローンよりタフだと言っているわけではない。彼ほど虚栄心が強くないだけだ。)
この物語は二段階の堕落を描いている。正義に燃える警察官であったマローンが悪党に落ちる様、そして汚職警官から裏切り者に落ちる様。いずれも心の弱さ故の自業自得(私はこの言葉あまり好きじゃないんだけど)なわけで、ほとんどの警察官は作中ですら真面目に働いているのである。たしかに腐敗が横行している、上に行けば行くほど低リスクで私腹を肥やしている、司法制度が機能していない、全て然りだろう。下のものが割りを食うのはいつの時代、どの業界でもそうである。しかしそれを糾弾するマローンの姿はやはり格好悪かったのである。

この小説を読んで面白かったのはキャラクターが立っているが決して内面に深く切り込んでいるわけではない。つまり人物像系としては(巧みにそうしないようにしているのだろうが)やや形式的だと思う。民族的なあるある感が詰め込まれておりわかりやすい。(私は日本育ち日本在住なのでこの判断はフェアではない可能性が大いにあるが。)だから汚れた警察官を主役に据えても、アメリカ文学海の狂犬ジェイムズ・エルロイの書く警察小説とは明確に雰囲気が異なる。エルロイは警察官を動かすことで彼らの内面の動きを描こうとするが、ウィンズロウは逆で主人公の内面的な葛藤はふんだんに書くが、あくまでも社会問題として警察官の汚職を描こうとする。身も蓋もないがエルロイの書く警察官たちは皆変態であるが、この小説には変態は一人も出てこない。変態とは例えばホモフォビアのホモとかそういうことではなくて(つまり説明として不十分)、異常なこだわりを持った人物という意味。エルロイ作品の登場人物たちは出世欲が強くても社会がどうなろうと知ったことではないのだ。毛色が異なるということで優劣はもちろんないが、個人的にはやはりウィンズロウという作家はどこまでも真面目な人なんだなという印象が強くなった。

主人公マローンのことをボロクソに貶してしまったがもちろん小説としては大変面白かった。

2017年7月29日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/獣どもの街

アメリカ文学会の狂犬、ジェイムズ・エルロイによる連作短編集。
犀のファッションに身を包んだマッチョな刑事と、殺人も厭わない強靭な精神を持った女優を主人公に据えたエルロイ流のおとぎ話。

この間「悪党パーカー 人狩り」を読んだらそのあとがきで訳者がエルロイをして「ケレン味がある」暗に本当のノワールとは言えないと批判するような形で書いていて、まあ確かにとは思って面白かった。一体エルロイという人は「狂犬」とか「熱に浮かされた」とかいった言葉で表現されるようにとにかくその筆に勢いというのは情熱的でそして大仰である。なんせホモフォビアの筋骨隆々の刑事が血まみれ、薬物まみれで大きく損壊された死体に立ち向かって行くような話ばかりを書いている。警察、ギャングどちらのサイドにいようが基本は悪人であって、ある意味では非常にアメリカ的なわかりやすい話をものすごく低俗に描いているとも言える。そんなエルロイがセルフパロディのように書いているのがこの物語。元はと言えば作品集に書いた作品の中から、この犀狂いの刑事リックと、彼のファム・ファタールドナのシリーズ三作品を抜き出したもの。三作品あれば十分一冊にはなる重厚さだけど、一つ一つは短編なのでエルロイ流の嫌になるくらいの濃厚さはちょっと抑えめで、陰惨さもそこまでではない。バラバラ死体は出てこないし、何より権謀術數渦巻く警察の闇の描写も少なめで全体的にカラッとしている。(ねっとりとした強迫観念が(あまり)ないのだ!主人公のドナへの深い想いはむしろ純愛に転化している。)その代わりいつも以上にエルロイの筆が冴えまくり、とにかく前編主人公リックから語られる言葉がマシンガンのようになっている。何がどうなるかわかりにくいところもあるのだが、勢いでとにかくリックに首根っこを掴まれてぐいぐい追い立てられているようだ。
そんな勢いが現れているのが文体で、もともと「ホワイトジャズ」ではその一つの到達点に行ってしまった感もある、独特の文体が持ち味のエルロイなのだが、この一連のシリーズでは徹底的に頭韻が踏まれている。私も頭韻って何だ?と思ったが例えばこの一文である「信じられないような臭気の襲撃に死にそうになる。顎に朝飯があふれかける。羽虫を払いのける。」要するに単語の頭の子音が一致している。書いたエルロイ本人もすごいが、何より訳した人がすごい。意味が変わるといけないから使える言葉は限られるだろうに、頭がさがる。熱狂的な語り口が無軌道にほど走っているように思えるが、その実相当緻密に組み立てられている。具体的には頭韻を踏むことで無意識に(結構意識しないとそのまま読んでしまうのだ)リズムが生まれて、その波に乗るが如く勢いに乗ってスイスイ読める。
わかりやすいのは主人公リックのドナに対する愛情でこれはもう常軌を逸している。なんせドナのいきそうな飲食店の店員を手なずけて彼女が来店したら連絡するように情報網を作っている。連絡を受けたらすぐに飛んで行く。それなら普通に連絡したら良さそうなものなのに、どうもそうはいかないらしい。要するにストーカーめいているわけなんだけど、そんなリックをドナは愛している。異常な事件とドナによる殺人がないと二人の愛は最終的には燃え上がらないわけでそう行った意味では異常な二人なのだが、それでもリックに比べるとドナは男にとって理想的な女になってほとんど健全に生き生きしている。つまりもうこれは現実を通り越しているわけで、エルロイの方も外連味を効かせすぎていることは承知でこれを書いている。いわば突き抜けた作品になっていて、そう行った意味でおとぎ話めいていると思う。こんな幻想の中でももちろんエルロイの魅力は全くその輝きを失ってないわけで(むしろ順序が逆で自分の強みをルールの外にまで伸ばしてるわけだから)、突き抜けることで躊躇の無さが面白さになっている稀有な例かもしれない。波の作家なら遠慮してしまって中途半端になるところではなかろうか。

あとがきにも書いてあるがエルロイ初めての一冊にはこの本が良いかもしれない。絶版だけど。エルロイ気になっているけど、三部作とかな〜とか気になっている人は是非どうぞ。いわゆるエルロイサーガとは別系統だけど、好きな人はもちろん楽しめるはず。

2017年7月23日日曜日

R・D・ウィングフィールド/フロスト始末

イギリスの作家による警察小説、フロスト警部シリーズ第6作目にして最終作。
怒りに満ちた小説である。おそらくこのシリーズの以前書いた感想でも書いたと思うが、怒りに満ちた小説であると思う。フロスト警部シリーズといえば、下品なオヤジフロストが主人公、イギリスの郊外の街デントンの警察官で見た目はむさ苦しい、毎日同じヨレヨレのスーツを着ているオヤジで、経費をちょろまかしたり、後輩に指で浣腸をかましたり、下品なオヤジギャクをかましたりと、ユニークな人柄でちょっと面白い警察小説みたいなイメージがありそうだし、実際はそうなんだけど、ユーモアに富んだ警察小説です、といえばこの本の魅力を半分も説明できていない。バラバラに切り刻まれた死体、女子供に対する暴力、強姦、そして殺人。楽しげなユーモアのすぐ下には陰惨な事件が描かれている。そしてそれを犯すのは普通の人間たちなのだ。陰惨さのインフレを起こしている犯罪小説界ではどんな陰惨さも既知のものである。新しい化け物としてシリアルキラー、サイコパスなんて単語ももうなんとも珍しくない。その傾向から真逆に舵を切ったのがこのシリーズである。普通の人間が犯罪を犯す、そんな当たり前を描いている。フロスト警部シリーズはリアルだ。もちろん完全にフィクションだが、生々しさという点では他の小説より群を抜いている。描写は紳士的だが、人間が犯罪を犯すその愚かさ、勝手さ、傲慢さの描写は私たちの生活の延長線上にある。犯罪者ではないがとにかく評価のことしか気にかけないマレット署長、新登場のスキナー警部など見れば私たちの周りにいそうな嫌な奴、その本当にいやらしい本性をまざまざと書いている。こういう身勝手な奴らが真面目に働いている人間の働きを台無しに、手柄を掠め取っていくのである。嫌になる日常、嫌になる程普通の日常、サイコパスではない隣人が汚らしい性欲を満たすために犯罪を犯す、その醜さ。それら犯罪に対して立ち向かっていくのがフロストな訳だけど、この人フロスト警部は決して銃を撃たない。ものには当たっても暴力は振るわない。ぼやきながらも誰よりも働く。誰よりも働くからミスも目立つ。(もし同じ確率で人がミスをするなら、たくさん仕事をする人が一番ミスが多い。)今作でははっきり書かれているが、フロスト警部は出世なんかどうでも良い。クタクタになるまで働いているのはなぜ?はっきりと明言されていないが、間違いない、それは罪のない市民(この時罪のないというのは聖人ではなくて普通にあつかましいけど人を傷つける意思のない人、冒頭の赤ん坊誘拐されたと喚く娼婦を思い出して欲しい。)を守ること。だから今作では犯人を逮捕するというよりは、行方が分からない子供の心配をしているのがフロストなのだ。世に警察小説はいっぱいあって、色々な刑事たちがいるけど、ひょっとしたら私は冗談抜きにフロスト警部が一番かっこいいのではと思う。今回彼は窮地に立たされていることもあって、いつも以上にうまくいかなかった自分の結婚生活に思いを馳せていることが多くなった。幸せだった日常がいつ壊れてしまったのだろう。好き合っていた二人がなぜいがみ合うようになってしまったのだろう。あるのは後悔で、そしてそれはもう取り返しのつかない昔の出来事なのだ。誰しもきっと分かるはずだろう、あの時こうしていれば、きっと誰でも一つや二つやあるいはそれ以上あるだろう。フロストはそんな思いを抱えて、疲れた体に鞭打って働く。そこには私たちの生活が透けて見えるような気がする。私はそんなにかっこよくないが。そこでも悲喜こもごもの、大抵は辛いことの多い毎日が優しく推奨されているように思うのだ。

原題は「Killing Frost」だが本当は「An Autumun Frost」だったらしい。作者のR・D・ウィングフィールドが亡くなってしまったのでこの題名に変更されたとか。本当ならもう何冊か読めたのかもしれないと思うと切ないが、これでフロスト警部とはお別れである。オヤジギャクで包んであるけど、その実人を人と思わない傲慢な奴らに対しての怒りに満ちた小説だと思う。本当に楽しかったぜ、6冊(上下に分かれているから実際はもっと多いけど)を読むのは。最高にかっこいい男が出てくる最高の小説だと思う。芹沢恵さんの翻訳も本当バッチリだ。オヤジギャクを邦訳するのとか大変だったんではなかろうか。村上かつみさんの表紙絵も良い。フロストといえばこの顔で固定されている、私の中では。
面白い警察小説を読みたいなら是非読んでいただきたいシリーズだ。読んだ後ポジティブな気持ちになれる最高のシリーズ。ぜひぜひどうぞ。

2017年4月13日木曜日

ジェイムズ・エルロイ/自殺の丘

アメリカの作家による警察小説。
アメリカ文学界の狂犬ことジェイムズ・エルロイによる刑事ロイド・ホプキンズシリーズ第三弾にして最終作。だいぶ前に読んだ一冊め「血まみれの月」、そしてこの間読んだ2冊目「ホプキンズの夜」ときたらやはり最後まで行かないといけない。すでに絶版状態の本のため古本で購入。1990年の初版本で前の2冊は重版後だったので表紙のデザインが異なる。上の画像は新しい方で私が持っている本とは異なる。(古い方の画像がなかった)

車泥棒のライスは密告を受けて刑務所に収監されていた。模範囚となり、出所を目前にした彼は偶然強盗の手口を耳にする。それは不倫をしている銀行の支店長の愛人を人質にとり、金を奪うというものだった。ライスは売春婦の彼女をロックスターにする夢がある。そのためには金が必要だ。まともになる気なんて毛頭ない。彼は出所後その計画を実行することにした。LAPDの部長刑事ロイド・ホプキンズはハヴィランドの事件の後始末でヘマをやらかし停職中だったが、ライスの起こした強盗事件の捜査のためFBIとの共同戦線に引っ張り出される。上層部は彼を警察から追い出すことにし、それまでの間に事件をあてがわれたのだった。窮地に陥ったホプキンズはこれが自分の最後の事件と腹をくくり捜査に乗り出す。

ざっとしたあらすじだけでも前の2冊とは明らかに一線を画すことがわかる。今度の事件にはサイコパス、もしくは殺人に執着する精神異常者は出てこない。ライスは彼女をロックスターに仕立てたいのだ。そのために金が必要で、手っ取り早く強盗稼業で稼ごうとする、一応一般人にも理解できるロジックで動く男。ただしやはり情緒面に問題を抱えて降り、怒りがある地点を超えると理性を失ってしまう。(視界に赤い色が滲んでくる、という描写で表現される。)彼と相対する主人公ホプキンズもトラウマから(もしかしたら生まれ持っての)同じく精神構造に問題を持ち、それが行動となって現れることで生きにくさを抱えている。両者ともにロマンティックな面が強調されていて、ホプキンズは別居中の妻と子供(末っ子だけは彼の味方)と気持ちが通じ合わない。ライスも自分の思いは強いのに、彼女には全然届いていない。ロマンティックというよりは自分の生きがいを恋人に求めているような一方通行感が目立つ。それだけ彼らの孤独な魂が浮き彫りになる寸法で、ロマンチシズムを感じさせるのは何も恋愛感情だけでなく、そう言ったある種の男の美学的な表現にも当てはまる。あとがきにも書いてあるようにエルロイの描く男たちというのはみんな屈強な体に凶暴な意思を持ち、その手には銃が握られている。時には簡単に一線を越える”強い”存在であると同時に心の奥には強い恐怖を感じている。それは孤独や、生きがいの喪失(今回ホプキンズは生きがいである警察官という職を失うことを極度に恐れている)、またはホモフォビアだったりする。硬い殻とナイーブな魂を持った彼らはトラウマという単語に収まらないほど病的で危険な存在である。異常な執着心すらも飾りのように死に向かって飛び込んでいくような姿は狂気を通り越して、非常に虚無的に見える。熱い情熱があるのに、その中身は空っぽなのだ。魂に欠落があるから外見を武装しているようにも見える。その間違った情熱こそがエルロイの魅力なんだと思う。文体が流麗なわけでもないし、むしろたまにわかりにくい。余計な物がついている。情報量が多い。(登場人物の行動に)無駄が多い。しかしそれらが良い。その混沌とした行き当たりばったりな矛盾。執着とどうでも良いという諦めが同時に存在して、ぶつかり合って火花を立てている。冷たい炎に焼かれるように破滅していく。そんな姿はやはりロマンティックで、私としては羨望の眼差しで彼らを見てしまう。
彼らの魂に祝福を、と思わせるラストも驚いたが良かった。面白かった。

すっと読める本じゃない、濃い本が読みたいならエルロイの描く物語は最適だと思う。近作よりはどうかしている度合いは低くてわかりやすいので初めて読む人もいいと思う。まずは「血まみれの月」を読むのがもちろん良い。冒頭で大体合うか合わないかわかると思う。

2017年4月2日日曜日

ジェイムズ・エルロイ/ホプキンズの夜

アメリカの作家による警察小説。
原題は「Because the Night」で1984年に発表された。
刑事ロイド・ホプキンズシリーズ「血まみれの月」に続く第二弾。

ロサンジェルスの酒場である夜人が殺された。酒場の店主、そして客が二人。一列に並ばされ、そして頭を大口径の銃で撃たれていた。
LAPDの一匹狼の刑事ロイド・ホプキンズは事件の捜査に当たる。しかし証拠は極めて希薄で捜査は前途多難の相を呈している。そんな中変装の名人で「錬金術師」の異名を持つ警察官が実はしばらく前からその姿を消していることが発覚。事件の匂いを嗅ぎつけたホプキンズはそちらの捜査にも乗り出すが…。

アメリカ文学会の狂犬と称され、自身もドラマティックな出自を持つ作家ジェイムズ・エルロイの小説。「血まみれの月」を読んだのはだいぶ前だが作中の宿敵の歪んだ精神は強烈だった。濃厚な小説だった。非常に残念かつ不可解だが、そのホプキンズシリースは今では絶版状態である。(当時「血まみれの月」だけは買えたのだが、今ではそれも絶版のようだ。)しようがないから中古で買った。(可能なら新品が良いんだよね。)
熱心なエルロイファンとはとても言えないが、いくつかの作品を読んでそして非常に楽しめた。エルロイの書く小説はその凄惨さにまず心と目を奪われてしまうが、実は非常にロマンティックだ。いわゆる「ハードボイルド」とカテゴライズされるジャンルの中でのアメリカの一つの理想である”強い男”の物語であって、それがなんらかのプレッシャーで著しく歪んでしまい(それが非常に激しく損壊された死体に現れる)、それでも崩壊一歩手前で虚勢を張っている、そんな趣だ。そう言った意味でロマンティックで自己本位だし、それが異常に濃厚である。だがそれが面白い。異常な輝きを放っている。
今回はそのエルロイのロマンティックさが色濃く、そしてわかりやすく現れている。凄惨な過去があり苦悩とトラウマ(トローマ)を抱えているホプキンズは、体躯に恵まれ、頭も異常に切れる(IQが人並外れて高い、という客観的な説明が付与されている)、非常にアンバランスで作中では明言されないが、常識を超越した理論で動いているシリアルキラーたちとどこかで同調している。乱暴さと知性、正義と悪という矛盾を内包してはち切れんばかりになっている危ない男。まさに男の子の考える理想なヒーロー像なわけだ。キャラクターの個性を他のキャラクターに喋らせるなど、結構ストレートな表現がされている作品だなと思う。この本はエルロイの5冊目の本らしいから、まだまだ円熟の域に達していない頃なのだろう。
ホプキンズ自身は女漁りがひどい(ただしこの作品ではその要素は皆無)し、家族とは離れて暮らしている、そして独断専行で動くだけでそこまで問題がない。また警察内部の混乱もほぼ皆無。例えば「ホワイト・ジャズ」のようなもはや悪人としか呼べないような悪徳警官たちの権謀術数入り乱れる作品とは明らかに一線を画す。単純な反面非常に読みやすい。物語が直線的なのでただページをめくるだけで良い。
ただどろっとした熱い激情(血と汗と精液となってほとばしる)によって突き動かされる登場人物たちはすでに健在で、そこでは理詰めではない偶然と思いつきと、忍耐と暴力が支配している。理路整然とはしていないわけで、読者はわからない方程式で動いている彼らは異常である。はっきり言って狂気の沙汰なんだけどそれが面白い。思うに説明不可能な情熱を燃やされる方がいい。その情熱の正体はもちろんわからないのだけど、そう言ったこだわりがあることはもちろんじゃん。それが体温であって、それが伝わってくる創作物は私からしたら最高なのである。

濃い物語が好きな人は是非どうぞ。エルロイ好きの人も中古でいいなら是非読んでみてほしい。殺人鬼の異常さに関しては前作「血まみれの月」に軍配があがるが、登場人物が全員非常にめんどくさいトラウマ地獄の様相を呈する今作も非常に読み応えがあると思う。

2017年3月25日土曜日

マイクル・コナリー/転落の街

アメリカの作家によるハードボイルド/警察小説。
この作者の作品は初めて読む。面白そうなあらすじと良い評判で購入。

LAPD(ロサンゼルス市警)強盗殺人課未解決事件班で働くハリー・ボッシュ。彼は60歳の定年を迎えたあとも定年延長選択制度により警察で働き続けていた。ある日1989年に発生した19歳の女性の暴行殺人現場に残された血液が前科のある人物のそれと一致することが判明。ところがその人物は当時わずか8歳であった。ハリーと相棒のチューは一筋縄では行かなそうな雰囲気を感じつつ事件に取り組む。しかし時を同じくして警察に対して大きな権力を持つ市議の息子がホテルから転落死を遂げ、市議は因縁のあるハリーに捜査の指揮をとれと直々に指名してくる。政治の絡む事件は複雑だ、頭を抱えつつハリーは二つの難事件に挑む。

ハリー・ボッシュを主人公とした一連のシリーズのなんと15作目!ということだ。前述の通り作者の他の作品は読んだことがない。
とにかく読みやすく、また物語も謎に次ぐ新たな謎といった展開でのめり込ませる求心力は相当。ストーリーが練られていて破綻なくきちんと収まるところに収まる、という警察小説の見本みたいな小説。上下に分かれているが結構あっという間に読むことができた。
じゃあ面白かったかというと実はそんなことはなかった。上巻を読み終えるところまでは楽しいな〜という感じだったのだが下巻を読み進めるうちに頭に疑問符が浮かんでしまった。よくできているがゆえに綺麗に収まりすぎている印象。円熟しきってしまっているような。全ての物語は作為的であるから、だいたい筋があってそれに沿って事件や出来事登場人物が並べられるのだけど、それでも一つ一つはいかにも偶然によって噛み合いつつ、現実と同じようにラストに向かって落ち込んでいくわけなのだけど、この小説はどれもスムーズにいきすぎていてどうにも感動が薄い。明らかに都合が良すぎ。女にモテるボッシュ(なんかめんどくさい女に振り回されて困るそぶりを見せるけどあくまでも女の方がめんどくさいという男臭い書き方)、片親だけど娘と良好な関係を保っているボッシュ、押しが強く仲間思いだが手柄は独り占めにしたいボッシュ(それならそうといえば好感持てるのに)、自分の能力に衰えを感じるけど崇高な正義のためには結局働き続きたい強いボッシュ(やる気がないのが悪に直面して奮い立つならいいけど、能力不足だけどやっぱやるわってどうなんだろう)とにかく主人公ボッシュが強すぎ。別にジャズが好きな家に帰らない父親に対して理解のある高校生の娘がいたって、女にモテても、若い部下が使えなくても、喧嘩に強くても全然良いんだけどそれらが全部のせ!ってなると読んでいるこっちは冷めてしまう。ちょっと前から北欧の警察小説が盛り上がっているけど、ヘニング・マンケルの刑事ヴァランダーシリーズをあげるまでもなく、凄惨な事件とそれを追う刑事の個人的な問題を一緒の直線上に乗っける手法が今では結構メインなのかもしれない。どれもそんな作りだった。この小説だと老年を迎えるハリーにもそんな色々な悩みがあるんだけどどれも本当っぽくない。全部がそうすることで小説が盛り上がるんでしょ?って計算で配置されている感じ。(前述の通りそれ自体は悪くないんだけど書き方がおざなりすぎて本当っぽさがないんだ。)
個人的には警察小説の面白さというのは、善悪という概念に対して絶対的正義の側にある警察官が矛盾を感じつつも、現実的な事件を落着に落とし込まなければならない、というその葛藤にあるわけで、この小説はそれがあんまりない。さすがに一番最後で組織の正義と、個人の正義の対比を持ってきてそこはさすがに抑えてきたか、という感じだったけどそれも技巧的にしか感じられなかった。初めっから正義を盲信しているみたいでなんだかな…という感じ。主人公は色々悩んでいる、迷っている、と書いているのだけど本当の失敗は実はしていない。本当に恥ずかしい思いはしていない。”かっこよさ”の殻に守られていていたい目には合わないようにできている。だから読者の私はそんな彼に共感できないというか、逆に「うげー」となってしまったのである。ひょっとして私は異常に嫉妬心が強くてひたすらイケメンが活躍する話にジェラシーを燃やしているだけなのだろうか?と地頭してしまった。それとももっと凄惨な話でないとぐっとこないのだろうか?

読みやすいからといって面白い小説は限らないんだなあと思った。これが世間一般にひどい小説だとは言わない(個人的にはそう思っているけど)けど、小説というかフィクション、というかノンフィクションでもいいんだけど物語に何を求めるのか、ということで私には合わなかったようだ。ただ非常によくできたうまい小説だと思う(ドラマ化されたり人気はすごいあるみたい)ので、ひたすらおじさんが活躍する物語を読みたいんだ!という人にはうってつけではなかろうか。私はもうこの人の小説はこれだけで良いかな。

2016年10月22日土曜日

S・クレイグ・ザラー/ノース・ガンソン・ストリートの虐殺

アメリカの作家による警察小説。
なんとなくAmazonにオススメされた買って見た。帯には「ブッ殺す!」と書かれていて期待感を煽ってくる。
作者のS・クレイグ・ザラーは多彩な人で小説家の他に脚本家としても活躍し、なんとその前にはブラックメタルバンドでドラムを叩いていたらしい。(ライターの済藤鉄腸さんのブログより。)

黒人の警察官、ジュールズ・ベティンガーはアリゾナ州の警察署に勤務する刑事。とても優秀なのだがとある事件により実質左遷されてしまう。転勤先はミズーリ州ヴィクトリー。南部に位置するアリゾナに比べると厳しく寒い田舎町で治安は最悪。広大なスラム街が広がり、一部は荒廃し切って実質無法地帯である。18歳から45歳までの住人の7割に犯罪歴がある。着任早々ひどく暴行され殺された女性の事件を担当するが、相棒も含めて所内の警察官にはどうも後ろ暗いことがあるらしく、ベティンガーに敵意を見せる。そんな中で署内の警察官が襲撃され殺される事件が発生、ヴィクトリーは暴力と死に満ちた危険地帯におちいっていく。

警察小説といってもミステリー的な要素はほぼない。徹底的な陰惨な暴力が描かれる。そういった意味ではノワール成分もあるのだが、例えばジェイムズ・エルロイのように権謀術数渦巻く中で垣間見える間違った男の美学的な要素は一切なし。ジム・トンプスンの暴力の背後にある圧倒的な虚無もなし。もう暴力と差別と悪意しかない。短絡的で表層的だし、あえていうなら低俗ですらある。こうやって書くと救いがないのだが、よりエンターテインメントとしてはわかりやすく、だから純粋に楽しみやすい。まるで石炭のような燃焼材でこれを摂取すると主人公ベティンガーと同じく怒りと破壊衝動で体がカッカしてくる。といっても緩急がつけられていてカタルシスというかヴィクトリーという町の状況が地獄の様相を呈してくるまでをスピーディかつ段階的に書いているから、ストーリーが進むにつれてどんどん引き込まれていく。
なにせ冒頭からホームレスを拷問するのだが、腐って崩れかけている鳩の死骸をその口に無理やり突っ込むのだから酷い。溶けた目玉が喉に落ちてくる、鳩の尖った足が舌を裂いて血が出るといった具合で突っ込まれているホームレス同様こっちも吐き気がしてくる。暴力というのは殴って殴られてそれで終わりというわけではない。殴られた方は痛いし、他人に恐怖を感じるだろう。酷い暴力を受けたら以前と同じように暮らすことができなくなることだって十二分ありえる。そういった意味では暴力というのは二重にひどいものだ。この小説では殴られた方に感情面でどんなことが起こりえるかということに関してもほぼほぼその極北のようなものを描いている。暴力はエンターテインメントだが「ひで〜」と浮かべた薄ら笑いが凍りつくような。そういった意味では決して暴力賛美の小説ではないだろう。この手法でしか書けない暴力の側面が書かれていると思う。
露悪的でやりすぎ感は否めないが、変に知的ぶったりカッコつけないところ、それから熱く陰惨な展開だが、描写は非常に淡々として冷徹であること(それ故ひどく痛そうだったり、辛そうだったりする)、登場人物の感情の揺れ動きを些細とも言える行動によって書いていること(これは個人的に非常に好きなんだ)などを鑑みると良く書けているという以上に非常に真摯に描かれている。少なくとも暴力を切って貼り付けた軽薄なものではない。低俗趣味を全力でやっているのであって、そういった意味では非常に(デス)メタル的な真面目さを感じる。
肉体的・精神的なゴア表現が好きな人は是非どうぞ。私はあっという間に読んでしまった。レオナルド・ディカプリオ氏が映画化するそうな。

2016年7月18日月曜日

アーナルデュル・インドリダソン/緑衣の女

アイスランドの作家によるアイスランドを舞台にした警察小説。
レイキャビクのエーレンデュルを主人公としたシリーズ。前作「湿地」が面白かったので次作のこちらが文庫化したタイミングで購入。邦訳されていない話が「湿地」の前に二つあるようだ。なのでこの本はシリーズ4作目かな?海外の名誉ある賞を獲得しているそうな。

アイスランド、レイキャビクの犯罪捜査官エーレンデュルはサマーハウスの建設現場から見つかった身元不明の白骨死体の捜査にあたる事になる。女性か男性かも判然としない。事故死なのか自然死なのか殺人なのかも判然としない。遅々として進まない捜査に追い討ちをかけるようにエーレンデュルの娘が意識不明の重体に陥る。

前作「湿地」でもそうだったがこのシリーズ所謂従来の警察小説とは結構趣を異にするつくり。今作ではその方向性が加速され、とうの昔に終わっている(殺人にしろそうでないにしろ、推定40年以上前に被害者は死んでいる)事件をまさに掘り返していく。現在進行形の事件ではないし、恐らく連続殺人事件でもなさそう、被害者の死体に著しい損壊がくわえられている訳でもないし、国際的なシンジケートも麻薬も出てこない、北欧警察小説には良く出てくる移民に関するエピソードもなし、銃撃戦もカーチェイスもなし!いわば非常に地味〜な内容。アイスランドには行ったこと無いのだけどフィヨルド(高地とか山という意味出そうな)のなんとなく凄まじい寂しい風景がぶわーっと頭に思い浮かぶ。風が吹きすさぶそんな景色で人は孤独だ。
この物語ははっきりと家族(と結婚もはいるかも)と親子関係がテーマ、主人公エーレンデュルの離婚しておいて来た親子関係が一つ。疎遠だった娘は麻薬中毒者で2人の関係は修復されるに至っていない段階で、娘は危篤になりエーレンデュルは自分の結婚生活とその破綻と子供たちへの接し方について思い悩む事になる。一方でおそらく発見された死体に関係のあると思われる、ある家族についての物語が語られる事になる。一人の男の暴力によって母親と三人の子供たちが破壊されていく様がじっくり書かれている。ひともまばらなフィヨルドにたてられたサマーハウスのなかでの出来事。ある意味さっぱり殺すサイコパスよりよほどたちが悪い。かつてPanteraは「低俗な暴力の見本」というアルバムをリリースしたが、それがこの本でもより直接的に体感できる。極端に美化された(たとえばイケメン俳優が華麗に醜い敵を銃で打ち抜く様な)、あるいは劣化された(たとえばバラバラにして芸術的に飾り立てるなど)暴力とは無縁の、暴力に関するある一つの根源的な真実である。いわば貧困の極みであり、無惨さの極みであり、惨めさの極みであり、フィクションであって一番見たくないものであるかも知れない。力で歪む人たち、力で歪められた人たち、暴力は振るっていないと言い訳するエーレンデュルは危篤の娘を見て何を思ったのだろうか。
もう一つのテーマは孤独である。エーレンデュルは孤独だ。娘も孤独だし、別れた妻も孤独だった。虐待された家族も団結しているように見えてバラバラになってしまった。家族というのは何を束ねる力だったのか。わからない。そんな無力感が全体を覆っている。ある種の人たちにはその無力感があるという事が、それがあると認めるという事が救いになる場合もあるのかもしれない。
非常に楽しく読めた。いい気分にはなれないだろうが、暴力について考えた事のある人なら何かしら得るものがあるだろうと思う。

2016年7月3日日曜日

ジェイムズ・エルロイ/LAコンフィデンシャル

アメリカの作家による警察小説。
「ブラック・ダリア」、「ビッグ・ノーウェア」に続く「L.A.四部作」の第三作目。ハリウッドで映画化された事もあるので、ひょっとしたら一番知名度があるのではなかろうか。(たしか「ブラック・ダリア」映画化されているが、こちらの方が古いはず。)かくいう私も大分昔、恐らく高校生くらいの自分、金曜ロードショーかなにかで見た記憶がある。(が、幸か不幸かほぼ中身を忘れていた。)
長らく絶版状態だったが、エルロイの新作リリースに合わせて電子書籍のフォーマットでのみ再販され、これを購入。

1952年のアメリカロサンゼルスで深夜営業のコーヒーショップ「ナイト・アウル」に深夜強盗が押し入り、店にいた従業員と客合計7人がショットガンにより虐殺された。捜査にあたるのはLAの伝説的警官ダドリー・スミス、女性に対する暴力に過剰に反応するバド・ホワイト、ハリウッドと繋がりのあるごみ缶ジャックことジャック・ヴィンセンス、連続幼児殺人事件を解決し今は建設業界でのし上がった父親に尊敬と複雑な感情を抱くエドマンド・エクスリー。捜査線上には早くから若い黒人が浮かび上がるが…

相変わらずクズばかりでてくる警察小説。
とくに主人公の一人、エド・エクスリーが良い。こいつは卑怯者で不正を正すという名目で自分すら騙そうとしているが、その実出生のために仲間を売るクズなのだが、物語が進むに連れて彼を好きになってくる。といっても彼が成長して心を入れ替えるという訳ではない。むしろ泥沼のよな50年代の裏側にはまり込んでその純真さをどんどん失っていく。その失っていく様が美しいのではない。彼の信じていたものがどんどんその輝きを失っていき、余裕が無くなっていく様が良いのだ。やたらと成長が叫ばれる昨今、正直言って不実の良い訳のように使われている様があっていい加減ウンザリなのだが。やはり人は成長なんてしない。ただ過去によってその行動が決まり、今をごまかし乗り切るために方便が上手くなっていくだけだ。そしてその方便が次第に自分の体に馴染んで来てその本人になる。自分は方便を使っているつもりだが、気づけばそれはもう皮膚のようになって脱ぐ事なんて出来ないのだ。
中でも抜きん出ているのがダドリー・スミスで今回読んでて思ったがコイツだけは埒外で動いている。こいつは名誉・金(不思議と女には執着しない、もしくは意図的にそういう描写がされない)を追い求めているが実際にはそれに執着していない。勿論異常な我慢強さを持っていて、最後に笑うのは俺だと思っているところもあるのだが、なんとなく金も名誉も子供のプライズ程度にしか考えていない気がする。頭脳明晰(有色人種に対するレイシストぶりを隠そうともしないが、実際はそれは自分の犯罪を隠すための道具に使っている節がある)で緻密、とにかく人をそうと思わせずに操る際に長けている。ところが頭は良すぎるが大胆過ぎて、かなりとんでもない事をやっている(例えば共生関係にあるギャング、ミッキー・コーエンの金とドラッグをあっさり横からかすめとったり)のに、その悪事が露呈する可能性は放っておいているようにみえる。要するに危険中毒であり、もっと言うと恐らくサイコパスなのではなかろうか。今回は前作に比べると直接的な描写はむしろ減っているのだが、エドの越える事の出来ない壁として常に陰謀の背後にいる訳でその不気味さが際立っていた。
私はこの後に続く「ホワイトジャズ」は読んでしまっていたのだが、これはもう一回読まないとなと思っている。しかし次のシリーズも気になるし、最新作も気になるし。とにかくエルロイの作品というのは露骨に他の作家では代用できない。
という訳で滅茶苦茶面白いし勿論オススメなのだが、可能ならば四部作の始め「ブラック・ダリア」から、難しい場合はせめて「ビッグ・ノーウェア」から読んでいただきたいです。

2016年6月18日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/ビッグ・ノーウェア

アメリカの作家によるハードボイルド小説。
エルロイは沢山読んだ訳ではないけどファンなのでその本の多くが絶版状態にあるのが非常に悔しい現状。新作「背進の都」リリースに合わせて復刊という事で購入した。ただし電子書籍でのみ、ということなのでこれをkindleで購入。(電子書籍というフォーマットに関しては別の記事にでも感想を書こうかなと。)

1950年元旦、ロサンジェルスの保安官事務所に勤める若い保安官補ダニー・アップショーは通報を受けて男性の変死体発見の報を聴いて現場に駆けつける。その死体は眼球をえぐりとられ腹部には動物に噛みとられた様な傷跡、背中には刃物で執拗に斬りつけられた様な傷跡が残っていた。上昇志向の強いアップショーは周囲の反感を買いつつも独自の捜査を進めていく。一方地方検事局に勤める警部補マルコム・コシンディーンは検事補エリス・ロウから直々にハリウッドの労働組合UAESがその実共産主義者であり、彼らを裁判にかけるための捜査に加わるように持ちかけられる。相棒はロサンジェルス市警の同じく警部補ダドリー・スミス。離婚の危機にあるコシンディーンは出世と子供の親権を勝ち取るためにその仕事を引き受ける。部下にはかつての妻を寝取った男ターナー・バズ・ミークスを使う事に。ミークスは身を滅ぼす恋に片足を突っ込んでいた。アップショー、コシンディーン、ミークス目的の異なる3人の運命が交錯していく。

1950年のアメリカというとどんな時代か想像がつかないが、どうも所謂アカ狩りというのが猛威を振るっていたらしい。ようするに共産主義者を国家の敵としてオーソリティはこれを徹底的に取り締まっていたと。これはその最先端の警察の物語なわけでそういった意味では警察小説と呼ぶ事は出来るのだけれど、大分その様相は一般的な警察小説とは異なる。まず出てくる警察官はどれもこれもロクデナシばかりである。昨今の警察小説の主人公というのは癇癪持ちだったりセックス中毒だったり大麻中毒だったりと何かしらの問題を抱えている事が多いのだけれど、この物語だと次元が違う。どうもこの時代警察官になるのは本当に腕っ節の強いヤクザみたいな人ばかりだったらしい。ギャングから賄賂をもらい、自分でも麻薬を売る、(信じられない事に)人を殺す、何でもありである。
エルロイの小説を好きな人はだいたいいつも通りだと分かるだろう。この人の小説というのは徹底的に汚い。人の暗部を書いているというと聞こえは良いし、実際例えばデニス・ルヘインなんかも人の暗部を書いているし、そこに乾いた独特なアウトローの格好良さがある。しかしエルロイの場合は血と硝煙と精液のにおいがする、リアルに”汚い”小説でそこに通常のフィクション的な格好良さに入る隙はあまりない(ただし結果的には勿論非常にかっこ良いものになっている)。作中でも言及されるがこの大層なアカ狩りの作戦でさえ茶番であるし、エリス・ロウからしてミッキー・コーエンとずっぷりで権力欲に取り憑かれた豚の様な存在である。この大義のない作戦に、異常な連続殺人という要素を入れる事で物語が一気に加速している。どちらというと「血まみれの月」みたいな猟奇的な殺人こそがエルロイの持ち味でそちらに権謀術数の要素を追加した、というのが正しいのかもしれない。
エルロイの小説に出てくる登場人物たちは個人的な動機でしか動かない。それは金と権力と女!でなにか、今以上の何かを得ようとしている。その飽くなき欲望の裏には動機と背景として何かしらの欠損や弱点が見え隠れする。いわば金、権力、女はその暗い穴を埋めようとする大小にすぎず、それゆえ決して満たされる事なく常に新しい何かを求め続けていく事になる。その中でもダニー・アップショーというのは面白いキャラクターをしていて捜査を進めるに連れて自分がホモなのではと実は子供の頃から抱えて来た根源的な疑問に相対するが、その事実を受け入れられなくて次第に崩壊していく。時代と文化的な背景があって、さらにマッチョさが過剰に求められる警察官(保安官だが)でホモというのは今の私たちからすると想像を絶するほど認めがたい真実なのだろう。

相変わらず熱気にくらくらするように読んだ。面白い。
電子書籍大丈夫な人は是非どうぞ。

2016年3月19日土曜日

ジム・トンプスン/鬼警部アイアンサイド

アメリカの作家による警察小説。
名作ドラマのノベライズをノワール文学の巨匠が担当した異色作。

サンフランシスコ市警のロバート・アイアンサイドは優秀な刑事だったが何者かに銃撃され下半身に障害が残り車いすでの生活を余儀なくされた。しかし市警はアイアンサイドの才能と手腕を買い、通常の組織には捕われない別働隊として彼を抱え、2人の刑事をその部下としてつけた。黒人の運転手を加えた鉄壁のチームが犯罪に挑む。

元々「鬼警部アイアンサイド」というのは1967年から1975年の間に制作・放映されたアメリカのテレビドラマ。その人気は高く都合8シリーズ199話制作され、日本でも放映された。ちなみに設定を変更したリメイク版(アイアンサイドが黒人に、舞台がニューヨークにへんこうされているみたい)が2013年から2014年に放映されていたようで、時が立ってもその人気ぶりが伺える。オリジナル版のQuincy Jonesの手による印象的なテーマ曲は聴いた事のある人も多いはず。(私もアイアンサイドのテーマ曲とは全く知らなかった。改めて聴くととてもカッコいい!)
そのテレビシーズのノベライズが本書。(他にもトンプスンではない作家のノベライズもあるようだ。)始めはてっきりトンプスンが原作かな?と思ったのだがそうではなかった。トンプスンは言わずと知れたノワール文学の巨匠でこのブログでも何冊か感想を書いた。テレビシリーズの警察小説というと少し意外な気もするけど、晩年のトンプスンは映画を始め映像作品と関わっていたとのことなので、そういった繋がりでこの仕事が舞い込んだのかもしれない。ちなみにこの小説、短いながらも警察小説の面白さがぎゅっと詰まったとても良い本。

トンプスンが刑事、しかも悪徳ではなくて正義感に燃えるリーダーを書くとなるとこれだけでもうすごい事なのだけれど、この車いすにのった巨漢アイアンサイドは滅茶苦茶カッコいい。鬼警部の名はだてではなく部下をこき使いまくり、自分でも捜査に積極的に乗り出すが、銃は好きじゃない(銃は健常者のための武器である、というくだりはトンプスンっぽくて納得してしまった)、部下の女性にほのかな恋心があるが、厳しく自分を戒めている、と厳しくも優しい刑事の誕生である。
車いすというのはどうしても移動だけでも常人のように行かないから、チームワークが通常以上に発揮されるという小説的な利点があるのは勿論のことだが、個人的にはこの要素は主人公の不屈さを何より効果的に高めていると思った。アイアンサイドは車いす生活の不便さを嘆く事はあっても、たとえば理不尽だと行って他者を非難するものでもなく(彼が何故そうなったのかというのはほぼこの本では語られない)、自己憐憫などもってのほか。彼にはもっと気になる事がある。それはにっくき犯罪の全貌を白日にさらし、犯人
は法の庭に引っ張りだし(彼は暴力的な人間ではない)、犯罪の被害者には慈愛を持ってその傷をいやそうとするのである。障害は彼にとって何の影響も無いように見える。例えば障害によって改めて人として成長した、とかそんなのも無いのである。ただ不便だ!と悪態をつきつつ、きっと足が自由だった頃と変わらない情熱で持って事件に挑み続ける好漢がアイアンサイドという男なのだろうと感じさせる。
大衆を意識してなのかトンプスンの黒さはさすがに他のノワール作品に比較すると押さえ気味ではあるが、効果的にオブラートに包んだ口の悪さやユーモアは少しも減じる事無く、作者の魅力が濃縮されている。トンプスンお得意の本人すら気づいていない狂気への偏向というのはほぼほぼ書かれておらず(というか犯人サイドに関してはほぼ書かれていない)、あくまでも善人たる主人公サイドにフォーカスして書かれているので、あなり全うな警察小説に仕上がっている。
トンプスン節を期待してしまうとちょっと方向性が違うので驚いてしまうのだが、警察小説が好きな人は読んでみて損は無いのではと。

アンドレアス・グルーバー/月の夜は暗く

オーストリアの作家による警察小説。
「夏を殺す少女」を読んで以来のファンなので期待大で購入。

大聖堂で異常な殺され方をした女性。彼女はドイツはミュンヘンの市刑事警察機動捜査課の捜査官ザビーネの母親だった。離婚した父親は嫌疑を疑われ警察に拘留されている。父の無実を信じるザビーネはドイツ連邦刑事本部局の事件分析官マールテン・S・スナイデルと無理矢理タッグを組み事件に挑むことに。ところがこのスナイデルは頭脳は一日市場秀でているものの口と素行が最悪という変わり者だった。

ドイツ/オーストリアを舞台にした刑事物。主人公たちがおうのはいわゆるシリアルキラーである。物語的には結構派手。
男女のバディもので、男性の方は変わり者。警察小説にでてくる警官というのは一般人のカテゴリに属しながらも大抵悩みや問題を抱えていたものだが、(犯罪心理捜査官セバスチャンもそうだったが)最近は天才+人格自体に大きな欠陥があるというのが流行なのかもしれない。この物語のスナイデルはいわゆる天才なのだろうが、極度の口の悪さと人嫌いはよいにしても、群発性頭痛持ちでマリファナと針治療を好む超高圧的な変人である。日本のありきたりな表現ではドS上司とか、適当でありがちな形容詞でもってくくられてしまいそうなキャラクターの立ち具合だが、作者グルーバーは非常に上手く彼を掘り出している。たとえば辛い過去があってどうこうというような湿っぽさは皆無であって、最後の最後までスナイデルというキャラクターの真意はザビーネも読者も掴みきれないのである。ここは良いなと思った。
シリアルキラーを追っかけるバディという話のぶっとい筋はそのままなのだが、作者自身も言及している通り物語の軸として心理療法(カウンセリング)が非常に重要なファクターになっている。スナイデルは謎の多いキャラクターであるが、もう一つの大きな謎である犯人に関しては心理療法を通して一体彼が何者で、なぜこのような連続殺人に手を染めたのかというのが、非常に上手いじらされ具合で捜査の進展とともに少しずつ詳らかにされていく。ザビーネの他にも事件に巻き込まれその核心に迫っていく探偵役がいて、別の視点から事件の全容を暴いていく。同様に見立てられた連続殺人とシリアルキラーという異常性と男女関係もっというと浮気の問題が盛り込まれていたりしてかなりの盛りだくさん。500ページ超のボリュームにぎっしりと詰まっているのだが、酒寄進一さんの読みやすい翻訳もあって物語にのめり込んであっという間に読める。
アンドレアス・グルーバーという人は恐らく持ち前の明るさというか前向きさという様な持ち味があって、残酷描写は目も当てられないくらい陰惨だが、物語全体としては非常に上手くからっとまとめる。母親を殺されたザビーネ、警察や夫に酷く裏切られたカウンセラーとなかなかな難物ぞろいなのだが、彼らの心理描写は非常に端的かつ簡明で物語の勢いはちっとも弱るところが無い。テンポよく最後まで一気呵成になだれ込むまさに得んため小説のお手本の様な構成になっている。一定の上品さというのが意識されていて、描写が下品になりすぎないのも良い。

後書きを読むとザビーネとスナイデルの物語はこの本いこうも継続的に書かれているようだ。続刊の翻訳に期待。血が流れる面白い小説を読みたい人は是非どうぞ。

2016年3月5日土曜日

ジェイムズ・トンプソン/血の極点

アメリカ出身フィンランド在住の作家による警察小説第4弾にしてシリーズ最終作。
カリ・ヴァーラシリーズも気がつくと4冊目。毎回楽しく読ませていただいております。

全開の事件の後妻と別居しているフィンランド、ヘルシンキの非合法警察組織に所属しているカリ・ヴァーラは身も心もボロボロの状態。自宅が執拗な暴力行為にさらされる事になり、家族と仲間の安全を守るため、カリは自分たちの組織の上司も含めた権力と徹底的に交戦する事を決意する。

さてこのシリーズよそでも書かれている事だけどシリーズ中にその方向性を大きく転換している。始めはフィンランドの田舎町の警察署長を主人公に据えた比較的真っ当な警察小説だったのだが、何を思ったのか3作目から警察の枠を大きく越え、血と銃弾飛び交うノワール小説へと変貌。読書を驚かせたもの。
個人的にはこの変化は大歓迎で、元々1作目2作目も面白かったのだけど、全体的に男の美学的なマッチョさがあってそれが警察官という辛くしんどくも尊敬される仕事を描く警察小説という形に微妙にマッチしていないなという感じが正直あった。(ただこれは多分に私の感覚という過去のみだと言うのは自覚しています。)なんというか主人公のキャラクターと書き方が警察小説という枠で書くにはちょっと要領が足りてないかなという感じ。それが3作目から凄惨な暴力を主眼において国家権力中の権謀術数、ナチと北欧の忌まわしい結託など、いってしまえば求心力があり、かついい感じにうさん臭くきな臭い要素をぶち込み、そのバランスをとるため主人公カリを警察官から非合法の暴力組織の頭に据えた事で、濃すぎるカリの個性と生きるか死ぬか、血の美学的なマッチョさがばっちり物語の筋にハマる事になり、まさにジェットコースターのように破滅に突き進むノワール小説に変貌したのだった。
組織と足並みそろえる事無く独自に捜査が展開するから圧倒的にスピード感が増したし、尋問なんかも極めて即物的暴力的に成り下がった(褒めてますよ!)。大口径の銃弾が雨のように飛び交い、悪役は酷い死に方をするし、主人公たちの体もどんどんぼろぼろになっていく。
主人公カリはそんな劣悪な環境で輝いて見える。彼の強みはぶれない事で、最早作品全体の雰囲気に比較すると嘘くさくもあるが(そうして考えると真っ当な警察小説だった始めの2作もちゃんと機能しているのだが)、人の役に立ちたい、特に苦しんでいる女子供を助けたいという気持ちで立っている様なものだし、愛する妻は絶対に裏切らない。このぶれなさはひょっとするとそんな人いね〜という批判になりがちなんだけど、あえて人間くささを演出!みたいにカリが脇道にそれない事が、いわば暗黒の寓話とも言える男の美学的なノワール世界というフィクションをぎゅっと引き締めているように感じるのだ。
十分すぎる銃器やテクノロジーの説明も男の子の心を刺激して良い感じ。

非常に残念な事ながら作者のジェイムズ・トンプソンはこの物語を書き上げた後、2014年に亡くなってしまった。大きく転換したこの物語がさらに広がっていく様を是非読みたかった。非常に残念。楽しい読書体験をさせていただきました。ご冥福を御祈りいたします。
気になった人は1作目、もしくは3作目でもよいかも?から是非どうぞ。真っ白い雪上に熱い鮮血が飛び散る警察ノワールです。オススメ。

2016年2月14日日曜日

ヘニング・マンケル/霜の降りる前に

スウェーデンの作家による警察小説。
2002年に発表された。
2015年作者のヘニング・マンケル氏が亡くなった。67歳だった。
私がクルト・ヴァランダーシリーズの第1作目である「殺人者の顔」を買ったのは2012年。今となっては買った理由は思い出せないが、恐らく何となく紹介を見てだろう。「殺人者の顔」は警察小説というジャンルを知らない私からすると衝撃的なミステリーだった。殺人を扱った本である事は間違いないのだが、読み終わるとそれは象徴にすぎず、スウェーデンという国が抱える問題をそれを通してまざまざと見せられた気分になった。全体的に暗雲が立ちこめた様な暗い雰囲気で進行し、読後感は良いとは言えず、しかし私は2冊目「リガの犬たち」に手を出した。国境をまたぐ重厚なストーリーと派手なアクション、渦巻く陰謀と物語のスケールが一気に加速したその本をあっという間に読んだ。それからは「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」と続編を読んでいくのが最高に楽しかった。デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズもそうだが、優れたシリーズに出会い一気読みするというのは読書体験の中でも相当な醍醐味の一つだと思う。ヴァランダーシリーズを読んで私は警察小説や北欧ミステリーに手を出していった。そういった意味では非常に思い入れのあるシリーズなだけに今回のヘニング・マンケル氏の訃報は非常に残念です。ご本人がスウェーデンとアメリカで暮らしていた事もあり、氏の作品には常に人種や弱いものへの差別に対する強い怒りと批判の精神があると思う。ヴァランダー刑事も絶対正義である警察機構に所属しながら殺人の向こうに存在する差別や欺瞞と戦い、時には正義の矛盾に苦しんだ。いわばこのシリーズはマンケル氏の鋭い洞察力と批判精神が警察小説という体裁にガッチリはまり込んだもののだと私は思っている。デートに出かける娘の後を追って元妻との食事の約束に遅れるヴァランダーを見て果たしてこんなに情けない主人公がいるのかと思ったのですが、癇癪持ちで太り始めたこの刑事がどんどん好きになったものだ。もうこのシリーズの新作が発表されないというのは非常に悲しく残念な事です。作者ヘニング・マンケル氏にに深い感謝を捧げたい。そしてご冥福を御祈りいたします。

クルト・ヴァランダーの娘リンダは警察学校を卒業し、父親と同じイースタ署への配属を後わずかに控えている状態だった。配属するまでは父親であるクルトと同居しているが強情な2人なので喧嘩も絶えない。時間を持て余したリンダは一時疎遠になっていたかつての友人アンナとの友情を復活させるが、ほどなく彼女は失踪してしまう。彼女の失踪に疑問を感じたリンダは父の忠告に耳を貸さず独自の捜査を開始する。

さて本書だが、今までのシリーズとは決定的に違う部分がある。それは今までは主人公サイドは常にヴァランダーの視点で進んで来たのだが、今作はヴァランダーの娘であるリンダが登場。紆余曲折あったが父と同じ警察官への道を歩む事を決めた彼女の視点が恐らく半分以上。このリンダというのは実はまだ警察官ではないから(入署をすぐ後には控えているとはいえまだ本配属されていない状態)、ある意味警察官より自由に動く事が出来る。(その分勿論バックアップも受けられない)また今回事件の切っ掛けの一つになるのがリンダの友人の失踪なので彼女は私的な理由もあって積極的に捜査に乗り出していく。いわばリンダに関しては警察小説というよりは探偵小説の様な趣があって、物語の展開も速い。ヴァランダーはそんな娘を父としてというよりはむしろ熟年の警察官の先輩としてたしなめる事になるのだが、そこは親子ということもあり上手く行かない。捜査と娘の両方のハンドリングをしないと行けないから、その苦労もひとしおである。今作はそんな親子の関係についてもかなりの比重でページが割かれている。今までもヴァランダーと偏屈すぎるその父親(リンダからすると祖父)の問題のある関係についてはシリーズを通して書かれて来たが、今回は30歳を目前にしてまだ何にもなれていないリンダの心の葛藤を描く事で親子関係というよりは一人の人間の成熟について書いていると思う。だからリンダの自殺未遂のエピソードは非常に重要である。
ヴァランダーシリーズは先にも書いたが犯罪そのものというよりはそれを発生させる歪んだ精神を描く事にその主眼をおいているシリーズであるから犯人サイドの視点も本文のうちかなりのウェイトを占める事になる。今回の敵もなかなかの経歴を持ったヤツなのだが、私からすると何かと言い訳を付けて逃げ出す臆病者にしか見えなくて歯がゆい思いだった。何度も書くが敵役が憎たらしい作品は面白い。そういった意味でも今作は素晴らしかった。事件は解決したけどなんともすっきりしない感じも引き続きで、曇天の下何とも言えない気分で佇んでいる様な、そんな読後感はやっぱり最高だ。

本書の帯や柳沢由美子さんの後書きによるとエッセイ「流砂」は刊行予定であり、それからヴァランダーシリーズで未訳となっている2作品についてもなるべく速く手をつけたいと書かれています。ファンとしてそれらを首を長くして待ちたいと思います。その前に「北京から来た男」を読まないとな…

2015年12月19日土曜日

ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q -吊るされた少女-

デンマーク作家によるデンマークを舞台にした警察小説。
過去の未解決事件を捜査する特捜部Qシリーズの第6弾。

デンマークのボーンホルム島で40年警察に勤め上げたクレスチャン・ハーバーザートは自分の退官式で拳銃で頭を打ち抜き自殺した。彼は17年前少女がひき逃げされ樹につり下げられ殺された事件を執拗に追っていた。死の直前にデンマーク署の地下室で未解決事件のみを扱う特捜部に電話したハーバーザートはすげ無い対応に絶望したという。否応無く事件に引きずり出された警部補カール・マークら特捜部の面々は一人の男が私生活を犠牲にしてまで解決できなかった難事件に挑む。

人気シリーズも遂に6冊目。馴れた事もありたしかに始めの2冊のインパクトは無いのだが今作を読んで改めてこのシリーズの面白さを再発見したと思う。
この特捜部Qシリーズの魅力は沢山あるけど、まずはひたすらやる気の無い主人公カールと謎のアラブ人アサド、奔放かつ辛辣なローセ(二人ともミステリアスな要素がある)との軽妙なやり口。これによって堅苦しい警察小説にない雰囲気を獲得していると思う。のどかといったらあれだが。ただ彼らが取り扱う事件というのがこの上なく凄惨である。この凄惨が何かな時になっていたのだが、今作を読んで思ったのは2つ。
始めは暴力の使い方で、例えばバラバラにされた、大量に殺された、サイコパスなどの派手な要素は意外に無い。今作でも切っ掛けになるのは一人の少女とその轢死である。ど派手に目を引く様な作風ではない。また警察小説だが発砲するような暴力性はほとんどない。このほとんどが重要で大抵終盤くらいにカールたちに暴力が襲いかかるのだが、これが本当油断したところにくるくらい唐突なのでとても効果的に見えてくる。暴力の使いどころを作者がきちんと分かっているなと思う。
もう一つは陰湿さだ。今作を読んだ人に思い出してほしいのだが、特にこの物語ではまともな人間が出てこないでしょう。読後感と主人公たちのキャラクターにいい感じに中和されてしまうのだけど、思い返してみると本に出てくる人物たちは悪意とはいわずともどこかしら上記を逸している。それもサイコパスというのではなくて、普通に暮らしている人たちのエゴとそこから一歩、もしくは数歩すすんだような、想像のできる嫌らしさである。これが相当だ。身勝手、愛憎、執着、読んでいる時にげんなりするくらい負の感情のオンパレードである。よくもまあこんな暗さを含んだ小説がベストセラーになるものだとなかばあきれてしまうくらいである。(勿論言うまでもなく面白いからだ。)この作者はなかなか意地の悪い人かもしれないよ。
面白いなと感じる物語は沢山あるし、上手いなと思わせる作家もいるが、物語の作り全体を通してここまで完成度が高いのはちょっと珍しいのではと思う。

相変わらずのクオリティで楽しめた。
あくまでもエンタメ小説の枠に入りながらも薄皮の裏側にある人間のダークサイドを描いた小説。気になる人は1作目から是非どうぞ。

2015年4月4日土曜日

スチュアート・ウッズ/警察署長

アメリカの作家による警察小説。
1981年に発表された。日本に紹介されたのは1984年だが、私が買った文庫は2009年に刷られたの第14版だというから長らく愛されている小説だという事が分かるだろう。
警察小説だがタイトルが面白い警察署長である。通常の警察小説では主人公は刑事のことが多く、署長が現場に出張ってくる事が無い。また原題も「Chiefs」で複数形になっている。この大河警察小説とも称される作品はいろいろ所謂クラシックなのだろうがいろいろと面白いところがある。

1919年ジョージア州デラノでは象虫が猛威を振るい綿花栽培農業を営むウィル・ヘンリー・リーは踏みとどまるよりは新しい道を選択する事にした。それはデラノの町の警察署長に立候補する事。いままで町の小ささ故に警察機構が無かったが、このたび満を持して設立されるポジションに手を上げたのだった。果たして町の有力者達の委員会で承認され晴れて署長になったウィル・ヘンリー・リー。人望も厚く仕事は順調だったが、ある日白人の若者の死体が発見される。全裸で何者かに追われている途中で崖から落ちたらしい。死体には生前の暴行の痕跡が残されていた。平和な町にそぐわない陰惨な事件にウィル・ヘンリー・リーは捜査を開始する。

というのが本当に冒頭。
だいたい雰囲気は掴めると思う。まず本当に小さい町なので警察官が署長しかいないので必然的に捜査にも彼一人があたる。そして1920年代ということで当代風の科学捜査など勿論望むべくも無いのである。捜査の基本は脚というが、ウィル・ヘンリー・リーは脚と口でもとって捜査にあたる訳だ。
こうやって書くと時代が古いだけで至極真っ当な警察小説にみえるが、実はそうではない。上下巻に分かれたこの小説は主人公が3人いる。一人は前述のウィル・ヘンリー・リー。しかしその後にまだ2人の署長達が控えている。彼ら3人は一見平和な田舎町デラノに巣食うある一つのしかし連続した犯罪に44年間という歳月をかけて挑んでいく事になる。これが”大河”と称される由縁である。
なのでこの小説の主人公というのは3人の署長たちともう一人デラノの町というのがある。未舗装の道が続いていく農業が主産業となる20年代、太平洋戦争が終わった40年代後半、そして公民権運動の盛んな60年代と、町とそこに暮らす人々の生活が少しずつだが確実に変遷していく。おもしろいのは実際に暮らしている人の顔ぶれはあまり変わらなかったりするので、より如実に時代の変化が感じてとれる。一方中々変わらない人の意識という物もあってそれがこの小説の一つのテーマだと思っているのだが、黒人に対する白人の差別である。南北戦争は1865年に集結しているものの南部のジョージア州では未だに黒人が白人の奴隷のように背且つしている20年代、3人目の主人公タッカー・ワッツが黒人でデラノの警察署長になるのが60年代。すこしづつ黒人の社会的地位も向上してくる訳だけど差別は根強く、ワッツはデラノに長く存在し続けた犯罪に終止符を打とうとするのだが、白人至上主義者に足を引っ張られる訳である。この白人達の醜悪さといったら中々辛辣に描かれている。白人の気まぐれな傲慢さによって人生を狂わされ、人間以下の扱いをされた黒人の恨みというものが、一見のどかな田舎町に澱のように堆積していく。白人の作家であるスチュアート・ウッズがしかしあくまでも最後に黒人であるワッツを主人公に据えた物語はそんな爆発寸前の緊張状態を、暴力でなく機知と行動によって見事にしめたところが個人的には良かった。
文明の発展は人を豊かにするのだが、人の精神を向上させるのはあくまでも時代によらない普遍的な人の意思だということをウッズは書きたかったのかもしれない。重苦しくなりがちなテーマをウィル・ヘンリー・リーの息子ビリーと、リー家を見守る辣腕ホームズ、この2人は勿論当事者(特に政治の世界に打って出て世直しをしてやろうという危害があるものだし)なんだけど、同時に傍観者の役目もある。そんな2人が年は共通して進歩的な反差別的な人間に描かれているものだから、物語自体は本当に読みごこちが良くスラスラと読めた。
警察小説が好きな人は是非手に取ってみていただきたい。オススメ。

2015年3月14日土曜日

ピエール・ルメートル/その女アレックス

フランスの作家による警察小説。
2011年にフランスで発表されると本国の文学賞だけでなく、イギリスの文学賞も獲得。
邦訳されると日本でも週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!で1位を獲得したという話題作。訳者の後書きによると映画かも決定しているそうだ。
やたらとAmazonがお勧めしてくる訳で買ってみた次第。レビューの数も200件を超えていて私が普段読んでいる本はだいたいレビューが10個もつかないことはザラなんでワクワクしてくる。

パリの路上で女性が誘拐されたという通報があり、パリ警視庁犯罪捜査班のカミーユ警部は捜査の指揮を執る事になる。カミーユは有能だが身長145センチという体躯がコンプレックス。おまけに妻を誘拐された上に殺されたそう遠くない過去があるため、この案件の捜査には当初乗り気ではなかった。通報によって発覚したこの事件、あまりに証拠が少なく捜査は遅々として進まないが、カミーユは次第に熱を上げていく。少しずつ概要が明らかになる中で疑問が出て来たのだ。誘拐された女性の情報が全く入ってこない。刑事の直感で女性の正体がきになるカミーユ。
一方誘拐された女、アレックスは全裸で木で作った極端に小さい檻に閉じ込められていた。その檻の中では坐る事も立つ事も出来ない。誘拐犯の男は「お前が死ぬのを見たい」という。監禁状態が続き次第に精神の均衡を崩していくアレックス。しかし決してあきらめない心で脱出の機会をうかがうが…

さてこの小説、調べていただくと分かると思うのだが所謂衝撃の結末系でもってやたらと後半の展開がすごいとあおられている。(個人的にはネタバレがあるよとか衝撃の結末だよ、という事自体がすでにネタバレしている様な気がするんだけど、まあこの本の場合は帯にも書いてあるくらいだからまあ良いかと思って言及する。)なんとなく構へて読んだけど結論から言うとその「衝撃」部分を脇において(実際には脇には置けないのだが)も良く出来た警察小説だと思う。というか結構オーソドックスな警察小説だ。
主人公カミーユは自分の問題を抱えた中年の刑事でこれは昨今の警察小説では王道パターン。(ただ身長という問題と、そこに結びつく母子の関係(母親が妊娠中に喫煙しまくったから胎児カミーユに影響があって身長が伸びなかったと思われるという設定。)、さらに自分の妻が殺されたトラウマと結構盛りだくさんってのは特異かもしれない。ただそれぞれカミーユの行動の同気になるので個人的には別に多過ぎとは思わなかった。)それから善悪の問題が根底に横たわっている。(この善悪の扱いと拷問だったり殺人だったりの時にどぎつい描写が個人的にはこのブームを生み出しているのではないかと思う。)何回か書いているが警察小説が個人的に面白いのは絶対的正義という矛盾を抱えた警察組織で働く刑事達の心の葛藤(もしくは読み手側への問題提起というかもやもやしたこの気持ち)である。この小説もアレックスという特異な女性の存在でその問題に切り込んでいると思う。ただカミーユは結構さばさばしていて迷う事無く正義に向かって突っ込んでいくので説教臭さはほぼ無い。警察小説のツボを押さえつつ残酷描写でガっと掴んでスピーディに進めていくジェットコースター感重視なスタイル。カミーユ側とアレックス側での視点変更も結構この手の犯罪小説にはある手法ではないかと。
だもんで「衝撃の〜」ってのは個人的にはそこまで衝撃ではなかった。ただこれってああいうことか!というのが何回かあってそこが良かった。不可解さが後から説明される感じ。
レビュー読んでて低評価にしている人は、主人公カミーユの個人的なストーリーがうざいってのと謎とか全部後出しじゃん、って人が多いようだから多分警察小説ををあまり読んでない人が煽りの文言でミステリーだと思って読んでしまっているからではなかろうか。(べつに警察小説沢山読んで出直してこい!って訳じゃないよ。)

娯楽小説として非常に優れているおり、話題になるのも頷けた。400ページちょっとあるけど先が気になって(橘明美さんの翻訳もすごく読みやすい!!)結構短時間で読み切ってしまった。個人的にはただ「衝撃の展開」のすごさというよりは至極真っ当な警察小説として完成されている点が気に入った。
話題になっている面白い本が読みたい人は是非どうぞ。