スウェーデンの警察小説。
私はヘニング・マンケルのヴァランダー・シリーズが大好き。何回か書いているけど1作め「殺人者の顔」を本当なんともなしに買い、それからシリーズを読み進めるのは本当良い読書体験だった。なかなか苦しい時期だったこともあって良い思い出。作者ヘニング・マンケル氏は非常に残念ながら2015年に逝去されてしまった。ちょっと横道にそれるのだが、ご冥福を〜のようなコメントももちろん良いのだけど作者が生きているうちに手紙(今は紙媒体でなくてもよいわけだし)でも認めたほうが良いのではって気がしてする。
さてこの本はヴァランダーがまだ若い頃、というか警察に勤めだした制服警察官の頃から始まって、前述のシリーズ一冊目の「殺人者の顔」の本当手前(最後の「ピラミッド」はこの事件の冒頭で終わるという形式)までを時系列順に並べたもの。ヴァランダーの何が良かったかってそれは冴えないおっさんだからだと思うんだけど、どんなおっさんだって若い頃があったのだ。信じられないだろうけどそうなのだ。どの物語か忘れたけどヴァランダーは娘が誰と付き合っているか気になって尾行して「何やってんだ俺は」と思ったり、女性とデートする前に服にソースをこぼして凹んだりする、まあ結構なおっさんである。優秀な刑事ではあるけど癇癪持ちで独断専行が多すぎる。いわばそんな彼ができるまでを描いているのがこの短編集だ。人はそう簡単に変わらないもの、それは確かでなるほど元々彼の個性は若い頃があるし、逆にそうでないものもある。ヘニング・マンケルは本当巧みな作家だと思うのは言葉少なに(この本結構な厚さはあるんだけど、文章は極めて簡潔で読みやすい。翻訳者柳沢由実子(敬称略)の技量ももちろんあるはず。)、ヴァランダーの心構えの変遷を書いている。それはナイーブさかというとちょっと違う。冒頭少女に糾弾される場面はその後年を取ったヴァランダーの心に引っかき傷のように残り続けたわけだし。ナイーブさを覆うからのようなものが次第に形成されていく。それは防壁であり、生きる知恵であり、若者からしたら諦めやずるさ、つまり(汚い)大人の象徴でもある。繰り返しになるけどおっさんって自然におっさんの状態で発生するわけではないんだ。若者が老いておとなになっていくのだ。それをグラデーションで書いたのがこの連作短編集なのだ。だから次第に、増えていくシワのようにおっさん味を増していくヴァランダーには失っていくもの、そしてかわりに獲得していくものが(おとなになってもいいことはあると思うんだ、私は。辛いことも多いけど。)淡々と書かれている。汚い方便に見えてもそれが強靭さだったり、熟練だったりする。大人の悪いところは説明不足なところなのだ。自分がすでに経験してきたことだからある程度わかっているわけで(ただそう思い込んでいる場合も往々にしてあるのだが)、それをせめて年下の人たちには丁寧に説明してあげればよいのだが、どうしても例えば「〜するな!」のような高圧的な命令になってしまう。そりゃ老害とも呼ばれてしまう。ヴァランダーの父親を一つ上に配置することで、その関係性がもう一個入れ子構造というか多層構造になって俯瞰的に読者が気付けるるようにもなっている。良し悪しで判断すればヴァランダーの父親は良い人物ではないけど、でも2人の親子関係とても良いものにも見える。ヘニング・マンケルというと社会派と言われて実際そうだと思うんだけど、こうやって普通に身近なことをはっと気が付かせる、そういう優しい視点を常に持っている。だからやっぱりのめり込んで読んだのだなと思った。
刑事ヴァランダー・シリーズは冊数もあるのでまずこの一冊を手にとって見るというのは良いかもしれない。実はまだ未訳の作品もこの後邦訳が控えているということで嬉しい限り。
2018年5月6日日曜日
2016年8月27日土曜日
ヘニング・マンケル/北京から来た男
スウェーデンの作家によるミステリー小説。
名誉ある賞を獲得した刑事ヴァランダーシリーズを始め様々な分野の小説で北欧を代表するヘニング・マンケルのシリーズ物でない独立した本。
2006年1月ノルウェーとの国境近くの寒村ヘッシューヴァレンで住民のほとんどが鋭い刃物で惨殺された。被害者のほとんどは老人で、子供が一人だけ混じっていた。老人のほとんどは親類関係にあり、過疎だが平和だった村。当然恐慌の動機は判然とせず、捜査は難航。ヘルシングボリで裁判官を勤めるビルギッタは殺された被害者の中に母方の親類がいる事に気づき、休暇を利用して現地に赴く事にする。
寒村で住民皆殺し、というとなんとなくジェームズ・ロリンズのようなモダンなホラー小説のような幕開けだが、流石はヘニング・マンケル、衝撃的な冒頭で読者の興味を惹き付け、どっぷりと深い深い歴史にまつわる物語に引き込んでいく。
現代は「KINESEN」でこれは中国人という意味。「北京から来た男」というタイトル通り、スウェーデンの田舎で起こった事件は、中国、アフリカとその幅を大きく広げていく。元々モザンビークに住んでいた(後年はスウェーデンと半々で生活していた)マンケル、その視点はスウェーデンにとどまらず前述の代表作刑事ヴァランダーシリーズでは1作目「殺人者の顔」で移民問題を取り扱い、早くも2作目「リガの犬たち」でその舞台を海外に広げている。以降はとくにアフリカなど途上国を中心に世界的な観点でもって広がりのある物語を書いてきた。この「北京から来た男」はそんなマンケルの一つの集大成ともいえるのではなかろうか。
今回中心になるのは中国。中国というと日本からすると一番近くの大国。近い訳だけど実はどんな国なのか知らない人は多いのではなかろうか。私もそんな一人で毛沢東って悪いやつなの?中国って共産主義なの?天安門事件ってなんなの?位の気持ちでいた訳だが、本書はそんな謎に分かりやすく回答していってくれる。中国の歴史、それも近代中国の歴史は受難の連続だった。慢性的な貧困しかり、アヘン戦争しかり。本書のもう一人の主人公ワン・サンは2人の兄弟とともに若い自分に村を追われ、アメリカに奴隷として売られ、死と隣り合わせの過酷な状況で鉄道線路敷設の仕事に使役される事になる。絵に描いた様な悪辣な現場監督、逃亡すればおいかけ連れ戻され、病になればそれは死を意味する。地獄の様な環境でワン・サンは望郷の想い強くし、必ず兄弟とそして無念の内に死んだ仲間(仲間の体の一部から肉を削ぎ落とす描写は中々に衝撃的だ)の骨と必ず故郷に戻る事を誓う。ワン・サンがたどる世界半周の旅、こんなに過酷で不幸な道行きもないだろうと思う。
「白い雌ライオン」でも顕著に表れていたが、マンケルには人種差別と強者が弱者に振るう暴力に対して非常に強い怒りがある。マンケルにとって書く事とはそんな父性に対する戦いなのだと思う。そのくらいの力がぎゅっと込められて一文字一文字刻印するように書いているのだろう。単に過去の過ちに対する糾弾にとどまらず、多を踏み台にして拡張していく傾向を見せる現代への警告も含んでいる。マンケルが着目するのは常に人、それも弱き人々であるから、特定の国をただ「良い」「悪い」と断罪する事はない。中国に対する複雑な想いも物語を通して読み取る事が出来る。
なんで主人公ビルギッタが裁判官なのかというと、刑事でないので自由に動く事が出来るというのは勿論だが、作中でもビルギッタが直接吐露しているが罪と罰、そして人を裁く事がいかに難しいかという事を提示するためだろうと思う。因果応報ではないが物語的にどうしても落とすべきところがあるところは納得できるし、読んだ人なら分かるだろうがその法則に従っていない罪もある訳で、こういったところもマンケルの正義感、そして未来へのまなざしが反映されているような気がする。
ミステリーと思って読むとかなり重厚で戸惑うかもしれない。すっきりしない、という感想を持つ方もいるようだ。一応ご注意ください。ヘニング・マンケル好きな人は文句無しだと思うので是非どうぞ。歴史を感じさせる重厚な物語が好きな人も是非。
名誉ある賞を獲得した刑事ヴァランダーシリーズを始め様々な分野の小説で北欧を代表するヘニング・マンケルのシリーズ物でない独立した本。
2006年1月ノルウェーとの国境近くの寒村ヘッシューヴァレンで住民のほとんどが鋭い刃物で惨殺された。被害者のほとんどは老人で、子供が一人だけ混じっていた。老人のほとんどは親類関係にあり、過疎だが平和だった村。当然恐慌の動機は判然とせず、捜査は難航。ヘルシングボリで裁判官を勤めるビルギッタは殺された被害者の中に母方の親類がいる事に気づき、休暇を利用して現地に赴く事にする。
寒村で住民皆殺し、というとなんとなくジェームズ・ロリンズのようなモダンなホラー小説のような幕開けだが、流石はヘニング・マンケル、衝撃的な冒頭で読者の興味を惹き付け、どっぷりと深い深い歴史にまつわる物語に引き込んでいく。
現代は「KINESEN」でこれは中国人という意味。「北京から来た男」というタイトル通り、スウェーデンの田舎で起こった事件は、中国、アフリカとその幅を大きく広げていく。元々モザンビークに住んでいた(後年はスウェーデンと半々で生活していた)マンケル、その視点はスウェーデンにとどまらず前述の代表作刑事ヴァランダーシリーズでは1作目「殺人者の顔」で移民問題を取り扱い、早くも2作目「リガの犬たち」でその舞台を海外に広げている。以降はとくにアフリカなど途上国を中心に世界的な観点でもって広がりのある物語を書いてきた。この「北京から来た男」はそんなマンケルの一つの集大成ともいえるのではなかろうか。
今回中心になるのは中国。中国というと日本からすると一番近くの大国。近い訳だけど実はどんな国なのか知らない人は多いのではなかろうか。私もそんな一人で毛沢東って悪いやつなの?中国って共産主義なの?天安門事件ってなんなの?位の気持ちでいた訳だが、本書はそんな謎に分かりやすく回答していってくれる。中国の歴史、それも近代中国の歴史は受難の連続だった。慢性的な貧困しかり、アヘン戦争しかり。本書のもう一人の主人公ワン・サンは2人の兄弟とともに若い自分に村を追われ、アメリカに奴隷として売られ、死と隣り合わせの過酷な状況で鉄道線路敷設の仕事に使役される事になる。絵に描いた様な悪辣な現場監督、逃亡すればおいかけ連れ戻され、病になればそれは死を意味する。地獄の様な環境でワン・サンは望郷の想い強くし、必ず兄弟とそして無念の内に死んだ仲間(仲間の体の一部から肉を削ぎ落とす描写は中々に衝撃的だ)の骨と必ず故郷に戻る事を誓う。ワン・サンがたどる世界半周の旅、こんなに過酷で不幸な道行きもないだろうと思う。
「白い雌ライオン」でも顕著に表れていたが、マンケルには人種差別と強者が弱者に振るう暴力に対して非常に強い怒りがある。マンケルにとって書く事とはそんな父性に対する戦いなのだと思う。そのくらいの力がぎゅっと込められて一文字一文字刻印するように書いているのだろう。単に過去の過ちに対する糾弾にとどまらず、多を踏み台にして拡張していく傾向を見せる現代への警告も含んでいる。マンケルが着目するのは常に人、それも弱き人々であるから、特定の国をただ「良い」「悪い」と断罪する事はない。中国に対する複雑な想いも物語を通して読み取る事が出来る。
なんで主人公ビルギッタが裁判官なのかというと、刑事でないので自由に動く事が出来るというのは勿論だが、作中でもビルギッタが直接吐露しているが罪と罰、そして人を裁く事がいかに難しいかという事を提示するためだろうと思う。因果応報ではないが物語的にどうしても落とすべきところがあるところは納得できるし、読んだ人なら分かるだろうがその法則に従っていない罪もある訳で、こういったところもマンケルの正義感、そして未来へのまなざしが反映されているような気がする。
ミステリーと思って読むとかなり重厚で戸惑うかもしれない。すっきりしない、という感想を持つ方もいるようだ。一応ご注意ください。ヘニング・マンケル好きな人は文句無しだと思うので是非どうぞ。歴史を感じさせる重厚な物語が好きな人も是非。
2016年2月14日日曜日
ヘニング・マンケル/霜の降りる前に
スウェーデンの作家による警察小説。
2002年に発表された。
2015年作者のヘニング・マンケル氏が亡くなった。67歳だった。
私がクルト・ヴァランダーシリーズの第1作目である「殺人者の顔」を買ったのは2012年。今となっては買った理由は思い出せないが、恐らく何となく紹介を見てだろう。「殺人者の顔」は警察小説というジャンルを知らない私からすると衝撃的なミステリーだった。殺人を扱った本である事は間違いないのだが、読み終わるとそれは象徴にすぎず、スウェーデンという国が抱える問題をそれを通してまざまざと見せられた気分になった。全体的に暗雲が立ちこめた様な暗い雰囲気で進行し、読後感は良いとは言えず、しかし私は2冊目「リガの犬たち」に手を出した。国境をまたぐ重厚なストーリーと派手なアクション、渦巻く陰謀と物語のスケールが一気に加速したその本をあっという間に読んだ。それからは「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」と続編を読んでいくのが最高に楽しかった。デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズもそうだが、優れたシリーズに出会い一気読みするというのは読書体験の中でも相当な醍醐味の一つだと思う。ヴァランダーシリーズを読んで私は警察小説や北欧ミステリーに手を出していった。そういった意味では非常に思い入れのあるシリーズなだけに今回のヘニング・マンケル氏の訃報は非常に残念です。ご本人がスウェーデンとアメリカで暮らしていた事もあり、氏の作品には常に人種や弱いものへの差別に対する強い怒りと批判の精神があると思う。ヴァランダー刑事も絶対正義である警察機構に所属しながら殺人の向こうに存在する差別や欺瞞と戦い、時には正義の矛盾に苦しんだ。いわばこのシリーズはマンケル氏の鋭い洞察力と批判精神が警察小説という体裁にガッチリはまり込んだもののだと私は思っている。デートに出かける娘の後を追って元妻との食事の約束に遅れるヴァランダーを見て果たしてこんなに情けない主人公がいるのかと思ったのですが、癇癪持ちで太り始めたこの刑事がどんどん好きになったものだ。もうこのシリーズの新作が発表されないというのは非常に悲しく残念な事です。作者ヘニング・マンケル氏にに深い感謝を捧げたい。そしてご冥福を御祈りいたします。
クルト・ヴァランダーの娘リンダは警察学校を卒業し、父親と同じイースタ署への配属を後わずかに控えている状態だった。配属するまでは父親であるクルトと同居しているが強情な2人なので喧嘩も絶えない。時間を持て余したリンダは一時疎遠になっていたかつての友人アンナとの友情を復活させるが、ほどなく彼女は失踪してしまう。彼女の失踪に疑問を感じたリンダは父の忠告に耳を貸さず独自の捜査を開始する。
さて本書だが、今までのシリーズとは決定的に違う部分がある。それは今までは主人公サイドは常にヴァランダーの視点で進んで来たのだが、今作はヴァランダーの娘であるリンダが登場。紆余曲折あったが父と同じ警察官への道を歩む事を決めた彼女の視点が恐らく半分以上。このリンダというのは実はまだ警察官ではないから(入署をすぐ後には控えているとはいえまだ本配属されていない状態)、ある意味警察官より自由に動く事が出来る。(その分勿論バックアップも受けられない)また今回事件の切っ掛けの一つになるのがリンダの友人の失踪なので彼女は私的な理由もあって積極的に捜査に乗り出していく。いわばリンダに関しては警察小説というよりは探偵小説の様な趣があって、物語の展開も速い。ヴァランダーはそんな娘を父としてというよりはむしろ熟年の警察官の先輩としてたしなめる事になるのだが、そこは親子ということもあり上手く行かない。捜査と娘の両方のハンドリングをしないと行けないから、その苦労もひとしおである。今作はそんな親子の関係についてもかなりの比重でページが割かれている。今までもヴァランダーと偏屈すぎるその父親(リンダからすると祖父)の問題のある関係についてはシリーズを通して書かれて来たが、今回は30歳を目前にしてまだ何にもなれていないリンダの心の葛藤を描く事で親子関係というよりは一人の人間の成熟について書いていると思う。だからリンダの自殺未遂のエピソードは非常に重要である。
ヴァランダーシリーズは先にも書いたが犯罪そのものというよりはそれを発生させる歪んだ精神を描く事にその主眼をおいているシリーズであるから犯人サイドの視点も本文のうちかなりのウェイトを占める事になる。今回の敵もなかなかの経歴を持ったヤツなのだが、私からすると何かと言い訳を付けて逃げ出す臆病者にしか見えなくて歯がゆい思いだった。何度も書くが敵役が憎たらしい作品は面白い。そういった意味でも今作は素晴らしかった。事件は解決したけどなんともすっきりしない感じも引き続きで、曇天の下何とも言えない気分で佇んでいる様な、そんな読後感はやっぱり最高だ。
本書の帯や柳沢由美子さんの後書きによるとエッセイ「流砂」は刊行予定であり、それからヴァランダーシリーズで未訳となっている2作品についてもなるべく速く手をつけたいと書かれています。ファンとしてそれらを首を長くして待ちたいと思います。その前に「北京から来た男」を読まないとな…
2002年に発表された。
2015年作者のヘニング・マンケル氏が亡くなった。67歳だった。
私がクルト・ヴァランダーシリーズの第1作目である「殺人者の顔」を買ったのは2012年。今となっては買った理由は思い出せないが、恐らく何となく紹介を見てだろう。「殺人者の顔」は警察小説というジャンルを知らない私からすると衝撃的なミステリーだった。殺人を扱った本である事は間違いないのだが、読み終わるとそれは象徴にすぎず、スウェーデンという国が抱える問題をそれを通してまざまざと見せられた気分になった。全体的に暗雲が立ちこめた様な暗い雰囲気で進行し、読後感は良いとは言えず、しかし私は2冊目「リガの犬たち」に手を出した。国境をまたぐ重厚なストーリーと派手なアクション、渦巻く陰謀と物語のスケールが一気に加速したその本をあっという間に読んだ。それからは「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」と続編を読んでいくのが最高に楽しかった。デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズもそうだが、優れたシリーズに出会い一気読みするというのは読書体験の中でも相当な醍醐味の一つだと思う。ヴァランダーシリーズを読んで私は警察小説や北欧ミステリーに手を出していった。そういった意味では非常に思い入れのあるシリーズなだけに今回のヘニング・マンケル氏の訃報は非常に残念です。ご本人がスウェーデンとアメリカで暮らしていた事もあり、氏の作品には常に人種や弱いものへの差別に対する強い怒りと批判の精神があると思う。ヴァランダー刑事も絶対正義である警察機構に所属しながら殺人の向こうに存在する差別や欺瞞と戦い、時には正義の矛盾に苦しんだ。いわばこのシリーズはマンケル氏の鋭い洞察力と批判精神が警察小説という体裁にガッチリはまり込んだもののだと私は思っている。デートに出かける娘の後を追って元妻との食事の約束に遅れるヴァランダーを見て果たしてこんなに情けない主人公がいるのかと思ったのですが、癇癪持ちで太り始めたこの刑事がどんどん好きになったものだ。もうこのシリーズの新作が発表されないというのは非常に悲しく残念な事です。作者ヘニング・マンケル氏にに深い感謝を捧げたい。そしてご冥福を御祈りいたします。
クルト・ヴァランダーの娘リンダは警察学校を卒業し、父親と同じイースタ署への配属を後わずかに控えている状態だった。配属するまでは父親であるクルトと同居しているが強情な2人なので喧嘩も絶えない。時間を持て余したリンダは一時疎遠になっていたかつての友人アンナとの友情を復活させるが、ほどなく彼女は失踪してしまう。彼女の失踪に疑問を感じたリンダは父の忠告に耳を貸さず独自の捜査を開始する。
さて本書だが、今までのシリーズとは決定的に違う部分がある。それは今までは主人公サイドは常にヴァランダーの視点で進んで来たのだが、今作はヴァランダーの娘であるリンダが登場。紆余曲折あったが父と同じ警察官への道を歩む事を決めた彼女の視点が恐らく半分以上。このリンダというのは実はまだ警察官ではないから(入署をすぐ後には控えているとはいえまだ本配属されていない状態)、ある意味警察官より自由に動く事が出来る。(その分勿論バックアップも受けられない)また今回事件の切っ掛けの一つになるのがリンダの友人の失踪なので彼女は私的な理由もあって積極的に捜査に乗り出していく。いわばリンダに関しては警察小説というよりは探偵小説の様な趣があって、物語の展開も速い。ヴァランダーはそんな娘を父としてというよりはむしろ熟年の警察官の先輩としてたしなめる事になるのだが、そこは親子ということもあり上手く行かない。捜査と娘の両方のハンドリングをしないと行けないから、その苦労もひとしおである。今作はそんな親子の関係についてもかなりの比重でページが割かれている。今までもヴァランダーと偏屈すぎるその父親(リンダからすると祖父)の問題のある関係についてはシリーズを通して書かれて来たが、今回は30歳を目前にしてまだ何にもなれていないリンダの心の葛藤を描く事で親子関係というよりは一人の人間の成熟について書いていると思う。だからリンダの自殺未遂のエピソードは非常に重要である。
ヴァランダーシリーズは先にも書いたが犯罪そのものというよりはそれを発生させる歪んだ精神を描く事にその主眼をおいているシリーズであるから犯人サイドの視点も本文のうちかなりのウェイトを占める事になる。今回の敵もなかなかの経歴を持ったヤツなのだが、私からすると何かと言い訳を付けて逃げ出す臆病者にしか見えなくて歯がゆい思いだった。何度も書くが敵役が憎たらしい作品は面白い。そういった意味でも今作は素晴らしかった。事件は解決したけどなんともすっきりしない感じも引き続きで、曇天の下何とも言えない気分で佇んでいる様な、そんな読後感はやっぱり最高だ。
本書の帯や柳沢由美子さんの後書きによるとエッセイ「流砂」は刊行予定であり、それからヴァランダーシリーズで未訳となっている2作品についてもなるべく速く手をつけたいと書かれています。ファンとしてそれらを首を長くして待ちたいと思います。その前に「北京から来た男」を読まないとな…
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