2015年4月26日日曜日

フェルディナント・フォン・シーラッハ/犯罪

ドイツ人の作家による短編小説。
2009年に発売されるや否や人気を博し、既に全世界33カ国で出版されて発行部数をのばしている。日本でも2012年に複数の賞の1位や2位を獲得している。
版元は東京創元社という事で私も結構前から読みたかったのだが、今回文庫化されたというタイミングでようやっと買ってみた。
作者のフェルディナント・フォン・シーラッハは実際にドイツで刑事事件を扱う弁護士として働いており、今作はそんな作者の経験を生かした”創作”である。なんでも家柄が良いみたいで祖父はナチ党全国青少年最高指導者だったようだ。親戚も弁護士だったりなんだったりするようです。

この本にはタイトル通り犯罪を扱った11の短編が収められている。一つの犯罪に付き1章でそれぞれは独立している。主人公「私」は弁護士をしており、11の犯罪に関わっていく。
犯罪小説というと銃であったり麻薬であったり、大量であったり猟期であったり、国家的な陰謀であったりととかくフィクションでは話が大きくなりがちであるところだが、この本に出てくる犯罪というのは窃盗、殺人、死体遺棄などおどろおどろしくも正しく日常の延長線上にあるもので、犯罪者たちも不良や職業犯罪者はいるものの普通の人たちである。著者は序文でこう書いている。私たちは薄氷の上にいてたまに氷を割って冷たい水の中に落ち込む人もいる。幸運にも落ちない人もいる。この本に出てくる犯罪者たちの境遇というのは隣にあって、何かあれば私たちもそこに落ち込んでしまう事があるのだと言っている訳である。彼が弁護士として様々な犯罪を目にし、自分でも関わって来た分説得力のある言葉で、説得力のある物語が紡がれている。
人が犯罪に走るのは何故かというと理由はあるだろうが、この本では環境的な要因に焦点が当てられている。勿論同じ状況でも犯罪を犯さない人はいるだろうから最終的には人の資質によるところもあるのだろうが。どんな状況で人は犯罪を犯すのか?気になるところである。「大人しい人でとてもそんな大それた事をするとは…」ニュースで何度も目にする言い方ではないでしょうか?
弁護士は基本的に依頼人の味方であるから、この本は警察小説は明確に違って善悪というのと真相というものからは一定の距離がある。どうしても犯罪者本人の言質に弁護士は左右されるからで、それがどんなものであってもできる仕事の範囲が決まっているからだ。これは非常にミステリアスな結果を小説に生じさせていて、本当は結局どうだったのだ?となる短編がいくつかある。ちょっとぞっとする。
作者の文体というか書き方は面白く、登場人物とくに犯罪者たちの何を考えているか心のうちを描写する事は無い。ただ動作などの機微で案に心情を描写している。これも人の心がどんなものなのかってことは分からない、というスタンスに因っているからこそのものだと思う。一番の味方だが何を考えているのか弁護士だって分からない。本当は何が起こったのかも。さてそんな感じで淡々とわかりやすい言葉で書いている。比較的簡素でお話自体も短い。しかしそこの人の人生がぎゅっと凝縮されているようだ。簡潔な言葉で人の人生が必要あればその生い立ちから書かれている。そこには楽しみがあり、悲しみがある。面白い事もあれば嫌な事もある。そんな思いだったり、どうしようもない外部の出来事だったりが原因で人は犯罪に走っていくのである。私たちはそこに自分の人生の一部を見いだし、そしてちょっと恐ろしくなるのだ。これは自分かもしれないと。

話題になるのが納得の面白さ。作者の本はまだいくつかあるのだが、文庫化まで待てないかもしれないな。面白い小説を探している人は是非どうぞ。読みやすく面白い。それでいてよ見終えたら自分の人生について色々考えずにはいられないと思う。とても良い本です。

Gore Tech/Futurphobia

イギリスはマンチェスター出身のテクノアーティストによる2ndアルバム。
2015年にAd Noiseamからリリースされた。
Gore Techは出身はマンチェスターだが現在はドイツのベルリンで活動しているようだ。本名George Flettはオフィシャルサイトによるとサイバーパンク小説(!)と、日本のアニメーション(Manga Videosと書いてある)がお気に入りのアーティストで、Googleで調べてみるとなんと「Tragedy」や「Sleep」のキャップを被っている。Anaal Nathrakhのタンクトップも着ている。やっている音楽は電子音で構成されているが、趣味趣向はクラストハードコアやドゥームメタルなど中々多岐に渡るようだ。
日本のMurder Channelから1stアルバムがリリースされているが、私は今作で初めてGore Techの音楽に触れた。Twitterで言及されていたので発売前から気になっていたのだ。そのままデジタルで購入。デジタルだと発売と同時に聴けるのが良いな。結論から言うとアナログフォーマット(LPはオレンジで格好いいんだよね)が欲しくなってしまうような素晴らしい出来だった。

レーベルを見ても分かる通りブレイクコアの流れを汲む激しめのテクノという事は間違いないのだが、昨今の潮流を取り込みつつ自分なりの解釈を加えたスタイルで例えばDead Faderにはかなり似通ったところがあると思う。要するに細かくビートを刻む伝統のブレイクコアスタイルというよりは、ぶっと歪んだビートを中心にその周囲を手数の多いドラムがガッチリ固め、ベースはブリブリでメロディはほぼ無い。その硬質なドラムビートはインダストリアルを思わせる金属質なもので、極度に歪んだベースはダブ(ステップ)からの影響をもろに感じさせる。展開はあるものの基本はミニマルであって、うわモノはフレーズというよりは音のコラージュの様な無骨なもの。「昇竜拳!」のサンプリングなんかも入っている。ビートに乗って矢継ぎ早に目まぐるしく配置されているネタはその加速度もあって硬質な中にも悪夢的な幻想感を付与している。さらにハーシュなノイズをふんだんに使った耳に優しくないスタイルでその過激な暴力性はたしかにメタルに通じるものがある。(実際に歪んだメタリックなギターリフを大胆に取り込んだ曲もある。)
非常に面白いのは上記の様な攻撃性、ハードさを持った音楽でありながら非常に”踊れる”音楽である事。ぶっといビートが冗談のように跳ね回る(これはやはりブレイクコアの影響じゃないだろうか。)、その重さとリズム感のバランスが素晴らしい。ガムガムしたビートは一撃一撃で金属の板で頭をぶっ叩かれるような勢いがある。ぐわんぐわんとした残響を意識した様な音使いも素晴らしい。
またそっち一辺倒ではなく重さの空隙を埋めるようなパスパスタシタシする細かいリズムがなんとも小気味よい。回り込む様なタム回し(ポロロっとした例の奴)やダブいボーカルのサンプリングなどは確かに伝統的なブレイクコアを感じさせる。「未来恐怖症」というタイトルだが十分にハイブリッド且つフューチャーな内容になっていると思う。ビートのかっこよさを追求したまさに極北の様な尖りまくった音楽。

というわけでこれ本当すごいカッコいいアルバムなんで激(劇)音好きな人は是非どうぞ。メタル好きの人でもガッチリハマると思うっす。オススメ。
とにかくこの曲のキラーチューンぶりが半端無い。イントロだけで白米何杯もいける。

椎名誠/笑う風 ねむい雲

日本人の作家椎名誠によるエッセイ。
知っている方ももいるだろうが椎名誠さんという人は作家には珍しい(のかな?)アクティブな人で、それも世界の色んな僻地に旅に出るのが大好きという。そんな椎名さんが旅先でとった写真をちりばめて、その写真にまつわる旅行譚を書く、というのがこの本。
私は椎名誠さんの書くSFが大好きで、漫画家の弐瓶勉さんの元ネタ(登場キャラの名前を取って来ているはず。)の一つという事で「武装島田倉庫」を読んで以来のファンである。椎名誠さんの書くSFは技術の進歩した未来で世界を著しく荒廃させた大戦争がおき、その後生態系が一変した荒々しい世界で繰り広げられる事が多い(北政府、ねご銃など単語だけでワクワクしてくる!)んだけど、その世界というのがはっきりって他のSFとは一線を画す筆致で書かれている。とにかく荒々しく生々しい、人間以外の自然が恐ろしく元気である。微妙に異国情調のなる世界で所謂脇役の人たちがもの凄く生き生きしている。いわばむせ返る様な生き物のにおいが立ちこめてきそうな迫力のあるSFなのである。この独特の世界観はちょっと日本国内外に問わずちょっと無いんではなかろうか。まさに唯一無二の世界観。そんな魅力の秘密はきっと作者椎名さんの旅好きに由来するのであろうと私はにらんでいた訳で。つまり実際に見聞きした自分の体験をその本質をそのままに表層を自分なりに作り替えて書いているのでは、とこう思った訳だ。だからこんなにも呼吸している世界がかけるのだろうと。そういう訳でこの本を手に取った訳だ。
目的地毎に章が分かれていて、そのサブタイトルをみてみると「チベットの怖い目をした仏さまにまた会いにいきました」「柔らかい砂の海を進んでいくと塩の川があった。」などなど。中身の方もいかにも椎名さんらしいゆるーい優しい筆致で訥々と書かれている。思わずいやーいやされるなーと思って読んでしまうのだが、よくよく旅の現場を想像しているけど、世界の僻地(というと実際に棲んでいる方に取っては大変失礼にあたるのだろうけども)である。水や電気だって無いところもある。砂漠の真ん中だったり、大草原の真ん中だったりする。トイレなんて無いし、多分でっかい虫もすごい沢山いるんだろうと思う。椎名さんはさすがにそんななのには慣れてしまっているのだろうから、わざわざそんな事を書いたりはしないのだろうが、実際にはただ美しいだけ、ただ牧歌的なだけではない、現代消費社会の象徴の様な日本で住んでいる私たちからしたらかなり過酷な生活が、そこにはあるのだろう。それはきっと大変なんだろうが、椎名さんはそんな環境を見てもそこにある良いものや、すでに日本から姿を消しつつあるもの消えてしまったものを見いだし、それらを慈しんでいるのだろう。その説教臭くない思いがすっと私の様な人間の心にもはいってすとんと落ち着くのだ。なんだか言いようも無く自分が過ごし恥ずかしくも感じる。
椎名さんは写真大学を中退しているから元々写真が好きだったのだろう。そんな椎名さんの師匠にあたる人が後書きを書いているのだが、椎名さんの写真は素人であるけどと書きながらもその魅力について語っている。なるほどという感じで、たしかに上手いなと思わせる様なものではないのかもしれないが、私個人的には風景の写真もいいんだけど人が写っている写真を撮るとなると椎名さんは良いものを取るなと思った。どの人物も自然な表情で、椎名さんは人を緊張させずに写真を撮るのがきっと上手いのだろうと思う。そこには遠い異国の日常が時を止めて閉じ込められている。それがたまらなく魅力だ。なんだかノスタルジーを感じてしまう。一度も言った事の無い土地の一度もあった事の無い人たちの笑顔の後ろ側に、彼らの人となりと生活が垣間見える様な気がするのだ。
椎名誠さんの小説が好きな人は是非どうぞ。それから旅にいきたいけど時間がないなあって人も是非どうぞ。とても面白かったので私は何かまた別の旅にまつわる椎名さんのエッセイを読もうと思っている。

リチャード・モーガン・オルタード・カーボン

イギリス人の作家によるSF小説。
2002年に発表されて2010年に本邦でも翻訳の上発売された。

27世紀人類は技術の進歩により宇宙へその版図をのばしていた。人間の精神をデジタル化することに成功したのだ。宇宙船で何万光年を飛ぶのではなく、デジタル化された精神=人間をとてつもない速度で通信する事で宇宙の距離はある程度意味をなさなくなっていた。また老いれば肉体を換装する事もできる。金があれば。そんな世界の地球で不老不死の大富豪が自殺した。バックアップ情報で再生した本人はしかし自身の自殺を信じない。警察も当てにならないので外宇宙から探偵を読んだ。探偵の名前はタケシ・コヴァッチ。日系の宇宙域ハーランズ・ワールド出身。悪名高いエンヴォイ・コーズに所属していた事があり、いまはつまらない犯罪により監獄にその精神をとらわれている。コヴァッチの精神はニードルキャストで地球に送られ、見知らぬ男の体で目覚めた彼は事件に挑む。

という物語。なるべく世界観を説明できる様なあらすじにしてみた。体がデバイスになった世界。タイトルであるオルタード・カーボンとは変身コピーと作中では訳されている。オルタードは変質された、カーボンは炭素で人間の体は炭素で出来ている。人間の精神はメモリー・スタックという小さな機械に閉じ込められ首のところに埋め込まれている。だからこのスタックを破壊されると未来人でも死んでしまう訳だ。(リアルデスと表現される。)でも肉体が多大な損壊を受けてもスタックがあれば再生できるし、スタックが失われてもデータ保管所に自分のデータコピーを持っていて、定期的に肉体側がコピーと同期していればスタックが破壊されても(同期前の情報は失われてしまうが)、自分の精神は再生できる。だから不老不死が半ば成立している。ただ全人類がその名誉に沐している訳ではない。一つは金がかかる、莫大な。だから金持ちである事が不老不死の前提である。もう一つは体(作中ではスリーヴといわれる)を換装するのは結構しんどいらしく(以前の体と精神のバランスが崩れる)2つ目の体に入っても3つ目の体に入る人は少ない。もういいやと思ってしまう。この後者の設定が面白い。なんとなく技術の進歩に対してついていけない人間の本質が描かれている。
ギタイの感想というとサイバーパンク的だがこの小説はオルタード・カーボンつまり肉体に焦点を当てている印象がある。電脳は極度に発展しており、当然肉体を伴わない電脳空間も存在するのだがどちらかというと少人数の個人的な用途(この物語では主に拷問)で使われている。いわばもっと肉体的で物語の中心には奇形の未来人立ちが起こした”事件”が据えられている。解説でも述べられている通り、かなりハードボイルドの要素が強い。前に紹介した「重力が衰えるとき」に構成は似ている。こっちの方がより硬質で未来的だが。
さて人間に取って肉体が服装みたいになってしまった世界である。男の体をいているから男って訳にはいかないだろうし、絶世の美女だって100歳をゆうに超えていることもある。制限が取り払われた世界で人間の意識は拡張している、というよりはより傲慢になっている。コヴァッチの依頼主の大富豪バンクロフトもその代表格で、年相応というのは最早無い。人間の本質はちっぽけなスタックに入った精神ということになる。ところが肉体から解放されたというよりは、かりそめにすぎない肉体に多大な影響をうけたいびつな人間ばかりでてくるのだから皮肉なものだ。
金で買える永遠の生が貧富の差をさらに拡大した、傲り高ぶる富めるものと踏みつぶされる貧者というディストピアを900ページ弱くらいのボリュームで書ききっている。なんせへらへら笑う金持ちを殺してもあっという間に蘇り、変わりのないこっちの生命を絶ってくるのだから持たざるモノは弱い。そんな世界でプロなのに”私情”で動くコヴァッチというのはダークヒーローであり、非常にハードボイルド的であるカッコいい主人公である。
とても面白く読めた。3部作なのだが、続く2部は文庫化されていないんだよね。3部は文庫化されているのに。むむむ。まあとにかくオススメです。硬質なSFを読みたい人は是非どうぞ。

2015年4月19日日曜日

Yvonxhe/Multicolored Libricide

日本のブラックメタルバンドの2ndEP。
2014年にZero Dimensional Recordsからリリースされた。
前々から気になっていたバンドなのでHurusoma買う時に一緒に買ってみた。
日本の3人組のバンドでいままでに今作を含めて2枚のEPと1枚のアルバムをリリースしている。目下最新作を製作中との事。
バンド名はイヴォンクシェと読むらしい。インタビュー(大変面白いです。)によると字面だけで選んだという事で意味は無いらしい。
「Multicolored Libricide」は直訳すると「多彩な色の焚書」?になるのかな…帯には「異端讃歌」と書いてありますな。

ギター、ベース、ドラムという基本的な楽器を押さえた最小人数である事を隠そうとしないプリミティブなブラックメタルをやっている。とはいえ録音状態は悪くなく、音は迫力満点。あくまでもバンドの出せる音で勝負!という感じでよけいな音や追加の音は(多分)なし。
乾いて抜けの良いドラムがスタスタリズムを刻み、重苦しいベースが唸る。ギターは中音を意識した厚みのある音でベースとの対比でかなり柔軟なリフをトレモロ主体で弾いていく。とはいえ結構モダンな低音主体のリフが飛び出して来たりとプリミティブ命という信条とうよりはプリミティブなスタイルを基調としつつもどん欲に新しい要素を取り込んでいく姿勢が垣間見える。ボーカルはイーヴィルなスタイルに則りつつも低音の迫力があるものでギャアギャアとグワグワの中間くらい。
5曲で8分という構成で曲は全部1分台で短いのだが速度が速い訳ではない。むしろ中速くらいで密度が異様に濃いイメージ。というのも短い曲の中にもドラマティックな展開があって例えば1曲目は露骨に加速しだす後半のかっこよさ。2曲目ならメロディアスと言っても良いくらいの叙情性。(ギターのトレモロがメロい。)3曲目の陰鬱かつ芸術的な美しさを感じさせるリフ。4曲目の低音主体の邪悪な攻撃性。5曲目の激しさと寂しげ単音リフとの対比。ざっと挙げてもこんな感じでまるでブラックメタルというフォーマットの中で3人組というフォーマットの限界に挑戦していくようなラディカルさがあってそれが面白い。
やはりインタビューでも出ているが「曲が短い!」というのは恐らく聴いている人がこんな格好いいのに勿体ない!もっと聴きたい!という感想から着ているのだと思う。というか私もそう思ってしまった。まあそれだったら同じ曲を何回も聞き直せば良いんだけど。
ちなみにアートワークは日本の伝統的でおどろおどろしい絵画から取って来ているが、曲の中ではそこまで和のテイストが色濃く反映されている訳ではない感じ。

難点はどうしてもEPというフォーマットなので物足りないことか。もっと曲が聴きたいすね。気になる人は是非買ってどーぞ。

Hurusoma/Sombre Iconoclasm

日本のブラックメタルバンドのコンピレーションアルバム。
2006年にSabbathid Recordsからリリースされたのがオリジナルで、私が買ったのはZero Dimensional Recordsから2015年に装いを新たにしボーナストラックを追加した再発版。
Hurusomaは大阪のバンドでWoodsさんによる一人バンド。バンド名は高知の妖怪古杣(ふるそまと読む)から取ったもの。1996年以前から活動を始め1枚のアルバムといくつかのデモを発表しだいたい2000年ごろまで続いたが現在は解散済みとの事。
私はどこでこのバンドを知ったのかはもう忘れてしまったが、なにかしら並々ならぬ興味があって一時期中古のCDを探していた事があった。(結局買わなかったのだが。)その後同じ零次元さんからWoodsさんのプロジェクトGnomeのCDが出たのですかさず購入して楽しく聴かせていただいた。で、個人的には満を持してという形でのHurusomaの再発。とても嬉しいものです。感謝。
バンド名ももちろんそうだが、旧版のジャケットや「Senpoku Kanpoku」といった曲名からも分かるが、恐らく妖怪に代表される様な日本の(昔の)生活に紐づいた闇や土着の信仰をテーマにしているバンド。だから思想的にはブラックメタルではないのかも。たまにネットではジャパニーズペイガンブラックメタル(ペイガンは異教の意)と称されているのを目にする。(しかしこのペイガンというのは中心=正統がキリスト教って意味の言葉なんよね。)

とはいえ音の方はというと完全にブラックメタルの形式に則ったもの。それも音質は良いとは言えずガシャガシャしており、非常に喧しい。ロウなプリミティブっぽいもの。そこを土台にオカルトっぽいアングラ感をぶち込んだのが大枠。
1曲目は「Intro」なんだが深夜の山中で気が倒れる音が入っている。古杣という妖怪というのは木が倒れる音がするのに実際には倒れている木なんてないという幻聴?を起こす妖怪の事。つまりここから古杣(Hurusoma)のアルバムが始まるよ、というまさにイントロになっていて、こういう演出個人的には大好きです。
ガリガリ削る様なささくれ立ったギターは耳ざわり一歩前くらいの高音でトレモロで迫ってくる。かなり多彩なレパートリーがあって、基本プリミティブなんだけど結構スラッシーだったり、曲によってはパンキッシュなハードコアテイストだったりと、ギターソロを聴いても分かるのだが結構技巧的なんだけど決してそれをひけらかすところが無いのが良い。アコースティックでメランコリックなフレーズも入ったりして展開も凝っている。
ドラムは結構キンキンしたシンバルの連打を入れてくるこちらも喧しいものでバタバタというよりはスタスタしたスネアの連打も気持ちよい。
そんでもってそこに乗るボーカルがすごいんだが、まずはいかにもプリミティブ然とした高音スクリームでイーヴィルという形容詞が良く合うものでこれがメイン。中音程でやや雄々しい歌唱スタイル。さらにぼそぼそした低音や幽霊のようなうめき声が入り乱れるまさに魑魅魍魎蠢く百鬼夜行スタイル。
ドロドロした和太鼓やお経っぽい男声による合唱など和のテイストにあふれたオカルト的音使いが随所にちりばめられていてニヤリとしてしまう事間違い無し。
なんといっても全曲とおして聴きやすさが素晴らしいアルバムで、これは別にポップである訳ではない。メロディをギターが担っているスタイルではあるのだがあざとすぎるくらいのメロディはむしろあまり無い。徹頭徹尾冷徹なプリブラなんだが不思議に耳にすっと入ってくるんだよね。恐らく基本はしっかり一環としつつも曲それぞれと曲中でアイディアがとても良く練られているので飽きないというのがあると思う。曲もどちらかというと陰鬱なんだが不思議と気分が高揚してくる様な力があるのも不思議です。まさに妖怪メタル。

前述の通り古杣とは幻聴を引き起こす妖怪。聞き終わってみるとその世界観も相まってなにか不思議な異世界からの幻の様な音を聴いた様な感覚になる。そんな余韻にひたれる素晴らしいアルバム。
長年聴きたかったアルバムだったが、私の勝手な想像より何倍も素晴らしかった。ブラックメタルが好きな人は是非どうぞ。そうでない人も是非どうぞ。ものすごーくオススメ。

2015年4月12日日曜日

ブレイク・クラウチ/ウェイワード-背反者たち-

アメリカの作家によるミステリー小説。
「パインズ-美しい地獄-」の続編。前作を面白く読めたので続刊も買ってみた次第。
前も書いたけどM・ナイト・シャマラン監督の手によりドラマ化されている作品。

アメリカ南西部に位置する山間の穏やかな町ウェイワード・パインズ。イーサンはこの町の保安官。ある夜彼の運転する車が何かを轢いて大破。満身創痍のイーサンが確認するとそれは全裸の女性死体だった。全身には激しい拷問を受けた後があり、地が抜かれていた。イーサンはこの町の初めての殺人事件に捜査を開始するが…

ビックリどんでん返し系の「パインズ」の続編。あの落ちでまあよく続編が作れるなと思ったものの、前作と同じ誰が何故こんな事を?という謎解き要素はそのままに少し趣向を変えて追われるものだったイーサンが追うものになる。安定した地位を手に入れたのでよりミステリー的な要素が強くなった。
またイーサン自体が楽園の住人の一人になったので、より楽園・パインズでの生活がどんなものなのかというのが読書には理解できるようになったのが面白い。いわばこれはディストピアを扱った小説であって、壁に囲まれた一つの田舎町という規模の小ささというのがそのまま逃げ場なしという状況を作っている訳であって、ある意味では隙間がある大都市を扱ったものより閉塞感がある。住民同士の相互監視社会というのがいかに嫌らしいものかというのを実感できる。
そんな今作、基本的には見かけだけの天国でイーサンが右往左往するのは面白いのだが、設定でいくつか気になるところが散見された。
動物を飼っている人は分かると思うのだが、動物とは従来臆病なものだから訳が分からない状態に陥った時は回避行動をとるのが生き残る鍵であって、銃で撃たれたときにまっすぐ撃った人に向かっていくのはちょっと考えられないかなあと思った。勿論実は怪物が銃の存在を知っていて、の伏線かも知れないがだとしたらなおさらいくら強靭な生き物でも逃げると思うけど。もひとつ、車がオブジェと化した町でみんなが寝静まった夜に五月蝿い四駆をかっ飛ばして隠れ家に行くシーンが2回くらいあったと思うけどそんな事をしたらどんなアホでも車が向かったと思われる方向に何かあるんだろうな〜位には思うだろう。
という感じで舞台は前作と同じなのに個人的には粗が目立った。この瑕疵は実は前作から存在し続けていたものだから、敢えて二作目の本書で指摘するのはおかしい事だとは自覚しているものの何となくそう感じてしまった。不思議なものだが前作は力業で全編を引っ張りまくったから気づかなかったものに、今作ではパインズという町をイーサンとともにゆっくり眺める事が出来るようになって改めてその不自然さに気づいたって感じだろうか。あとアメリカのドラマにありがちな肝心な謎は引っ張って次作へ、次作へというやり方が個人的にはあまり好きじゃないのでそういうところもあると思う。(「24」の最初の方は好きだったけど「Lost」はなんか興ざめで早々見る気をそがれた事がある、両方とも少し古くて恐縮だが。)
読みやすい文体で先が気になって最後まで楽しく読めるんだが、手放しで100点満点とは言えなかったかなという印象。ちょっとあざとくて強引さが目立つ印象でした。

という訳でビックリ系が好きな人は是非どうぞ。まさにドラマを見ている様なビジュアル的なエンタメ作品。ただしまずは前作「パインズ-美しい地獄-」からどうぞ。

Kendrick Lamar/To Pimp A Butterfly

アメリカはカリフォルニア州の悪名高いコンプトン出身のラッパーによる3rdアルバム。
2015年にInterscope Recordsからリリースされた。
西海岸の新しい王者、Kendrick Lamar。私も遅まきながらたまたま手にした前作は大変良く聴いたもので、迷わずこの新作にも手を伸ばしたのだった。発売が1週間前倒しにされたが、私が予約したCDはなんか発売日が変わらずに届いた。

なんといっても前作「Good Kid, M.A.A.D City」は140万枚売り上げた。重圧も半端無い環境で作られた今作は果たしてどんな内容になっているのか。
再生ボタンを押すとBoris Gardinerの「Every Nigger is a Star」を大胆にサンプリングしたイントロが流れる「すべての黒人はスターなんだ」というメッセージがレトロ感あるホーンに彩られている。なんとなく尋常ではない予感。そこからあっという間にこのアルバムを開始させる「Wesley's Theory」。Lamarのラップが始まった瞬間マジでぐっと持っていかれる。聴いているものは否応無しに彼の世界に引っ張り込まれる事になる。前作に比べるとやや掠れた様な声は成熟を思わせる。相変わらずリズミカルにはれる様な波のあるラップは気持ちよい。よくよく聴いてみると中盤以降のぐいぐい曲全体が鳴動する様な展開にはかなりの種類の音がふんだんに使われている事が分かる。削ぎ落とすのが信条でもあるヒップホップでは異色である事が分かる。
全体的に見てみると音の使い方が結構前作とは変わっていて、一言で言うとより音が生々しくなっている。というのは圧倒的に生音を使っている(デジタル的に出し手いるかもしれないんだけどそこは分からない。)比率が増えている。前作が冷徹な電子音で構成されていたという訳では全くないのだが、今作はよりジャズっぽさが増している。ホーンの使い方は一番分かりやすいだろうが、特にベースラインも横で弾いているかの様な生々しく、艶やかである。音の使い方はまろやかでどんなメッセージをはらんでいようとも耳ざわりはとてもここち良い。それは人の声から出てくる所謂サビ(フックというのかな?間違ってたら申し訳ない。)はよりメロディアスでLamar本人ではない事も非常に多い。多くは伸びやかでピースフルだ。楽しい気分になる。そんなお祭り的な雰囲気の中でもLamarのラップは冴え渡る訳で、他にどんな客演がいようと自分の仕事です、とばかりにラップを披露していく。このラップは前述の通り凄まじく、やや大人っぽくなった声質だが、やはり聴かせる。背後のトラックが派手になったけど全く負けていない。シングルかっとされた「KIng Kunta」なんかは結構攻撃的なヒップホップトラックで彼のスキルのすごさがすぐに分かると思う。今作では酔いどれラップも披露して芸の幅の広さをアピール(必要以上に技巧自慢している訳でもないんだけど。)。

さて札束を手にした黒人達が帆愛とハウスをバックに白人の裁判官を打ち倒しているアートワークに象徴している通りこのアルバムはLamarの強烈なメッセージが込められたアルバムである事は間違いない。私は一連の黒人射殺事件に代表されるムーブメントを背景にしたメッセージが込められているのかな?と思ったのだが自体はそう簡単では無いようでLamar自身の経験(妹が10代で妊娠した事や、地元コンプトンの友人が殺されてしまったことなどなど)が、彼自身の言葉で(ゴーストライターを使っているラッパーをdisっている)描かれている。それは相当に毒を含んでもいるメッセージなようでそれがこの聴きやすく格好いい音楽に込められているのだ。おっかない格好をしておっかない曲をやり不満を叫んだのがパンクスだが、パンクが反骨精神なら、一見奇麗なこのアルバムはスゲーパンクだって事にならないか?彼は自分の主張を聴いてもらうためにこの音楽性を選択したのだとしたら恐ろしい奴だと思う。このアルバムは音楽として完成されていてその背後にあるメッセージが全く押し付けがましくない。(これは私が英語や政治的背景を全く介さない俗物である事の影響も大きいと思うのだが)誰にだって主張はあるだろうが、彼はあくまでもミュージシャンとしてまず上質の音楽を大衆に提供するという事は非常に好感が持てる。私の様な愚者はその後彼の主張に耳を傾け始めるのだから、彼はとても賢い。
このアルバムに込められたメッセージがどんなものか気になる人はここやその他のサイトを是非見ていただきたい。(勝手にリンクしてしまったが問題あったらご連絡ください。)

Kendrick Lamarはまだ27歳。勿論私より年下でおっそろしいものだと思う。私が寝ている間に努力する人はもの凄い速さで進んでいくのだろう。もっともっと活躍してほしいものです。という訳でメタルだろうがなんだろうが音楽好きな人は手に取って損は無いだろう。ぜひどうぞ。

ジョージ・アレック・エフィンジャー/重力が衰えるとき

アメリカの作家によるサイバーパンクSF小説。
1984年に出版され日本では1989年に翻訳されて発売された。絶版になっていたが復刊フェアの一環としてこのたび重版されたようだ。
こってりとした女性の顔はよくよく見るとつぎはぎのように微妙に歪んでいるという表紙が気になり、手に取った次第。

アメリカやロシアと言った強大な国家が相次いで分裂した近未来。アラブの都市ブーダイーンは殺人も日常茶飯事の危険な犯罪都市。そこで探偵を営むマリードはどこの派閥にも属さず独自の流儀を通す一匹狼。銃を持たない主義だが麻薬に目がないジャンキー探偵。ある時人探しの依頼を頼まれた直後に依頼人が目の前で殺される。験が悪いと嘆くが、次に引き受けた顔なじみの性転換済みの娼婦の足抜けも上手く言ったかと思えば、依頼人が消えてしまう。いぶかるマリードは自分が既に巨大な陰謀に巻き込まれている事に気づいていない…

私は熱心なSF読者ではないから間違っているかもしれないがアラブ世界を舞台にしたSFというのは中々無いのではなかろうか。架空のイスラム都市ブーダイーンはまさに悪徳の町といった風情で麻薬がはびこり、性転換した娼婦が闊歩し、殺人すら住人に取っては珍しくない。それでもイスラム教が深く浸透した町にはモスクがあり、祈りの時間にはアナウンスが流れ犯罪集団のボスですらその手を止めてメッカに礼拝する。ラマダーンを始めとする厳格なルールもやや形を変えながらも根強く残っている。いわばサイバーパンクでは御馴染みの猥雑な町を旧態依然としたアラブ国に再現した訳で、このカオスさというのは他にはちょっと無いのではなかろうか。なんともいまにも異国のスパイスにむせ返る様なにおいとざわめきが感じられる様な、そんな感覚は読書の醍醐味の一つだろう。
きになるサイバーパンク部分だが、ネットを省き脳拡張が一般的に敷衍した世界というと分かりやすいだろうと思う。外科的な手術によって脳内部をいじり頭につけたソケットでもって様々な機械に結線するのだ。言語を始めとする知識を”追加”するアドオン、それから人格そのものを変容させるアドオン、大きく分けてこの二つが合法、違法含めて蔓延している。特に後者は実在の人物にとどまらず架空の人物(ジェームズ・ボンドやネロ・ウルフといった探偵たちがでてくる。)になりきる事が出来る。コイツを付けると体型までもが変わった感覚になり、思考体系は確実に自分のものではなくなる。全く自分が無くなるというよりは主導権を別人に取られる様な感覚のようだ。おかげでアドオンをオリジナルの意思で持って取り外す事が出来る。(完全に別人になったらそいつは消えたくはないだろうからアドオンを取りたがらないだろう。)つまり意識の変容はありつつもあくまでも現状の人格を機転にしたブースト化まで対応しており、その連続性はこの手の小説では比較的読みやすい部類だと思う。
設定だけでワクワクしてくるがここに変わり者のマリードを主人公とした探偵風味が乗っかってくる。前述の通りマリードというのは一匹狼で暴力は辞さないが銃は携帯しない。いわば頭でと足で働くタイプの実直な探偵で、節制できているのかと思えば麻薬と酒は浴びるように消費する。自分の事をなかなか出来た奴だと思っているのだが、結構へまをやったりして抜けているところがある。言うなれば「飲み友達にしたら面白そうな奴」である。自信過剰気味かもしれないがあまり偉そうなところが無い。良い奴そう。
この小説で面白いのは対立するテーマをその関係を混沌とさせて内包させているところだと思う。古く幻覚な戒律と冒涜的な新技術。見た目と内面(割と簡単に性転換できるため男女の区別が曖昧である。)。そして自意識とそこに流れて込んでくる他者の意識。完全に対立しきっている訳ではなくて両者の境界が曖昧になってくるのである。そこの葛藤というか、摩擦による衝突を扱っている。そして強烈なラストに結実するのだが、マリードのキャラもあってある種の軽薄な楽しさはしかし純然たる世界のルールとして横たわる無常観に打ち負かされてしまうのである。この無常観、中々無いのではなかろうか。思えば汚い道ばたにゴミ袋に突っ込まれた娼婦の死体にも、モッド屋の老婆に汚らしい身なりや動作にもどちらかというと東洋的な冷徹ながらも言葉にならない哀切の念がこもった様な何とも遣り切れない視点が感じ取れる。
ドラッグの描写やマリードが脳手術のために長い事とらわれることになる病院での生活や医者とのやり取りは妙に生々しいのだが、それは常に病に悩まされた作者の経験が活かされているのだろうと思う。作者エフィンジャーは残念ながら既に逝去されているようだ。残念でならない。続編が2編。こちらも復刊してくれないかなと思います。

2015年4月4日土曜日

Leviathan/Scar Sighted

アメリカはカリフォルニア州サンフランシスコの一人ブラックメタルバンドの5thアルバム。
2015年にProfound Lore Recordsからリリースされた。
プロデューサーはBilly Anderson。

2008年にリリースされた「Massive Conspiracy Against All Life」はブラックメタル界隈ではすごい評判よかったんだけどなんとなく聴かなかった私は今作が初Leviathan。
プログレッシブが何なのかということは到底理解できていないのだが、中々一筋縄でいかない内容になっている。
1曲1曲が比較的長めに取られていて(といっても5分から長くて10分なので長過ぎてだれる事は無い。)、展開も複雑と言っていい。所謂ギター、ベース、ドラムというバンド編成を基調としながら(全部自分一人でやっているんだけど)、それ以外にもアコースティックギターを始め、キーボード以外にもクワイアっぽい合唱や、ノイズ、人の声のサンプリングなど音の使い方種類も豊富である。凶暴な音楽性ははっきりとした特徴であるが、全編に渡って静寂のパートやスローパート、アンビエントパートにも贅沢に時間を裂いている。要するにいろいろやっている訳なのだが、芸術性というオブラートに包んだ曖昧性は皆無で、これが俺のやり方なんでと言わんばかりのLeviathan節を豪腕できっちり仕上げて来ているのがにくいところです。さてじゃあそのLeviathan節がなにかというとこれは相当鬱屈した位メタル音楽という事になると思う。一言で言うと攻撃性より気持ちの悪さが目立つ作風でもって、とにかくバンドサウンドではどう作ってもかっこ良くなってしまうところを不快感を演出するためにその範囲をぐぐっと広げている様な印象がある。前述の使用している音の多様さもそうだが、攻撃性の背後にある底意地の悪さと沈み込んでいく様な絶望感があって、それが単に音の数にとどまらず曲を深くしている。深いというのはとらえどころが無いという意味でもあるが、はっきりと言えないだけで滅茶苦茶色んな感情が渦巻いている濃密さがあって、これがはったりではないLeviathan節なんだと思う。私は彼の事は全く知らないが、なんとなく彼の作った曲を聴いて私の方は思うところがあるのである。それが彼の意図しているところとは全く関係ないのは勿論だが。
個人的には5曲目のうめき声をバックに妙にきれいな音で構成されたグルーミィなメロをのせてくるというフレーズがつぼ過ぎて辛い。これはえげつない。きゅんきゅんくる。
wikiによると一番ドラム歴が長いらしくたとえばズドドと踏まれるツーバスに代表されるようにどこかしらに若干オラついた聴きやすさみたいなのがあって、暗黒といえば暗黒でしかないのだが、意外に取っときやすいのが芸術を介さない私の頭にもすっと響いて来て良い。
Vice Japanというメディアが3人の一人ブラックメタラーを取り上げたというぼっちメタルという動画があってその中でLeviathanのWrestも取り上げられている。(動画はとても面白いで是非見てほしい。ほかにStriborgのSin NannaとXasthurのMaleficという濃すぎる面子。3人とも変わり者だがWrestは一番外交的な印象で(パソコン持ってないらしいです。)、逆にMaleficは健康面が心配になる。(誰か彼に腹一杯飯を食わせてくれ。))動画を見ると中々面白い彼の生い立ちがわかる。元々はストリートで滑るプロのスケーターだったとのこと。スケートはどちらかというとハードコア・パンクっぽいイメージ。調べると確かにLeviathan名義でBlack Flagのカバーをリリースしていたりとやはり根っこはハードコアなのかもしれない。バンドもやった事があるけどインスピレーションを得たときにメンバーを待つのが耐えられないということで一人でやっているそうな。正直かなりパンクからはかけ離れた曲調だが、確かに6曲目の跳ねる様なリフはパンキッシュさを見て取れる。

こんなにかっこ良かったのかといままで聴かなかったのを反省する出来。底意地の悪さが鈍くぎらりと光る気持ちの悪さ。とても良いじゃない!これはカッコいいですわ。こういうの大好きですわ。ネクラ野郎はマストで良いんじゃないでしょうか。オススメっす〜。

スチュアート・ウッズ/警察署長

アメリカの作家による警察小説。
1981年に発表された。日本に紹介されたのは1984年だが、私が買った文庫は2009年に刷られたの第14版だというから長らく愛されている小説だという事が分かるだろう。
警察小説だがタイトルが面白い警察署長である。通常の警察小説では主人公は刑事のことが多く、署長が現場に出張ってくる事が無い。また原題も「Chiefs」で複数形になっている。この大河警察小説とも称される作品はいろいろ所謂クラシックなのだろうがいろいろと面白いところがある。

1919年ジョージア州デラノでは象虫が猛威を振るい綿花栽培農業を営むウィル・ヘンリー・リーは踏みとどまるよりは新しい道を選択する事にした。それはデラノの町の警察署長に立候補する事。いままで町の小ささ故に警察機構が無かったが、このたび満を持して設立されるポジションに手を上げたのだった。果たして町の有力者達の委員会で承認され晴れて署長になったウィル・ヘンリー・リー。人望も厚く仕事は順調だったが、ある日白人の若者の死体が発見される。全裸で何者かに追われている途中で崖から落ちたらしい。死体には生前の暴行の痕跡が残されていた。平和な町にそぐわない陰惨な事件にウィル・ヘンリー・リーは捜査を開始する。

というのが本当に冒頭。
だいたい雰囲気は掴めると思う。まず本当に小さい町なので警察官が署長しかいないので必然的に捜査にも彼一人があたる。そして1920年代ということで当代風の科学捜査など勿論望むべくも無いのである。捜査の基本は脚というが、ウィル・ヘンリー・リーは脚と口でもとって捜査にあたる訳だ。
こうやって書くと時代が古いだけで至極真っ当な警察小説にみえるが、実はそうではない。上下巻に分かれたこの小説は主人公が3人いる。一人は前述のウィル・ヘンリー・リー。しかしその後にまだ2人の署長達が控えている。彼ら3人は一見平和な田舎町デラノに巣食うある一つのしかし連続した犯罪に44年間という歳月をかけて挑んでいく事になる。これが”大河”と称される由縁である。
なのでこの小説の主人公というのは3人の署長たちともう一人デラノの町というのがある。未舗装の道が続いていく農業が主産業となる20年代、太平洋戦争が終わった40年代後半、そして公民権運動の盛んな60年代と、町とそこに暮らす人々の生活が少しずつだが確実に変遷していく。おもしろいのは実際に暮らしている人の顔ぶれはあまり変わらなかったりするので、より如実に時代の変化が感じてとれる。一方中々変わらない人の意識という物もあってそれがこの小説の一つのテーマだと思っているのだが、黒人に対する白人の差別である。南北戦争は1865年に集結しているものの南部のジョージア州では未だに黒人が白人の奴隷のように背且つしている20年代、3人目の主人公タッカー・ワッツが黒人でデラノの警察署長になるのが60年代。すこしづつ黒人の社会的地位も向上してくる訳だけど差別は根強く、ワッツはデラノに長く存在し続けた犯罪に終止符を打とうとするのだが、白人至上主義者に足を引っ張られる訳である。この白人達の醜悪さといったら中々辛辣に描かれている。白人の気まぐれな傲慢さによって人生を狂わされ、人間以下の扱いをされた黒人の恨みというものが、一見のどかな田舎町に澱のように堆積していく。白人の作家であるスチュアート・ウッズがしかしあくまでも最後に黒人であるワッツを主人公に据えた物語はそんな爆発寸前の緊張状態を、暴力でなく機知と行動によって見事にしめたところが個人的には良かった。
文明の発展は人を豊かにするのだが、人の精神を向上させるのはあくまでも時代によらない普遍的な人の意思だということをウッズは書きたかったのかもしれない。重苦しくなりがちなテーマをウィル・ヘンリー・リーの息子ビリーと、リー家を見守る辣腕ホームズ、この2人は勿論当事者(特に政治の世界に打って出て世直しをしてやろうという危害があるものだし)なんだけど、同時に傍観者の役目もある。そんな2人が年は共通して進歩的な反差別的な人間に描かれているものだから、物語自体は本当に読みごこちが良くスラスラと読めた。
警察小説が好きな人は是非手に取ってみていただきたい。オススメ。