2016年7月31日日曜日

Madvillain/Madvillainy

アメリカのヒップホップグループの1stアルバム。
2004年にStones Throw Recordsからリリースされた。
何と言ってもこの印象的なアートワークが目を引く。ヒップホップに全然詳しくない私でも知っているくらい。勿論中身の音もあって名盤と称される事も多いのではなかろうか。
何となく気になっていたのだがBandcampで購入できることに気づいて買ってみた。
Madvillainは2002年MF DOOMとMadlibの2人によって結成された。特徴的な音でそのあまりに時代に迎合しない音楽性でもって発表当時は異質なものだったとか。(「狂気」と称されたともある。)2人ともMCとプロデュース両方を勤めているようで、MF DOOMの方がなんとも不思議なマスクを付けている。アートワークになっているのも彼。よくよく見てみると近代的というよりは原始的な作りになっていて、普段着でもこれを付けているものだから面白い。ヒップホップには純然たるファッション性があるけど、だからこういった特異な格好をする人は珍しいのでは。

気になる音楽性は(恐らく)サンプリングを主体に作られた堅実な作り。ヒップホップフリークに対してはイカレた音でも門外漢の私には全然まともに聴こえた。(私は後追いで世間に評価されてから聴いているから、勿論この私の評価は卑怯なものであるが。)元ネタは膨大なのだろうが、恐らくジャズやソウルがその主軸となっているのではと思う。ただこれに関しては本当に何とも言えない。出来上がった音は多少まともに表現する事が出来ると思うが、それらは少なくともそれらの片鱗を持っているように私には思える。(慎重になりすぎる故になんとも回りくどい感想になってしまい申し訳ないです。)ドラムは勿論、ベースやピアノホーン、アコーディオンなどのラインは非常に生々しく、まさに生音の用な迫力。逆に分かりやすい電子音やノイズなどのテクノロジーは表層状ほとんど出る幕がなく、全体的には生音で表現され、程よく抑えられたミニマルなトラックがあり、曲によってはそこに流れる様なラップが乗る。主役の2人だけでなく、多彩なゲストを迎えたラップも大変魅力的だが、インストもそれなりに多く音の研究家、探求者たろうという2人の首魁の思惑は見て取れる。
彼らの音の探求とはじゃあどういったものだろうか。
このアルバムには22の曲が収められているが演奏時間はトータルで46分。1曲あたりは平均するとだいたい2分ちょっとで、これはジャンルを問わず一般のポップスに比べると明らかに短い。それから彼らの曲にはフックというかわかりやすいサビはほぼ含まれない。MCは次々と登場しては詩を述べるようにラップを披露し、そして去っていく。私は英語は解さないのだが、どうも歌詞も相当何回というか直接的な表現はないようだ。obscureと評されたりしている。ここら辺が「狂気」という評価をくだされた由縁の一つであろう。映画からとって来た様な大胆で唐突なサンプリングもやはりアングラ臭が強い。(ここらへんはメタルとかもそうかも。)
思うに前衛的な音楽を作るのに手っ取り早いのは真逆に走れば良い。伝統をことごとく無視してやる訳だが、こうなると果たしてそれはそのジャンルの音なのだろうか?という問題が生じてくる訳で、そこをいくとこのMF DOOMとMadlibの2人の作り出す音は紛うことなきヒップホップである。彼らは自分たちの流儀のヒップホップを伝統に則り作ったのではあるまいか。だから私の様な無責任なリスナーには彼らの音楽はカッコいいヒップホップなのだ。反抗のための反抗というのもへそ曲がりなクリエイターにはあるのだろうが、どちらかというと無邪気に好きを突き詰めた様な伸びやかさがある音だと思った。

このMVも作られている「Accordion」という曲はそんな彼らの魅力が本当にわずか2分に込められていて、サビもないのだが、アコーディオンの哀愁のある音に導かれてぽつぽつ水滴にように流れ落ちてくるラップが非常にかっこ良い。比喩じゃなく本当に何回もリピートして聴いてしまう。
カッコいいヒップホップを探している人は是非どうぞ。音楽好きならヒップホップに詳しくなくてもハマるんじゃないかと。私はそうでした。オススメ。

スティーヴン・キング/ジョイランド

アメリカのホラー作家によるホラー/ミステリー/青春小説。
キングはモダンホラー界の巨匠で、名前を知らない、本を読んだ事ない人でも実は映像作品を見た事のある人は多いのでは。
Amazonなんかでレビューを見ると昔に比べて切れ味が…と書かれる事もあるけど、個人的には特にそうは思わない(私はキングのその人たちの言う黄金期の作品は全部読んでいないのでそう思うのかもしれないが、しかし最近の作品は面白いと思う)わけで新作も全部ではないけど買って読んでいる。
抜群の安心感というのがあって正直ストーリーもあまり見ないで買ったようなところがあるのだが、今回はちょっと変わった本らしい。後書きによると本国ではペーパーバックの形で大手ではない出版社から発売されたそうな。キングの本は通常大手からハードカバーで出されているようだ。ペーパーバックというのは背表紙が安い紙(パルプ)を使った本で、要するに大衆向けな歴史的な側面があったそうな。言うまでもなく私はどちらかというとこういった本が好きなのかもしれないね。もちろんファックハードカバーなんて思っている訳ではないんだけど。

1970年代ニューハンプシャーの大学に通う19歳の苦学生のぼくことデヴィン・ジョーンズは夏休みにノースカロライナ州の海辺の町にある昔ながらの遊園地「ジョイランド」でアルバイトを開始する。意外にもショウビジネスの興味と才能がある事を発見しつつあるジョーンズ。この楽しい田舎の遊園地のお化け屋敷にはしかし、女性の幽霊がいるらしい。むかしそこで殺人があったのだった。事件に惹かれるジョーンズだったが、どうも最近は彼女との連絡が上手く取れなくなって来て…

青春小説はあまり読んだ事ないのだが、この物語がそのジャンルにカテゴライズされるというのは主人公が19歳というのもあるのだろうが、おそらくはそれだけでは不十分だろう。要するに主人公は手ひどい失恋をおい、アルバイトに打ち込む。自分とは無縁だったショウビジネス、それも洗練されたものではなく昔ながらのあったかいヤツにのめり込んでいって周りの大人たちに揉まれながらも”大人”になっていく。という物語。ご多分に漏れず美女(というか大人の女性)も出てくる。書いてみるとなるほど物語としては典型的なものなのだろう。特に目新しさはないのだけど、流石キングということでこのありふれた筋を見事に調理して一流のストリーテラーとしての才能を遺憾なく発揮している。
細かい描写と小さな出来事の積み重ねを丁寧に書いていく事で、行き来としたキャラクターを描き出し、彼らが縦横に動く事で物語が魅力的になっている。ここら辺はもう熟練の息ではなかろうか。
くわえてこれまたキングお得意のダークな要素を取り入れる事で、ありふれた青春小説をとてもオリジナリティのある物語にする事に成功している。この本は350ページでキングの小説とすると短いくらい。程よくコンパクトにまとめているな、というのが第一印象で、具体的にはキングお得意の暗さもやりすぎないように”ふしぎなはなし”というくらいに抑えられている。遊園地で起こった殺人事件が軸を貫いているのだが、あくまでも生活は主人公ジョーンズの毎日のリズムで進んでいく。何の変哲もない主人公が事件に巻き込まれるのはなんかの類型になっているが、実際起こりそう(ちょっと厳しいかもだけど)ってのはこの話くらいがギリギリなんじゃないかと思った。
正直言うと彼女にふられるというのはすごく大変な経験なのはうなずけるのだが、こんなに凹むのはどうなのだ、と思ってしまったのだが、主人公がくよくよするけど行動するから物語が動く分そこまで気にならなかったのが良かった。
実は現代に生きる主人公が70年代の自分を振り返って書く、というのも何となく物語にこれから起こるぞと読書に渓谷式を引き締めさせるという効果に加えて、若さに対して客観性を持つ事である程度としくった捻くれた(つまり私の様な)読者に取っ付きやすいようにしているのではと思った。

キングの作品というともうちょっとの暗さを求めてしまうのが私なのだが、読み物としては十分楽しめた。キングは長いからちょっとという人や、さくっと海外小説の面白いの読みたいという人は手に取ってみても良いのではないでしょうか。

ブッツァーティ/タタール人の砂漠

イタリア人の作家による幻想小説。
ブッツァーティは昔光文社から出ている「神を見た犬」という短篇集を読んだ事がある。もうあんまり内容を憶えていないのだけれど。(そういった事もあってこのブログを始めた的な感じです。)
幻想文学界では結構有名な話らしくそんなら読んでみるかというくらいの気持ちで購入。

イタリア人の青年ジョヴァンニ・ドローゴは将校として辺境のバスティアーニ砦に配属される事になった。砦は人の通わない谷に位置し、戦略的な価値はほぼないという。町からも離れ、出世も見込めない。嫌気のさしたドローゴは着任早々に転任を求めるが、上官に諭された彼はすぐに離れるつもりで任務に就く。砦は広大な砂漠に面しており、その砂漠には凶暴なタタール人が住み、いつか武装して攻めて来るという。ドローゴは離れるつもりが砦の生活に沈み込んでいく。

幻想的で不条理なその作風で持ってイタリアのカフカと称される事もあるという作者であって、今作はそんな作者の代表作という事でどんな幻想的な世界が!と思って読んだのだが結構思っていたのと違ってビックリした。つまらなかったという事は全然なくてむしろ夢中によって読み進めたのだが。
要するにこの物語は、前途ある若者がつまらない仕事にとらわれて未だ和解から大丈夫だろと考えているうちに時間は矢のように過ぎて青春と人生の時間をどんどん失ってしまうという話なのだが、発表された当時は幻想性もあって評価されたのだが現代の私が読むと幻想も何もあったものじゃない、実際の自分の姿を見ているようで、たしかに妙に夢の様な陶酔感のある寓話ではあるのだが、現実的過ぎて恐ろしかった。(下手な怪談寄りよっぽど怖い。)
私もいい加減良い年なのだが、やっぱり働くのは大変。働く事はすべての人間にとって苦痛でしかないとは言わないが、なかなか満足する様な環境で働いている人は少ないのではなかろうか。いっそ罵倒される、給料払われない、殴られる、そんなブラックな環境で働いていればやめる事しかなくて良いのだが(勿論大変な事なのだが)、頑張ればまあ我慢できるかな、ちょっと働いてしばらくしたら転職するぞ!というような状況の方が結果的にはやめられなくて、いつの間にか時間が経って辛いのでは。毎日それなりに疲れてしまい、自分のための活動は先延ばしにされ続ける。なんとかやり過ごせる故感覚が麻痺してくる。ある日ふと思う「あれ?今から何かするには俺としとりすぎてねえ?」
状況が悪いのは仕方ないにしてもこの時、一番危ないのは危機感の欠如と自分には未だ時間があるという慢心である。時間は有限である。いつもでも若くはない。この純然たる事実をみんな知っているだろうが、分かっている人は敢えて言うけどほぼ皆無じゃないのか。みんなそれなりにとしくっても未だ自分には何か出来る、と心の奥底では思っているのじゃないか。そしていよいよのっぴきならない状況になると「こんなはずでは…なんであの時」と思うのである。これよっぽどの人でもなければ大半の人はこう思って死んでいったんじゃないかと思うと辛すぎる。
世界には色んな奇麗なところがあって、いつか行けるしいつか行こうと思っていると結局行かないで死ぬ。これはそんな話である様な気がする。作者もそういっている(と思うんだけど)が待っていても何も起こりませんよ、悪いけど。そりゃ運もあって待って海路の日和ありな人もいるんだろうけど、そんな確立低い事にかけて自分の限られた時間を空費するのですか?という話ですよ。
まあ人間なんてどんな環境にあっても満足する訳ではないし、実際に満足できる状況なんて希有だろうが、それでもつまらない仕事や些事に毎日の時間とらわれて公開するのは悲劇としか言いようがない。もっと自分勝手に生きようぜ、という幻想文学らしからぬ作者の激励が詰まっている様な気がして来た。なんだろう、こう感じるのは私だけなのか。

幻想という言葉つられたけど全然違うじゃねえか、こっちは現実逃避で小説読んでんだぞ!と作者に詰め寄りたくなる様な本。激怖い。若い人、毎日の仕事にイマイチ納得感のない人は是非読んだ方が良いです。

2016年7月30日土曜日

Indian/Slights and Abuse/The Sycophant

アメリカはイリノイ州シカゴのスラッジ/ドゥームメタルバンドの編集版。
2008年にSeventh Rule Recordsからリリースされた。
2007年にリリースされたEP「Slights and Abuse」と2008年にリリースされたEP「The Sycophant」をくっつけて再発したもの。
このIndianというバンドは2ndアルバムの「Guiltless」、多分山崎さんのブログで良いよと紹介されていたのを切っ掛けに買ったのが出会い。その後の3rdアルバム「From All Purity」はねっとりとしたスラッジにハーシュノイズをぶちまけた、ヘイトにまみれたスラッジをぶちかまし、私の心臓にぐっさり突き刺さった。非常に残念な事にその後バンドは解散。ボーカルはブラックメタルバンドLord Mantisに加入したらしい。ちなみに前のLord Mantisのボーカルが、ブラックメタルバンドのCobaltに加入している。どういった順序なのか分からないが。Lord Mantisは聴いた事ないけど新しい音源出たら買ってみようと思っている。
さて少し話を戻すととにかく私はIndianというバンドが好きなので未だ持っていない音源1stアルバム「The Unquiet Sky」とこの音源をレーベルに注文した訳。結構時間がかかって(音沙汰ないもんでこりゃレーベルがつぶれたのかと思った)届くとなんと、なんとこの「Slights and Abuse/The Sycophant」が2枚!きっとレーベルの人が梱包の時に間違ってしまったのだろう。まあ仕方ないな〜と思って1stの方はデジタルで買おうと思っている。

さて音源の方に話を戻そう。アートワークはいかにもスラッジな雰囲気満点の、お世辞にもが緑が高いとは言えないがとにかく力のある生々しいもの。五芒星をモチーフにした魔術的な要素もあって、なんとなくアメリカの南部あたりの田舎の汚くて強要もないシリアルキラーな雰囲気(ちょっと酷い言い方で南部生まれのアメリカの方には申し訳ない)という感じ。中身の方も気取ったところのない、錆びた鉄鉈のような音楽です。
3rd「From All Purity」(そういえばアートワークは禍々しくもやや洗練されていたね)では、憎悪の感情をスラッジ+ノイズという方向性で結実させていた印象だけど、二つ前の音源であるこちらでは未だその境地に至っていない。
ただより生々しい音でやや埃っぽさも残るそれは何となくオルタナティブなにおいも嗅ぎ取れる。重さもそこまでではないからまだ音楽らしさというのは残されている。
ただ私はこの後の音源を聴いている事もあってそう感じ取れるのだろうけど、この後の躍進を感じさせる彼らの魅力の原型は見て取れる。フィードバックを始めノイズを大胆に曲に取り入れる事は既に始めている。特に15分に及ぶ大曲「Fatal Lack」(致命的欠如)は大胆に間を取り入れる事で逆に陰惨を増す事に成功している。じりじりと余韻を残しながら増える筒のビルフィードバックノイズ、そこに思い出したように打ち込まれるドラムが気持ちよい。呪詛めいたボーカルも微妙にエコーがかかって凄まじい。Indianの魅力はその鬱屈した精神と攻撃性であって、それはこの音源を聴くとよくわかる。もうそういった機械もないのだろうが、ライブでこれらの曲を演奏したら相当その魅力は増すのではなかろうか。
思うにこのバンドは演奏もさることながらボーカルの力が本当にその魅力に寄与するところ大きいと思う。スラッジと言えばEyehategodのMikeを始め、様々な個性的なボーカリストがいる。デス声に限らない(むしろまれな方か)吐き捨て型のだみ声、酔いどれ多様案不安定なわめき声、共通してどれも厭世観に満ちたいかにもアウトローな雰囲気に満ちているが、このIndianのしゃがれ声というのは結構他に類を見ない。低音という訳でなくむしろ甲高いくらいなのだが、この禍々しさというのは中々のもの。ひねこびた病んだ老木の根っこの様な、精神を患った魔女の呻きのようなそんな”ヤバさ”がある。

やっぱりIndianは抜群にかっこ良い。こんな音楽を作り出す演奏するバンドがもう解散しているのは大変悲しい事だ。しかし音源は残る訳でそういった私たちはこれを聴く事が出来る。今調べたらレーベルもBandcampを始めたみたい。(この音源買おうと思った時見つけられなかっただけど元からあったのかも)という訳で気軽にこんな音楽が楽しめてしまいますよ。是非どうぞ。

SECRET BOYFRIEND/Memory Care Unit

アメリカはノースカロライナ州の音楽によるノイズ/ドローン音楽ユニットのアルバム。
2016年にBlackest Ever Black Recordsからリリースされた。
全然知らなかったがレーベルからのメールで視聴して良かったのでデジタル版を購入。
Ryan Martinという人が一人でやっているようだ。どうもこの手の界隈の人に良くある多作ぶりなのでいくつ目のアルバムなのかは分からない。

暗いアンビエントな音楽を演奏しているのだが、結構一つの作品の中でも音楽の幅が広い感じで面白い。
再生ボタンを押すと1曲目の「The Singing Bile」はドローン。無慈悲なノイズが威圧的に空間を埋めていき、リバーブのかかったシンセのフレーズがミニマルに乗ってくる。不安を駆り立てるその様にこれからの先行きがのっけから怪しい感じだが、2曲目「Little Jammy Center」ではのったりとしたベース音にこれまたのったりとしたドラムが乗っかり、合間にノイズがふわふわしている。なんともドリーミィなシンセがテーマを奏で始める。なんだかちょっと雰囲気が違う。暗い中にも暖かみが出てくる。音の作り方と雰囲気で言うとAphex Twinの作るアンビエントトラックに通じるものがあると思う。血の通った感じで、悪夢とは言えないけどちょっと奇妙な夢を見ている様な、あの感じ。そうこうすると反響のかかったボーカルがボソボソ歌い始める。なんともなよっとした感じ。
調べてみるとRyanの作る音楽は「気怠いニューウェーブ」や「ローファイ」という言葉で形容されている事が多く、なるほど確かにそんな面がある。感情の込め方がなんとも微妙なので非常に「あわい」(間)の音楽という印象。暗い、激しい、苦しいという音楽はもっとそれこそ色々・沢山世にあふれてのだが、この人の場合はもっと日記的な側面があって思いつきをノートに書き留める、フレーズをテープレコーダーに録音する、そんな雰囲気が漂う。(別に思いつきを一発取りしている、という訳ではない。)だから結構気分みたいに曲にも不利幅があるのだけど、当然毎日の生活の中で感情に幅があるのは当たり前なので、アルバムを通して聴いても一貫性があるといった風。
レーベルによると「孤立したマシンミュージック」と称されているが、バンドと違って一人で作っているからだいたいこういったユニットは個性が濃いイメージがあるが、この人の場合もそうで、ゆったりとした夢みがちな雰囲気は大分変わった人が見ている夢の世界に接続したみたいな趣がある。
個人的には美しいシンセのそこの方にじりじりとした低音ノイズがゆっくり侵入してくるラストの「Memoraize Them Well」が気に入った。コントラストが良いと思いきや、ノイズも美しさに加担している、そんな感じのクライマックスが大変良い。

暗いけどオーガニックな雰囲気がする不思議な音楽。暗い奇妙な夢に接続してみたい人は是非どうぞ。

2016年7月24日日曜日

チャールズ・ブコウスキー/パルプ

アメリカの無頼作家による探偵小説。

ニック・ビレーンは探偵だ。ハリウッドに事務所を構えている。ビレーンは中年で太っている。事務所の家賃は滞納が続き手織り大家には追い出されそうになっている。競馬が大好きでノミ屋には借金がある。酒が大好きでバーで事務所で、自宅でたいてい酔いどれている。そんな彼の元に金髪の美女が依頼を持ち込んでくる。あのフランスの作家セリーヌが実はまだ生きており、そんな彼を捕まえてほしいという。女は死の貴婦人と名乗っている。どうやら死神らしい。ビレーンは依頼を引き受ける。

ブコウスキーは前に会社の人のすすめで一冊短編集を読んだ事がある。面白かったのでもう一冊と思っているうちに時間が経ってしまった。この「パルプ」というのはブコウスキーが死ぬ前に上梓した最後の一冊で、その内容もあって結構伝説的な本だったらしい。奔放では長らく絶版の憂き目にあっていたが、このたび目出たく復刊という事でちょうど良いとばかりに購入してみた。
町の探偵がミステリアスな依頼人と接触した事から思いも寄らない事件に巻き込まれていく、というまさに探偵小説の王道を行く探偵小説なのだが、ある意味一番探偵小説ではない探偵小説がこの本であろう。
私立探偵といえばぐうたらで結構、酒に溺れるのも結構、良い女にめっぽう弱いのも結構だが、彼らの場合尻を叩かれれば重い腰を上げて事件に立ち向かうから良かった。
ところがこの物語の主人公ニック・ビレーンは事件を解決しようと全くしないわけで、金が入ると競馬場に行って全部すってしまうし、のこりは酒を飲んで終りである。そして明日には良いアイディアがわくだろうと思って寝てしまう。やっと「うむむ…」とかいって張り込みに出かけたとしてもなんせ決定的に頭が悪いので検討はずれの事をやって、結果混乱が増すだけである。困った事にこの男には反省というのがないので何回失敗してもまた同じ失敗を繰り返してしまう。事件は進展しないので読者としては困ったものだが、そうすると都合良く宇宙人などが登場して勝手に事件を解決してくれるのである。ビレーンとして締めたものでそうなったら大手を振って酒を飲めるというものだ。ビレーンを始め登場人物は皆口が悪く、とにかく下品にののしりあっている。会話は軽妙と行って言いだろう。
完全にコメディであり笑える。実際最初から最後まで楽しく読めたのだが、これは全くその実恐ろしい小説である。たとえば最近感想を書いたニック・ホーンビィの小説のコメディとこれとは全く異なる。あちらは面白い事が普通の状態だったが、こちらは面白い事が異常な状態なのだ。つまり意図された笑いであり、もっというと強要された笑いである。笑わないととてもやっていけないのだ。酒を飲んで、ばくちをする事くらいしか出来る事がない。気づけば年を取った中年探偵ビレーンは本当に友達が、誰一人も、いないのである。彼はその軽口で盛大にオブラートに包んでいるが、人間たちには、そしてその人間たちがうじゃうじゃするこの世界には心底飽き飽きしているのだ。本当はこんなところ一秒だっていたくはないのである。彼は一体どういう訳か自殺が出来ないから、自分が臆病な性で出来ないのだ、全く俺というヤツは駄目なヤツだと無理矢理笑い飛ばそうとしているのがこの本なのである。ビレーンは事件に奔走する事も、まああると言えばあるけど本当はもう事件も赤い雀もどうでも良い。だから死神が出てこようが、セリーヌが出てこようが、宇宙人が出てこようがあまり気にしない。ビレーンは冗談でチャックをおろしたり、美人にどぎまぎしたりするが、実際直接的な描写はこの本には出てこない。これは意外な事に思えるけどビレーンにはもう本当はそういった欲求はないのかもしれない。ただそのように振る舞っているだけで。

繰り返しになるがとても楽しく読めた小説だが、単に勘違いかもしれないが私はその面白さの背後に何とも言いがたい絶望を読み取ったのであった。なんとも楽しく、そして悲しく恐ろしい小説だと思った。皆もっとこういう本を読んだら良いと思うのに。そしてその感想を私に聞かせてくれよ、とそう思う。

Mortalized/呪われた…Complete Mortality

日本は京都のグラインドコアバンドのディスコグラフィー。
2016年にオーストラリアのBlastasfuck Grindcoreからリリースされた。私が買ったのはデジタル版。
Mortalizedは1998年に古都京都で結成された、ボーカル・ギター・ドラムの3人編成で幾つかの音源をリリースした後、残念ながら現在は既に解散したとの事。その後ギタリストの松原さんはアメリカのDiscordance AxisのボーカリストJohnとバンド・Gridlinkをやってたりするみたい。
私は同じく日本のSWARRRMとのスプリット音源だけリアルタイムで買って持っている。大ファンという訳ではないのだが買ってみた。

解散後にリリースした活動全記録という感じで色々な音源から集めた61曲で構成されている。収録時間は1時間半弱、CDだと2枚組になっているとの事。
グラインドコアというジャンルの定義が出来るほど詳しくはないのだが、ブラストビートを用いた非常に速いハードコアとデスメタルのクロスオーバー的な音楽であって、その尖りまくった性質上結構個性を出すのは難しいのではないだろうかと思うのだが、このMortalizedというバンドはそんな先鋭的な音楽ジャンル(=縛り)のなかでこんなにも豊かな表現が出来るのか!と思わせてくるくらい非常に多彩。
音的にはピュアなグラインドコアで、デスメタル要素が非常に濃い。重さと速さを兼ね備えたドラムは叩きまくるし、ギターは短い曲の中で凝りまくり、練りまくられたリフをこれでもかというくらいに矢継ぎ早に披露していく。ボーカルは高音〜低音を行き来するシャウトスタイルで終始叫びっぱなし、クリーントーンなのどの小細は皆無。
徹頭徹尾呵責のないスタイルだが全61曲全く飽きさせる事がない。一つは楽器陣(といっても2人視界内のだからスゲー)の魅せる事。手数の多いドラムはどっしりしており非常に気持ちよい。ギターはとにかく短いという制約の中で縦横無尽に駆け巡る。ミュートを使ったタメのあるギターリフ、低音の嵐の中で非常に印象的なハーモニクス、そしてボーカルに圧倒的に欠如しているメロディ成分を補填してあまりある叙情性。怒りに満ちた攻撃性を詰め込んだお手本の様なメタリックリフ、ブラックメタルを彷彿とさせる泣きのトレモロ、ノイズ一歩手前の非人間性、音数が少ないのに妙にキャッチーで印象的なフレーズまでこのレパートリーの豊富さには目が回る。一見多重人格なのだがそれぞれの側面への意向が非常にスムーズかつ自然で、ちぐはぐさが皆無なのでどちらかというと感情の豊かさでは。
このバンドのもつ懐の広さは後半に収録されているボーカルレスのセッションでかいま見る事が出来る。ベースメンバーも迎えたこのインスト群はメタルの枠を抜け出した、というか完全に非メタルな音で構成されている。細かく手数の多いドラムはシンバルの使い方もあってどう見てもジャズのそれに聴こえるし(そう考えると確かにメタリックな曲でもジャズっぽいドラムフレーズがある様な気がする)、反復的な展開からフリーキーな即興性が飛び出してくるギター。非常にテクニカル。こういった背景からあのグラインドコアが生まれてくると思うと凄まじいな。きっともっと他の音楽性を目指しても素晴らしい曲が出来たのだろうなと思う。

滅茶苦茶かっこ良いのだが、そうなるとどうしてもこの素晴らしいバンドが既に解散している事が寂しくてならない。偉大なバンドが日本の京都にたしかに存在したのだ。こうして音源をまとめてくれるのは大変ありがたい事。どうもCDは限定50枚というこれまた容赦のなさなのでゲットした人は急いだ方が良いかも。グラインドコアの凄みをこれ1枚であらかた体験できてしまうんじゃないかというくらいのバリエーションなので是非是非どうぞ。非常にかっこ良い。オススメ!!

DESPISE YOU/west side horizons

アメリカはカリフォルニア州ロサンゼルスのイングルウッドのパワーバイオレンスバンドの編集版。
オリジナルは1999年にPessimiser Recordsからリリースされた。私が買ったのはFuck Yoga Recordsからの再発盤でデジタル版。
注射器をくわえたやべー顔がジャケットが非常に印象的。パワーバイオレンスの名盤として数えられる事も多い。90年代に活動していたのだがどうも一度解散して、その後活動を再開したとの事。そういえばちょっと前にPig Destroyerのギタリストで激音フリークのScott Hullが在籍するAgoraphobic Nosebleedとスプリットを出してた。
この音源は94年から96年までの音源からコンパイルしたもので全部で62曲収録されている。因に収録時間は43分なので平均1曲あたり1分無いわけで、まさにパワーバイオレンス!なアルバム。

完全にハードコアな音なのだが、よくよく(聴かなくてもすぐ分かっちゃうと思うんだけど)所々メタリックなところがある。
まずはドラムの速さに驚く訳だ。「スタスタスタスタ」というパンク特有のビート(2ビートかもしくはDビートだと思うんだけど、違うかも…)を気持ち悪いビデオの倍速のようにスピードアップしたものが基調となるんだが、グラインドコアバンドもはだしで逃げ出そうようなブラストビートも入れてくる。思うんだがブラストビートほど”全部のせ”感のある音楽的要素もそうないのではなかろうか。ある意味一番単純な思考の発露なのかも入れないが、こんなに嬉しいものはそうない。ブラストパートだけでなく、シンバルのクラッシュが滅茶苦茶叩かれるのは大好きなのでこちらも嬉しい。
ギターはさすがに昨今の流行とは一線を画す結構ソリッドなもの。音質は良いとは言えないぐしゃっとした感じに仕上がって(もしくは意図的に仕上げているのかもしれない)、アングラ感がある。「これはこれで」ってやつだ。速度に会わせて非常にせわしない。グラインドコアのようにリフに凝っている訳ではないが、たまにスラッシーなリフが飛び出したりする。またこの手の音質はパワーバイオレンス特有のスラッジパートに良く映える。たまに他の演奏陣が黙ってギターだけになるパートがあるんだけど(ソロでなくてワンフレーズ披露するあれっす)、このバンドは結構それがおおくてそんなときに「お!」と思わせてくるカッコよさ。
ボーカルが特徴的で何と男女のツインボーカル。たまに女性声が出てくるのだがこっちはスクリームという感じではなく、本当に女性がマイク片手に叫んでいる様な感じ。甲高い金切り声なので、真っ黒な背景から際立っている。本当なんかのサイレンみたいで「危ないですよ〜」という感じがぐっと増す。この危ないですよ感というのは日常性であって、男だらけのファンタジー世界だったのにこの女性の声が入るだけで”現実に何か起こっている”感がでてくる。なるほどなという感じ。彼らの危ない歌が現実のものになるのだ。
男の人の方は「ファック」だったり「シット」だったりの言い回しがが抜群にかっこ良いのでこの手のジャンルだと最高の部類では。必死さが半端無く絞り出している様な感じ。恐らく越えにエフェクトもかけていないのだろう、その生々しさが良い。
基本的にはあっという間に終わってしまう曲ばかりだが、たまに出てくるスラッジパートが非常にかっこ良いのと、たまに挟んでくるカバー(PossesedやD.R.I.など)がこちらのバンドにないフックやメロディーを提供してくれるので、62曲あるけど結構聴きやすい(まあ短いってのもあるんだろうけど)。

どうも当時イングルウッドは相当治安が悪かったようで、育ちの悪さがそのまま音になった様なヒリヒリ感。なるほど非常に凶暴な音だが、暴れるためだけの音なら絶対こうはならないと思う。有り余るパワーでのバイオレンスの背後にはちょっと内省的なところがある。そこがこの手のバンドの格好良さの一つ。名盤と誉れ高いこともあり、内容的にはお墨付きなので未だの人は是非どうぞ。

2016年7月22日金曜日

夏の名曲6選

夏ですね。
いよいよ暑くなって参りました。
皆さんは夏が好きですか?
私は苦手です。
私は汗っかきなのでこの季節は本当いつも以上に気持ち悪い生き物に成り下がるんすよね。なんか一人だけ汗かいているみたいな気がして恥ずかしくなって余計に汗かいちゃうんすよね。なんかこう惨めな気分になるす。
そんな厄介な季節ですが、夏をテーマにした曲で結構好きなものが多いので突発的に紹介してみようかと。お気に入りの自分オリジナルのミックステープみたいな感じなんで、さらっと聴いてみていただければ幸いです。

The Mad Capsule Markets/All Time In Sunny Beach
日本のデジタルハードコア!中学生か高校生くらいかな?「OSC-DIS」を買ったのは。
当時の自分にはちょっと悪そうな感じがたまらなくかっこ良く見えました。
今きいてもカッコいい。シンプルなイントロで無限に頭振れる。夏!

Deftones/My Own Summer
「雲よ太陽を押しのけろ」というサビが印象的なまさに夏嫌いのための夏アンセム。
Chinoのまったりとしたボーカルがまとわりつく夏の湿気を彷彿とさせて開放感ゼロ。不快指数マックスでフラストレーションがたまっていくみたいなテンションのあがり方で非常にかっこ良し。「神は舌を動かしていると思う」というフレーズ、なんかの慣用句なのかな。

七尾旅人/八月
日本のシンガーソングライターの曲。ピアノとギターと歌という非常にシンプルなアンサンブル。そして非常にポップなメロディという自分の好みの中では結構異色かもしれない。なんというか声が良いですね。薄幸の美少年という感じで色気というか儚さがあるです。大好きな君にもう会えない感じ。切ない。この曲は入っていないのですが七尾旅人さんの1stアルバムはどの曲もすげー良いです。なかでも「ガリバー」という曲は自分的にJ-POPの金字塔的な。

Coaltar of the Deepers/夏の行人坂
日本のオルタナティブロック/シューゲイザーバンド。このバンド、私は中学生のときから聴き始めて今でもすげー好きです。この曲は四季4曲ある行人坂シリーズの中の一つ。暑い夏の日に見た白昼夢みたいな、暑くて朦朧と揺れる陽炎の様な曲。独特の世界観を持つ歌詞が私の中二心に刺さったものです。行人坂には未だ行った事ないす。Deepersには他に「The End of Summer」という曲もあってそっちも良いです。

Vampillia/endless summer
日本は大阪のブルータルオーケストラがツジコノリコさんをボーカルに迎えた1曲。
結構おふざけがすぎるバンドだけどこういった曲を平気でボンボン作ってくるから困ります。エンドレスと銘打つ割には夏の終りをテーマに切なさで心の琴線を揺らしまくる。夏の狂騒を思わせる爆走が霧散した後のツジコノリコさんのウィスパーボイスで昇天できる。終わらない、というよりは終わらせたくない、という気持ちなのかもしれないです。

降神/帰り道
降神名義だが曲自体は、降神のメンバーなのるなもないの1stアルバム「Melhentrips」に収録されてます。これも終り行く夏の楽しさをこれでもかというくらいぶち込んだ切ない名曲。すごいのは基本的に前向きなリリックで構成されているところ。つまりそんな楽しい情景がもう終わっちゃうんだな、と聞き手が思って初めて完成する様な。鮮やかに瞼の裏に夏の情景が浮かび上がる。目をつぶって聴く曲。

という訳でした。もっと色々ありそうな気がしているんですけど、とりあえずぱっと思い浮かんだのはこの6曲。
振り返ってみるとほぼ日本ですね。日本の夏が上手く曲にとけ込んでいてそこにすごい季節感と言うか、シンパシーを感じるのかもです。
夏は苦手なのですが、でっかい入道雲の浮かぶ青い空、五月蝿いくらいの蝉の声、そして澄んだ波の打ち寄せる真っ白い砂浜、夏の風景は圧倒的に美しいですね。夏の終りの夕焼けにはいつも心を打たれます。もっと素直に夏を好きになりたい。(多分今は嫌いというか嫉妬みたいな気持ちが大きいのだと思います。)
気に入ったら是非音源買ってみてください。
それからあなたの夏のオススメの曲があれば是非教えていただければと。

2016年7月18日月曜日

SWARRRM/20Year chaos

日本は兵庫県神戸のChaos&Grindバンドの編集版。
2016年にLongLegsLongArms Recordsからリリースされた。
「20年の混沌」というタイトル通り、1998年の結成以来リリースしたEPやスプリット、コンピレーションへの参加曲を集めた編集版。2001年から2004年の間に録音された音源で構成されている。また全曲リマスタリングが施されているようだ。インナーには音楽ライターの行川和彦さん、3LAのレーベルオーナー水谷さんのライナーノーツが書き込まれている。

現状生きるレジェンドな存在感を放っているSWARRRMだが、私は完全に後追いで聴き始めたのは2009年にボーカリストが元Hellchildの司さんに交替後の「Black Bong」から。さかのぼってこのアルバムのアートワークにもなっているPicture EPは購入したはず。
このアルバムだとボーカリストは全部で3人。そういった意味でも現在のSWARRRMとどれくらい隔たりがあるのかというのは興味があったところ。
実際に聴いてみると20年やっているバンドなのだがその軸はぶれていないなと思う。(勿論最初機の音源は未聴なので偉そうな事は言えないのだが…)デビューEPに付けたタイトルが「Choas&Grind」な訳で、曲に必ずブラストパートを入れるという縛りの元に確固たる音楽性を築いている。グラインドコアだと半分正解だが、そこに彼らの主張する「混沌」がぶち込まれている。ボーカリストはどれも異常な存在感を放っているが、ちょっと語弊があるかもしれないがバンドアンサンブルの一つとして機能している。カオスがバンドアンサンブルで企図された(実は)非常に知的なものである一方、それをぶちこわすくらい暴れ回るのがSWARRRMのボーカルに与えられた任務であり、歌詞はありつつもどちらかというとそれは獣めいた叫びに近い。低音グロウルから高音シャウトまでシャトル欄のようにせわしなく移動するそれはまさに混沌の象徴に他ならないのでは。
もう一つSWARRMの打ち出す「混沌」とは何かというとこれは一種の「悩み」じゃないかと思えて来た。SWARRRMの音楽には独特の美学があってそれは叙情性といってもよいかも。例えば苛烈な音楽性の嵐の様なその様に一瞬垣間見える美しいメロディがそれ。新作「FLOWER」ではこの叙情性がコード感のあるギターメロディなどで強烈にフィーチャーされているのだが、その萌芽がこちらの音源でも聞き取る事が出来る。こちらの方が漆黒の塊と言った印象なのだが、ブラックメタルを彷彿とさせるトレモロリフだったり、物悲しいピアノだったり(6曲目)、不穏につま弾かれるギターとそこにのっかる言葉にならない絶叫だったり(9曲目)、激しさとは別の感情豊かな表現がそこかしこに見て取れる。これらの暗い魅力を備えた音楽性はなんとなしに、悩みだったり迷いだったりを表現してとれるように思った。そうするとなんとなく凶暴な咆哮も手負いの獣の様な物悲しさと凄まじさを併せ持つように思えてくる。

激しさの中に感情をぶち込んでドロドロした音楽をやっている、なるほど言うのは簡単で多くの表現者が実現しようと四苦八苦しているのだろうが、そこにひとつの答えらしきもの(なぜならこのバンドだって未だきっと完成はしていないのだろうから)をだしてしまったのがひょっとしたらSWARRRMなのかもしれない。帝王と呼ばれるのも納得の貫禄。
歴史を学べる側面も勿論あるけど、一つの独立した音源としてあり得ないくらいの存在感があるアルバムだと思いますんで、激音好きは是非。可能ならば目下の最新作「FLOWER」とセットでどうぞ。


ちなみにこの編集版、リリースにあたって非常に面白い取り組みがされており、リリースライブに行くと一般販売に先駆けてCDをゲットできる権利を得る事が出来た。具体的には会場で提示されているメールアドレスに一方入れると優先権を得る事が出来るというもの。私もライブに足を運んだのだが、ライブの凄まじさに竦然とするあまりアドレスをチェックするのを忘れるという驚きのていたらくで一般販売でゲットしたんよ…
孤高という存在なんだけど、ライブではkapoさんが非常に楽しそうに演奏するのが非常に印象的だった。(音は凄まじいのと司さんがおっかなすぎたけど。)そこら辺のギャップもあってすごいバンドだと思う。またライブがみたいすね。

アーナルデュル・インドリダソン/緑衣の女

アイスランドの作家によるアイスランドを舞台にした警察小説。
レイキャビクのエーレンデュルを主人公としたシリーズ。前作「湿地」が面白かったので次作のこちらが文庫化したタイミングで購入。邦訳されていない話が「湿地」の前に二つあるようだ。なのでこの本はシリーズ4作目かな?海外の名誉ある賞を獲得しているそうな。

アイスランド、レイキャビクの犯罪捜査官エーレンデュルはサマーハウスの建設現場から見つかった身元不明の白骨死体の捜査にあたる事になる。女性か男性かも判然としない。事故死なのか自然死なのか殺人なのかも判然としない。遅々として進まない捜査に追い討ちをかけるようにエーレンデュルの娘が意識不明の重体に陥る。

前作「湿地」でもそうだったがこのシリーズ所謂従来の警察小説とは結構趣を異にするつくり。今作ではその方向性が加速され、とうの昔に終わっている(殺人にしろそうでないにしろ、推定40年以上前に被害者は死んでいる)事件をまさに掘り返していく。現在進行形の事件ではないし、恐らく連続殺人事件でもなさそう、被害者の死体に著しい損壊がくわえられている訳でもないし、国際的なシンジケートも麻薬も出てこない、北欧警察小説には良く出てくる移民に関するエピソードもなし、銃撃戦もカーチェイスもなし!いわば非常に地味〜な内容。アイスランドには行ったこと無いのだけどフィヨルド(高地とか山という意味出そうな)のなんとなく凄まじい寂しい風景がぶわーっと頭に思い浮かぶ。風が吹きすさぶそんな景色で人は孤独だ。
この物語ははっきりと家族(と結婚もはいるかも)と親子関係がテーマ、主人公エーレンデュルの離婚しておいて来た親子関係が一つ。疎遠だった娘は麻薬中毒者で2人の関係は修復されるに至っていない段階で、娘は危篤になりエーレンデュルは自分の結婚生活とその破綻と子供たちへの接し方について思い悩む事になる。一方でおそらく発見された死体に関係のあると思われる、ある家族についての物語が語られる事になる。一人の男の暴力によって母親と三人の子供たちが破壊されていく様がじっくり書かれている。ひともまばらなフィヨルドにたてられたサマーハウスのなかでの出来事。ある意味さっぱり殺すサイコパスよりよほどたちが悪い。かつてPanteraは「低俗な暴力の見本」というアルバムをリリースしたが、それがこの本でもより直接的に体感できる。極端に美化された(たとえばイケメン俳優が華麗に醜い敵を銃で打ち抜く様な)、あるいは劣化された(たとえばバラバラにして芸術的に飾り立てるなど)暴力とは無縁の、暴力に関するある一つの根源的な真実である。いわば貧困の極みであり、無惨さの極みであり、惨めさの極みであり、フィクションであって一番見たくないものであるかも知れない。力で歪む人たち、力で歪められた人たち、暴力は振るっていないと言い訳するエーレンデュルは危篤の娘を見て何を思ったのだろうか。
もう一つのテーマは孤独である。エーレンデュルは孤独だ。娘も孤独だし、別れた妻も孤独だった。虐待された家族も団結しているように見えてバラバラになってしまった。家族というのは何を束ねる力だったのか。わからない。そんな無力感が全体を覆っている。ある種の人たちにはその無力感があるという事が、それがあると認めるという事が救いになる場合もあるのかもしれない。
非常に楽しく読めた。いい気分にはなれないだろうが、暴力について考えた事のある人なら何かしら得るものがあるだろうと思う。

Vatican Shadow/Media in the Service of Terror

アメリカのノイズアーティストによるアルバム。例によってた作のため今作が一対何枚目のアルバムなのかは分からない。活動拠点はロサンジェルスとニューヨークとの事。
2016年に自身のレーベルHospital Productionsからリリースされた。
Prurientを始め様々な名義で精力的に活動するDominick Fernowによる(恐らく)一人ユニット。彼がPrurient名義で今年リリースした「Unknown Rains」はとにかく素晴らしい出来だった。こちらの変名は知っており、今作の印象的なアートワークが気になっていたが何となくスルーしていたが、ヘドホン屋さんの2016年上半期ベストにランクインしていて聴いてみたらかっこ良かったので購入した。

Vatican ShadowだとRegisのアルバムにリミックスが入っていたのを聴いたことがあるくらい。Dominickは実質Pruirent名義を全体から見たらほんのちょっと聴いているだけだから、なんとなくノイズなんだろうなという先入観があったのだが、実際この音源を聴いてみると全く印象の異なる音楽をやっていてビックリした。
ハーシュなノイズ成分はほぼ皆無といっても良いのではなかろうか。特に前述の新作ではドローン的な手法でもって訴えかけてくる、美麗なノイズが溢れ出すという作風でもって、ほぼほぼビートという概念がなかった。一方こちらのアルバムでは緻密なビートがその根底をなしている。5曲目など曲によってはドローン成分もあるのだが基本は確固たるビートが明確なリズムと規則性を構築している。そのビートというのも例えば極端に歪ませたものであったり、極端に手数の多いのもの、極端にテンポや拍子を変えていくものではなくて、割と生々しい音がくっきりとそして極めて規則的に列をなすように空間を埋めていく。そのうえにDominickがお手製のノイズをびゃーーーっとぶちまける、という事には全然ならなくて、Prurientから比べると極めて大人しい音使いで、地味に津に非常に細かく音を追加していく。丁寧にそっとそっと追加される音はなにかのパーツと言った趣でそれ自体は、例えば分かりやすいメロディや印象的なフレーズにはなり得ないくらいの地味さ。Vatican Shadowは少なくともこの音源では徹底的なミニマルさを追求しているように思える。それも感情の一遍すら入り込まない様な冷徹でソリッドなヤツだ。ただし使っている音は金属的ではないからインダストリアルの雰囲気はそんなに感じられない。夢みがちさや幻惑的な浮遊感もない。ひたすら無骨に刻んでいく。しかしこれが不思議ともの凄く気持ちがよい。ある種の反復がもたらすという催眠性をこの音楽も有しているのか知らないが、沈み込むように曲の世界に没頭できる。

Dominick先生の引き算の美学の様な音楽で、前述のように大分印象が違うもので驚いてしまったがこちらも非常にかっこ良い。個人的には「Unknown Rains」もとても良かったけど、それと甲乙付け難い。非常にオススメ。ちなみにBoomkatでデジタル版が買えますよ。

2016年7月17日日曜日

Frameworks/Smother

アメリカはフロリダ州ゲインズヴィルのハードコアバンドの2ndアルバム。
2016年にDeathwish Inc.からリリースされた。このバンドの事は全く知らなかったのだが、Deathwishからのメルマガで紹介されていてMVも作られている「Purge」を聴いたらとっても良かったので購入。Bandcampでデジタル版!
2011年に結成されたバンドで今までに1枚のアルバムと複数のEPやスプリットをリリースしている。アルバムのsmotherというのは窒息死させるという意味の動詞のようだ。タールの様な黒い海から指が飛び出ているアートワークはまさに窒息死を象徴的に閉じ込めているようで不吉だ。
音の方はというと非常にエモいハードコア。wikiのジャンルはスクリーモになっている。かつて一世を風靡したジャンルではあるが私はほぼほぼ聴いてこなかったから、その系譜の最先端にいるこのバンドを包括的に見れてはいないのだと思うが、思った事を書いていく。(このブログは感想を書くブログだ。レビューとはちょっと違うんだ。申し訳ない。)

まずエモとはエモーショナルの事だと思う(違ったら恥ずかしいな)、一体この世の音楽にエモーショナルでないものなんてあるのだろうか。何かしらの感情の発露としてはじまった(と思うんだけど)歌が情熱的でないなんてちょっと考えられない。電子音で飲み構成された冷徹なミニマルテクノがあそこまで人を熱狂し、踊らせるなんて私はいつも不思議でそして面白いと思っている。もちろんミニマルテクノもエモーショナルだ。そんな音楽で敢えて感情的というのがエモだ。
まずFrameworksでいうとその溢れ出る感情をボーカルが良く表現している。叫んでいる。常に叫んでいる訳ではない。激しさ自慢じゃあないのだ。このジャンルは。あくまでも感情があって、だからムラがあってしかるべきだし、気持ちが高ぶってくると声がのどに引っかかってくる、掠れてくる、そして叫ぶ!この走る感じ、これが良い。常に叫んでたらそれが普通になってしまう。
次にギターの音が情熱的だ。一人がガシャガシャした生々しい音でコード感のあるバッキングをかまし、それは時にトレモロ奏法を大胆に取り入れほとばしる感情を途切れない事で表現している。非常にポストハードコア的だ。そこにこれまたクリーンめな細かい音が乗ってくる。まるで晴れた日の湖の水面のように煌めいている。ミラーボールのギラギラした感じではない。陽炎の様な、思い出の一日をとらえた写真、そいつが動き出した、そんな感じの優しさ、そして切なさだ。ノスタルジー、郷愁といっていいい。思うに少なくともこのバンドにはそういった懐かしさの要素がある。郷愁だから多分過去を見ている。だからちょっと後ろ向きだし、同時に甘い感じがある。視線の先のそれはもう過ぎ去っているからだ。

Deathwishのバンドは大好きだ。彼らは激烈な音をならす事が多い。それはとてもカッコいいが非日常でもある。一方このFrameworksのならす音はある意味では地に足がついている。クリーンなトーンも感情的な振れ幅があるボーカルも、毎日に立脚している感じがある。

2016年7月16日土曜日

Terra Tenebrosa/The Reverses

スウェーデンはストックホルムのブラックメタルバンドの3rdアルバム。
フランスのDebemur Morti Productionsから2016年にリリースされた。
2009年にスウェーデンのハードコアバンドBreachが解散した後にメンバーが結成したバンドで今までに2枚のアルバムをリリースしている。私は何を切っ掛けに知ったのかもう定かではないが、前述の2枚のアルバムを購入しその独特な世界観が気に入っている。今回はデジタル版を購入。

ブラックメタル自体メタルの中でも変わったジャンルだと思うが、このバンドはそんなブラックメタルのジャンルでも結構変わり者という印象。コープスペイントを施したり、フードで身を包んだり、宗教・神話や指輪物語などから一風変わった名前を拝借したりとブラックメタルではある種の匿名性と言うか、非人間性(人間ではないなにかになるという意味で)が重要なファクターになっている。(勿論普段着かつ本名でブラックメタルをやっている人たちも沢山いるだろうが。)一般には神秘性とか言われたりもする。このバンドはフロントマンのThe Cuckooは黒いぴったりしたコートにその身を包み、顔を小鬼のような兎のようなマスクで覆っている。他の2人のメンバーは黒子の様な格好をしている。(ここら辺はちょっとオールドスクールドゥームロックバンドGhostにも通じる事があるね。彼らは音的にはブラックメタルではないけど明確に反キリスト的な世界観を構築している。)この衣装に彼らの音楽的な(ならす音以外の表現も含めての)アティチュードをかいま見る事が出来る。それは言うならば直接的な血や暴力ではない、一風変わった暗い、悪夢めいた世界観である。ちなみにバンド名は「黒い地球」という意味ではなかろうか??(違うかも)
プリミティブとは一線を画すクリアかつモダンな音作りだが、曲の速度は中速ほどで早くも遅くもない。勿論激しい音楽である事は間違いないが、単純に速度や曲調を使って残酷性を表現している訳ではない。MVも作られている「The End is Mine to Ride」はそんな彼らの世界観をコンパクトに凝縮していると思う。

絶叫からはじまるイントロ(このイントロだけで購入を決めた、とてもカッコいい。)は重々しく激しいが、そこに何とも浮遊感のあるギターのフレーズが侵入してくる。不穏である。重苦しくこちらに向かってそそり立つ圧迫感のある壁が、実はその表面が撓みきしみ、震えている様な、そんな寄る辺のない不安感がある。そこにリバーブのかかったボーカルが乗ってくる。存在感があるがどうにも煮え切らない様な暗いウィスパーボイスは背景の音の厚みもあって非常に聞き取りにくい。どうも何か不吉な事を言っているらしいという事は分かる。このうねるような黒さはオーストラリアの暗黒Portalに似ている。(両者ともにビジュアルに配慮している。)あちらはキテレツかつ超絶技巧な変幻自在リフでデスメタリックにクトゥルーの触椀的な黒さを表現していたが、こちらは全体的な雰囲気で模糊とした世界を構築している。ポスト感といっても良いのだろうがよくもまあこうやって気持ち悪くブラックメタルの表現の中に閉じ込めたものだと感心する。

ラストの「Fire Dances」は16分に及ぶ大曲だが、その他の曲は概ね5分程度にまとめられていて、分かりやすい音像ではないものの難解さやアート性で煙に巻く様なかったるさは皆無である。繰り返すがこれは悪夢なのだと思うと非常にしっくり来る。森に沈んだ廃屋にマスクを付けた異形がたっている。このアートワークは非常に良く出来ている。これはつまり入り口であって、その音楽は非日常である。とても物語性があると思う。やっぱりカッコいい。とてもオススメ。

ニック・ホーンビィ/ア・ロング・ウェイ・ダウン

イギリスの作家による喜劇小説。
何となく表紙にみせられて購入。

寝た相手が15歳だったため逮捕・収監されて栄光をなくしたテレビ司会者のマーティン、自身では呼吸もままならない重度の障害がある息子を抱えるシングルマザーのモーリーン、生きがいだったバンドが解散し彼女にもふられた元バンドマン今はフリーターのJJ、彼氏にふられた大学生ジェスは大晦日にロンドンの自殺の名所トッパーズ・ハウスの屋上で邂逅する。成り行きで自殺を延期する事にした彼らは自殺しない道を模索しはじめる。

日本の自殺者は多い事が有名で2万から3万は年間自殺しているとか。私のように能天気に暮らしている人間が言うのも重みがないものだが、誰しも死ぬ事を考えた事はあるのではなかろうか。この小説はそんなふと思う「死んでみたらどうだろうか」を物語にしたもの。主人公の4人の中ではモーリーンが自殺の理由としては重く(つまり説得力がある)、若い2人(JJとジェス)はばからしいと言っても良いほどの理由。買うまで知らなかったのだが、どうもこの作者は著作が映画化された事もある(この本も映画化されるらしい)有名な人で、そんな人が書くから「自殺」という重いテーマでも全体を覆っているのは軽妙な雰囲気であるし、コメディと断言していいほどユーモアにあふれてる。それでは真剣に自殺を書いていないのでは?というと半分は正解だが、半分は違う。自殺というのは本人そして周囲の人に大きくダメージを与えるもの。この物語ではその部分はほんのさらっと、しかしさすがは有名作家だけあってほんのちょっとでも結構効果的に取り扱っているだけだ。これは「死にたいな」と思う人を書いているのであって、どちらかというと自殺に至るまでの道を書いている。繰り返しになってしまうが豊かな現代にあってもいっそ死にたいくらいの気持ちを抱いてしまうのが人だから、この物語は損なくらい気持ちに共感を示しつつ笑い飛ばしてしまおう、とこういった類いの小説なのだなと思った。どんなくだらない事であっても本人からしたらとても重要な事だ。「そんな事で死ぬなんてお前はバカか」と実際罵倒しつつ、七転八倒する四人は行動的なセラピーを行っているようにも見える。セラピスト自身も病んでいる訳だが。個人的な経験に基づくものだがたいてい一人で思い悩んでも思考が堂々巡りするだけで、良い結果が導かれないものだ。内にこもって懊悩してくると段々行動するのがおっくうになっていく事もしばしばだから、確かにこうやってバカみたいな事でも次々と体当たりでやっていくのは実際ちょっと疲れている人たちにとっては良いのかもしれない。
この本が面白いのは物語全体が登場人物の独白で構成されている。第三者の視点は皆無で、起きた出来事も4人のうち誰かが見たり聞いたりした知見という形で表現されている。登場人物の気持ちを行動によって表現するのは大変難しいから、自殺という「生きるべきか、死ぬべきか」という究極の”迷い”の状態にいる主人公たちをの心情を語るにはとても会っているのかもしれない。

ライトな内容でずしんとくる重さはないものの、すっと読める軽さとへこたれない明るさがある。たまにはこういうのも悪くないなと思った。

2016年7月10日日曜日

BOMBORI/we are cured,fuck you

日本は東京のスラッジコアバンドの3rdアルバム。
2016年に自主リリースされた。彼らのBandcampで無料で公開されている。
2011年に武蔵野美術大学の学生によって結成されたバンドでオフィシャルサイトによると現在は4人編成。Guilty Forestさんのインタビューによると過去はツインドラム体制だった事もあるようだ。私は過去の音源も聴いた事ないし、名前を知っているくらいだったのだが、今作がリリースされるとやにわにTwitterで「BOMBORIがヤバい」というツイートが目立つようになり、それではと思ってダウンロードした次第。結果からいうとヤバかったです。

「俺たちはいやされる、くたばれ」と題された今作、何となく一風変わったハードコアを演奏するバンドなのでは?と根拠無く思っていたのだが、聴いてみると完全に殺傷力の高いスラッジをやっていて驚いた。それも相当ピュアかつややオールドスクールなタイプ。私の好きなGriefを彷彿とさせる様なフィードバックノイズ多めのトーチャーっぽさもあり、現在にこんな音を出すバンドがいるなんて驚きであり、嬉しさしか感じない。
全く親しみやすさがなく、どす黒さがノイズの奔流になってあふれてくる。この手のスラッジに私が感じる良さはブルータルさは勿論、陰湿さ、底意地の悪さ、そして停滞した諦観・放心だろうか。この音源はこれらをほぼすべて備えている。悪意をぶちまけた様な途切れないフィードバックノイズを断ち切り、そしてまた続いていく、タメが強烈に意識された引き延ばされたリフがズルズルと曲を引きずっていく。もったりとした沼を這い回るベース、そして沼が盛り上がっていくように浮上してくるボーカル。
反復的なリフが酩酊感をもたらす。所謂”ポスト感”は皆無で徹頭徹尾暴力的。殺傷力だけならハードコアで良いのだが、なんといってもスラッジ特有の「もう駄目だ」感が余すところなく演出されていてそこが素晴らしい。
トーチャー成分色濃い前半からスピードアップする中盤〜後半、全10曲で34分というコンパクトな構成も素晴らしく、そういった意味だと意外に敷居は高くないのではなかろうか。全編トーチャーも聴きたい気持ちもあるが。アルバムを通しての聴きやすさという意味では非常にバランスが良い。

いやーこれは本当良いです。ヤバいヤバいと言われるのが納得の出来。2016年に日本のバンドがこの音を出しているというのは個人的にとても嬉しい。次はどんなの出してくるんだろうと早くも気になっているのだが、まずは前作を聴いてみるのが先かな。非常にオススメ。

NAILS/You Will Never Be One of Us

アメリカはカリフォルニア州オックスナードのパワーバイオレンスバンドの3rdアルバム。
2016年にNuclear Blast Recordsからリリースされた。
NAILSはロサンジェルスで活動するハードコアバンドTerrorに在籍していたTodd Jonesと同じくロサンジェルスで活動するこれまたハードコアバンドTwithing TonguesのTaylor Youngが中心になって結成されたパワーバイオレンス/グラインドコアバンド。
上記のTwitching Tounguesと一緒に来日にしたこもあって私も見に行ったりしました。その時は髪の長くて線の細い革ジャンに身を包んだ(Theメタラーという感じの)選任ギタリストがいたのだが、彼はその後脱退したようで現在は3人体制のようだ。
このアルバムのプロデューサーは売れっ子Kurt Ballou。何とも粗野でとにかく荒々しいアートワークは一人ブラックメタルバンドLeviathanのWrest(WHTHD名義)の手によるものとの事。シングルカットされているタイトル曲にはConvergeのJacobやNeurosisのScottも参加している。(各人一分だけだけど。)良い話じゃないですか。(つまり絶対に良い話じゃない的な意味で)

10曲で21分。ラストの1曲は8分あるからその他の曲はだいたい1分かそこら。とにかく猛スピードで突っ切るタイプの爆速バンド。選任ギタリストが不在ということでやけっぱちなソロはさらにコンパクトになり、その代わりに非常にノイジーな高音は増加。全体的には引き続き低音に振り切った真っ黒い音。ミュートを用いたリフはリズミカルに刻まれ、良く動くベース、強烈なアタックのドラムと相まって真っ黒い嵐の様な様相を呈している。ブラストもありつつ緩急付けた楽曲はスラッジの要素も強く、パワーバイオレンスのきな臭い香り。いわばメタリックに武装した非常にタフなハードコアと言った趣。高速と低速を神経症的に行き来する様はまさにバイオレンスの一言だが、間となる中速もどっしり構えた弦楽隊と、タンタンと打ち付ける口径の大きい機関銃の様なドラムがひたすら首を振らせてくる無慈悲なシステムでブルータルな事この上無し。
「俺らの苦痛はおまえらのそれではない」とポーザー(震えております)に叩き付けるような刺々しくヒリヒリした詩が突き刺さる呵責のない音楽性は、バンドがロゴ的に使っている鉄条網に囲まれた犬のドローイングにぴったり。めくれ上がった口に並ぶ歯が聴くものの首に深く食い込む殺傷力の高さ。英語力がないので何とも言えないのだが、歌詞をざっと見ると「God」などの単語は見当たらず、より身近な問題を身近な言葉で綴っているようだ。怒りに満ちたそれは現実的に力を持ち、血が通っており、彼らのハードコアなスタンスを表現しているのではなかろうか。

誤解を生んでしまうかもしれないがより排他的になった。ここまで来ると孤高という感じで、私の様なミーハーなリスナーが「わかるわかるよ」というのははばかられる。だがその毒性に意識を持っていかれてしまう楽しさがある。彼が釘ならきっとそれは錆びているのだろうと思います。非常にかっこ良し。オススメ。

2016年7月9日土曜日

グレッグ・イーガン/TAP

オーストラリアのSF作家による短編集。
河出書房新社による「奇想コレクション」の一冊としてリリースされたものを文庫にしたもの。
グレッグ・イーガンはハードSFを牽引する作家の一人で特に日本での人気はとても高いみたい。長編も素晴らしいのだが私は短篇が好きで「祈りの海」、「しあわせの理由」、「ひとりっ子」、どれも本当に楽しかった。本書の後書きによるとこれらの短編集は日本オリジナルみたい。始めの一冊は結構チャレンジングだったようで、それが幸いな事に受けてその後も何冊かリリースされているのかなと。

この本は特に初期の短編集を集めたもので、具体的には1986年から1995年の期間に発表されたものが収録されている。一番大きな特徴は今程ハードSFではないということ、というかSFとカテゴライズするのも難しい様な作品も収録されている。結果から言うと勿論どれも面白かったんだけど、これはつまりグレッグ・イーガンという人は勿論ハードSFという難しいジャンルを(イーガンの作品は何回と評される事も少なくはなくて初めてにするときはビビったもの)まるで熟練の科学技師のように操って物語を紡いでいく人なんだけれども、数学的な知識やそれに立脚した新奇なガジェットのみでその圧倒的な人気を獲得した訳ではないという事。要するにストーリーテリングの才がSFの才に負けず劣らず豊かだという事。
イーガンは科学に対して特別深い思い入れを持っていて、時にそれが人間的な信条や常識からは逸脱して軋轢を生む事があるのだが、イーガンは科学の良い側面(この人は科学がすべてを凌駕する優等なものとは明確に考えていないと私は思う)は旧弊な伝統を打ち破っていくさまを結構残酷にいくつかの作品で書いている。本当に頭の良い人なら起こりそうだけど、例に挙げると町の書店が衰退するのはAmazonを始めとするネット書店の台頭がその原因の一つに挙げられるけど、それがそもそも台頭するのはAmazonが町の書店より便利だからに他ならない、だからAmazonの方が時流に合っている、とまあこんな感じ。分かるんだけどどうしても慣れ親しんでいるものに肩入れしてしまう気持ちがあるから、素直に受け入れにくい。そんなアンビバレントな心のざわめきを巻き起こしてくれるのがイーガンの魅力の一つだと思っている。
本書でもその作者のセンスはすでに十二分発揮されているのだけれども、「銀炎」という物語の中で迷信がその数で持って科学による現実を打ち砕く様を書いている。ここでイーガンの良さがあるなと思う。イーガンは宗教に対して、もっというと盲目的な無知に対して疑問を持っている訳だけど、だからといって心理である科学を俺ツエー状態に持っていかない。そこに物語がある。そこにセンチメンタルなものがあって、イーガンは結局のところそういった心理のせめぎあう様を書いている。本書では私たちの現実で、もっと時代が進んで無限の宇宙と、無限の人間の変容した意識を舞台に。そういった意味ではそんなドラマ感がとても感じやすいのが本書ということになるかなと。

グレッグ・イーガンは難しいんでしょ?という人は是非この本から初めて見るのはいかがでしょうか。その他の短編集でも全然大丈夫だと思いますよ。

2016年7月3日日曜日

DJ Shadow/The Mountain Will Fall

アメリカはカリフォルニア州のDJ/ミュージシャンの5thアルバム。
2016年にMass Appeal Recordsからリリースされた。
言わずと知れたDJでとにかくその元ネタの在庫の豊富さと後にトリップホップにも影響を与えたというその音楽性は有名だと思う。かくいう私も名前だけは知っていたのだが、大学生の時にヒップホップ好きの友人から伝説的な1stアルバム「Entroducing……」を借りて聴いたことがある。その他のアルバムは聴いた事がないのでいかにもミーハーだが、新作が出るというので思いついたように買ってみた。Bandcampでデジタル版を購入。

ここでいうDJというのは本来2台(以上、こともあるのかも)のターンテーブルを使い異なる曲を間断なくつなげていく人のことを言う訳だから、テーブルに載せる元ネタがあって当然曲を作っているミュージシャンというのは違うのだろうけど、DJ Shadowの場合はそのDJプレイの枠から、膨大な元ネタをつなぎ合わせる事によって全く新しい曲を作ることで大きく躍進している人。で、その作曲方法からも分かる通りやはりヒップホップのよう差が強いという事になると思う。つまり作曲の根幹にあるのはサンプリング。100%サンプリングで作っているのか否かはちょっと分からないが、最近のMVでもターンテーブルを捜査しまくる彼が出てくるからやはりその比重は多いのだろうと思う。
ではその中身となる音楽的にはどうかというと、確かにこのアルバムでもRun the Jewelsが参加していたりとヒップホップの要素は強いのだが、全体的なイメージはもっと内省的だ。さすがトリップホップの源流と評されるだけはあって、ヒップホップというには煙たく、そしてその根底には暗い雰囲気が漂っている。ただボーカルが乗る曲の方が少ないし、所謂陰鬱さはほぼ感じられない。あくまでも音の使い方ということで方向性や指向性という観点ではあまりトリップホップを挙げるのは間違っている気がする。具体的には音がソリッドすぎてそちら方面とは結構一線を画すのではと。例えばスクラッチなんてトリップホップではあまり使わないのではなかろうか。
こういった意味では基本1stからの方向性が続いているという事になるのだが、さすがに丁度20周年ということもあって、圧倒的な経験によりその曲のクオリティは研ぎすまされている。明らかに曲の幅は広がっていると思う。前述のRun the Jewelsとのコラボ曲では大胆にアコースティックなギターの音をサンプリング(もしくは録音?かもだが)して取り入れている。ミニマムさは曲によっては大胆に削り取られ、代わりにスクラッチを始めうわものが奔放に跳ね回るようになった。一方土台となるビートの部分は軽快さを失わない確固たる重さでもって一定のリズムを刻んでいる。曲によってはディストーションをかけたノイジーな音使いに中国風の楽器と旋律を取り入れる、みたいなことにもチャレンジしている。

DJそしてヒップホップという言葉から想像する音よりかなりストイックな音楽をやっていると思う。勿論踊らせるための音楽ではあるのだろうが、やはりというか求道者的な地味憂さと真面目さが伺える。個人的には4曲目「Bergschrund feat. Niks Frahm」、5曲目「The Sideshow feat. Ernie Fresh」が素晴らしい。

ジェイムズ・エルロイ/LAコンフィデンシャル

アメリカの作家による警察小説。
「ブラック・ダリア」、「ビッグ・ノーウェア」に続く「L.A.四部作」の第三作目。ハリウッドで映画化された事もあるので、ひょっとしたら一番知名度があるのではなかろうか。(たしか「ブラック・ダリア」映画化されているが、こちらの方が古いはず。)かくいう私も大分昔、恐らく高校生くらいの自分、金曜ロードショーかなにかで見た記憶がある。(が、幸か不幸かほぼ中身を忘れていた。)
長らく絶版状態だったが、エルロイの新作リリースに合わせて電子書籍のフォーマットでのみ再販され、これを購入。

1952年のアメリカロサンゼルスで深夜営業のコーヒーショップ「ナイト・アウル」に深夜強盗が押し入り、店にいた従業員と客合計7人がショットガンにより虐殺された。捜査にあたるのはLAの伝説的警官ダドリー・スミス、女性に対する暴力に過剰に反応するバド・ホワイト、ハリウッドと繋がりのあるごみ缶ジャックことジャック・ヴィンセンス、連続幼児殺人事件を解決し今は建設業界でのし上がった父親に尊敬と複雑な感情を抱くエドマンド・エクスリー。捜査線上には早くから若い黒人が浮かび上がるが…

相変わらずクズばかりでてくる警察小説。
とくに主人公の一人、エド・エクスリーが良い。こいつは卑怯者で不正を正すという名目で自分すら騙そうとしているが、その実出生のために仲間を売るクズなのだが、物語が進むに連れて彼を好きになってくる。といっても彼が成長して心を入れ替えるという訳ではない。むしろ泥沼のよな50年代の裏側にはまり込んでその純真さをどんどん失っていく。その失っていく様が美しいのではない。彼の信じていたものがどんどんその輝きを失っていき、余裕が無くなっていく様が良いのだ。やたらと成長が叫ばれる昨今、正直言って不実の良い訳のように使われている様があっていい加減ウンザリなのだが。やはり人は成長なんてしない。ただ過去によってその行動が決まり、今をごまかし乗り切るために方便が上手くなっていくだけだ。そしてその方便が次第に自分の体に馴染んで来てその本人になる。自分は方便を使っているつもりだが、気づけばそれはもう皮膚のようになって脱ぐ事なんて出来ないのだ。
中でも抜きん出ているのがダドリー・スミスで今回読んでて思ったがコイツだけは埒外で動いている。こいつは名誉・金(不思議と女には執着しない、もしくは意図的にそういう描写がされない)を追い求めているが実際にはそれに執着していない。勿論異常な我慢強さを持っていて、最後に笑うのは俺だと思っているところもあるのだが、なんとなく金も名誉も子供のプライズ程度にしか考えていない気がする。頭脳明晰(有色人種に対するレイシストぶりを隠そうともしないが、実際はそれは自分の犯罪を隠すための道具に使っている節がある)で緻密、とにかく人をそうと思わせずに操る際に長けている。ところが頭は良すぎるが大胆過ぎて、かなりとんでもない事をやっている(例えば共生関係にあるギャング、ミッキー・コーエンの金とドラッグをあっさり横からかすめとったり)のに、その悪事が露呈する可能性は放っておいているようにみえる。要するに危険中毒であり、もっと言うと恐らくサイコパスなのではなかろうか。今回は前作に比べると直接的な描写はむしろ減っているのだが、エドの越える事の出来ない壁として常に陰謀の背後にいる訳でその不気味さが際立っていた。
私はこの後に続く「ホワイトジャズ」は読んでしまっていたのだが、これはもう一回読まないとなと思っている。しかし次のシリーズも気になるし、最新作も気になるし。とにかくエルロイの作品というのは露骨に他の作家では代用できない。
という訳で滅茶苦茶面白いし勿論オススメなのだが、可能ならば四部作の始め「ブラック・ダリア」から、難しい場合はせめて「ビッグ・ノーウェア」から読んでいただきたいです。

2016年7月2日土曜日

MAKKENZ/土葬水葬火葬風葬空想

日本のヒップホップアーティストによる7thアルバム。
2016年にTrauman Recordsからリリースされた。
ストリートで育った厳つい俺たちが腰パンスタイルでリッチになっていく様をラップするのがヒップホップの一つの王道だとしたら、それに対抗するように内省的、言い方に問題があるがオタク臭いヒップホップも生まれてくる事はいわば自然の法則だったのだろう。しかし多分に内省的なのだが、かといって完全なるカウンターとしてはカテゴライズできない様な音をならすのがこのMAKKENZという人。
2004年にリリースされた1stアルバム「わたしは起爆装置なわたしか」は妙に和の雰囲気を取り入れたトラックに合わせて、感情というものを漂白した様な声が支離滅裂な事(アーティスト本人にとってはきっとそうではないのだろうが、しかしそこに意図がなかったかというとそうでもないだろうと思う)をすらすらと述べていく。こちらのリアクションは全く無視しているかの様なそのスタイルは、まるで壊れて止める事の出来なくなったプレイヤーから流れる、廃墟(きっと精神病院だとまことしやかにささやかれるのだろう)から見つかった正体不明の古びたテープのようであった。前述の通り元来ストリート、つまり生活に密着した音楽(そうでない音楽はあまりないのだろうが、でもEDMとかは違うのかな?)であり、必然的にその歌詞はリリックと呼ばれ「悪自慢」だったり「母親にやたらと感謝」などと揶揄されたりする事はあるものの、やはりその内容というのは重要なファクターであった。リリックを読めば各々やり方はあるものの彼ら彼女らの主張したいことの一端が伺えてくるものだった。またヒップホップでは特に「リアルである」ことが重要視されたりする。ところがこのMAKKENZという男は言葉が多いのだけれど何を言っているのかさっぱりわからなかった。ヒップホップのスタイルに乗っ取りながらも(ただし分かりやすいフックの様なものはなかった)、ある意味では一番ヒップホップではなかったのかもしれなかった。ともすると統合失調症患者の日記めいたリリックをもってして、MAKKENZは少年Aなのではという(今思うと非常に作為的だが)噂もあったりした。

そんなMAKKENZがarai tasukuとタッグを組んで作ったのがこのアルバム。
arai tasukuさんというのは私全く知らなかったのだが、暗い電子音楽をつくる作曲家で夢中夢のハチスノイト(極めてどうでも良いがずっとハチノスイトさんだと思ってた)とコラボしてたりするからなんとなーくその音楽性が想像できる。
「土葬水葬火葬風葬空想」というタイトル通り今作は明確に人の死にフォーカスした作品で、もっというと死というか、死に方だったり死後の始末だったりである。
ピアノが多用されたトラックは始めの印象だとどうしてもアンビエントな雰囲気に思えてしまうのだが、2回も聴けばその美麗なアンビエントの中にどうもな凶暴性が潜んでいる事が分かる。ヒップホップのトラックにしては凝っているという事になる。つまりトラックの中で曲の雰囲気が頻繁に変わる。ディストーションをかけたビートが突然暴走する様はどちらかというとテクノ/ロック的だ。
非常に面白いのがMAKKENZのラップで、この人の声はそんな刻一刻と変化するトラックを全く気にしないでいる風なのである。前述では感情がないと評した。このアルバムでもやはり妙に白っぽいイメージのあるその声は、しかしその奥に何とも無しの感情を感じ取る事が出来る様な気がする。ひとつはそのリリックに変遷があり、1stの頃の分裂したような支離滅裂さは減退し、明確なアルバムのテーマもある事もあって一つの指向性を持っているように思える。ただこれは決意表明とかではなく、主人公が目で耳で取り入れた出来事を述べていく、いわば日記的な雰囲気を持っている。これは1stの頃からもあったMAKKENZの個性とも言うべき独特なスタイルで、今回かなり現実の出来事に関しての記述が多いので文学っぽいというか、ラップのスタイルもあって朗読している様な雰囲気もある。丸くなったのではなく、ラップを通して感情を取り戻した、ラップが彼のリハビリになったというとさすがに嘘くさく、MAKKENZからしたら余計なお世話も良いところだが、自分のスタイルを確立しつつ、表情という意味で表現の幅は広がっている。
よくPVなんかで人にフォーカスされて、彼または彼女が歩いていくと背景だけが移ろっていく様な表現がある(分かりにくと思うけどよく四季を表現するのに使っているイメージ)けど、このアルバムはそれを音楽でやっている様な趣がある。つまり基本ダークだが表情豊かなトラックが変遷していくのだが、中心にいるMAKKENZはぽつぽつと歩くようにラップをしていく、そんなイメージだ。

所謂「ヤバさ」(正体不明なもの、しかも病んだものに対する)は減退したものの、代わりにメッセージは研ぎすまされ、(まだまだ普通のアーティストに比べると分かりにくいのであるのだろうが)感情は豊かになった。変わり者である事は間違いないが、奇抜さを売りにする色物ではまったくないな、というのがその印象。王道に与する事のないカッコいいヒップホップといいきって全く問題なかろうと思います。オススメです。

V.A./DOROHEDORO Original Soundtrack

日本の漫画家林田球さんによる漫画「ドロヘドロ」のサウンドトラック。
2016年にMHzからリリースされた。
私が買ったのはCD盤でT-シャツがつかないヤツ。作者書き下ろしの特殊なケースはかなり大きいです。
「ドロヘドロ」は高校生の時にクリスマスに1巻をジャケ買いして以来のファン。この作品は2016年現在まだ映像化されていないから、そのサウンドトラックを作るというのは相当面白いアイディアだ。しかもこの音源に収録されているのはすべてアーティストの書き下ろしの新曲、このCDのために「ドロヘドロ」をモチーフに作成している。既存の楽曲を集めたコンピレーションという訳ではないからとても豪華。元々作者林田球さんは音楽好きであることは伺えて、初期はとにかく色んなコマにSlipknotのモチーフが書き込まれていたりした。元々コミックの装丁(持っている人は知っているだろうが凹凸のついた凝った作りになっている)をやっているメチクロさん(造形師/クリエイターだと思う)が関係しているショップ(同じく私が大好きな漫画家弐瓶勉さんの作品関係の商品も多数作ったりしている)MHzが、音楽ショップGHzもやっていて恐らくその関係で音楽方面の繋がりも強いのだと思う。この音楽ではほぼほぼ電子音楽のミュージシャンによって構成されている。あくまでもサウンドトラックなのであまり歌ものを入れるのは趣旨に合わなくなってしまうからそういう事もあるとのではと。
読んだ事のある人は分かるだろうが、「ドロヘドロ」の世界観というのは一風変わっており、結構ダークで同時にお茶目でのんびりしている。人間たちが住むどこにも似ない無/多国籍な世界「ホール」にドアを開けて別世界から魔法使いがやってくる。魔法使いは人間たちを劣等種と考えていて、「ホール」にやってくるのは自分の魔法の実験台に人間を使うためだ。そんな世界で記憶を失ったトカゲ頭のナイフの使い手カイマンが過去を取り戻すために魔法使いを殺しまくる、というのがあらすじ。すべては混沌の中。それがドロヘドロ!なのだ。
様々なアーティスト全14組がその世界観を音楽で表現しようとしている試みが結実したのがこのアルバムだと考えるとサントラという形式以上の面白さがあるように感じる。
1曲目のkhostの「Redacted Recalcitrant Repressed」が素晴らしいオープニング。彼らだけは明確にドーゥムメタルをやっているのだが、じっとりとした陰湿な雰囲気はまさに魔法使いの煙から発生した雲から発生した汚染された雨に濡れるホールそのものであり、ドロヘドロのオープニングにふさわしい。続くVOODOOMを始め、複数のアーティストがシリアスな中にもファニーさを多分にとけ込ませている曲を提供しているのは恐らくよくよく原作を読み込んでくれたのではなかろうか。もちろんIgorrrなんかは自分の持ち味を活かしている部分もあるだろうが、そういった意味だと非常に優れたセレクトであり、アーティストも難しいリクエストを楽々と飛び越えていていかにも楽しい。
個人的には最近作品の幅を広げつつあるDead Faderと、Dead Faderのリミックスも手がけた外国在住日本人ユニットDevilmanにも在籍しているGhengis、Asian Dub Foundation(高校生位から気になっているのに音源持っていない)のDr Dasが気になっていた。Dead Faderは最新アルバムの延長線上にある不穏でありつつも感情豊かな18分に迫る超大曲。アンビエントな雰囲気がありつつも歪んだ激音ビートがいかにも。Ghengisはインダストリアルなノイズにこちらも太いビートを持ち込んだもの。ともにビートに関しては減算の美学があって、制限した方が一音が際立つのだなと。Dr Dasは元々ベーシストということでベースラインが非常に硬派で目を引く。ダブ/レゲエを彷彿とさせ鵜ゆったりとした雰囲気で土臭いパーカッションが映える。その他は前述のkhost、色彩豊かなデッドワンダーランドといった趣のあるCandie Hank、それからこちらも楽しい雰囲気のあるビートが小気味よいShitwifeの楽曲が気に入った。

漫画のサウンドトラックというとその新奇さゆえに色物テイストを感じてしまう方もいるかもしれないが、単に奇抜という上に中身のクオリティは極めて高い。それぞれのアーティストが自身の良さを活かしているのだろうが、専用に書き下ろされた曲を聴くとやはり「ドロヘドロ」らしさを感じてしまうから、そこがとにかくすごい。
収録されているアーティストに引っかかるものを感じる人、漫画「ドロヘドロ」が好きな人は是非どうぞ。
それからGHzのアーティストのインタビューも併せてどうぞ。