2014年8月31日日曜日

Pulling Teeth/Funerary

アメリカはメリーランド州ボルチモアのハードコアバンドの4thアルバムにして最終作。
2011年にA389 Recordingsからリリースされた。CDとアナログがあるんだけど、手っ取り早く見つからなかったので、私の買ったのはデジタル版。
前作「Paranoid Delusions/Paradise Illusions」がべらぼうに格好よかったため必然的に買わざるを得なかった訳だ。
前作は何とも言えない憂いのあるメロディを痛快なくらいのストレートさにのせてまっすぐ打ち出して来たストレートパンチの様な作風で記事でも書いたが唯一の欠点は短すぎることだったが、今作は全12曲でボリューム満点。前作と同様独特の濃密さでもった描かれたアートワークが特徴的(本当デジタル音源で残念なのがアートワークをちゃんと楽しめないことだ。クレジットも読めないし。)で「Funerary」というタイトルにちなみ棺の絵である。このアルバムの発表が2011年で翌2012年にバンドは解散しているから、まさか最終作の心構えで作った訳ではなかろうが、結果的に何とも因縁めいたタイトルになってしまった。

作風としては前作の延長線上でスラッシーな重たいハードコアで重く暗くそして速い。そこにドゥーム/スラッジの低速パートを取り込んだスタイル。物珍しいスタイルという訳ではないが、とにかく突き詰めた様なテンションと独特の叙情性を取り込んで唯一無二の音楽性を確立している。すっげえ格好いい。
ドラムはブラストありの、パンクっぽい2ビートありの叩きまくりスタイルで迫力満点。ブラストビートは様になりすぎて下手なメタルバンドより迫力あるかもしれない。
ベースは前作より前に出た印象でやはり重たい低音で唸りまくる。特に速度がぐっと落ちたビートダウンパートだと雷鳴のようにゴロゴロ唸っているのが格好いい。
ギターは刻みまくるスラッシーなもので、ビートダウンのためる様なリフから、疾走するトレモロリフまでこなす芸達者なもの。今作でもやけっぱちなギターソロが頻繁に出て曲に彩りを与えている。音質はソリッドかつ中音域を意識した分厚いもので、特にスラッジパートのノイジーな残響が耳に残る。
がなり立てるハードコアボーカルはともするとメタリックな楽曲を一気にハードコアスタイルの粗野かつ激しいものにする力を持っている。演奏陣もそうだが、なんといってもこのボーカルがバンドの顔かも。絞り出す様なボーカルスタイルはドスが利いたというよりは血管が今にもぶち切れそうな危うさがある。私は残念ながら一人も分からなかったのだけど、結構な数のゲストボーカルも参加していてボーカルワークも多彩。

前半はとにかく突っ走りまくるんだけど、後半は全体的に速度が落ち曲の尺が長くなる。演奏はさらに重たくディープに沈み込んでいく。非常にグルーミィだが、そんな中でも前作から引き続く、歌う様な抒情的なギターリフ、メロディがある。今作はさらにコーラスワークが陰鬱な曲に深みを加えている。曲の軸はぶれずに感情が豊かになってむしろ魅力が増している表現力はすごいなと思う。喜怒哀楽のどれかではなく、何かに相対したときの心の動きの様をなんとかバンドサウンドで表現しようとした試みとでも言うべきか。なかなかこういう印象を与えてくれるバンドや楽曲に合うことはないからいざ出会うととても感動する。

という訳で滅茶苦茶格好いいハードコアである。気づいたときには解散していた分けなんだけど本当に惜しいものです。という訳で文句無しのオススメアルバムなのでどーぞ。探せばCDやレコードなどのアナログ音源も買えるだろうけど、手っ取り早くBandcampでも手に入ります。


ローレンス・ブロック/死者の長い列

アメリカの作家によるハードボイルド/探偵小説。
マット・スカダーシリーズの12作目。1994年に発表された。
「倒錯の舞踏」が面白かったので、倒錯三部作を読んでみようと思ったら、まあ絶版になっていたので購入できる後の作品を買った次第。

ニューヨークで無免許の探偵を営むマット・スカダーは55歳になっていた。元娼婦のエレインと同棲しアルコールの誘惑は続くものの完全に断ち切っている。そんなスカダーの元にPR会社を営むヒルデブラントという男から依頼が舞い込む。ヒルデブラントは三十一人の会という会に所属している。その会は文字通り三十一人の男達で構成され、毎年決まった一日にのみ集まり夕飯をともにする。そしてその席で会員の内、鬼籍に入ったものの名前を読み上げるというものだ。この会は毎年開催され、会員の数が減り続け最後の一人となった時点で、最後の会員が新たに三十人を招集し、あたらしい章を始めるというのである。いわば会員達がお互いの死を監視する様な仕組みになっており、曰く古代バビロニア時代から連綿と続く由緒のある会であると言う。ヒルデブラントは自分達の章においては会員が不自然に死にすぎている気がすると言う。ヒルデブラント達の章が始まってから32年が経ち、死んだものの数は17人。確かに疑うべくも内状況での死者もいるがこの数値は確かに不自然に多すぎる。マット・スカダーは雲をつかむ様な挑むが…

アメリカ私立探偵作家クラブグランドマスター賞を受賞したローレンス・ブロックだが、今作では三十一人の会という謎めいた組織を登場させて、このアイディアだけでも相当面白い。確かに統計的に見て会員が死にすぎているのは確かなのだが、果たして本当に何者かが会員を殺し回っているのだろうか。会員の多くは成功したもの達だが、年を食って死への恐怖がいよいよ現実的になり妄想にかられているのでは、と思えなくもない。そこにマット・スカダーが挑んでいく訳だが、55歳になったスカダーはちょっと変わっており、「八百万の死にざま」時ほどにアルコールの誘惑にさらされている訳ではない。飲みたい気持ちはあるが、なんとか押さえることが出来ている。エレインとは不思議な関係だったがやっとこどうにか同棲を始めた。表向きは酒場のオーナーで無法者のミックとの男同士の関係も途切れることなく続いている。いわば齢55にして安定期に入ったスカダー。ヒリヒリする様な孤独を抱えて大都会ニューヨークの陰を生きる様なかつての姿は鳴りを潜めいよいよ飄々とした好々爺探偵が板につき始めた感がある。しかし人間というのは面白いもので、こうなると安定したなりの不安というのが頭をもたげだし、スカダーは難事件に挑みつつ自分も良い年だし、伴侶となったエレインは自分より稼いでいる。ここらで一念発起し、正式な免許を取った上でれっきとした探偵事務所を構えた方が良いのでは?と悩みだす。今まで気ままにやって来たけどおれって何か後に残る様なことしたっけ?と考えだしてしまうスカダー。中年の危機とはちょっと違うのだろうが、一人でやって来た分エレインと一緒にいることで誰かの評価というのが急に気になってしまったのかもしれない。悩みつつも地道に捜査を進めるスカダー。基本は足を使った聞き込み捜査で一歩ずつ真相に歩み寄っていく。今までやって来たことを繰り返していくその過程で自分の芯を再確認するわけだ。どこかとんでもない結末にたどり着く訳ではないが、自信を取り戻したスカダーがたどり着く真相は中々のもの。

小説としてはミステリーに舵を取ったもので、よく練られている。技巧的は文句無しだが、「倒錯の舞踏」のような陰惨さや「八百万の死にざま」のヒリヒリする孤独感は希薄。マット・スカダーその人のように円熟した出来とでも言うべきか。個人的にはもう少し暗い方が好みかな。

2014年8月24日日曜日

Cavo/マアカ

日本は大阪のトライバルスラッジバンドの4th?アルバム。
2003年に大阪のcialmurraというレーベルからリリースされた。
どうやら3部作のうちの1作品のようだ。
Birushanahのギター/ボーカルのIsoさんがギタリストとして在籍していた(レーベルのページに2003年に脱退と書いてあるな。その後ソロアルバムノリリースがアナウンスされているけど結局出たのだろうか…)バンドで、この間のMonarchとのツアーの物販で買いました。マアカという25分に及ぶ大曲のみ収録されている。

Isoさんの他にはドラムがボズコさん、ベースがシャチさんという方々。ボーカルがヨナルテさんで、この人はBirushanahの「ヒニミシゴロナヤココロノトモシビ」のアートワークを担当していた方で確か本業は彫り師だったような。要するに大阪のシーンで関係ある人たち一派によるバンドということなのだろうか。ちなみにゲストでBirushanahの創始者でベーシストだった(現在は脱退してしまった)草魚さんも参加している。
マアカというタイトルは真っ赤ということかと思ったら、どうも違うらしい。歌詞カードを見るとウテクトとか謎の文字列があるからどうもこれはオリジナルな単語らしい。あとは基本的には日本語で構成されているようだ。
のっけのボーカルから分かるのだが、Birushanahにも通じる日本の伝統芸能を意識した様な吟じる様な雄々しいスタイルで、演奏もちょっと和の音階を意識したようなトライバルなものでかなり独特な世界観。
Birushanahが仏教の世界観を取り入れることである程度秩序を獲得したとしたら、こちらはもっと混沌とした原始の世界だ。

ボーカルは前述の呪術的とも表現すべき朗々としたスタイルから、のどから絞り出す様なシャウト、つぶれた様な低音とバリエーションがあるスタイルだが、録音の妙なのかどれも必死感が半端無い。かなり恐い。またこれまた呪術的な混声歌唱が結構大胆に取り入れられていて全体的に怪しい雰囲気が充満。曲の長さも相まってまるで一個の劇を見ている様な多彩な感じがある。それも眼前で今まさに行われているものを見ている様な生々しさ。
ギターは渦を巻く様な気持ちの悪いもので、溢れ出すように空間を埋めていくそのスタイルはBirushanahとは少し異なるようで面白い。
ベースはぶおんぶおん唸るスタイル。ギターもそうだが、メタルの刻む様な演奏スタイルというよりは切れ目なく音が続く様な演奏方法でもって妙な連続感が重々しい曲にも浮遊感を付与している。
ドラムはこれまたトライバルナスタイルで重たい一撃がなにかの儀式のように乱打される。恐らくドラム以外にも金属質なパーカッションや和太鼓?の音も録音されているのではなかろうか。
歌詞は少なく、同じ歌詞がミニマルに演奏スタイルをかえながらぐるぐる回る。これがすごい酩酊感を誘う。男女の混声で入り乱れて歌う後半の流れは圧倒的でなにかヤバいものを聞いている感がスゲー。
ただ暗いだけ、ただ重いだけのメタルとは指向性が違う。なにか目的があってそれをなんとか音楽で再現してみた、とも表現しようか。繰り返しになってしまうが激情性みたいなものがあって、それにただただ圧倒される。メタルバンドらしからぬ抽象的で単色のアートワークもなんとなくだが、彼らが表現しようとしていたものを指し示しているように思う。それは根源的で原始的なものなのだろうと思うが。因に曲の最後は嵐の中での呻吟が録音されていて地獄である。マアカとは何だろうか。分からない。自然に一部なのなかな?

という訳で人を選ぶだろうが、好きな人にはたまらないだろう。Birushanahが好きな人はどうぞ。より荒々しい世界観に文字通り打ちのめされることだろう。
私は早速他の作品も欲しいのだがどうしたら良いのか。ライブでもこれしか並んでなかったようだし、地道に中古を探すしかないのかも〜。
是非聞いていただきたいんだけど視聴がないみたい…

ローレンス・ブロック/殺し屋

アメリカの作家によるハードボイルド/ノワール小説。
原題は「Hit Man」で1998年に出版された。

ニューヨークのアパートメントで一人暮らしする男、ケラー。彼の職業は殺し屋。ホワイト・プレーンズからの電話で依頼を受けると全国どこへでも飛んでいき、なるべく穏やかに目的を完遂する男。性格は穏やかであくまでも殺しは自分の仕事ととらえる、そんな男。

今作は主人公ケラーが活躍する連作小説。全部で10の短編が収められている。
皆さんは殺し屋というとどんな人物を想像するだろうか、全身黒づくめの恐らくスーツを着ている。ハットを被っているかもしれない。細身で美形だが表情は乏しく無口である。暗がりで人の後をつけ、気づいたときには銃をぬいている…そんな男?
さて実際に殺し屋という仕事はあるだろうが(職業かどうかはわからんが)、おそらく殺し屋はそんな姿をしていないだろう。この本に出てくる殺し屋ケラーは前述の様なスタイルではないが、概ねそんなタイプの人物である。翻訳した田口俊樹さんも後書きで書いているが、恐らくそんな殺し屋はいない。なのであくまでもこの本に出てくる殺し屋というのはフィクションであり、ある意味ファンタジーでさえあるが、この本は生々しい殺しの物語を書く本ではない。帯の推薦文は伊坂幸太郎さんが書いている。伊坂さんの本を読んだことがある人はご存知だろうが、ちょっととぼけた殺し屋達が出てくる。彼らは現実離れしているが、その原型の一つが恐らくケラーなのであろう。彼らほど特異ではないが。
ファンタジーな殺し屋というのはどういうことだろう。この本始めの何編かは話の主題に殺しがおかれているが、次第に殺しの仕事が本質ではなくなってくる。段々ケラーによる殺人が脇におかれがちになってくると言ったら語弊があるだろうか。
理由の一つにケラーのすっとぼけた性格があるだろう。殺しの腕は問題ないが、犬を飼い出したり、自分の正体を知る女と同棲を始めたりする。しまいには引退した後の身の振り方に不安を抱き趣味を探そうとしたりする。(で、切手集めに落ち着く。)こんな殺し屋いないだろう。ケラーは人を殺すことにそこまで罪悪感がある訳じゃない。ある意味結構サイコな野郎だが、殺人が好きな訳ではない。全く感情的にならずに人を殺すというのはよくフィクションに出てくる優れた殺し屋に対する形容だが、それがここまで当てはまる殺し屋というのは恐らくケラーをのぞいてそういないのではなかろうか。本当にビジネスしにいくくらいの気持ちで仕事に出かけるのだから。なんて殺しにくい奴だと思っても殺しそのものにどうと思うこともないらしい。(悪いことをしているという自覚はある。)だから別にターゲット以外の人たちともまあ普通に接することが出来る。目立たないようにはしているが、結構ドジを踏んだりもする。要するになんだか妙に人間的なところと、機会じみた冷酷さが同居した不思議な男なのだ。結果ちょっとそれがとぼけた人物像になるあたり、作者の腕によるところなのか、意図せずそういった男になってしまったのかは分からないが。
そんな男が殺しという仕事を通して、始めは殺しという仕事それ自体、しかし次第にもうちょっと視点が高く広がっていく。小さい個人の視点を通して社会を描くというのはスカダーシリーズでもそうだったが、作者ローレンス・ブロックの得意技である。しかも孤独だったりアウトサイダーだったりするから、その感じ方はちょっと常人と異なる。ブロックははっきりと文明批判をする訳ではないが、何かしらこれで良いのか?という訴えかけがあるように思う。ただ自省的なスカダーに比べるとあっけらかんとしているケラーの作品の方がカラリと読める。
とぼけた殺し屋の活躍という感じで、題名ほど殺伐とはしていない。面白い読み物を探している人はどうぞ。

Pulling Teeth/Paraoid Delusinons/Paradise Illusions

アメリカのメリーランド州はボルチモアのハードコアバンドの3rdアルバム。
2009年にDeathwish Inc.からリリースされた。
日本にも同じ名前のバンドがいるけど(こっちも会社の先輩に借りて聴いたことある。)、こちらはアメリカのバンド。残念ながらバンドは2012年に解散しているようだ。
A389のページ見ていて見つけた。(このアルバムのアナログ版はA389からのリリース。)
アルバムのタイトルを訳すとすると「偏執狂的妄想/楽園幻想」という感じでしょうか。タイトル通り、アルバムのカバーが地獄と天国が表裏になっていて面白い。ちょっと和のテイストが入ったねっとりとしたアートワークも雰囲気あって良いね。(デザイナーはDeathwishのオーナーでもあるConvergeのJacob。画家の人は別です。)

バンドは選任ボーカルにギターが2人という5人編成。音の厚みはかなりのもの。
音の方はというとストレートなハードコアにスラッジの要素を加えたもの。曲によっては鳥の声が入ったアンビエントな長めのイントロを取り入れたり結構面白いこともやっている。
ドラムは乾いた音で比較的音は重め。キンキン言わせて疾走するフレーズとスラッジパートの重々しいフレーズの対比が良い。
ベースは低音重視の重苦しいもので、特にスラッジパートの打楽器の様な一撃の後に、ブゥオーンと唸る様は格好いい。速いところではグイグイ来る。迫力ある。
ギターは音が厚くざらついたもので、スラッシーなリフが小気味よい。結構饒舌な演奏スタイルで結構ギターソロも入れてくるのだけど、キンキンしていないし勿論テク自慢なところもないから、むしろクラシカルなそれが荒々しい曲にちょうど良いエッセンスになっている。
ボーカルはハードコア由来の突き抜けたシャウト。印象としては結構若い、というか声質が結構クリーンなんだけどそれが切れたシャウトに合うこと。ちょっとやんちゃな感じがして気持ちよい。
速いところは速いんだけど、ひたすら速さを突き詰めたパワーバイオレンスなタイプではなく、むしろタメを意識した中速から、完全に速度を落とした迫力のある低速パートが得意なバンドで、曲によってはまるまるスラッジな雰囲気。ギターのノイジーさもたまらん。
気に入ったのは明快さの中にも彼らなりの陰鬱さを取り入れているところ。突っ走る中にもちょっと内省的なところがあって、そこが良い。そのグルーミィさを表現するにもイチイチ大仰ではないんだよね。シンプルだけど物悲しいリフだったり、リバーブのかかった気怠いボーカルだったり、そういった奇を衒わないシンプルさがぐっと沁みる感じ。前述のように結構クラシカルなギターソロを入れてくるバンドなのだが、その飾らないソロが曲によってはなんとも気持ちを盛り上げてくれる。Convergeもそうだけどうるせーハードコアが一転暗い曲を演奏すると俄然魅力が増すよね。3曲目の冒頭の暴走から一転グルーミィなスラッジというよりはポストハードコアじみたパートに沈み込むところなんてたまらんよね。ボーカルはないんだけど楽器陣が歌っている様なメロディアスさが琴線に触れまくり。良いね。

難点を一つ挙げるとしたらやはり全5曲だと少なすぎるかな。もっと聴きたい。
このあと1枚アルバムを出して解散しているからそのアルバムが欲しいんだけど、どっちのレーベルでも売り切れているな…Bandcampかな。古いタイプの人間なもんで可能な限りCDかレコードが欲しいんだけど。
ということで格好いいハードコアさがしている人は是非どうぞ。残暑にはぴったりかもよ。オススメ〜。

ローレンス・ブロック/倒錯の舞踏

アメリカの小説家による探偵小説。
原作は「A Dance at the Slaughterhouse」で1991年の作品。アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞を取っている。
マット・スカダーシリーズの第9作目、以前紹介した「八百万の死にざま」は第5作目だった。向こうはハヤカワだったけど、こっちは二見書房。というかスカだーシリーズは基本二見書房が出しているっぽいね。「八百万〜」が例外なのかも。

ニューヨークで無許可の探偵業を営むマット(マシュウ)・スカダー。元警官だがとある事件を切っ掛けに職を辞し、アルコールに溺れ家族を失う。今はAA(=断酒会)に通い酒を断っている。ある夫婦が帰宅途中に強盗に教われ妻は殺され、夫は怪我を負った事件が発生。女性の兄である男性から生き残った夫が真犯人であるという証拠をつかんでほしいという依頼を受けたスカダー。被疑者に接近すべく向かったボクシング会場で見覚えのある男性を見かけたスカダー。どうしても頭から離れなかったその男は、かつてスナッフフィルムで見た殺人者ではないだろうか?スカダーは依頼人もいないその事件の捜査を単独で開始する。

「八百万の死にざま」では常にアルコールの誘惑に頭輪悩まされていたスカダーで、探偵小説と言っても犯罪そのものよりもスカダー個人の葛藤にフォーカスが当てられていたように思う。結果凄まじく内省的で陰鬱なハードボイルドの名作が誕生した訳なのだが、今作はスカダーはアルコールへの特別な感情はあるものの(未練とは少し違うと感じた。)、酒は完全に断っている。アル中は決して治らないと聞いたことがある(嘘か本当かは分からない。)が、スカダーは自身がアル中であることを受けいれなんとか世界と折り合いを付けつつ毎日を生きているようだ。その分今作では犯罪そのもののに焦点が当てられ、読み物としては圧倒的に読みやすいものになっていると思う。
スナッフフィルムというと現代においてはある種都市伝説みたいなものだが(話にはよく出るが実物を見たものがいないという意味合いで。(存在しないとは決して思わないが。))、それを上手く事件の発端に使い、スカダー(と読者は)はそれに導かれるように都会の暗部に潜むどす黒い犯罪に沈み込んでいく。この事件の特徴として依頼が存在しないのだが、だれにも知られない犯罪を免許を持たない孤独な探偵が暴いていく、という構図が既に格好いいではないか。
探偵は警察と違う。しかしアメリカでは一般人でも銃をもつことが出来るから、我が国ほど両者の違いは明確ではないが(現実では全く違うことは勿論だからあくまでもフィクションとして。)、「八百万の死にざま」では探偵スカダーは警察官でいられなくなったアウトサイダーだったが、本作ではちょっとその役割が異なる。社会の絶対的善である警察組織が明白に存在する悪に対して無力になったとき、全く立場の違う第三者がことを収める、今作ではそんなグレーな役割が探偵という職業にふられている。面白いのがスカダーのキャラクターで、ハードボイルドな殺し屋にしては年を取りすぎているし、酒は(飲み見たいのに)飲めない、もてはするのだろうが恋人の様な関係の様な女性がいるし、なによりそういった役割を勤めるには人が良すぎるし温厚すぎる。しかし、だからこそスカダーが後半下す判断に一般人である我々が共感できるのである。ある意味敢えて法に背いて悪人を裁くバットマン的な世界観であるのだが、ダークヒーローと呼ぶにはあまりにも普遍的なおじさんがその役割を悩みつつなんとかこなしていく物語である。しかし結果的に物語を湿っぽく感傷的なものにさせないローレンス・ブロックの筆致、そして物語の構成力というのは中々どうしてすごいものだなと、読み終えて改めて気づいた。

この物語を含めて次作、それからその次作の3冊で倒錯三部作というらしい。今作が面白かったので、是非次の作品をと思ったら絶版になっていたという。なんか最近このパターン多い…仕方なく同じブロックの「殺し屋」を買ったんだけど、伊坂幸太郎さんの推薦が書かれた帯がついていた。伊坂さんは押しも推されぬ人気作家だけど、そんな彼のお気に入りの作家でも本では絶版になっているのだから、なんだか悲しい気持ちになるね。
とまあ愚痴みたいになってしまいましたが、非常に面白いハードボイルド。ブロック読みたい人は「八百万〜」よりまずこちらの方が良いかも。オススメ。

2014年8月17日日曜日

M・ヨート&H・ローセンフェルト/犯罪心理捜査官セバスチャン

スウェーデンで活躍する脚本家2人がコンビを組んで書いた小説。
流行を見せる北欧ミステリーの新しい刺客。

スウェーデンのヴェステロース郊外の森の水たまりの中で行方不明になっていた少年の死体が見つかった。滅多指しにされた上に心臓を抜き取られて。初動捜査に不備があり、また事件が一筋縄でいかないことを悟った捜査指揮官ハンセルは国家刑事警察殺人捜査特別班の応援を要請。リーダーのトルケル以下4人の精鋭が送り込まれた。
一方母親の死にヴェステロースに向かった元国家刑事警察殺人捜査特別班のプロファイラーであったセバスチャンもひょんなことから捜査に参加することに。ところがこのセバスチャンという男セックス依存症の自信過剰な人格破綻者だった。足並みが揃わない捜査陣は真相にたどり着けるのか。

さすがにベテラン脚本家ということもあり、プロットはよく練られており、文もとても読みやすい。(ヘレンハルメ美穂さんの翻訳の腕によるところも多いと思う。)
さてこと警察小説だと主人公となるのは一癖も二癖もある、悩みや問題を抱えた中年刑事と相場が決まっているものだが、その線を踏襲しつつ本作では全く新しい主人公が誕生した。それがセバスチャン・ベリマンである。主人公なのだから問題がありつつも最終的には読者が好感を持てるいい人、というのは暗黙のルールだったがコイツは本当に嫌な奴だ。セックス中毒や自信過剰というのも嫌われる要素だが、根本的には人のいやがることを進んでする、人の気持ちを全く頓着しない、という点につきると思う。読んでいて殴ってやりたい気持ちがふつふつとわいてくるのだが、作者が巧みなのは愛嬌のある普通のキャラクターを主人公再度に何人も配置して視点を頻繁に動かすことで、セバスチャンを出過ぎないよう押さえ込み、読者が本当に読むのをやめないようにコントロールしている。中々ないハラハラ感ではなかろうか。またセバスチャンは仕事は出来る。しかし何でもかんでも彼が解決する訳でもなく、あくまでも捜査チームが地道な捜査を続けて真相にたどり着いていく、というスタイルを取っているところも個人的に好印象だった。
さて全くかっこ良くないこのニューヒーローだけでも面白くなるところ、さらにひと味もふた味もあるのが今作で、後書きによると原題は「秘められたもの」というらしい。なにが隠されているかというと、それは人がそれぞれ外面とは別に自分の中に(またはごく近しい何人かに)隠している事情や出来事のことである。犯人が最大の謎なのはもちろんそうなのだが、被害者が一体最終的にはどんな人物だったのかということを捜査班は長い時間を使って追っかけていくことになる。そしてその捜査班一人一人にも秘められたものがあり、そちらの描写にも丁寧ページを使って物語は進んでいく。
変人セバスチャンがかき回すというその派手な外面の下に、かなり濃密な、それでいてはっきりと答えのでない問題がずっしりとした重さをもって横たわっているのが感じられる作りだ。といっても人は誰しも問題を抱えているのだ、貴方も殺人犯になってしまうかも、という説教臭いものではなく、受け取り方は読み手次第だろう。繰り返しになるが答えは出ない問題で、ただなんとなく暗い気分にはなる。良い悪いを超越していて、だからなるほどセバスチャンが何十年も音信不通で大嫌いだった母親と決別するところは、なんとなくだがちょっと分かる様な気もした。人は自分のためにしか泣けないのでは?と思っているところもあり、だからこそ素直な分ぐっと来たのだと思う。

上巻の時点でも文句無しに面白いが、俄然自体が動き出す下巻に入ってからは結構なスピードで読んでしまった。面白い。本国だけでなくドイツなどの外国でも好評を博したこの本は現時点で既に続刊が書かれている人気シリーズとなっているようだ。この本の売れ行きが良ければ、次作以降も我が国でも翻訳されることだろう。
北欧ミステリー好きは是非どうぞ。

Napalm Death/The Code Is Red...Long Live the Code

言わずと知れたイギリスはバーミンガムのグラインドコアバンドの12thアルバム。
2005年にCentury Media Recordsよりリリースされた。



 先日来日がアナウンス。しかもBrutal TruthとS.O.B.と共演なのでちょっとしたお祭り騒ぎですね、これは。
さて、偉そうに語っていますが私Napalm Deathに出会ったのは大学生くらいのとき、「Silence is Deafening」という曲が切っ掛け。ところが収録されているアルバムが何故か忘れたけど手に入らず代わりに「Peel Sessions」を買ったのでした。
時は流れて来日かーとネットで「Silence is Deafening」を聴いたらやっぱり格好いい。そんでもって普通にAmazonで売っているので思い出の曲が収録されているこのアルバムを買ったという次第。

音的にはハードコアの要素が強めのグラインドコア。デスメタルに傾倒していた時期もあってか、ハードコアのもつ爽快さとデスメタルのもつ重みのある凶暴性が丁度調和していて突き抜けたグラインドコアに結実している印象。
ドラムは流石のブラストビートだけど、手数の多いタムの音を軽めに設定してあるので小気味よい連打が気持ちよい。バスドラムは強烈なので対比が良い。一曲の中でもドラムに注目していると、歩き、一気に走る、小走り、大暴走みたいに緩急というか流れがあって、そのときそのときで表情が違って面白い。速いといってもブラスト一辺倒ではなく多彩なプレイ。跳ねる様なバスドラムも格好いい。
ベースは裏でグルグル唸っている。滑る様な重い低音で存在感を放ついぶし銀スタイル。ドラムと合わせてドゥンドゥンならす様は打楽器のようで格好いい。
面白いのがギターで勿論重いのだが、聴いていただくと分かるのだが所謂デスメタルの重さとはちょっと違うもうちょっと中音域に奥行きのある深みのある音で、この音質がハードコアとデスメタルの丁度良い所取りをしている一つの要因だと思う。イントロではメタリックなリフを披露するんだけど、突っ走るときはトレモロリフでもって、加速の高揚感を維持する弾き方もハイブリッド感満載。
ボーカルは特徴的でデス声の凄みをもった声質でハードコアのように吐き出す独特のスタイル。結構いるようでいないスタイルであると思う。怒りに満ちた獣じみた咆哮なんだけど、不思議と邪悪さがないのが良いところ。メタルの世界ではどうしても装飾過多で異常性をアピールしたくなるのが心情だと思うのだけど(そういうのも勿論大好き)、あくまでもちに足のついた人間の声という感じで滅茶格好いい。男らしい。
曲も多彩で例えば尺をとっても1分以下の短いものから4分台のものまで、どれも決して長くはないんだけど結構幅があって散らばっている。速い曲という結構な縛りがあるのに、かなり豊かな曲作りでもって最初から最後まで楽しんで聴ける作りなのは流石。その音楽性がどちらかというと外に広がっていく様な指向性をもっているところも大きいと思う。暗くて重くて速いんだけど聴いてて楽しい。凝り固まっていないというか。とても12枚目のアルバムとは思えない素直で自由な音楽性。
ゲストミュージシャンも元Dead KennedysのJello Biafra、HatebreedのJamey Jasta、元メンバーでCarcassのJeff Walkerと多彩かつ豪華。

流石の名盤。まだ聴いたことない人は是非どうぞ。憂鬱な気分を吹っ飛ばす音楽を探している人もどぞ。


Gehenna/Negotium Perambulans in Tenebris

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴのハードコアバンドの1stアルバム。
2000年にリリースされた。私がもっているのはMagic Bullet Recordsリリースの再発版。

Gehennaというバンドのことは実は良く知らないのだが、1993年に結成され以来現在に至るまで活動している長いバンドであること。自らの音楽をNegative Hardcoreと称していること。バンド名はGehennaだが、The Infamous Gehenna(悪名高いゲヘナ)と名乗ることもあること。調べたらそのくらいのことが出て来た。あまり表に出たがるバンドではないようだ。
妙に長いタイトルをグーグル先生に訳してもらうと「暗闇の中でビジネスウォーキング」とでた。むむむ。

さて私の中では元来ハードコアってのは素直さが信条である。(今は多様なバンドがいるのでだいたいのイメージと思ってください。)飾らない。見た目も短髪スッキリ。音楽的にも技術的には飛び抜けている訳ではないが、その分小細工を弄することない素直なもので、主に怒りや不満、フラストレーションに触発されて生まれた曲の速度は速くその分すっと響いてくる作りになっている。
ところがこのGehennaというバンドに関しては音楽性はまぎれもなくハードコアのくせにどこをどう間違えてしまったのか、相当捻くれたことになっている。

ポコポコしたドラム。
ギロギロゴロゴロガツンガツンくるソリッドすぎるベース。
ハードコアにしては若干音が重いギター。
そしてハードコアというよりブラックメタル然とした邪悪ながなり声。
性急な音楽性はまさに生き急いでいるとしか言いようがない。曲の尺は1分台がほとんど怒りに任せて突っ走りこっちがあっけにとられているともう終わっている。
ギターはとにかく刻みまくる様なスラッシーなリフとハードコアな引き倒すリフの使い分け。完全にハードコアな勢い重視の曲作りは本来とても気持ちよいものだが、このバンドに関しては開放感どころか閉塞感に満ちている。要因の一つは前述のボーカルの要素が大きいと思う。掠れまくったのどに引っかかるような声質で吐き出す様なボーカルスタイルは禍々しいとしか言いようがない。ハードコアリフと相まってブラックメタルのようだ。こういうボーカリストはちょっと中々いないと思う。
フィードバックノイズ、突き放したようなスラッジパート。完全にアングラ指向の音楽で、悪意でねじ曲げられた奇形のハードコアだ。何故彼らがあくまでもハードコアの土俵で勝負し続けているのかというのは考えてみるのには面白い問題かもしれない。
ジャケットの内側にはこう書いてある。(私の拙訳で失礼。)
このレコードは私たちが棺桶もしくは檻に入っているのを見たい蟻やウジ虫達のためのものである。
たいした結果もないのに自分が何かを言ったりやったりできると思っている気取り屋やクソ袋達のためのものである。
私たちの自由や人生を消費する立場を狙っている虚偽の友人達のためのものである。
お前らのやったことは忘れられず、私たちの仕事はまだ終わっていない。
お前はゲヘナの踵の下に打ち砕かれるだろう。包囲に備えろ。
お前は7つの冠の元で屈服するだろう。
とても辛辣だ!

ロウな悪意のむき出しである。最新の技術によって洗練されない分狂犬じみた危険な雰囲気がまるっきり削ぎ落とされていない。これは酷く格好いい。
禍々しいプリミティブなブラックメタルが好きな人は是非お試しあれ。とてもオススメ。

Oppression Freedom vol.12@新大久保Earthdom 8/14


私がBirushanahに出会ったのはいつだったか忘れたけど、彼らの音楽は大好きだ。音源の数は決して多くないけどどれも楽しんで沢山聴いている。日本には素晴らしいバンドが沢山あるけどBirushanahは今一番好きかもしれない。ただライブに行ったことはない。
そんな彼らがこっちでライブをやるらしい。しかもフランスのドゥームメタルMonarch!と一緒に。今度こそ〜と思って仕事を文字通り放り出して私は新大久保に向かったのであった。
Oppression Freedomというのは日本のデス/ドゥームメタルバンドCoffinsの主催する企画のことらしい。今回BirushanahはMonarch!を招聘して「Blackest Summer」と銘打ち日本各所を巡っている訳だけど、その一環としてCoffinsの企画に出演という流れ。
前述の3つのバンドに加えてFuneral MothとRedsheerの2バンド、合計5バンドによるライブである。
私は19時過ぎに会社を逃げ出し、会場に着いた頃はFuneral Mothは終わっており、Redsheerのまさにラスト直前であった。

Redsheer
3人組のバンドでラストの曲は結構ドゥーミィーな曲展開。
ベースの人が楽器をおろしてフロアにおりて来て絶叫。恐い。これは恐い。なんともヘイトフルだった。すごい格好いい。ちゃんと見たかった…


Coffins
音源はもっているけどライブを見るのは初めて。どうやらボーカリストが交代したらしい。新しいボーカリストは長髪長身で見栄えが良いね。
「平日なのにたくさんの人に来てもらってありがとうございます。それではCoffins始めまーす。」と飄々としたMCにおほーとニヤニヤしているとあっという間に演奏が始まり、それがすげー重々しい音なもんで、えーまだこっちの準備ができてねえよ、という感じが非常に面白かった。
結構カッチリしたデスメタルなんだけど随所に入れてくるクラシカルなドゥームっぽいフレーズやギターソロがアクセントになっていて面白い。ドゥームだから決して速くはないんだけどバスドラムの連打が重くて戦車のよう。ズンズン来る。低速からの加速は気持ちよい。曲はライブ映えして、モッシュやサーフも発生していた。曲はどうみても邪悪かつダークなデスメタルなんだけど、ライブで聴くとこんなに気持ちよいのは不思議。

Birushanah
次はBirushanah。やっとこ見れる。念願の。勿論一番のお目当て。
セッティングからじーっと見てたけど佐野さんのメタルパーカッションは本当に楽器というか金属の塊で出来ているんですね。鉄板、鉄パイプ、タイヤ?、フライパン、ドラム缶と。
セッティング、ドラムソロ(ドラムが康平さんじゃなかったような…)からライブスタート。ギターとドラムでミニマルなフレーズを繰り返す、まさに嵐の前の静けさの様な雰囲気。Isoさんの声は朗々としている。ドラの音がどこから聴こえるんだろう?と思っていたら客席から佐野さんがステージに。メタルパーカッションが一気に曲を複雑なものに。金属的な音、勿論金属をぶったいている訳だから100%金属的だ。聴いたことあります?キンキンしている。超低温の氷がくだける様な鋭い音で震える。そうしていると曲が一気に爆発。Birushanahの音楽はギターもぶっ叩くように演奏する。勿論普通に演奏もするんだけど、聴いたことある人なら分かると思う、あのゴムン!とやるフレーズ。で、ドラムとパーカッションがいる訳だ。こうなると全員打楽器の様なもんだ。だからすごく原始的なのだ。そしてボーカルはデスボイスではないくて、声量のある呪術的な雰囲気のある独特なもの。和音階を意識した曲作りも相まって、太古の祭りの祝詞を聴いているようだ。サイケデリックと称されるのも恐らくここら辺が由縁だろうと思う。私もライブを聴いてそう思った。CD以上の大音量に自然に体が揺れる。滅茶苦茶気持ちよい。とてつもなく巨大なものの心臓の鼓動のようにしっくり来る。たぎるんだけど違和感がない。
佐野さんのちょっと滑舌の悪いMCではっと我に返る感じ。Isoさんが「じゃあ最後に人的欲求やるから」と「ヒニミシゴロナヤココロノトモシビ」からキラーチューンで締め。数え唄もやってくれー!!と思った。
いやー本当にすごかった。多分新曲が中心(といっても数はそんな多くないと思うけど)たっだと思う。やっぱりBirushanahは頭一つか二つ突き抜けているな〜。本当こんな素晴らしいバンドがあるってだけで嬉しい。見れて良かった。

Monarch!
最後はフランスからの刺客Monarch!。最近は追ってなかったんだけど、結構前によく聴いてた。だいたい1曲20分くらいでSunn o)))を思わせる様なデカい音で引きずり回す様な極悪なドゥームメタルを演奏するバンド。ボーカルがかわいい女の子なのが特徴。
照明を落として左右の赤いライトのみ点灯。ボーカルの機材の横に蝋燭をともす雰囲気のあるステージ。
ささやく様なうめく様なウィスパーボーカルをその場で録音、エフェクトをかけて反復させ、その上にさらに声を重ねていく、こちらも悪夢の様な呪術的なスタイルでスタート。
極端にセットの少ないドラムが腕を振り上げ、力を込めて振り下ろす。ギターとベースが同時にどーーん!!音がデケーー!ドラムの人は本当一撃一撃をとんでもない力で振り下ろすもんだからドラムの音が半端無い。太鼓の達人ですよ。で、一撃と一撃の間がとても長い訳なんだけど、よく聴いていると結構リフがはっきりしている。音源だともっと全体が溶けた様な印象だったけど、ライブで聴くと想像以上にソリッド(音の輪郭はデカ過ぎてぶわぶわだが)かつタイト。「ギイーーーーヤーーー」と落下していく様な絶叫ボーカルもたまらん。なんせ口を開けると歯が震えているのが分かるんだもん。腹にくる低音が疑似吐き気みたいで気持ち悪く、それが大変気持ちよいという背徳的な状況。
ラストはハードコアパンクなカヴァー(だと思うんだけど)で今までの鬱憤をはらす様な速度でもって終了。こちらもすげかった〜。

Coffinsが始まる前に物販でIsoさんが前にギターで参加していたCavoとMonarch!の最新CD(大分前にAmazonでオーダーしたのに全然届かないので当日買うという。)を購入。佐野さんがオマケやで〜といってポスターをつけてくれました。どうもありがとうございました。
すごい楽しかったし、折角だから最後バンドの人に感想言えば良かったな〜。

2014年8月10日日曜日

Tragedy/Vengeance

アメリカのオレゴン州はポートランドで活動するクラストパンク/ハードコアバンドの2ndアルバム。
2002年に自身のレーベルTragedy Recordsからリリースされた。
以前紹介したNightfellがとても格好よかったので、ボーカルのToddがやっているこのバンドにも手を出した次第。(このアルバムには「Night Falls」という曲があるね。)元々ToddがTragedy以前にやっていたバンドHis Hero is Gone(ユニオンで探しても見つからなくて店員さんに聞いたらTragedyの欄においてあったんだよね。)は好きだったし気にはなっていたバンドだったのでちょうど良い機会だった。

最近はクラストパンクバンドがちょっと流行っているんじゃないかな?と思う。Nailsも来日したし。Southern Lordからも黒っぽいハードコアバンドが結構リリースされているよね。まあ元々歴史のあるジャンルだし、たまたま私が注目しだしただけかもなんだけど。
このTragedyというバンドはそういった意味だとシーンの動向に関係なく結構長いことやっているベテランバンドと言えるんじゃなかろうか。

音の方はメタリックな重さをもったハードコアである。曲の尺は2分から3分台が多くハードコアというジャンルにしては決して短くはない。速さはあるものの、ただ闇雲に速いわけではないし、どっしりした中速もあればスラッジーなスローなパートも取り入れている。いわば曲を聴かせる作りになっている。音は荒々しく飾らないが、じっくり練られている様なそんな印象。
ドラムは重々しくも激しいときはよく叩く。ハードコアなビートは勿論突発的なブラストが格好よい。ベースは元気でよく動く。ドラムと相まって疾走感を演出。
ギターは音が分厚くて結構ソリッド。そういう意味では結構メタリックだが、演奏はハードコア由来でノリが良くて疾走感がある。高音がよく伸びる様なハードコアなフレーズが気持ちよい。一個前で紹介したSargeistもそうだったんだけど、このバンドもギターが結構メロディアス。ハードコアなボーカルとは良い対比で、よくよく聴いてみるとぱっと見の印象より大分親しみがあって丁寧な作りなのが分かる。トレモロリフというよりはもっと荒々しいけどやっぱりざくざく刻むメタルのリフとは違う爽快感がある。フィードバックノイズやキューンっていうスクラッチ?(あのピックで弦をこする奴)があざとい位ばっちりハマって格好いい。ボーカルはだみ声吐き出し系の野太いThe ハードコアなスタイル。
男臭い楽曲は力強いけどマッチョイズムは感じられず、むしろ垣間見える哀愁のあるグルーミィな曲調は内省的ですらある。その暗さをあくまでも感じたようにそのまま出しているように感じられてそこが好感触。その所為か楽曲が陰鬱までに落ち込んでいないから、あくまでもハードコアのスタイルで気持ちよく聴けるというのが良いね。

さてハードコアと言えば音楽の一ジャンルでもあるけどパンクの流れを汲んでいて、ただその音楽にとどまらずその背景にある思想というのがとても重要だと思う。ただスタイルだけハードコアやパンクというバンドも勿論沢山いて批判されることもあるけど、それはそれで良いのかもしれない。しかしこのTragedyというバンドは勿論反体制なアティチュードをもっていて、例えばブックレットにはこう書いてある「地球は死にかけているんじゃない。殺されかけているのであって、殺している奴らは名前と住所をもっている。」(訳したのは私だから間違っているかもしれません)。なんとも恐ろしい一文である。もちろんどんな言葉でもどう思っていようが関係なく吐けるものだが、「Vengeance」と名付けられたこのきっと大変な苦心をして作り上げただろうCDを聴くとすっと心に響いてくるから不思議なものだ。ただの言葉に説得力を持たすのはそれを言う人の行動だと思う。

という訳で格好よくもこちらをぶっ叩く様な凄みをもったアルバムである。渋い。とても真摯なアルバムであると思う。これはオススメ。

Sargeist/Feeding the Crawling Shadows

フィンランドはラッペーンランタというところで結成され、今はタンペレ(どちらもフィンランドの南の方みたい)という都市で活動しているブラックメタルバンドの4thアルバム。
2014年にWorld Terror Committeeからリリースされた。
このバンドのことは全く知らなかったのだが、とあるブログで今作が紹介されていて視聴してみたらとてもかっこ良かったので買った次第。ちなみにレーベル直販で買いました。ドイツのレーベルだと思うのだけど、結構速く届いてビックリした。1週間くらい?

Sargeistは1999年に結成されたバンドで、ドイツ語の棺と幽霊という単語をくっつけた造語でRottening Christというバンドの「The Old Coffin Spirit」という曲からとってきたらしい。(Wikiより。)他のブラックメタルバンド(BehexenやHorna)でも活動しているメンバーが集まっているバンドらしい。写真を見るとどう見てもガチな人たちだ。恐い。

音の方はというと完全にブラックメタルである。クレジットを見ると4人編成で出す音はバンドサウンド。大仰なキーボードやシンフォニックなアレンジは皆無のプリミティブスタイル。音質はざらついたクリアとは言いがたいものだが、判別不能なほど汚くはないし、むしろこの音楽スタイルによくあって迫力を増していると思う。このジャンルが好きな人なら問題無しだろう。
ドラムは若干バタバタしたスタイルでブラストとズタタタっと回るような連打が格好いい。ベースが結構面白くて這う様な低音なのだがどの曲でも結構伸びやかかつ、変幻自在に演奏スタイルで一見目立つギターリフの裏でうねるように弾いていて意識して聴いていると結構気持ちよい。何と言ってもギターリフが素晴らしくコールドで荒々しいのだが非常にメロディアス。饒舌と言っても良い位のトレモロリフ。ボーカルのスタイルと相性が抜群でありつつも、取って代わって歌っているといっても過言じゃないくらい。所謂トレモロリフは勿論格好よいのだが、たまーに出てくる低音で攻める攻撃的なリフもすごく良い。ボーカルはバンド名通り幽霊めいたしぼるように吐き出す掠れまくったブラックメタルスタイルと声量があって吐き出す様な迫力のある低音スタイルの使い分けで迫力満点。
メロディアスというとどうしたって声で出すラインがそうだと思いがちなのだけど、ブラックメタルって本当面白いなあって思うのは、声以外でメロディを演出するところ。このバンドなんてボーカルはぶっきらぼうと言っていいほど暴力的な癖に演奏がとても饒舌でこのバランス感覚が非常に気持ちよい。このギターの音の格好よさは何だろう。例えば7曲目のラストは終盤終わる直前に他の楽器の演奏が止まってギターの音だけになるのだけど、何とも言えないざらついた音で妙に哀愁のあるフレーズを奏でるもんで聴いているこちらとしては何とも言えない気持ちになる訳だ。それをぶちっと切るように曲を終わらせるのも潔く、決して大仰にすぎないバンドのスタイルが垣間見えるようで良い。このバンドより速くて暴力的な音を演奏するバンドは沢山あるだろうけど、この何とも言えない物悲しいメロディをならすバンドはちょっといないんじゃないだろうか。とにかくそこが魅力だ。憂鬱さだ、重要なのは。

という訳で非常に格好よいブラックメタルバンド。プリミティブなブラックメタルだ。ブラックメタルというのはこういうものですよ、と誰かに教えたいときはこのCDを渡しても良いかもしれない。オススメです。

ネイサン・ローウェル/大航宙時代ー星海への旅立ちー

アメリカの作家によるSF小説。
ハヤカワ文庫のSF。
最近ノワールやら警察小説ばかり読んでいたので、久しぶりにSFが読みたいということでAmazonでお勧めされるこの本を買ってみた。
この本はひょっとしたら作者のデビュー作?元は日本ではあまり馴染みのないオーディオブック(朗読を収めた音源)という形式でリリースされたが、公表を博し電子書籍になったり紙の本になったりという本とのこと。

2300年代科学を発展させた人類はその版図を宇宙に広げていた。地球外の多くの惑星を植民地とし宇宙船が星と星の間を飛び回る世界。ネリス星に住む18歳の少年イシュメールは突然の事故でたった一人の肉親である母親と家を失い、財産もない天涯孤独の身になる。身よりも金もない彼の選択肢は2つ。軍隊に入るかネリス宇宙港に入る宇宙船に船員として雇われるか。非力な少年は後者を選択。ロイス・マッケンドリック号に司厨補助員として乗り込むことになる。ロイス号は商船。全く未知の環境でイシュメールの成長物語が幕を開ける。

主人公が軍隊に入ったらそれはそれでまた楽しくも恐ろしい物語になったのだろうが(そして面白いか否かはおいておいてよくあるSFになっただろう)、この話が独特なのは主人公が商船に乗り込んだことだ。星々の世界と言ったらどうしても未知の冒険を期待してしまうところだが、この話は宇宙が舞台ながらも非常に地に足がついた(勿論ほぼ地はないんだが)未来小説になっている。
原題は「Quater Share」というのだがこれは船員の等級の意味で一番階級の下の船員のことである。主人公イシュメールは下級船員として乗り込み船の厨房で働きつつ、年の近い先輩船員とともに宇宙を舞台にした交易の世界に入り込んでいくことになる。交易というと正直私もよくわからない世界ではあるが、基本は安く買って高く売る、というあれである。ワープ(作中ではジャンプという)、巨大な宇宙船は出てくるが、奇怪で攻撃的な宇宙人とかレーザー銃はいっさい出てこない。交易のイロハを学びつつ、人脈を広げ、困難かつ複雑な宇宙船の仕事に慣れ、次第に頭角を現していく少年の青春小説である。克服すべき状況というのは慣れない宇宙船員としての仕事と人間関係で、課題というのは等級をあげるための資格試験となにを仕入れて、どこで高く売るかということである。これはSFというジャンルでいうと非常に地味な世界である。
音楽でも小説でも地味だからといって作品がつまらない訳ではない。しかし私はどうにもこの作品にはのめり込めなかった。理由が2つくらい。
一つは舞台が宇宙であることをもうちょっと押し出してほしかった。扱っている製品はベルトとかキノコといった現代でありふれたものであるし(駆け出し船員の主人公の扱える品物となると自然にそうなってしまうのは分かるのだが)、船内の描写も(環境部のスクラバーの整備とかは結構面白いのだが)奇麗で整然としていてあまり宇宙観がない。何より残念なのは寄港地の描写が圧倒的に弱いこと。小惑星帯でキノコの制作過程を見るところは良かったのだけど、あとは基本的に宇宙ステーションのなかだし、そのステーションもすべて同じ基準で作られているという設定の所為で異国情緒がない。もっとこうすげーでかい太陽が見えるとか、赤い海が広がる星とかそういった要素があっても良いんじゃないかと思ってしまう私は軽薄で視覚的なSFファンなのだろうか。
もう一つは主人公のキャラクターであって、どちらかというとこちらの方が要素的には多きいのかも。何より主人公が冷静で優秀過ぎてちょっと面白みがない。天涯孤独の身の上でほぼ否応なく新しい環境に放り込まれていて勿論結構苦労はしているのだろうが、逆に言うとその逆境の設定だけであとはちょっとするっと上手く行き過ぎている様な気がしてならない。厨房の仕事では始めっから天性の才能を発揮し、資格試験は危なげなくパス、出来の悪い先輩に試験勉強を教えて合格させ、彼を補佐するどころか抜群の閃きでもって、船員達の個人交易に光明を見いだし、雲の上の人である船長からも特別の賛辞を受ける、というのは、友達が一人もいなかった冴えない少年がごく短時間でやりきるには無理ないか?主人公補正というよりは、「おれの考えたサクセスストーリー」を聴かされている様な印象でちょっと冷めた目で見てしまった。

という訳でよく出来た小説だと思う(話の作り自体は丁寧で読みやすくすごくちゃんとしている。)けど、イマイチのめり込めなかったかな。多分私が捻くれた男で小説を片手に「こんな上手く行くはずないんですよ!現実は厳しいんですよ!」と気炎をあげているだけだと思うので、気になる人は手に取ってみて是非自分なりの評価を下していただきたいと思います。

2014年8月3日日曜日

ジム・トンプスン/失われた男

アメリカの作家によるノワール小説。
ジム・トンプソンの3つ目の紹介。今度は長編。
1954年に発表された小説で原題は「The Nothing Man」。直訳ではない邦題だが、最後まで読むとなかなかどうして流石の翻訳と納得。
本の裏に恐らく発表当時の本の表紙の画像が掲載されているのですが、そこには「The destructive terror of a man who lost the power of love」と書かれている。直訳だけど「愛する力を失ったある男の破壊的な恐怖」となっていて所謂恐怖小説やノワールの範疇にとどまらない、何か抒情的な因果を感じさせる煽り。

アメリカの片田舎で新聞社に勤める編集部員兼記者のブラウニーことクリントン・ブラウン。容姿に恵まれ頭が切れる彼は器用に日常生活を送っているように見えるが、しかしある秘密を抱えていた。思慮深くそれとなく人をコントロールすることが出来る彼はそれでも変わらない日常を求めていた。しかし郊外から来た未亡人、分かれて娼婦となった妻、予期しないちん入者が彼の生活を乱し始めるとブラウニーは非情にも邪魔者を排除していく。殺人の果てにブラウニーを待ち受ける恐ろしい真実とは…

巻末の解説でも中森明夫さんが軽妙な文体で指摘している通り、トンプソンの小説の舞台設定(役者と中森さんは言っている)はいつも同じである。今回も酒に溺れるイケメンかつ頭が切れる音が主人公で、郊外の小さな町を舞台に警察官や頭の鈍い上司、自分の人生をコントロールできない小物、魅力的かつ退廃した美女なんかが出てくる。私はトンプソンが好きといっても「おれの中の殺し屋」と短編集「この世界、そして花火」の2冊しか読んだことが無いから何とも言えないんだけど、それでもこの小説は今までの流儀とはちょっと異なると思う。舞台は同じでもちょっと趣が違う。それが何かというと主人公のキャラクターである。キャラクター設定はいつも通りなのだが、彼の行動の真意が分からないのだ。彼もご多分に漏れず小器用に殺人を犯す訳である。そして捕まらないようにする。のだが、ここに着て不思議なのは、罪を逃れるにしても彼の望む状況というのがあって、それが達成されていないのが不満なのか、自分意外に犯人らしい人が捜査線上に浮かんでも、彼が逮捕されないように、罪を被らないように苦心したりするのである。
何故か?はっきりと言及される訳ではないが恐らく状況を完全にコントロールしたいというブラウニーの強い欲求じゃではないかと私は思った。中のよい警察官、戦友だった上司でも好意を持っていると言いつつ嘲弄して意のままに操ろうとする。神様気取りとは言い過ぎかもしれないが、そんなところがある人間である。
さて彼の秘密というのをはっきり言ってしまうとそれは、戦争中の外傷により性器が欠損していることに他ならない。冒頭の「愛する力」というのは直接的にはこのこと。(恐らく彼には情緒的にも愛する力が無い。)彼はこの秘密を可能なかぎり守ろうとするし、そのためなら殺人をいとわない訳で、ある種すべての殺人の動機と言っても過言ではないのだが、何と言っても、何と言ってもこの小説の面白い所はそこにとどまらないのだと力を入れて主張したい。
ジム・トンプソンというのは巨大な虚無を書きたい人であって、不能である男は虚無に翻弄されるマリオネットである。虚無の前では彼の不具すらある種のお菓子身を以て書かれているようにすら思える。
「空虚……これも続いた。ただ、今ではさらに肥大し、広がって、死の空間がふくらんでいって、見渡す限りの荒れ地のようになっていた。ひからびた、不毛の、命のない荒れ地を、死人があてもなく歩いていた」
ブラウニーが何度なく幻視する光景である。圧倒的な虚無。彼の内側にはそれがあって、一体それが後天的な不具になったときに初めて彼のみに生じたのか、生まれつきもっていたものなのかは分からないが、それが彼の行動原理なのだ。彼には本当にやりたいことがない。酒を浴びるように飲み、殺人ですら退屈しのぎに思える。彼は本当にやりたいことがない。会社の人が言っていたのだが、この世というのはおよそ性欲が回しているそうだ。それだけではない気もするが、頷ける部分もある。だいたい支配下にあるといっても良いかもしれない。ブラウニーはそういった意味では不具ではあるが、逆に言うと支配から解放された超人ともとれるかもしれない。(超人になりたい人は少ないだろうけど。)だが、むしろ彼の孤独感が強調されている。
子供染みた彼の神の力が一体どうなるのか、トンプソン小説に親しんでいる人なら分かるだろうが…
彼が妻を殺し離島からボートで逃走する際の描写で泣きそうになった。ここにトンプソンの主張がぎゅっと凝縮されているように感じる。これを伝えるために前後の370ページが必要だったのではないかと思えるほど。

相変わらず恐ろしい小説だ。軽薄な語り口と洒脱に見えるその暴力性の後ろに、すべての人間が逃げることの出来ない地獄がよだれを垂らして待ち受けている様が垣間見える、そんな雰囲気だ。とっとと読んだ方が良い。

Nightfell/The Living Ever Mourn

アメリカはオレゴン州ポートランドのデス/ドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2014年にSouthern Lord Recordingsからリリース。
Nightfellです。誰よ?となりますね。1stアルバムと言っても新人ではないパターン。気になるメンバーはドラムとボーカルがTim Callという方でこの人はAldebaran(アルデバランといったらクトゥルー好きな人はニヤリとするワードかも。)というバンドに所属していてMournful Congregationにも参加していたりとドゥーム畑の人のようだ。もう一人はTodd Burdetteという人でこの人はクラストパンクバンドTragedyでギターボーカル。私はこのToddさんが以前にやっていたHis Hero is Gone(バンド名が格好いい)というバンドが結構好きで、特に1stアルバムに入っている「Raindance」という曲は超格好よく未だに良く聴いている。で、その人が参加しているバンドのデビュー作ということで買ってみた次第。

ドゥームメタルとクラスとパンクの人がタッグを組んだ訳だけど、結果的には速度遅めのデスメタルになっている。
ドラムは一撃が重くどっしりしたスタイル。そこに音が分厚いギターが乗っかるスタイルで、とにかくこのギターが良い。出身も関係あるのだろうと思うのだが、刻みまくる様な伝統的なデスメタルしたるとは少し違う。ハードコア、そしてブラックメタルに少し通じる様なところがある演奏スタイルで、音は分厚くシャープなのだがソリッドというには少し粗い感じ。重さ一辺倒の低音ではなく、中音域を多用したフレーズが出て来てそれがたまらない魅力の一つになっている。トレモロリフはブラックメタルというよりはやはりハードコア由来なのだろうか。アタック後にずわわわ〜と伸びる様なフィードバックがドゥーム感満載でとても良い。速いパートでは疾走感も十分だが、基本はギリギリ低速くらいの程よいスピードでもってズンズン進む様なイメージ。
ボーカルは低い容赦のないもので吐き捨てる様なスタイルはやはりデスメタルに親和性があるように思う。
面白いのは無骨ながらも所々に光るメロディであってこれがハードコアでありつつも、結果的に曲をとっても魅力的なものにしている。メロディと言っても歌に反映されない様なフレーズであって、しかもそれがとても陰鬱であるからたまらない。暗いメロディである。グルーミーである。
随所に垣間見えるちょっと普通ではない感は曲作りにも反映されていて、トレモロリフなんかもそうなんだが、もっと大胆にアコースティックギターを取り入れて、曲によっては男臭い詠唱めいた合唱がはいっていて完全に怪しいフォークになっていたり。それがまたすごみがあるもんだから意外にすっと聴けちゃうのがさすがなところ。

派手なバンドではないのだが、1曲1曲が格好よい。世にデスメタルバンド、暗い音楽を演奏するバンドは数あれど、なかなか陰鬱さを演出するのは難しい。そこをこのバンドはデスメタルのもつ素直な格好よさを保ちつつ、独特の憂鬱さを醸し出すことに成功しているように思える。
とても格好いいな!オススメ!

Wolves in the Throne Room/Celestite

アメリカのブラックメタルバンドの5thアルバム。
2014年にArtemisia Recordsからリリースされた。いつも通り日本版はDaymare Recordingsからリリースされているが、私がもっているのは海外版。
プロデューサーはRandall Dunnとバンドの共同で行ったようだ。因に今このバンドのメンバーはAaronとNathanのWeaver兄弟のみである。
バンド名の「Celestite」というのは天青石という鉱物のことらしい。調べていただけると分かると思うのだが、白と透明感のあるグラデーションが美しい宝石の画像が出てくる。アートワークもそんな言葉を模したように星をちりばめたようなもやーっとした荘厳な感じの青色で統一されている。
たしか2ndアルバム「Two Hunters」から「Black Cascade」を経て前作「Celestial Lineage」で三部作完結ということだったと思うのだが、今作は前作「Celestial Lineage」の延長線上にあるものらしい。
ところが前作の延長線上と言ってもあくまでも作り手側の信条というか、あくまでもコンセプトの上でということであって、聞き手が前作の延長線上だ〜というテンションでもってこの音源を聴くとちょっとビックリするのではなかろうか。
今作はアンビエントになるよ、というのはリリース前から発表されていて、発売前に公開された音源はまさしくアンビエントなものだった。それでもファンとしては幾らかのブラック目たる成分を期待してしまうのが心情なのだが、ふたを開けてみれば全5曲徹頭徹尾アンビエントに統一されており、ファンとしては椅子から転げ落ちること請け合いである。
曲によっては少しだけ出てくるが、基本ドラムのビートもなし。当然だがイーヴィルボイスどころかボイス自体が入ってない。あくまでもシンセサイザーを中心にした音作りであって、所謂真性ブラックメタル感は皆無である。4曲目でようやっとギターの音が出てくるといった有様。
基本パイプオルガンほど主張が強くないが、少し似通ったところのある重厚感のあるシンセ音で構成されていて、メロディ性にかけるかつびろーんと伸びてくる様は確かにドローンの要素があるが、例えばSunn O)))のような派手さは無い訳だし、かといって所謂ドローンアーティストの本気かつハードコアな音ではない。かなり色々な音が重ねられていて、それがシンセ由来なのか生の楽器の音なのかは素人の私には判別できないのだが勇壮なホーンのおとだったり、腹に響く様なバンド然としたベースだとか、スペイシーな浮遊感のあるシンセ音だったり、シャーシャーいうノイズだったりそれが実体をもたない幽霊のように入れ替わり立ち替わりふわーっと聞き手の前に現れるのであって、単調であって聴いていて本当に違いが分からないということは無いと思う。そういった意味ではアンビエントだがバンドっぽいアプローチでもって曲が制作されているのかもしれない。

言うまでもなくWolves in the Throne Roomというのはカスカディアンブラックメタルの大立物であって、一時期は雨後の筍のようにフォロワーが続出したものだった。カスカディアンブラックメタルというのは果たして何か、というと私にはちょっと即答できないのだが、それでもこのバンドが自然というものをとても大切にしてエレキギターを始め電気を使った音楽で自分たちを表現することの矛盾を認めつつ、彼らの大好きな自然を音楽という形で表現しようと言う試みを続けているのは有名な話だと思う。
この音源を聴いて彼らの主張が手に取るように分かるというのは残念ながら無いのだが、それでもアンビエントという形を取りつつ、またそしてブラックメタルという音楽がよく冷たいという言葉で形容されることを考えると、この音源のもつ妙に暖かみをもった音像というのは非常に面白い。地下室的な息苦しさというよりは、空間的に広がりをもって外に伸びていく様なスタイルであって、むしろ彼らの目指す音を作るにはバンドサウンドやシャウトが邪魔になってしまったのかなーと思う。

ブラックメタルというと元々アンビエントやシンセサイザーとは結構強い繋がりがあるので、驚く人は多くても結構しっかりとこの音源に向かい合えるブラックメタラーは多いのではなかろうか。問題作は問題作なので、最終的な評価は是非聴いてみて各々判断していただきたいのだが、私は音源としては普通に楽しんで聴けた。そういった評価も含めて気になるな、という方は悩んでいるより買ってしまった方が良いと思います。