2014年8月3日日曜日

ジム・トンプスン/失われた男

アメリカの作家によるノワール小説。
ジム・トンプソンの3つ目の紹介。今度は長編。
1954年に発表された小説で原題は「The Nothing Man」。直訳ではない邦題だが、最後まで読むとなかなかどうして流石の翻訳と納得。
本の裏に恐らく発表当時の本の表紙の画像が掲載されているのですが、そこには「The destructive terror of a man who lost the power of love」と書かれている。直訳だけど「愛する力を失ったある男の破壊的な恐怖」となっていて所謂恐怖小説やノワールの範疇にとどまらない、何か抒情的な因果を感じさせる煽り。

アメリカの片田舎で新聞社に勤める編集部員兼記者のブラウニーことクリントン・ブラウン。容姿に恵まれ頭が切れる彼は器用に日常生活を送っているように見えるが、しかしある秘密を抱えていた。思慮深くそれとなく人をコントロールすることが出来る彼はそれでも変わらない日常を求めていた。しかし郊外から来た未亡人、分かれて娼婦となった妻、予期しないちん入者が彼の生活を乱し始めるとブラウニーは非情にも邪魔者を排除していく。殺人の果てにブラウニーを待ち受ける恐ろしい真実とは…

巻末の解説でも中森明夫さんが軽妙な文体で指摘している通り、トンプソンの小説の舞台設定(役者と中森さんは言っている)はいつも同じである。今回も酒に溺れるイケメンかつ頭が切れる音が主人公で、郊外の小さな町を舞台に警察官や頭の鈍い上司、自分の人生をコントロールできない小物、魅力的かつ退廃した美女なんかが出てくる。私はトンプソンが好きといっても「おれの中の殺し屋」と短編集「この世界、そして花火」の2冊しか読んだことが無いから何とも言えないんだけど、それでもこの小説は今までの流儀とはちょっと異なると思う。舞台は同じでもちょっと趣が違う。それが何かというと主人公のキャラクターである。キャラクター設定はいつも通りなのだが、彼の行動の真意が分からないのだ。彼もご多分に漏れず小器用に殺人を犯す訳である。そして捕まらないようにする。のだが、ここに着て不思議なのは、罪を逃れるにしても彼の望む状況というのがあって、それが達成されていないのが不満なのか、自分意外に犯人らしい人が捜査線上に浮かんでも、彼が逮捕されないように、罪を被らないように苦心したりするのである。
何故か?はっきりと言及される訳ではないが恐らく状況を完全にコントロールしたいというブラウニーの強い欲求じゃではないかと私は思った。中のよい警察官、戦友だった上司でも好意を持っていると言いつつ嘲弄して意のままに操ろうとする。神様気取りとは言い過ぎかもしれないが、そんなところがある人間である。
さて彼の秘密というのをはっきり言ってしまうとそれは、戦争中の外傷により性器が欠損していることに他ならない。冒頭の「愛する力」というのは直接的にはこのこと。(恐らく彼には情緒的にも愛する力が無い。)彼はこの秘密を可能なかぎり守ろうとするし、そのためなら殺人をいとわない訳で、ある種すべての殺人の動機と言っても過言ではないのだが、何と言っても、何と言ってもこの小説の面白い所はそこにとどまらないのだと力を入れて主張したい。
ジム・トンプソンというのは巨大な虚無を書きたい人であって、不能である男は虚無に翻弄されるマリオネットである。虚無の前では彼の不具すらある種のお菓子身を以て書かれているようにすら思える。
「空虚……これも続いた。ただ、今ではさらに肥大し、広がって、死の空間がふくらんでいって、見渡す限りの荒れ地のようになっていた。ひからびた、不毛の、命のない荒れ地を、死人があてもなく歩いていた」
ブラウニーが何度なく幻視する光景である。圧倒的な虚無。彼の内側にはそれがあって、一体それが後天的な不具になったときに初めて彼のみに生じたのか、生まれつきもっていたものなのかは分からないが、それが彼の行動原理なのだ。彼には本当にやりたいことがない。酒を浴びるように飲み、殺人ですら退屈しのぎに思える。彼は本当にやりたいことがない。会社の人が言っていたのだが、この世というのはおよそ性欲が回しているそうだ。それだけではない気もするが、頷ける部分もある。だいたい支配下にあるといっても良いかもしれない。ブラウニーはそういった意味では不具ではあるが、逆に言うと支配から解放された超人ともとれるかもしれない。(超人になりたい人は少ないだろうけど。)だが、むしろ彼の孤独感が強調されている。
子供染みた彼の神の力が一体どうなるのか、トンプソン小説に親しんでいる人なら分かるだろうが…
彼が妻を殺し離島からボートで逃走する際の描写で泣きそうになった。ここにトンプソンの主張がぎゅっと凝縮されているように感じる。これを伝えるために前後の370ページが必要だったのではないかと思えるほど。

相変わらず恐ろしい小説だ。軽薄な語り口と洒脱に見えるその暴力性の後ろに、すべての人間が逃げることの出来ない地獄がよだれを垂らして待ち受けている様が垣間見える、そんな雰囲気だ。とっとと読んだ方が良い。

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