2015年9月22日火曜日

Dooomboys/#Dooomboys

日本のヒップホップグループの1stアルバム。
2013年に自身のレーベルBlack Mob Addictからリリースされた。
なんとなくヒップホップが聴きたいなと思って前から気になっていたこの音源を買ってみた。
Dooomboysは日本のヒップホップ集団Think TankのラッパーBaba(こっから先は敬称略とさせてください。)と1992年から活動するバンドWrenchのドラマーMurochinが結成したバンド(もしくはユニット。)私はWrenchに至っては聴いた事が無い。Think Tankも「Black Smoker」しか持っていない位なんだが、学生時代に聴いてむむ?と思っていたその「Black Smoker」、今聴いたらやたらとカッコいい訳でそれで買った訳だ。

ドラムを生音にしたヒップホップというのもそこまで珍しくはないのだろうが、中々特徴的な音源になっている。全部で12曲のアルバムなのだが、内5曲は既存のリミックスである。そのリミックス参加アーティストはAudio Activeだったり、Devilmanから二人であったりとなかなかダブいことが分かるだろう。他にも歌詞でThink TankのK-Bombが参加していたりと、とにかく煙たく黒いヒップホップを演奏しているのだなと分かる面子である。
サンプリングという伝統的な手法に捕われない新しいヒップホップであるから、ラップ主体であってもその他の音が前面に出ている。Devilmanを引き合いに出すようなインダストリアルな、つまり金属管のある高音低音が残響反響処理を加えられてデカい音でサイレンのように鳴り響く。そして加工された生ドラムが入り込んでくるのだが、スネアが鋭くてこれだけで面白い。さすがにドラムの手数は多くないのだが、その分リズムが圧倒的にタイトである。タイトならそれこそ機械で良いのでは?と思うところだが、このインタビューを読んだいただきたいのだが、MPCからの音源に合わせる形で無理矢理生ドラムを叩いている。このある種の無理矢理さ、困難さが逆に曲作りの過程と曲自体を豊かに楽しくしている事が分かる。この手法で生まれたのがこの音楽なのだ。これは面白い。制限が芸術を生み出すのだ、自由な。
悪夢めいた金属質ダブトラックにのるBabaのラップも変わっている。Think Tankの時も思ったのだが、結構特徴的な声質で悪いヤバい雰囲気がありつつも自然体である。しゃがれていてちょっと酔っぱらっているようにふらっとぶれるところもある。ダブトラックに負けない個性を持っているから喧しさに負ける事が無い。
インタビューで語っている通り、The Blood of HeroesやDeath Grips(こっちはライバルとのこと)に共通点がある。こちらのバンドはもっと暗い印象でゆらゆら沈み込んでいく様な気持ちよさが持ち味。

紹介文をtoosmell Recordsの人が書いていたり(このCD以前にtoosmell限定で音源のリリースがあったそうな。因に私も特典がつくのでtoosmellで買った。)と色んな繋がりがあって、とにかくヒップホップ的なアプローチにとどまらないのでロック好きにもお勧めできる内容。現在活動しているかは不明瞭だが、自分としては是非次の音源を!と期待している。

山尾悠子/増補 夢の遠近法 初期作品集

日本の幻想文学作家による初期作の短編集。
作者は作家生活の中で一回筆を折った事があり、かつては幻の作家と呼ばれた事もあるとか。最近では執筆活動を再開したり、こうやって過去作が再販されたりと現実世界に戻って来たとの事。このジャンルでは有名な人で私はちくま文庫から出た「ラピスラズリ」のみ読んだ事がある。冬ごもりするという奇妙な物語でたしか不思議な絵画に入り込む様なそんな感じだった。それぎりになっていたがこの間読んだ「皆勤の徒」の後書きにも影響を受けた作品・作家の一人としてあげられていたため、よしもう一冊となった次第である。
昭和51年(作者は当時まだ大学生だったそうだ)から昭和63年までに発表された13作品を含む。元は国書刊行会から2000年に発売された「山尾悠子作品集成」からいくつか作品をピックアップしたものが2010年に同社から発売され、さらにそれに作家本人の手による作品解説を追加して、筑摩書房から発売されたのがこの本。よくわからんが版元や形を変えて発売されているという事はそれだけ読みたい人が多いのだろう。

幻想文学というのは幅広いジャンルで(本当のファンには怒られるかもしれないけど)例えば本格ミステリーだったり、ハードな近未来SFみたいな緻密で正確な説明描写は必ずしも必要でないから、とにかくなんでもあり!のような思い込みがあって、この本でも幻想であるという共通点を持って様々な空間時間に広がった物語が集まっている。現代に発生した怪談めいた話もあるし(落ちの付け方が女性的で大変良かった)、異形の宇宙を扱ったSF要素のある作品もあれば(初期の三作品は「SFマガジン」に掲載された)、フリークス出てくる”どこか”を扱ったthe幻想な物語もある。
帯にこう書いてある「世界は言葉で出来ていると」。これは作中の文の抜粋なのだが、この作者というのは言葉に異常なこだわりを持っていて、リズムは勿論、とにかく文体がもの凄い。さらっと読める現代小説風のものもあれば、修辞と読めないくらいの漢字に装飾された荘厳なもの。語り口をとっても日常を語る柔らかいものから、歴史書を読んでいる様な錯覚を覚える固いものまで。何かというと恐らくこれが幻想を生み出す魔法の様な技術(のひとつ)なのだろう。よく考えてほしいのだが、異常な世界は中々普通の言葉や文体で語りにくい。私はメタル音楽が大好きなのだが(何でもメタルで例える私!)、剣と魔法で邪悪な竜に立ち向かう話(あんまり聴かないけど)、薄暗い地下室にぶちまけられた臓物の生々しさ、誰もいなくなった廃墟等々異常な情景をテーマにしている事が多いのだが、そんな状況を説明するのにはやはり荒々しくもおどろおどろしい音楽(時には衣装なども含めて)が必要なのだ。そう考えるとこの文体の持つ現実的な力に気づくはずだ。つまり幻想文学を角煮は相当の技量が必要になるのかもしれない。さっきは何でもありと書いたがきっと書き手を選ぶのだろう。
自作解説での作者が引用しているのをさらに引用するとかの澁澤龍彦さんは「幻想文学ははっきりとした文・表現で細部まで緻密に書け!」というようなことをおっしゃっていたようでなるほどなと思った。幻想というと夢の様な、模糊としたと思うのだが、この本で書かれている一流の幻想譚はすべて明確な分でそれこそ細部まで書き込まれている。土台がしっかりしていなければ架空の不思議は存在できないのだと考えると面白い。
全体的に付きがモチーフになる事が多い、まさに夜の文学であると思う。冷たく青い光に照らされている荒涼と世界に入り込む様な楽しみがある。
幻想文学が好きな人は是非どうぞ。

2015年9月21日月曜日

The Thing With Five Eyes/كون

オランダのブレイクコアアーティストBong-RaことJason Kohnenの新しいダークジャズプロジェクトのライブ編終盤。
2015年にSvart Lavaからリリースされた。私は1stEPに引き続きBandcampで購入。

という訳で前回のブログから引き続きのThe Thing With Five Eyes。同時購入です。
タイトルの「كون」は今度はアラビア語みたいだ。先生いわく「母集団」とのこと。アートワークは前作と共通しているところがあると思う。黄色い半球はやはり太陽(光)をモチーフにしているように感じる。
今回はKosmosという1曲だけで構成されている。これは56分もあるんだけど、全部で一つの曲ではなくて13曲を次々と演奏したものをライブで録音しているもの。1stEPからの曲も全部含まれているのだがそれ以外の新曲もたっぷり入っている。ライブ音源と行っても録音状態は非常によろしいので普通のスタジオ音源とそんな遜色無く聴ける。(分かる人が聴いたら違うんだろうけど)
ライブだからか未発表曲がそうなのか分からないが、前作に比べるとドローン成分が増している。地のリズムトラック部分がまるまる存在しないアンビエントパートも結構あって、余韻のあるドローンが渦を巻いているように非常にゆったりとその流動的な体を伸縮されている。面白いのは不穏や不安という分かりやすい感情を超越している、ある種の超然とした感があってそこが何とも言えないのである。ここを言葉で表現できたら良いのだが私の語彙では無理だ。でも表現できないものが存在しないかと行ったらそんなことはないのだろう。ここは是非色んな人に聴いていただきたいところだ。Salemという曲名もあったりしてより中東感のあるフレーズが目立つ。このプロジェクトの魅力の一つにかなりソリッドなジャズの土台(ドラムとベースが作り出す低音部)にドローンを始めとする曖昧模糊としたうわものをのっけたその対比があると思う。地に足がついているのか、糸の切れた凧のようにふわふわと浮遊していくのか、どっち付かずで揺れ続ける危うさというのあってそれがたまらなく快感である。

NYPで公開されているのでまずは視聴してみてはいかがでしょうか。ちなみにお金を払うとどこかに寄付されるようですよ。私はやっぱりかなり好きです。

The Thing With Five Eyes/نور

オランダのブレイクコアアーティストBong-RaことJason Kohnenによるダークジャズプロジェクトの1stEP。2015年にSvart Lavaからリリースされた。私はBandcampでデジタル版を購入。
Bong-Raといえば日本盤もリリースされるくらい本邦では知名度があるブレイクコアアーティストだが、彼は元々メタルバンドでベースを弾いていた事もあり生音を用いたバンドやプロジェクトをいくつかやっている。その中でもThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleというバンドではダークジャズという新しい音楽を追究していて、それはもう言葉通りに暗いドローンめいたジャズを演奏しているのだが、私はこのバンドがかなり好きで、関連するインプロゼーションバンドThe Mount Fuji Doomjazz Corporationも含めていくつか音源を持っている。ただGhzのインタビューを読むと(すごく面白いので是非どうぞ。)残念ながらこの一連のバンドは既に解散してしまっているそうだ。残念無念。ただ同じ志でもってJasonが始めたのがこのThe Thing With Five Eyesという訳だ。「5つ目のもの」のはなんとも恐ろしいネーミングだ。速攻デジタルで買った訳だ。

タイトルは「نور」アラビア語?と思ったのだがどうやらペルシア語のようだ。google翻訳すると「ライト」と出た。多分だから「光」という意味だと思う。違ったらすまないが。そういわれると納得感のあるジャケットのアートワークである。
ベースとなるのはゆったりと暗いジャズで、アンビエント、ドローンの要素を持つ遅いもの。やや中東っぽい雰囲気もある様な淡ーいメロディラインらしきものがたまーに水面に浮かび上がる。
忍び寄ってくるような軽くて乾いたスネアや、控えめに鳴るシンバルなどジャズっぽいドラム。ただ場所によっては手数が多くてブレイクビーツを分解して再構築した様な、または極端に速度を落とした様な印象があって流石Bong-Raと思わせる。ただあくまでも喧しさは皆無である。ベースは暖かみのある甘く重たいもので、こちら滑るようにスライドが唸る様な双方がジャズを思わせる。パートによってはこちらも非常に良く動く。ジャズと行っても勇壮や軽快なホーンは導入されておらず、代わりにつま弾かれるアコースティックギターやたまに跳ねる様なピアノが多用されている。やはりドローン要素が重要なプロジェクトの用で全体の背景を低音が支配している様な趣がある。柔らかくも重量感のある伸びやかな音がずーん、ぶーんと高くなり低くなり鳴っている。これが不思議なもので時には不安感をあおったり、時には勇壮な感じで曲を盛り上げたりする。
全体的にはやはりダークジャズという感じで暗いのだが、例えば1曲目なんかはピアノが表に出ていて結構聴きやすい。The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleときもそうだったが、霧にような湿っぽい雰囲気があって、ゆっくり始まった曲がそれでも少し盛り上がってくるとその霧がすーっと密度を増してくるようで、これがとにかく気持ちよい。曲が終わるとそれがすっと無くなってしまう。まるで夢のよう模糊としているのだけど、例えば聴いていてねむくなる様な凡庸さはないのである。何度も聴いてしまいたくなる不思議な魅力が確かにある。

The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleではボーカルが乗る事もあったが、今回は完全にインストのみ。完全にJason一人でやっている事もあってThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleとはやっぱり違うところもあるなと思った。個人的な趣向もあってか大変気に入りました。非常にオススメ。 マニアックな音楽なんで視聴して気に入ったらどうぞぞ。

2015年9月13日日曜日

マーク・グリーニー/暗殺者グレイマン

アメリカの作家による冒険小説。
2009年に発表された。帯には小島秀雄さんの推薦文が書かれている。

CIAを解雇。今では見つけ次第射殺せよと命令が出ている凄腕の暗殺者”グレイマン”ことコート・ジェントリー。今は民間の警備会社の裏の仕事を引き受けている。自分が暗殺したナイジェリア大臣の兄で大統領がグレイマンの首を要求。大統領と蜜月関係にある企業はグレイマンの暗殺のため世界の精鋭の暗殺チームを招集し、彼を狙う。雇い主すら自分を裏切った状況でグレイマンは生き残る事が出来るのか。

だいたいハードボイルド小説、男の世界へようこそ的な小説というのは男の子のファンタジー小説でもあるんだけど、この本もご多分に漏れず、というかさらにそっちを極めた様なストーリーになっている。ただし馬鹿なと切り捨てられないくらい膨大な知識とスピーディな展開と巧みな文体によって一級のエンターテインメント作品に仕上がっている。
世界中から狙われている暗殺者グレイマン(グレイマンというのは目立たない男という意味)は金で殺しを引き受ける汚れた人間だが、悪人しか殺さない。銃器や爆発物の扱いに長け、身体能力に秀でる。常に冷静、特には冷酷で悪人を殺すのに一抹の躊躇さえ魅せない非情な男である一方、女・子供、特に罪のない人間は危険を顧みずその命を助けようとする。まさに男が憧れる男の中の男。そんな憧れが具象化した様な男が主人公。こんなのだとこんなヤツいねーとか、完璧過ぎて機械みたいで感情移入できなかったりするのだけど、このグレイマンに関してはそんな事は無いのが作者のすごいところ。まずは弱気を助け悪をくじくの精神がやっぱり人の歓心を買ってしまうところはある。それから十分に感情的である事。それから結構ドジを踏む事。さらに個人的には美女といい感じにという展開も皆無ってところも良かった。(そのかわり人質になった双子の姉妹と心を通わせる要素が入っている。)
感想を読むとチラホラグレイマン氏ちょっとドジすぎない?っていう愛のある突っ込みもあるんだけど、どんなプロフェッショナルでもきっと不測の事態はあると思うし、パニック寸前の頃路を制御して、そこからいかに立ち直るのか、というのが戦術的な描写も精緻に書き込まれていて、それこそがこの小説の魅力だと思った。
それから敵役ロイドもよい。功を焦る。自信過剰。自分をひとかどの人物だと思っている。下衆。まさに小物役満という感じで読者を苛立たせる事請け合いである。(この手の話は敵役が嫌なヤツかつ魅力があると物語がぐっと豊かになると思う。)
後は道中文字通りぼろぼろになっていくグレイマンだが、その負傷の様子が生々しく痛々しい。文字なのにむむむと思わず顔を背けたくなる様な描写が結構あった。筆者は勉強家であるし、描写も全体的に視覚的に優れているなかなか上手い人だと思う。
男の憧れを一気に引き受けた暗殺者グレイマンはなにより自分の信念を曲げないところがその魅力。彼が最後まで立っているのか、そんなの答えは決まっているのだがそれでもページをめくるのが止められない。そんな小説であった。
銃火機好きな人は是非どうぞ。

八十八ヶ所巡礼/攻撃的国民的音楽

日本は東京のプログレッシブ/サイケデリックロックバンドの5thアルバム。
2014年の8月8日にPsychedelic Progressive Revolutionからリリースされた。
ギター、ベースボーカル、ドラムからなる3人組のロックバンドで2006年に結成。結成9年でアルバムは6枚発表しているが、どうもあまりメディアには露出しないバンドのようだ。タトゥーだらけに女装?したベース、サングラスイケメンギター、ヤクザめいたドラムとキャラはすごい立っているのに面白いスタンス。
私は彼らの1st「八+八」と3rd「○△□」を持っている。
youtubeで「攻撃的国民的音楽」のPVを見たらなんだか癖になってしまって、その曲が入っているこのアルバムを買った次第。(最新アルバムを買うかどうか迷ったのだが。)

のっけから1曲目「赤い衝動-R.I.P-」の歌謡曲めいたメロディアスさに驚く。ただメロディの後ろではギターが唸り、ベースが蠢めく、ドラムはやたらと力強いシンバルのクラッシュを響かせまくっている。戸惑っていると曲の後半3分30秒あたりから曲の印象ががらっと変わり、そこからまた戻って一気に後半になだれ込む。
要するに相当変わったバンドだが、所謂馬鹿テクに彩られた大変技巧的なバンドだという事が分かる。ギターは特に単音がほぼ全編ソロですか?という勢いでキテレツなリフを弾きまくる。ハーモニクスだろうがタッピングだろうが、高速だったりあともうなんか分からないテクニックが次々に出てくる。高音で弾きまくるのだが、耳にいたくないのも私にはとても良いところ。ベースは歌いながらこんなの弾けるの?ってくらいにぐるぐるぐるぐる動き回っている。こちらも運指が激しく、低音のなかでも高低落ち着き無い事この得ない。ドラムは乾いたテンションの高いセッティングをぶっ叩く様な力強さでもって展開の目まぐるしい楽曲の土台を支える。ボーカルは少年めいた甘さのあるものだが、歌詞もあってか舌鋒冴えまくる印象。仏教テイストを感じさせる歌詞は太平の眠りを覚ます様な攻撃的なアジテーションめいていて音楽性に合っている。つまりふざけているようで攻撃的な姿勢が垣間見える。
相当レベルの高い演奏をしているのだろうが、頭というよりは先に体が反応する様な直感的な音楽をやろうとしているのか凝ってはいても敷居は低くて私の様な門外漢でも十二分に楽しめる。捻くれたポップさがあってそれで濃すぎる技巧を上手く曲にまとめている。勿論普通のロックの範疇からは色々はみ出しているのだが、そのはみ出し具合が抜群に面白いのだ。悟りと煩悩の間で踊りまくる様な、そんな音楽性だ。

「八+八」収録の「仏滅トリシュナー」という曲はキラーチューンなんだけど、今聴くと特にボーカルがまだか固い印象。それに比べると曲の作り込みも勿論劇場度が格段にあがっているなあと感心した次第。とても面白い。普段あまり聴かないジャンルなんだけど持ち前のポップセンスで持ってすっと聴けた。全8曲であっという間に聴ける。オススメ。


2015年9月12日土曜日

岡本綺堂/時代推理傑作集 蜘蛛の夢

明治から昭和にかけて活躍した岡本綺堂の短編集。
光文社から出ている岡本綺堂作品集の1冊でタイトル通り、彼が書いたもののなから時代推理小説をピックアップしたもの。「時代」といっているのはそれぞれの物語で取り扱っている年代に幅があるため。江戸時代もあれば、明治の日露戦争中の話もある。
私が岡本綺堂にであったのはもうどの小説かは覚えていないのだが、結構好きで読んでいる。私は時代小説はそんなに読まないのだが綺堂の「半七捕物帳」シリーズは多分一番好きな時代小説シリーズで同じく光文社から出ている全集6巻を順繰り読んでいくのは本当に楽しい読書体験のひとつだった。光文社から出ている作品集も多分ほぼ読んでいるので順当にこの本も買った次第。

御馴染み青蛙堂の主人宅に集まるイントロがあり、そこから12の不思議な物語が始まるのだ。
時代小説というと素人の私が言うのもあれなんだが、きったはったと人情と大きく二つの魅力がある(江戸時代の風俗を書くという大きな魅力はその根幹にあるとして)と思う。綺堂の話はきったはったはそんなにない。「半七捕物帳」でも派手な殺陣というのは無かったように思う。人情話では勿論あるのだけど、あざといくらいの御涙頂戴とは無縁である。もっと不思議な、さらにいえば怪異、怪談、怪奇に舵を取っている。それでは下品なくらいおどろおどろしいのかというと、ここが実に上品にかつ上手くまとまっていると思う。このバランス感覚の巧みさが魅力の一つ。さらに美文だが、例えば泉鏡花の分は八とするほど美しいが、(特に学がない私からすると)ちょっと敷居が高いのも事実。(勿論泉鏡花の小説は大好きです。)一方綺堂の方はさらさらっと読み進められる。俗っぽいのとは違って繰り返しになるが文体は美しいが、簡潔、平明に書かれていてぱっと情景が頭の中に浮かぶのだ。
一見理解不可能な不思議な事件が発生する。どうにもこれは妖怪のしわざとしか思えぬ、というのを冷静な推論とあっと驚くトリックで物理的に説明する、という近代の推理小説の手法を使っているから時代小説と行っても非常に馴染みが良い。(設定は京極夏彦さんの京極堂シリーズに少し共通項があるね。)ただガッチリ本格ミステリーとは明らかに一線を画す内容で、ともすると証拠とトリック至上主義のパズル趣味(これはこれで面白みがあるのはご存知の通り)に陥りがちでもあるこの手のジャンルで、この世の不思議、哀れさ、やるせなさ、たのしさをふっとにおわせるのが綺堂の手法で私はこれがたまらなく好きなのだ。例えばこういう真相だろう、というのははっきりするけど下手人の女の行方は杳として知れず、といった結末であったりする事もあって、なんだよわからねえのかよ!と憤慨する人もいるかもしれないが、私はそこに一抹の期待めいたものを読み取ってその余韻が大いに楽しいのである。この世は説明できない事がある、人の情も含めてというたわけたお為ごかしとは違う。もっと余韻めいた後味である。

やっぱり抜群に面白い。あっという間に読んでしまった。もっともっと読みたい。時代小説に興味のある方は是非手に取っていただきたい1冊。怪異方面が気になる方は同じ光文社から出ている短編でも良いと思いますよ。これもそうですが、どれもオススメです。

AFX/Orphaned Deejay Selek2006-2008

イングランドはコーンウォールのテクノ・モーツァルトことAphex TwinことRichard D Jamesの変名、AFXによるEP。
2015年にWarp Recordsからリリースされた。
13年ぶりに沈黙を破って「Syro」がリリースされたのがもう去年。今年に入って「Computer Controlled Acoustic Instruments pt2」というEPをリリースしたり、Soundcloudで大量の音源をアップしたりと、にわかに浮上して来た彼の新作である。といっても純粋な新作ではなくてタイトル通り2006年から2008年に作った音源をまとめた編集版的なものらしい。色んな逸話とかインタビューとか読むと常に音楽は作っていそうなので、莫大な未発表音源からコンパイルしたのだろうか。Orphanedは「孤児の〜」という意味だから、その頃AFX名義でリリースしていた音源から漏れたものという意味がありそうだ。
前も上記作品の感想で書いたが私は高校生のとき「Drukqs」を買って以来、熱心なという訳ではないが気づいたらいくつか音源を買っている程度のファン。AFX名義だと2006年にリリースされた「Chosen Lords」しかもっていないはず。

さて今作は衝撃の「Syro」とは結構趣が違う内容になっている。
元々AFX名義はアシッド色の強い音源をリリースしていた(と思うんだけど違ったら申し訳ない。)こともあって、この音源もその要素が強い。アシッド(ハウス)が何かと言われると分からないんだけど、個人的にはこういう解釈だ。つまり「びよびよ」いっている電子音だ。「ぶりぶり」成分もある。「ぶりょぶりょ」といっても言い。ちょっと前に流行ってた「ぶぶーぴょもぴょもぴょも」とはちょっと違う、きっとこっちがそっちに影響を与えているんだろう。こっちももっとこうストイックだ。
特にこの音源で言えば「びもびも」していてあとはハードでミニマルである。
まずはビートがかなりカッチリしている。コンピュータに作らせればなんでもカッチリするだろ、という意見も最もだが、それでも結構人間らしさがある電子音楽と比べると、やはり、結構カッチリしていると思う。音が硬質という事もある。曲を構成している一部の音は本当に金属を叩いて出している様なキンキンさがある。これで無骨なビートを作り上げる。ちょっとMr Gに似ているなと思った。あそこまで音の数が少なくもストイックではないのだが。でもシリアスさには似通ったところがある。無骨なくせに音の数はやたらと豊富なのはさすがリチャードさんだぜ!という感じ。(同時に色んな音が鳴っているというよりは、手を替え品を替え色んな音で一本筋が通ったビートを作り上げていく様な感じ。)
この土台に「ぶりぶり」が乗る訳だ。ベースラインが「ぶよぶよ」しているんだが、これがそのアシッドという語源もあって、ミニマルなくせにずっと聴いているとその輪郭が徐々に姿を変えていく様な(例えば不定形の細胞群が点滅しながらゆっくりとその形を変えていく様な視覚的なイメージ)印象があって聴いていると段々酩酊感が醸し出されていく。このベースラインがさすがに巧みで「ぶりぶり」が連続するものもあれば「もじょ もじょ」とぶつ切りにされていたり、それらが組み合わさったりと、組み合わせの妙という感じでストイックかつミニマルな中にも聴いている楽しみがある。

明快なメロディは皆無だし、Aphex Twinの魅力の一つである妙にねじれたファンタジックなユーモアというのは正直あまり付け入る隙がないくらい”ハード”な音源なんだが、無骨な音楽性の中にも流石がキラリと光るかっこよさがある。硬質なテクノを聴きたいぜという人は是非どうぞ。

2015年9月6日日曜日

Downfall of Gaia/Aeon Unveils the Thrones of Decay

ドイツはハンブルク、ベルリンそしてアメリカはニューヨークのメンバーが在籍するネオクラストバンドの3rdアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。
発売は去年だしネオクラストと言えばマイナー界隈では良く目にするジャンルでなんで今更という感じだが、このバンド日本のTokyo Jupiter RecordsとLongLegsLongArmsという二つのレーベルが共同でぶちあげた来る11月に開催されるその名もTJLA Festのヘッドライナーで来日する事が決まっており、慌てふためいて買って来たのが私なのである。完全に後追いも良いところで恐縮です。

さてこのバンドは2008年に結成されてメンバーチェンジがありつつも現在は四人体制でやっているという事。「アイオーンが腐敗の王を暴く」と中々物々しいタイトルでもってどちらかというとデスメタル感さえ漂う。
いざ再生ボタンを押すと結構驚いた。ネオクラストというと私はほとんど素人であるからどうしても最近聴いたKhmerだったり、同郷のAlpinistだったりをなんとなく頭に浮かべていた訳なのだが、それれのバンドとは共通点はありつつも相違点がデカく、そこに圧倒されたのであった。まず曲の尺が極めて長い。インタールード的な曲をのぞけばだいたい8分から11分くらい。ハードコアでこれだけの長さとなると真っ先に曲の速度を著しく落としたスラッジが頭に浮かぶし、(Metallumでもアトモスフェリックスラッジと称されている)なるほど速度を落としたスラッジパートも盛り込んでいる。ただアトモスフェリックという形容詞があるように汚いズルズルとしたスラッジ感というよりはポストロック、ポストハードコアを通過した轟音の中にも寂寥とした荘厳な美しさを感じさせる、そっちの方の要素が強い。そしてそのスラッジパートもあくまでもパートとしてなので全編低速で無声な訳ではない。要するに曲がドラマチックなのだ。展開が複雑という意味である。前述の通りポストハードコア感が強いのだが、しょっちゅう出てくる荒々しさは確かにクラストのもの。激情という言葉が上手く彼らのイメージを補完する訳なのだが、私はその荒々しさの先頭に立つ様なボーカルの恐ろしさにビックリしてしまったのである。掠れまくったそれはブラックメタル感を感じさせつつもそこにとどまらない異様な存在感を放っている訳で、一言で言うならおっかないな、という感じでただただ圧倒されたのだった。
ところがむむむという感じでイマイチ掴みきれなかったこの音源も、2回3回と聴いていくとその本当の姿がやっと見えて来た。それは徹底的に荒廃しつつもどこかしら幻想的な雰囲気のある音風景である。まったく制約があってのアートワークは今や中の音楽と完全に一体となっている様な気がするのだが、印象的なジャケットは良くこのバンドの音楽を表現している。暗くて荒涼としているがどこかしら詩情のある風景だ。何と行ってもこのバンドは演奏が劇的。ドラマチックという言葉がぴったり。同じネオクラストでもLight Bearer方面。(ネオクラストとか全然知らない頃に「Lapsus」を買った。)あくまでもバンドサウンドの形でしかも暗くて重い方に完全に舵を切っているのによくもここまで豊かな曲を作れるものだと思う。それこそポスト感の漂う停滞した様なスラッジパート。クリーンな余韻がたまらないアルペジオ。一点ブラックメタルそこのけのトレモロの嵐感。静と動はやはりこの手のジャンルのお家芸だが、クラストバンドがそのフォーマットでポスト感を完全に飲み込んでしまうとは結構な驚きである。(ポスト感横溢しているもののあくまでもクラストフォーマットに則っている様な。)個人的にはドラムが回すように勇壮なマーチっぽいリズムを刻んで2本のギターが切ないトレモロを奏でる2曲目の最終部分は白眉。

良い意味で予想と違った内容で驚いた作品。とにかく荒々しく劇的。来日するわけだしこの機会にまだの人は是非どうぞ。オススメです。

2015年9月5日土曜日

Myrkur/M

デンマークはコペンハーゲンの女性一人ブラックメタルの1stアルバム。
2015年にRelapse Recordsからリリースされた。
バンド名「Myrkur」はアイスランド語で「闇」とのこと。2014年にデビュー。ワンマンブラックはこの界隈ではそこまで目を引くものではないのだろうが、女性となるとやはり事情は別で当時はそれなりに話題になったのだと思う。私は何となく今までのリリースはスルーしてしまっていたが、シングルカットされた楽曲が良かったのでアルバムを購入した次第である。
Amalie Bruunという女性が一人でやっているバンドなんだが、調べてみるとこのバンド(プロジェクト?)の前(ひょっとしたら同時進行かもだけど)は本名でアメリカで音楽活動をやっていたみたいでその頃の楽曲というのは結構ゆったりとしたポップい音楽であっておおお??と中々のギャップがあって面白い。元々ブラックメタルがやりたかったのかな?まあそこら辺は分からない。

1曲目は彼女の面白い音楽性を結構分かりやすく表現していると思う。クワイアというよりは民族音楽っぽいアカペラにリバーブをかけたものから、どんどん響く太鼓が印象的なこれもバイキングっぽい弦楽を取り入れたイントロ、一点イーヴィルな叫びが入ってギターが楽曲を導いていくオペラっぽいクワイアが入って盛り上げて、不穏なドローンで締め。いわばイントロ何だけど私こういうものです、っていう名刺っぽさがある。先達に敬意を払いつつも結構色々な要素を取り入れたブラックメタルという訳で、良く言えば新しいブラックメタルの形を提示しているし、悪く言えばいいとこ取りでちょっとまとまりが無い。
ブラックメタルのもつ陰惨なパートを土台に結構豊かな音色を取り入れるのが特徴でもって、分かりやすく言えば黎明期のメタルコアみたいにごりごり、メロディアスなサビみたいな。2曲とかは露骨にそんな感じ。ただわかりやすいサビだといかにもすぎるのでそこはペイガンっぽい民族間をやや神秘的なベールに包んだ様に押し出してくる。結構正直あざといな〜と思わせるくらいなんだけど、中々堂に入っていてまあこれはこれでと思わせる力量は持っている。色々取り込みつつも方向性を灰色に舵を切ったのは個人的には好印象で、女性らしさも活きてくるのではと。となるとつぎはぎ感はちょっと気になるところ。7曲目のスラッシーなイントロとかはちょっとむむ?という感じ。速さ(あるいは遅さ)と重さで勝負すると中々厳しいところがあるのかなと。4曲目の独唱っぽいインタールードとか6曲目のピアノとかは良いと思う。あとはコーラスワーク。なのでブラックメタル感は保ちつつそちら方面もうちょっと民族感、フワフワ感のあるフォークっぽさに舵を切りきっても良いのではと思う。個人的にはトレモロがメロい9曲目はわかりやすくポップなんだけどいっそこのくらいの方が好きです。

ちょっと意地悪な書き方をしてしまったかもですが、要素要素きらりと光るところがあると思うので、その面白い音楽経験を生かして次作以降に期待という感じでここは一つ。コマーシャルな存在と切り捨てる前に視聴してみるのはいかがでしょうか。

ガブリエル・ガルシア=マルケス/族長の秋

ノーベル文学賞も獲得したコロンビアの作家による小説。
1975年に発表された。
この間のボルヘス「砂の本」に続きラテンアメリカ文学。別に意識していた訳ではないのだが、Amazonで購入。著者の本は学生のとき「エレンディラ」、社会人になってから「予告された殺人の記録」を読んだ事がある。特に後者はとても面白かった。

恐らく南米の架空のある国。そこでは年齢200歳以上と言われる大統領が100年以上も絶大な権力を握り、気まぐれに悪政を敷いていた。ある日市民は大統領府で死んだ彼を発見し、その独裁時代に思いを馳せる。

「予告された殺人の記録」が念頭にあったものでまずこの本の文体に驚いた。登場人物の思考の流れをそのまま文字にした様な独特の分は、段落が皆無で、読点が少なく一文が非常に長い。ときに主語と述語が齟齬を期待してきちんとした文体を保ちきれていなかったりもする。場面が時空を超えてころころと展開する。語り手が入れ替わり、まるで沢山の人物がしゃべっている言葉をそのまま無理矢理つなぎ合わせた様な印象である。だから非常に読みにくい。戸惑う。いま何を言っているんだっけ?となるのだが、これが物語の根幹でもある。
さてそんな読みにくい文体をどうにか功にか読んでいて思ったのはこれは寓話なのかということだ。言うまでもなく独裁体制を書いた小説だが、辛辣な風刺小説(勿論ではあるのだろうが)というと大分趣が異なるように思う。ひとつはどうにも弛緩した雰囲気が全体を覆っている。じゃあぼんやりとしているのかというと全然そんな事はない。強烈な太陽と湿気で蒸された大地で血や肉がはぜる様な生命力と生々しさに満ち満ちている。そんな土地での大統領は残虐の限りを尽くしていく。例を挙げよう。国営の宝くじで多額の金を集める。当選は子供が袋の中から文字の入った玉を拾い上げる、という公正なもののはずが大統領は一計を案じ、いかさまをしてのける。いわば国民を騙してその金を巻き上げる。とすると秘密を知る子供たちが危険だというので、親から引き離して国中をたらい回しにした挙げ句、最後は処遇に困って二千人の子供を乗せた船を爆破し皆殺しにしてしまう。関わった将校を特進させた後、それを剥奪しこれも殺害させてしまう。もう一つ群衆に見知った顔があるとしてとらえる。顔を知っている様な気がするがはっきり誰と思い出せないので拷問するが、男は大統領にあった事が無いただの市民だった。しかしその後22年も投獄した上に最後は殺してしまう。鬼の所行であるが、この限りではなく大統領は残虐非道の限りを尽くす。大悪人であるが、頭が良い訳でもなにかの目的がある訳ではない。つねにのらりくらりとしていて真意が掴めない。そのうち真意なんか無くてただ気ままに行動しているだけだと読者はすぐに知るようになる。思いつきで人を不幸にする大統領の姿は無邪気でそれゆえグロテスクでもある。熱い太陽を持つ南米の土地はこういった生々しい血なまぐささは良く合っているのかもしれない。
そんな独特な雰囲気と異常に長生きする大統領、どこかしら現実感が無いおとぎ話感を持ってして、寓話っぽいなと思う訳である。思うにこの大統領は長生きというよりは不死だったのではあるまいか。きっと絶大な権力を持った瞬間に娼婦の母親を持つ貧しい父無し子から超越者になったのだろう。きっと彼は永遠に生きられるはずだった。寛大な南米の土地は彼の残虐さも受け入れたのだろうが、それも遂に命運つきてしまった。かつての彼は民衆の一人一人の名前を空で回答できたらしいが、今は誰を見てもその違いが分からなくなってしまった。悪政は彼を次第に孤独にし、騙していた国民に欺かれるようになる。彼は老いて弱ったのではなく、孤独が彼を老いさせたように感じた。誰からも顧みられず、途中までは殺したくらい憎まれていたのに最早忘れ去られつつある中で権力とともに不思議な力が失われていき、最後は遂に死神に捕われた。人から忘れられるのは死ぬより辛いのかもしれない。権力の厚い膜は彼を人から強烈に隔てた。広すぎる世界で否応無しに増えていく人の中で、孤独はその強さをいや増した。例えば山中に一人なら孤独は気にならないのかもしれぬ。何なら山を下れば良い。だが彼にはそれが出来なかった。変な話悪人をやめる事も出来たはずなのに、遂に権力という宝玉を手放す事が出来なかった。自分が騙されている事を最早確信していたのにだ。この本を読んで彼のようになりたいという思う人はいるだろうか。

決して読みやすい本ではないので簡単にオススメは出来ないのだが、圧倒的な孤独感を味わいたい人はどうぞ。