2017年8月28日月曜日

FULL OF HELL/THE BODY/FRIENDSHIP Japan Tour 2017@新代田Fever


まずはこの動画を見てほしい。

演奏しているのはアメリカ合衆国のFull of Hellというバンドである。ハードコアの極北パワーバイオレンスにノイズを混ぜ込んだ激烈な音楽をやっている。そんなFull of Hellが新作「Trumpeting Ecstasy」のリリースに合わせて来日するという。それなら問答無用で行くしかない。Full of Hellは日本のノイズ神Merzbowとコラボレーションを行なったことがあり2014年にも来日経験があるのだが私はいっていないため今回見るのが初めてである。Full of Hellともコラボレーション作品をリリースしている(今年もさらに1作品リリース予定)厭世ノイズ・スラッジデュオThe Bodyも帯同するのだからさらに嬉しい限りである。
典型的なオタクなので弱い言葉がいくつかある。その一つが「限定版」だ。今回FoHの新作の限定版LPがあるというので勇んでいったのだが残念ながら売り切れ。開演前にT-シャツとピンズとパッチを購入。ボーカルの方が物販にいらっしゃいましたよ。とてもにこやかでした。

Friendship
一番手は日本から若い身空で刺青びっしり親不孝アウトローたちによる重低音ハードコア。今回の来日ツアーに帯同している。彼らが今年リリースした待望の1st「Haetred」も形式は異なるもののノイズを意識した強烈なハードコアをやっており、いわば一つの潮流としてのハードコア+ノイズに対する日本の回答なのであります。
いろんなイベントで目にする彼ら。いつもとにかくセットは少ないが音のデカさとタフに持続する正確性で強烈な個性を放つドラムに目が釘付けになってしまうので、今日はそこ以外をしっかり注目という気持ち。セルフブランディングもあってかとにかく強面、タフなバンドというイメージが強い(実際タフです)が轟音に負けないようによくよく聞いて見ると曲がよく練られていることに気がつく。ドラムに目が行きがちだが、ベースとギターは非常にうまくでかい音で空間と時間を区切っている。とにかくミュートの使い方がうまく、体を揺らせるでかいビートをバンドアンサンブル全体で生み出している。ただ速い、ただ遅いではなくきちんとつんのめるようなハードコアのリズムをものにしている。
そしてまさに豪腕という感じで、膂力でテンポをぶった切るように変えて行く。「ぎゅドン!」という感じで乗せたスピード一瞬で殺してくる。これにはやはり積み上げたアンプによる非常にボリュームの大きい音が効果的だと思う。
ボーカルはフロアに降りてきて暴れる。単にステージとその下で映える、というだけでなく放っておいたら何をするかわからない、2秒後にはこっちに体を低くして突っ込んでくるのでは(実際突っ込みます)という危機感もあって目が離せない。非常に華のあるボーカルだと思う。暴れすぎてマイクが物理的に断線。MC一切なし、客に拍手する隙すら与えない孤高のステージングだった。

Endzweck
続いては1999年から活動を続ける日本のハードコアバンド、Endzweck。ライブを見るのは初めてで実はこの日とても楽しみだった。ドラムの方はとにかくいろいろな国内外のハードコアのライブに関わっているようで、お名前を見ることがとても多い。ボーカルの方はバンドと並行してきちんと社会人やれるよ!という記事がついこの間話題になった。私も読ませていただいたが非常に面白く、また社会人として感銘を受けた。なんでもやろうと思えばできるのだ。
Friendshipから一点ライトをつけた明るいステージで丁寧なMCも間に挟んで行く。演奏するのは紛れもないハードコアで明確に良い意味で流行とははっきり距離を置いた堅実なもの。基本的に速度は早めでテンポチェンジも派手には行わない。速度を落として暴れさせるようなある種の”わかりやすさ”もなし。ひたすら突っ走る。途中でマイクから音が出ないトラブルもあったが、むしろ後ろで鳴っている演奏が聴けて私的には良かった。(その後すぐにマイクは復帰した。)終始叫んでいるボーカルと対をなすように演奏はとても饒舌。日本あるギターは両方とも勢いがあるが、表現力がとても豊かで厚みのあるリフに絡みつくような中音〜高音がよく出たトレモロや単音がとにかくかっこいい。じんわりと体の奥に火をつけるような”熱さ”を感じるのは曲に感情豊かに奏でられるメロディがあるからだろうか。
ボーカルの方のバンドから一歩出たインタビューも、明るいステージングも、背中を押すような曲も、動き回るメンバーも、全てが赤裸々だ。Friendshipはベールをうまく使うバンドだが(中身がないというわけでは断じてない)、Endzweckは包み隠さずに胸を開いて感情を出して行く。とてもかっこよかった。この日むしろ異質な音楽性だけど、それゆえひときわまっすぐ輝いていた。もう途中で絶対音源買って帰ろうと思った。(実際買って帰りました。)

Endon
続いてはやはり日本からハードコアとノイズをミックスして強烈に放射しているバンド、Endon。ただしこのバンドに関しては出自がノイズではっきりとしたバンドサウンドが前に出てきたのはConvergeのKurt Ballouとがっちり手を組んだ最新作「Through the Mirror」からではなかろうか。
1曲めてっきりとニューアルバムの冒頭を飾る「Nerve Rain」かと思ったら違う。とにかく音の分離が良くて、ノイズもきっちりギターと別れて(このバンドギターは重低音で潰すのではなく、ジャキジャキした艶のあるサウンドにしていることもある)綺麗に聞こえる。とてもバンドっぽいぞ、と驚く。そういえば昨今のライブのお供である強烈な白い光を放つプロジェクターがない。なになにバンドサウンドで勝負かと思いきや、曲が進むについれてノイズ成分を強めてくる。「Your Ghost is Dead」で速くノイジーな真骨頂はその頂点を迎え、そこから一点強烈に速度を落としたスラッジノイズ地獄へ。いろいろな楽曲を連続性を持って変遷して行く様はまさにノイズそのもので、このバンドの出自を意識させる。変幻自在だがどれも強烈にEndonであるのは、このバンドの本質が曲の型にあるわけではない、ということを露骨に証明していると思う。ボーカルの方は相変わらずひたすら感情的に叫んでいる。Endonは言葉に頼らないバンドなので(抽象的であるということにこだわりがあるのではと思うが)、きっとどこの国に行っても通じるだろうなと思う。もやの中を異世界の巨獣がが悠然と歩いているような様から、ノイズはそのままにギターが物悲しいアルペジオを奏でるアルバム終盤の流れに。ここで一回放棄した理性がまた違う形で戻ってくる。落差もあって非常にドラスティック(劇的)でドラマチックだ。ビリビリ震える空気の中で、感動で身も震えた。

The Body
続いてはアメリカからの刺客、The BodyがまずはFull of Hellのつゆ払いをば。The Bodyといえば底意地の悪い、とにかく厭世感に満ちたノイズスラッジが印象的だがこの日はなんとドラムもギターもなし。メンバーの二人がそれぞれノイズ機材にがっつり向き合う特別編成のライブ。普段ならギター/ボーカルのChip Kingもインパクトがあるが、頭をがっつり剃って(長髪のイメージだったものでびっくり)EmperorのロンTに身を包んだドラム担当のLee Bufordもヒゲのせいか陰気なフィリップ・アンセルモ的な危ない空気を放射していた。怖い!
おそらくその場でアナログ音源をいじって音を出しているのだと思うが、ぶちぶちいうノイズを垂れ流す。概ねビートが入っているため思った以上に聴きやすい。しかし重たいそれはダブやテクノという観念からあまりに距離がある陰鬱さ。シンプルかつミニマルなビートにゴロゴロ唸る重低音ノイズが乗る。その上にグリッチめいたノイズが飛び回る。音はでかいし、一部はドローン的に垂れ流されるのだが、音の種類と数は極限まで削られていて、きっちりとエレクトロ方面としての質が担保されている。不穏な人の声のサンプリングも非常に効果的でこれはめちゃかっこいいし、Chip Kingの巨体とは似つかわしくない高いボーカルもバッチリ頻度高めに登場するし、これは確かにThe Body。Endonもそうだが、バンドの本質がどこにあるのか、というのがはっきりしていると多少形を変えても全く軽薄な感じがしない。結構即興的な部分もあったのか、二人のメンバーの間に緊張感があり、それがビリビリ中間で帯電しているような不穏さを生んでいた。

Full of Hell
そしていよいよFull of Hell。ああついにこの日が来たのかとすでに感動と期待でステージを見上げる視線にも熱がこもる。
ボーカルのDylanが卓に据えられた機材のつまみをいじるとヒュンヒュンノイズが飛び回る。彼がマイクを握ってからほんの数秒、そこにマジで本当にわたし的には一番期待感のこもった至福の時があったと思う。まるで爆発したかのような推進力。止まらないブラスト、ギターとベースはかなり運指の激しい複雑なリフを奏でる。そしてそこに乗るボーカル。這いずり回るような低音から耳をつんざくような高音まで、バックの演奏御構い無しに寸断なく移行する。吠えまくる。まるでツインボーカルのように隙間がない。この人は高音と低音をまるで同時に出すように、高音から一転嘔吐するようなえげつない低音に連続性を持って変遷して吐き出してくる。Endonと違ってなんとなく言葉っぽいなとわかるのだが、あまりに早くて、そして異形すぎてこの人にしかわからない言葉を喋っている異星からやって来た人みたいだ。私たちと生きている速度が違うんじゃないのというズレ感。上背のあるからだを独特のやり方で(冒頭の動画を参照ください)動かしまくる。やばい。情報量が多すぎて全く脳が追いつかない。全て別々にすごいスピードで、止まったり爆速で動いたりを繰り返しているように思う。この日どのバンドも非常に極端なハードコアを演奏したが、明らかにFull of Hellが一番振り幅がでかい。Full of Hellはハードコアというよりはやはりパワーバイオレンスだ。それも今風の爆速と低速の間を全力でシャトルランするタイプの。パワーバイオレンスはその極端さからどうしても感情が研ぎ澄まされたピュアになってしまうのだけど、Full of Hellの場合はボーカルの多彩さとそれから何よりノイズに良い意味で”雑念”というか”逆巻く感情”を込めているので、さらに情報量が多く、そしてそれがバンドサウンドのニトロのように作用している。
途中ソロめいたパートもあったがドラムがブラストしまくりで、相当ややこしいことをできているのはこの人の豪腕があってこそなのかもしれない。ごまかしのきかない凄み。この時間が終わらないでくれーと思いつつ轟音に身をまかせる気持ちの良さ。私の言いたくて言えなかったことを全部言ってくれるような、心中の感情が体の外に出ていくような快感。

念願のFull of Hellはもちろん期待のはるか上方をいく凄まじさだったし、意表を突かれたThe Bodyもむしろすげーもん見れたという感じ。一方で相対する日本勢もどのバンドも一歩も引かない堂々たる演奏で本当出てくるバンドがどれもかっこよかった。ハードコア+ノイズでもこんなに多様なバンドがいて一堂に会してそれぞれ異なる音を鳴らすってすごい。主催の方々には本当ありがとうございますという気持ち。
終演後Chip KingからT-シャツを買ったらとっても丁寧で、フィットさせてもらうと「Good!」と言って指を立てて微笑んでくれたのだけど、(Full of Hellもそうだけど)この柔和な笑顔の背後にとてつもない厭世感と断崖絶壁のような感情が渦巻いているのかと思うとなんだかゾクゾクしますね!!長生きして地獄のような音楽を作り続けて欲しいです。
最後にFull of HellのDylan(開演前も終演後も物販にいてニコニコ対応してくれました)に「日本に来てくれてありがとう」と伝えることができて(伝わったか怪しいんだけど)とてもよかった。すごく距離がある極東の異国にはるばるこうやって来てくれるのは本当嬉しいです。
というわけで非常に良いライブでした。寝るとこの感動を忘れそうなのでとにかく今日のうちに書きたかった。
Full of Hellはもう一つ公演が公式にアナウンスされたので行ける人は是非!!!!

2017年8月27日日曜日

大岡昇平/野火

日本の作家の長編小説。
「野火」といえば2015年に塚本晋也さんがメガホンを取った映画が記憶に新しい。(ちなみにそれより以前に市川崑さん監督でも映画化されている。)私はこの映画は見ていない。終戦の8月ということを強く意識したわけではないが、なんとなく買ってみた。

太平洋戦争最中、田村は一等兵としてフィリピンはレイテ島の戦線に派兵されるが、結核の症状により事実上戦線から脱落。病院では食料の乏しい患者は受け入れていないこともあり、アメリカ軍の攻撃に合わせて発生した混乱をきっかけに田村はフィリピンの野を彷徨う。そこで田村はフィリピンの美しい自然と仲間の死体を目にし、そして常に飢えに悩まされる。彷徨する田村はやはり離散した日本兵たちと合流、彼らは別の戦地で人肉を喰って永らえたという。田村たちは退却に備えて日本軍が集合しているというレイテ島北部パロンポンを目指す。相変わらず食料は不足している。

私も読む前からなんとなく知っているが大岡昇平さんの「野火」は悲惨な戦争を描いているのが一つ、それから大体の(先進した)文化に属する人間に取ってのタブーである人肉食について書いているのが一つだ。好んで人肉を食べる人もいないから、そうさせる状況つまり戦争の悲惨さを書いている小説で、戦争だから仕方がないという許しの中に”人肉食”が果たして含まれるのか、という結構凄惨なテーマも入っているのではと思う。
銃弾飛び交う鉄火場の派手さというのはこの小説ではなく、日本兵は強大なアメリカ国にいいように蹴散らされている。戦線は散り散りで戦局は分散されており、散発的に敗残兵に対して主に迫撃砲を主体とした攻撃がなされるといった体である。この物語はとにかく人間の体にフォーカスしており、そこに戦争の悲惨さの秘密がある。派手などんぱちはなく、壊されるべく存在する戦場の絆といったものもなく、ただただ人体が不潔に汚され、清潔にされないまま損壊し、命を失って腐っていく。だから常に戦いの後の死体の描写がされる。多くはおり重なり、南国の熱気に当てられ醜く膨らんでいる。生命溢れる、ということは死体もむしろ自然の産物のはずだが、楽園のようなレイテ島で日本兵の死体はなぜか汚らしく、妙に不自然に見える。それが戦争という不合理を表現しているようにも思う。確かティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」だったか、兵士というのは不思議なもので通常の生活では全く信用できないようなやつでも戦場では命を預ける、みたいな書き方があってそれが印象に残っている。この物語でも田村は兵士たちと独特の関係を築くのだが、それも大抵は油断ならなくて簡単に壊れてしまう。極限状態なのでエゴがむき出しになり、塩を持っているという利点でのみ仲間とみなされる、お互いに信用できない共生関係、そして同士討ちと碌でもない。私は優しいふりをするのが優しい人だと思うので、こういうのを読んで人の本質は悪だとか言いだす人に対しては「何いってんいるんだろう」となってしまう。ここにあるのは本質だが、それは半分であって普段隠されているといってもそれこそが真実というわけではない。いわば建前を剥ぎ取った原始の状態に戻らざるを得ないのが極限状態であって、それはやはり戦争はよろしくないということになる。
兵士といえば鉄の掟で縛られた集団というイメージだが、とにかく日本軍はすでにバラバラで兵士たちが単独で動いている。だからこの小説ではアメリカでは決して描かれることはなかっただろう。田村はフラフラのていでレイテ島を彷徨う。一人で、そして仲間たちと。どこにいても彼は全くその場に馴染めていない。このどこにも属する場所がない、というのが戦争小説では非常に特異だし、同時に戦争の範疇を超えた趣をこの物語に追加しているように思う。田村の意識は拡大し、神との対話も始まるが、やはり独りよがりで救いがない。一体地の果てまでいって、そして命からがら帰ってきてそれでもやっぱり居場所がない。それは一体戦争とそこでの経験が田村を変えてしまったのだろうか。物語の後半、最後の部分に関してはどうしても私的には解釈が難しい。戦争が与えた傷とそこにタブーが関わっているわけで、結果発狂というのもわからなくはないがどうしても正直なところ少し安直に思えてしまう気もするが。途中で出てくる半分錯乱した男が「帰りたい」「俺が死んだら食べていいよ」というところの方が私的にはグッときた。ああ、戦争は嫌だと思った。

戦争に対しては私は色々思うことがあって結果ちょっとわからなくなっている。この本を読んでもやっぱりわからないな〜と思うけど、やはり戦争は嫌だ。戦争というよりは日本兵、望まないで戦場に取られた全ての兵士の気持ちがこの本を読めば少しはわかるかもしれない。楽しくはないが、良い小説だ。こういう本をたくさん読むのはいいことだと信じている。

Arms Race/New Wave of British Hardcore LP

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国はロンドンのハードコアバンドの1stアルバム。
2016年にLa Vida Es Un Musからリリースされた。
どうもあまりネットに情報のないバンドのようで2013年にはデモ音源を出しているから結成はそれ以前。現在は専任ボーカルにギタリストが二人の5人体制で活動しているようだ。私は全く知らなかったのだが来日するというので音源を買って見た次第。

「New Wave of British Hardcore」というタイトルが面白い。明らかに「NWOBHM」つまり「New Wave of British Heavy Metal」をもじっている。元ネタはニュー・ウェーブといっても1970年代のムーブメントなので、それから40年経って今度はハードコアの番だ!ということだろうか。
音の方はというと明らかにオールドスクール・ハードコアだ。最近はやりのモッシュパートを後列に意識したハードコアとも、ノイズなどの夾雑物を一切含まない混じりっけなしのハードコアだ。速度は速いがパワーバイオレンスとは明らかに違うどっしりと構えたハードコア。全身が固い筋肉で覆われたしなやかで攻撃的なそれである。ちなみにバンド名は「銃器競争」ではなく「軍事拡張競争」という意味だそうだ。
カチカチに固めたスネアの音が気持ち良いドラムが気持ちが良い。いわゆるDビートとは異なってよく動くベースと相まってより開放感がある土台を作っている。ギターに関してもざらついたほどよい厚みのある音で、クラスト勢に比べると圧倒的にグルーヴィでミュートをあまり使わない弾き方もあってとにかく前に前に出る。ただ早く突っ走るのではなく、曲に展開をつけているのでそこで緩急が生まれる。ギターソロは皆無でほぼほぼハードコアのビート感の詰まった疾走感で空間を埋めていく。店舗のチェンジとリフの転換がカッツリ合わさって非常に気持ちが良い。
どうもボーカリストの方は2000年代後半から2012年頃の英国のハードコアについて不満があるらしく(曰くうつ病の時期)、それに対する生きの良いハードコアという意味でNew Wave of British Hardcoreというムーブメントを盛り上げ、そして初のフル音源の冠にその言葉を選んだようだ。なるほどリバイバルの雰囲気はありつつも、ハードコアの真髄である生きている、気力のある、そして聴く人を奮い立たせる音楽を演奏している。ピットが盛り上がれば良いとはやはりボーカリストの言で、わかりやすく踊れる(=暴れる)パートがあるわけではないが、やはり体が動いてしまうあのつんのめるようなハードコアのビートにあふれている。

音源を購入してから知ったのだが、ライブ写真を見ると非常にいかつい。音源よかったらライブ行こうかな、とか思っていたが私のような者が入ったら死ぬのでは、と身の危険を感じるレベル。非常にタフだ。怖いものみたいさでちょっと興味があるな、ライブ。
非常にタフなハードコア。この時代生き残るには力強さが必要だと思う人は是非どうぞ。夢見る隙がないほど肉体的な音楽。とてもかっこいいです。

2017年8月20日日曜日

ロジャー・ホッブズ/ゴーストマン 時限紙幣

アメリカの作家による犯罪小説。
大学在学中にこの物語を書き上げ、卒業の日にエージェントに送付。デビューが決まり2013年に出版されるや名だたるミステリーに送られる文学賞を受賞。映画化も決定したという作品。私はtwitterでオススメされていたので購入して見た。

私の名前はゴーストマン。プロの銀行強盗で自分を含めて姿を消すのが仕事。変装のプロで様々な年齢の”誰か”に変身することができる。恋人がいなければ友達もいない。家族もいない。一つのところに留まらない。孤独でいることがプロの鉄則だからだ。よほどの強盗仕事でなければ引き受けない。そもそも普通の人は自分に連絡を取ることすら不可能だ。普段は古典の翻訳をやっている。そんな私に世界屈指のジャグマーカー(強盗仕掛け人)から仕事の依頼がくる。彼の仕事に問題が発生し、カジノから強奪した金を回収しろという。その金には時限爆弾がついており、時が来れば爆発しあっという間に当局に取り囲まれてしまう。通常なら受けない仕事だが、ジャグマーカーであるマーカスには大きい借りがあった。私、ゴーストマンはニュージャージー州に飛んだ。

銀行強盗は割りに合わない。だいたいの人がそう思っているだろうし、実際そうだろうと思う。とにかく警備が厳重であり、何かあればすぐに警察が押し寄せる。いわばそんな難攻不落な不可能に挑む犯罪者の話が今作。行き当たりばったりの低所得者、ジャンキーたちの犯罪とは違う、ゴーストマンを始め、ジャグマーカー(立案者)、ホイールマン(逃し屋、車の運転係)、ボックスマン(金庫をこじ開ける鍵師)、ボタンマン(力仕事担当)などその道のプロたちが綿密な計画を立て、強奪を実行する。性格上スピードが絶対的に求められるため、そのやり口は芸術的である。(フィクションならね)だから危なくもスタイリッシュという雰囲気があるわけで、そういう意味で非常に人を惹きつける小説である。ゴーストマンはその名の通り人々の記憶に残らない幽霊男。彼が一人で失敗しつつあるカジノ強奪計画を解決に導く。出てくるのは犯罪者たちばかりで金を巡って荒事の連続、銃も打たれれば人は死に、麻薬が出てくる。非常に派手な物語である。主人公が目立たないが実は凄腕というのは「暗殺者グレイマン」に似ている。あちらはスパイだったから、物語は壮大だったが、こちらはあくまでも強盗なのでスケールとしては街レベルだがそのぶん身近に感じられて良い。美女が出てくるわけでもなく、誰も信用しないゴーストまんが孤独に戦っていく。こいつは顔のない男なのだが、ところどころ個性と弱点が露出しており、そこが面白い。マーカスに借りを作るきっかけになった彼の過去の失敗についても同時進行で語れるわけでそういった意味では、ただただ無敵の男の活躍を指をくわえて見るというのではなくそこが良い。作者のホッブズはドナルド・E・ウェストレイクを敬愛していて彼の書いた「悪党パーカー」シリーズ(メル・ギブソン主演で映画化された「ペイバック」が有名か)の主人公、冷徹でタフな男パーカーをゴーストマンの手本としたとか。なるほど納得できる人物造形である。パーカーは女を必要とするが、ゴーストマンはもっと孤独で、もっと冷徹である。ただ結構こだわりもあれば、弱みもある(ただこの弱みは今作ではあまりマイナスに働かない。)という人間的な要素を入れたのは非常に良かった。
ただちょっとやっぱり強すぎるところが気になったかな。結構何回も窮地に陥るのだが、機転とハッタリで切り抜けるのはともかく、肉体的にも非常に強い。そもそもゴーストマンというのは逃し屋に属するはずで、そんな人が強くても良いのだが変装の名手という以外でもゴーストマンのゴーストマンたる所以がもうちょっと欲しかったところ。これだと変装のうまいボタンマンと変わらない。そういった意味ではチーム一丸となる過去編の方が好みだったかな。

非常によく練られた小説で、当時大学生だったホッブズは自分から遠い世界を描くためにならず者たちにバーでその半生を語ってもらったとか。やはり作者からしてプロな人だと思う。非常に残念ながら昨年28歳の若さで逝去されたそうで非常に残念なことだ。2作目は出版されることが決まっている。ワクワクする犯罪小説を読みたい人はどうぞ。

Guilty Forest & MOCHI presents Under The Surface Vol.4@東高円寺二万電圧

暑いのが苦手なのでしばらくライブに行かずにいたのだが、気になるバンドがいくつか出演するイベントがあるというので参加してきた。
主催の一方であるGuilty Forestとは同名の音楽レビューサイトでまずサイト名が良い。おそらくCoaltar of the Deepersの曲からとったのだと思うが。今は休止中のようだが昔から愛読していて、このブログがきっかけで購入した音源も少なからずある。そんな人とそのお友達(のMochiさん、この方はこの前までプロの音楽ライターだったようだ。)が主催するのだから良い企画に違いないのだが、私が参加するのは今回4回目が初めてである。「表層の下」という規格名通り、アンダーグランドと呼ばれるバンドを集めた企画。面白いのは結構ジャンルがバラバラのようだ。私がきちんと音源を持って聞いたことがあるのはRedsheerとSunday Bloody Sundayだけ。その二つをみるのはもちろん名前は知っているものの気になっているバンド、名前すら知らなかったバンドも名を連ねており、これは良い感じである。雨の予報だったが開演少し前にギリギリ降られずにつくことができた。しかし雷鳴がすごくまさに嵐の予感を孕んだ、むしろこの手のジャンルには吉兆のような幕開けだった。

Redsheer
一番手はRedsheer。このバンドはカオティックでとてもストレートとは言い切れないのだが無駄な装飾が一切ない。むき出しという感じがしていて、それも暗いし陰鬱といった音楽性なのだがなぜだか心にビシビシくる。ハードコアなので高揚感があるが、いわゆる血気盛んなそれらと違ってじんわり私に細胞に音が浸透してくる。ライブだと特に。
いつもただただ圧倒されるのがドラムなのだが、今日よく聞いてみると相当複雑ではなかろうか。三拍子だったり、色々な音がなっていてそもそも何ビートなのかわからなかったりする。それが同じ曲の中でコロコロ表情を変えていく。派手な必殺技を出してくるのではなく地の部分がすでに複雑なのだ。それに乗っかるギターも3人体制という布陣の弱点を補って余りある分厚さである。おそらくだが一度に低弦の数が多い。だからRedsheerの音はただただ低音によっているわけではなく、厚みのある音の中に高音から低音までがぎっしり詰まっている。こちらもテクニカルなソロを弾くわけではないが、いくつもの展開をめまぐるしく(余り感じさせないのがすごい)変えていく。とにかく表情豊かなバンドなのだが、こういう音の作り方も絶対その完成形に一役買っているはず。
曲全体では渦巻きのように落ち込んでいくのだが、決死のボーカルの絶叫はその落下に抵抗しているように思える。だから退廃的(いわば理想形としての美しい後退)というよりは血が通っている(時になりふり構わない生々しさ)し、むしろ絶望的(な抵抗)とも言える。それが良い。非常に良い。1000の安い応援ソングよりも私の心を打つ。今日もかっこよかった。

Punhalada
続いては名古屋のバンドPunhalada。ブラジルと日本の混成バンドとのこと。バンド名はポルトガル語で「刺す」という意味だと思う。みるのも聞くのも初めて。おどろおどろしいアートワークからオールドスクール・デスメタルバンドかと思っていたが、半分正解だった。ボーカルの方がブラジルの方だろう。がっしりとした巨躯にカリカリの頭髪はさすがに日本人離れしている。
Redsheerと比べると圧倒的に音がかっちりしている。鈍重なデスメタルというよりはかっちりとしたクロスオーバー・スラッシュという感じでザクザク刻んでいくギターに吐き捨て型のボーカルが乗っていくストロングなスタイル。びっくりしたのはギターの方とベースの方のボーカルの入れ方。力強いシャウトなのだが、これが曲に圧倒的なハードコア感をプラスしている。今年何回か見ているいわゆるジャパニーズ・スタイルのハードコアを彷彿とさせる。そういえば短く生き急いでるようなギターソロもメタル的というよりはハードコア的な情緒に溢れている。曲は直感的でわかりやすいのだが、展開があって特に曲の速度の転換を非常に効果的に使っている。一気に加速するところはめちゃかっこいい。かっちりしている曲と、ボーカルの(いい意味での)汚さが良い対比でなるほどこれが理想的なクロスオーバーか!と思った。フロアも盛り上がっていて踊る人突っ込む人がいた。ボーカルの人もフロアに降りてきて楽しそう。東京でのライブは久しぶりと言っていたが、この間みたDieaudeのように距離があるとやっぱり型にはまらない異質さがあると思う。それが新鮮。

Ry
3人組でギター兼ボーカルの人はエレキギターに加えてアコースティックギターも持っている。前の二つのバンドとは明らかに異なる佇まいで、アコースティックギターを大胆に用いた曲からスタート。足元のペダル類の数の多さがすごくて(この日ペダル多めのバンド多し)、アコギでも色々なエフェクトをかけている。伸びやかなボーカルも高めの声でクリーンで歌い上げるまさにゆったりという感じで夢見心地かな?と思っていたが、ドラムが入ってくるとすぐにその認識が間違っていることに気がついた。もちろん優しさ、美しさはあるけど同時に力強さもあって、フォーキーというよりはやはりポストロックである。ボーカルが多めで頭でっかちでインテリな感じのそれとは違い、歌も多めでもっと直感的である。ゆったりしているが音はそれなりに大きく、曲もよく動く。エレキギターに持ち変えるとさすがにロック然とするが、それでもエフェクトの使い方は絶妙で切ない音がよく伸びる。この伸びるというのが非常に気持ちよくて時にはシューゲイザーに振り切ったAlcestを感じさせたり。キラキラした音質は繊細で太陽そのものというよりは葉叢から差し込む日光のように程よく拡散していて優しい。

Sunday Bloody Sunday
続いてはみるの久しぶりで楽しみだったSunday Bloody Sunday。佇まいから完全にグランジな感じでかっこいい。3人組のバンドで去年リリースした1stアルバムは本当いろんな人が絶賛している。オルタナティブとは昨今でも聞くが、グランジというのは概ね過去の音楽を指す言葉になりつつある昨今、現行でグランジな音を鳴らすバンド。
音のデカさではない(十分でかいんだけど)轟音という感じで中身がぎゅっと詰まった厚みのある低音、キャラキャラした高音を縦横に行き来する。ずっしりとしているが肉体的でよく動くし、リフではミュートを多用するがやはりメタルとは一線を画す音楽性。この音楽性の秘密はなんだろうね?やはり中域が出ているギターに秘密がありそうなものなんだけど。高音の使い方もよくなじんでいてそこらへんもあるきがする。楽器の音が肉厚な感じなので泥濘感も結果的にストーナーな雰囲気を醸成しない。転調はあるけどドラムのビートは非常に力強いがビートは非常にシンプルってこともあるかも。ザラついているが艶っぽい、それは重たい楽器隊と対比をなすボーカルによるところが大きい。ハリと伸びがある、ちょっと幼さの残る声質で、声というのはいじったり作ったりが難しい(特にシャウトを多用しないと)ので本当にtalentだと思う。新曲も披露してフロアはかなり盛り上がり。

The Creator of
続いてはThe Creator of。1994年に結成されたバンドで昔は日本で言うところのモダンヘヴィネス、向こうで言うニューメタルへの日本からの回答という音楽性で確か当時熱心に見てたハングアウトとかの深夜番組でPVを見たことがある。ニューメタルといっても洗練されたそれというよりはグランジを乗り越えたねっとりしたもの。その後活動を休止したのだが、2009年ごろに再始動。かなり音楽性が変わったことをそれこそGuilty Forestで読んで気になっていた。この日は1年半ぶりのライブということだった。まずバンドの背後、ライブハウスの壁の全面を覆うように白い布が張りわたされる。自前のフラッグを掲げるのではなく無地。これはVJを使う感じである。メンバーはギターの二人のエフェクターの量が多分この日一番多い。ボーカル兼任のメンバーはそれ覚えられるのですか?というくらい。
始まってみるとポストロックに一番似ているが、やはり肉体的(この日この要素が共通していておそらく主催の二人の好みなのだろうな〜と思った)で次々に展開を変えていく洗練されてオシャレ感が漂うバンドとは明らかに一線を画す。もっと荒涼としていて、とにかく非常にミニマルである。静かなメロディにならないフレーズを反復していき、音のレイヤーをどんどん厚くしていく。それが執拗に繰り返され、徐々に、非常にゆっくりその姿を変えていく。ピアノなどの楽器(ひょっとしたらレフェクターをかけたギターかも)も使っているが、派手なきらびやかさはなくひたすら潜行するよう。ボーカルが入る曲はボコーダーを使いとにかく人間性を排除している。スクリーンには幾何学模様が浮かび続け、幾何学はつまり数学的であるからなんとなく巨大な機械が唸りを上げる空間にたまたま迷い込んでしまったような感じがする。ひたすらマシーンかというとギターの音は強烈で、むしろミニマルな地平線にかすかに、しかし力強く夜明けの予感のような感情が見えてそこがかっこよかった。

割礼
ラストを飾るのは割礼。バンド名は知っているがみるのも聞くのも初めてである。1983年に結成されたバンドでメンバーを変更しつつ現在まで活動し続けるバンドのようだ。最近だとborisとライブをやったりで名前は知っていて、マニアックなサイケデリックバンドかな…と思っていた、がこれもやっぱり半分違った。
メンバーは4人だが全員今までのバンドとは佇まいが全然違う。さすがに私より年上のバンドでみなさん泰然としている。このメンツでは割礼が異質なのだろうが全く動じていない。ボーカルの方はとにかく一番変わっていて転換の時から行動がゆっく〜りしている。メモを見ながらアンプのつまみを「ムムム」という感じで設定しているところを見て、大変失礼ながら「だだだ大丈夫か?」なんて思ってしまったがライトが落ちて曲が始まってみるととんでもない化け物だったという話。まず音がでかいわけだけど、実際の音量という意味では前述のバンドの方が大きい。エフェクトはかけているものの生々しさの残る音はどれも非常にソリッドである。音の数はそこまで多くないのだが、どれもここにある最適の音という感じで主張が半端がない。そしてサイケデリックなバンドというよりは、非常にメロディアスな歌ものバンドといったも良い音楽性である。ただそれが非常に遅いのだ。ドゥームのような遅鈍と違うのは音の軽さ、音の密度、そして何よりドラムのビートは遅くなく(早くもない)、そこに乗る弦楽隊がゆったりとしている。いわば二つの時間軸が存在するのだが、それがきちんとそうであるように同時に存在している。ちょっとわけがわからない。ボーカルの方は異様な声をしていてゆったりとした見た目からは到底想像できないハリのある声、そしてまだまだ幼さの残る妖艶なもの。ビブラートをかかって怪しく歌い上げる。ギターソロは多めだがサイケデリックのように高速で弾きまくるというよりは、ノイズの領域に時に突っ込んでいくような縦横無尽なもので、こちらも緩急、ゆっくりの怪しさがある。ミニマルな演奏の中まるで無軌道にかけていくが、歌と同じでとてもメロディアス。前人未到の秘境といった孤高を感じさせるが、高尚な仙人というよりはずっと長いことやっていたら前人未到の地にいました、という自然な感じ。まさに泰然自若。おっかねえ。ビリビリするのだがメロディアスで、とにかく妖しい!

流行りのバンドを集める、というのではなく好きなバンドを集めるからみんな見てくれよ!という気持ち、つまり自分の好きな音楽を人にも共有したいという中学生くらいの頃からあるあの自然な気持ちが素直に現れていて非常に楽しかった。バリエーションがあって、色々なジャンルに跨っているのだけどどのバンドも非常に肉体的、というところが共通項だったと思う。規格名通りマニアックで楽しかった。ライブハウスを出ると雨も止んでてラッキー、という気持ちで爽やかに帰宅。

2017年8月13日日曜日

Disembodied/Psalms of Sheol

アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスのハードコアバンドの編集版。
2009年にPrime Directive Recordsからリリースされた。
Disembodiedは1995年に結成され二枚のフルアルバムといくつかのEPやスプリットをリリースし、1999年には解散。その後再結成をしたようだが現状はやはり解散状態のようだ。メンバーは二つの異なるバンドに分かれて活動している。
「黄泉詩篇」と題されたこの音源はアルバムには未収録の音源をあつめたもの。気になっているバンドだったのだが、直近手に入りやすい(どうもその他の音源はプレミア化しているようだ)のがこちらだったので手っ取り早く新品で買って見た。Disembodiedはこの音源で初めて聞く。

大胆に黒魔術をあしらったアートワークからわかるように音的にも大胆にメタルの要素を持ち込んだハードコア。いわゆるメタリック・ハードコア、ニュースクール・ハードコアに属する音でザクザク刻む音に吐き捨て型のボーカルが乗っかるハードコア。ハードコア生まれの強面なリズム感にメタル譲りの黒く重たい要素がいい具合に組み合わさっている。このバンドはハードコアというにはかなり陰鬱で、オールドスクール・ハードコアの気持ちの良い明快さがほぼ皆無なのが面白い。ミドルテンポを主体に重苦しい雰囲気で進行し、ここぞって時にさらに速度を落としたりする。ダミ声ではなく結構艶のある声は吐き捨てシャウト以外にも、ダウナーな雰囲気のつぶやきからクリーンボーカルでのメロディのある節回しなどもこなすが、隆盛を極めたメタルコアスタイルのゴリゴリ演奏から一点甘ったるいメロディアスなサビを乗せるきらびやかな手法とは無縁なのが良い。曲はだいたい3分から4分くらいで冗長なパートには一切時間を割かない。単刀直入なのはいかにもハードコア的であって、変な飛び道具を使わず重量感がありつつも輪郭がやや潰れたギターの音は個人的にとても好みだ。ソリッド過ぎないのが良い。音的にもほぼほぼ低音のミュートを多用したリフに特化しており、つんのめるようなリフはスピード感をあえて殺すことでハードコア的なグルーブが生まれている。陰鬱な世界観ながらもあくまでも体を動かすハードコアとして成り立っている。

ラストはMetallicaのカバーを披露している。
こりゃかっこいい。メタリックさと黒い雰囲気で持って表現の幅をグッと広げているが、その実徹頭徹尾どこまで言ってもハードコアなのだ。個人的には電子音を使わないのにインダストリアルな雰囲気も感じられる「Scratch」が非常に好み。見つけたら是非どうぞ。

2017年8月12日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/キラー・オン・ザ・ロード

アメリカの作家による短編小説。
きっかけはもう忘れてしまったがジェイムズ・エルロイという作家が好きでもう何作かを読んでいる。母親を誰かに殺されてそして今でも未解決という体験があるからか、相当思い入れの強い人のようでどの作品も筆者の異常な執着が反映されており、それが私にとっては気持ちが良いのである。だいたい警察官が主人公なのだが、警察官と犯罪者どちらの立場にいようが違うのは立場だけで出てくるのは悪党ばかりである。中でも「血まみれの月」という作品に出てくる、主人公ロイド・ホプキンズに対抗する殺人鬼が私は好きなのだ。文学少年だったのに男にレイプされてから男に目覚めたのだが、それを受け入れきれず初恋の女性に似た女を殺さずにはいられない、いわば殺す方も殺される方も決して幸せにならない、全てが間違ったやつなのだが、その間違いようがとても好きなのだ。(私は自分がそうだから弱くて冴えないやつが好きなのだ。いうまでもないが現実の殺人は全く好きではない。)この「キラー・オン・ザ・ロード」はエルロイの作品にしてはいくつか珍しい点があるが、その一つに主人公が警察官ではなく犯罪者である。彼の犯す犯罪というのは性に絡む殺人で、そして彼はシリアル・キラーでもある。これは読まずにはいられない。とっくに絶版の本だが中古で購入した。

いくつか作者にしては目新しさがある本だと書いたが、その一つとしてこの本は非常にオフビートな文体で書かれている。エルロイの本なら一番有名なのは映像化された「LAコンフィデンシャル」、「ブラック・ダリア」あたりだろうが、そのあたりの本を読んだことのある人ならわかるだろうが、”熱病に浮かされたような”とも評される異常なテンションの一人称の語りに圧倒される。どいつもこいつも(エルロイは器用な作家ではないからかき分けはあまりできないということもあるかもしれない)、何かにとらわれていて、決して癒されることのない乾き(出世、金、女、恐れ、トラウマなどなど)に突き動かされている。汗と血と精液の匂いがページから立ち上って来てむせ返るような、そんな趣がこの本からは全く感じ取れない。というのもこの本はシリアル・キラーがその半生を振り返って執筆した本(の一部)という体裁をとっているからで、この主人公というやつが全くエルロイの描く主人公像からかけ離れているからだ。ただやはりこの男というのが何かに囚われていて、それによってアメリカ全土をさまよっている。そして彼にしかわからない法則によって無辜の人々を殺して回っている。セックス殺人であるが、彼はレイプはしない。これはエルロイらしからぬと思われるかもしれないが、犯罪者の心理に迫るという意味では大きな成功だったと私は思う。このためコマーシャルな暴力性に特異な個性が埋没しなかった。エルロイは残酷な犯罪を描きたいのではなく、犯罪を犯す人を描きたかったのはと思う。彼の姿はエネルギッシュな殺人鬼というよりは、徹底的に周囲の世界に溶け込めない半分死人のように見える。彼の法則は理解できないが(どうも彼の妄想は統合失調症の域まで達しているように、素人目には思える)、しかし彼の行動の動機は少し理解できる。というのもそこまで人並みから外れたものではないように見えるからだ。後半彼がやっとその思いを満たすことができるのだが、普通の人が難なく達するところができる地点に彼のように殺人行脚(彼は100人くらい殺してる)を経てようやく不器用にたどり着くのだ。それは愚かと言えばそうなのだが、やはり何かこうわかってしまう。良い悪いではなくて、そういうことはあるだろうなと思うのだ。つまり殺人が彼にとっては目的でなく(当初はどうも目的だったような感じはあるが)、手段に思えてくる。普通の人が話しかければ事足りるところ、彼は殺人を犯すのだとしたらそんなに間違っていることはないだろう。そしてその間違いが面白い。思わずため息が出る。決して報われることがないという意味で、非常にべっとりと陰湿であると同時に嫌になるくらい虚無的な物語であり、それゆえ最高なのだ。

忌まわしい話だが、色々と感じるところがある人もきっといるのではなかろうか。人と上手く接することができないと感じる人は手に取ってみると良いかもしれない。

2017年8月5日土曜日

スタニスワフ・レム/ソラリス

ポーランドの作家によるSF小説。
私が買ったのは早川から出ている新訳版。
SFで著名な作品だけど個人的にハードルが高いな〜となんとなく思うのが「ハイペリオン」、「砂の惑星デューン」とこの「ソラリス」なんだけど、いよいよ!と思って買ってみた。他の二つは長いからまだ躊躇している。

遥か未来、ソラリスという惑星には粘性の海があり、そしてこの海は意志を持った生命体であることがわかった。人類は長きにわたってソラリスに学者たちを派遣し、海とコンタクトを図ろうとしてきたがまともな交流には成功していなかった。様々な仮説と憶測が入り乱れ、次第にソラリスに対する期待と熱量が冷めてきつつある時代、心理学者であるケルヴィンがソラリスにジンルが設置したステーションに到着する。ところが3人いるはずの学者のうち一人は死亡。残りの二人の態度も極めて不自然である。不信感を募らせるケルヴィンの前に地球で死別した恋人が現れる。

有名なアンドレイ・タルコフスキー監督(一作も見たことないんだけど)とスティーブン・ソダーバーグ監督(この人のもどれも見たことないや!オーシャンズ〜の監督。)によって二回も映画化された。本邦でも発表されてから60年後に新訳が出るくらいだから、世界的な人気のほどがうかがわれる。二度の映像化に関して作者スタニスワフ・レムはどちらもひどく不満だったようだ。どうも色々な解釈をされる作品であるようだが、私はこの作品は科学的な挑戦と不屈の意志を描いている作品だと思う。なるほど自殺してしまった恋人と急かつ不自然に再開し、恐れつつも以前とは異なる関係を結ぶ、というところは非常にロマンティックで実際大変面白いのだけど、この作品は明らかにその先を描いている。
人間は想像力があっても基本的には既知のものから新規のものを考えることしかできない。いわば地球の法的式のようなものがあって(魔法的なものでなく環境的なもの)人間はそれに縛られる。ところが無限に広がる(広がり続けるとかいや縮んでいるとか色々言われる)深遠な宇宙では当然この方程式が聞かなくなってくるだろうと思う。確かイーガンだったと思うが、地球と異なる物理法則に計算で戦争するみたいな短編がなかっただろうか。いわば絶対的な法則も実は多様性の一つでしかなかったみたいな壮大さが自分は好きで、これはもう妄想の域だが、それでもやはり宇宙には全く異なる生物というのがいたとして、彼らと人間が出会った時向こうがなんの反応も示さなかったりはしないだろうか?(レムもいっているがアメリカだと大抵向こうが殴りかかってくる(それはそれで好きだが))はたまた精神体みたいな存在がいるのではないだろうか?なんて色々子供の時から考えたものだ。そんな多様性から出発したのがこの「ソラリス」ではなかろうか。そんな中でもあくまでも(能力的な限界でもあるから仕方がないのだが)コンタクトを図ろうとする人間たち。それをマクロ的な視点(主人公ケルヴィンが図書館に納められた書物から紐解くソラリス史)とミクロ的な視点(いうまでもなくケルヴィンが体験する様々な事柄)で書いているのが今作。結局なんなのか?という問いが残るケルヴィンと死別した女性との再会。白黒はっきりするだろうな、というのは淡い期待であることをレムは書いている。仲良くなるわけでもなく、喧嘩するわけでもない、ただ同じ時と同じ場所で別の生き物が生きているという事実。ケルヴィンを始めとする地球人たちの試みはこの小説の時点でははっきりとした成果を出せていないのだが、それでも自分たちなりのやり方でやり続けようというのが、この小説なのではなかろうか。要するに意志の問題を書いていて、未知のものに挑んでいく高潔さを書いているのでは。根本的に努力が報われると思っている人からしたら虚無的だろうが、疲れ切ったケルヴィンがステーションを飛び出し出会う景色はむしろ感動的だと思った。(ここは物語的ではある。つまりちょっとご褒美っぽくも見えてしまう気もする。)ここではないどこかに連れていくのは自分の足なのだということをそれとなく解いているようにも思える。

二つの色の違う太陽に照らされるソラリス、そこに横たわる広大な海が一つの生命体で、粘性のあるその体を使って様々な現象を引き起こすという絵が大変美しく、そして圧倒され畏怖の念が出てくる。この設定だけで映画人を引きつけるというところは非常に納得感がある。そこで繰り広げられるのは切ない恋模様というよりは、より硬派な不屈の意志であると思う。硬派だ。グッとくる。是非どうぞ。

Integrity/Howling,For the Nightmare Shall Consume

アメリカ合衆国はオハイオ州クリーブランドで結成され、今はベルギーを中心に活動しているハードコアバンドの10枚目のアルバム。
2017年にRelapse Recordsからリリースされた。
1988年に結成されボーカリストのDwid Hellionだけは不動のオリジナルメンバーとして活動し続ける(長い活動の歴史で中断はあったようだが)ハードコアバンド。知らない人でも印象的なロゴマーク(トゲのついた帽子をかぶって牙の生えた骸骨?)はどこかで目にしたことがあるのではなかろうか。私は全くもっての後追いで一つ前のアルバム「Suicide Black Snake」(2013)から聞き始めた。ブルータルでプリミティブなハードコアかと思って聞いてみたらかなり印象の違う音でびっくり。以前の聞かないとな〜と思いつつ新作が出たので買ってみた。

デジタル版をBandacmpで購入したのだが、ボーナストラックが5曲入っており、全部で15曲。全部で72分ある。その音楽的な”濃さ”もあって一回聴き通して見るとうおお、濃厚だな…とただただ圧倒されたのだが何回か聞いて見ると結構この世界に入り込むことができたのか、全然普通に聞ける。(全体でちょっと長い感は否めないけど。)
Integrityというのは初期は知らないのだが、少なくとも直近の2作ではメタリックなハードコアを演奏している。メタリックなハードコアは「メタルコア」という名称も含んで実際はかなり懐の深いというか、同じくくりでも様々な音楽が内包されている。(きっと本当にすごく議論が尽きないところだと思う。)そんな中でもIntegrityは独特のメタリックハードコアを鳴らしている。なんせ、メタルとハードコアという要素が非常に明確に一つの曲、Integrityという一つの音楽性の中で分離して共存しているからだ。一番わかりやすいのは非常に饒舌なギターソロだろうか。さすがにクラシカルさやテクニカルさでは本場の先鋭的なテクニカル・メタルとは一線を画すだろうが、ハードコアでここまでメロディアスで叙情的なギターソロを飛び道具的ではなく曲に持ち込んでいるバンドは他に知らない。やけっぱちな短いソロがキンキンしてやや潰れた音で披露されることはあるが、Integrityの場合は明らかにクリアで聴きやすい音で滑るように滑らかに弾きまくられる。
メタリックなのでリフでも刻んでくるのだが、いわゆるスラッシュコア、スラッシーなハードコアという名称もこのバンドの場合はあまりしっくりこない。鬼のような速度で刻みまくる勢いというのはあまりなくて、曲は結構ミドルテンポで尺もそれなりにある(今作は特に)のでHellnationみたいなざらついたパワーバイオレンスめいたスラッシュコアというの音像からは距離がある。今作では女性ボーカルを取り入れた曲もあるし、なんというか世界観が本当に独特。
もうメタルでいいんでは?という気が通して聞くとそんなにしないのは、やはりDwid Hellionのボーカルもあるかもしれない。ちょっとMotorheadのLemmyに似ている酒や煙のダメージを露骨に受けたようなしゃがれたかすれ声。低音が強いがあまり作為的な香りがしない、結構ナチュラルな歌い方だが、この歌唱法は周りのバンドサウンドと同じくらい他に類のないもの。
メタリックというとだいたい音の種類のことをさすがこのバンドの場合、ハードコアにはない漆黒感(ブラックメタル感ではないです)を持ち込むためにメタルの武器を使っているという感じ。だから前に進んでいく攻撃的なパワーバイオレンスにならなくて、むしろ奥行きを増して曲が長くなっていくのではなかろうか。女性ボーカル、アコギ、ストリングスと使っている楽器の種類も豊富でボーナストラックはちょっとトラッドな雰囲気すらある。表現力という意味ではやはりちょっと別の次元で勝負しているハードコアバンドなのだが、そうなるとハードコアってなんだろうな…となる。難しい。全体的にメタリックではあっても、メタルには聞こえないんだよな〜。不思議。

来日公演も迫ってきたしきになる人は是非どうぞ。漆黒のメタリックハードコア。ハードコアでは稀有な濃密さに驚くけどハマるとかなり良いです。