2017年8月27日日曜日

大岡昇平/野火

日本の作家の長編小説。
「野火」といえば2015年に塚本晋也さんがメガホンを取った映画が記憶に新しい。(ちなみにそれより以前に市川崑さん監督でも映画化されている。)私はこの映画は見ていない。終戦の8月ということを強く意識したわけではないが、なんとなく買ってみた。

太平洋戦争最中、田村は一等兵としてフィリピンはレイテ島の戦線に派兵されるが、結核の症状により事実上戦線から脱落。病院では食料の乏しい患者は受け入れていないこともあり、アメリカ軍の攻撃に合わせて発生した混乱をきっかけに田村はフィリピンの野を彷徨う。そこで田村はフィリピンの美しい自然と仲間の死体を目にし、そして常に飢えに悩まされる。彷徨する田村はやはり離散した日本兵たちと合流、彼らは別の戦地で人肉を喰って永らえたという。田村たちは退却に備えて日本軍が集合しているというレイテ島北部パロンポンを目指す。相変わらず食料は不足している。

私も読む前からなんとなく知っているが大岡昇平さんの「野火」は悲惨な戦争を描いているのが一つ、それから大体の(先進した)文化に属する人間に取ってのタブーである人肉食について書いているのが一つだ。好んで人肉を食べる人もいないから、そうさせる状況つまり戦争の悲惨さを書いている小説で、戦争だから仕方がないという許しの中に”人肉食”が果たして含まれるのか、という結構凄惨なテーマも入っているのではと思う。
銃弾飛び交う鉄火場の派手さというのはこの小説ではなく、日本兵は強大なアメリカ国にいいように蹴散らされている。戦線は散り散りで戦局は分散されており、散発的に敗残兵に対して主に迫撃砲を主体とした攻撃がなされるといった体である。この物語はとにかく人間の体にフォーカスしており、そこに戦争の悲惨さの秘密がある。派手などんぱちはなく、壊されるべく存在する戦場の絆といったものもなく、ただただ人体が不潔に汚され、清潔にされないまま損壊し、命を失って腐っていく。だから常に戦いの後の死体の描写がされる。多くはおり重なり、南国の熱気に当てられ醜く膨らんでいる。生命溢れる、ということは死体もむしろ自然の産物のはずだが、楽園のようなレイテ島で日本兵の死体はなぜか汚らしく、妙に不自然に見える。それが戦争という不合理を表現しているようにも思う。確かティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」だったか、兵士というのは不思議なもので通常の生活では全く信用できないようなやつでも戦場では命を預ける、みたいな書き方があってそれが印象に残っている。この物語でも田村は兵士たちと独特の関係を築くのだが、それも大抵は油断ならなくて簡単に壊れてしまう。極限状態なのでエゴがむき出しになり、塩を持っているという利点でのみ仲間とみなされる、お互いに信用できない共生関係、そして同士討ちと碌でもない。私は優しいふりをするのが優しい人だと思うので、こういうのを読んで人の本質は悪だとか言いだす人に対しては「何いってんいるんだろう」となってしまう。ここにあるのは本質だが、それは半分であって普段隠されているといってもそれこそが真実というわけではない。いわば建前を剥ぎ取った原始の状態に戻らざるを得ないのが極限状態であって、それはやはり戦争はよろしくないということになる。
兵士といえば鉄の掟で縛られた集団というイメージだが、とにかく日本軍はすでにバラバラで兵士たちが単独で動いている。だからこの小説ではアメリカでは決して描かれることはなかっただろう。田村はフラフラのていでレイテ島を彷徨う。一人で、そして仲間たちと。どこにいても彼は全くその場に馴染めていない。このどこにも属する場所がない、というのが戦争小説では非常に特異だし、同時に戦争の範疇を超えた趣をこの物語に追加しているように思う。田村の意識は拡大し、神との対話も始まるが、やはり独りよがりで救いがない。一体地の果てまでいって、そして命からがら帰ってきてそれでもやっぱり居場所がない。それは一体戦争とそこでの経験が田村を変えてしまったのだろうか。物語の後半、最後の部分に関してはどうしても私的には解釈が難しい。戦争が与えた傷とそこにタブーが関わっているわけで、結果発狂というのもわからなくはないがどうしても正直なところ少し安直に思えてしまう気もするが。途中で出てくる半分錯乱した男が「帰りたい」「俺が死んだら食べていいよ」というところの方が私的にはグッときた。ああ、戦争は嫌だと思った。

戦争に対しては私は色々思うことがあって結果ちょっとわからなくなっている。この本を読んでもやっぱりわからないな〜と思うけど、やはり戦争は嫌だ。戦争というよりは日本兵、望まないで戦場に取られた全ての兵士の気持ちがこの本を読めば少しはわかるかもしれない。楽しくはないが、良い小説だ。こういう本をたくさん読むのはいいことだと信じている。

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