2020年8月2日日曜日

スコット・スミス/シンプル・プラン

仕事で疲れて帰ってきてようやくくたくたになった体を布団に横たえる。
ひどい疲労のためか、明日への不安のためか眠れなくなるときは自分がふとしたことで金持ちになったことを考える。
会社はやめる、都心に部屋を借りるか家を買って昼まで寝る。
車を買うならこの車種、ハイブランドの服も買う。
そんな事を考えている間に眠りにつき、また死んだ顔で朝の電車に揺られる。

現代生活では金持ちになるというのはもうおとぎ話だ。
なるほどベンチャー企業の台頭で嘘みたいな出世を遂げる、誰も気が付かなかったアイディアを針の目を通すような緻密さで商品化し、IPOで株を売り抜けあとはもう悠々自適の生活、または仮想通貨のようなバブルもある、だがそんなのは本当に本当に稀で、そしてそれらですら自分から行動しないと決して得ることはできない。
あなたはそんな努力をしているか?
してないなら毎回の査定の分でしか一生給料は上がらない。
富裕層は日本では全体の2.4%とするとあとの約98%は一生うだつの上がらない生活をするわけだ。

金があれば、でも金はない。
もし金があれば、しかし一生がそれだけで変わるくらいの金をどうやって?
何もしてない俺が?

答えは簡単、拾うのだ。
落ちている金を拾っちゃうわけ。
それは恐らくまずい金だからお前が懐に入れちゃえば良い。
それはどこにあるの?
雪ぶかい郊外に墜落したセスナ機の中に。
それは誰の金なの?
恐らく犯罪者がどこかから強奪したもの。
どうやって見つければ?
大晦日の日に兄とその悪友と自殺した両親の墓参りに行く途中に、兄の犬が野生の動物を追いかけていき、その先で見つけるのさ。

スコット・スミスはすべてのサラリーマンの夢を神経症的に肉付けし始めた。
金を得る妄想の第一段階を。
すべてのうだつの上がらない、努力しないあなたたち(9割以上の私達)が如何にして現実的に大金を手にするか。

だいぶ運に頼りにしたとしても、うだつの上がらない僕を始めとする登場人物たちが揃い、カネを手にした。いわばシミュレーションの初期設定が揃った状態で、そこで物語はほぼ自然に転がりだす。
文字通り坂を下りだす。(本人たちは人生の坂がようやく登り始めたと思っているのがお笑い草なんだ)

貧困層の子供として生まれ、なんの才能もなく、生活に手一杯としてもなにもやってこなかった僕たちがカネを手にするとどうなるのか。
いわば金は選択肢を倍加させるツールである。
あくまでもこれは手段であって金がほしいと常にいっている人でも硬貨や紙幣を愛しているわけではない。これをどう使うかが問題なのだ。
そして所在不明の金は消費する前にどう使うかが重要になってくる。
ほとぼりが冷めるところまで保管し、その後発見者の3人で分けよう、と主人公の僕は提案し実施しようとする。
これが平凡な僕が考えたシンプル・プランだった。

一度自分のものと思った金に次第に執着し始める主人公たち。
金という何色にでもなる絵の具で灰色だったキャンバスを色とりどりに染めていくはずだった。
ところがその前段でシンプル・プランが狂い始めていく。
必死に修正しようとする主人公の姿はなるほど滑稽で無様だが、しかし殆どのあなたたちは裏社会に繋がりがあるわけでも、警察の操作情報を抜けるほど強いパイプがあるわけでもない。
彼らより果たしてうまく動くことができただろうか。

これは金がほしいという妄想に対しての一つの回答である。
正直言えばかなり運に頼りすぎている印象は拭いきれない。
主人公はめっぽう運が悪いのだが、最終的には異常に運が良いからそれが物語の作為に見えるところも結構ある。
しかし、主人公たちの灰色さ、真綿で絞め殺されているようなぬるい地獄が雪に振り込められる田舎町に暗示されている表現は楽しかった。