2014年12月31日水曜日

2014年ベスト音楽

年の瀬という訳で年間ベストをば。
昨年はやらなかったのですが私も他サイト様の年間ベスト大好きなので今年は自分なりのを。
私は何食べても美味しかったな〜と思うし、何聴いても割と良いな〜と思う適当人間なので消費した作品に優劣を付けるのが苦手。このブログでも点数などのはっきりとした絶対的な評価はつけておりません。付けてないというか付けられないというのが正しいところ。
特に音楽というのは買って聴いてその場の判断というのは間違っている事は絶対無いはずですが、時を経ると感想が変わってくるものもあると思います。そういった意味ではある程度時間をおいてから再評価して見る、というのは正しい批評なのかもしれないです。まあ私はこのブログでは批評を書いている訳ではなくて、ただ感想を書いているだけという認識ですが〜。んまあそんなこんなで同じ良かった!でもそれから気づくと沢山聴いている、という作品がベストに入る、って感じで選んでます。
まずは2014年に発売された音源からセレクト。


1位:Cult Leader/Nothing for Us Here
Gazaの残党による狂犬病スラッジ。デビュー作。Gaza大好きだったもんで期待大でしたがそれを遥かに上回って来た出来。兎に角1曲目から2曲目の繋がりが凄まじくセットで今年一番聴きました。来年はフルでるかな?とさらに期待大。

以下は順不同で4つ。

Ben Frost/A U R O R A
Vampillia繋がりで聴いてみたが美しいノイズって本当にあるのだな〜と実感。寒々しいブリザードの向こうに垣間見えると思った旋律が、実はブリザードそのものが生み出していたみたいな、ノイズ+耽美さではなくて耽美なノイズを見事に作り出してしまった快作。一個前のアルバムも良かったけどやっぱりこっちのが好きでした。

Dead Fader/Scorched
ひそかに好きなテクノアーティストの新アルバム。タイトル通り焼け野原の様なノイズ、さらにぶっといビートという下品さ。前作に比べると音の数が減って一音一音がさらに凶悪になった印象。インダストリアルな硬質さと反復性に蠢く悪夢感が同居した気持ちよいアルバム。

Swarrrm/FLOWER
ついに発売された国産カオティックグラインダーの新作。混沌とした暴力性の中に叙情性をメロディとアコースティック感のある演奏で両立した新境地。喜怒哀楽の怒一本から隠し様の無い空虚感(喜怒哀楽で言えば哀でしょうか)に広がりを見いだした印象。悲しいのに楽しいというスゲエアルバム。

Indian/From All Purity
先鋭的な音楽が叙情性を取り入れて新境地を見いだしたのがSwarrrmなら、持ち前の残虐性をさらに研ぎすましたのがこちらのバンドの新作。嫌悪感ギリギリのヘイト感が満ち満ちてヤバい。憎しみオンリーの排他性がスラッジの叩き付ける様なリフににじみだす様でしゃがれたボーカルが鬼気迫る。チリチリくるノイズとの相性も抜群でコールタールのように真っ黒で粘ついている。不快感マックスでベスト。

上記以外で2014年良く聴いた曲
・Sargeist「In Charnel Darkness
ざらついた演奏にイーヴィルなボーカルが乗る。速度も音質も劇的ではないのにこの迫力。暗いメロディの美しさ。ブラックメタルの結晶みたいな曲。
・Vampillia「Dizziness Of The Sun
アルバムはベスト入れか迷った。
彼らはこういう曲出してくるから困る。後半の盛り上がりがもう、もう。
・Killer be Killed「Wings Of Feather And Wax
ドリームチームのさわやかメタル。あんまりこういう曲を持っていないからか良く聴いた。
・Nothing「Guilty of Everything
こちらもアルバムはベスト入りか迷った。「Dig」もよいけど最近はこちらばっかり。
・Cloud Nothings「I'm Not Part of Me
生き急いでいる感ありありの前のめりバンド。焦燥感というよりはこうしちゃいられない!みたいな前向きな性急さ。
・Schoolboy Q「Break The Bank
メロウなヒップホップトラック。
やんちゃなラップだけど音的にも広がりがあって妙に空虚な感じ。
私の勝手なイメージでは雨の日車で流れる夜景をみているような、そんな流れている感がある超良い曲。

旧譜でよかったもの
Morgue Side Cinema/Napalm Life
大阪のロックバンドのアルバム。兎に角すごい聴いていた。
アウシュビッツというバンドの亡くなったメンバーのことを歌ったラストの「翌朝」が良すぎる。感情的にならずに淡々としているのだけど、ぶっきらぼうなその背後に見える感情の動きが涙を誘う。勿論他の曲も良い。
チラホラライブしているらしいし、新しい音源でないものか。
あんまり無いかもですけど見つけたら絶対に買った方がよいですよ。


Kendrick Lamar/good kid, m.A.A.d city
何を今更、といわれそうですが遅ればせながら聴いたらとても良かった。
多彩なスキルの背後に見える真摯さがヒップホップを聴かない私にもずばーんと刺さった1作。


Rocket from the Crypt/Group Sounds
ホーンが入ったパンク。軽薄というよりは渋い魅力がきらりと光る楽曲。
とはいえ枯れているとはほど遠い楽しさがある。楽しい気分になりたい時に良く聴きました。


Left for Dead/Devoid of Everything
既に解散済みのパワーバイオレンスバンドのディスコグラフィー盤。
パンク特有の荒々しさがカオティックというよりは混沌一歩手前でバンドサウンドとして成り立っている様な危うさ。くそかっこいい。

なかなか時間か借りますね。まとめるの。
それでは皆さんよいお年を。

2014年12月29日月曜日

Mineral/The Complete Collection

アメリカはテキサス州オースティンのエモバンドのディスコグラフィー盤。
2010年に日本のFabtone Recordsからリリースされた。
Mineralは1994年に結成され1998年に解散。4年という短い活動期間で発表された二つのアルバム「The Power of Falling」「EndSerenading」にボーナストラックをつけて、さらにリマスターしたのがこのコンピレーション。
まだエモと言うジャンルが確立しない(エモと言うジャンルは2000年代に花開いたらしい)創世記に活動していたバンドでThe Getup KidsやJimmy Eat Worldといったバンドに比べると知名度はイマイチだが、音源がオークションで高値で取引される知る人ぞ知るバンドだったそうな。(ここら辺CD内の寿福さんのライナーノーツから引っ張って来ています。)
私は流行に乗っかるニューメタル人間だったので、一時期パンクとかエモを音が軽いメロすぎるとかいって(死にたい過去)軽視していた人間なので勿論このバンドどころが前述の2つのバンドもまともに聴いた事が無いんだが、どうもこのMineralというバンドが最近再結成し、さらに日本ツアーもするそうな。さらに既にソールドアウトしている公演もあるらしい。(ここによると東京公演もチケットまだあるみたい。12月29日時点。)とtwitterなんかでチラホラ話題になっており、ごくごく軽い気持ちで視聴して、あら良いじゃないと買ったという寸法ですわ。

さて音の方はというとエモです。エモい。
エモというとあのアシンメトリーな髪型にほんのりお化粧を施した(必ずしもそうではないが)線の細い男性像がパッと思い浮かぶ人もいるだろうが(私です。エモ好きな人本当申し訳ない。)、それはエモファッションの一部らしいです。
ここでいうエモいというのは(あくまでも私の中の見解ですよ。)、比較的五月蝿い演奏陣に、感傷的だがどちらかというと内省的なメロディが乗る。ひたすら暗いというよりは何かしら心の琴線(あるいは涙腺)に訴えかけてくる様なもので力一杯という感じの勢い重視の感情的なもの。ボーカルは叫ぶ事もあるが、例えば(ここから発祥した)スクリーモのようにある意味洗練されたものではなくて、本当に感情高ぶって本当叫ばずにはいられなかった、というようなもの。ここが変にあざとくなくて大変良かった。(スクリーモが嫌いな訳ではないです。)
なんといっても個人的に良かったのが演奏陣で、曲の中心は歌に据えられているといっても良いのだが、歌に負けないくらい演奏が良い。特にギターがよい。ポストハードコアだから弾きまくる分けなんだが、トレモロかって言うくらい弾くんだが、例えばシューゲイザーのようなデリケートさ、またはブラックメタルのような寒々しさとは一線を画すもっとギターとアンプといくつかのエフェクター、といった荒々しくも飾りっけの無い”ノイジーさ”が非常によかった。音の洪水感が半端無い。粒の粗さが分かる様なザラ感もよい。
ある意味ボーカルがすごい饒舌な音楽性だが、ギターだって負けてられないぜ、とばかりに主張してくるこの贅沢な感じは最早卑怯と言っても過言ではない。
泣かせるメロディもそんな自然な演奏陣、自然な歌唱法から由来するもので聞き手の耳にもすっと入ってくるナチュラルさ。変に変化球ではないのはやはりハードコアを土台に持っているからだろうか。また緩急もあざといぜってくらいでアルペジオから泣きの疾走ギターになる訳だけどあくまでも自然なつなぎが1曲にまとめられている感じで、そこらへんも凝ったメタルとかハードコアとはちょっと違う感じ。

劇的なんだが飾らないメロディ、そしてノイジーな演奏、という感じでしょうか。
やや落ち着いて幅が広がった2枚目もいいんだけど、個人的には粗さもあるけどより感情むきだしの1枚目の方が気に入りました。
激情系好きな人はばっちりハマると思います。ブラックメタル好きな人で、気づくとあまり前向きな音楽もっていないぜ…って人は聴いてみてください。
ボーナストラックも格好いいのでアルバム2枚買うよりは良いのでは、と。軽い気持ちで買ったんですが、すごく良かった。オススメです。

↓この曲聴いて買おう!と決心。

Yob/Clearing the Path to Ascend

アメリカはオレゴン州、ユージーンのドゥームメタルバンドの7thアルバム。
2014年にNeurot Recordingsからリリース。
Yobは一個前のアルバム「Atma」のみ持っていて今作もリリースされたのは知っていたのだが、なんとなく買おうかな?どうしようかな?と思っていたところローリングストーン誌の年間ベストで1位とったりしてミーハーな私はへへへまったくスイヤセンという感じですぐに注文したのだった。ジャケットがグレー基調にしぶい金色で超カッコいい。中身も含めて。やはりアナログマテリアルはいいっすよね。

アルバム一個しか聴いていないので偉そうに語れないのだが、Yobというバンドは3人編成でちょっと変わった音を出します。いかに重いかいかに遅いかいかに暴力的かというメタルにありがちなもっともっとの姿勢(これも好きですよ。)からは一歩隔たった独自の世界観を築いております。ドゥームメタルというとへろーっとしたいい感じに力の入らないバンド(最近だとWindhandとかか)も数多いるのですが、それらと比べると濃密で張りつめた印象。音楽的にはストーナーとカテゴライズされるので、そこら辺からだいたい想像できるかと。ただ曲はだいたい15分超えてくるので長いっす。

ギターの音が重たいんだけどかなり湿気の無い乾いた音で他のバンドにはあまり無い枯れた感じがあってすごく良い。ぐぅおおおおっと重いリフを刻んだ後最後のお尻にきゃーんとコード感のある一音(コード?)を追加するのが個人的には持ち味と思っていてこれが気持ちよい。良いアクセントで曲が単調になるのを防いでいる。ドゥームメタルなんだけどライブの動画見るとかなり忙しく弾いているんだよね。これはなかなかテクニカル?な感じ。
ベースは伸びやかに弾くタイプで、ギターは前述のように結構弾いていて音の数も多いが、こちらはどっしり構えて腹に響く低音を出すやり方。
ドラムが一番ドゥームメタルっぽいかも、のったり牛歩戦術。こちらも音自体は下品に低音を強調している訳ではない職人芸。
ギターは結構弾ききるタイプなので(ミュートを使った凝ったメタリックなリフ感はあまりない)、川がしずしず流れるようにずわーっと音に浸れる。
前作に比べると重々しいところはさらに重々しくなり、ドラマチックなところはより劇的になった印象。ボーカルは「んのあああああ〜」という脱力系が持ち味なんだけど結構幅広い。前作の1曲目聴いた時はボーカル女性?とも思ったんだけど、細い独特の声。今作ではさらにドスの利いた低音ボーカル(ひょっとしたら別のメンバーの声かもだが)が結構幅を利かせております。
全体的には喜怒哀楽を超越した心象風景を描き出そうとしている様な音楽性で持って陳腐な物言いで申し訳ないのだが、多分に哲学的な雰囲気。ただ難しいというよりは抽象性が強いというのか。分かりやすくはないのだが心は動く、といったらよいでしょうか。
とにかく後半の2曲が素晴らしいっすね。ちょっとNeurosisを思わせるなんともオリエンタル?なギターソロとかこうなかなかくるもんがあります。贅沢に時間を使っていてボーカルの入っていないパートも多いのですが、そこすらも楽しく聴ける。
ベストに選定されるのも納得の出来ではなかろうか。Neurosis好きな人も是非どうぞ。オススメ。繰り返しになるが装丁が格好いいので(デジタルあるのか知らんが)CDで買うのが良いのではと…


2014年12月27日土曜日

グレッグ・イーガン/プランク・ダイヴ

オーストラリアのSF作家の日本独自の短編集。
グレッグ・イーガンは元々短編集から入っている私としては新しい短編集という事で飛びついた訳なのだが、なかなかどうしてこれが困った事になってしまった。
イーガンの小説は滅茶難しい。ハードSFであって理系分野に大きく傾いており専門的な知識と用語がばんばん出てくる。作者含めて理系の人は起こるだろうが、文系の私としては正直改訂ある事を半分も理解できていない様な気がするが、変な話良く知らんけどかっこよさそうな専門用語、みたいな感じで読み進めていた訳である。雰囲気だけ汲み取って読んだ気になっている困ったファンであったのだ。
イーガンという人は頭が良いのだろうが、サービス精神というか配慮のできる人で私の様な軽薄な人間が読み事もふまえて、全部理解できなくても楽しく読める様な小説を書いてくれている。
ところがこの短編集に収められているのはハード中のハード(実際どのくらいハードなのかは分からないが。)と言った感じで私の読み方だといよいよ無理が出て来てしまった。当たり前に出てくる理論や単語は私の乏しい理解力をもの凄い高さと速さでもってあっという間に通り越していった。
今までは分からないところは何となく前後の文脈から当たりを付けてごまかしごまかし読めたものの、今度の小説群は科学の知識が深く物語りにくい込んでいる訳で、そこが理解できないとそもそも登場人物達が何に取り組んでいるのかが、つまり小説の核の部分の理解が追いつかなくなってしまう。これはつまらないという話では全くなくて、とにかく話の内容が致命的に分からない、という事に他ならない。間違って理系の授業の教室に紛れ込んでしまった様な後ろめたさを覚えてしまった訳である。これには困ったものだ。
勿論そんな状態ではちゃんとした感想なんて書けない訳なのだが、一応このブログを始めた動機として読んだもの、聴いたものをほとんど自分のために記録に残しておく、というのがあるもんで、あやふやながら記事にさせていただく次第です。

さてイーガンは先進的な科学マニアであると同時に大変優れた作家でもある事は彼の作品を読まれた方になら分かっていただけると思う。面白さの一つに私たちが常識と思っている事をあっさりひとっ飛びに超えて、私たちにとてつもない”未来”を提示する、というのがあると個人的には思っている。それを読んで技術が常識を覆すグロテスクさを感じるのか、それとも常識の儚さを実感するのかそれは読み手次第だが、結構そういう倫理観を問うてくる様な視点があるように思うのだ。
この短編集にもそんなイーガンらしい問いかけが作品に潜んでいる。
全部で7つの短編の中、私がある程度理解できて面白かった(基本理解できれば抜群に面白い。)作品を紹介。

「クリスタルの夜」
人工知能(AI)開発のため超性能コンピュータで走らせたプログラムの中で作られた疑似世界で疑似生命を進化させようとする男の話。
目的があるからいい感じに恣意的な進化をさせたり、神として疑似世界に降り立って介入したりするのだが、解説にも書かれている通り神様だとしても被造物に対するジェノサイドは許されるのか?という問題が直接的な言葉でなくて、取り憑かれた男の傲慢さから読み取れる。タイトルのネタは勿論クリスタル・ナハト。

「暗黒整数」
地球に古しているそれとは別の数学大系を持つ別世界との緊張〜戦争状態を描いた作品。別の短編集に収録されている「ルミナス」という作品の続編なんだが、もう内容を覚えていなかった…
科学オタクが地球の危機を密かに救う、という話はほらなんだか面白そうでしょ。主人公が奥さんに自分のやっているところを隠したりするところは如何にもハリウッド映画でありそうなド派手な地球の危機なんだけど、それをあくまでも古いコンピュータ上で終始進めさせるのはむしろ好感が持てた。

「伝播」
中国が世紀の代わりに目に打ち上げた「蘭の種子」。20光年離れた惑星に放たれたそれはナノマシンで構成され未開の惑星にロボットを組み立てるのだ。
それから120年後、打ち上げに関わったイカットはその惑星上のロボットに自分の意識を飛ばし、自分の目で惑星を見てみないかと誘われて…
本書の複数の作品に出てくる(イーガンのテーマでもあると思う)人間の意識を脳の軛から外して別の形にする、というテーマを扱う。主人公は脳を切り刻まれてデータ(ソフトウェア?)化され(本書の他の作品にも出てくるがデータ化された意識は情報の様々な形インプットを受けて引き続き成長することができる。)、ビームとなって宇宙空間を20年間飛んで地球から遥か離れた惑星のロボットの中に到着するのだ。すごい…
なんといっても後半の一転して落ち着いた抒情的な展開がたまらない。とてもロマンチックだ。

というわけでちょっと前代未聞に中身が理解できていないのに申し訳ないのだが、相変わらずなんか知らんがスゲエなと思わせる短編集であった。「ワンの絨毯」なんて意識隊になった人間達の仮想的な姿がアバンギャルド過ぎてグロテスクというかなんなのか不安になってくるところとかすごいんだけど、もう少し理系の頭があればなあ…
はじめてイーガンの小説を読むなら、同じハヤカワからでている別の短編集がよいのでは〜と思います。

2014年12月21日日曜日

コーマック・マッカーシー/越境

アメリカの作家による青春小説。
原題は「The Crossig」、1994年に発表された。

1940年、メキシコとの国境に接するニューメキシコ州に暮らす16歳の少年ビリーは周辺の家畜を襲う牝狼を罠でとらえる事に成功する。父親からは殺すように言われていたが、ビリーは狼を故郷であるメキシコの山に返してやる事を決意。口を縛り縄を付けて自分は馬に乗り正式な許可無しにメキシコの国境を越える。この旅はビリーが考えていたものより遥かに困難で長い旅になるとは知らずに。

マッカーシーによる国境三部作とよばれるシリーズの第2作目。1作目は以前紹介した「すべての美しい馬」であって、これを読んだ衝撃たるや、ただ面白い本を読んだ、というものからはかなりかけ離れたものであった。その後ほどなくこの本を買ったのだが、本の長さ(本編だけで666ページある。)とさらに内容の濃さである。正直読むだけでこちらの体力を削られる様な重さがこの著者の本にはあると思うので、なんとなく後回しになってしまっていたが、いよいよ年の瀬という事で読まないわけにはいかぬ、と手に取ってみた次第である。だいたい読みきるのに2週間くらいかかった。通常は1冊1週間位で読むから倍かかった。長さもそうだが、平明な言葉で書かれているもののやはり句点で区切らない独特の文体は読みやすいとは言いがたい。三部作という事で前作との共通点も多いが、今作の方がより苦難に満ちた、そして哲学的な内容になっている。

一言で言えば若いビリー少年がひたすら辛酸を舐めさせられ、苦難の道のりを歩む話である。目的はあっても果たしてはっきりとしたゴールがあるかそもそも分からない旅路である。さらに言ってしまうと帰るべき家はビリーには無いのである。
世界が残酷なのか、それとも世界に意図は無くてそこに棲む人間が残酷なのか。この本はなぜこんなに残酷なのか。スプラッターめいた人体の欠損描写、サイコパスの無邪気さ、血のつながりを提示する様なシチュエーションと昨今の小説では残酷さの博覧会の様相を呈していると言っても過言ではないが、マッカーシーの小説はそれらとは一線を画す。まず人の死が個人的には重大なことではあっても取り巻く世界では必ずしもそうでないと、暗に書いている事。これはしそのものの残酷さとは逆説的により残酷だ。一つは暴力そのものを書くのが主眼とされていない事。彼は他の小説、例えば「ザ・ロード」や「血と暴力の国」でもそうだったが、意図された暴力はどこからくるのか?ということを書こうとしている。いわば暴力の根っこになる人の悪意、そして悪という存在自体を書こうとしている。その悪が平気で人のものを奪い取る田舎の警察署長の気取った仕草に、酒場で出会った酔漢のどろりとした目の奥に、ふと垣間見えるのだ。あるいは一見穏やかで優しそうな人の背後にもそれは垣間見えるのかもしれない。そんな残酷な世界一体誰か作って、誰が許しているのか?それがもう一つの問題。すなわち神についての。様々な登場人物が神を語り、ビリーはそれを聴き、また荒野を歩んでいく。作中でも書かれているように国境や名前など本当の自然には無いように、目的地というものすら本当は存在しないかのように放浪するビリー。

ページ数は多いものの、マッカーシーはやはり寡黙な作家であると再認識した。出来事を事細かく描くが、それが果たして何を意味しているのか、というのはわかりやすい言葉で明示する事は皆無である。私たちは圧倒的な筆致による(時に残酷な)絵を見せられ、しかしそれが何を意味するのかは、自分で考えなくてはいけない。マッカーシーの意図するところが理解できないのは私に理解力の欠如によるところが大きいとは自覚しているものの、しかしそんな印象がある。
メキシコの厳しい荒野、真っ赤に燃える夕焼けや肌を突き刺す様な寒さの中天を彩る星々の光、湯気を上げる馬の体、疾駆する狼、なんという美しさだろうか。酷薄な世界のそれらはしかしなんと美しく私たちの目に映る(文字だから頭に浮かぶ、が正しいかもだが)ことか。

ビリーは狼のそばにしゃがみ毛皮に触れた。冷たい、完璧にそろった歯並に触れた。火の方を向いているが全く光を撥ねかさない目の上へ親指で瞼をおろしてやり、地面に坐って血にまみれた狼の額に手を当て自分も目を閉じ、草が濡れていて、太陽が昇れば消えてしまうあのすべての生き物を生み出す豊かな母胎が鼻先の空気のなかにまだ漂っている、星明かりに照らされた夜の山を疾駆する狼を瞼の裏に描こうとした。
こんな文、ちょっと他には無いだろう。
現実をデフォルメ化して、物語がその小世界を内包しているかとすると、マッカーシーの描く小世界はあまりにデフォルメ化されていないように見える。それは本を閉じた時に一言で言い表せないとてつもなさと寄る辺の無さをほぼ小説の外の世界そのままに、訴えかけてくるようである。

「すべての美しい馬」もすごかったが、今作もすごかった。心が震えるというのはこういうのだろうという体験だった。正直読みやすい本ではないが、なるべく沢山の人に読んでいただきたいと思う。

2014年12月20日土曜日

Anaal Nathrakh/Desideratum

イギリスはイングランド、バーミンガムの2人組みインダストリアルブラックメタルバンドの8枚目のアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。

グラインドコアの要素を取り入れた超速いブラックメタルを基調とした音楽性は過激な反面音楽好きの心をガッチリ掴んで日本でも結構人気なのではないでしょうか。私は実はフルアルバムを買うのは初めてなのだが、別にみんなが聴いているから買わないとかではなくて、多分学生の頃に「When Fire Rains Down from the Sky, Mankind Will Reap as It Has Sown」という彼らのEPを買った事があるんだけど、良くない!とは言わないがふうむ、という感じでそこまで刺さらなかった。当時はブラックメタルというジャンルを今ほど知らなかったし、本当に何故フルアルバムを買わなかったのか今でも我ながら解せないのだがまあ仕方なかったのかという感じ。なんでその後何枚もアルバムがでてもまあいいかって感じで聴いてこなかったし、今回ニューアルバムでても特に注目もしていなかったのだが、偶然youtubeでこのアルバム収録の「Idol」という曲を聴いたらとてもカッコいい!という訳で買った次第。

イントロのインストを皮切りに本編が開始されるとテンションの高さにビビるくらい。
あれ大分印象が違う。
速いし五月蝿い。竜巻の様な演奏をバックに、色々なレビューでたびたび「キチガイ」と称されているボーカルがギャーギャーわめいているのに呆然としているとなんだかすごくメロいサビが飛び出してくる。あれよと思っていると業火のように激しい演奏が舞い戻ってくるといった寸法であるからに、聞き手としてこんなに面白い事は無いだろう。
ボーカルはブラックメタルのイーヴィルなものから儚さの要素を一切排して、禍々しさを突き詰めたもので声量があるし、もはや言葉なのかどうかすら妖しい叫びをときに演奏を無視したかのように縦横無尽に吐き散らすものでなるほどこれは巷間の危ない評価もうべなるかなと納得の出来である。さらにグロウルめいた低音が残虐性をまし、サビを担当するメロディあすな歌唱法も妙に荘厳なオペラを彷彿とさせる怪しさをもっていて、おまえちょっとどれだけ詰め込むんだ…とこちらを途方に暮れさせる様はまったくもってメタルの神髄としか言いようが無いエクストリームさではないか。
演奏陣はもう一人のメンバーが一手に担っているとの事で、故に非情に統一感のあるカッチリしたもの。かつては割とプリミティブなブラックをやっていたということもあり、往年のブラックメタルに敬意をはらった伝統的なものなのだろうが、そこはまたその要素をもとに過剰にブースとさせた様な代物になっている。吹雪の様なトレモロは高音ではなく中音から低音の音の幅の厚いものが主体になっていて最早雪崩の様な迫力。そこにギチギチしたノイズをのせる。曲自体は荘厳なサビのメロディもあって大仰ではあるのだが、ありがちなオーケストラアレンジをのせる訳ではなく、その凶暴な野卑さを隠そうともせずあくまでも下品なインダストリアル音をのせるあたり、不敵としかいいようがない。

面白いのは曲によっては結構ドラムの音があからさまに電子由来の音にされているところ。私は聴くだけの消費者で作り手の事は全く持って分からないが、デジタル音源が進化している昨今デジタルでも実際の楽器の音とほぼ同じように音が作れるのではなかろうか。またそうでなくても実際に誰かに生でドラムを叩いてもらえば良いところ、このバンドは敢えて電子由来のドラムをそれと分かるように使っている。これは明らかに意図的だし、これが自分たちの売りである事を意識しているのだろうと思う。これが楽曲にもたらす効果をはっきり汲み取れる訳ではないが、なにか別の、という異質感をひとつ突き詰めるのに一役買っていそうである。ブラックメタルというかなり先鋭的なそのジャンルからさらに一歩異質さで先んじてやろう、というそういう尖りまくった意思が垣間見える(と思う)。

もはやチートとも言うべき、僕らの考えた最強のブラックメタルを突き詰めた一つの方向性の指標なのかもしれない。素晴らしいのは彼らなりの最強のブラックメタルが中二のノートの落書きから端を発するにしても、結果として真面目な大人達ががっつり洗練された完成系に結実させている事だろう。完成度がスゲエ。という訳でとてもカッコいい。昔の感想を引きずらないでもっとはやく再確認しておけば良かったなあと反省。まだ聴いていな人はぜひどうぞ。


Goatwhore/Constricting Rage of the Merciless

アメリカはルイジアナ州ニューオーリンズのブラッケンドデスメタルバンドの6thアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。

名前は知っていたが聴いた事が無かったバンド。某ブログの記事を拝見して購入。一つはとても好意的な書き方だったのと、もう一つはギターを担当するメンバーが元Acid Bathだった(と書かれていた)こと。Acid Bathは90年代に活動していたスラッジメタルバンドで2枚のオリジナルアルバムを世に送り出した後解散している。私Acid Bath大好きなんだよね。(な割りにメンバーのその後を終えていないのは恥ずかしい限りだが。)「Toubabo-Koomi」という曲で知って今も良く聴きます。というわけで期待大な感じで聴いてみるとこれがとても格好いいのだった。

ジャンルで言えばブラッケンドなデスメタルということになる。メンバーの写真でも手にトゲトゲのついたアレ(正式名称なんて言うんでしょうか。)をつけていたり、黒を基調としたアートワークも黒魔術めいた雰囲気がある。後述するがボーカリストの歌唱法もブラックメタルからの影響が色濃く表れている。なんだがあくまでもブラックメタルをエッセンスにしてかなりオリジナリティのある音楽を作り出している。
ごった煮グラインドというのはどこで見た言葉だったか失念したが、一聴してまずごった煮グラインドという言葉が思い浮かんだ。デスメタルが基調だから重さとスピード感のある楽曲なんだがギターリフは時にはモーターヘッドを思わせるパンクいロックを思わせるスラッシーなものも出てくるし、トレモロは引くし、ハードコアを彷彿とさせる勢いのあるリフが顔を出すと思ったら、所々ちょっと煙たいストーナーな雰囲気も(ニューオーリンズという土地柄もあるのだと思います!)というなんでもありの寄せ鍋スタイル。

ボーカルはわめきタイプが主体となって所々かなりドスの利いた低音デス声を織り交ぜてくるタイプ。わめくほうはブラックメタル由来かなあと思ったけど、吐き出す様な感じはどちらかというとスラッシュメタル?結構迫力があるので一部のブラックメタルの様な悲壮感は無いし、何でもありの演奏に良く合っていると思う。デス声一本だと色彩豊かな演奏がちょっと霞んでしまうのかもしれないので良いバランスではなかろうか。
ごった煮感のあるバンドなのでギターはとにかく手札の数が多く、ころころ手を替え品を替えという感じで様々なリフが出てくる。だいたい基本と鳴るのはスラッシーなリフとプリミティブなそれから大分ブーストさせた様な重たいトレモロリフだろうか。凝りすぎないストレートさがあってソロも含めて弾きまくっている割には耳にすっと入って来て気持ちよい。
ベースはブオーンと唸る様は結構パンキッシュじゃなかろうか。ギターが縦横無尽に暴れる分ベースは所々低音を一手に担って屋台骨かついい感じに目立っている。
ドラムは良く叩く元気なスタイル。曲調が低速から高速まで幅広いんだけどどの速度でも柔軟に叩き分けている。バスドラでドドドってオカズを入れる様な叩き方がかっこいい。

ハイブリッドな音楽性は全体を混沌とさせるのではなく、むしろかなり残虐な音楽性の中にも良い意味でのラフさを生んでそれがちょっとしたユーモア?みたいになっている印象。かなり異様で希有なバンドなのだろうが、聴き心地は意外にポジティブというか楽しい気持ちにさせてくれる。期待通りに格好いいアルバム。これはすごい。オススメ。

2014年12月14日日曜日

上橋菜穂子/虚空の旅人

最近ハマっている守り人シリーズの第4弾。
今回はタイトルが守り人ではなくて旅人になっている。
女用心棒バルサではなくて新ヨゴ皇国の皇子チャグムが主人公。

新ヨゴ皇国の皇太子チャグムは隣国である海洋国家サンガルの王位継承の儀に国賓として招かれた。新ヨゴ皇国とは全く違う南の国家の情景に心奪われるチャグムであったが、サンガルでは国家レベルの陰謀が秘密裏に進行し、その手を王家に伸ばそうと侵略者達が虎視眈々と機会をうかがっていた。否応無しに争乱に巻き込まれるチャグムの運命はいかに…

1作目「精霊の守り人」では11歳、運命に翻弄されバルサに守られていた少年も、正式に王位継承権第一位の立場になりこの物語では14歳。皇子として隣国の国家行事にさんかする立派な王家の男になった。旅人と銘打たれた本は勿論守り人シリーズの中の物語ではあるが、バルサは登場せず基本は皇子チャグムの物語。バルサから護身術を習ったとはいえ14歳の少年であるチャグム。派手な武術で敵を打ち倒していく事は勿論できないが、殴り合いとは全く異なった戦いにその身を投じる事になる。
思えばバルサは肉体を使って危機を切り抜けていく分過酷ではあるが、単純ではあった。敵は殴れば良いし、逆に言えば殴れる奴が敵だった。しかし国家間の陰謀の場合、下っ端をいくら殴ろうが争いは止まらない訳で、国家が包括すると人間と文化すべてを”守る”必要がある分、戦いのスケールと責任の重圧は圧倒的に重くなってくる。
特にこの物語で強調されるのは、チャグムにかせられる選択である。サンガルは女性が強い国家でとにかく女性が活躍する話なのだが、年齢に化からわず全員が成熟した政治家であって国家のためにはたとえ自国に属する子供だろうが、国家の運営のためならば切り捨てる事に躊躇が無い。一方チャグムは個人的な体験のため一人でも何人であっても無辜の人間を切り捨てる事ができない。非効率で青臭いこだわりをどこまで貫けるかがチャグムの戦いになる。武器ではなくて殺意が人を殺すなら守るのもまた意思の力になる。つまりこれは信念の戦いってことになる。

いままでの個人的な物語から一気に国家間の物語に大幅にスケールアップしたにもかかわらず面白さはぶれないどころか、さらに新しい風を取り込んだ様な快作。変に壮大にせずに話の根幹自体はチャグムという主人公の目線で書いた事が面白さの要因の一つかも。

2014年12月13日土曜日

Cold World/How the Gods Chill

アメリカはペンシルベニア州ウィルクスバリのハードコアバンドの2ndアルバム。
2014年にDeathwish Inc.からリリースされた。
たまたまyoutubeで動画をみて気に入った購入。
ボーカル、ギター2人、ベース、ドラムという5人組で2005年以前に結成されたようだ。2012年に来日した事もあるみたい。

音楽的にはストレートなハードコア。
ソリッドかつメタリックなギターがスラッシーかつストレートなリフを思い切り良く刻んでいくスタイル。ベースはひたすら重く、ややギャラギャラしたギターを支える低音担当。ギターもそうだが、ブーンと唸る余韻がとてもかっこいい。バスドラムは重々しいが、乾いて鳴りのよいスネアのはじける様な響きが心地よい。音の重さも速度もやり過ぎず程よいバランス感覚。分かりやすいビートダウンなどには迎合せず、渋いハードコアを鳴らしている。ボーカルはのどに引っ掛ける様なやや掠れた前のめりに畳み掛けるハードコアスタイルと、掠れを押さえたやや伸びやかにシャウトする声の使い分け。特に後者はやんちゃな感じもしつつ華やかさもあってちょっとだけメロいサビで本領発揮。
無骨な曲作りの中にもちょっとした叙情性があって、それがアルペジオやサビでのメロディに反映されていて戦車の様な重々しくかつ爽快なハードコアにひと味加える感じでかっこいい。
さらにこのバンドの特徴として大きいのが、Hip-Hopの要素を取り込んでいる事。
ラウドな音楽にHip-Hopの要素を取り込むという手法(主にメタリックな演奏陣をそのままにラップという要素くっつけるというやり方で。)自体は今となっては珍しくない。私は丁度ニューメタル世代だったのでそこら辺の印象があるが、昨今ハードコア界隈でのHip-Hopへの接近が形になって目立って来たのかなと思う。
メタルの演奏だと凝りすぎるところがあって、ラップという畑の違う異色の要素を取り入れるとガチャガチャしすぎてしまう懸念があるが(だからあまり技巧自慢にはならないニューメタル分野とは相性が良かったのかも。)、ハードコアはもっと直感的だ。刻む様なメタルの要素を取り入れた分厚いリフトは相性が良い気がする。ガツンガツンとストップアンドゴーを繰り返すハードコアスタイルはリズミカルでラップの乗りが良い。ドスの利きすぎないハードコアボーカルはラップとも良く調和している。
それっぽいイントロとアウトロもそうだが、メンバーがHip-Hopが好きで単にラッパーを客演として呼びつけているというよりは、自分たちなりにその要素をハードコアにのせようとしている意思が垣間見えて面白い。地のハードコアは流石自分たちの出自というかルーツってことでいっさい手加減無し。ニューメタルにはあったお手軽な軽薄さは感じられない。

爽快なハードコアが好きな人は是非どうぞ。まだちょっと荒削りの部分もあるので次のアルバムがそういった意味でも楽しみなバンド。


OMSB/OMBS

日本のヒップホップアーティストによる2ndアルバム。
2014年に日本のBlack Smoker Recordsよりリリースされた。
このブログでも何回か紹介した事のある日本は神奈川のHip-Hop集団Simi LabのリーダーであるOMSBのソロアルバム。
1stアルバムは「Mr. "All Bad" Jordan」彼自身がマイクを取るラップ主体のアルバムだったが、今回は全10曲中彼がマイクを取るのは2曲のみで、さらにボーカルが入っている曲もその2曲のみ。OMSBはラッパーであると同時にトラックメイカーでもあり、実際Simi Labの2ndアルバムを見てもかなりのトラックが彼の手によるもの。ネット上でもフリーでミックス音源を公開したりとMCにとどまらない活動をしている。今回はそのトラックメイキングの腕を存分に振るったビートアルバムである。

ロックだろうがジャズだろうがボーカルレスのインスト音楽はそんなに珍しいものではない。勿論Hip-Hopもしかりで私も学生時代にジャズテイストのHip-Hop好きの友人に何枚かCDを借りて有名所を本当に何枚だけだが聴いたことがある。
Hip-Hopも勿論演奏(トラック)とボーカルが一体になって作る曲が主流だが、ロックに比べるとラップを活かすためにトラックに関してはあまり音の数が多くないのが特徴だと思う(にわかなもんで間違ってたら申し訳ないのだが。)。そこからラップを抜いてしまうというのだからこれは難易度が高そうでは無いだろうか?しかし当たり前の事だが音の数が多ければ曲が格好よくなる訳ではない。デザインとは引き算だと聞いたことがある。Hip-Hopのトラックはとてもかっこいい。音が少ない分研ぎすまされていてごまかしがきかない。その分粗が目立ってともすると退屈になってしまうだろうから難しい(と思っている)。

さてこのアルバム結論から言うととても格好いいビートアルバムになっている。
いくつか気になった事を書きます。
まずテクノとHip-Hopのビートアルバムの違い。音の数は少ないがかなりミニマル名このアルバム。所謂テクノ(ぴこぴこ全般的な意味合いで)とははっきり一線を画すが言葉にするとどう違うのかな?と疑問に思ったのでそこを書いてみる。
音的にはHip-Hopはやはり跳ねるようなリズムがある。このアルバム、全体的にははっきりいってバリバリフロアなアッパーチューンは皆無で、内省的とは言わないがかなり”聴かせる”音作りである。繊細な音使い、ゆったりとしたリズム。しかし眠たくなる様な音像では全くない。ビートはやたらと低音を強調した下品(これも好きですが。)なものではなく、どっしりとしてかつ無骨な印象。音は程よい大きさ。これがしかし耳からはいって胸にどすんと響く。そしてその音が良い連続で入ってくるものだから寝ている場合ではない。体が動く。力強さを打ちに秘めている。徹頭徹尾冷たい、もしくは攻撃的な(レイブ向けの)テクノとはここが違う。
もう一つは音の暖かみである。完全電子音由来のテクノ(今はもっと幅が広い事を承知で)と違いこのアルバムは(恐らく)サンプリング主体で作られているのではないか。デジタル処理を噛ませている(と思う)が、元の音の暖かみが見事に鮮度そのままに全く新しい曲を構成している。私はいま色んな音がデジタルで再現できるのにサンプリングという手法が生き残っているのを全く不遜な無知から疑問に思っていたのだが、このOMSBのアルバムはそんな思考を音で吹っ飛ばす様な作りになっている。なるほど、これがサンプリングか!と思わず感動。(実はOMSBさんが全くサンプリングなんて使わないで曲を作っていたら爆笑なんだけど、多分違うと思う。)
さて、こんな感じでつらつら書いてみたらが、サンプリングという伝統的なHip-Hopの手法で作られた心地よいビートアルバムかと思ったら、意外にもそうじゃない。いやそれだけじゃない。このアルバムかなり実験的でもあるのではないか。
レコードを張りが滑るノイズ音や、もっと不穏で直接的なノイズ、人の声を溶かして再構成した様な”ヤバい音”や”ヤバい作り方”がふんだんにちりばめられている。これは全くある種挑戦的な意図が見て取れる。伝統を踏襲しつつ一歩か二歩踏み込むその果敢さ、もしくは太々しさといっても良いんだがそれが全くもって面白い。ビートアルバムだからといってだらーと聴けないアルバムである。お洒落な店ではかからないかもだが、サウンドの背後にある殺気がたまらない。

人を選ぶアルバムではあるかもしれないが、ちょっとマイナーなHip-Hopが好きな人やテクノが好きな人はまずは聴いてみてはいかがでしょうか。私はとても気に入りました。

↓この曲はラップが入っているから取っ付きやすい。

2014年12月7日日曜日

FKA twigs/LP1

イギリスはグロスタシャー出身の女性アーティストによる1stアルバム。
2014年にYoung Turks Recordingsからリリースされた。
随所で話題なので名前は勿論知っていたがなんとなく買っていなかったアーティスト。彼女の曲をプロデュースしたArcaを買ってみたり、色んな人が言及してたりでようやっと買ってみた。
イギリス人の母親とジャマイカ人の父親とのハーフで現在26歳。関節がなるので「Tiwigs」というあだ名で、別のアーティストとの混同をさけるためにFormerly Known Asを足してFKA twigsという事らしい。(Englishのwikiより)
ちなみにジャケットのデザインはArcaの相棒Jesseの手によるもの。今回もヌメッとした光沢のある独特なもので、面白いのは紙でできているジャケットの筒状になっているポケット(CDとインナーがはいるとこっす。)の内側にもちょいキモイメージが描かれている。構造上よく見えない。裏地の美学。やっぱりKandaは日系なのかな?

さて音の方はというと完全にエレクトロな音で構成された今風の音楽なのだが、最大の特徴はしっとりかつしっかりした歌に曲の中心が添えられている事。ぼんやりとして数が多くない音はダブステップやトリップホップを思わせる曖昧模糊としたものだが、おおよそそのフォーマットにちょっとボーカルが乗る、といった音楽とは一線を画す。
ダブいトラックの無骨さ、孤高さはをさらに突き詰めて完全に後ろに引かせた感じ。で、そこに歌声が乗る訳で。だからオルタネイティブR&Bとかカテゴライズされているようだ。R&Bなんでしっとりなわけなんだけど、歌い方が絶妙でなんとなく気怠い感じ。ただ例えばPortisheadのような不健康さはなくて、どっちかというと「ミステリアス」だ。トラックは音の数が少なくて、音と音の感覚が長く取られているので全体的にゆったりしている。
R&Bってことで歌もの。声量はあるんだと思うけどぐわっと出すとパワフルになってしまうので、一工夫加えて声を出しているイメージ。基本はウィスパーボイスな感じなんだが、ふわふわしている割に長ーく伸びる声だったり、アクセントのような語尾にふと声量や技量が垣間見えたりして面白い。薄いベールの向こうに垣間見えるようなそんな妖しさがある。露骨にエロエロしていないのでオタク受けもしているのかもな…とちょっと思った。(私はオタクです。)わかりやすいし口ずさめるようなメロディではないんだけど、ポップ性に富んでいて奇抜な事やっている割にはすっと体(頭で考える前にという意味で)に入ってくるのも受けている理由の一つか。聴いてて気持ちよい音楽。

話題になっているし実際PVとかは派手な作りなのだけど、聴いてみると結構良い意味で派手な勢いが無くてしっかりしている作りで話題になるのも納得の出来。R&Bとか詳しくない人でも楽しめるんではなかろうか。

2014年12月6日土曜日

中村融編/宇宙生命SF傑作選 黒い破壊者

東京創元社から出版された中村融さん編集によるSFアンソロジー。
宇宙生命SF傑作選というタイトル通り宇宙に飛び出した人類が様々な形態の未知の生命と触れ合う(物語によってはふれあい御頃ではないのだが…)小説を6編集めたもの。
中村さん編集のアンソロジーは「地球が静止する日」「影が行く」「千の脚を持つ男」を読んだ事がある。どれも大変面白かったし、テーマ的にもなんとも面白そうだったので購入した。
6編の内訳はこんな感じ。私はどの作家も多分初めて読んだと思う。
リチャード・マッケナ,「狩人よ故郷に帰れ」
ジェイムズ・H・シュミッツ,「おじいちゃん」
ポール・アンダースン,「キリエ」
ロバート・F・ヤング,「妖精の棲む樹」
ジャック・ヴァンス,「海への贈り物」
A・E・ヴァン・ヴォークト,「黒い破壊者」

「黒い破壊者」という短編の名が冠せられているのでなんとなく、敵対的な宇宙人と遭遇した人間がドンパチする話が満載なのかと思ったらその予想は見事に裏切られた。(激しくやり合う話もあるのでご安心ください。)
この本に収められているのは、フィクションであるから学術的というのは変かもしれないが、よく練られた未知の生命体とのファースト・コンタクトが架空の生物の生体を観察するように丁寧に書かれた小説である。どの生命も見た目だけでなくその指向が時に直接時に行動に反映されている。これもまた変な言い方だが、作者は自分が生み出した生物にこだわりと愛着とそして宇宙に生きる生命に対するリスペクトがあって、それが人類と触れた時にどういった行動に出るのか?ということを緻密に書いている。
後書きで中村さんが書いているが、「生態学的SF」というジャンルに害する作品が収められているのだ。(中村さんは宇宙の反対側にペンギン見に行くくらい動物の観察が好きらしい。)私もとんと知らなかったのだが、本来エコロジーというのは地球や環境に優しい、という意味ではなくて生物と環境の複雑な壮語作用を研究する学問「生態学」につけられた名称との事。(本書解説より引用。)だからこの本、図鑑を読んでいる様なわくわくがあります。

どの話も面白かったのが、特に気に入ったのがこの話。
「海への贈り物」
惑星の生命資源から鉱物を生成する仕事に従事する会社の海上に浮かぶ生活に必要な設備を備えた巨大な筏を舞台にした物語。ホラー的なイントロから、謎解き要素のある冒険小説風中盤、ひやりとさせるアクションシーンを挟みつつエコSFな終盤と起伏のある物語構成もすごいのだが、なんといっても未知の海洋生物「デカブラック」と人類が文字通り歩み寄っていく様がなんと言っても醍醐味。一介の技術者が必要に応じてというシチュエーションも物語的には盛り上がるし、なんといっても作者の経験を生かした潮の香り漂う海の男の世界の描写は生々しい。言葉どころか思考の体系が違う生き物とコンタクトを取る事の難しさ、そして異なる生物と理解し合う楽しさと喜びについて無骨な言葉で見事に書き出してSFは面白いと思わせてくれる素晴らしい短編。

醜い宇宙人が出現!討ち滅ぼせ!というタイプの小説が読みたい人にはお勧めできないが、真面目なSFが好きな方やエコロジーに興味のある方には是非読んでいただきたい1冊。

Zomby/With Love

イギリスはイングランド、ロンドンのテクノアーティストの4thアルバム。
2014年に4ADからリリースされた。
私は全く名前も知らなかったのだが、以前に感想を書いた日本のノイズバンドEndonのインタビューでボーカルの那倉さんが「嫉妬した」と紹介していたものが気になって買った次第。(ちなみに那倉さんは超強面だけどインタビューだと普通に受け答えしています。当たり前だけど。)

Zombyというアーティストはアノニマスの仮面を被ったりとあまりセルフイメージが露出しないようにしているらしい。(ググると普通に顔も出てくるけど積極的には出たくない、というスタンスとのこと。)結構謎か多い人みたい。
このアルバムは2枚組全33曲というかなりボリューミィなアルバムである。ほぼボーカルパートは無いので中々とらえどころの無い音楽性だが、まあここは一つ思った事を書いていきます。
まずジャンルはダブステップという事になっているが、はっきり言って想像とは違うダブステップだった。重量感のあるやや輪郭の曖昧なビート音は確かにダブステップだが、流行のスタイルとは一線を画す独自なもの。一言で言うともっとテクノっぽいな、という印象。ダブステップは機械で作っているから本当の意味では違うのだろうが、ちょっとファジーなところがあるんだけど、Zombyの音楽はもっとソリッドだ。まず音が鋭い。そして少ない。たしかにやり方はダブなのだろうが、音のパーツは音色がちょっとダブのそれとは異なる。ビート中心の音楽で前述の通りビートはダブいが、例えば跳ねる様なスネアなどの連打はやっぱりドラムンベースを彷彿とさせる。そして何よりミニマルである。基本ドラムとベースで構成されたループの上に、これまたループするうわモノが乗っかる。背後に流れるドローンめいた音が風に揺れるカーテンのように、よおく聴いていると次第にその形を変えていくのに気づく様な案配である。ダブ・ソリッド・ダブのサンドイッチ構造や〜と言わんばかりの中々のバランス感覚。完成された音は押さえつつも流行に迎合しないハードコアなものになっている。全体的な雰囲気は暗く沈み込んでいく様な陰鬱さがあって、所謂フロア向きで踊れるタイプの音ではない。(大音量でクラブで聴いたら格好いいのだろうが。)那倉さんも言っているがトリップホップに通じるものがある。悪ぶっているけど結構伝統に対してリスペクトがあるんじゃないの?という感じ。
曲は1分から2分台が多く33曲がテンポよく進む。印象的なのは曲の終わりがかなり唐突にぶったギっているものが何曲かある。これは一体どういう意図なのかわからん。お、と思ってリズムを取り出すとぶちっと終わってしまうのである。中々どうして捻くれた奴である。

ここで印象的な本人のインタビューが読める。人を食っているのか煙に巻いているのか、はたまた本当に性格が悪いのか判然としないのかやはり中々捻くれた兄さんのようである。
通して聴くとちょっと長いな…と思ったりもするがぼんやり聴いているとおお!っと思わせたりして中々どうしてなアルバム。仕事中に聴くと良い事を発見した。結構好きです。気になった人はどうぞ。