2014年12月21日日曜日

コーマック・マッカーシー/越境

アメリカの作家による青春小説。
原題は「The Crossig」、1994年に発表された。

1940年、メキシコとの国境に接するニューメキシコ州に暮らす16歳の少年ビリーは周辺の家畜を襲う牝狼を罠でとらえる事に成功する。父親からは殺すように言われていたが、ビリーは狼を故郷であるメキシコの山に返してやる事を決意。口を縛り縄を付けて自分は馬に乗り正式な許可無しにメキシコの国境を越える。この旅はビリーが考えていたものより遥かに困難で長い旅になるとは知らずに。

マッカーシーによる国境三部作とよばれるシリーズの第2作目。1作目は以前紹介した「すべての美しい馬」であって、これを読んだ衝撃たるや、ただ面白い本を読んだ、というものからはかなりかけ離れたものであった。その後ほどなくこの本を買ったのだが、本の長さ(本編だけで666ページある。)とさらに内容の濃さである。正直読むだけでこちらの体力を削られる様な重さがこの著者の本にはあると思うので、なんとなく後回しになってしまっていたが、いよいよ年の瀬という事で読まないわけにはいかぬ、と手に取ってみた次第である。だいたい読みきるのに2週間くらいかかった。通常は1冊1週間位で読むから倍かかった。長さもそうだが、平明な言葉で書かれているもののやはり句点で区切らない独特の文体は読みやすいとは言いがたい。三部作という事で前作との共通点も多いが、今作の方がより苦難に満ちた、そして哲学的な内容になっている。

一言で言えば若いビリー少年がひたすら辛酸を舐めさせられ、苦難の道のりを歩む話である。目的はあっても果たしてはっきりとしたゴールがあるかそもそも分からない旅路である。さらに言ってしまうと帰るべき家はビリーには無いのである。
世界が残酷なのか、それとも世界に意図は無くてそこに棲む人間が残酷なのか。この本はなぜこんなに残酷なのか。スプラッターめいた人体の欠損描写、サイコパスの無邪気さ、血のつながりを提示する様なシチュエーションと昨今の小説では残酷さの博覧会の様相を呈していると言っても過言ではないが、マッカーシーの小説はそれらとは一線を画す。まず人の死が個人的には重大なことではあっても取り巻く世界では必ずしもそうでないと、暗に書いている事。これはしそのものの残酷さとは逆説的により残酷だ。一つは暴力そのものを書くのが主眼とされていない事。彼は他の小説、例えば「ザ・ロード」や「血と暴力の国」でもそうだったが、意図された暴力はどこからくるのか?ということを書こうとしている。いわば暴力の根っこになる人の悪意、そして悪という存在自体を書こうとしている。その悪が平気で人のものを奪い取る田舎の警察署長の気取った仕草に、酒場で出会った酔漢のどろりとした目の奥に、ふと垣間見えるのだ。あるいは一見穏やかで優しそうな人の背後にもそれは垣間見えるのかもしれない。そんな残酷な世界一体誰か作って、誰が許しているのか?それがもう一つの問題。すなわち神についての。様々な登場人物が神を語り、ビリーはそれを聴き、また荒野を歩んでいく。作中でも書かれているように国境や名前など本当の自然には無いように、目的地というものすら本当は存在しないかのように放浪するビリー。

ページ数は多いものの、マッカーシーはやはり寡黙な作家であると再認識した。出来事を事細かく描くが、それが果たして何を意味しているのか、というのはわかりやすい言葉で明示する事は皆無である。私たちは圧倒的な筆致による(時に残酷な)絵を見せられ、しかしそれが何を意味するのかは、自分で考えなくてはいけない。マッカーシーの意図するところが理解できないのは私に理解力の欠如によるところが大きいとは自覚しているものの、しかしそんな印象がある。
メキシコの厳しい荒野、真っ赤に燃える夕焼けや肌を突き刺す様な寒さの中天を彩る星々の光、湯気を上げる馬の体、疾駆する狼、なんという美しさだろうか。酷薄な世界のそれらはしかしなんと美しく私たちの目に映る(文字だから頭に浮かぶ、が正しいかもだが)ことか。

ビリーは狼のそばにしゃがみ毛皮に触れた。冷たい、完璧にそろった歯並に触れた。火の方を向いているが全く光を撥ねかさない目の上へ親指で瞼をおろしてやり、地面に坐って血にまみれた狼の額に手を当て自分も目を閉じ、草が濡れていて、太陽が昇れば消えてしまうあのすべての生き物を生み出す豊かな母胎が鼻先の空気のなかにまだ漂っている、星明かりに照らされた夜の山を疾駆する狼を瞼の裏に描こうとした。
こんな文、ちょっと他には無いだろう。
現実をデフォルメ化して、物語がその小世界を内包しているかとすると、マッカーシーの描く小世界はあまりにデフォルメ化されていないように見える。それは本を閉じた時に一言で言い表せないとてつもなさと寄る辺の無さをほぼ小説の外の世界そのままに、訴えかけてくるようである。

「すべての美しい馬」もすごかったが、今作もすごかった。心が震えるというのはこういうのだろうという体験だった。正直読みやすい本ではないが、なるべく沢山の人に読んでいただきたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿