2014年1月19日日曜日

筒井康隆編集/異形の白昼 恐怖小説集

日本のSF界の大家筒井康隆が編集した日本の恐怖小説のアンソロジー。
元は1969年に立風書房から刊行されたものが、1984年に集英社文庫から再度刊行。それがさらに2013年に筑摩書房から刊行された。私が持っているのは最後のちくま文庫で、巻末にアンソロジスト東雅夫氏の解説が追加されている。

さてこのアンソロジー、あとがきによると作品の選択基準がはっきりしていて面白い。
筒井氏はこういっている。科学が発展した現代においては古典的な、例えば超自然だったり幽霊が出たりといった恐怖小説が往事の迫力を保ってあり続けるということ自体が難しい。では現代ではもう恐怖小説は存在しないかというとそれは否である。恐怖や怪奇と喧伝されていない現代の小説のなかにこそ世にも恐ろしい小説が紛れ込んでいるのだと。だから氏の選定基準の一つに現在(当然60年代ということになる)第一線で活躍する作家であること、というのがある。
そういった意味では非常に意欲的なアンソロジーだと思う。過去の怪奇小説に敬意を払いつつ、時代とともに変遷する恐怖の形を追いかけて、いま最も恐い小説を集めたのがこの本なのだから。恐怖というのは時代を反映したものであるから、常に形は変わるという訳である。

全部で13の短編がおさめられている。
特に私が気に入ったのが以下のタイトル。
物静かな少年が起こしたある事件を描いた結城昌治「孤独なカラス。」少年を取り囲む世界のなんと無関心で自分勝手なことか。
冴えない青年が次第に精神のバランスを崩していく生島治郎「頭の中の昏い歌」。冴えない社会人として大いに共感できるところがある。また少女の死体の妙に艶かしい感じが、背徳感をあおるようで良かった。
非合法すれすれの堕胎を行うとある病院で起こったある事件を描いた戸川昌子「緋の堕胎」。これまた鬱屈した主人公が何とも言えない。彼が起こした犯罪とそれがいかに暴かれるかという話だが、最後の追いつめられる下りがたまらなく恐ろしい。

どの作品も恐ろしいのだが、共通して一般に人々の送る日常生活の少し奥まったところにある恐怖を描いているように思った。だから庶民の生活の描写が妙に生々しく、時代が少し変われど私からした妙にわびしかったり、辛かったり、そいうった暗い感じがとても胸に響いてきた。要するに本当にありそうな話、というリアル感を持ってこちらに迫ってくる恐さがある。幽霊や怪物でない恐さ、それは退屈な毎日、孤独、閉塞感、そんな普遍的な毎日の向こう側に狂気のしっぽを見る、そんな感覚なのかもしれない。

ちなみに私は小松左京の「くだんのはは」以外は読んだことのない作品であったから、非常に楽しく読めた。
一番始めに発売されたのが1969年だから、やはり当世では恐怖の形というのはまた変わってきているのかなと思う。また現代作家でアンソロジーを一本!というのはわがままな読者だろうか。

非常に良質なアンソロジーでした。
恐怖小説マニアの貴方は間違いなく購入して間違いないと思います。

Death Grips/Government Plates

アメリカはカリフォルニア州のエレクトロいヒップホップ集団の3rdアルバム。
2013年に突如フリーダウンロードの形式で公開された。レーベルは彼ら自身のThird Worlds。
いつの間にやら日本語のwikiが出来ていて本邦での知名度もいよいよ高い彼らだが、相変わらずアグレッシブに活動しているようです。無料で公開した意図は今回明らかにされていないようですが、なんだかんだ言っていい感じに注目されているようだ。プロモーションとしては過激だが、所謂炎上マーケティングとは違って、無料で公開することである意味身銭をきっている訳ですからなかなかどうして立派なものです。

さて今作は全11曲で35分なので結構あっという間に終わってしまう短さ。
内容的にはかなり濃密なので、変に芸術家気取りで垂れ流す訳でもなく矢継ぎ早にまくしたててさっと去るいさぎが良い良いスタイル。聴いている方もちょうどいいんじゃないでしょうか。よくパンクバンドだと言われる彼らですが、なるほどそういったアティテュードも感じられる。ちなみにデジタル音源のジャンルは「Rock&Roll」に設定されていてちょっと面白い。
内容的にはさらに彼らのオリジナリティを突き詰めたストイックなものになっています。
主張の激しいめまぐるしく変遷するビートにインダストリアルな金属音、ひどくゆがめられた電子音はもはやノイズのようになっている。そこに相変わらず激怒しているようなラップが乗る。まさに変幻自在の世界観で溶けかかった悪夢に巻き込まれたかのようなトリップ感がある。
ひどく前のめりで、ひどく攻撃的でヒップホップから距離が離れているように思えるが、結構基本はヒップホップというルールに則っているようにも思える。よくよく聴いているときちんと(これ自体がかなり変則的だが)ビートがあって、それにのせてラップが流れる。意外にもこの基本は守って、その上でどんどん独自の方向に進んでいる訳だから、過激だがストイックな格好よさがある。彼らの魅力というのはここら辺にあるのかもなと思う。

前作までの音楽性が受け入れられるならば文句なし。
興味はあるが…という人は無料で楽しめるから是非聴いてみていただきたい。
音源は彼らのオフィシャルサイトからダウンロードできる。

フランク・ティリエ/GATACA

フランス人作家によるフランスを舞台にした警察小説。
前作「シンドロームE」が面白かったので続編にあたる今作も買ってみた。
タイトルにもなっているGATACAはDNAを構成する塩基の頭文字をとったもの。

前作の事件後つきあいだしたリューシーとシャルコの2人だったが、リューシーの娘が殺害される事件を契機に破局。リューシーは警察を辞職し、シャルコは暴力犯罪対策本部から捜査の現場に戻った。ある日リューシーの娘を殺した殺人犯が収監されていた刑務所内で自殺を遂げた。現場には上下が逆さまに描かれた風景画が残されていた。独自に捜査を開始するリューシー。一方シャルコは霊長類研究センターでチンパンジーに殺されたらしい大学院生の捜査に乗り出す。一見関係のない2つの事件だが、実は裏で深いつながりがあることが徐々に判明。合流したリューシーとシャルコの前には人類のDNAに絡む巨大な謎が。

という内容。相変わらず派手な事件でスケールの大きさは前作以上か。地道な捜査で犯人を追いつめる、犯人と被害者の間にある深い因縁といった趣はやはり皆無で、殺人事件を発端に巨大な陰謀が徐々にその実態を見せていくというスタイル。基本フランスが舞台だが、まあ世界の裏側まではるばる足を伸ばしたりもして、兎に角デーハーな出来。とっても視覚的なあらすじが視覚的な書き方をされていて実際にハリウッドで本シリーズの映画化も決まったそうな。

よく練られた筋と長い中にも絶妙な緊迫感を持続させる作者の筆致はさすがの一言だが、実は私イマイチ乗り切れなかったのであった。
何が気に入らないかというとこれはもう主人公のキャラクターということになる。
今回は女性刑事リューシーは娘の死を切っ掛けに警察を辞職している。にっくき仇が不可解な死に方をして気になって捜査に乗り出すのはわかる。全然かまわない。独自に捜査するのも結構。だが警察手帳を偽造して、無許可の銃(はっきりした描写はないのだが、フランスで一般人に拳銃の所持が認められるってことはないよね。)を振り回すのはどうなのだ?一方的に警察を首になってというのならまだわかる。しかしつらい事情があったとはいえ自分でやめて、さらに昔の上司がいつでも帰ってこい、というのに勝手に警察を語って独自に捜査を進めるのは納得できない。どう考えても彼女のしていることは犯罪である。警察小説で主人公がバッジと銃を取り上げられた後、納得できずに独自に捜査を開始するというのは結構よくあるパターンだしそれはかまわないのだが、この本のリューシーの行動には全く同情できなかった。彼女は要するに好き勝手やりたいだけなのであった。そりゃあ警察は組織だから復帰したら、便利なこともある反面自分勝手な捜査は出来なくなる。上司に報告、連絡、許可を得て次の捜査に向かう訳だからかったるいことこの上ない。しかしそれが警察ってもんだろう。いや面倒くせえ。自分勝手にやるわ。それは警察官ではない。しかし彼女はあくまでも警察官として捜査を進める。
私立探偵フィリップ・マーロウや始末屋ジャック、サーファー探偵ブーン・ダニエルズだって警察じゃないけど捜査する。でも彼らはある種アウトサイダー流のやり方に乗っ取って捜査を進めているから格好よいのである。「俺は警察だ!」なんて無茶な捜査しない。
彼女の身勝手さにあきれてしまって、終始なんだかさめてしまった。残された娘のために!とか言うくせに全然家に帰らない。子供は母親に任せっきりであっさり昔の男の家に押し掛けて泊まる。自分が子供だったらそんな母親どう思うよ?(ここに関しては読んだ人の反論があるかもしれないが、事情も加味した上で私は母親失格だと思います。)
駄目人間なら私駄目ですよというのは仕方ないのだが、自分の中での決着が、とか娘のために、とか言い訳めいたモチベーションにもゲンナリ。
おまけにバディのシャルコも惚れた女のために上司に嘘をつくのは仕方ないにしても、独断専行で捜査を攪乱する始末。シャルコをはめようとする嫌な同僚が「自分が手柄を得ることしか考えてない」というのだが、まさにその通りで挙げ句に重要な参考人をむざむざ自殺させて反省のかけらもないサイコっぷり。

私が警察小説を読むのが好きなのは主人公が絶対正義の執行者という立場に属しているからである。陰惨な殺人事件があって、それの捜査に挑む主人公たち、しかしこの世の中一体悪と正義の二項ですっぱり割り切れるものであろうか?いや恐らく否であろう。だから正義の執行者である警察官である主人公たちには葛藤が生じるのであって、そこから彼らがどういう判断をするのか、というのが滅茶苦茶面白いのではないか。
この小説の2人はもう自分勝手にやっている訳で全く警察官じゃない訳である。変な言い方だが別に警察組織に実際に属しているか否か、なんてのは関係ないのである。彼らの生き方がビックリするほど自分本位で格好よくないのであった。

となんだか今までにないくらい悪口を並べ立てしまった。私は大抵何を食べても旨い!という幸福な人間なので、基本このブログでも好意的な感想を多く述べてきたが、まあそれでも納得できないという自分の気持ちを偽ることは出来ませんでした。
フォローする訳ではないが、話の筋と事件の真相に関しては文句なく人を引きつけるものがあると思いますので、上記主人公たちが「いやいや全然気にならんよ!」という人(そういう人だってたくさんいるだろうし、そう感じること自体は勿論私がどうこう言うところではございません。)は手に取ってくださいませ。

2014年1月18日土曜日

Tim Hecker/Virgins

カナダはモントリオールを拠点に活動するミュージシャンの7枚目のアルバム。
2013年にKrankeyからリリースされた。
私が持っているのはライナーとボーナストラックが1曲追加された日本版。

Tim Heckerというとアンビエント界隈ではとても著名なミュージシャンだと思うが、私はNadjaのAidan Bakerとコラボしたアルバムしか持っていないのだった。
ネットで評判だったので買ってみた。というのも全体的にピアノが中心に据えられた音作りのようだったから。私はギターを前面に押し出したメタル音楽ばかり聴いていて、勿論暴力的にゆがめられたバンドサウンドがこの上なく好きなのだが、昔からピアノという楽器にあこがれがあるのである。なんと言っても澄み切ったような音と、鍵盤を叩いた後の音の余韻がたまらなく琴線に触れるのである。

基本はドローンということになるのであろうと思う。
重みのある太い音、か細い糸のような音、様々な音がすーっと後ろに伸びていく。コントラストのように少しずつ変わっていく音。ジリジリとしたノイズ。貼付けていくように多様な音が追加されて以外にもカラフルな音像が出来上がる。
アンビエントな静謐性に加えて潮が満ちてくるようなカタルシスがあって、ぐわーっと高まってきたかと思うとあっという間に引いていくような、そんな趣があって面白い。
ビートは極力排除されていて乗るというよりは、沈み込むような陶酔感がある。
そこにピアノが入ってくる訳だが、これがすごい。ピアノというのは兎に角雰囲気に幅のある楽器だと思う。このアルバムでは勿論楽しいようなピアノはないのだが、一口に暗いと言ってもその実かなり豊かなバリエーションがある。つま弾くように引かれるはかない感じ。妙に歪んであるフレーズが執拗に繰り返される病的な感じ。どれもさすがの表現力だが、やはりピアノ特有の空間に響くような透明な感じと、尾を引くような残響があってこれがたまらない。胸が締め付けられるような切なさである。

なるほど高評価を受けるのが納得の出来であった。是非どうぞ。
ちなみに日本版は少し割高になってしまうが、ダウンロード形式になっているボーナストラックがとても格好いいので、これから買おうという人には日本版をお勧めしたい。

2014年1月13日月曜日

Quantic/The Best of Quantic

イギリス人のミュージシャン、プロデューサーによるベストアルバム。
2011年にTru Thoughtsからリリースされた。
ベストアルバムって今ではあまり買わなくなってしまったね。というか日本のメジャーなアーティストはベストアルバム出し過ぎなんじゃないだろうか。まあ一番売れるんだろうけどさ。

Quanticはイギリス人のWill Hollandのプロジェクト。Hollandはイギリス生まれ、本国でミュージシャンとしての地位を築いた後、2007年に南米のコロンビアに移住している。

初め私はジャズっぽいテクノかなと思ってこのCDを買ったんだけど、兎に角Will Hollandという人の懐の広さに驚かされるのは、かなり多岐にわたりジャンルを横断したようなその音楽性である。
ジャズやファンク、ソウルやボサノバはてはトリップホップ(なんとPortisheadの超名曲Wandering Starのカバーも収録されている(これはすごいファンク調だけど))まで兎に角幅が広い。ただ共通して黒人の音楽というか跳ねるようなビートが共通して根底にあって、どの曲も曲調は違えど聴いていると楽しくなって体を揺らしたくなるような音楽である。恐らくHolland本人はプロデューサーというか実際にすべての楽器を自前で演奏している訳ではないのだろうと思う。すべての楽器はかなり自由奔放に演奏している印象なんだよね。このベストアルバム聴いて思ったのは、兎に角楽しそうな当事者感がすごい。プロデューサーといっても上から目線で指図して作っている感じじゃないんよね。

音楽的な基本ははっきりしたビートが主体のブレイクビーツだからとても聴きやすい。ここが屋台骨になっていて、その上に多種多様な音楽をのせてみたって訳だ。
ボーカルもしゃがれた男声、南米情緒たっぷり名伸びやかな女声。アコースティックギターの鋭いのに柔らかな音色。トランペットを始めとした歌うような管楽器。そして跳ねるようなピアノ、ピアノ。私はピアノの音が大好き。暗い曲も良いけど、こういうのもたまには悪くないね。
全体的にすごいクールなのにアツい感じ。というのもやっぱりすぐそこで演奏している臨場感がある。今臨場感のない音源なんてのが珍しいけど。とはいえ演奏している人の息づかいまで聞こえてきそうな音楽というのはなかなかないよね。

本人のQuantic名義だけでなく、様々ミュージシャンとコラボした別名義の曲もたくさん収録されていて、本当にいろんな音楽が楽しめる。ただどれも基本がしっかりしているから以外に私のような門外漢でも聴けちゃうんだよね。
2枚組の大作なんだけどその音楽性もあってか結構通して聴けちゃいますね。
という訳で楽しい音楽聴きたい。能天気な奴じゃなくて生音のやつ!という方には非常にお勧めできるアルバムです。

私はこの曲聴いてこのアルバムを買ったよ。

2014年1月11日土曜日

Corrections House/Last City Zero

アメリカのスラッジメタルバンドの1stアルバム、
2013年にNeurot Recodingsからリリースされた。

聞き慣れないバンド名だが、新人ではない。そうそうたるメンツでボーカルがEyehatetgodのMike、ギターとボーカルがNeurosisのScott、サックスとボーカルがYakuzaのBruce、ドラムとプログラミングがMinskのSanford。
要するに界隈の超名人が集まったスーパーバンドな訳。最近のスーパーバンドというとIsisやConverge、Cave InのメンバーらのOld Man Gloomがぱっと思い浮かぶけど、あちらはひねくれてはいたけど比較的まっすぐなスラッジナンバーをプレイしていた。こちらはメンツを見るにひねくれているというよりはかなり凶悪なメンバー(顔からして恐いよ。ちなみに私はMinskだけは聴いたことがないんだよね…)だから音の方はというと、これはちょっとすごいものになるぞ、という期待が高まるわけです。

さてこれを聴いてみるとやっぱり基本はドゥーム/スラッジメタルになるんだけど、やはりというかなんというか大分一筋縄では行かない音楽性になっております。
元はNeurosisの最新作を思わせるようなちょっと物悲しさ強めなドゥームメタル。派手さはないんだが、間を意識した作曲で大胆に静かなパートも導入するし、いぶし銀な聴かせる作りになっております。ここまではうんうんと頷くところなんだが、何を思ったのかここからさらにそこらへんのインダストリアルバンドが裸足で逃げ出すようなノイズ成分をぶち込んできたんだよね、彼らは。今まで憂いのある感じでしっとりやってたじゃないですかーと言いたいんだが、そんな予定調和いらんわいとばかりに、ノイズにまみれたハードコア成分強めのボーカル、工事現場かと思うほどの金属質のノイズ、ドスの利きすぎたボーカルを次々に繰り出してくる。見る見るうちに曲のテンションがあがってきて気づくととんでもない音風景が広がっているという寸法。
兎に角曲展開が凄まじく、うううるせーと思っていたら急に虚脱したようなドローンパートに突入したりと、情緒不安定さとそのカメレオンばりの変化のグラデーションがひたすら楽しい。
ボーカルも3人が担当しているので、バリエーションというか一人一人に味があっていい。なかでもやっぱりMikeのボーカルはすげえなあ。Eyehategodより歌っている感もあるボーカルパートが結構入っているのだけど、なんだかすごい味がある。普段切れている奴があれ、こんなにいい声してたのかい、という驚き。
静と動、殺気と倦怠を絶妙にブレンドした音作りで、ただヤバいというのではなく、何とも言えない疲れた憂いのようなものがアコースティックギターだったり、サックスだったりの音の向こう側に透けて見えて何とも深みのある音楽性になっている。

所謂名のある人たちが集まってこんなに尖った音を出せるというのがすごい。さすがというべきか。全然日和ってねえなと、殺気に満ちあふれているなと。

個人的には殺す気満々の曲も気に入ったのだが、何と言ってもアルバムのタイトルにもなっている静かなナンバーが滅茶苦茶気に入った。
スポークンワードというか、ポエトリーリーディングというか、つま弾かれるギターに合わせてMikeがぽつぽつと詩をつぶやく何だけどこれがもう!もう!なんでかわからんがぐっとくる。何で歌詞つけてくれなかったんや。仕様がないので自分で何となく訳したりしている。なんかもうすげえ疲れた…みたいな感じなんだけど、声と相まってぎゅんぎゅん訴えかけてくるわ。

スーパーバンドなのでもう聴いている人は聴いていると思うけど、実はまだ…という人がいたら買って聴きなさい。超オススメ。

Burial/Rival Dealer

ちょっと前に異常な盛り上がりを見せたダブステップの大立物BurialのEP。
2013年にHyperdubからリリースされた。

BurialはなんだかEPを何枚か持っているんだけど、フルアルバムを1枚も持ってないな、と思ったらら、2007年の2ndアルバム以降はフルアルバムをリリースしてなかったようです。
BurialはイギリスのダブステップメイカーでRadioheadのトム・ヨークとコラボしたり、Massive Attackを始め様々なアーティストの楽曲をリミックスしたりと、この界隈を一気にオーバーグラウンドに持ち上げたアーティストの一人。

叩きのめして引き延ばしたような独特のシンセ音、冷たく重々しいビート、随所に挿入されるノイズ。歪められた声のサンプリング。
要素の一つ一つは確かにダブステップのそれなんだが、彼の手にかかると流行のダブステップのように下品な音にならないから不思議。どちらかというとノイジーな音を集めて曲を作っているのに、曲全体の雰囲気は驚くほど暗く、時に静寂性すら感じさせる。
全部で3曲のEPなのだが、間の曲が4分、その前後の曲は10分を超えるという大曲になっていて、面白いのはそれぞれの曲の途中で別の曲かというくらいの大胆な停止と転換がある。曲がゆっくりとフェードアウトしてまた再開するようなちょっと前衛的な作りになっている。再開するとそれまでの雰囲気とはがらりと変わっているから最初はちょっと戸惑うんだが、しばらくすると断絶前のフレーズがひょっこり顔を出してきたりして、あれれ元に戻った?と思うこともしばしば。反復性を強調するためにあえて異物を混入させたのかなとちょっと勘ぐってしまう。
変な表現だが、すべてが作り物めいたちょっと危うい脆さがあって、それが映画を見ているように魅力的だ。どの音も妙にくぐもっていて幻想的である。

Burialという人は基本的にライブもやらないし、積極的に声を上げる人ではないそうなのだが、珍しくこの音源をリリースする際にメッセージを発信したらしい。
“I put my heart into the new EP, I hope someone likes it. I wanted the tunes to be anti-bullying tunes that could maybe help someone to believe in themselves, to not be afraid, and to not give up, and to know that someone out there cares and is looking out for them. So it's like an angel's spell to protect them against the unkind people, the dark times, and the self-doubts.”
ここから引用)
新しいEPには心を込めた。誰かが気に入ってくれると嬉しい。
収録曲には聴いている人が自分を信じる手助けができるような、恐れずに、あきらめずに、そして向こうにいる人があなたを気にかけて注意しているということを知ってもらうための応援曲(意訳)になってほしい。つまりこの曲は悪いやつや暗い時間、そして自己疑問から人々を守るための天使の呪文なんだ。
我ながらひどい翻訳だが、前向きなBurialのメッセージの雰囲気が伝わればと。
このメッセージを聴くと確かにこの3つの曲が妙に心に優しく響いてくるから不思議なものだ。

というわけで謎のおおいBurialさんからの暖かいメッセージ。疲れたあなたにお勧めのダブステップです。

フランク・ティリエ/シンドロームE

ちょっと珍しいフランスの警察小説。
作者はフランク・ティリエはフランス人でフランス在住。

この本には男女2人の刑事が出てくるんだが、それぞれ作者の別の小説シリーズの主人公たちがこの本で出会って一緒に捜査するという面白い形になっている。
日本でも作者の本がすべて網羅されている訳ではないのだが、前述のそれぞれのシリーズは3冊ほど翻訳されて出版されている。私はAmazonさんのオススメでこの本を買ったため、この作者の本を読むのは今作が初めて。

フランス司法警察に勤めるシングルマザーの警部補・リューシーは休暇中にある日元恋人から電話をうける。彼はとある短編映画を見て失明したという。独自に捜査を始めるリューシー。一方司法警察中央局暴力犯罪対策本部に勤めるフランク・シャルコ警視は公害の工事現場で頭蓋骨が切開され眼球と脳抜き去られた5つの死体が発見された事件の捜査に乗り出す。一見無関係の2つの事件が交錯し、2人の刑事は50年代から続くとある真相に肉薄していく。

フランスという御国柄を反映しているのか否かはわからないが、いくつ過多の警察小説とは異なる点があって面白い。バディものやシングルマザーの刑事というのは今時珍しくないのだが、主人公の一人でシャルコという男性刑事がちょっと変わっている。疲れた中年男性で家庭が崩壊しているという設定は結構他の作品でもありふれているのだが、この男なんと統合失調症を患っている。とある陰惨な事件で(以前のシリーズで書かれているようだ。)精神を患ってしまったのだ。具体的にはなくした娘によく似た女の子(10歳くらい?)の幻覚が見える。困ったことにこの女の子はしょっちゅう現れてはシャルコに話しかけてくる。小さい女の子だからわがままで周りの目(周りの人には見えないんだが)なんておかまいなしに振る舞うものだからシャルコは彼女に応答する形でリアクションをとってしまい、周囲の人にはそんな彼の様子が奇異に映るのである。
もちろんシャルコだって彼女が実在しない妄想の産物であることは百も承知なのだが、統合失調症というのは気の迷いで何とかなるような生易しいものではない。彼には確かに彼女の姿が見え、声が聞こえるのである。哀れな中年刑事シャルコは彼女のご機嫌を取るため、彼女お気に入りのミントのカクテルソースとマロングラッセを常に持ち歩いている。
精神病だから葛藤がメタファー的に結実している訳ではなく、もちろん彼の内面を強く反映しているのだが、ある種悪魔のように勝手に動くようなところがあって、それが物語を面白くしている。こんな要素を入れたら、普通小説が分けわからなくなってしまうと思うのだが、作者は見事に警察小説にこの要素を取り入れて、結果物語を唯一無二野茂のにすることに成功していると思う。

作品のスタイルとしては見た人を失明させる映画と不可解な大量の死体というキャッチーな謎を用意して読者を引きつけつつ、犯人を追っかける内に捜査が広がっていき(シャルコは捜査の一環で遥かエジプトまで足を伸ばすことになる。2人の主人公が合流した後はカナダにも出張。)、事件が予想だにしなかった深みを見せることになる、というエンターテインメント性にとんだタイプ。
結構派手な作りで映画を見ているように引き込まれてしまうタイプ。兎に角キーとなる小道具の設定がイチイチ上手で、上記の映画や死体の損壊、果ては閉鎖的な精神病院や密かに行われていた人体実験や人間の内面に踏み込んでいくもんだから、これはどうしったって続きが気になってしまう。
目を引く陰惨さが強調されていて、ともすると下世話になりがちなのだが、主人公たちの捜査をスムーズなんだが、ある証拠から次の証拠へという過程の部分を丁寧に書いているので警察小説ものとしても面白い。犯人や被害者の人間関係や内面を丁寧に書き込む訳ではないのだが、2人の刑事をともに陰惨な事件に取り憑かれた人間として描いて、その特異性や警察商売がいかに人間らしさを刑事から奪っていくかということを(精神病も含めて)その生活の悲惨さをたっぷり挿入することで見事に補っている。

兎に角エンターテインメント性に富んだ読む人を楽しませようとする気概にあふれた小説。面白かった。唯一の欠点は(特に上巻の)表紙がちょっとダサいこと。
北欧の荒涼とした警察小説を期待すると肩すかしだろうが、わくわくする小説を読みたい人にはオススメ。

2014年1月5日日曜日

デニス・ルヘイン/夜に生きる

明けましておめでとうございます。
2013年のベストとかまとめた方が良いのかなと思いつつ、しらっと今年一本目のご紹介です。

アメリカの作家デニス・ルヘインによる長編。
原題は「Live by Night」で2012年に発表され、本邦では2013年に翻訳され出版された。
実はこの話以前このブログで紹介した「運命の日」の続編なのだ。前作の脇役だったジョー(ジョゼフ・コグリン)が主役。前作の主人公でジョーの兄貴のダニー、それから父親のトマスも出てくる。
ただし作品の質は前作と結構異なっていて、一言でいうとこれはもうノワールである。犯罪小説といっても様々だが、本書はギャングものである。なんと警察一家に生を受けたジョーが無法者になってギャングとして成り上がる話になっている。

1920年代のボストン。警視を勤めるトマス・コグリンの末っ子ジョゼフことジョーは早々に家を出てギャングとしての道を歩んでいた。ある日闇酒場(禁酒法下では潜りの酒場以外は存在しないが。)に押し入ったジョーはそこで一人の女と出会い恋に落ちるが、彼女は対抗するギャングのボスの愛人だった。その女エマと出会ったことでジョーの運命は大きく動いていく…

前作「運命の日」ではコグリン家の末っ子のジョーは本当に家に降り掛かる様々な災難に翻弄するだけの子供だったのだけれど、今作ではもう立派な大人になっている。といっても当初はまだ未成年の若造なんだが。それでももうはっきりと俺は昼の世界で歯車になっていくのはごめんで、夜の世界で生きていくんだと固く決意している。ギャングの一員ではあるけど、ジョーは自分のことを無法者であってギャングではないと思っている。
コグリン一族は固い家柄だから家族とは絶縁状態。とはいえ母親は前作の後なくなり、長兄ダニーは家族と決別して家を出、次男のコンも前作の事件の後家を出てしまっているから、実質の凝っているのは父親のトマスだけなのだが、この小説では結構この父親との関係が大きなテーマの一つになっている。
トマスは荒い言葉で怒鳴りつける訳ではないが、暴力は必ず自分に跳ね返ってくると穏やかにジョーを諭すんだけど、若いトマスは聞き耳持たない。
トマスだって警視は警視だが、不法入国でアメリカに来て以来清廉潔白どころかかなり危ういこともやってきて今の地位がある訳だから、ただただ悪いことは悪いというのではなく人生の先輩として法律の外で生きることがどんなに難しいことなのかを言い聞かせる訳です。読んでて、おやこれは実は前作から本当の主人公はトマスなのかな?とちょっと思った。トマスの受難である。よく考えると彼は成功者なのに苦労ばかりでちっとも幸福そうじゃ無いぞ。そうこうしているとジョーはあっさり刑務所にぶち込まれる。(この刑務所のエピソードが相当えげつない。カマを掘られるとかそんなレベルじゃない。実際こんなもんだったのかはわからないが、小説内の監獄は文字通りとんでもない地獄であった。)ここでのトマスが兎に角格好いい。(2人ともすごい頑固で不器用。そして絶対に自分の中で譲れない自分に科したルールがある。)トマスも息子への対応に関して葛藤と後悔があって息子を危険な連中から守ろうとする。ちょっといじましいくらい。そんな中あっけなく退場するトマス。ジョーは何を感じたのか。決意は変わらず、出所後も夜の世界でルールを作ることに執着し、マフィアの世界でのし上がっていく。一方的に解消された親子関係はしかし、最後までジョーの心の中に影を落とし、決着がつかなかった分くすぶり続ける。
ジョーは単純なようで複雑な性格をしていて、この小説は基本彼の視点で書かれているのだが、かかれている言葉、特に心中の独白をそのまま額面通り受け取ると、ある行動が納得いかないように感じられる。つまり意図的に彼が無意識に矛盾していることが書かれていてそこが面白い。親子関係もそうなんだけど、ただただならず者で気づいたらマフィアに身を落としていた訳でもない。監獄で兄のダニーとの面会で彼は言う、他人のルールに縛られて老いさらばえるなんて真っ平だ!と。若さである青臭さである。だがだからといって誰しもが法の目をかいくぐってマフィアになる訳ではない。本人ですらなんで法に背いて、背き続けられるのかきっとわかっていないような、そんな感じがあって、だから一体彼がどこにたどり着くのかというのは、最後のページを読み終えるまできっとわからない。
監獄で去り際にダニーは言う「おまえも大人になったな」と。これは皮肉なのかと思ったけど、どうもそんなことは無いようだ。ジョーは修羅場をくぐって死線を越える一方、家族が出来る。夜を支配する一方で昼の暖かさも手に入れる訳である。運命の女エマと決着を付ける下りは読んでて本当にゾクゾクしたものだ。大人になった訳じゃないし、若かったときのすべてが間違いだった訳でもない。ただ今じゃこうなったのさ、というなんとも格好いい男っぷりであった。

私はどちらかというと(本質的に社会にとって悪い存在であるというよりは)自分の臆病さ故に、どうしてもマフィアとかやくざとかはたとえフィクションの中でもなかなか好きになれない。しかしこの本のジョーの言い訳しないまっすぐさ(まっすぐなマフィアである)には何かしらこう大いに引きつけられるものがあった。
前作の主人公ダニーはどうしたって猪突猛進型の愛すべき熱血漢であった。彼は自分のためというよりもむしろ大義や友情のために自分を投げ出すことが出来る男だった。一方ジョーはどこまでも身勝手な人間ということが出来ると思う。しかしその運命を自分の手で切り開くような潔さはやはり人を引きつける。彼が最終的に愛した物事を考えるとちょっと寂しい感じもする。彼は結局目の前で展開する出来事をなす術無く見守ることしか出来ない子供であったのだろうか。意見が分かれるところだと思うが、いろいろ考えさせられた。

非常に面白い本を読んだと思います。デニス・ルヘインはやっぱり時代を切り取ってじっくり人の成長を書くのが抜群にうまいと思う。
重厚な小説だが是非読んでほしいと思う一冊。
ちなみに本作、ベン・アフレック監督で映画化が決まっているそうですよ。