2016年7月9日土曜日

グレッグ・イーガン/TAP

オーストラリアのSF作家による短編集。
河出書房新社による「奇想コレクション」の一冊としてリリースされたものを文庫にしたもの。
グレッグ・イーガンはハードSFを牽引する作家の一人で特に日本での人気はとても高いみたい。長編も素晴らしいのだが私は短篇が好きで「祈りの海」、「しあわせの理由」、「ひとりっ子」、どれも本当に楽しかった。本書の後書きによるとこれらの短編集は日本オリジナルみたい。始めの一冊は結構チャレンジングだったようで、それが幸いな事に受けてその後も何冊かリリースされているのかなと。

この本は特に初期の短編集を集めたもので、具体的には1986年から1995年の期間に発表されたものが収録されている。一番大きな特徴は今程ハードSFではないということ、というかSFとカテゴライズするのも難しい様な作品も収録されている。結果から言うと勿論どれも面白かったんだけど、これはつまりグレッグ・イーガンという人は勿論ハードSFという難しいジャンルを(イーガンの作品は何回と評される事も少なくはなくて初めてにするときはビビったもの)まるで熟練の科学技師のように操って物語を紡いでいく人なんだけれども、数学的な知識やそれに立脚した新奇なガジェットのみでその圧倒的な人気を獲得した訳ではないという事。要するにストーリーテリングの才がSFの才に負けず劣らず豊かだという事。
イーガンは科学に対して特別深い思い入れを持っていて、時にそれが人間的な信条や常識からは逸脱して軋轢を生む事があるのだが、イーガンは科学の良い側面(この人は科学がすべてを凌駕する優等なものとは明確に考えていないと私は思う)は旧弊な伝統を打ち破っていくさまを結構残酷にいくつかの作品で書いている。本当に頭の良い人なら起こりそうだけど、例に挙げると町の書店が衰退するのはAmazonを始めとするネット書店の台頭がその原因の一つに挙げられるけど、それがそもそも台頭するのはAmazonが町の書店より便利だからに他ならない、だからAmazonの方が時流に合っている、とまあこんな感じ。分かるんだけどどうしても慣れ親しんでいるものに肩入れしてしまう気持ちがあるから、素直に受け入れにくい。そんなアンビバレントな心のざわめきを巻き起こしてくれるのがイーガンの魅力の一つだと思っている。
本書でもその作者のセンスはすでに十二分発揮されているのだけれども、「銀炎」という物語の中で迷信がその数で持って科学による現実を打ち砕く様を書いている。ここでイーガンの良さがあるなと思う。イーガンは宗教に対して、もっというと盲目的な無知に対して疑問を持っている訳だけど、だからといって心理である科学を俺ツエー状態に持っていかない。そこに物語がある。そこにセンチメンタルなものがあって、イーガンは結局のところそういった心理のせめぎあう様を書いている。本書では私たちの現実で、もっと時代が進んで無限の宇宙と、無限の人間の変容した意識を舞台に。そういった意味ではそんなドラマ感がとても感じやすいのが本書ということになるかなと。

グレッグ・イーガンは難しいんでしょ?という人は是非この本から初めて見るのはいかがでしょうか。その他の短編集でも全然大丈夫だと思いますよ。

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