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2019年8月24日土曜日

ドン・ウィンズロウ/ザ・ボーダー

埋められた死体、吊るされた死体、バラバラに刻まれて奇妙なオブジェクトのように積み上げられた死体、切られ並べられた生首たち。メキシコではカルテルと呼ばれる組織が幅を利かせ、警察や国を買収して血で血を洗う抗争を日夜休むことなく繰り広げ、大量の麻薬を北のアメリカ合衆国に運び込んでいる。また同時に移民や犯罪者が大量に国境から合衆国に流出している。
憂慮した第45代アメリカ合衆国大統領はメキシコとの国境に長大な壁を築くことを公約に掲げている。

邪悪な暗黒大陸(と言われる)メキシコで何が起きているのか、それ丁寧に書いたのがこの一連の小説だと思う。
丁寧にとはどういうことか。それはマクロな視点とミクロな視点で麻薬戦争という出来事を書くことだ。

ドン・ウィンズロウは麻薬戦争をその言葉通り戦争と捉え、半世紀以上続くアメリカが取り組んでいる最も長い戦争だと捉える。なぎ倒されるわらのような大量の死を描く一方でなぶり殺しにされる一人の個人を描いてきた。アメリカの警官が拷問されて死ぬ、メキシコのナルコ(麻薬を売る人たち)やシカリオ(カルテルの暗殺者たち)が大量の銃弾を浴びて死ぬ、老人が殺され、子供が橋から投げ落とされ、大学生が焼き殺された。
万単位の死とそれを構成する、一人ひとりの死をつまり、各個人の生きざまを描いてきた。

一つの放たれた銃弾のような男、(この物語の主人公)アート・ケラーははじめは若き捜査官として、その後出世を重ね今作ではアメリカ合衆国麻薬取締局(DEA)の局長としてこの戦いにアメリカ側の兵力として参加してきた。
自分の手を血で汚し、汚職に加担したケラーは麻薬戦争にどっぷり浸かってきた。

そこで彼がみた生まれながらにして邪悪なメキシコ人が神聖なるアメリカを汚染している風景ではなかった。いかにして麻薬が生まれ、それがビジネスになるのか。
直接的な戦争以上に人が死ぬ争いが継続しているのは紛れもない。とんでもない金を生むからだ。貧困から麻薬を作り、貧困から麻薬を売る、そしてアメリカの貧困層が麻薬を買って使う。
汚い金でも金は金ではアメリカの高官ですら買うことができる。

いよいよ善悪の区別がつかなくなってきた。嘘つきの人殺し共に囲まれてケラーは自分が一体何と戦っているのかわからなくなってくる。(自分が嘘つきの人殺しの一人に成り下がったことに失望している。)キリのない殺し合いの連鎖に疲れてくる。誰が本当の悪なのか。
麻薬戦争を描くということはその表面の残酷性を描くだけでは不十分だ。
誰が駒を動かしているのか?
アメリカは本当に被害者でクリーンなのか?
この物語はあくまでも物語だ。この本に書かれていることが全て真実だと信じることは危険だが、私のような門外漢にはルポタージュ的な側面も強いと思う。

壁を作ることのアホらしさには気がついていたが、はっきりと言葉に出来ない違和感を根本を読むことで少しクリアにはできた。
アメリカでは大麻の合法化が進んでいる。
身体に影響がある以上大麻の合法化がいいことしかないというのは嘘だと思う。依存症などの問題は絶対ある。
しかし禁制になっていないだけでタバコや酒だって同じように薬物なのだ。(アメリカには禁酒法というのがあった。結果的にはマフィアが力を得た。)
合法化された州では大麻を楽しむことができる。かつては大麻はナルコたちの主要なビジネスの一つで、そのために一体何人の人間が殺されたのだろうか。
諦めないナルコたちは次の商品を開発し、新商品の一つフェンタニルは国境を超えたアメリカで大量の貧乏人や若者を殺している。(アメリカのラッパーLil Peepはフェンタニルの過剰摂取で亡くなっている。これは現実の話。)

麻薬の合法化を聞くとベスターの「虎よ!虎よ!」というSF小説を思い出す。
巨大すぎる力をあえて民衆にばらまいてしまう主人公。
使い方はみんな次第。規制するのではなくて民衆を信じたのだ。

年を経たケラーは清濁を併せ呑み、そして彼なりの考えを導き出した。
この柔軟さがかれの本当の強さの一つだ。
排除するのではなく向き合っていこうという姿勢。
たしかにこのやり方があっているかどうかはわからない。
しかしもうあまりに血が流れ、そしてそれは止まる気配がない。
善対悪というわかりやすい欺瞞から脱却し、今違う手段を取るべきだという、それは一つの提案である。

この物語を読んで感じるのは怒りだった。第一作「犬の力」からそうだった。
それはケラーのと言ってもよいが、作者のウィンズロウのだ。
ウィンズロウは他の作品でもアメリカに蔓延する麻薬について、アメリカの社会構造を交えて描いている。
買い手があるから売り手がある。かくて市場が完成する。
終わりのない戦いは続く。
ケラーの戦いはひとまずこの物語で終わり。

2018年4月15日日曜日

ドン・ウィンズロウ/ダ・フォース

アメリカの作家の長編小説。
私立探偵、麻薬取締官ときていよいよ本丸の警察官を書いたのがこの作品。(サーファー探偵で元警察官という主人公はいたけど。)警察の戦いを書いているのだが、そこはウィンズロウなので一筋縄ではいかない。主人公たちは汚れきった警察官であり、立場を利用してギャングやマフィアと結託している。賄賂を受け取る。麻薬を嗜む。(正当防衛でない)殺人をする。
個人的には警察小説の醍醐味の一つに実在しない”正義”という概念を無理やり現実に当てはめようとして、当然生じる両者の不整合がもたらす葛藤があると思っている。ところがこの小説の主人公マローンはこの葛藤がない。もはや迷う境地には居ない。なぜなら最前線(=街/ストリート)で戦う警察官として嫌なものを多く目にしてきた結果、現場に合わせて自分の正義の形を器用に変えてきたから。これこそが彼と仲間たちが落ちていく過程だった。つまり柔軟になるということが。ヤクザものたちに幅を利かせ、N.W.A.の「Fuck the Police」を鳴らしながら愛車のカマロを駆り街の王を自称するマローンは一見タフだし、自分でもそう思っている。ところがマローンは前述の通り自分の持つ正義に拘りがなく、場面場面で都合よくその正義のかたちを変えてきた男だ。正義を捨てる潔さはなく、ギャングを非合法に葬り、その麻薬を強奪しても自分は正義だと思っている。マローンは愚かな男だがそれは汚職警官だからではない。端的に言ってダサいのだ。言っていることとやっていることが全く一致していない。タフぶっている割にすぐに楽な方に流れる。その証拠に忌み嫌っているネズミにいざ自分がなる段には全く逡巡すらしないではないか。仲間を家族以上の魂のつながった存在だと賛美する割にあっさり彼らを裏切り、そして「妻と子供のためだから」というのである。ダサい。ダサすぎる。この男の弱さはもはや醜い。(私は自分がマローンよりタフだと言っているわけではない。彼ほど虚栄心が強くないだけだ。)
この物語は二段階の堕落を描いている。正義に燃える警察官であったマローンが悪党に落ちる様、そして汚職警官から裏切り者に落ちる様。いずれも心の弱さ故の自業自得(私はこの言葉あまり好きじゃないんだけど)なわけで、ほとんどの警察官は作中ですら真面目に働いているのである。たしかに腐敗が横行している、上に行けば行くほど低リスクで私腹を肥やしている、司法制度が機能していない、全て然りだろう。下のものが割りを食うのはいつの時代、どの業界でもそうである。しかしそれを糾弾するマローンの姿はやはり格好悪かったのである。

この小説を読んで面白かったのはキャラクターが立っているが決して内面に深く切り込んでいるわけではない。つまり人物像系としては(巧みにそうしないようにしているのだろうが)やや形式的だと思う。民族的なあるある感が詰め込まれておりわかりやすい。(私は日本育ち日本在住なのでこの判断はフェアではない可能性が大いにあるが。)だから汚れた警察官を主役に据えても、アメリカ文学海の狂犬ジェイムズ・エルロイの書く警察小説とは明確に雰囲気が異なる。エルロイは警察官を動かすことで彼らの内面の動きを描こうとするが、ウィンズロウは逆で主人公の内面的な葛藤はふんだんに書くが、あくまでも社会問題として警察官の汚職を描こうとする。身も蓋もないがエルロイの書く警察官たちは皆変態であるが、この小説には変態は一人も出てこない。変態とは例えばホモフォビアのホモとかそういうことではなくて(つまり説明として不十分)、異常なこだわりを持った人物という意味。エルロイ作品の登場人物たちは出世欲が強くても社会がどうなろうと知ったことではないのだ。毛色が異なるということで優劣はもちろんないが、個人的にはやはりウィンズロウという作家はどこまでも真面目な人なんだなという印象が強くなった。

主人公マローンのことをボロクソに貶してしまったがもちろん小説としては大変面白かった。

2016年5月29日日曜日

ドン・ウィンズロウ/ザ・カルテル

アメリカの作家による長編小説。
何を隠そうあの「犬の力」の続編!すかさず購入。

メキシコの麻薬王アダン・バレーラは真面目に刑期を勤め上げる気はなかった。周到に手を回し、アメリカからメキシコの刑務所に移送。中ではセレブの様な生活を楽しみ、悠々と脱獄した。自分をブタ箱にぶち込んだDEA(アメリカ麻薬取締局)の捜査官アールトゥーロ(アート)・ケラーに2百万ドルの賞金をかけ、かつての帝国を取り戻すべく復権に動き出した。一方DEAから離れていたケラーも因縁にケリをつけるべく捜査に復帰。メキシコを舞台に麻薬と暴力と血と死体が山のように詰み上がっていく。

物語のテーマと流れは基本的に同じ。麻薬戦争が主題に据えられていてかつては友情を育んだアメリカの捜査官と麻薬王がやり合う。前作「犬の力」は30年にわたる戦争を描いた重厚な作品だったが、今作はページ数は増えたものの経過する時間は10年。3分の1になった時間の中で圧倒的な濃密さでメキシコ、そしてアメリカ合衆国の暗部が描かれる。
スケール、迫力という意味では間違いなく前作を越えて来ているのは間違いない。非常に低俗な言い回しで恐縮だがおそらく殺される数、そしてその残酷描写も前作以上であると思う。
タイトルのカルテルは元々経済において市場に対して企業などの売り手の結託の事をさす言葉だが、いつ頃からか麻薬を売る犯罪組織に対する呼称になった。麻薬販売は恐ろしい利益を生み出すビジネスだ。作中では石油に継ぐ高い利益率と書かれている。(石油は精製に手間かかりそうな印象があったけどそうでもないみたい。)はっきりとした数字は出ないもののそれが生み出す金は300億ドルになるという。その金を巡って悪人たちが命をかけて戦い合う。この本を読むと日本にいる私たちからするとあぜんとする様な光景が目に飛び込んでくる。サボテンとソンブレロ、辛い料理、なんとなく陽気な男たちのいる国、そんなイメージのメキシコの治安が近年著しく低下している事はなんとなくニュースで知っている。そして多くの人たちが酷く凄惨な方法で殺されている事も。体をバラバラにされた死体が見せつけるように市井に放置されたり、麻薬と戦う立場にある人がもの凄い早さで殺されたり。一時期は女性の弁護士が殺されたり、とても若い女性が警察署長に就任したりと(調べたらその後身の危険を感じてアメリカに亡命したそうだ。良かった良かった!)、日本でも話題になったから憶えている人も多いと思う。なぜメキシコがそんな状態に陥ったのかをこの小説からある程度知る事が出来る。
ナルコと呼ばれる麻薬商人たちは商売が好調で莫大な金を得(ちなみに商売が低調だと牌の取り合いで暴力が加速するという地獄絵図)、警察官を買収し始める。元々賄賂の横行している国らしいが、驚くなかれナルコに協力するもの、独自に麻薬を売るものなど警察官は(勿論すべての警察官がそうではないだろうか)真っ黒。(なだたるナルコの中には警察官出身のものも少なくないとか。)麻薬売るためには暴力が必要不可欠なのでナルコは次に軍隊に目を付け、高額の報酬で正規の兵士をリクルートしてくる。これがまずかった。元軍隊はタダのチンピラとは違う。厳しい軍紀で統制され、退役の時に盗み出した銃火機で武装し、ライバルのナルコに連なるものたちを殺していく。殺すといってもまず融解し、さんざん拷問した末に殺し、相手をおびえさせるためにバラバラにしてオブジェにしたり、橋から吊るしたりとそういった方法で町に放置していく。暴力とそれに対抗するための暴力。それに対抗するための暴力。それに対抗するための暴力。それに対抗するための暴力。抗争と暴力は激化していく。
暴力は下世話な求心力がある。酷い言い方だがこの小説も陰惨な描写が一つの売りだ。そういった意味では非常にエンターテインメント性に富んでいる。対岸の火事をさらにフィクションという糖衣に包んで味わう事が出来る。ただこのお菓子は毒を含んでいて、読者の心には疑問が生じるはずだ。一体麻薬をなくす事は出来ないのだろうか。正義というのは幻想なのか。それこそが作者ドン・ウィンズロウの狙いかもしれない。彼の小説には麻薬が良く出てくる。スタイリッシュであるが、かならず麻薬の持つ暗黒面も書く人だ。
戦い続ける捜査官ケラーの心のうちには次第に疑問が生じてくる。麻薬を売る人がいるのはそれを買う人がいるからだ。そして誰かを逮捕しても別の誰かがその穴を埋めていく。国境は広く全部を監視するのは無理だ。一体この麻薬戦争はどこに終結するのか(それとも終結なんかしないのか)。なんとなく現状を見ればその先行きは分かるだろうが、一つの小説として是非読んでいただきたいものである。
面白い小説を探している人で暴力描写が大丈夫な人、それからメキシコって一体どうなっているんだろうと気になっている人は是非是非手に取っていただきたい。可能だったら前作「犬の力」から読んでいただきたい。長いがとても読みやすいので。ただこちらから読んでも大丈夫だと思う。非常にオススメです。

2013年3月17日日曜日

ドン・ウィンズロウ/紳士の黙約

ドン・ウィンズロウによるサーフノワール第2弾。
相変わらずの、軽口、友情、ノワール、どんでん返しがギュッと一冊に収められており、破綻なく最後ですべてを丸く収める力量はさすがの一言。

カリフォルニア州サンディエゴ市パシフィックビーチ在住のブーン・ダニエルズはサーファーであると同時に探偵。波乗りに支障が出ない範囲で仕事するのがモットーで、頼もしい仲間「ドーン・パトロール」とのサーフィンが彼の人生のすべて。
ある日、ブーンは紳士の時間(仕事を引退した熟練サーファーや成功した人物など時間に余裕がある人たちが波に乗る朝早い時間)のサーファー仲間から彼の妻の浮気の調査を依頼される。この類の調査が決して良い結果をもたらさらないことを知るブーン、さらに仲間の夫婦間の問題となればなおさらと引き受けることをためらうが、結局は仲間のよしみで引き受けることに。
 その足で事務所に向かうと、ある事件をきっかけに知り合った友達以上恋人未満の美人弁護士から仕事の依頼が。
高名なサーファー、通称K2が若者に殴り殺された。彼女はこの若者の弁護をするので、地元に顔の利くブーンに手伝ってほしいという。K2は地元で成人のように敬愛されている。ブーン自身も尊敬し、その死に悲しみ、犯人の若者を憎んでいる。パシフィックビーチのものならばみんなそう考えているだろう。取りつく島もなく拒絶するブーンだが結局依頼を引き受けることに。ただしそれはブーンが考えている以上に過酷な未来を彼にもたらすことになる。

前作に引き続き、だらしなく見えるが実はイケメンで、無知で粗野に見えるが実は博学、明るくふるまっているが暗い過去があり、サーフィンがべらぼうにうまく、腕っぷしが強い、仲間に恵まれていて地元では顔役、という男の理想像をこれでもかと体現したブーンさんが活躍しまくる。(今回は前作以上にちょいちょい女性にもてる描写が多かった気がする。)
ただし今回は前作のようにスマートのようにいかない、なんせ周りはK2大好きなのだから、それを殺した男の弁護をするとなれば、地元に波乱が起きないことはありえない。結束の固い「ドーンパトロール」にも亀裂が走り、調査はうまくいかない。ブーンは次第に追い込まれていく。サーファーやめちゃおうかな、などとも考えちゃう。

思うに 「ドーンパトロール」の中でブーンだけが中途半端なのだ。ほかのメンバーはみんなちゃんとした仕事を持っている。サニーはそうでなかったが、長年の夢がかなってプロのサーファー(お金をもらってサーフィンする人)になった。ブーンもプロになれる力量を持っているのだが、自分には向かないのでいつまでたってもダラダラしてて、この生活がずっと続けばいいと思っている。ただブーンもいい大人になってきて、いよいよお前このままだとどうするんだ、と今回はのっぴきならない状況に追い込まれるわけだ。
追い込まれているのに軽口をやめないブーン、前述のとおりヒーローを体現したかのようなその人格はともすれば嫌味になって読み手に嫌悪感をもたらすこともあるだろうが、 ドン・ウィンズロウの語り口は今作でも冴えわたり、もはや俺だけがお前を分かっているぞとばかりに応援したくなる。
孤立無援のブーンはそれでも真実に近づいていく。陽光燦々たる楽園のようなサンディエゴ、前作ではそこが内包する闇が暴かれたが、今作でももっとねっとりとした闇の部分がさらされていく。
そのラストは是非読んで確かめてみてください。

2013年3月10日日曜日

ドン・ウィンズロウ/夜明けのパトロール


映画「野蛮な奴ら」が日本でも公開開始された売れっ子ドン・ウィンズロウさんの新シリーズ第1作目。
今度はなんとサーフ・ノワールだという。ノワールというといわゆる暗黒小説。ギャングやマフィアなどが跋扈する社会の暗部を暴力満点で描写するジャンルだと思うんだけど、それの頭につくのがサーフだ。サーフはボードで波に乗るあのサーフィンのことです。 舞台はカリフォルニアとくれば暗黒どころではない。陽光燦々たる一大天国である。しかしどんなに明るい天国にも真っ黒い闇を抱えているもの。ここの恐るべきく対比を見事に描き切ったドン・ウィンズロウさんはさすがと言わざるを得ない。

カリフォルニア州はサンディエゴ、元警察官のブーン・ダニエルズは今は探偵業、というよりサーファー。お金が無くなったら探偵業を請け負っているけれども、生活の中心はやっぱりサーフィン。ブーンにとっては海こそすべて。
気の合う仲間5人と毎日ドーン(夜明け)パトロールと呼ばれる早朝サーフィンに繰り出す。水難救助員、殺人課刑事、公共事業現場監督、サーフショップ店員、プロを目指すサーファー、商業は違えどかけがえのない仲間(ブーンを入れた6人で「ドーンパトロール」というチーム。)に囲まれていて、自身もサーフィンの腕で地元では一目置かれているブーン。
そんなある日ブーンのもとに美人な弁護士からストリッパーを探す依頼が舞い込む。ところが探すはずのストリッパーは死亡。ブーンはただのストリッパーの失踪からサンディエゴが抱える闇の部分に迫っていくことになる。

あらすじを見るとサーフノワール問ジャンルについて少し見当がついたのではないかと。そのままサーファーが探偵をするんです。だから「犬の力」なんかとは違って物語はカリフォルニア州の太陽のもと軽快に進みます。会話どころか地の分もすべての文章が軽口調でその読みさすさ、軽妙さといったらない。かなり頻繁に土地の歴史の講釈が入るのだけれども、並みの小説では退屈なここの部分すら読んでいてとても面白い。とにかく徹底的に読み手のことを考えて書かれた文章だなという印象。
もちろんウィンズロウさんのことなのでしっかりノワールをやるのだが、陰惨な描写ですらテンポがよく、その対比によって残酷さの引き立つことったらない。やっぱりこの作者は文章力がずば抜けていると思う。原文で読んだらさぞかしすごいんじゃなかろうか。

さて読みやすさもさることながら、小説の中身も素晴らしいです。
個性的なキャラクターはまるで漫画のようにキャラクターが立っているが、小手先のキャラ立ちなどは一切なし。それぞれがそれぞれの人生にピタリとはまっている感じ。
作者の持ち味、2点3点するストーリーはこの作品でも健在で、終盤まで物語が最後までどこに着陸するのか全く予想がつかない。ただ面白いなと思ったのは、この作品主人公ブーンが感じる違和感を読者も一緒に体感でいるところ。基本はブーン(たまに敵役)の視点で捜査が進んでいくのだけど、よく考えるとつじつまが合わなかったりするところが、結構わかりやすく提示されている。だから物語が進んでいくにつれて「何か変だぞ」となった疑問が、ある地点で回答が提示されてぴったりはまった時の気持ち良さったらないわけです。

ノワールの部分も文句なし!この作品の場合ジェットコースターでも気づいたらあたりの景色が一変して地獄についてました、というのとは違う。周りの景色はあくまでも楽園のようなサンディエゴなのだけど、そこに同時に存在する邪悪が、物語が進むにつれて、まさに白日の下にさらけ出されるわけです。ここの部分は是非!読んでみてください。文句なしにおすすめ。



2013年2月2日土曜日

ドン・ウィンズロウ/ストリート・キッズ

昨年末からはまっているドン・ウィンズロウさんの本。
どうもこれが彼のデビュー作っぽい。
前の読んだ2作品とはちょっと気色が異なる。何って主人公が若い。若いってところが問題で、若いと大人とすんでいる世界が違うからおのずと物語も違ってくるんだと思った。
1,976年元ストリート・キッズのニール・ケアリーは大学院に通う傍ら探偵業を、いや探偵業を営む傍ら大学院に通っている。ある日彼が父と呼ぶジョーから仕事が舞い込む。次期副大統領候補の素行不良の娘アリーが家出をした。党の全国大会までに彼女を取り戻すのだ。期限は3か月弱。ニールは最後に彼女が目撃されたのはロンドンに飛ぶ。
というお話。
ジャンルは一応ハードボイルドということになるのだろうか。
ストリート・キッズというのはホームレスの子らしい。主人公ニールは父親がいなく(ジョーは父親代わり)で、母親は麻薬中毒の売春婦だった。若くして犯罪行為に手を染めていたニールはジョーと出会うことでたくましく明るく成長することができた(とはいえもちろん幸せいっぱいに順風満帆に育ったわけはない)けど、やっぱり自分の家族の問題が人格の形成に暗い影を落としているようだ。
ニールはジョーに仕込まれただけでなく生まれ持った才覚もあってか若くして探偵としての技術は一流だけど、まだ大人になりきれていないから仕事にどうしても若さが出てしまう。個人的な問題と今の仕事を切り離すことができないし、孤独感を抱え込んでいて恋人との間にも一枚壁のようなものを作ってしまう癖に敵でも味方でも探偵として付き合うことができない。頭がいいのに馬鹿にされるとついかっとなって言い返してしまう。
要するに不器用な青い奴なのだが、そこがいい。引き受けた仕事は”自分”の仕事になってしまう。
一方与えられた仕事はまったくもって大人の事情で動いている。情報には裏があるし、まったく真実でない場合もある。ニールは探偵業を自分で選んでやっているわけではない。否が応でも巨大な意志の手先になって動かなければならない。
この対立がドラマになる。犬の力のケラーやフランキーマシーンの冬のフランキーとは違う。完全な汚れ仕事を任務達成のため平然とやってのける冷酷さや、清濁併せのんだ老獪さがニールにはない。過酷な仕事に真っ正直に体当たりで血だらけでボロボロになっても食いついていく。ここの書き方が巧みで、読んでいるこちらとしては主人公を応援したくなってしまう。失敗すらいとおしい。何やってるんだよーともうこれはサポータのようだ。

そしてやはりこの本にも麻薬が出てくる。変な順番で読んでるけどこの著者の本には今のところ必ず麻薬が出てくる。僕は麻薬をやったことがないので詳しくは知らないが、かなり生々しく描写されているように感じる。はっきりと明言されているわけではないので印象だけどウィンズロウさんは麻薬がとても嫌いなのだろうと思う。嫌いというか激しく憎んでいるのではないだろうか。麻薬の持つある種の華々しさを描く一方、必ず仮借のない麻薬の持つ負の面を欠いて売る人、買う人、使う人麻薬に巻き込まれた人々の悲惨さを執念深く書き込んでいるからだ。

前にも書いたけど大人の世界で奮闘する子供の話、なんでも素手で触るからすぐに傷ついてしまう。ラストはとても切ない。
面白かった。
ニール・ケアリーシリーズといってこの後も何冊が出ているようだから読んでみようと思っています。

2013年1月12日土曜日

ドン・ウィンズロウ/フランキー・マシーンの冬






「犬の力」があんまり面白かったもんで、同じ作者が「犬の力」の後に発表した本を購入。

主人公フランク・マシアーノは62歳、サンディエゴの海沿いに住んでいて、釣具屋、リネンレンタル業などを営み、仕事の合間にはサーフィンを楽しむ。地元の人間にはとても愛されていて、離婚したけど今は恋人がいて、またわかれた妻との間に生まれた娘との関係もよい。
ある日、昔の”仕事”の関係者から懇願されたフランクはやむにやまれない事情から引退したはずの”仕事”の手伝いをすることになるが、交渉の場で殺されかけてしまう。
今は餌屋を営むフランクは「フランキー・マシーン」と呼ばれるイタリア系マフィアの殺し屋だった。
あっさり襲撃者2人を返り討ちにしたフランキー・マシーン、きれいに足を洗った後に手に入れた平穏な生活をこよなく愛する彼には殺される理由がわからない。
追っ手から逃つつもフランクは狙われる理由をはっきりさせ黒幕を突き止めようとするが…

フランキーのこらまた血煙にまみれた逃走劇とマフィア時代の回想が同時進行で展開される。
マフィアの世界とは不思議なもので何か事を起こそうとすると、仁義だ何だとうるさいことを言われるくせに、みんな裏ではお互いを欺いたり出し抜こうと苦心している。
大きな矛盾をきれいごとのラベルで包むのは、今も昔もやくざもかたぎも変わらんのか問い浮きもするけれど、そんな陰謀渦巻くマフィアの世界でも自分の道理を貫いて、冷酷な殺し屋ではあるけど”汚い仕事”に手を染めない男気あふれるフランキーがとてもかっこいい。
フランキーは自分でもがんばって、また運がよくて堅気になれた。フランキーは今を愛しているけど、マフィアの仕事にどっぷり使って抜け出せない、そして今はもう老いてしまった登場人物たちが口をそろえて「昔はよかったな、フランキー」というのが悲しい。

この本も暴力と裏切りあいがせめぎあっているけれど、犬の力と違って渺茫とした暴力の果ての地平が描かれていない。
個人的な問題が根底にあって、家族と堅気の生活を守りたいという主人公のポジティブさが物語を明るいものにしている。
映画を見ているような冒険活劇でとても面白かった。

2013年1月5日土曜日

ドン・ウィンズロウ/犬の力


米国-南米間の30年に及ぶ血で血を洗う麻薬抗争を描いた作品。
麻薬取締局捜査官、南米カルテルのボス、アメリカの殺し屋、カトリックの司祭、高級娼婦、多様なキャラクターがアメリカ大陸の麻薬をめぐって縦横無尽に紙上を駆け巡る。
ある意味主役は麻薬で、巨大な富を生む麻薬に取り付かれた人たちの物語といえるかもしれない。そうして麻薬は暴力を常に暴力を伴う。不思議なタイトル「犬の力」は聖書の詩篇から取られたそうで、獣のような純粋な「暴力」のことなのかも。(あとがきだとちょっと違った解釈だった。)
プロローグから尋常じゃない暴力の描写がいやになるくらい詰め込まれていて、文字通り目を離したくなるような、痛い、ひどい、残酷な力の執行が、銃で、刃物で、爆発物で、薬物で、素手で、自然災害で、路上で、地下室で、大人に、子供に、女に、老人に、暗殺だの拷問だのあらゆる形で繰り広げられる。
それらが当事者の視点で丁寧に描かれているものだから、痛さがリアルに想像できて恐ろしい。
さらに恐ろしいのはこれらの暴力のすべてが決して短絡的なものではないことだ。
すさまじい暴力の裏にはその暴力が現出する要因たる姦計が、策略がある。
たくさんの暴力は計算され、最大限の効果をあげるように周到に用意された結果引き起こされている。南米の青い空と輝く太陽の下で振るわれる暴力は、元をたどると実は冷房の効いたアメリカの会議室で生み出されたものだったりする。行為を伴わない暴力というのは、恐ろしい。現実感がなくとても無慈悲だ。国家レベルの思惑においては人の命はとても軽い。
この小説は麻薬を発端とする国家規模の問題にフォーカスしたマクロ視点と、登場人物一人ひとりのそれこそ生活まで丁寧に描く(=国家規模の問題を個人のそれにまで落としこんでいる)ミクロの視点があってそれが双方ともにものすごーく丁寧に書かれている。

躊躇なく子供を殺し、敵対者をわなにかけるモンスターのような登場人物も、同時に奥さんと家族を溺愛していて、離れて暮らしている子供とチャットすることを何より大切にしていたりする。当たり前の話だが、彼らは人間であることが意図的に明示されている。
ただの麻薬商人というキャラクターじゃあなくて、一人の人間として書かれているものだから、視点が変わるごとに感情移入してしまう。 へんな言い方だが、出てくる人間で一人もろくなやつはいないが、出てくる全員がとても魅力的なのだ。

久しぶりに夜通し本を読んだ。
読んでて声が出てしまう本というのはたいてい面白い。
とてもすばらしい時間で何にも変えがたい。2013年もたくさん本を読みたい。