2016年4月23日土曜日

トレヴェニアン/シブミ

アメリカの作家による冒険小説。
トレヴェニアンというのは勿論筆名で正体を明かさない覆面作家だったようだ。(実際はこの人では?と当たりをつけられていたみたいだが。)残念ながら既に鬼籍に入られている。
冒険小説では有名な作品で作者の死後、同じくアメリカの冒険・探偵小説家であるドン・ウィンズロウがこの作品の前日譚を書いており、ドン・ウィンズロウ好きな私はそこからこの作品を知って興味を持ち、今回読んでみた。

ユダヤ系アメリカ人のハンナは1972年のミュンヘンオリンピックのテロ事件で殺されたユダヤ人たちの報復をすべく、彼女の叔父が組織した報復組織ミュンヘン・ファイブに加わった。しかしあらかじめ当局に動きを察知されており、目的地に向かう経由地であるローマ国際空港で仲間2人が殺される。命からがら逃げ出したハンナは叔父から繋がりのある引退した凄腕の暗殺者であるニコライ・ヘルの元を訪れるべく、バスク地方に向かう。ニコライは数々の困難な暗殺をこなした伝説的な人物で、シブミを希求する一風変わった男だという。

「シブミ」というタイトルは勿論日本語の”渋み”を指している。複雑な出自を持つニコライは戦時中日本で暮らしその文化に大いに感化され(戦後は西洋化した日本に失望してその地を早々に去った)渋い男になるべく日々鍛錬に励んでいる。洞窟探検が趣味の変わった男で隠棲者か求道者といった趣がある。禁欲的だが性的には先進的だったりしてまあ大分変な人である。まずはこの特異なキャラクターが気に入るかどうか、なのだが当初私は結構厳しかったのである。
作者トレヴェニアンは相当真面目な人のようでとにかく世界を股にかける暗殺者が活躍する話を書くにあたって相当勉強している。CIAを始めとする当局側の(闇の)組織を通じて、国際情勢の経済的・政治的な動きを書き、地理的にはスペインに属しながらも独特の文化を育むバスク地方の豊で美しい景色を肌で感じられそうなほどリアルに描く。何より「渋み」をタイトルに参照するくらい日本の文化についての造詣が深い。戦時中のアメリカの軍事戦略・軍事的行動を相当痛烈に批判して、桜の花の美しさを解するトレヴェニアンという人は中々どうして日本を理解し、そして日本に優しい。
しかしどうしてもトレヴェニアンが描くニコライ・ヘルは好きになれなかった。いわば悟りを開いた状態なのだろうか、生まれた時から異常なまでな落ち着きと知性を備え、人を殺すという覚悟とそれを体現できる体躯をもち、異常に冴え渡る緑色の瞳が印象的な外見によって、同姓には一目置かれ、異性にはもてる。困難な暗殺をこなし伝説になった後早々と引退し、田舎で日本風庭園の造作にいそしむ。というまさに完璧人間。男が憧れる男を体現した人物で、私はこういう人物を見ると憧れるというよりは、なんとなく物寂しくなってしまう。どうしても中年男が考えた理想像を見せつけられているようでゲンナリというか冷めてしまうのだ。例えばこの間感想を書いた「暗殺者グレイマン」も同じ縁説的な暗殺者を書いたが、グレイマンは非人間的な技能と引き換えに、あるいはその決定的な要因として地味すぎる外見を付与されていた。ほとんどの人は彼の顔を憶えていないし、まあ女性にもてない訳ではないだろうがグレイマンは暗殺者としての誇りが高いので持てようと言う気は皆無だ。要するにグレイマンは何となく生きていてその魅力はしかと私に伝わった。ニコライ・ヘルの場合はそう出なかった。外見なのか?ひがみなのか?というと実はそうでもない。ニコライ・ヘルは思想的に完結していて、自分が最高であることを知り、他者を見下している。(ニコライの賢さを他者が説明するという体裁の情婦や情報斡旋者との会話はさすがに読んでいてきつかった…)なるほど確かに頭が良く、他者を圧倒する才能を持っているのだが、寛容ではない。考えてほしいのだが、渋い男を思い浮かべたらその人は優しくないだろうか?優しいというのは一つは寛容であるということだ。寛容というのは他者の多様性を認めるということだ。自分に対して反省を持っているということだ。ニコライにはそれが無く、そして私的にはその要素は決定的にシブミには必要だと思ったのでそこで齟齬が生じてしまった。ただしこのニコライのいわば傲慢さと冷徹さに関しては作者は意図して作成しており、劇中でもはっきりと日本人の養父からそういわれている。いわば好みの問題なのだろう。
結構きつい物言いになってしまったがじゃあ面白くなかったのか?というと実は面白かった。なぜかというと完璧人間であるニコライが中盤以降でその鼻っ柱を折られ、ぼろぼろになり反撃に転じるのである。必死なニコライはそれまでの味方を覆らせて中々に魅せられた。この構成に上手いなあ〜と思わず唸ってしまった。トレヴェニアン、中々に読者を煙に巻く作家のようだ。一筋縄では行かない。彼の思うように手のひらの上で転がされてしまった気分である。
というわけで冒険小説が好きな人、日本にも関わりがある作品なので興味を持った方は是非どうぞ。

0 件のコメント:

コメントを投稿