2018年1月28日日曜日

小手1stFULLALBUM「雑記」発売記念イベント@三軒茶屋Heaven's Door

小手という少し変わったバンドが居るということはなんとなく知っていた。最近会社の音楽好きの人からかっこよいから聴いてくれ!と小手のyoutubeのライブ動画を紹介されたのをきっかけに仕事をしながら聴いてみるととても良くて驚いた。タイミングと言うものが人生にはあって、その紹介してくれた人も意図してたわけではないが、小手が1月に結成18年目にして初のフルアルバム「雑記」をリリースした。これは当然買うわけだし、発売記念のライブをするということなら行くことになる。「雑記」もそこまで聴き込めてないし、ライブを見るのも初めてだ。会場は三軒茶屋Heaven's Door。始めていくがいい雰囲気(スタッフの方が皆さん愛想が良い)のところで、ステージの正面が少しだけフロアにせり出しているのが特徴か。

小手
初っ端は小手。半端に知っている状態でいきなりライブを見るというのは面白い。4人のメンバーが揃ってややくたびれた作務衣に身を包み、ボーカルの人以外は狐のお面をかぶっている。当然音源で聞くより音量がでかく、また音も立体的に聞こえる。小手というバンドは変わっていて、ボーカルは歌を歌うというよりは詩を語る、というのに近い。節回しは少なく(曲によってはある。)、リズムを付けて押韻していくのでもないからラップとも趣が異なる。(ただし押韻に関してはかなり意図しているのではと思う。)ポストロックや日本の激情系ハードコアのスポークン・ワードのパートに通じるところがあるといえば伝わりやすいのではなかろうか。ただ小手の詩というのは、ポエトリーとはまた異なる、もっと散文めいた、日記めいたもので、それも書き手の日常生活を包み隠さず生々しく書いたような内容だ。装飾的なかっこよさとは大分かけ離れた音楽なのだ。その特異さ、異質さがまずは大音量で強烈に意識される。ただ音源よりもっと音楽的である。特にギター、ベースの存在感が有りながらも濁りのないクリアな音は印象に残る。決してディストーションを噛ませた(パワー)コードで弾きまくるようなことはなく、単音もコードも弦の一本一本それぞれの音が分離して聞こえるような透明さが意識され、またアルペジオやそれよりもっと少ない音がほぼほぼ全編に渡って続く。いわばポストロックの静謐なパートに語りが乗る、というような特殊さ。ただしベースもギターもそれぞれ通常より弦が一つ多く、たまに繰り出す重たいパートはかなりの重量感がある。まずは圧倒されているうちに持ち時間は終わり。小手はこの日一番手とトリの二回ステージに立つのだ。

phone
続いては栃木県足利のバンドphone。この日小手以外は初めて見る聴くバンドばかり。phoneは三人編成のバンドでドラムとベースとギター。弦楽器の二人がどちらもボーカルを取る。マイクを正面でなくややステージ中央に向けて配置するからメンバー三人ががっぷりしのぎを削る用な構図になっていて面白い。曲が始まってみると完全にハードコアだ。それも結構ややこしいやつで、なんとも形容し難い複雑な世界観を持っている。開始当初はギター・ベース両者の叫びも生々しく(基本的にクリーンはほぼ歌わなかったと思う。)、かなり初期衝動的なエモバイオレンスかと思った。ギターの音をガッチガチに武装するのではなく、ややジャギジャギした生音を残しており、黎明期のエモに対する愛着と敬意があるのではと。スリーピースならではのムダと冗長さがないヒリヒリした音なのだが、曲がかなり凝っている。カオティックやマスコア的な要素があり、展開が目まぐるしく変わっていく。そうこうしているとボーカルが鳴りを潜め、インスト曲に突入。突っ走るギターが一点空間的な音色を身にまとい、ポストロック的に反復していく。この時も緊張感を途切れさせないのがさすがで最後までビリビリしていた。個人的にはドラムが正確なのと展開が多いのと、特にバスドラムを打つタイミングが微妙にずらされているような気がしてそこが気持ちよかった。これがグルーヴ感と言うやつなのだろうか。

Slang Boogie
続いては地元三軒茶屋で長く活動しているというSlang Boogie。ドラム、ベース、ギターにボーカルの四人組のバンドで音的にはやっぱりちょっと変わっている。基本はハードコアパンクだと思うのだが、ボーカルの人が「ヤーマン」といってステージが始まったこともありレゲエ(音的にも思想的にも)の要素がある。ハードコア・パンクが軽くなるととたんに軽薄になったりするもんだが、このバンドに関しては結構軸がぶれていないのか、ハードコアの肉体的な明快さと、レゲエのゆったりとした楽しさが良い感じに結びついていて独特のミクスチャーサウンドを出している。というのも突発的な疾走パート、唸る硬質のベース、コーラスワーク、日本のハードコアを彷彿とさせる感情的なギターソロなどきっちりとハードコアのポイントをオリジナリティをだしつつきちんと抑えているので、ここがどっしり発信の中心になっている。ソリッドかつ余裕がなくなり、際限なく攻撃的になっていきがちなハードコア精神を良い感じにレゲエの要素がゆるくさせている。半端などっちつかずの中庸に陥らずに、潔くそれぞれの特徴が生かされているのが印象的。ボーカルの人はとにかくピースサインを良くする。この世がもし地獄なら、「この世はクソだ」というよりは「平和を!」と叫ぶほうがきっとこんなんだろうと思う。ステージの前には(おそらく)メンバーのお子さんがいて、とても良い雰囲気だった。不思議なバンドだ。

Risingtones
続いてはレゲエ、スカ、ロックステディバンドのRisingtones。なんといってもテナーサックス、トランペット、トロンボーンというホーン隊がいるのが特徴。さらにドラム、ベース、ギター、ボーカルに加えてキーボードがいるから全部で8人の大所帯。流石にステージが狭い狭い。ホーンはアンプを通さないので、音を拾うマイクの本数も多い。
この日一番ブラックな音をだしているバンドでやはり異彩を放っていた。手数は多くないがしっかりとしたドラムに、音の数のメリハリがついたベース(リフが凝っていて格好良いのだが、小節の中でかなり休符を入れてグルーヴを意識している。)、裏打ちのギターはあくまでもシンプル。そこにボーカルがとにかく歌いまくる。激しい音楽を聞いているとなんだかメロディアスさが悪徳みたいになってくるが、このバンドはもう伸びやかに歌う。歌詞も甘いもので、下手なポップスみたいに格好つけた割に語彙が貧弱だったり、ただ下品なそれらとは異なり、真っ直ぐで情熱的でそこが格好良かった。ホーンは私の耳が慣れないせいもあってかとにかく印象的で、一個の音を吹いたり(これも強弱がついていてやはり弦楽器とはぜんぜん違う。)、リフを奏でたり、どれも音に圧力があって、それでいて音は暖かく、歌を後ろからブワーッと押すような、浮かすようなそんな力がある。途中でそれぞれの楽器のソロパートを挟んだり、カバーを2曲(宇多田ヒカルとJackson5)披露したりと、やはりロック、ハードコアのフォーマットとは流儀が違って面白かった。あとメンバーが多分みんな(トランペットの人はタオルかも)帽子をかぶっていた。おしゃれである。

小手
トリは何と言ってもこの日2回めの小手。とにかくそのオリジナリティに圧倒されてあっという間に終わってしまった先ほどとは違ってこちらももうしっかり聴く気満載である。
相変わらずポストロックのフォーマットに語りが乗っていく。音源を聞いたときは静かに始まり、それが盛り上がっていく(つまりポストロック的な王道展開)のが面白いのだと思っていたがこれは明確に違う事に気づいた。まず小手の歌詞は長い。普通ならあるサビのリフレインとかがほぼない。なるほど演奏の方はミニマルかもしれないが、存在感のあるボーカルのせいであまり反復性は感じられない。そして静かに始まると思っていた部分も生で見ると全然むしろ迫力しかない。言葉は力強く、そして生であるゆえに揺らぎもある。ボーカルの人の力が異常にこもっている。詩というにはあまりにも赤裸々な言葉の羅列がその書き手の人生を詳らかにしていく。起こった出来事とその時感じた気持ちが語られていく。そこには実際面白いこと、新奇なことは一つもない。曰く「冴えなく」、「灰色の」、「ひからびた」日常の写し絵である。それが、私の旨を強烈に打つ。そこにあるのは紛れもない、ある人の人生である。小手の音楽はヘヴィだ。音的にはもっともっと重たいバンドはいる中でも、図抜けて異常にヘヴィと言っても良い。そしてエモーショナルだ。感情的に叫ぶから情熱的ではなくて、毎日についてうたっているから必然的に情熱的になるのだ。つまらない毎日には、たくさんの面白くないこと、悪心、たまにある良い心、時間の浪費、怠惰、愛情が細切れになって散らばっている。単に善悪という二項対立ではなく、その細切れの感情が小手の音楽に詰まっている。小手の音楽はウルトラ・ヘヴィだ。なぜなら取るに足らない(あなたの/私の)人生でもそれなりの重たさがあるからだ。私もまた取るに足らない男なので、小手という他人が歌うその歌の中に、私の人生があるのである。
小手がなぜ通常のハードコアのフォーマットで曲を演奏しないのか、澄んだギターのアルペジオは落ちつている心を反映しているのではない。むしろ逆に生きることに焦りはやる気持ちをあえて透明な音で抑えているのだ。あの独特な静謐さの裏には爆発的な感情がぎっちぎちに詰まって、それが嵐のように相克している。どろどろした原始の海のような感情をどうにかあの形に押し込めて、うたに昇華しているのだ。だからたまにフラストレーションを爆発させるような重たいパートに凄まじい説得力があるのだろう。(単にうるさいパートのために退屈な静かなパートがある音楽とは全く趣が異なる。)いわば透明になりたい音で、そうなりたいと思っている時点で決して透明なんかじゃないのだ。それが良い。
終演後まさかのアンコールに次ぐダブルアンコール。最後の最後にはかなり大規模なモッシュが発生していた。小手のライブでモッシュというのは見たことがない、と私に小手を紹介してくれた会社の人はいっていた。

小手の「葛藤、極まる」を購入して帰宅した。23時を過ぎてライブハウスの外はあまりに寒く震えたが、実のところ感動して体がわなないているのだった。楽しかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿