2018年12月31日月曜日

SWARRRM/こわれはじめる

問題作。
SWARRRMは間違いなく過激で攻撃的なバンドだ。どのバンドにも似ない音を20年以上探求し続けてきた。その殆どの音源では攻撃的であるということはヘヴィであると同義だった。
ところが今作はどうだろう。
ギターの音はその重苦しいディストーションの鎧を脱ぎ去り、またメタリックなリフの呪縛から抜け出した。残ったのは軽い響き(相対的なものでやはりそれでもディストーションはかかっている)で奏でられるコード感。
コードはメロディを生み出し、ボーカルがそれに導かれて歌を紡ぎ出す。(メロディ性を保ちながらシャウトするという絶技が全編惜しみなく披露されている。)
ここにあるのは歌だ。
Swarrrmは結成当初から「Chaos&Grind」を掲げるラディカルなバンドだ。音楽がただ攻撃的というのではなく、曲の中に必ずブラストビートを入れるという縛りを課すストイックさを持ち合わせている。そんなバンドが歌を中心に添えたのだから驚きだ。ネットで言われている「グラインド歌謡」という表現もしっくり来るほどに。
ネットでは「(今作を)到底受け入れがたい」という意見もあってそれも理解できる。そのくらいの変化がある。

Swarrrmは核(「Chaos&Grind」)がしっかりしているバンドだから、そこを軸にこうも大胆に音楽性を変えることができたのだと思う。
ギターの音楽性のシフトチェンジに関して、ドラムがブラストを打っていること、ベースはかなり運指の激しい主張するラインを弾いていることが幸いして、結果曲が単に退屈な歌に堕することを防いでいる。そういった意味ではこの変化にはちゃんとそれを裏打ちする技術というか土台があったのだと思う。こういうふうに舵を切るバンドはそうそういないだろうが。

つまりこれは脱構築の試みであって、実は単にマンネリ化した(過去作がマンネリに陥っていたとは全く思っていないが)旧態に終止符を打ち、新規な要素に触手を伸ばしたというのでは不十分だ。
実は単にマンネリ化した旧態に終止符を打ち、そして自己解体をし、ばらばらになったパーツの中で次はどれを武器にするかを決め、そしてバンドを再構築したのだった。
明確に大阪のGaradamaとのスプリット、もっというとそれより以前「Black
Bong」の頃からか、各種スプリット、前作「FLOWER」を通して、そしてこの「こわれはじめる」までがその解体と再構築の過程であって時系列に沿って聞けばその試行錯誤と挑戦を目のあたりにすることができる。
この変化は変遷であって、決して突発的なものではないということだ。

エクストリーム・ミュージックとはつまり普通の「歌」の壁を突き抜けてその先に到達せんとする試みであって、そもそもなら直線的な運動であるはずだが、その試みの先に「歌」を見出したというのは単に後退というよりはそれの再発見であり、また1週回って戻ってくる球体の動きを彷彿とさせる。
20年かけておいてきたはずの歌を再発見し、拾い上げた。円が完成し、その内側には混沌とした激情をしっかりと閉じ込めた。
遅くなり、そしてわかりやすくなったその曲は、丸裸だ。これはおそらく個人的な経験をそのまま書き出したような歌詞にも如実に表現されている。
過去作が轟音でその身をごまかしているとは思わないが、最近のSWARRRMに関してはあまりに赤裸々である。スプリットという形で先に世に出た「愛のうた」「あなたにだかれ こわれはじめる」で歌われる歌詞は非常に個人的な懊悩をそのまま書き出したような、むき出しの感情が綴られている。
SWARRRMはいわば「弱さ」を手に入れた(弱いことを認めた)のではないか、今作で。その弱さが、赤裸々な歌詞であり、メロディーへの接近であり、音の作り方であったわけだ。しかしこのアルバムを聞いて受け入れがたい人はいても、軟弱な音源だと思う人はいないだろう。鋭く尖ったギターの音は特に、あまりに鋭くそしてあまりにも脆い。これは決死の一撃であり、捨てたものの分、逃げ場がなくなった分、それまでにない勢いで持って私達に迫る。

個人的に今年、一番退路を断った作品。挑戦的であり、革新的であり、そしてあまりに攻撃的。バンザイ・アタックのように鬼気迫り、そしてやはり、もうすでに、とっくに壊れ始めている。

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