2018年12月24日月曜日

City Morgue/City Morgue Vol1:Hell or High Water

品性のなさというのが魅力になることもある。
そこでは暴力的であればあるほどよく、下品であればあるほど崇められる。たとえそれがハイプであっても。詰まりはそういった物語が退屈した(ある程度)金のある人達にとっては娯楽になりうるのである。
老人たちがロックを、手垢のついたX0年代をリバイバルしたり、あるいは同窓会的に再結成したりしてこねくり回している間に、ヒップホップはその歴史のなさ(短さ)を活かして進歩し続けているように思う。私は老人の一人としてイマイチ乗り切れずにいたのだ。若いラッパーは全身を入れ墨だらけにしてスキャンダルの数だけ札束を積み上げている。なかにはロックの代名詞である「ダイ・ヤング」を体現して死んでいったものもいる。しかしトラップの流れをくむそれらは私にはあまりピンとこず、どうもまったりしてしまう。中にはオルタナティブ・ロックをラップで再現しているかのような音楽もあり、それはそれで面白いのだが、ヒップホップのリズムが激しくオミットされているためやはり老年の鼓膜を叩くことはなかった。

City MorgueはNYのヒップホップユニットだ。ベイショア出身のZilaKamiとハーレム出身のSousMulaの二人に加えてトラックメイカーのThraxxで構成されている。ユニット名で検索すればおおよそ彼らの人となりがわかるだろう。タトゥーに覆われた表皮にグリルの入った歯茎。ハイブランドに身を包み、手には銃器を持っている。ピストルからグレネードランチャーのようなものまで。要するにおつむの空っぽのギャングスタが金を手にした、そんなある意味もはや陳腐なストリートの物語を体現したような若者である。
こいつらはしかし面白いヒップホップをやっている。かつてはギャングスタでも真面目にレコードの山を掘り返しては曲をサンプリングという手法で発明したものである。元ネタはジャズからR&B、カントリー、そして音楽的な語彙をもつディガーは際限なくその裾野を広げていった。City Morgueに比べれば大変上品かつ交渉に聞こえるから不思議だ。(ただし彼らの何割かは本当のギャングスタでもあった。)
一方City Morgueにはそんなお上品さはなく、ディストーションのかかったギターを派手にサンプリングし、逸脱したノイジーなトラックを量産している。イントロのフレーズに犬が吠えるようなスクラッチ音、露悪的な笑い声のサンプリングというマンネリズムを大胆にアルバムの中で何度も披露しているのはネタの使い回しというよりは単に好きだから、という理由なのではないか。曲名から察するにスラング、スケート、ビデオゲームなんでもござれのごった煮。
ところがこれが非常に格好良い。なるほどブーンバップのあくまでも洗練された美学は皆無だろうが、かといってひたすら雰囲気重視のトラップとは明らかに違う。うるさすぎるし、やはりなんと行っても品がない。強いて言えば90年代後半に隆盛を極めたニューメタルのごった煮感、(シーンのごく一部の)ポリシーのない享楽的な雰囲気を体現したかのような往時のミクスチャー感がある。ちょうどその次代をすり抜けた私の耳にはだからこそ刺さったのかもしれない。

でかいケツのお姉ちゃん(私からしたらだいぶ年下だろうけど)、輝くグリル、ぶっといネックレス、跳ねるローライダー、札束、山なす重火器、薬物といった伝統を抑えつつ、クラストっぽいパンツ(ズボン)が出てきたりして面白い。
音楽とファッション(ここでは服装)は切っても切れない関係だが、若いヒップホップ・ミュージシャンは格好が奇抜かつゴージャスでおっさんからするとフィクション(コスプレ)めいた感じがあり、その原色を散りばめたような露骨な派手さ(いうまでもなく成功の証、という意味では極めてストリート上がりのヒップホップ的)が面白く映る。存在そのものが饒舌である。彼らが本物のギャングスタなのかハイプ(あるいはヒップスター)なのかはしらないし、どちらでも良い。彼らが誇らしげに掲げる銃も決して誰かに向かって撃たれることがないと良いと思う。(彼らがSNSにその類の写真を上げるというだけで有害だとは思うが。)私は老人なので。ただ音楽を聞いて良いと思うから良いのである。

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