2018年9月2日日曜日

稲垣足穂/ヰタ・マキニカリス

日本の作家の短編小説集。
稲垣足穂は学生の頃に「一千一秒物語」を読んだことがあるきりだったが、最近読んだアンソロジーに収録されたいた一編がとても良かったので改めて読みたいと思って購入。
幻想文学というと線の細い、青白い顔をした、やたらとタバコをふかす文学青年が描きそうなものだが、稲垣足穂はなかなか強面で面白い。(調べると禿頭のおじさんがふんどし姿で原稿に向かっている姿とか出てくる。)なかなか波乱に満ちた人生を送ったようで、文壇との衝突なども経て全国を受け入れられなかった原稿とともに放浪したとか。
再評価の機運が高まって発表されたのがこの本。

「一千一秒物語」の内容はもうあまり覚えていないが、この本に収められている物語は目を見張るような異世界という作品はどちらかというと本数が少なく、あとは割と現実をベースに不思議や幻想が入り込むといった趣。砂漠の異国に幻想の夢を託した(つまりこちら側とは理が異なるあちら側として)冒頭の「黄漠奇聞」はまさに幻想文学作家としての面目を躍如するような作品だが、30を超える収録作の中では少数派である。月光を密かに盗もうとするたくらみを描いた「ココァ山の話」は山間の小村を舞台にした日本風の幻想小説といった趣でワクワクする。
「天体嗜好症」と銘打たれた作品も収録されているが、この稲垣足穂という人は強く空に魅せられた人らしく、単に空そのものが好きというよりは人類にまだ征服されていない(当然今とは違う時代であるので)領域、つまり無限の可能性と未知を秘めたあちら側の世界として憧れていたようである。なのでそんな空に果敢に挑んでいく飛行機というのは彼にとって特別な愛着があった。ここでいう飛行機というのは複葉機・単葉機といった今から見れば年代物のものを指し、また足穂の中では必ず墜落するという悲劇的な運命を持った機械であった。その情熱が打ち込まれた作品の数は非常に多い。半ば自伝めいた(どこまで真実なのかはわからないが)素人飛行家たちが手製の飛行機で空に挑まんとする「飛行機物語」などはほぼほぼ幻想味がなく、実直な青春物語という感じで当時の雰囲気が慮れる。
また同時に花火や星といった夜空を彩る輝きたちの出場頻度も高く、彼の空への思いの入れようがうかがえる。もう一つ挙げるとしたらキネオラマか。どうも明治から大正にかけた存在した見世物で、パノラマ写真に彩色された光をあてて景色を変化されるというものらしい。ありそうで決して現実には存在し得ない別世界のようなものだったのかもしれない。足穂の意識はそんな目の前にある現実をすかして上を見、その意識は高み高みに登っていったのだろう。面白いのは完全に幻想に浸りきって上からの視点で地上を見た作品は人もない。あくまでも見上げた空を下から眺めるのだ。天に憧れても、地の我らとは圧倒的絶対的に隔てられているのである。だから彼にとって飛行機とは失墜を運命付けられている。この叶うことのない片思いのような憧れがなんとも切ない味を彼の作品に追加している。

強く稲垣足穂という人物の内面に迫れる短篇集。今から見ると隔世の感があるが、ここではないどこかに強く魅せられる気持ちというのは時代を経ても変わることがない。現代でもきっとそんな思いを密かに抱いて市井に紛れている人がきっといるはずである。そういう方々はこの本を手に取られると良いかもしれない。

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