2018年5月27日日曜日

killie/犯罪者が犯した罪の再審始まる

日本は東京のハードコアバンドの編集盤。
2018年に突如リリースされた。自主リリースという形だろうか。
killieは伝説的なバンドだ。ストイックなステージング、過激なステートメント、コンクリに包まれた音源、いくつかの事件(私は内容を知らない)。はたから見れば秘密主義のカルトの様相を呈し、尾ひれのついた噂が流布している始末。少なくとも現状音源が極めて手に入りにくいのは事実で、そういった状況の中では待望のリリースと言える。一応この編集盤も年単位で出る出るとは言われていたらしい。

音楽的なカテゴリーでは「激情」というジャンルで語られる事が多い。聞いてみるとなるほど(ポスト)ハードコアを土台にかなり複雑な音楽を鳴らしている。しかしそのサウンドには拡大解釈がない、またわかりやすい取っ掛かりがない。例えばメロディ性は希薄であり(たまに入るのが必殺なのが困る)、ブラックメタル要素もなし、分厚いサウンドだが重低音への偏重もなし(ギターの音に関しては元の素材が活かされているような音作り)、モッシュパートもなし。
何かの文脈にある時どうしても特徴的な要素を大げさにしてしまうのが世の常だが(なのでジャンルが盛り上がれば次第に音楽的にはわかりやすくなるはず。ただキャッチーになるという意味ではない。難解さが売りのジャンルならより難解になる。その場合はただ明確に難解になるのだ。)、killieに関してはその手の拡大解釈には与しない。オールドスクールであるというよりは「激情」がなにかというところに他とは違う本質を見ているのかも知れない。全体から一部を拾ってその特徴とするというよりは全体をすくい上げているイメージだろうか。
それなら彼らがその渾然とした音楽で何を表現しようとしているかというとこれは感情ということになるのではなかろうか。むろん古今東西のバンド、アーティストたちはすべて感情を表現しようとしているのだが、ことメタル/ハードコアというジャンルではそれがどんどん激化していくのが常ではないか。なんせ「激情」というのだ。つまり少年誌のバトル漫画のようにどんどん感情表現(=音)が強く強くなっていく。killieはなぜニュースのサンプリング音を頻繁に用いるかというと、あくまでも彼らは激化はしつつも基本的には生活について歌っているという意思表明では。ハードコアパンクという(たとえ形骸化した建前だとしても)メッセージ性が重要な意味を持つジャンルで、あくまでも一つの声を発信しているのだよ、という主張に私は思えた。もちろん単純に音的な趣味嗜好が大きく影響しているとも思うのだが、しかしDIYにこだわるバンドならやはり過剰装飾からは距離を置く姿勢というのも何となく分かる。先だって紹介したweeprayや活動休止中のisolateなど狂気に片足を突っ込みがちの日本の激情シーンに置いて、あくまでも正気で居ることに拘り続けているのがkillieなのかもしれない。前にも書いたがオフィシャルサイトの日記を読めばその溢れ出る生活感に、もはやこけおどしめいたバンド外発信の流言の幻想性がきれいに霞んでいくだろう。徹底したDIYや苛烈な言動、なによりわかりにくい歌詞もあって素顔が見えにくいのは確かだが、その実態は決して突飛それ自体を目的とする奇をてらうだけのバンドではないはずだ。

今まで音源に関しても手作業で数々の仕掛けを施してきたkillieだが、この音源は1,111円という低価格に最低限のジャケットという今までにないシンプルな形式。今までの自分たちに関する(他人が作った)神話を破壊するために広く自分たちの音楽を聞いてほしいという意図なのか、それともいろいろ主張ているものの結局は安価な大量生産品の「音」としてただ消費される売り物として自分たちを自己卑下しているのか、それとも全く別の理由なのかはわからない。ただこの作品にもやはり仕掛けがあって、この音源をただ手に取るだけでは未完成なのだ。つまりこのシンプルさは明確に意図されている。詳細は是非ご自身の手で確かめてみてください。

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