2018年5月5日土曜日

Daïtro/Laisser Vivre Les Squelettes

フランスはリヨンのスクリーモバンドの1stアルバム。オリジナルは2005年にリリースされた。ちなみに日本盤もリリースされたようだ。私が買ったのは2017年の再発盤(LP)で、こちらはEcho Canyonからリリースされた。なんかも再発されているようでまさに名盤の証といった風情である。タイトルの和訳をGoogle先生に聞くと「ライブスケルトンを放つ」という難解な答えを返してきた。かつての日本盤のタイトルは「白骨の命を乞う」だ。何となく分かるような。
Daïtroは2000年に結成されメンバーチェンジを経てかなりの数の音源をリリース。Heaven in Her Amrsの招聘で来日したこともある。残念ながら2012年に解散。私は後追いで(Article of Paradeというコンピに1曲入ってるのを持ってた)とにかくフレンチ激情といったらこのバンドで、国内のみならず国外への影響も大きいと聞いてあわててオーダーしたのだ。(初回のオーダーは早めに売り切れたので2回め。)

激情系という言葉は日本独自のカテゴライズで、海外で言えばエモかスクリーモ、エモバイオレンスというらしい。そうはいってもなんとなく激情というぼんやりとしてジャンルが自分の頭にはあって、envyを筆頭に日本のバンドがいくつか浮かんでくる。この間ライブを見たCity of Caterpillarもそうだけど、その日本の激情の頭で聞くと音楽的にはだいぶ隔たりがあって驚く。Daïtroに関してもやはり似た印象があって、静と動が同居したドラスティックな曲展開。叫びとつぶやきのコントラスト。ボーカルレスのパートにかける尺の長さなどはたしかに「激情」に通じるところがあるけど、それだけでは説明できない何かがある。City of Caterpillarほど削ぎ落とされて、それでいて筋肉質というわけではないが、Daïtroもやはりシンプルだ。
そんな中で目立つのが荒々しいけれども元の音の素材の良さが活かされたジャカジャカしたギターだろう。これが高音を奏でる1曲めのイントロでまずぐっと引き込まれるし、その後も確かに後続に影響を与えたであろう、爪弾かれるギターの余韻に潜む叙情や、なによりブラックメタルのトレモロを彷彿とさせる(音も密度もトレモロとは言えないと思う)溢れ出る感情をメロディに溶かしたようなリフ。その後発展していく激情の萌芽というか種子のようなものはあちこちに散らばっている。決して今の日本の激情を否定するわけではないのだけど、でもやっぱりそれだけでない気がしてしまう。一つには飾らなさ、があるのではないか。ちょっと語弊があるがスケールの小ささ(というより肥大化させないということ)といってもいい。手の届く範囲の出来事をそのまま歌にしているような感じがある。とくにポスト・ハードコアというのはときに宇宙に到達するような浮遊感を芸術性に昇華していく、壮大な運動力学があると思う。過剰なドラマ性というか。それはDaïtroでは一切ないよなと。ギターの音もそうだけどむしろ地に足がついている。この泥臭い感じ。
wikiにはDaïtroはDIYバンドだと書いてある。いうまでもなくDo It Yourself。ハードコアとくに激情というシーンだとこの言葉はよく聴く。(日本にはkillieがだいぶ厳格なやり方でその路線を走っていると思う。)このDIYというのは、バンドの音楽性を紐解く一つの鍵になっているような気もする。

音楽は進化していくものだし、技術の発展とともに音もアップデートされていくものだ。どんなマイナーなジャンルでも流行り廃りがある。私は昔の激情がリアルで今のがフェイクだとは全く思わないけど、City of Caterpillarのライブやこういった音源を体験するとちょっと今昔で差があるのが面白いなと感じたのだ。きっと今でもこういういわばオールドスクールな激情音を鳴らしているバンドもいるだろうから、現行のそれらも聞いてみないとなと、思った。

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