2016年3月19日土曜日

アンナ・カヴァン/氷

イギリスの作家によるSF/幻想小説。
その筋では有名なのかもしれない。序文によるとスリップストリームという文学ジャンルにおいては最重要作品らしい。1967年に発表され、日本では1985年にサンリオ文庫から、その後2008年にバジリコから出版されまた絶版状態に、私が買ったのは筑摩書房から2015年に出版されたもの。超有名作というわけではないにしても長く愛されている小説なのだろう。

すべてを凍らせてしまう氷に浸食されつつ世界で私は、かつて付き合いのあった女性を探している。思いが通じ合っていたと思っていたのに彼女は別の男と結婚してしまったのだった。再会できたと思ったらまた逃げてしまう彼女を私は終わりかけている世界で探し続ける。

あらすじはシンプルなんだが色々な意味で変わっている。変わっているというよりは捻くれているという印象で、実は色々なものが多重構造のようになっている。
文体は主人公である「私」の一人称の語りなのだろうが、この人はどうも妄想癖があって目の前にある現実から間断なく彼の頭の中に入り込んでしまう。それで外界のちょっとした何かでふと目が覚める。基本的に友好的なヤツではないので何事も無かったかのように現実に戻る。読者としてはむむ?と思って、今のはお前の妄想ね、と把握するといった感じで始めはちょっと戸惑う。でもこれはすぐなれるから大丈夫。また「私」ときたら状況をきちんと説明する訳ではないし、思った事を何でも書いちゃうたちだから、終わりつつある世界が実際にはどのような状態なのか、というのは彼の断片的な情報を元に読者がそれぞれ組み立てて想像するしか無い。言うまでもなくこういう作業は(少なくとも私を含めた一部の読者には)非常な楽しみにになり得る。
あらすじだけ見ると一人の男が運命の女性を求めて世界を旅する話で、実際のところそうなのだ。ところで「私」というのは情熱的な男性であるのだが、同時に非常にサディスティックな人物で彼の想い人を常に酷い目に合わせたがっている。有り体にいってストーカーでDV働くクソ野郎なわけでそりゃ彼女も逃げるよな、という趣である。
一見恋愛小説、実は…と思うけど、実際のところ骨子は
当初の印象通りきちんとした恋愛小説である。終わりつつある(しかも核の炎に包まれる訳でもなく、ゆっくり氷に侵されていくという状況)世界、病的な愛とくればある種の捻くれた人間にとっては逆に非常にロマンティックな小説という事になるのだ。
主人公が求める女性は、子供のようにガリガリで抱きしめたら壊れそうな脆弱な体に銀髪という非常にキャラクター的なか弱い”女性”であるし、彼女を巡る恋のライバル「長官」というのはたくましく恵まれた体躯に金髪碧眼のハンサム、地位も名誉もあるといった理想化された”男性”である。そんなかで彼女を求めて右往左往する「私」はいかにも主人公的であると言える。きっちり物語のツボを押さえている。(はっきりとした例がある訳ではないが日本製のアニメにもそのまま転用できそうだなと思ってしまった。)しかも説明不足の美学で構築された世界は筆者の力量で持って非常に寓話的だ。彼らが誰なのか、世界はどのように終わろうとしているのか、を考えるだけでも楽しい。

ただ正直この一冊ではまだスリップストリーム文学が何かというのは掴めなかったかな。既存の型にはまらない、SFと純文学の境界みたいなものなのかな?という感じだが、この小説だけが型破りに特異だとは思わなかった。前述の通り捻くれているものの結構物語の筋は堂々としたものだと思う。
一つ残念な事はこの版からは削除されているブライアン・W・オールディスの書いた序文が読みたかったな。版権の問題でしようがないのかもしれないが。
相当捻くれているものの思ったより優しい物語だと思う。気になっている人は読んでしまうが吉。

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