2016年10月10日月曜日

Indian/The Unquiet Sky

アメリカはイリノイ州シカゴのスラッジ/ドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2005年にSeventh Rule Recordingsからリリースされた。
ノイズとヘイトに満ちたスラッジを演奏するバンドで私は2ndアルバム「Guiltless」から聴き始め、3rd「From All Purity」で激はまり。後追いという感じで音源を集めていて、一応この音源でフルアルバムでは一通りそろえた事になる。2つのEPをまとめた「Slights And Abuse / The Sycophant」と一緒にレーベルに注文したのだが、なぜか「Slights And Abuse / The Sycophant」が2枚届いた。なんてこった。「おまえにはまだはやい」という事だろう。スラッジなのに速いとはどういうことだという訳でこちらは遅ればせながらデジタルで購入。バンドは非常に残念ながら解散済み、なのだが今調べたら10月11日にライブの予定がある。再結成なら感涙ものに嬉しいのだが、スケジュールにはこの1本しかないのでひょっとしたら単発の復活ライブかもしれない。そのまま再結成して欲しいものです。

汚いスラッジにハーシュノイズをのせるという単純かつ凶悪なサウンド様式はすでにこの1stから確立されており、のっけからノイズをぶちまける4分半でこの時点でろくでもない音楽をこれから聴く事になるという良い予感が漂ってくる。一体このスラッジ+ノイズという手法は昨今では例えばThe BodyやFull of Hellなんかが披露しており、それぞれ日本盤が出るくらいこの極東でも注目されている位の流行のスタイルなのだろうが、それらに先んじてやっているのがこのIndianではなかろうか。(勿論実際にはこのバンド以前、同時期にもそういったスタイルのバンドがいたのだろうが、あくどい音という意味ではやはりなかなか里程標になってしかるべきではと考えてしまうのは私のこのバンドへの愛着故だろうか。流行に乗ってビッグネームにとはならずに解散してしまっているのも報われない功労者めいてなんだか悲しい。)
五月蝿いという意味では大音量低音スラッジにひゅんひゅんごうごう唸るノイズ音をのせるというやり方は、いかにもこってりドロドロラーメンに卵とじのカツ煮をのせた様なくどさで、もういいっすよとなってしまう事もあるだろうが、このバンドの上手い事はバンドサウンドを結構シンプルにまとめてくる事だ。ドゥームというよりはかなり明確にスラッジというカテゴリーに属する音楽性も選択している事もあって、地獄のようにズルズルしているのだが例えばElectric Wizardの様なヴィンテージロックからの影響を思わせる重厚かつテクニカルなリフなんかはあまり用いず、偏差値の低い一撃の重たいリフを反復していく。そういった意味ではよくNIrvanaやSoundgardenのコピーを良くするThouに通じる”オルタナティブ感”がある。しゃがれた声で憎しみをまき散らす歌、というよりうなり声・がなり声・叫び声にまったくポップさがない反面、印象的なリフでもって(やや)親しみを増しているのかもしれない。まあでもあんまり親しみはないかな...ある種の聴きやすさと言うか人を惹き付ける音楽性といえば良いかもしれない。(それもあんまりない様な気がしてきた。)つまりこのバンドも引き算の美学で持って音を削ぎ落とし、「空いた隙間、そこに美学があるね」という小綺麗でオシャレな哲学にクソをぶちまけるように(汚くて失礼)ノイズをねじ込んでくるという底意地の悪さ。スラッジというのは何が良いってその負の感情である。停滞、そねみ、ねたみ、あえての稚拙なアートワーク(いつもIron Monkeyが真っ先に思い浮かぶ)に表現される露悪趣味、そんな底意地の悪さが魅力だろう。この駄目さが特定の人間には「大丈夫、そばにいるよ」と耳元でささやいてくるポップソングに埋めきれない心の隙間を埋めてくれるのだ。実体を伴わない(誰が俺のそばにいてくれるのだ?)同じ空虚なことばなら「せっかくなら俺はこちらを選ぶぜ」とばかりにひねこびた悪言に耳を貸すのである。全くどうかしていますよ、こいつらは。

という訳で一部の人にはバキバキ心に突き刺さる事間違い無し。大変よろしかった。この手の音が好きな人は是非。オススメ。

2016年10月9日日曜日

Trap Them/Crown Feral

アメリカはマサチューセッツ州ボストン、ワシントン州シアトルのハードコアバンドの5枚目のアルバム。
2016年にProsthetic Recordsからリリースされた。
前作「Blissfucker」から2年ぶりで私は今作と前作のみ聴いたことがある。
2001年に結成されたバンドで、バンド名は映画からとったとのこと。今作のタイトルは「野生の王冠」かな?

ジャンルとしてはクラスト・ハードコアという事になるのだと思うが、北欧デスメタル、いわゆるスウェディッシュデスメタルに影響を受けた音楽性が特徴的。調べてみると元々スウェディッシュデスメタルはハードコアパンクに親和性を持ったジャンルらしい。また特定のエフェクターを用いた独特のギター音が特徴で、勿論このTrap Themもそんな特徴を持っている。
糜爛した金属みたいな汚い音のギターはハードコアとメタルの良いとこ取りで、疾走する弾き倒すリフト刻んでくるリフを織り交ぜてくる。低音一辺倒かと思いきや良く伸びる中音〜高音フレーズやらやけっぱちな短いソロも入れてくる。
ドラムはとにかく回転が良くてどんな速度でもリズミカルにビートを刻みつつもう一音くらい足してくる印象で、ブラストやらD-ビートやらでも乾いた重量のある音で気持ちがよい。シンバルをキンキン鳴らすのも結構多くて個人的にはかなり好き。結構ドラムを追って聴いていると同じ曲中でも速度を頻繁に買えるのもそうだし色んな事をやっているのが分かる。速度を上げるにしても(ゆっくり)スタスタ、(速く)ズダダダダみたいに疾走前に印象的なフレーズを入れて来てそこがかっこいい。
曲中に速度を頻繁に買えるのはこの手のジャンルでは珍しくはないが、分かりやすく低速モッシュパートみたいのや、頭良さげなドゥームパートとかは一切無しなのも良い。徹頭徹尾ハードコアという感じで。非常に真面目でおもねらないタイプ。
攻撃的ながらどこかしらグルーミィな雰囲気があって、そこに向かって引きずられていくように引っ張られる様な暗さがあって、それがアコースティックだったり、キャラキャラした高音リフだったりに垣間見えて、ハードコアの男らしさと意外に良くあって良いと思う。
個人的には中盤の高音で歌に絡んでくるギターが印象的な2曲目「Helluionaires」とか、明快なパンキッシュリフがストレートにハードコアな9曲目「Stray of The Tongue」とかがお気に入り。

まったり濃厚なジャケットのアートワークはメタル的だが、過去作は結構ハードコア的だったりもする。アウトプット的にはやはりハードコア的な様式になっていると思うけど、メタルの要素を非常に上手く飲み込んでいるので、どちらのジャンルのファンにも訴えかける様なきがする。そういった意味では音楽的には結構違うけどConvergeにちょっと似てるかもと思った。

アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ/熊と踊れ

スウェーデンの作家と脚本家がタッグを組んで書いた小説。
発表されたのは2014年だが、国境を越えてヒットし帯によるとハリウッドで映画化も決まっているそうな。
作者の事は知らなかったがストーリーが気になったので購入した。

1991年工務店を営む20代の青年レオナルドは2人の実弟フェリックスとヴィンセント、さらに旧友のヤスペル、恋人のアンネリーは国軍の武器庫から大量の武器を盗み出す。強盗に使うためだ。大胆かつ鮮やかな手口で強盗を繰り返す彼らは軍人ギャングと呼ばれ国内を騒がせる事になる。刑事ヨン・ブロンクスは暴力に取り憑かれた一連の事件の捜査に乗り出すが、手がかりすらままならない。そんな彼を尻目に兄弟達は次々に強盗を繰り返していくが…

私は「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画が好きなのだが、目下の最新シリーズ「ジョジョリオン」の冒頭にはこう書かれている「これは呪いを解く物語」。
私がこの「熊と踊れ」を読んで思ったのはこれは呪いの物語だということだ。
主人公三人の父親というのは横暴で暴力的な人物で、酒を飲んでは母親と兄弟達に日常的に暴力を振るった。そんな経験から暴力的な日常を過ごした彼らは父親と決別した後は、暴力から距離を置いて生活していた。ところが長兄レオに限ってはそうではなく、虎視眈々と暴力を”上手く”扱って自由に生きようとしていた。軍隊に入りより組織的、かつ系統だった暴力を学び、おまけに爆弾をくすねて帰って来たレオは自前の工務店を立ち上げ、表向きには真面目に働きつつ、計画を練っていた。ここで面白いのはレオは惨めな自分の過去を清算するとか、しあわせに生きている奴らに復讐するとかそういった動機では動いていない。レオは父親を始め理不尽な世界から外れて自分たちのルールで生きる事を夢みており、というより志向しており実際にその実現のために必要な金を強盗で獲得しようと考えている点だ。彼は父親を通して暴力というものの、それをふるう人とふるわれた人がどう考え、どう振る舞うか、そして暴力で何が獲得できるかという事を経験的に知っている訳だから、それを道具として使ってやろう、とこう考えた。実際レオの軸はぶれず、必要以上の暴力は一切ふるわない。強盗の成功に気を良くするヤスペルと弟達に目立つ事を慎むようにきつく戒めるが、仲間を家族と考え、彼らに対しては信頼を何よりの行動規範とする。完全に暴力をコントロールできている、そんなレオに驚嘆の目を向けるのは兄弟ら仲間たちだけではないだろう、読者もそうだ。この鮮やかな、スタイリッシュといっても良い犯罪のシーンがまずこの本の魅力の一つだと思う。
ところが後半、仲間達の結束に綻びが生まれ始める。これは本当に小さな事柄だが、薄く入った亀裂がだんだんとその存在感を増してくると、レオの完全性にも曇りが出てくる。兄弟達は思う、兄貴は暴力に取り憑かれている、自分たちの父親のように。道具にしていたはずの暴力に使われていくレオは次第に孤独になっていく。レオは一瞬天才なのは間違いないのだが(冷静な判断力と大胆な行動力を持った希有な天才)、どんな天才でも予測不能の現実の理不尽さには太刀打ちすら出来ないのかもしれない。個人的にはこういった現実の無常さ、変な言い方だと馬鹿の束に天才は絶対負ける運命にあるといった無常さが個人的にはとても好きだ。結局レオは暴力という呪いにとらわれてしまった。一体この呪いが父親のちによるものなのか、それとも誰も巻き込むそれにレオが侮り近づきすぎたのかは分からないが。フェリックスとヴィンセントは距離を置いたのに対して、レオはとらわれてしまった。
面白かったのは何と言っても長兄レオのキャラクターで冷徹に行動するが、ありがちな安易なサイコパスでは全くない。兄弟を始めとする仲間達に対しては並々ならぬ愛情があり、またときにロジカルでない行動をとるこもある。(強盗中に弾痕で笑い顔をつくったり。)レオは血の通った人間であり、自分で思っている以上、というか家族では母親に継いで間違いなく一番に父親の暴力と歪んだ愛情にさらされていて、実はその心はボロボロになっている。かたくなであるという事は鉄の様な強さだが、同時に弱点でもあった。天才であるレオには同等の存在がいなかったので、その心中はしずかにそしてずっと子供のときから壊れたままだったのかもしれない。
一つ言うとするなら、追う側である刑事ヨン・ブロンクスに関してはイマイチ感情移入できなかったかな。こちらも家族の問題を抱えているのだが、意図的に(続編があるとのことでそちらが当初から意識されていたのかも)ぼやかされているし、本人も冷めたキャラを徹底していてあまり胸の内を吐露しないもので、兄弟達に比べるとちょっとそこまで…とは思ってしまった。
ちなみにこの本は実際の事件をモチーフにしている、とは書いてあるのだが後書きを読むと作者の一人ステファン・トゥンベリはなんと兄弟の一人だったと言う。実際には4兄弟だったわけだ。勿論ステファンは強盗には参加していない。これにはちょっとビックリした。ほぼ事実じゃん。

2冊で余裕で1000ページを越えてくる大作だが、あっという間に読める。ヘレンハルメ美穂さんの訳もばっちりで大変読みやすい。北欧の冷たい大地に間違った激情とそれが引き起こす暴力が吹き荒れる大作。なにより殴る側だけでなく殴られる側の気持ちにページを割いているのが個人的には非常に良かった。そういった意味では優しさにも富んでいると思う。面白いです。オススメ。

2016年10月2日日曜日

GEZAN/NEVER END ROLL

日本の大阪で結成され今は東京を活動拠点としているロックバンドの3rdアルバム。
2016年に自身のレーベル十三月の甲虫(じゅうさんがつのむし)からリリースされた。
バンド名はローマ字でGEZANで表記されるようになっている。
私はこのバンドの前作「凸」を持っていて、これはこういうバンドだ!と中々とらえる事が出来ていない感じはあったんだけど曲は好きで結構聴いていたので今作もなんとなーく買ってみた。
どうも7年在籍したドラマーのシャーク安江さんが脱退するようだ、ふーんくらいの気持ちだった。

全体的に青で統一されたアートワークが印象的。なんとなく聴いてみたんだけどこれがすごかった。始めは正直むむ?あんまり、と思ってしまった。ところが変だなと思って2回、遅くても3回聴いたらこのアルバムのすごさにあっという間に取り込まれてしまった。前作も良かったけど「凸」よりこちらの方が好きだと思う。
なんでむむ?と思ったかというと、たった一作しか聴いてない身分であれだが、何となくGEZANというのは勢いに任せた若く青臭いバンドでブラックメタルバンドもはだしで逃げ出す様なノイジーなトレモロリフが前面に出た、とにかく元気のよい音楽を演奏しているバンドというイメージだったんだけど、今作は結構作風が違う。まず五月蝿さという意味では明らかに減退している。曲の速度もそうだろう、速度は遅くなっている。その代わりに非常にメロディラインが前に出てくる。要するにバックの演奏が大人しくなり、歌が強調されているため、(五月蝿ければ良い音楽だろ?という)私的にはあらら?と思ったわけ。良いところ全部消えている?勿論そんな事はなかった。彼らを象徴するノイジーなギターは曲の色んな部分で生きている。音量は下がって使用頻度も落ちたがその分圧倒的に単発での効果は上がっている。いわば武器の種類が一つで使い方も単一的だった前作から、その使い方に圧倒的にバリエーションが増えたし、武器自体も増えているイメージ。思い出してほしいのだが、「八月のメフィスと」も顕著にそうだったが、元々メロディに関しては非常に重視しそれに富んでいた訳だから、今作でギターが一歩下がった事でそれが目立ちだしたのはいわば当然なのだ。彼らは立ち位置を調整した訳であって、決して日和ってその方向性を変えた訳ではない。このアルバムはシャーク安江さんが抜けると決めた後に作られたらしい。そういった意味では非常に切実なアルバムなのだが、シリアスさはあるものの非常に前向きになってキラキラしているから、なんだかすごい。前向きに言う方が大概後ろ向き名ことを言うより難しいから、そんな重みを感じる。
前作であったラップみたいな、ニューメタルっぽいようなユーモアを取り込んだ派手な曲、ちょっと生意気で煽る様な歌詞はもう見られなかった。(歌詞に関しては攻撃的でなくなったという意味では勿論ない。相変わらず挑戦的、そう挑戦的だ。)それは青臭かった奴らが丸くなったという意味で大人になった、という訳では全然ない。むしろピュアにそして素直になったんだと思う。歌詞を見てほしいんだけど、煙に巻く様な難解さは無くなり、曲によってはもう完全にラブソングだが、やはり独特の言葉で選ばれたそれらはむしろしっくり心に刺さってくる。

聴いている音楽の種類もあってあんまり歌詞カードを見るという事も最近はなかったんだけど、この音源は曲を聴きながら歌詞カードを見るのが楽しい。
私は一個反省があって前作の感想に「彼らは青春パンクの変形なのか?」という様な事を書いたのだけど、結局見た目というか第一印象(「思い出はただの死体」と言い切るその過激さをただ若さで片付けてしまった)でしか判断できなかった。彼らは青い青い青春をテーマにしている。その青春というのは若い人だけのものなのか?彼らは今ドラマーを募集していて、募集要項にはこう書いてある。
「別に年齢の話じゃない。15歳でも35歳でもいい。YOUTHはそんなものでは測れない。音楽が好きで、ただ何かをかえたいそういうヤツに会えたらいい。」
違うだろ、彼らの言う青春は年齢的に若いってことじゃない。それはつまり好きな事を全力でやるってことで、負けないってことだし、きっともっと他の何かだ。私は社会人をやっているけど好きな事を全力でやるって無責任にただ楽しいだけのものだとさすがに思わないよ。

ドラマーが脱退した彼らは今活動を休止している。早くドラマーが入って、そして音楽を作ってほしいと思う。それは一体どんな風になっているか今から気になってしまうのは、ちょっと気がはやすぎか。しばらくはこのアルバムを聴けばよい。
という訳で非常にかっこ良い。なんというか物語があってそれにこちらが浮かされてしまうところがある。”青春”や”Youth”という言葉にちょっと素直に慣れない人でも是非どうぞ。

2016年10月1日土曜日

Portraits of Past/Discography

アメリカ合衆国はカリフォルニア州サンフランシスコのポストハードコアバンドのディスコグラフィー。
2008年にEbullition Recordsからリリースされた。
名盤をたどる激情ってなんだシリーズの第三弾。(一旦今回はここまで。)
Portraits of Pastは1994年に結成され、翌1995年にはもう解散している。その後再結成もあったようだが現在はやはり解散状態のようだ。(再結成後にEPをリリースしている模様。)このディコグラフィーは唯一のアルバム1996年の(だから解散後にリリースされたという事になる)「Portraits of Past」通称「01010101」(とアートワークに書いてある事からそう呼ばれている)に色々な音源を足したもので、基本的なアートワークはオリジナルアルバムを踏襲している。レーベルオーナーによると解散後に人気が出たバンドのようだ。

「昔のポートレイト」というバンド名からして既に「エモ」いのだが、その音楽性はいわゆる「スクリーモでしょ?」という現代からの一言には集約できないもやもやとした何かと言わざるを得ない。前に聴いたYaphet Kotto、Orchidが同じスクリーモにカテゴライズされながらも、そのごメインストリームに躍り出たそれらのカテゴリーとは明らかに一線を画す内容で、明らかに余計無いものが沢山ついている。悪く言えば洗練されていない(始めに言うが私はメインストリームのスクリーモより前述のバンドのならす音楽の方が好きであります。)し、余計なものが沢山ついている。曲によっては8分を越えてきて、その曲展開は例えばエモバイオレンスという言葉がぴったり来るOrchidに比べると圧倒的に複雑で速度も速いということは無い。そういう意味ではYaphet Kottoに似ているがこちらの方が凝っている。カオティックハードコアの要素も多いのだが、例えばその文脈の二大巨頭バンドConverge、The Dillinger Escape Planに比べると分かりやいハードコアの暴力性はこのバンドにはかけている。激しいという意味では勿論激しく五月蝿い音楽である事は間違いないんだが、このバンドの激しさというのは多分に内省的。
乾ききったガシャガシャしたギターがコード感にあふれたリフで引っ張っていく。疾走感のアルパートは勿論、タメのある中速パートの叙情性、つま弾かれるアルペジオの澄んだしかしマイナーな響きがある美しさはその後のポストハードコアに大きな影響を与えたのではなかろうか。かれたその単音の響きには震えるハートが見事に表現されている。ここでもやはり引き算の美学なのか、と驚愕。(7曲目Something Less Than Intendedのイントロを聴きながら。)感情的(なハードコア)というとたとえば前述のConverge、The Dillinger Escape Planのようにどうしてもマスやらポストの要素を取り込みつつも激しくコマーシャルになっていくものだけど、このPortraits of Pastというバンドにはあまりそういった分かりやすい方向性が見えなくて、だからちょっともやっとしてしまうのだろうが、要素要素に注目しているうちに段々曲の良さが頭に入ってくる。移ろい行く事に美学かあって一番分かりやすいのは曲の展開における速度の調整だろうか、そしてボーカルの声もクリーン、スクリーム、そしてその中間がある。個人的にはボーカルパートにおいてはその中間がとにかくアツい!詩を歌うにしても言葉にできない感情が詰まっているってこういう事じゃないかと思ってしまう。(つまりそれがバンドの良さの一つ。)

日本でも結構方々で紹介されているこのバンドのこの音源。あふれる感情をそのままのせた様な混沌に正直戸惑ったものの、しばらく聴いていると少しずつその理由が分かって来た様な気がした。枠にとらわれないDIY精神がハードコアならまぎれもなくハードコアでしょ。激情ってなんだ?と思っている人は是非。

東雅夫編/世界幻想文学大全 怪奇小説精華

編集者、アンソロジストの東雅夫さんが世界の幻想文学をまとめようとぶちあげた筑摩書房から出版されている世界幻想文学大全全三冊。これはそのうちの一冊で名前の通り怪奇小説をまとめたもの。精華というのは「最も優れたもの」という意味があるらしい。その名の通り古今東西名作と誉れ高い様なクラシックを集めたもの。
最近は現代以降を舞台にしたSFやらミステリーなどばかり読んでいたからか、オカルトっぽいやつが読みたい!何かよこせ!と思って買ったのがこちら。このシリーズは他にエッセイや文学論を集めたガイダンス編となる「幻想文学入門」、幻想小説を集めたアンソロジー「幻想小説神髄」があるのだが、私はこの本を始めの一冊に選んだ。幻想小説にも大いに惹かれるものがあったのだが私のやや下卑た好奇心はより分かりやすい恐怖に心をくすぐられたのだった。
収録作品は以下の通り。(東さんのブログよりコピペ)

  • 嘘好き、または懐疑者(ルーキアーノス)高津春繁訳
  • 石清虚/龍肉/小猟犬――『聊斎志異』より(蒲松齢)柴田天馬訳
  • ヴィール夫人の亡霊(デフォー)岡本綺堂訳
  • ロカルノの女乞食(クライスト)種村季弘訳
  • スペードの女王(プーシキン)神西清訳
  • イールのヴィーナス(メリメ)杉捷夫訳
  • 幽霊屋敷(リットン)平井呈一訳
  • アッシャア家の崩没(ポオ)龍膽寺旻訳
  • ヴィイ(ゴーゴリ)小平武訳
  • クラリモンド(ゴーチエ)芥川龍之介訳
  • 背の高い女(アラルコン)堀内研二訳
  • オルラ(モーパッサン)青柳瑞穂訳
  • 猿の手(ジェイコブズ)倉阪鬼一郎訳
  • 獣の印(キプリング)橋本槇矩訳
  • 蜘蛛(エーヴェルス)前川道介訳
  • 羽根まくら(キローガ)甕由己夫訳
  • 闇の路地(ジャン・レイ)森茂太郎訳
  • 占拠された屋敷(コルタサル)木村榮一訳


前述の通り最も優れているものを集めたアンソロジーだからいずれもこの道では有名な作品となるのだろう。かくいう不勉強な私でも目にするのは何度目かの作品もあった。
なかでも「幽霊屋敷」!こいつの後半は本当にゾクゾクする。個人的にはラブクラフトの廃屋趣味は多くこの作品に影響を受けたのではと思ってしまう。隠し部屋、オカルティックなアイテムなどとにかくギミックというか舞台装置が最高。ただそれらの道具達から浮かび上がる不思議な不老不死めいたなぞの男の悪意が最も恐ろしいものであって、先ほど名を挙げたラブクラフトの志向したコズミック・ホラーとは一線を画すのかもしれない。何回読んでも良いものだ。
「アッシャア家の崩壊」は恐らく私は別の方の訳で(「ポオ全集」だったと思うが)「アッシャー家の崩壊」を読んだのだが、龍膽寺旻氏の役は大変仰々しく始めは驚いたもののすぐにゴシックなその退廃的な世界に飲み込まれて、以前とはまた違った雰囲気でこの作品を楽しむ事が出来た。そういった意味では訳者というのはやはり力量が問われる仕事だし、訳者が変わるならばその分読者も楽しみが増えるという事になるのでは。
「聊斎志異」は今もそうだが、特にうだつの上がらない時期に岩波文庫版を読んだ事もあって個人的には思い入れがある。恐怖というよりは怪異の記録といった趣で非常に想像力をかき立てられる。東西での恐怖感の違いというテーマは無学な私には重すぎるが、怪異の要因、因果関係に冠しての説明が希薄で自然と混沌と混じり合っている様はこの本の中では特に独特だと思った。
そして始めた読む作品というのは初体験というそれだけでよりいっそう甘美であると思う。ロシアの民間伝承の雰囲気を色濃く描いた「ヴィイ」。その牧歌的な書き出しに正直かなり驚いた。私はロシア文学というとほとんど(ぱっと思い浮かぶのはこの間感想を書いた「ストーカー」とかあとは大学生の時に読んだ一連のドストエフスキー作品くらいだろうか)読んだ事がないのだが、イメージに反してロシア人というのはとにかく陽気だという。うっそだ〜と思っていたが、この「ヴィイ」というのは貧しくとともなんとものんびりしていてたくましい一昔前のロシアの庶民の生活が書かれている。のんびりしていると中盤以降の恐ろしさに震える事になる。貧しいという事は死がその生活の一部であって、たとえ金持ちでも本質的に橋に対して人間が出来る事はほぼないのだが、一種薄情にすら思える位淡々と達観したようにその牧歌的な生活に取り込まれていて、ヴィイという妖怪もさることながらそこら辺の死生観がにじみ出て面白かった。無常観はちょっと仏教っぽくすらあるな、と思ってしまった。
特定の人にしか見えない町とそこにおくる怪異を描いた「闇の路地」はとてもモダンで驚いた。自分にしか見えない町があってそこは無人であるがなにか不吉な雰囲気がある、という設定が良い。ここに冒険的な面白さがある。襲撃されている野田がその正体は分からない。個性的でたくましい女性達が活躍する、ということでなんとなく「うずまき」などの伊藤潤二さんが漫画化したらとても映えるのではと思った。
ラストを飾る「占領された屋敷」も良い。これも怪異の正体は分からない。とにかく全編を覆うのはぼんやりとした不安であって、ひょっとすると主人公達2人の兄と妹がその精神を蝕まれているのでは?という考えもそれに含まれる。ただ精神状態は抜きにしても静かに暮らす2人が次第次第に不幸にとらわれていく様なその様は、敢えて徹底的に抑えた筆致で描かれているととにかく読んでいて胸が締め付けられるように苦しくなる。これもまた恐怖小説の醍醐味ではないだろうか。

というわけで精華恐るべしな内容で文句無しに楽しめた。やっぱり怪異はいいな。怖い話が好きな人は是非どうぞ。非常にオススメ。

2016年9月25日日曜日

Orchid/Gatefold

アメリカマサチューセッツ州アマーストのハードコアバンドの3rdアルバム。
2001年にEbulltion Recordsからリリースされた。
このバンドは元々タイトルがつけられなかったのだが、リリースした際の形式がゲートフォールドだったのでその名前がアルバムになったらしい。面白い。あぶらだこみたい。
1992年に結成されこのアルバムを含め3枚、その他音源をリリースの後2002年には解散している。
激情ハードコアを語る上で重要なバンドという事で前回感想を書いたYaphet Kotto(とそれからPortrait of Past)と合わせて購入した。

さてYaphet Kottoが轟音ギターに文学青年的な青臭く”弱さ”のあるボーカルが負けじと声を張り上げて哀愁のメロディーを歌い上げるというまさに「エモ」それも「スクリーモ」の萌芽を感じさせる抒情的なバンドだったのに対し、同じジャンルや文脈で語られるこのOrchidというバンドは大分異なったアプローチでジャンルの形成に一役を買ったようだ。
バンドサウンドを前面に出した五月蝿いギターロックという材料は共通するものの(ただしこちらは録音状態がYaphet Kottoに比べるとクリアだ。が向こうは1st、こちらは3rdということも加味しないと。)、ざっくりいってこちらは速くてより暴力的だ。
まず1曲が非常に短い。例外的に似2分を越える曲が幾つかあるものの、19曲で24分と平均すると1分そこらで、だいたいの曲は60秒以下である。そしてボーカルはほとんど叫びっ放しでクリーンを使い分けるものの割合は少なめ。叫ぶといってもエフェクトも一切かけないし、独特の歌唱法で持って低音または高音を強調している訳ではない。気持ちが乗りすぎた結果叫びだした、という感じ。多分にナイーブでそういった意味ではYaphet Kottoと共通点がなくもない。ざっと歌詞に目を通してみると社会への不満をぶちまけ、自己改革をアジテートするプロテストとしてのハードコアパンクというよりは、自己の内面に切り込みそれを吐露する(ハードコア界隈ではエモーショナル、つまり女々しいと揶揄する事もあっただろう)スタイルのもの。思春期の悩みという訳ではないのだが、この叫んでいるやつは俺と同じ世界にいるのだな、と感じさせるその身近さがある。
この速く叫び立てる演奏スタイルはグラインドコアかパワーバイオレンスか?然りであって本当にグラインドコアにカテゴライズされる事もあるみたい。ただ個人的にはやっぱりちょっと違うと思う。まずは多分に感情的であること。特定の感情に特化した無慈悲さが感じられず、かわりにもっと迷いのあるサウンドが展開されている。その迷いは、なんとも憂いのあるクリーンボーカル、短い曲の中にも印象的なアコースティックなパートを入れたり、ノイズを入れたりという敢えての複雑さが導入されている事。エクストリームミュージックは求道的な世界なので、そこでは時に余計な感情がこぼれ落ちてしまう。それらをこぼさないように、でも全速力で突っ走るとこのOrchidと彼らが作る音楽が生まれるのだろう。
彼らの音楽はエモバイオレンス(Emo-Violence)と呼ばれる。文字通り音楽としてのエモとパワーバイオレンス(パンクより激音へのアプローチ)がクロスオーバーした音楽の事だ。なるほど。スクリーモとも呼ばれることもあるが、地下を抜け出して商業化された(同時に洗練されている訳で例えば入門的な意味もあっただろうから一様に(悪い意味で)セルアウトしたとは個人的には思わない。)スクリーモとは明確に違うからやっぱりエモバイオレンスの方がしっくり来る。

昨今流行のブルータルではないパワーバイオレンスを聴きたい人は是非どうぞ。溢れ出した感情がどうにもならない感じの音楽。オススメ。