2019年5月12日日曜日

Mateus Asato -LIVE in JAPAN 2019-@下北沢Garden

twitter好きなのは色んな人のおすすめ(音楽、食べ物、絵画、映画、漫画…)を知ることができるからだ。
音楽は自分で掘るのが一番、でも私は人のおすすめを聞くのが好きだ。何故かと言うと興味が広がるからだ。自分の感覚ではスルーしてしまう音楽も、特に興味のある人(友人、知り合い、好きなバンドマン)が勧めているものはその人達なりのフィルータを通して新しい可能性になる。

私の会社の上司は大概頭がおかしいのだが、自身演奏することもあって音楽が好きである。そんな上司がおすすめするのがこのMateus Asatoだった。若干25歳のギタリスト、活動の場はtwitterやyoutubeなど。確実に新しい世代のミュージシャンなのだろう。面白いのは音源がほぼ皆無(コンピレーションに1曲のみ提供したものが流通しているのみ)なのにギターメイカーから彼のシグネイチャーモデルが発売されていること。

私は中学生の頃Sex Machinegunsにハマっていた。初めて買った洋楽のCDはBuckcherryではなくて確かJohn Sykesだったと思う。とはいえほぼほぼテクニカル系の音楽は聞かないできた。一回Nunoの来日を見に行ったことがあるけど、高音がきつい上にこれでもかというくらい弾きまくる(大抵のファンは喜ぶんだろうが、私は「Crave」などどちらかというとNunoのソングライティングの方に惹かれていたのです。)ので途中でちょっとうーむとなってしまった。

たしかに普段聞き慣れないジャンルではある、しかしメタルコアとクラシック音楽、そして日本のフォーク(長渕剛、吉田拓郎など)をこよなく愛する上司が押すくらいなら間違いないだろうということでライブへ。(平日にライブのために会社を抜け出すのは困難を極めるが、上司が一緒だととても安心だということを皆さんはご存知だろうか。)

下北沢のライブハウスには何回か行ったことがあるが、Gardenは初めて。
きれいで私がいつも行くようなライブハウスに比べると大きめ。
客はかなりはいっていて、男性がとても多め。見るからに学生、スーツ姿のサラリーマン、年配の方、バンドマンっぽい雰囲気の人、いろいろなカテゴリが参集していたがなんとなくみんなギターを弾きそう、という雰囲気が共通していて面白い。

やや押してライブがスタート。
以前の来日(上司は2回ともいったらしい)はマテウス本人のみだったが、今回はドラム、ベースとギターのマテウスの三人でバンド編成。(いずれもバカテク。)
この日のマテウスは終始リラックスした感じ。
どうなるもんだろう?という感じだったが始まってみるとこれがとても良かった!
まずは彼の表現力に驚かされる。とてもメロディアスでエモーショナルだ。こんな表現はどんな音楽にも当てはまるから意味がないが、まずこう描いておく。
通常の曲というのはテーマ(サビ)があってそれの前にいくつかの提携のメロディが配置されている。これはポップスもそうだが、メタルだろうがハードコアでもほぼ同じやり方が踏襲されている。ところがマテウスはそうではない。もちろんテーマはあるのだろうが、もっともっと自由に弾く。

(明確に継ぎ目がわからないのでなんとも言えないが)おそらく1曲はかなり長いと思う。例えば5個以下のリフとメインとなるメロディを作ってそれを回していく、というのではない。全部が連続していて、そして同じようなフレーズはあまり出てこない。
相当プログレッシブかというとそんな気がしない。相当テクニカルではある。しかし大仰な感じはまったくない。フレーズ自体が複雑でもリズムがシンプルでこまめに変えていかないからだと思う。

ギターの音色は弱めの歪み、リバーブなどの空間系をほんのちょっとかけるのみでごまかしの聞かないロウ(粗いではなく生々しい)なやつ。
音の粒がとにかくきれいで、雑味が入らない、音量が揃っているというよりは完全にアタックの強弱でコントロールされている、音はのっぺりしていなく、スライドやチョーキングで意図的に揺らされている。粘り気があり、ゆらぎがある。例えるならこうだ。ある晴れた日にお天気雨が降り、窓についた雨粒が流れるのを眺めているような。細かく、小気味の良い音が鈴なりになっている。

ピック弾きと指弾きを流れるように切り替え、単音、コード、カッティング、速弾き、スライド、チョーキング、ハーモニクスを駆使して曲を組み上げていく。(技術的な描写力のなさが歯がゆい。)どれにも固執することがなく、ただ必要だからそこにあるというテクニックだ。それでいて高等技術の博覧会的な要素はまったくない。全ては良い曲のため。

ボーカルが担当していたメロディラインをギターが担当する、または轟音ギターで重々しくもシンプルなメロディを補填するといったポストロック感はなし。
曲によってはかなりロックであり、ロック・ミュージックのギター解釈。それが結果的に典型的なロックの枠を出ている、といった趣。
音はきれいだがBGMとして耳から耳に素通りしていく小奇麗なそれではない。かなり実験的でそして挑戦的だ。

聴いてて思ったのは音楽は数学だ。
私も楽譜はみたことがあるが、オタマジャクシの種類に頓着したことがない。実際には4分音符、8分音符、休符と様々な種類があり、どんな音が鳴るかを示している。
一定の時間という概念、小節で切り取った時間を更に音符が分割していく。
マテウスはここが匠で、小節を自由自在に切り刻んでいく。たとえば小終わりの方でつじつまを合わせるみたいなのはない。音の数が増えたり減ったり、縦横無尽である。これによってメタルののっぺりした速弾きとは異なり、音にうねりが生まれてくる。
マシンみたいに正確ってなぜか芸術の分野ではむしろ侮蔑的に使われることがあるが、確実にそんなことはない。技巧が表現力を表現力が感動を生むのだ。

マテウスは常に良い顔でギターを弾く。よく白目をむいている。気持ち良いのかもしれない。終始楽しげで、そんな彼の人柄がよくよくにじみ出たライブだった。

ちなみに上司は痛く感動し、性的興奮すら覚えたと言っていた。やはりギターを弾く人間は頭がオカシイなと思った。

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