2019年5月19日日曜日

ヘミングウェイ/老人と海

ヘミングウェイは学生の頃に何冊か読んだたことがある。
最近はアメリカ文学に興味があるので読んでなかったこの代表作に手を伸ばした次第。

小説というのは省略だと思う。
面白いと思うのはこれは本当にタイトル通りで、おじいさんが小舟で魚を取りに行くだけの話である。ページ数も少ない。

何かを表現するときに割と話が広がっていく(地理的時間的にだったり、人が死んだりして内容的に劇的にする)小説が多くてその”たくさん”の中に人生のなにかを入れ込んだりることが多いと思っていたのだけど、この話は逆にどこまでもスケールを小さくしていくというか、老人の3日間(ほぼ一人きり)を淡々と書いている。つまり通常の手法と違って、何かを付け足して本質を浮かび上がらしていくのではない。研磨して研磨して余計なものを取り除いて、そこにちょっとだけキラリと光る本質を取り出そうとしているのだ。砂金採りに似ているような作り。

もう一つ印象的なのはタイトルで内容的には「老人と魚」になるはずだが実際には海。
これはわかりやすい、というのもサンチャゴおじいさんが何度も行っているように彼にとって魚というのは友達であって、本当ならそんな崇高な奴らを撮って食う権利は人間などにはないのだ。食うために殺すという仏教的な迷いを抱えつつ、人は海に出ていく。
ただ自然に戦いを挑んでいく人間の姿を賛美しているわけではないのだ。
海の上では何一つうまくいかない、そして友人(サンチャゴ曰く兄弟)と命をとしてやり合う、というのはそのまま人生に拡大解釈することができる。
命がけで獲得した成果も姑息なサメが掠め取っていくように、とかくこの世では真剣勝負すら許されないのだった。

翻訳した福田恆存氏のあとがきが大変面白かった。
この人は基本的にアメリカ文学はヨーロッパのそれに比べるとつまらね〜と思っている人で、最近アメリカ文学にハマっている身としては諸手を挙げて酸性とはならないんだけど、言っていることは興味深い。

とにかく肉体で世界にぶつかっていくのがアメリカ文学で、私にはその無骨さが好きだ。世界を拳で制していくという世界観はむしろ嫌いなのだが、登場人物の心情を読みたくないのだ。想像する楽しみがないから。
そこ行くとこういう小説はやっぱり良いなと思う。

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