2018年10月20日土曜日

志人・玉兎/映世観-うつせみ-

日本は東京を拠点に活動する?(まだ高田馬場にアジトがあるのだろうか)ラッパー/詩人のアルバム。
2018年にTemple ATSからリリースされた。
近年色々なアーティストとのコラボレーション作がリリースされていたが、今作は久しぶりの単独作品。志人はヒップホップデュオの降神のメンバー。確か高校生の頃にタワレコでアルバムを買ったっけ。当時はニューメタルばっかり聴いていて、友達に貸してもらった2Pacもピンとこなかったんだけど、降神のアルバムは両方よく聴いていた。MSCのメンバーが客演として参加していた1stから独自の世界観を打ち出していたが、2ndでそれが開花。完全に他に類を見ない存在感を示していたように思う。
2nd以降はラッパー二人は各々作品を発表しだした。(ライブはやっていたと思う。行った事ないのだけれど。)ソロ1作目その名も「メルヘントリップス」から幻想的なヒップホップを打ち出していったなのるなもない。対して志人は「Heaven's恋文」であまりリフレインがない、浮遊感はあるがあくまでも生活に根ざした感じのあるヒップホップを展開していた。二人とも俺対何か、というヒップホップ(やその他の若者が支持する)文化から一歩以上は脱却しているところ、またアンビエントな楽曲という意味では共通していたが、各々異なった世界があり面白い。

志人作品は熱心に追いかけているわけではないので聞くのはDJ Dolbeeとの共作「杣道EP」以来だろうか。相変わらずブレてない。アンビエントで浮遊感すらあるトラックの上にわかりやすいリフレインを排した独特のリリックが乗る。これはまさしく詩であり、tだし詩にしてはやけに具体的であり同時に現実からある程度遊離している。(なので具体的表現であっても詩なのだ。)例えばこうだ。隣に住んでいる顔だけ知っている人が失踪した。業を煮やした大家はその人物の部屋の荷物を撤去。あなたは乱雑に投げ捨てられたその男のノートをなんとなく手に取った。そんな感じだ。志人の書く詩は物語的だ。それゆえ長く、そして始まりから終わりを目指して続いていく。(多くの歌詞は繰り返す形態をとっている。)韻をふむという縛りを逆に応用したような飛躍した言葉の羅列は美しく、幻想的であるが、なのるなもないとは異なり、やはり志人の根底には現実世界の生活がある。そこから始まり、思考は広がり空想となりながらも足は現実の地についているのだ。だから彼の詩は土っぽく、暖かい。まるでブルースだ。
ヒップホップでこれを再現となると難しいのだろうけど、志人とOntodaはじめとするアーティストたちはことも無げにやってのけている。あまりにスムーズなので本当違和感がない。しかし明確に上物は確かに浮遊感のあるアンビエントでも、ビートはしっかりヒップホップだ。(ただし明確に低音を強調することはしない。)この温度差がよくよく彼の書く物語/詩にあっている。志人のラップは抑揚をつけて勢いで進んでいくタイプではなく、ポエトリーリーディングの趣もあって淡々としかし決して遅くはないスピード(これかなりよく口が回ると思うくらい)で流れるように続いていく。こうなると俄然ビートが、その決してわかりやすくないラップの背中を押していて、こちらとしてはビートに乗って詩が頭に入ってくる。拡散していく前衛性というよりは、実はかなりかっちりとした音楽だ。「線香花火-Short Liverd-」などはかすかなメロディのイントロをそのままずっと引きずっていく曲で、このテーマが全体を支配している。メロディの欠如というヒップホップの特性(当然弱点ではない)をかなり大胆に補填している。直線的なリリックを円環に閉じ込めたみたいな、ここでもそう言った二重構造があるように思う。

バックトラックのアンビエンスもあって息遣いすら聞こえてきそうなラップ。ビートを手に入れて非常にエネルギッシュだ。表面を撫でて優しい音楽なんて言ってはいけない。なるほど音はうるさくはないが、かと言ってエネルギーがないなんてことにはならない。むしろ生々しい呼吸がそのままパッケージされているかのようだ。「Heaven's恋文」には「交差点の動力」という曲があったかと思うが、今回もそんな生々しい生活の音がその背後にある喜怒哀楽をよくよく表現している。一体この偶然出会った不思議なノートが日記なのか、想像の世界なのかは判別がつかない。とても好きだ。

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