2015年12月30日水曜日

パオロ・バチガルピ/神の水

鳥山明さんの「ドラゴンボール」で世界中の猛者が腕比べをする天下一武道会にナムというキャラクターが出てくる。彼は強かったが亀仙人のオルターエゴであるジャッキー・チュンに敗退。故郷の水不足のためなんとしても賞金が欲しかった彼は涙を流すが、ここでは水はタダだよ、と亀仙人が諭してめでだしとなる。
「ドラゴンボール」はフィクションだ。日本では水は無料ではないが、例えば公園に行って蛇口をひねれば出てくる。自宅でもいっぱいいくらだ、とは頓着せずがぶがぶ飲む。節約しようとしているけど無駄にする事もしばしばだ。毎年四国の方では夏場の水不足があるが、なんて言ったって日本は水が豊富にあるし、何となく他人事である。しかしこの水が足りなくなったらどうだろう?始めは水の値段が上がるだろう。それでは追いつかなくなって取水制限がつく。水の取り合いが始まり、水のために人が死ぬようになる。馬鹿なと思うだろうが、よく考えてほしい。江戸以前の時代では旱魃で人が死んでいた。人は天に雨を降らせるように祈った。水が少なければ米が育たない。さらに水が減れば口を潤せず人は死ぬ。人間の体の6、7割は水である。勿論血液は水だ。現代と昔の違いは水の効率的な利用方法がある程度確立されたことだ。貯蓄できるように、再利用できるように、技術が発展した。(人間が賢くなった訳ではない。)今日日の日本では実感できないが人は水によっていかされているし、水は常にあるわけではない。この水が無くなったら?この小説はそんな世界を書いている。小説という体裁をとっているから特定の時空と人物に焦点を当てて描いている。今より少し先のおはなし、その未来は有り体に言って地獄に幾分近づいている。
舞台となるアメリカは既に崩壊寸前である。というのも各州が水を取り合って対立している。水利権だ。この聞き慣れない単語は面白い。川がある。そうすると水をほしがる人が殺到する訳だが、一体これは誰の水なのだ?基本は上流にいくほどその権利が高くなる。水源地が一番権利を持っている。というのも水が湧いて、それから流れているのだから。この水利権を取り合って正攻法、邪道でもって様々な人、団体が争いを続けている。弱い人ほど割を食う。水利権を失った州に住む人は難民となり、よその州に流れる。よその州は水の取り分を減らすわけにはいかないから、難民は容赦なく殺す。運良く越境できたものはシャワー一回のため体を売る。売るものが無い男は生きていけない。年を取った女もそうだ。クリア袋というものがある。恐らくビニールで出来た透明な袋だ(陽光を反射するそうだ)。これに排尿する。それから別の出口からそれを飲む。恐らく何らかの濾過機構が備わっている、ハズ…よほどの金持ちでない限り、みんなこうしている。水が無いと人は生きていけないから、金のために争っている贅沢な戦争はある程度根絶される。もっと地位の低い、卑しい原始的な争いが地表を覆い尽くしている。つまり生きるために奪い、殺す事だ。この小説は、世界がもう崩壊する、その直前を描いている。各自治体は機能している。ネットワークもある。世界では比較的ましな地域もある。水の利用効率を限界まで高めた集合住宅機構通称「アーコロジー」を代表とする良い技術の片鱗もある。いわばまだ余地がある世界を書いている。荒廃しきった世界を書けば悲惨だが、もう心構えをする必要がないからある種楽である。しかしバチガルピはあえて余地のある時代を描く事でその先の不幸を暗に書いている。性格は悪いが流石だと思う。これはディストピアだ。権力者が弱きものに圧政を敷くのは構図的に同じだが、洗脳するべき思想も見当たらないからずさんなものだ。醜い世界と言って良い。コップ一杯の水を皆で争っているのだから。
主人公のアンヘルは特権階級だ。ラスベガスを支配するやり手の女王の走狗である。そんな彼がアリゾナ州のフェニックスに密命を帯びて潜入するところから物語が始まる。フェニックスは砂漠に位置する町でまともな水利権は持っていない。アンヘルに言わせれば未来がない死に体の街だ。アンヘルを始め登場人物の目を通して、もうじき死ぬ町にいきる、いわば底辺の人間たちが描かれる。バチガルピが上手いのは舞台設定がしっかりしているのに、説明に終始する事無く、あくまでも個人レベルで作品を描く。見上げる様な視点で救いの無い未来を描く。それが読む人の胸を打つ。ラストにこの小説のすべてが凝集されていると思った。素晴らしい。バチガルピは後書きで述べている、曰く「この物語はフィクションだが、この未来は科学的知見に基づいている」。
科学小説でありながら、水そのものを作り出せない科学の弱点を書いているように思える。別に未来への警鐘であるぞ、と姿勢を正して読む事は無いと思うが、読んだ後には水の事に思いを馳せずにはいられないだろうとも。個人的にはほぼ最高の読書体験だった。

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