2015年1月24日土曜日

ジャック・ケッチャム&ラッキー・マッキー/わたしはサムじゃない

日本でも知名度のあるホラー作家ジャック・ケッチャムが映画監督ラッキー・マッキーと手を組んで映画の脚本用に描いた連作の短編が2つに、独立した短編1つを収録した短編集。
ケッチャムは高校生の頃ある意味神格化された「隣の家の少女」を読んで以来のファン。コンスタントに邦訳されている本を買っては楽しく読んでいます。
聞き慣れないラッキー・マッキーという人はホラー映画の監督でケッチャムの作品が好きでファンレターと自分の作品を彼に送ったところ、ケッチャムもマッキーの作品を気に入り意気投合、以降ケッチャムの「ザ・ウーマン」を映画化したりとタッグを組んで活動しているようだ。
ケッチャムの作品は「隣の家の少女」を始めいくつか映画化されているらしいんだけど(多分私はどれも見た事が無いと思う。)、今回メインになる「わたしはサムじゃない」という話は(どんな役割分担なのかはちょっと分からないのだけど)共作であるという事と、最初から映像化を視野に入れて作られているという事もあって、今までのケッチャム作品とはちょっと趣が異なる。

パトリックはグラフィック・ノベル作家として生計を立てている。監察医のサマンサ(サム)とは結婚して8年経つが未だに夫婦仲は良く、パトリックの愛猫老いた牝猫ゾーイと2人と1匹で郊外の家に幸せに暮らしていた。ある日目覚めると妻サムの様子が一変し、自分はサムではなくリリーだと言い張り、まるで幼児返りしたような言動を取り始める。途方に暮れるパトリックだったが、なんとかサムを取り戻そうと奮闘を始める。

パトリックは仕事にあぶれている訳でも飲んだくれな訳でもない。暴力的な性的嗜好も無い。サムとの暮らしはし合わせそのものだから今までのケッチャム作品の登場人物からしたらかなり異色の好人物。変わってしまったサムを取り戻そうとするのだけど、医者に見せても埒が明かないと思ったサムは自宅でリリーと奇妙な共同生活をはじめることになり、かなり丁寧に2人の毎日を書いていき物語が進んでいく。癇癪もちの(年齢を考えると仕様がないのかも)リリーに合わせて川に泳ぎにいったり、ご飯をつくったりとのどかな毎日が流れていくが、パトリックの方は不安と焦燥は募るばかりで仕事も上手く行かなくなってくる。表面化では独特の緊張感がぴりぴりしている。パトリックとリリーの関係は一見比較的若い父親と無邪気な娘のそれと見えなくもないが、体は勿論成熟した妻のものだし悶々とするパトリック。この構図はなんというか、結構これ自体グロテスクである。別にサムとリリー、パトリック誰かが悪い訳ではないからよりいっそうたちが悪いとも言える。
そんな悪夢的な状況が大きく進展する「リリーってだれ?」ではこの混乱劇がの顛末が書かれている。ケッチャムは序文で1編目の次に2編目を読む前に少し時間をおいてほしいと書いている。

「イカレ頭のシャーリー」はアメリカの田舎で労働者階級の夫婦の間の諍いをその隣人達も含めて書き出したケッチャムの代名詞ともいえるどうしようもない感情の爆発が過剰な暴力によって発露する様を”軽妙”に書き出している。この軽さがケッチャムである。

本編もさることながら長くケッチャム作品を訳して来た金子浩さんの解説が個人的にはとても良かった、ケッチャムの魅力の要点を実に簡潔に書き出していると思う。ケッチャムの宗教観も把握できてファンには嬉しい。(ケッチャムは通常Godと書くところgodと書くそうだ、何故かは是非読んでほしい。)
今作はケッチャムの新境地で、たしかに一見何とも形容できない状況に戸惑うが、その根底に流れているグロテスクさは確かにケッチャムのものと個人的にはとても楽しめた。内容も短いので気になる人は読んでしまった方が速いと思います。

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