2014年6月22日日曜日

ジム・トンプスン/おれの中の殺し屋

アメリカの作家によるノワール小説。
前回紹介したエルロイより時代は古く1952年の本。原題は「The Killer Inside Me」だからほぼ直訳の邦題。ノワール小説界では有名な存在らしく、(とはいえ本当に評価されたのは作者が亡くなった後だそうだが、)解説はかのスティーブン・キングがかなり熱のこもった文章を書いている。
それにしてもとにかく表紙がお洒落だと思う。真っ黒い背景に黄色い文字、それもちょっとレトロな字体でもってタイトル。そして英語は赤い文字で書かれている。お洒落。

テキサス州セントラルシティという田舎町で保安官助手を勤めるルー・フォードは格言を人に語ってはうんざりさせるという欠点はあるものの、概ね優しく開けっぴろげでそんなに賢くないまさに田舎の保安官助手だと思われ慕われている人物。しかし彼には人には決して見せない残酷な一面があった。幼い頃から強烈な暴力的な衝動を内に秘めている。ある日ルーは町外れに流れ着いた娼婦を追い出しにいくが、逆に関係を持ってしまう。そのことを契機に平和だったルーの毎日が少しずつずれていく。次第に加速度を増していく事態はそして…

読み終わって思ったのが、これは本当に50年前に書かれた小説なのか?ということだった。50年前にかかれた小説は古典とは言わないが、しかし一昔前であることは否めない。実際舞台を見ると煙たいアメリカの田舎町ということでなるほど現代からは隔たりがある。しかし小説の内容、文体、会話どれをとっても古くさい感じが全くしない。こりゃすごい。キングの解説によると実際発表された当初はほぼ世間に無視されたようだ。要するに、先を行き過ぎていたんじゃないかと思う。
さて、この小説は主人公ルー・フォードの語り口で終始書かれている。このルーはかなりのくせ者なのだが、ある意味いかれた男の一人称小説というのは結構珍しくないか?そういうスタイルで書かれているから読書はとにもかくにも最後まで読み進めるにあたり、このルーという男と仲良くならなければならない。彼が気に入らないんだったら最後まで読むのは不可能だろう。うんざりしてしまう。このルーという男周りには愚か者に思われているが本人は全くそのことを気にかけていないばかりか、むしろ愚か者を演じている。おまけに犯罪者であり、実際にはその身に破滅的な暴力的な衝動を抱えている。無抵抗の女性を難なく殺し、その死体を目にした恋人を見て大笑いするのである。狂人というよりはキングも書いているが所謂社会病質者、ソシオパスなのだ。彼には人の感情と言ったものが本質的に理解できない。推測はできるから日常的には全く問題なく他人にとけ込んで生きていける。彼は異常者なのだろうが、彼の軽妙な軽口に煙を巻かれてしまって彼の野蛮な暴力性、(私たちから見ると)狂気じみたその異端性が霞んでしまうのだ。もっと言うとなんだか彼を好きになってしまう。彼を応援したくなる。彼が無辜の民にその暴力性を発揮するのが何となく愉快に思えてしまう。
この本はその作りもあって因果応報勧善懲悪の話に見えなくもないが、実際は違うと思う。この本が何故のワールの金字塔と呼ばれるのか。それは他のノワールにも通じるけど、その芯にあるどうしようもない空虚さが、一見軽妙な軽口をもってしてもごまかせないくらい物語を覆っているからに他ならない。恐ろしさという意味では暗い戸口の陰に潜む「何か」を書いた現代の恐怖小説とも言えると思うが、さらに恐ろしいのはこの恐ろしさには足がはえ、実体があることだ。作中ルーが引用するクレペリンの文に思い当たるところがある読者も多いのでは?

ルーの語り口によって物語はなにかすこしおかしいところがある。なんなら何か寓話っぽくも見えてしまう。しかしそれがこの物語の恐ろしいところでもある。もしこれがいわゆる神の視点、つまり三人称で書かれた小説だったら、どうだろう。これはかなり陰惨なことになるだろうと思う。そこがこの小説がものすごく面白く、特異な点の一つだ。つまりどんな邪悪なことでも見方や語り口を変えてみただけで、その様相は恐ろしいほどに変わってしまうのである。これは結構冒涜的なことじゃないか。

というわけで本当面白かった。この先酷いことになるのが分かっているのに、気になって読むのがやめられないんだもん。これはすごい。超オススメ。
調べてみたら2度も映画化されているようだ。見てみたい!

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