2014年4月20日日曜日

アンドレアス・グルーバー/黒のクイーン

オーストリアの作家によるミステリー小説。
同じ作者の「夏を殺す少女」が大変面白かったので買ってみた。
訳は同じ酒寄進一さんで後書きによると本書は「夏を殺す少女」以前に書かれたものだそうだ。本書が新たに翻訳されたということは「夏を殺す少女」が結構日本でもうけたからかな?

オーストリアでフリーランスの保険調査専門探偵をやっているペーター・ホガートは大手保険会社の支社長からある依頼を受ける。隣国チェコで起きたとある歴史的な絵画消失事件は保険金目当ての偽装の疑いがあり、調査に赴いた専属の女性探偵が姿を消したという。悪い予感を抱えつつホガートはチェコはプラハに飛ぶが、偶然かの地発生していた被害者は全員首と手を切断されビロードに包まれ路上に放置されるという異様な連続殺人事件に巻き込まれる。ホガートは絵画消失事件と連続猟奇殺人事件を解決できるのか。

「夏を殺す少女」は冴えないけど激情を秘めた男性刑事と若い女性弁護士のバディものだったが、今作でも主人公は渋みがかかった探偵でその相棒はホガートよりは若い者の子持ちのやり手女探偵となっている。男女のバディものというのはこういったミステリでは結構王道なのかも。主人公達はフリーの探偵なので、警察ほどしがらみに縛られる訳でもなくぽんぽん捜査が進んでいく様は結構小気味よい。
この小説で特に面白いと思ったのは、犯人の特定が結構早い段階(といっても後半ではあるが。)でくること。昨今は結構最後の最後まで引っ張って「ななななんとー」というパターンが多いのだけど、今作では結構「コイツ怪しい…」となってからさてどうやってコイツを追いつめて真相を看破するか、という楽しみが出てくる。これが犯人と探偵の攻防という訳ではないが、中々真に迫って面白かった。ミステリといっても所謂本格とは違う訳だから、誰がどうやって、というよりは、こいつが何故という動機を探る様なプロセスがこの本ではかなり丁寧に描写されていて、主人公の特性を活かしたハードボイルドさを保ちつつ、アメリカのサイコスリラーを彷彿とさせる派手なギミックを内部に仕込んでいるようで、やはりこの作者なかなか上手に読者を楽しませるな〜と感心。
「夏を殺す少女」でもそうだったが、この作者は虐げられてきた人間が怒りと憎悪を爆発させて自己破滅的な勢いでもって虐待者に迫りくる鬼気迫る展開が得意で、今回も容易に善悪の判断がつけづらい展開で読者を惹き付けること。日本人はだいたい仇討ちものが好きというのはよくいわれることだけど、結構それは前世界共通の感情なのかもしれず、小説を読んでいるうちに誰を応援すれば良いのか、誰が一番悪いのか、と考えてしまう様なこの構成は流石の技量であると感心せざるを得ないのであった。
復讐譚としての完成度や、話の作り込みに関しては恐らく次作に軍配が上がるだろうが、今作もそこに至る過程が見えて一冊の本として十分に面白い。

私は出不精で旅行なんてほとんどしないに関わらずなんとなく昔からプラハに憧れを抱いていて、この本ではプラハの新旧入り交じる幻想的かつちょっと退廃的な雰囲気を丁寧に描写していてそこも面白かった。ボートハウスを借りの住まいにする探偵というのもなかなか絵になって良かった。

「夏を殺す少女」が気に入った人は是非。
また、硬派かつエンターテインメント満載の小説が好きな人も気に入ると思う。

以下結末に触れる文章になるので、今作を既に読み終えた人は読んでください。

さて、今作とても面白かったのだが、どうしてもラストに関しては一言申し上げたい、ということでこのような形に。私は本来こういう書き方はあまり好まないのだが。(ネタバレあります!という書き方だけでも「さては何かあるな」と未読の人によけいな情報を与えてしまうのではと思うので。)

ラストでイヴォナは犯人の仇を銃殺、ホガートは犯人を狙う用心棒を殺し、彼にイヴォナの罪をなすり付けることで事件を収めるのだが、個人的にはこれは賛成できなかった。
私は仇討ちものが好きだが、仇討ちというのは私刑であってこれは絶対的に正しくないと思うのである。勿論物語なのだから、仇討ちはエンターテインメントだが、仇を討った人にはそれに相応する罰を受けるべきだと思う。なぜなら私刑は反社会的な行動だからで、私が面白いと思うのは、その罰の部分もセットでのことである。許せないという気持ちがあるというのもわかるし、仇討ちを応援したくもなるが、だからといって人を殺してそれを他人になすり付けてめでたしめただし、というのはちょっとなあ、と。
ホガートはイヴォナに好意を持っている訳だから、あえて最後キチンと告発してほしかった。これだとただ惚れた女のために事件をもみ消しているだらしない男にみえてしまう。
さらにおかしいのがそのホガートの行動である。犯人を虐待していた男のおぞましさ(実際おぞましいが、個人が殺していい訳はない、というのが私の持論。)故に、イヴォナは犯人の代わりに仇を討つ訳だ。百歩ゆずってこれをホガートが見て見ぬ振りをするのはよしとする。しかしホガートはその後犯人を殺そうとする用心棒ディミトリを銃殺。よく考えてほしいのだが、ディミトリが犯人を殺そうとするのは自分の彼女が犯人に殺されたからで、これは至極真っ当な仇討ちである。イヴォナは他人だから自分の彼女を殺されたディミトリの仇討ちはなんなら彼女の行為より正当性(おかしい言葉だがご承知ください。)がある訳だ。しかしホガートは彼は撃ち殺してしまう。これは筋が通らない話で、イヴォナが虐待者を殺したのをスルーしたなら、ホガートはディミトリが犯人を殺すのも当然スルーしないといけないだろう。
最後は情がものをいう、というのは作者のメッセージなのだろうか。私は残念なが賛成できなかった。ひょっとしたらあえてこういったラストにしたのかもしれないとも思う。

ちなみにラストは納得できないものの、話としては面白かったので結構満足。
こうやってツラツラ考えてしまうというのも面白いものではある。スッキしはしないけど。

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