2013年10月13日日曜日

澁澤龍彦訳/暗黒怪奇短編集

サディズムという言葉の語源であるマルキ・ド・サドを日本に紹介したことで有名な翻訳者・作家・エッセイストの澁澤龍彦さんが翻訳したフランスの怪奇幻想小説を編集したアンソロジー。前に紹介した「幻想怪奇短編集」の第2弾。解説は前作同様東雅夫さん。
どうも前作が好調だったようで、この本の出版が決まったそうな。なんだか嬉しいもの。
今回はタイトルに暗黒とあり、またモンス・デジデリオという人の「地獄」という絵画を抜粋した表紙がなんとも不気味。前作よりも暗ーい感じをにおわせている。

フランスの恐怖小説、とりわけ澁澤龍彦さんが好んだ作品だから、前作同様怖いだけでない。独特のユーモアや諧謔という物が物語に織り込まれていて、独特の味わいがある。日本の古典の怪異譚にも通じるような物悲しい感じとでもいおうか。
読んでで思ったが、ひとえに恐怖小説といってもいろいろあって、この本に収録されている6つの話はどれも、床に血がびちゃっと飛び散るような分かりやすく低俗な恐怖感はほとんど全くない。(勿論低俗な恐怖小説も好きだよ。)前作と違って幽霊も出てこない。6編中3編は人ならざる物の存在がにおわされるが、後の3編は不思議の要素はあるものの超自然的な恐ろしさは皆無である。それでは何が恐ろしく、何が暗黒かというとそれは人の情念の恐ろしさである。
比較的長い尺の「罪のなかの幸福」「ひとさらい」「死の劇場」3編については、人の持つ欲望や業の深さといった物がこれでもかというくらい精緻に描写されていて、それぞれがまとわりつくような不快感を持っている。
とある貴族夫婦の過去の愛憎劇を描く「罪のなかの幸福」は恋愛という要素のもつマイナス要素を結晶化させたような一品でなんとも嫌な気持ちになる。
南アメリカの英雄である快活な「大佐」が子供欲しさに誘拐を繰り返し、破滅していく様を描いた「ひとさらい」は誘拐という禍々しい題材をテーマにとっているのに妙な明るさを持った不思議な作品。前半のほのぼのとした感じが徐々に不幸に蝕まれていくような過程が恐ろしい。
とある田舎町に伝わる死にかけた女を町の男全員で観察するという風習を描いた「死の劇場」。現代では(特に有名人の)人の死さえエンターテインメントだが、これは直接的にまさに死の瞬間を見せ物にするという胸くそ悪い話。兎に角場の雰囲気の描写が秀逸で息が詰まるよう。男尊女卑だとか行き過ぎたジャーナリズムへの批判だとか云々以前に、単純に不快度マックスな一遍。

恐怖小説というのは非日常を書くことにその面白みの一つがあると思う。いわば現実離れしていることが、エンターテインメントに一つの条件なのだ。だからどれだけ凄惨でどれだけ血が流されてもそれは非日常の世界の出来事であって、ページをめくる私たちには本質的に関係ないのである。
ところがこの本に収録されている作品と来たら、勿論フィクションであることは百も承知である。なんなら古くさい昔話であることも知っている。しかしこれらは私たちが普段知らんぷりしているような事柄を私たちの目の前にまざまざと突きつける。
恋愛や子供のいる家庭や好奇心、普段歓迎されるような事柄の裏側に確かに存在し、私たちがそんなことをあたかも存在していないように振る舞う、その事柄をこれらの小説群は書いているのである。そしてそれが恐怖なのである。暗黒なのである。
ひとたびこの本を開けば、私たちの今いるところから続いている「そこ」に私たちは連れて行かれなければならないのである。

表紙通り真っ黒い小説である。
なんとも嫌ーな気分になりたい人は是非どうぞ。
私は最近ちょっと忘れがちであった、暗い気分を思い出しつつ大変楽しく読めました。
あまり紹介できていない残りの3編については前作の流れを汲むフランスらしい、ゴシック且つ儚い恐怖に彩られた恐怖小説なのでご安心を。

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