2018年11月24日土曜日

ロス・マクドナルド/さむけ

アメリカの作家の長編小説。原題は「The Chill」で1963年に発表された。
いわゆるアメリカの古き良き時代のハードボイルド。アメリカの私立探偵というとどうしてもレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウが思い浮かぶが、時代的にはこちらの方が重なりつつも少し後になるようだ。
あとがきにも書いてある通り、両者のイメージはだいぶ違う。ハードボイルドというのはどうしても主人公のキャラクターによるところが多いと思う。そういった意味ではマーロウとこの物語の主人公アーチャーには多くの共通点がある(簡単にいうと喧嘩が強くて科目て格好良い。)物語全体としてはこちらの方が陰鬱である。舞台もカリフォルニア州の海沿いの町なのだが、華やかな雰囲気がほとんどない。むしろ霧が立ち込めて重苦しい。出てくる人たちも派手な金持ちやギャングは出てこない。要するに地味といっても良いかもしれない。

出てくる人たちはみんな問題を抱えているようではある。結局は孤独ということになるのだろうと思う。どこからしら欠陥がある人間たちが人生の中で右往左往しているうちに事件が生じてしまう。アーチャーはその絡まった糸をほぐしていくことになるわけだが、当然そうすると関係者たちの生まれや育ち人間関係とそこから生じる問題に直面していくわけだ。これは何かと言うとカウンセラーに近いなと思う。個々人の身勝手さがわかっていってげんなりもしてくるのだが、面白いのはこの登場人物たち、結果的に良いか悪いかはわからないがかなり他人のことを考えている。いわば関係性が強調された物語ということができる。利他の精神であり、また同時にすがる縁でもあって、愛情であり呪いでもある。重なっていく日々が過去を重たくし、距離を稼いでもそこから逃れることができないのは象徴的だ。こうなるとギャングたちが出てこないのも納得できて、つまり不和やそれを引き起こす問題というのは常に内側にあるというのが、この作品の言いたいことであって、それが全体的にやるせない雰囲気をこの作品に持ち込んでいる。殺人を起こすのはどこにでもいるあなたの隣人であり、殺人が起こるのは絢爛なハリウッドでもなく近所の家なのである。ここに異空間や非日常はなく、あるのは嫌になるくらいの日常である。
この日常の中で罪というのは相手の意を介さずに自分の思いのままにしようとすることだと示唆されているようだ。でも思いやりと強制の境はどこにあるのだろうか。
妙な諦観を持って動き回るリュウ・アーチャーは特異な霧に紛れて現れれる幽霊のようだ。積極的に事件に乗り出すがどこか頼りないところがあり魅力的だ。老獪な人物たちの間の中でボンボンで幼く、衝動的で直情径行のアレックス・キンケイドだけがその思い込みと優しさでくらい事件に一条の光を投げかけている。長く、優しい目で彼を見つめるアーチャー、とても良かった。彼もまたまだ死んでない男なのだ。

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