2017年9月16日土曜日

エドワード・バンカー/ストレートタイム

アメリカの作家による長編小説。
原題は「No Beast So Fierce」、どうやらシェイクスピアの文(創作物の一部なのか、格言なのかはわからないが)の一部からとっているらしい。
1973年に発表された小説。
さて世の中にはいろいろな作家がいるが、このエドワード・バンカーという人はプロの犯罪者だったという意味で非常に珍しい経歴を持っている。プロというのはつまり犯罪で飯を食っていたという意味だ。この長編は彼が獄中で書いた(おそらく)フィクションの第一冊めということで、もちろん創作だがその多くは本人が実際に体験した事柄で構成されているようだ。あとがきでも触れられているとおり、私の好きなジェイムズ・エルロイも怪しい経歴と収監歴があるが、バンカーのように完全に犯罪をなりわいにしていた人とは明確に異なる。日本でも元ヤクザの作家の方がいるが、どうもバンカーは特定の組織に属さずに一匹狼でやっていたようだ。ギャングに関しては組織だって金儲けに特化しているが臆病だとこの作品中でバッサリ切っているのは面白い。

マックス・デンボーは31歳で仮出獄を迎えた。物心ついた頃から犯罪を働き、幼くしては感化院、ある程度の年を食ってからは監獄とシャバを行ったり来たりの毎日で、この度は八年間のお勤めを食らっていた。八年間の間にマックスは改心することを決意。もう二度と(少なくとも)重犯罪には手を出さない。まっとうな職業を得てカタギとして生きていく。しかし獄中から送った履歴書はことごとく不採用の返信が。自分には犯罪者の知り合いしかいない。果たしてまっとうに生きていけるのか、マックスは自由になれる喜びと同じくらいの不安を抱えながら出所の日を迎える。

私は犯罪者でないからこの小説がリアルであるか?という判断はできない。しかしこの物語では他の犯罪小説が書いていない(知らないのでかけないということだろうと思うが)犯罪者の生活、彼らが犯す犯罪について事細かく書いている。麻薬の隠し場所、使い方、強盗に入るときの心得、盗品の捌き方、犯罪と犯罪の合間に彼らがすること、それから犯罪者の家族に生まれるということがその後の生活どういう影響を及ぼすかなどなど。マックスの目を通して平明な文体でサラリと書いてある。(もちろんフィクションだから誇張や省略大いにあるだろうが、決して大げさに書かないのがバンカーの流儀らしく、私はそんな文体がとても好きだ。)
マックスは犯罪者以外の生活しか知らないし、当然周りの人も(出所したとしても)犯罪者として扱うので、彼は自然に昔の生活に引き戻されていく。この生き方しか知らない、といえばかっこいいが、実際にはそんな格好いいものではない。当然周囲の圧力に負けずにカタギとして改心して生きている犯罪者もいるわけで(おそらく作者もこの本を書いたあとはまっとうに生きている)、そういった意味ではこの小説はマックスによる長い言い訳でもあるのだが、それでもなかなかどうして元犯罪者というのは辛い目に合うのである。面白いのはそれでももしあなたが隣人を選べるとして、犯罪履歴のある人とない人どちらをえらぶだろうか?私はきっと犯罪歴のない人を選ぶだろうと思う、臆病者だから。マックスが悪さを犯すことを言い訳するように、私も適当な言い訳で犯罪者を差別して圧力をかけていることになるわけで、なんとも素晴らしい世界が構築されていくさまが見えるようだ。私は犯罪をおかすことは悪いことだと思うし、やはり懲役を終えても周囲の人が同じように扱うのは難しいし仕方のないことだと思うが、元犯罪者だからといって不法に不当に扱えばそれは犯罪である。その場合は犯罪者を犯罪者と断罪せしめたまさにその法で裁かれるのは当然であると思う。
デニス・ルヘインの「夜に生きる」だったと思うが、やはり犯罪者の主人公が犯罪者というのは生き方で、とにかく他人のルールで生きるのはまっぴらゴメンである、というようなことを言っていてこの小説の主人公マックスもやはり同じように感じているのが面白い。彼は誰にも守られない立場で育ったので、根本的に豊かに育った人々(例えば私のような)とは根本的に考え方が異なる。彼らは怒りで生きているようだし、実際そのようだがマックスも言うとおり人間というのはどんなときでもいかっているのは非常に難しい。そしてどんな手段で手に入ったとしてもお金はお金で、犯罪者は稼いだ金を湯水のごとく使ってしまう。一回ミスをすれば下手するとしぬ世界で、宵越しの銭はルールの中で生きているものとは異なった価値を持つ。犯罪者はこの世のすべてが虚飾で、金で楽しむ世界がかつて彼の尻を手ひどく蹴飛ばしたこともわかっているが、それでもそこで酔いしれずにはいられない。一体ルールの外で生きるとは何なのか、ルールは誰が作っているのか、本当のルーラーはどこにいるのか、私たちは誰の手のひらの上で踊っているのか、そんなことを考えるのである。

というわけで非常に面白かった。この小説はもう40年も前にかかれているのだが、犯罪者のというの何時の時代もいるし、使っているデバイスは変わっても彼らの心持ちというのはきっと大差がない。この本にはそういった意味で犯罪(者)の本質がある程度書かれているだろうと思う。気になっている人は是非どうぞ。ちなみ過剰な暴力描写なんかはあまりないのが驚きでもある。すでに絶版なので(しかし作者の他の長編「ドッグ・イート・ドッグ」がニコラス・ケイジ主演で最近映画化されているというのにその原作本すら再販しないって一体どういうことなんだろうと思わざるをえないのだが)、古本でどうぞ。

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