2019年12月16日月曜日

荒俣宏 編/アメリカ怪談集

河出書房新社の各国の怪談集が相次いで復刊されているのは非常に嬉しい。
これはそのアメリカ編。編者は荒俣宏氏。
収録作品は下記の通り。
①ホーソーン「牧師の黒いヴェール」
②ジェームズ「古衣裳のロマンス」
③ラブクラフト「忌まれた家」
④ルイス「大鴉の死んだ話」
⑤カウンセル「木の妻」
⑥ホワイトヘッド「黒い恐怖」
⑦フリーマン「寝室の怪」
⑧ウォートン「邪眼」
⑨ビアス「ハルビン・フレーザーの死」
⑩ポオ「悪魔に首を賭けるな 教訓のある話」
⑪ヘクト「死の半途に」
⑫ブラッドベリ「ほほえむ人びと」
⑬ケラー「月を描く人」

私はしばらく前アメリカ文学の古典を読んでいたのだけど、あらためてこうしてアメリカ文学を短編という形で読むとやはり非常に面白い。

アメリカ合衆国というのはいわばイギリスから文化した国であるけれど、その文化はイギリスを受け継ぎつつも結果的にはだいぶ異なる。

怪談という切り口で改めてアメリカ文学を読んでみると気がつくのはその歴史のなさ。
たとえば年振りた由緒ある館で先祖代々の幽霊が夜な夜な広大な屋敷を歩き回るのである…という怪談は当然ない。だってそんな歴史がないのだもの。
歴史がないということは弱点でもあり、強みでもある。
アメリカの文士たちは(恐怖というジャンルに限らず)ないものを補おうと頭を捻って新しいものを作り出したのである。
収録作品で神話の香りを感じさせるのはネイティブ・アメリカンを主題にした④だけ。

先日遅ればせながらヘミングウェイの「老人と海」を読んで、マッカーシーの異常な文体につながるアメリカ文学のもつ肉体性に合点が行ったのだけれど、やはり恐怖小説においてもその流れが確実にある。

歴史がなく、また広大な荒野で外敵に囲まれて生活を送った当初のアメリカ人にとって恐怖とは常に現実的なものだった。毒蛇やネイティブ・アメリカン、強盗野党のたぐいが彼らにとっての脅威であり、変な話幽霊たちの付け入る好きはあまりなかったのかもしれない。

このアンソロジーのどれも現実的な恐怖や異常を書いている作品が多い。
②は正しく幽霊が出てくるが、それは生前のその人を知っているくらい直近の幽霊なのは非常に象徴的だ。
一方③や⑤の新しい恐怖の対象としてのクリーチャーの造形の視覚的な異常さは面白い。

また心理的な描写が多いのもアメリカ的な怪談の特徴。心理的でない小説はないからこの書き方だと馬鹿らしいのだが、要するに心理学的な要素か。
信仰心と不可解な心理を取り扱う①、迷信を文明が教化する⑥、罪悪感が怪異の形を取る⑧、正しく後のサイコスリラーの系譜に連なる⑫。異常な親子関係という意味では⑨と⑬もその範疇に収めても良いかもしれない。

文学、文章というのは描かれた時代や土地を反映するものだから、やはりテーマや土地で作品を集めればその特性が非常にわかりやすく見て取れる。これが短編集・アンソロジーの醍醐味だろう。
自治体や集落単位で恐れていたものが怪異や異形として結実する、というプロセスは同じにしても昔のアメリカでそれでは一体何が恐れられていたのか?というと、暗く広い荒野にある現実的な恐怖。それから新大陸で病んでいく人の心だろうか。

肉体的で心理的、というと矛盾してそうだが、怪異に関してその謎を、旧来の怪談のように過去の因縁に求めるのか、現代にもとめるのか、そのアプローチこそがアメリカの怪談を特徴づけているものかもしれない。

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