2019年11月24日日曜日

グレッグ・イーガン/ビット・プレイヤー

久しぶりに読むイーガン。

バリエーションに富んだ作品が収録されている。
面白いのは難民問題をタイムトラベルを絡ませてSF的に書いている「失われた大陸」。面白いネタを選んだ結果、というわけではない。
難民問題の核をむしろタイムトラベルというギミックを使うことで露骨にわかりやすく描いている。ここで強調されるのは具体的には隔絶と孤独感、どこにも所属する事ができない人をどう救うのか?または逆に排除するのかという問題だ。
後書きによるとイーガンは執筆が後回しになるくらい、この問題に熱心に取り組んだそうだ。
非常に効率的な考え方が反映された小説を多く書く人なので(面白いのは彼が書く物語は結果的に非常に感情的なのだが)、この事実は面白かった。

その他はいつものイーガン節。
意識の拡張や変遷が作品の根底にあり(テーマそのものではない)、そこから物語が動き出していく。
資格の拡張、そこから意識と記憶を非人間体への移植(彼は人間でもロボットでもないので周囲との摩擦が生じて物語になる)、さらにジャンプアップしていき(この短編集は日本オリジナルで作品のチョイスと並べ方は非常に巧みだと思う)印象的なのはラスト2つの中編。
はるか未来、どのくらいかというと僕らがもう古代人として伝説的に思い出されるくらいの未来。
肉体を捨てた人類を含めた様々な人種がデジタル情報になって広大な宇宙を行き来する融合世界アマルガムを舞台にした小説群。

肉体を捨てて意識をデジタルに、というアイディア自体はありふれたもので、私達も攻殻機動隊を始めいろいろな作品で慣れ親しんでいる。
多くが肉体を乗り捨てる、不老長寿になるといった考えにとどまっている中、イーガンはその先を進んでいる印象。
精神など肉体のおもちゃに過ぎないというが、逆に言うと肉体の軛から抜け出した精神は自由に選べる肉体、はたまたその肉体自体なくても存在できる意識となってどんどん変容していく。
衣食住、食欲、性欲、睡眠欲といった肉体に起因する”問題”から開放された人間の精神はどんどん現状から変容していく。
肉体的欲求は娯楽や美徳として昇華(消化)されている側面があるため、現代人から見るとモラルや常識が通じないので、イーガンの描く世界が偉くいびつに”非人間的”に見えるかもしれないが、逆にイーガンは人間の本質は精神、というとあれだがデジタル化できるデータだと捉えているわけで、非人間的というのは当たらない。むしろ肉体という制限がなくなったときに残る人間の本質とは?という問題に真摯に取り組んでいるのがイーガンでは?


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