2019年10月27日日曜日

マイケル・フィーゲル/ブラックバード

誘拐事件や監禁事件の際に加害者と被害者に特異な関係が築かれることがある。
一種の共存関係が結ばれるわけだ。ストックホルム症候群という名称で知られるこの概念はフィクションでの登場頻度は高いのではないか。

この物語は一人職業テロリスト(本来の思想的テロリストと区別するために私が勝手に作った言葉です。)が犯行現場で女の子を拾ったところから物語が始まる。
禁断の関係がドラマティックに物語を盛り上げるように、この小説も恋愛小説といえる。
誘拐犯と被害者、そして父親と女の子と、二重の意味で禁断の関係が描かれている。
恋愛では互いに秘密を共有することで関係性が深まるという。
罪の感情というのはとっておきの秘密であり、これを時期に展開する物語は非常にロマンティックだと言える。

被害者に生じるストックホルム症候群は一種の防衛機制で圧倒的な力関係の中でサバイブするための術である。
一方で共依存という関係があって、これは不健全な関係で二者がそれぞれの役割にハマって依存すること。ときにはこれは自分によって良くない自覚があってもその関係から抜け出すことができないとか。
職業テロリストなもので終日さらってきた女の子を見張っているわけには行かない。
女の子の方はやろうと思えば逃げ出せる環境で色々な理由をつけて結局誘拐犯の男から逃げることをしない。男は自分を間接的に殺そうとしたのにである。
不幸な家庭に育ったこともありどこにも居場所がないのが一つ、テロリストに鍛え上げられて殺人を犯した今帰りにくいのが一つ、男と奇妙な関係になっているのが一つ。
だが実際には新しい生活を始めるのが怖い、もっと素直に言えば生活スタイルを変えるのが文字通り(テロリストであり、組織からも追われているので)死ぬほど面倒くさいのだ。ブラック企業からなかなか退職できない社畜みたいなもんだ。忙しくて時間ないし、まともなスキルもないしといっている間にズルズル時間が立ち更にやめにくくなる。

面白いことに誘拐した男の方も同じである。
幼いときに否応なしにこの業界に突っ込まれ、中年を迎えるまで他の生き方を知らないのだ。彼が女の子を拾ったのは寂しかったからである。互いに食い合う裏社会で信頼できる仲間が欲しかった。(この恋愛小説がある観点ではずっと片思いなのは面白い。)
彼は組織を抜けたあとも殺し屋以外の生き方を模索しようとはしていない。

この本にはカタルシスがないのは意図的なのだろうかと考える。
フィクションとして殺し屋の追われ命を狙われる生活も楽しそうには書かれていない。
断片的な男の日記をたどっていく少女の旅路だが、しかし殺し屋のくせによく寝る男の本質も特別ニヒルでもない(故に私は好感が持てた)、つまり冴えない男であり(これは本書の帯にも退屈なという形容詞で表現されている)、そんな男を追う少女の姿はなかなか納得できないものがあるが、その他人には理解不能な情熱が恋なのだろうかな?と思った。

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