2019年10月15日火曜日

東雅夫 編/平成怪奇小説傑作集1

題名の通り終わりを告げた平成という時代に世に出た日本のホラー小説を集めたアンソロジー。
過去の偉大なアンソロジーに対する敬意とその衣鉢を継ごうという意思を感じる一冊。
平井呈一が翻訳した小説を集めたアンソロジー「幽霊島」を読んで再燃したホラー熱で購入。というのも私はあまり日本の最近の作家の小説を熱心に読んでいるわけではないから。

収録作は下記の通り。
①「ある体験」吉本ばなな
②「墓碑銘〈新宿〉」菊地秀行
③「光堂」赤江瀑
④「角の家」日影丈吉
⑤「お供え」吉田知子
⑥「命日」小池真理子
⑦「正月女」坂東眞砂子
⑧「百物語」北村薫
⑨「文月の使者」皆川博子
⑩「千日手」松浦寿輝
⑪「家──魔象」霜島ケイ
⑫「静かな黄昏の国」篠田節子
⑬「抱きあい心中」夢枕獏
⑭「すみだ川」加門七海
⑮「布団部屋」宮部みゆき

この本は明確に収録作に指向性があるわけで、なにか訴えたいことがある。もしくはまとめて読むことに意味がある。
怪奇な物語、という側面から一つの時代を切り取ってみようという試みであることは間違いない。
時代性という言葉がなにか、というのは最近考えるのだが、一つに時代性を抽出することで比較検討ができるというのがある。
恐怖(とそれを嗜好する趣味)は普遍的な感情だが、流行り廃りだけでなく物語にはそれが書かれた時代が反映されている。
ここでは「平成」のそして「日本」という時空が抽出されている。

収録作を読んで思ったのが、人間、つまり他者との関係性がそのまま怖い話になり得るなということ。
独断で収録作を対人関係に起因する物語だと感じたのは①②⑦か。どれも超自然に片足は突っ込んでいるが、幽霊譚や怪談というのはちょっと違う。どれも怪異の発生源は明確に実在する具体的な人間関係だ。
電力が行き渡り明るくなった世界に、暗がりで生きるモノたちの居場所が亡くなったのもそうだろう(幽霊がリアルではなくなった、説得力が減じた)。
(また穿ってみれば現代人の比喩が下手になったとも言えるかもしれないが、)幽霊は因縁の可視化だとすると恐怖の一つが人間関係であることは昔からそうだが、どうも平成ではいま生きて横にいる親しい人間が恐怖の対象でもあったわけだ。
核家族化から少子化へ、共働きによる労働時間の増加などによる孤立化が生み出した現代なりの恐怖なのかもしれない。知らない、ことが何よりの恐怖になり得るのだから。
④や⑤は隣人に対する恐怖と考えることができるから、この段階を経て、しかしすぐにふっとばしてもう親や恋人が何を考えているのかわからない、と飛躍するのは面白い。ここは日本ならではか?

典型的な怪談もあるが、どれも見事に平成の世に馴染んでいる。
⑧のような短い短編を見るとわかるのだが、どの物語にも怪異を呼び出すための装置が巧妙に配置されている。
というよりは恐怖の本質はいくつかの類型があるが概ね普遍的であり、あとはそれを日常生活になじませる手段が必要だとすれば、各作中に出てくる風俗という点で怪談というフォーマット自体がその都度の時代を色濃く反映しているのも必然というわけだろうか。

⑫などは現代でしか生まれ得ない怪談であり、そういった意味では非常に面白い。私はなんとなく盲目的な科学への信頼は宗教じみていると思っているのだけれど、そういった意味ではSFは未来(と現代)の怪談とも言える。(ここは例えばバラードなんかを引き合いに出すともっと面白そうだ。)

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