2013年11月10日日曜日

コーマック・マッカーシー/ザ・ロード

アメリカの作家が2006年に発表した小説。
この小説は2007年のピュリッツァー賞フィクション部門を受賞した。
ピュリッツァー賞というと何となく優れた報道に対して与えられる賞かと思っていたのだが、調べてみるとジャーナリズムだけでなく、文学や音楽に対しても部門がもうけられているようだ。ただ面白いのが、アメリカ人が書いたものとか、アメリカに題材をとったものが望ましいとされているようだ。
ずれてしまったが、今作は2009年に映画化もされているようだ。金曜日の新聞広告に掲載されていたのをなんとなく覚えているが、こちらは私は見ていない。
「血と暴力の国」で書いたが、マッカーシーは知人にお勧めされた。当時は「血と暴力の国」と「ザ・ロード」どちらから読んでみようか迷ったが、前者の映画を見ていたことと後者に関してはなんとなくすごく暗そうな話だからと思い、まずは前者から手に取ったのだった。「血と暴力の国」は文句なしに面白かった。よし!ではいよいよ!という形で本書に取り組んだ次第です。

地球上の文明が崩壊した世界。
男は息子とともに南を目指し旅を続ける。

ストーリーはこれだけである。これは誇張でも何でもなくて、これがこの本のストーリーなのだ。
終末を迎えた世界を書く小説は一つのジャンルして確立していて、いろんな物語が世に出ている。以前紹介した「沈んだ世界」もそうだし、椎名誠さんの一連のSF小説群も一旦崩壊しきった世界のその後を書いている。あと私が大好きな小説「エンジンサマー」なんかも所謂一周した後の世界を書いていると思われる。
ただ上のあげたのは共通して世界が崩壊した後破滅に向かうにしろ、安定に向かうにしろ一旦小康状態になった世界である。
この本では世界は徹底的に破壊し尽くされ、破滅に向かっている。動物と植物はその姿を完全に消し(なんと虫もでてこない)、人類はその数を大きく減らし、日々の食料を奪い合いつつ生き延びている。何故世界が滅んだのか、はっきりと原因は書かれていない。ただ主人公の男(登場人物は一人をのぞき固有名詞がでてこない。)は世界の終わりの始まりを目の当たりにし、その後世界の崩壊を生き延び、また一日でも長くその世界で息子とともに生き延びようとしている。
空は厚い雲に覆われ、灰が降る。食物も家畜も死に絶えたから、食料は崩壊前に生産された保存食のみで、いくら数が激減(私の体感では1割以下だと思うんだが、)したからといって人類全体を生きながらえさせるには無理がある(そもそももう作れないんだかららどだい供給が重要を上回ることはあり得ないはず)。廃墟を漁り食料を探す、もしくは人から奪うしかない。政府はとっくにないのだから、法がある訳がない。略奪暴行が横行し、自分以外はみんな敵である、そんな世界である。救いがない。ほかの小説に比べると徹底的に救いがない。これ以上良くなることがなく、食うにも困るから人類は過酷な椅子取りゲームに命を削ることになる。
終末ものの小説は数多くあるのに、なぜこのような極限世界はあまり書かれないのか(私がただ知らないだけという可能性も大いにあるということを書いておきます。)、それはこのような世界で生まれるドラマを一体誰が好んで読もうとするのか、という問題に起因するのかもしれない。多くの小説家がそう考えてあるいは彼らの終末にわずかに色を付けて発表したのかもしれない。
ただこの本「ザ・ロード」は終末のモノクロームにいっさい色を付けず発表された。それは灰色一色の世界で、読んでいる私たちは作者はどこに色を付けたのか、あるいは読み手である私たちはこの物語のどこに自分なりの色を付ければ良いのか、わからない。私は通勤途中に本を読むのだが、人がぎゅうぎゅう煮詰まった車両の中で半ば吐き気を覚えながら、一体なんで自分はこんな本を読み続けているのかと思ったものだ。
読むのは楽しい。ページをめくる手が止まらない。めくった先には楽しい話なんてないのだが。

この本にはいろんな要素が生々しく、しかしきちんと説明されていない状態でぶち込まれている。この絶望的な本は何がいいたいのか。物質があふれ変える世界で巧妙に隠匿されている人間の本性を露悪的かつ批判的に暴きだしたのだろうか。完全に破滅した世界でいまにも消え去ろうとしている人間の良心をあえて辛辣に書いて、現代に生きる私たちの冷えた心を溶かそうと試みたのか。崩壊した世界でぎりぎりの善(なんなのかはぜひ読んでくれ)を貫こうとする、その試み自体が状況にマッチしているのか。彼らが運んでいるという「火」とは何なのか。
私はこの本を読んで、なるほどこの本はこういうことがいいたいのです、と説明は出来ない。こんなに中身が詰まった本なのにどうしたことだ。私はこの本を飛んで文字通り打ちのめされた。私はただただ圧倒された。私はただ圧倒されるのが好きである。あんぐりと口を開けてただぼんやりと立ち尽くすしかないような、言葉にできない感じが大好きだ。
考えなければいけない問題や、様々な感情が渦巻いているけど、言葉にうまく整理できない感じである。小説や音楽でたまに私をこんな気分にさせるものがあって、私はそれらを愛してやまない。

この本は灰色の本で、最初のページをめくると灰色一色の世界が貴方を待ち受けている。
それは貴方を嫌な気分にさせるだろう。しかし私はぜひ貴方にこの本を読んでいただきたいと思っている。
最後にこの本はかなり装飾性を省いた平素な文で書かれている。(ただし句点が省かれ、会話にも鍵括弧がない独特の文体である。)しかし、比喩や言葉がすばらしく、ほとんど詩みたいになっている。これがあんまりすばらしく、最後に私が気に入ったフレーズを書いておく。このフレーズが気になる人はぜひ本をとっていただきたい。
「いよいよ死が自分たちの上に臨んだようだから誰にも見つからない場所を探さなければならないと彼は考え始めた。坐って少年の寝顔を見ていると嗚咽がこみ上げてくることがあったがそれは死が理由ではなかった。よくわからないがおそらく美しさとか善良さとかいったものが理由だった。」
「本当だよ。みんないなくなったらいるのは死だけになるが死の時代にも終わりがくる。死は道に出てもすることがないしなにをしようにも相手の人間がいない。そこで死はこういう。いったいみんなどこへ行ってしまったんだ?いずれそうなるんだよ。それのなにがいけないかね?」

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