2013年2月11日月曜日

ジョージ・オーウェル/一九八四年[新訳版]

イギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に出版した小説。

1984年、世界は、ユースタシア、イースタシア、オセアニアの3つの超大国に分かれ、終わることのない戦争に明け暮れていた。その中の一国オセアニアは「ビッグ・ブラザー」率いる「党」に統治され、全国民は相互通信機により日常背活のすべてを「党」によって監視されていた。旧イギリスに住む39歳の党員ウィンストン・スミスは真理省に努め、日夜「党」のため歴史の改ざん行っている。刻一刻と「党」の都合の良い方向に捻じ曲げらる歴史、あいまいな自分の過去。次第に「党」に疑問を持つようになったウィンストンは禁じられている「日記をつける」という行為に手を染める。ある日ウィンストンは完璧な党員ジュリアから「あなたが好きです。」と書かれた手紙を受け取るが…

とても有名な小説で、いわゆるディストピアについて書かれたもの。
何となく自分の中でディストピアものといったらこの本とブラッドベリの「華氏451」が代表選手と勝手に思っていた。この前「華氏451」を読んだので、さあ次はこれだとばかりに手を出したのだったけど、これがとんでもない話だった。
この本は真っ暗である。血が出る話、人が死ぬ話などいろいろ読んできたけど、この本はそれらよりずっと気分が悪い。

本の中のエピソードを引用してみます。
2+2は4で当然ある。あなたはそういう。しかし周りの人が全員2+2は5だという。当然あなたは反論する。石ころでもなんでも使って2+2は4である、と証明してみせるが、それは全く聞き入れられない。あなたは異端で、思考犯罪を犯しており、いずれ「党」によって処刑されるだろう。
「ありえない」というでしょう、なんならちょっとおかしくもあるでしょう。しかし本当に周りの人が全員2+2は5だといったら?あなたが主張する正しさは誰によって証明されるのでしょうか?あなた一人は絶対的な法則があってそれは常に2+2を4たらしめているという。しかし絶対的な法則を”認識”している時点で(仮に存在するなら)真実をそのままの形でとらえることは不可能では?
「詭弁だ」とあなたは言うでしょう。しかしあなたは異端で矯正されたのち殺されるのでした。

 この本は数の暴力と純粋な暴力について書いている。多数決がすべてを決める。そしてその多数決は常に「党」によって操作されている。多数決に従わないものは異端で、異端には純粋な暴力が振るわれる。普通の本では暴力が描かれても結果は痣ができたり、骨折したり、死んでしまったりというところまでだけど、この本は違う。純粋な暴力!それがこれほどの力を持っているとは!殴る、蹴る、それがこれほど人間から尊厳を奪い、徹底的に人間性を破壊しつくしてしまうとは!暴力に精神が屈したとき、人はその前とは全然違った人間になってしまうのです。

とにかく人間の尊厳の剥奪ということが全編にわたって書き込まれており、そうしてそれが有無を言わさない外的な力によって引き起こされているということに、言葉に言い尽くせないような無力感ややるせなさを感じました。崇高で清冽な意志、これ自体に力が備わっていると何となく信じ込んでいた私ですが、それがもろくも崩れ去る瞬間、いったい私たちには何が残されているのかと考え込まずにはいられませんでした。
中盤で主人公の過去がちょっとだけ書かれます。今ほど「党」の支配が確立されていない頃、しかい民は貧困にあえいでいました。そこで語られる主人公親子のエピソード。私は久しぶりに本を読むのが嫌だと感じさえしました。

この本を読んで気分がよくなることはないと思います。しかしそれでも私はたくさんの人にこの本を読んでもらいたいと思います。それは決して世界がいかに醜くなる可能性があり、いかに今の社会が恵まれているかを分かってもらいたいからではありません。私たちが信じているものが実際にはひどく頼りなく、力ないものであることを少し考えてもらいたいからかもしれません。この本を読んで結局どのように権力や隣人に接したらいいのか、私自身も明確な答えを出せずにいます。しかし私は駅で下を向いている人たちの手から携帯電話を叩き落としてでもこの本を押し付けたいと思ったのでした。
この記事を読んだあなたがまだ一九八四年[新訳版]を読んでいないなら、ぜひ読んでください。
これはあなたのために書かれた本です。(こういういい方は本当は嫌いなのですが)

最後に、この本の表紙、真っ暗闇かと思ったんですけど、実際には星が描かれています。

0 件のコメント:

コメントを投稿