2018年2月25日日曜日

イスマイル・カダレ/夢宮殿

アルバニアの作家による長編小説。アルバニアの人が書いた小説って多分読んだのは初めてじゃなかろうか。というかアルバニアってどこだ。System of a Downはアルメニア(コミュニティinアメリカ合衆国)だ。調べるとイタリアをブーツに見立てた時かかとの海を挟んで向こう側。恥ずかしい話どんな国なのか想像もつかない。

オスマン・トルコ1890年台。
アルバニアのキョプリュリュ家(キョプリュというのはトルコ語で橋の意)は毀誉褒貶の激しい名家である。何人もの政治家を輩出した一方では逮捕された人数も少なくない。
かつては家に捧げられた武勲詩にトルコ皇帝が嫉妬し、一悶着あったらしい。
そんな名家二世を受けた若者マルク=アルムは親族一同の喧々諤々の議論の末、タビル=サライに入庁することになった。
タビル=サライは帝国前途から民が見た夢を収集し、選別し、解釈するという公的機関。国民の夢から国の吉兆を占い、行く末を判断しようというのである。
ここで価値のある夢と判断されれば、かのスルタンに献上されることになる。
庁舎は拷問室も備える通称「夢宮殿」と呼ばれる広くそして迷宮めいた巨大な建築物である。権謀術数渦巻くこの迷宮にマルク=アレムは取り込まれていくことになる。

「夢宮殿」というタイトル、それから夜に見る夢を取り扱う仕事というあらすじから思わず幻想小説を思い浮かべてしまうし、なるほど非現実的で科学的な根拠に乏しいという意味ではその要素がなくはない。
しかし、実際に読んでみるともっと強固な物語という印象を受けた。帯にはディストピア小説と紹介されている。これはやはり当たっていて、国家が個人の極めて個人的な”夢”まで管理し、恣意的な判断により夢を見た人間を殺しうると考えるとこれは立派なディストピアと言える。
主人公マルク=アレムは気が弱く優しいと言えるが、陰鬱でやや神経症的だ。彼の目を通して語られるオスマン・トルコは曇天の下どうしたって暗い。しかし煽りほどディストピアかといわれると個人的にはちょっと首を傾げる。
まず国民は何かを制限されているわけでも、何かを搾取されているわけではない。夢を覗き見されているのだが、実は個々人結構喜々として各地元の役所に報告している。皇帝に取り上げられる夢となったらそれは大きな名誉だ。私生活を監視されているのは気分が悪いが、夢ならどうだろう。私が夢の提出を国家に求められたら面倒くさいが別にすごい嫌という感じがしない。もちろん作中では夢解釈のため、当該の夢見人が宮殿に引っ立てられて(おそらく)拷問の末殺されている(二人出てきてふたりとも死んでいるから致死率は100%である。)から、これはもう立派なディストピアであるが、オーウェル、ハクスリー、ブラッドベリのそれらと比べるといかにも規模が小さい。この小説はもう少し別の何かを訴えているようではある。

そもそも夢とは何か。それは未だによくわかっていないようだ。脳のデフラグだとも言われるがやはり模糊としており、その判断というのは古今東西人を引きつけるものだ。これに解釈となれば恣意的なものにならざるをえないし、国家的にそれをやってのけるというのは、多いな無駄にも思える。(これの判断も実際にやってみないことには出来ないのだが。)ビッグデータの走りとも言えなくもないかもしれない。(とくにその効果が未だはっきりしないという意味(少なくともビッグデータで私の生活は向上していない)では託宣という意味で皮肉な符号がある。)そもそも作中で詳らかにされるのだが、この宮殿内の夢解釈ですら捏造されている。宮殿はその特殊な構造(=機能)で(排他的であるしなんなら内部にいる人も全容を理解しない。また皇帝という最上級権力に直結しているという点で。なにより扱っているデータが模糊としている(つまり手心を加えることが容易である)という点で。)、常に権力闘争の場となっていた。夢判断というブラックボックス(=よくわからないルール)が権力の行使の理由となり、権力の道具になり、ついには権力そのものとなる。主人公はそのいわば架空だが最も苛烈な戦場に送り込まれ、翻弄されている。
夢とはなにか。少なくとも完全な球体はしていない。見る角度によってその形を変える歪なもの。それ故に読み手の心を反映してどうとでも解釈される。結論ありきの不完全な”ファクト”として消費される個人の夢たち。官僚的というよりは役所的な冗長な手続きによって秘匿される夢たち。キョプリュリュ家の一員として、またタビルの職員として否応なく権力闘争の爆心地に多々ざるを得ないマルクはしかし、優しくも無能な男であり、その細い神経は段々とすり減っていく。常に頭上には曇天が重苦しくのしかかり、常に寒さと疎外感にさいなまれる。彼の感じる重圧そして不自然さ。マルクの青春は入庁と当時におわり、不自然さがいつか通常の状態に滑り込んでいく。いわば緩慢な麻痺状態に陥っていく。巨大で真っ黒く底なしの竪穴と称される夢の集積体はしかし、不自然さを共用するより大きな仕組みのことではないかと思った。

夢の解釈は不可能である。

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