2016年2月7日日曜日

ジョージ・オーウェル/動物農場

イギリスの作家による風刺小説。
ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んでその内容に衝撃を受けたのはほぼ2年前である。何か別の一冊をと思っているうちに年月が経ってしまった。そろそろ読まないとと思って購入。いくつかの版元から出版されているが私が買ったのは角川文庫からでているもの。買ってから気づいたのだが、タイトルにもなっている「動物農場」の他に3つの短編が収録されている。さらに「輝ける闇」(これしか読んだ事無い。)の開高健さんのエッセイと翻訳した高畠文夫さんの手による丁寧な解説がついている。
そういえばThe Mad Capsule Marketsの上田さんのプロジェクトAA=はこの小説に出てくるフレーズ「All Animals are Equal」からとったそうだ。今度聴いてみようかな。

不思議な夢を見た農場の豚メージャー爺さんは「動物たちの呻吟は彼らを酷使する人間たちが原因に他ならない。人間の軛から動物たちは解放されるべきだ」と演説をぶった。それに賛同した動物たちは農場の経営者に対し反乱を起こし、彼らを追い出す事に成功する。人間から解放され自分たちだけで農場を経営する、そんな理想郷はしかし豚が指導者に収まった時から微妙にその雰囲気を変えていく。

私はとにかく政治に疎い。恥ずかしい事に学生時代、政治経済の授業は見事に聞き流していたため基本的な知識が良い年になった今でも欠如している。
この小説はかの有名なスターリン独裁かのソヴィエト社会を批判する内容になっている。舞台を農場に置き換え、歴史上の人物たちを豚や馬、ロバなどの動物に置き換えているのだそうな。動物たちがでてくるとイソップ物語やグリム童話などのおとぎ話を思い浮かべてしまう。実際に「動物農場」は教訓をうちに秘めた寓話なのだが、それを隠れ蓑にしつつ痛烈な批判と風刺という、寓話から一歩進んだラディカルなものだ。(実際にオーウェルが仕上げた後にはいくつかの出版社から政治的な理由で出版を断られている。)極めて指示的な小説ではあるのだが、オーウェルの筆致は巧みなもので、私の様な素人以下の頭の人間でもこの小説を楽しむ事が出来る。一つは登場人物が動物である事。ディズニーとは言わないがやはり頭に入りやすい気がする。もう一つは革命、社会主義というと極めて難しいのだろうが、それらの実体・弊害が個々(この小説では動物たち)の視点出懸かれている。例えば豊かになっていると行っているはずなのにご飯は減る一方だったり、体制の主張はコロコロ変わっているような気がするけど、強引さと証拠の無さでそれが言いにくい雰囲気があったりと。政治的なパンフレットというとどうしても高尚な分ハードルが高いが、このような構造を持っているとどんな人でもそのテーマに触れる事が出来る。そういった意味ではこの小説の持つ社会的価値のすごさの一端がわかる。
訳者による丁寧な解説を読むとオーウェルという人は学者タイプではなくて、感情で動く熱い人だったようだ。人間の基本的な感情に強く共感し、それを強いる体制に強い反発を覚えたのだった。記者としていくはずがスペインの内戦で戦士として戦ったというのは印象的なエピソードだ。オーウェルという人は社会を下の視点から眺める人で(実際に社会の下層と言われる人々と一緒に寝起きする事でその素質を育んだようだ。)、それゆえ常に物事を”人”、それも恵まれない人に寄り添って考える。だから革命や圧政は社会的な現象というよりは個人レベルの災厄(実際には人災として批判しているのだが)として書かれる。それは殴られた時の痛み、食べれない時の空腹の辛さ、正しい事が言えない腹立たしさ、そんなもので構成されている。どんな人が読んでもだからこの物語は共感を呼ぶのだと思う。それがこの本の持つ力だ。根底にあるのはまぎれも無い「優しさ」だと思った。
同じ視点で書かれている「1984年」は極めて強烈な小説だと思う。苛烈と行っても良い救いの無さ。まさに人類の進化の終点である完全なディストピアだった。「動物農場」はたしかに「1984年」に至る過程の一つだが、描写も含めて読み手への配慮が見られる。実は本質的な恐ろしさは変わらないのだが、それでもオーウェルの持つ優しさはこちらの方が断然感じられるだろうと思う。(だから勿論恐ろしさと同じレベルで「1984年」も優しさにあふれた物語である事が言える。)
この小説は指導者を殺せ!と行っている訳ではない。ただ自由の無い社会の恐ろしさと辛さを書いているのだ。社会に属する人が読めば、必ず何かを感じる妥当と思う。遅いという事は無いと思うので読んでいただきたいと思う。

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