2014年12月31日水曜日

2014年ベスト音楽

年の瀬という訳で年間ベストをば。
昨年はやらなかったのですが私も他サイト様の年間ベスト大好きなので今年は自分なりのを。
私は何食べても美味しかったな〜と思うし、何聴いても割と良いな〜と思う適当人間なので消費した作品に優劣を付けるのが苦手。このブログでも点数などのはっきりとした絶対的な評価はつけておりません。付けてないというか付けられないというのが正しいところ。
特に音楽というのは買って聴いてその場の判断というのは間違っている事は絶対無いはずですが、時を経ると感想が変わってくるものもあると思います。そういった意味ではある程度時間をおいてから再評価して見る、というのは正しい批評なのかもしれないです。まあ私はこのブログでは批評を書いている訳ではなくて、ただ感想を書いているだけという認識ですが〜。んまあそんなこんなで同じ良かった!でもそれから気づくと沢山聴いている、という作品がベストに入る、って感じで選んでます。
まずは2014年に発売された音源からセレクト。


1位:Cult Leader/Nothing for Us Here
Gazaの残党による狂犬病スラッジ。デビュー作。Gaza大好きだったもんで期待大でしたがそれを遥かに上回って来た出来。兎に角1曲目から2曲目の繋がりが凄まじくセットで今年一番聴きました。来年はフルでるかな?とさらに期待大。

以下は順不同で4つ。

Ben Frost/A U R O R A
Vampillia繋がりで聴いてみたが美しいノイズって本当にあるのだな〜と実感。寒々しいブリザードの向こうに垣間見えると思った旋律が、実はブリザードそのものが生み出していたみたいな、ノイズ+耽美さではなくて耽美なノイズを見事に作り出してしまった快作。一個前のアルバムも良かったけどやっぱりこっちのが好きでした。

Dead Fader/Scorched
ひそかに好きなテクノアーティストの新アルバム。タイトル通り焼け野原の様なノイズ、さらにぶっといビートという下品さ。前作に比べると音の数が減って一音一音がさらに凶悪になった印象。インダストリアルな硬質さと反復性に蠢く悪夢感が同居した気持ちよいアルバム。

Swarrrm/FLOWER
ついに発売された国産カオティックグラインダーの新作。混沌とした暴力性の中に叙情性をメロディとアコースティック感のある演奏で両立した新境地。喜怒哀楽の怒一本から隠し様の無い空虚感(喜怒哀楽で言えば哀でしょうか)に広がりを見いだした印象。悲しいのに楽しいというスゲエアルバム。

Indian/From All Purity
先鋭的な音楽が叙情性を取り入れて新境地を見いだしたのがSwarrrmなら、持ち前の残虐性をさらに研ぎすましたのがこちらのバンドの新作。嫌悪感ギリギリのヘイト感が満ち満ちてヤバい。憎しみオンリーの排他性がスラッジの叩き付ける様なリフににじみだす様でしゃがれたボーカルが鬼気迫る。チリチリくるノイズとの相性も抜群でコールタールのように真っ黒で粘ついている。不快感マックスでベスト。

上記以外で2014年良く聴いた曲
・Sargeist「In Charnel Darkness
ざらついた演奏にイーヴィルなボーカルが乗る。速度も音質も劇的ではないのにこの迫力。暗いメロディの美しさ。ブラックメタルの結晶みたいな曲。
・Vampillia「Dizziness Of The Sun
アルバムはベスト入れか迷った。
彼らはこういう曲出してくるから困る。後半の盛り上がりがもう、もう。
・Killer be Killed「Wings Of Feather And Wax
ドリームチームのさわやかメタル。あんまりこういう曲を持っていないからか良く聴いた。
・Nothing「Guilty of Everything
こちらもアルバムはベスト入りか迷った。「Dig」もよいけど最近はこちらばっかり。
・Cloud Nothings「I'm Not Part of Me
生き急いでいる感ありありの前のめりバンド。焦燥感というよりはこうしちゃいられない!みたいな前向きな性急さ。
・Schoolboy Q「Break The Bank
メロウなヒップホップトラック。
やんちゃなラップだけど音的にも広がりがあって妙に空虚な感じ。
私の勝手なイメージでは雨の日車で流れる夜景をみているような、そんな流れている感がある超良い曲。

旧譜でよかったもの
Morgue Side Cinema/Napalm Life
大阪のロックバンドのアルバム。兎に角すごい聴いていた。
アウシュビッツというバンドの亡くなったメンバーのことを歌ったラストの「翌朝」が良すぎる。感情的にならずに淡々としているのだけど、ぶっきらぼうなその背後に見える感情の動きが涙を誘う。勿論他の曲も良い。
チラホラライブしているらしいし、新しい音源でないものか。
あんまり無いかもですけど見つけたら絶対に買った方がよいですよ。


Kendrick Lamar/good kid, m.A.A.d city
何を今更、といわれそうですが遅ればせながら聴いたらとても良かった。
多彩なスキルの背後に見える真摯さがヒップホップを聴かない私にもずばーんと刺さった1作。


Rocket from the Crypt/Group Sounds
ホーンが入ったパンク。軽薄というよりは渋い魅力がきらりと光る楽曲。
とはいえ枯れているとはほど遠い楽しさがある。楽しい気分になりたい時に良く聴きました。


Left for Dead/Devoid of Everything
既に解散済みのパワーバイオレンスバンドのディスコグラフィー盤。
パンク特有の荒々しさがカオティックというよりは混沌一歩手前でバンドサウンドとして成り立っている様な危うさ。くそかっこいい。

なかなか時間か借りますね。まとめるの。
それでは皆さんよいお年を。

2014年12月29日月曜日

Mineral/The Complete Collection

アメリカはテキサス州オースティンのエモバンドのディスコグラフィー盤。
2010年に日本のFabtone Recordsからリリースされた。
Mineralは1994年に結成され1998年に解散。4年という短い活動期間で発表された二つのアルバム「The Power of Falling」「EndSerenading」にボーナストラックをつけて、さらにリマスターしたのがこのコンピレーション。
まだエモと言うジャンルが確立しない(エモと言うジャンルは2000年代に花開いたらしい)創世記に活動していたバンドでThe Getup KidsやJimmy Eat Worldといったバンドに比べると知名度はイマイチだが、音源がオークションで高値で取引される知る人ぞ知るバンドだったそうな。(ここら辺CD内の寿福さんのライナーノーツから引っ張って来ています。)
私は流行に乗っかるニューメタル人間だったので、一時期パンクとかエモを音が軽いメロすぎるとかいって(死にたい過去)軽視していた人間なので勿論このバンドどころが前述の2つのバンドもまともに聴いた事が無いんだが、どうもこのMineralというバンドが最近再結成し、さらに日本ツアーもするそうな。さらに既にソールドアウトしている公演もあるらしい。(ここによると東京公演もチケットまだあるみたい。12月29日時点。)とtwitterなんかでチラホラ話題になっており、ごくごく軽い気持ちで視聴して、あら良いじゃないと買ったという寸法ですわ。

さて音の方はというとエモです。エモい。
エモというとあのアシンメトリーな髪型にほんのりお化粧を施した(必ずしもそうではないが)線の細い男性像がパッと思い浮かぶ人もいるだろうが(私です。エモ好きな人本当申し訳ない。)、それはエモファッションの一部らしいです。
ここでいうエモいというのは(あくまでも私の中の見解ですよ。)、比較的五月蝿い演奏陣に、感傷的だがどちらかというと内省的なメロディが乗る。ひたすら暗いというよりは何かしら心の琴線(あるいは涙腺)に訴えかけてくる様なもので力一杯という感じの勢い重視の感情的なもの。ボーカルは叫ぶ事もあるが、例えば(ここから発祥した)スクリーモのようにある意味洗練されたものではなくて、本当に感情高ぶって本当叫ばずにはいられなかった、というようなもの。ここが変にあざとくなくて大変良かった。(スクリーモが嫌いな訳ではないです。)
なんといっても個人的に良かったのが演奏陣で、曲の中心は歌に据えられているといっても良いのだが、歌に負けないくらい演奏が良い。特にギターがよい。ポストハードコアだから弾きまくる分けなんだが、トレモロかって言うくらい弾くんだが、例えばシューゲイザーのようなデリケートさ、またはブラックメタルのような寒々しさとは一線を画すもっとギターとアンプといくつかのエフェクター、といった荒々しくも飾りっけの無い”ノイジーさ”が非常によかった。音の洪水感が半端無い。粒の粗さが分かる様なザラ感もよい。
ある意味ボーカルがすごい饒舌な音楽性だが、ギターだって負けてられないぜ、とばかりに主張してくるこの贅沢な感じは最早卑怯と言っても過言ではない。
泣かせるメロディもそんな自然な演奏陣、自然な歌唱法から由来するもので聞き手の耳にもすっと入ってくるナチュラルさ。変に変化球ではないのはやはりハードコアを土台に持っているからだろうか。また緩急もあざといぜってくらいでアルペジオから泣きの疾走ギターになる訳だけどあくまでも自然なつなぎが1曲にまとめられている感じで、そこらへんも凝ったメタルとかハードコアとはちょっと違う感じ。

劇的なんだが飾らないメロディ、そしてノイジーな演奏、という感じでしょうか。
やや落ち着いて幅が広がった2枚目もいいんだけど、個人的には粗さもあるけどより感情むきだしの1枚目の方が気に入りました。
激情系好きな人はばっちりハマると思います。ブラックメタル好きな人で、気づくとあまり前向きな音楽もっていないぜ…って人は聴いてみてください。
ボーナストラックも格好いいのでアルバム2枚買うよりは良いのでは、と。軽い気持ちで買ったんですが、すごく良かった。オススメです。

↓この曲聴いて買おう!と決心。

Yob/Clearing the Path to Ascend

アメリカはオレゴン州、ユージーンのドゥームメタルバンドの7thアルバム。
2014年にNeurot Recordingsからリリース。
Yobは一個前のアルバム「Atma」のみ持っていて今作もリリースされたのは知っていたのだが、なんとなく買おうかな?どうしようかな?と思っていたところローリングストーン誌の年間ベストで1位とったりしてミーハーな私はへへへまったくスイヤセンという感じですぐに注文したのだった。ジャケットがグレー基調にしぶい金色で超カッコいい。中身も含めて。やはりアナログマテリアルはいいっすよね。

アルバム一個しか聴いていないので偉そうに語れないのだが、Yobというバンドは3人編成でちょっと変わった音を出します。いかに重いかいかに遅いかいかに暴力的かというメタルにありがちなもっともっとの姿勢(これも好きですよ。)からは一歩隔たった独自の世界観を築いております。ドゥームメタルというとへろーっとしたいい感じに力の入らないバンド(最近だとWindhandとかか)も数多いるのですが、それらと比べると濃密で張りつめた印象。音楽的にはストーナーとカテゴライズされるので、そこら辺からだいたい想像できるかと。ただ曲はだいたい15分超えてくるので長いっす。

ギターの音が重たいんだけどかなり湿気の無い乾いた音で他のバンドにはあまり無い枯れた感じがあってすごく良い。ぐぅおおおおっと重いリフを刻んだ後最後のお尻にきゃーんとコード感のある一音(コード?)を追加するのが個人的には持ち味と思っていてこれが気持ちよい。良いアクセントで曲が単調になるのを防いでいる。ドゥームメタルなんだけどライブの動画見るとかなり忙しく弾いているんだよね。これはなかなかテクニカル?な感じ。
ベースは伸びやかに弾くタイプで、ギターは前述のように結構弾いていて音の数も多いが、こちらはどっしり構えて腹に響く低音を出すやり方。
ドラムが一番ドゥームメタルっぽいかも、のったり牛歩戦術。こちらも音自体は下品に低音を強調している訳ではない職人芸。
ギターは結構弾ききるタイプなので(ミュートを使った凝ったメタリックなリフ感はあまりない)、川がしずしず流れるようにずわーっと音に浸れる。
前作に比べると重々しいところはさらに重々しくなり、ドラマチックなところはより劇的になった印象。ボーカルは「んのあああああ〜」という脱力系が持ち味なんだけど結構幅広い。前作の1曲目聴いた時はボーカル女性?とも思ったんだけど、細い独特の声。今作ではさらにドスの利いた低音ボーカル(ひょっとしたら別のメンバーの声かもだが)が結構幅を利かせております。
全体的には喜怒哀楽を超越した心象風景を描き出そうとしている様な音楽性で持って陳腐な物言いで申し訳ないのだが、多分に哲学的な雰囲気。ただ難しいというよりは抽象性が強いというのか。分かりやすくはないのだが心は動く、といったらよいでしょうか。
とにかく後半の2曲が素晴らしいっすね。ちょっとNeurosisを思わせるなんともオリエンタル?なギターソロとかこうなかなかくるもんがあります。贅沢に時間を使っていてボーカルの入っていないパートも多いのですが、そこすらも楽しく聴ける。
ベストに選定されるのも納得の出来ではなかろうか。Neurosis好きな人も是非どうぞ。オススメ。繰り返しになるが装丁が格好いいので(デジタルあるのか知らんが)CDで買うのが良いのではと…


2014年12月27日土曜日

グレッグ・イーガン/プランク・ダイヴ

オーストラリアのSF作家の日本独自の短編集。
グレッグ・イーガンは元々短編集から入っている私としては新しい短編集という事で飛びついた訳なのだが、なかなかどうしてこれが困った事になってしまった。
イーガンの小説は滅茶難しい。ハードSFであって理系分野に大きく傾いており専門的な知識と用語がばんばん出てくる。作者含めて理系の人は起こるだろうが、文系の私としては正直改訂ある事を半分も理解できていない様な気がするが、変な話良く知らんけどかっこよさそうな専門用語、みたいな感じで読み進めていた訳である。雰囲気だけ汲み取って読んだ気になっている困ったファンであったのだ。
イーガンという人は頭が良いのだろうが、サービス精神というか配慮のできる人で私の様な軽薄な人間が読み事もふまえて、全部理解できなくても楽しく読める様な小説を書いてくれている。
ところがこの短編集に収められているのはハード中のハード(実際どのくらいハードなのかは分からないが。)と言った感じで私の読み方だといよいよ無理が出て来てしまった。当たり前に出てくる理論や単語は私の乏しい理解力をもの凄い高さと速さでもってあっという間に通り越していった。
今までは分からないところは何となく前後の文脈から当たりを付けてごまかしごまかし読めたものの、今度の小説群は科学の知識が深く物語りにくい込んでいる訳で、そこが理解できないとそもそも登場人物達が何に取り組んでいるのかが、つまり小説の核の部分の理解が追いつかなくなってしまう。これはつまらないという話では全くなくて、とにかく話の内容が致命的に分からない、という事に他ならない。間違って理系の授業の教室に紛れ込んでしまった様な後ろめたさを覚えてしまった訳である。これには困ったものだ。
勿論そんな状態ではちゃんとした感想なんて書けない訳なのだが、一応このブログを始めた動機として読んだもの、聴いたものをほとんど自分のために記録に残しておく、というのがあるもんで、あやふやながら記事にさせていただく次第です。

さてイーガンは先進的な科学マニアであると同時に大変優れた作家でもある事は彼の作品を読まれた方になら分かっていただけると思う。面白さの一つに私たちが常識と思っている事をあっさりひとっ飛びに超えて、私たちにとてつもない”未来”を提示する、というのがあると個人的には思っている。それを読んで技術が常識を覆すグロテスクさを感じるのか、それとも常識の儚さを実感するのかそれは読み手次第だが、結構そういう倫理観を問うてくる様な視点があるように思うのだ。
この短編集にもそんなイーガンらしい問いかけが作品に潜んでいる。
全部で7つの短編の中、私がある程度理解できて面白かった(基本理解できれば抜群に面白い。)作品を紹介。

「クリスタルの夜」
人工知能(AI)開発のため超性能コンピュータで走らせたプログラムの中で作られた疑似世界で疑似生命を進化させようとする男の話。
目的があるからいい感じに恣意的な進化をさせたり、神として疑似世界に降り立って介入したりするのだが、解説にも書かれている通り神様だとしても被造物に対するジェノサイドは許されるのか?という問題が直接的な言葉でなくて、取り憑かれた男の傲慢さから読み取れる。タイトルのネタは勿論クリスタル・ナハト。

「暗黒整数」
地球に古しているそれとは別の数学大系を持つ別世界との緊張〜戦争状態を描いた作品。別の短編集に収録されている「ルミナス」という作品の続編なんだが、もう内容を覚えていなかった…
科学オタクが地球の危機を密かに救う、という話はほらなんだか面白そうでしょ。主人公が奥さんに自分のやっているところを隠したりするところは如何にもハリウッド映画でありそうなド派手な地球の危機なんだけど、それをあくまでも古いコンピュータ上で終始進めさせるのはむしろ好感が持てた。

「伝播」
中国が世紀の代わりに目に打ち上げた「蘭の種子」。20光年離れた惑星に放たれたそれはナノマシンで構成され未開の惑星にロボットを組み立てるのだ。
それから120年後、打ち上げに関わったイカットはその惑星上のロボットに自分の意識を飛ばし、自分の目で惑星を見てみないかと誘われて…
本書の複数の作品に出てくる(イーガンのテーマでもあると思う)人間の意識を脳の軛から外して別の形にする、というテーマを扱う。主人公は脳を切り刻まれてデータ(ソフトウェア?)化され(本書の他の作品にも出てくるがデータ化された意識は情報の様々な形インプットを受けて引き続き成長することができる。)、ビームとなって宇宙空間を20年間飛んで地球から遥か離れた惑星のロボットの中に到着するのだ。すごい…
なんといっても後半の一転して落ち着いた抒情的な展開がたまらない。とてもロマンチックだ。

というわけでちょっと前代未聞に中身が理解できていないのに申し訳ないのだが、相変わらずなんか知らんがスゲエなと思わせる短編集であった。「ワンの絨毯」なんて意識隊になった人間達の仮想的な姿がアバンギャルド過ぎてグロテスクというかなんなのか不安になってくるところとかすごいんだけど、もう少し理系の頭があればなあ…
はじめてイーガンの小説を読むなら、同じハヤカワからでている別の短編集がよいのでは〜と思います。

2014年12月21日日曜日

コーマック・マッカーシー/越境

アメリカの作家による青春小説。
原題は「The Crossig」、1994年に発表された。

1940年、メキシコとの国境に接するニューメキシコ州に暮らす16歳の少年ビリーは周辺の家畜を襲う牝狼を罠でとらえる事に成功する。父親からは殺すように言われていたが、ビリーは狼を故郷であるメキシコの山に返してやる事を決意。口を縛り縄を付けて自分は馬に乗り正式な許可無しにメキシコの国境を越える。この旅はビリーが考えていたものより遥かに困難で長い旅になるとは知らずに。

マッカーシーによる国境三部作とよばれるシリーズの第2作目。1作目は以前紹介した「すべての美しい馬」であって、これを読んだ衝撃たるや、ただ面白い本を読んだ、というものからはかなりかけ離れたものであった。その後ほどなくこの本を買ったのだが、本の長さ(本編だけで666ページある。)とさらに内容の濃さである。正直読むだけでこちらの体力を削られる様な重さがこの著者の本にはあると思うので、なんとなく後回しになってしまっていたが、いよいよ年の瀬という事で読まないわけにはいかぬ、と手に取ってみた次第である。だいたい読みきるのに2週間くらいかかった。通常は1冊1週間位で読むから倍かかった。長さもそうだが、平明な言葉で書かれているもののやはり句点で区切らない独特の文体は読みやすいとは言いがたい。三部作という事で前作との共通点も多いが、今作の方がより苦難に満ちた、そして哲学的な内容になっている。

一言で言えば若いビリー少年がひたすら辛酸を舐めさせられ、苦難の道のりを歩む話である。目的はあっても果たしてはっきりとしたゴールがあるかそもそも分からない旅路である。さらに言ってしまうと帰るべき家はビリーには無いのである。
世界が残酷なのか、それとも世界に意図は無くてそこに棲む人間が残酷なのか。この本はなぜこんなに残酷なのか。スプラッターめいた人体の欠損描写、サイコパスの無邪気さ、血のつながりを提示する様なシチュエーションと昨今の小説では残酷さの博覧会の様相を呈していると言っても過言ではないが、マッカーシーの小説はそれらとは一線を画す。まず人の死が個人的には重大なことではあっても取り巻く世界では必ずしもそうでないと、暗に書いている事。これはしそのものの残酷さとは逆説的により残酷だ。一つは暴力そのものを書くのが主眼とされていない事。彼は他の小説、例えば「ザ・ロード」や「血と暴力の国」でもそうだったが、意図された暴力はどこからくるのか?ということを書こうとしている。いわば暴力の根っこになる人の悪意、そして悪という存在自体を書こうとしている。その悪が平気で人のものを奪い取る田舎の警察署長の気取った仕草に、酒場で出会った酔漢のどろりとした目の奥に、ふと垣間見えるのだ。あるいは一見穏やかで優しそうな人の背後にもそれは垣間見えるのかもしれない。そんな残酷な世界一体誰か作って、誰が許しているのか?それがもう一つの問題。すなわち神についての。様々な登場人物が神を語り、ビリーはそれを聴き、また荒野を歩んでいく。作中でも書かれているように国境や名前など本当の自然には無いように、目的地というものすら本当は存在しないかのように放浪するビリー。

ページ数は多いものの、マッカーシーはやはり寡黙な作家であると再認識した。出来事を事細かく描くが、それが果たして何を意味しているのか、というのはわかりやすい言葉で明示する事は皆無である。私たちは圧倒的な筆致による(時に残酷な)絵を見せられ、しかしそれが何を意味するのかは、自分で考えなくてはいけない。マッカーシーの意図するところが理解できないのは私に理解力の欠如によるところが大きいとは自覚しているものの、しかしそんな印象がある。
メキシコの厳しい荒野、真っ赤に燃える夕焼けや肌を突き刺す様な寒さの中天を彩る星々の光、湯気を上げる馬の体、疾駆する狼、なんという美しさだろうか。酷薄な世界のそれらはしかしなんと美しく私たちの目に映る(文字だから頭に浮かぶ、が正しいかもだが)ことか。

ビリーは狼のそばにしゃがみ毛皮に触れた。冷たい、完璧にそろった歯並に触れた。火の方を向いているが全く光を撥ねかさない目の上へ親指で瞼をおろしてやり、地面に坐って血にまみれた狼の額に手を当て自分も目を閉じ、草が濡れていて、太陽が昇れば消えてしまうあのすべての生き物を生み出す豊かな母胎が鼻先の空気のなかにまだ漂っている、星明かりに照らされた夜の山を疾駆する狼を瞼の裏に描こうとした。
こんな文、ちょっと他には無いだろう。
現実をデフォルメ化して、物語がその小世界を内包しているかとすると、マッカーシーの描く小世界はあまりにデフォルメ化されていないように見える。それは本を閉じた時に一言で言い表せないとてつもなさと寄る辺の無さをほぼ小説の外の世界そのままに、訴えかけてくるようである。

「すべての美しい馬」もすごかったが、今作もすごかった。心が震えるというのはこういうのだろうという体験だった。正直読みやすい本ではないが、なるべく沢山の人に読んでいただきたいと思う。

2014年12月20日土曜日

Anaal Nathrakh/Desideratum

イギリスはイングランド、バーミンガムの2人組みインダストリアルブラックメタルバンドの8枚目のアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。

グラインドコアの要素を取り入れた超速いブラックメタルを基調とした音楽性は過激な反面音楽好きの心をガッチリ掴んで日本でも結構人気なのではないでしょうか。私は実はフルアルバムを買うのは初めてなのだが、別にみんなが聴いているから買わないとかではなくて、多分学生の頃に「When Fire Rains Down from the Sky, Mankind Will Reap as It Has Sown」という彼らのEPを買った事があるんだけど、良くない!とは言わないがふうむ、という感じでそこまで刺さらなかった。当時はブラックメタルというジャンルを今ほど知らなかったし、本当に何故フルアルバムを買わなかったのか今でも我ながら解せないのだがまあ仕方なかったのかという感じ。なんでその後何枚もアルバムがでてもまあいいかって感じで聴いてこなかったし、今回ニューアルバムでても特に注目もしていなかったのだが、偶然youtubeでこのアルバム収録の「Idol」という曲を聴いたらとてもカッコいい!という訳で買った次第。

イントロのインストを皮切りに本編が開始されるとテンションの高さにビビるくらい。
あれ大分印象が違う。
速いし五月蝿い。竜巻の様な演奏をバックに、色々なレビューでたびたび「キチガイ」と称されているボーカルがギャーギャーわめいているのに呆然としているとなんだかすごくメロいサビが飛び出してくる。あれよと思っていると業火のように激しい演奏が舞い戻ってくるといった寸法であるからに、聞き手としてこんなに面白い事は無いだろう。
ボーカルはブラックメタルのイーヴィルなものから儚さの要素を一切排して、禍々しさを突き詰めたもので声量があるし、もはや言葉なのかどうかすら妖しい叫びをときに演奏を無視したかのように縦横無尽に吐き散らすものでなるほどこれは巷間の危ない評価もうべなるかなと納得の出来である。さらにグロウルめいた低音が残虐性をまし、サビを担当するメロディあすな歌唱法も妙に荘厳なオペラを彷彿とさせる怪しさをもっていて、おまえちょっとどれだけ詰め込むんだ…とこちらを途方に暮れさせる様はまったくもってメタルの神髄としか言いようが無いエクストリームさではないか。
演奏陣はもう一人のメンバーが一手に担っているとの事で、故に非情に統一感のあるカッチリしたもの。かつては割とプリミティブなブラックをやっていたということもあり、往年のブラックメタルに敬意をはらった伝統的なものなのだろうが、そこはまたその要素をもとに過剰にブースとさせた様な代物になっている。吹雪の様なトレモロは高音ではなく中音から低音の音の幅の厚いものが主体になっていて最早雪崩の様な迫力。そこにギチギチしたノイズをのせる。曲自体は荘厳なサビのメロディもあって大仰ではあるのだが、ありがちなオーケストラアレンジをのせる訳ではなく、その凶暴な野卑さを隠そうともせずあくまでも下品なインダストリアル音をのせるあたり、不敵としかいいようがない。

面白いのは曲によっては結構ドラムの音があからさまに電子由来の音にされているところ。私は聴くだけの消費者で作り手の事は全く持って分からないが、デジタル音源が進化している昨今デジタルでも実際の楽器の音とほぼ同じように音が作れるのではなかろうか。またそうでなくても実際に誰かに生でドラムを叩いてもらえば良いところ、このバンドは敢えて電子由来のドラムをそれと分かるように使っている。これは明らかに意図的だし、これが自分たちの売りである事を意識しているのだろうと思う。これが楽曲にもたらす効果をはっきり汲み取れる訳ではないが、なにか別の、という異質感をひとつ突き詰めるのに一役買っていそうである。ブラックメタルというかなり先鋭的なそのジャンルからさらに一歩異質さで先んじてやろう、というそういう尖りまくった意思が垣間見える(と思う)。

もはやチートとも言うべき、僕らの考えた最強のブラックメタルを突き詰めた一つの方向性の指標なのかもしれない。素晴らしいのは彼らなりの最強のブラックメタルが中二のノートの落書きから端を発するにしても、結果として真面目な大人達ががっつり洗練された完成系に結実させている事だろう。完成度がスゲエ。という訳でとてもカッコいい。昔の感想を引きずらないでもっとはやく再確認しておけば良かったなあと反省。まだ聴いていな人はぜひどうぞ。


Goatwhore/Constricting Rage of the Merciless

アメリカはルイジアナ州ニューオーリンズのブラッケンドデスメタルバンドの6thアルバム。
2014年にMetal Blade Recordsからリリースされた。

名前は知っていたが聴いた事が無かったバンド。某ブログの記事を拝見して購入。一つはとても好意的な書き方だったのと、もう一つはギターを担当するメンバーが元Acid Bathだった(と書かれていた)こと。Acid Bathは90年代に活動していたスラッジメタルバンドで2枚のオリジナルアルバムを世に送り出した後解散している。私Acid Bath大好きなんだよね。(な割りにメンバーのその後を終えていないのは恥ずかしい限りだが。)「Toubabo-Koomi」という曲で知って今も良く聴きます。というわけで期待大な感じで聴いてみるとこれがとても格好いいのだった。

ジャンルで言えばブラッケンドなデスメタルということになる。メンバーの写真でも手にトゲトゲのついたアレ(正式名称なんて言うんでしょうか。)をつけていたり、黒を基調としたアートワークも黒魔術めいた雰囲気がある。後述するがボーカリストの歌唱法もブラックメタルからの影響が色濃く表れている。なんだがあくまでもブラックメタルをエッセンスにしてかなりオリジナリティのある音楽を作り出している。
ごった煮グラインドというのはどこで見た言葉だったか失念したが、一聴してまずごった煮グラインドという言葉が思い浮かんだ。デスメタルが基調だから重さとスピード感のある楽曲なんだがギターリフは時にはモーターヘッドを思わせるパンクいロックを思わせるスラッシーなものも出てくるし、トレモロは引くし、ハードコアを彷彿とさせる勢いのあるリフが顔を出すと思ったら、所々ちょっと煙たいストーナーな雰囲気も(ニューオーリンズという土地柄もあるのだと思います!)というなんでもありの寄せ鍋スタイル。

ボーカルはわめきタイプが主体となって所々かなりドスの利いた低音デス声を織り交ぜてくるタイプ。わめくほうはブラックメタル由来かなあと思ったけど、吐き出す様な感じはどちらかというとスラッシュメタル?結構迫力があるので一部のブラックメタルの様な悲壮感は無いし、何でもありの演奏に良く合っていると思う。デス声一本だと色彩豊かな演奏がちょっと霞んでしまうのかもしれないので良いバランスではなかろうか。
ごった煮感のあるバンドなのでギターはとにかく手札の数が多く、ころころ手を替え品を替えという感じで様々なリフが出てくる。だいたい基本と鳴るのはスラッシーなリフとプリミティブなそれから大分ブーストさせた様な重たいトレモロリフだろうか。凝りすぎないストレートさがあってソロも含めて弾きまくっている割には耳にすっと入って来て気持ちよい。
ベースはブオーンと唸る様は結構パンキッシュじゃなかろうか。ギターが縦横無尽に暴れる分ベースは所々低音を一手に担って屋台骨かついい感じに目立っている。
ドラムは良く叩く元気なスタイル。曲調が低速から高速まで幅広いんだけどどの速度でも柔軟に叩き分けている。バスドラでドドドってオカズを入れる様な叩き方がかっこいい。

ハイブリッドな音楽性は全体を混沌とさせるのではなく、むしろかなり残虐な音楽性の中にも良い意味でのラフさを生んでそれがちょっとしたユーモア?みたいになっている印象。かなり異様で希有なバンドなのだろうが、聴き心地は意外にポジティブというか楽しい気持ちにさせてくれる。期待通りに格好いいアルバム。これはすごい。オススメ。

2014年12月14日日曜日

上橋菜穂子/虚空の旅人

最近ハマっている守り人シリーズの第4弾。
今回はタイトルが守り人ではなくて旅人になっている。
女用心棒バルサではなくて新ヨゴ皇国の皇子チャグムが主人公。

新ヨゴ皇国の皇太子チャグムは隣国である海洋国家サンガルの王位継承の儀に国賓として招かれた。新ヨゴ皇国とは全く違う南の国家の情景に心奪われるチャグムであったが、サンガルでは国家レベルの陰謀が秘密裏に進行し、その手を王家に伸ばそうと侵略者達が虎視眈々と機会をうかがっていた。否応無しに争乱に巻き込まれるチャグムの運命はいかに…

1作目「精霊の守り人」では11歳、運命に翻弄されバルサに守られていた少年も、正式に王位継承権第一位の立場になりこの物語では14歳。皇子として隣国の国家行事にさんかする立派な王家の男になった。旅人と銘打たれた本は勿論守り人シリーズの中の物語ではあるが、バルサは登場せず基本は皇子チャグムの物語。バルサから護身術を習ったとはいえ14歳の少年であるチャグム。派手な武術で敵を打ち倒していく事は勿論できないが、殴り合いとは全く異なった戦いにその身を投じる事になる。
思えばバルサは肉体を使って危機を切り抜けていく分過酷ではあるが、単純ではあった。敵は殴れば良いし、逆に言えば殴れる奴が敵だった。しかし国家間の陰謀の場合、下っ端をいくら殴ろうが争いは止まらない訳で、国家が包括すると人間と文化すべてを”守る”必要がある分、戦いのスケールと責任の重圧は圧倒的に重くなってくる。
特にこの物語で強調されるのは、チャグムにかせられる選択である。サンガルは女性が強い国家でとにかく女性が活躍する話なのだが、年齢に化からわず全員が成熟した政治家であって国家のためにはたとえ自国に属する子供だろうが、国家の運営のためならば切り捨てる事に躊躇が無い。一方チャグムは個人的な体験のため一人でも何人であっても無辜の人間を切り捨てる事ができない。非効率で青臭いこだわりをどこまで貫けるかがチャグムの戦いになる。武器ではなくて殺意が人を殺すなら守るのもまた意思の力になる。つまりこれは信念の戦いってことになる。

いままでの個人的な物語から一気に国家間の物語に大幅にスケールアップしたにもかかわらず面白さはぶれないどころか、さらに新しい風を取り込んだ様な快作。変に壮大にせずに話の根幹自体はチャグムという主人公の目線で書いた事が面白さの要因の一つかも。

2014年12月13日土曜日

Cold World/How the Gods Chill

アメリカはペンシルベニア州ウィルクスバリのハードコアバンドの2ndアルバム。
2014年にDeathwish Inc.からリリースされた。
たまたまyoutubeで動画をみて気に入った購入。
ボーカル、ギター2人、ベース、ドラムという5人組で2005年以前に結成されたようだ。2012年に来日した事もあるみたい。

音楽的にはストレートなハードコア。
ソリッドかつメタリックなギターがスラッシーかつストレートなリフを思い切り良く刻んでいくスタイル。ベースはひたすら重く、ややギャラギャラしたギターを支える低音担当。ギターもそうだが、ブーンと唸る余韻がとてもかっこいい。バスドラムは重々しいが、乾いて鳴りのよいスネアのはじける様な響きが心地よい。音の重さも速度もやり過ぎず程よいバランス感覚。分かりやすいビートダウンなどには迎合せず、渋いハードコアを鳴らしている。ボーカルはのどに引っ掛ける様なやや掠れた前のめりに畳み掛けるハードコアスタイルと、掠れを押さえたやや伸びやかにシャウトする声の使い分け。特に後者はやんちゃな感じもしつつ華やかさもあってちょっとだけメロいサビで本領発揮。
無骨な曲作りの中にもちょっとした叙情性があって、それがアルペジオやサビでのメロディに反映されていて戦車の様な重々しくかつ爽快なハードコアにひと味加える感じでかっこいい。
さらにこのバンドの特徴として大きいのが、Hip-Hopの要素を取り込んでいる事。
ラウドな音楽にHip-Hopの要素を取り込むという手法(主にメタリックな演奏陣をそのままにラップという要素くっつけるというやり方で。)自体は今となっては珍しくない。私は丁度ニューメタル世代だったのでそこら辺の印象があるが、昨今ハードコア界隈でのHip-Hopへの接近が形になって目立って来たのかなと思う。
メタルの演奏だと凝りすぎるところがあって、ラップという畑の違う異色の要素を取り入れるとガチャガチャしすぎてしまう懸念があるが(だからあまり技巧自慢にはならないニューメタル分野とは相性が良かったのかも。)、ハードコアはもっと直感的だ。刻む様なメタルの要素を取り入れた分厚いリフトは相性が良い気がする。ガツンガツンとストップアンドゴーを繰り返すハードコアスタイルはリズミカルでラップの乗りが良い。ドスの利きすぎないハードコアボーカルはラップとも良く調和している。
それっぽいイントロとアウトロもそうだが、メンバーがHip-Hopが好きで単にラッパーを客演として呼びつけているというよりは、自分たちなりにその要素をハードコアにのせようとしている意思が垣間見えて面白い。地のハードコアは流石自分たちの出自というかルーツってことでいっさい手加減無し。ニューメタルにはあったお手軽な軽薄さは感じられない。

爽快なハードコアが好きな人は是非どうぞ。まだちょっと荒削りの部分もあるので次のアルバムがそういった意味でも楽しみなバンド。


OMSB/OMBS

日本のヒップホップアーティストによる2ndアルバム。
2014年に日本のBlack Smoker Recordsよりリリースされた。
このブログでも何回か紹介した事のある日本は神奈川のHip-Hop集団Simi LabのリーダーであるOMSBのソロアルバム。
1stアルバムは「Mr. "All Bad" Jordan」彼自身がマイクを取るラップ主体のアルバムだったが、今回は全10曲中彼がマイクを取るのは2曲のみで、さらにボーカルが入っている曲もその2曲のみ。OMSBはラッパーであると同時にトラックメイカーでもあり、実際Simi Labの2ndアルバムを見てもかなりのトラックが彼の手によるもの。ネット上でもフリーでミックス音源を公開したりとMCにとどまらない活動をしている。今回はそのトラックメイキングの腕を存分に振るったビートアルバムである。

ロックだろうがジャズだろうがボーカルレスのインスト音楽はそんなに珍しいものではない。勿論Hip-Hopもしかりで私も学生時代にジャズテイストのHip-Hop好きの友人に何枚かCDを借りて有名所を本当に何枚だけだが聴いたことがある。
Hip-Hopも勿論演奏(トラック)とボーカルが一体になって作る曲が主流だが、ロックに比べるとラップを活かすためにトラックに関してはあまり音の数が多くないのが特徴だと思う(にわかなもんで間違ってたら申し訳ないのだが。)。そこからラップを抜いてしまうというのだからこれは難易度が高そうでは無いだろうか?しかし当たり前の事だが音の数が多ければ曲が格好よくなる訳ではない。デザインとは引き算だと聞いたことがある。Hip-Hopのトラックはとてもかっこいい。音が少ない分研ぎすまされていてごまかしがきかない。その分粗が目立ってともすると退屈になってしまうだろうから難しい(と思っている)。

さてこのアルバム結論から言うととても格好いいビートアルバムになっている。
いくつか気になった事を書きます。
まずテクノとHip-Hopのビートアルバムの違い。音の数は少ないがかなりミニマル名このアルバム。所謂テクノ(ぴこぴこ全般的な意味合いで)とははっきり一線を画すが言葉にするとどう違うのかな?と疑問に思ったのでそこを書いてみる。
音的にはHip-Hopはやはり跳ねるようなリズムがある。このアルバム、全体的にははっきりいってバリバリフロアなアッパーチューンは皆無で、内省的とは言わないがかなり”聴かせる”音作りである。繊細な音使い、ゆったりとしたリズム。しかし眠たくなる様な音像では全くない。ビートはやたらと低音を強調した下品(これも好きですが。)なものではなく、どっしりとしてかつ無骨な印象。音は程よい大きさ。これがしかし耳からはいって胸にどすんと響く。そしてその音が良い連続で入ってくるものだから寝ている場合ではない。体が動く。力強さを打ちに秘めている。徹頭徹尾冷たい、もしくは攻撃的な(レイブ向けの)テクノとはここが違う。
もう一つは音の暖かみである。完全電子音由来のテクノ(今はもっと幅が広い事を承知で)と違いこのアルバムは(恐らく)サンプリング主体で作られているのではないか。デジタル処理を噛ませている(と思う)が、元の音の暖かみが見事に鮮度そのままに全く新しい曲を構成している。私はいま色んな音がデジタルで再現できるのにサンプリングという手法が生き残っているのを全く不遜な無知から疑問に思っていたのだが、このOMSBのアルバムはそんな思考を音で吹っ飛ばす様な作りになっている。なるほど、これがサンプリングか!と思わず感動。(実はOMSBさんが全くサンプリングなんて使わないで曲を作っていたら爆笑なんだけど、多分違うと思う。)
さて、こんな感じでつらつら書いてみたらが、サンプリングという伝統的なHip-Hopの手法で作られた心地よいビートアルバムかと思ったら、意外にもそうじゃない。いやそれだけじゃない。このアルバムかなり実験的でもあるのではないか。
レコードを張りが滑るノイズ音や、もっと不穏で直接的なノイズ、人の声を溶かして再構成した様な”ヤバい音”や”ヤバい作り方”がふんだんにちりばめられている。これは全くある種挑戦的な意図が見て取れる。伝統を踏襲しつつ一歩か二歩踏み込むその果敢さ、もしくは太々しさといっても良いんだがそれが全くもって面白い。ビートアルバムだからといってだらーと聴けないアルバムである。お洒落な店ではかからないかもだが、サウンドの背後にある殺気がたまらない。

人を選ぶアルバムではあるかもしれないが、ちょっとマイナーなHip-Hopが好きな人やテクノが好きな人はまずは聴いてみてはいかがでしょうか。私はとても気に入りました。

↓この曲はラップが入っているから取っ付きやすい。

2014年12月7日日曜日

FKA twigs/LP1

イギリスはグロスタシャー出身の女性アーティストによる1stアルバム。
2014年にYoung Turks Recordingsからリリースされた。
随所で話題なので名前は勿論知っていたがなんとなく買っていなかったアーティスト。彼女の曲をプロデュースしたArcaを買ってみたり、色んな人が言及してたりでようやっと買ってみた。
イギリス人の母親とジャマイカ人の父親とのハーフで現在26歳。関節がなるので「Tiwigs」というあだ名で、別のアーティストとの混同をさけるためにFormerly Known Asを足してFKA twigsという事らしい。(Englishのwikiより)
ちなみにジャケットのデザインはArcaの相棒Jesseの手によるもの。今回もヌメッとした光沢のある独特なもので、面白いのは紙でできているジャケットの筒状になっているポケット(CDとインナーがはいるとこっす。)の内側にもちょいキモイメージが描かれている。構造上よく見えない。裏地の美学。やっぱりKandaは日系なのかな?

さて音の方はというと完全にエレクトロな音で構成された今風の音楽なのだが、最大の特徴はしっとりかつしっかりした歌に曲の中心が添えられている事。ぼんやりとして数が多くない音はダブステップやトリップホップを思わせる曖昧模糊としたものだが、おおよそそのフォーマットにちょっとボーカルが乗る、といった音楽とは一線を画す。
ダブいトラックの無骨さ、孤高さはをさらに突き詰めて完全に後ろに引かせた感じ。で、そこに歌声が乗る訳で。だからオルタネイティブR&Bとかカテゴライズされているようだ。R&Bなんでしっとりなわけなんだけど、歌い方が絶妙でなんとなく気怠い感じ。ただ例えばPortisheadのような不健康さはなくて、どっちかというと「ミステリアス」だ。トラックは音の数が少なくて、音と音の感覚が長く取られているので全体的にゆったりしている。
R&Bってことで歌もの。声量はあるんだと思うけどぐわっと出すとパワフルになってしまうので、一工夫加えて声を出しているイメージ。基本はウィスパーボイスな感じなんだが、ふわふわしている割に長ーく伸びる声だったり、アクセントのような語尾にふと声量や技量が垣間見えたりして面白い。薄いベールの向こうに垣間見えるようなそんな妖しさがある。露骨にエロエロしていないのでオタク受けもしているのかもな…とちょっと思った。(私はオタクです。)わかりやすいし口ずさめるようなメロディではないんだけど、ポップ性に富んでいて奇抜な事やっている割にはすっと体(頭で考える前にという意味で)に入ってくるのも受けている理由の一つか。聴いてて気持ちよい音楽。

話題になっているし実際PVとかは派手な作りなのだけど、聴いてみると結構良い意味で派手な勢いが無くてしっかりしている作りで話題になるのも納得の出来。R&Bとか詳しくない人でも楽しめるんではなかろうか。

2014年12月6日土曜日

中村融編/宇宙生命SF傑作選 黒い破壊者

東京創元社から出版された中村融さん編集によるSFアンソロジー。
宇宙生命SF傑作選というタイトル通り宇宙に飛び出した人類が様々な形態の未知の生命と触れ合う(物語によってはふれあい御頃ではないのだが…)小説を6編集めたもの。
中村さん編集のアンソロジーは「地球が静止する日」「影が行く」「千の脚を持つ男」を読んだ事がある。どれも大変面白かったし、テーマ的にもなんとも面白そうだったので購入した。
6編の内訳はこんな感じ。私はどの作家も多分初めて読んだと思う。
リチャード・マッケナ,「狩人よ故郷に帰れ」
ジェイムズ・H・シュミッツ,「おじいちゃん」
ポール・アンダースン,「キリエ」
ロバート・F・ヤング,「妖精の棲む樹」
ジャック・ヴァンス,「海への贈り物」
A・E・ヴァン・ヴォークト,「黒い破壊者」

「黒い破壊者」という短編の名が冠せられているのでなんとなく、敵対的な宇宙人と遭遇した人間がドンパチする話が満載なのかと思ったらその予想は見事に裏切られた。(激しくやり合う話もあるのでご安心ください。)
この本に収められているのは、フィクションであるから学術的というのは変かもしれないが、よく練られた未知の生命体とのファースト・コンタクトが架空の生物の生体を観察するように丁寧に書かれた小説である。どの生命も見た目だけでなくその指向が時に直接時に行動に反映されている。これもまた変な言い方だが、作者は自分が生み出した生物にこだわりと愛着とそして宇宙に生きる生命に対するリスペクトがあって、それが人類と触れた時にどういった行動に出るのか?ということを緻密に書いている。
後書きで中村さんが書いているが、「生態学的SF」というジャンルに害する作品が収められているのだ。(中村さんは宇宙の反対側にペンギン見に行くくらい動物の観察が好きらしい。)私もとんと知らなかったのだが、本来エコロジーというのは地球や環境に優しい、という意味ではなくて生物と環境の複雑な壮語作用を研究する学問「生態学」につけられた名称との事。(本書解説より引用。)だからこの本、図鑑を読んでいる様なわくわくがあります。

どの話も面白かったのが、特に気に入ったのがこの話。
「海への贈り物」
惑星の生命資源から鉱物を生成する仕事に従事する会社の海上に浮かぶ生活に必要な設備を備えた巨大な筏を舞台にした物語。ホラー的なイントロから、謎解き要素のある冒険小説風中盤、ひやりとさせるアクションシーンを挟みつつエコSFな終盤と起伏のある物語構成もすごいのだが、なんといっても未知の海洋生物「デカブラック」と人類が文字通り歩み寄っていく様がなんと言っても醍醐味。一介の技術者が必要に応じてというシチュエーションも物語的には盛り上がるし、なんといっても作者の経験を生かした潮の香り漂う海の男の世界の描写は生々しい。言葉どころか思考の体系が違う生き物とコンタクトを取る事の難しさ、そして異なる生物と理解し合う楽しさと喜びについて無骨な言葉で見事に書き出してSFは面白いと思わせてくれる素晴らしい短編。

醜い宇宙人が出現!討ち滅ぼせ!というタイプの小説が読みたい人にはお勧めできないが、真面目なSFが好きな方やエコロジーに興味のある方には是非読んでいただきたい1冊。

Zomby/With Love

イギリスはイングランド、ロンドンのテクノアーティストの4thアルバム。
2014年に4ADからリリースされた。
私は全く名前も知らなかったのだが、以前に感想を書いた日本のノイズバンドEndonのインタビューでボーカルの那倉さんが「嫉妬した」と紹介していたものが気になって買った次第。(ちなみに那倉さんは超強面だけどインタビューだと普通に受け答えしています。当たり前だけど。)

Zombyというアーティストはアノニマスの仮面を被ったりとあまりセルフイメージが露出しないようにしているらしい。(ググると普通に顔も出てくるけど積極的には出たくない、というスタンスとのこと。)結構謎か多い人みたい。
このアルバムは2枚組全33曲というかなりボリューミィなアルバムである。ほぼボーカルパートは無いので中々とらえどころの無い音楽性だが、まあここは一つ思った事を書いていきます。
まずジャンルはダブステップという事になっているが、はっきり言って想像とは違うダブステップだった。重量感のあるやや輪郭の曖昧なビート音は確かにダブステップだが、流行のスタイルとは一線を画す独自なもの。一言で言うともっとテクノっぽいな、という印象。ダブステップは機械で作っているから本当の意味では違うのだろうが、ちょっとファジーなところがあるんだけど、Zombyの音楽はもっとソリッドだ。まず音が鋭い。そして少ない。たしかにやり方はダブなのだろうが、音のパーツは音色がちょっとダブのそれとは異なる。ビート中心の音楽で前述の通りビートはダブいが、例えば跳ねる様なスネアなどの連打はやっぱりドラムンベースを彷彿とさせる。そして何よりミニマルである。基本ドラムとベースで構成されたループの上に、これまたループするうわモノが乗っかる。背後に流れるドローンめいた音が風に揺れるカーテンのように、よおく聴いていると次第にその形を変えていくのに気づく様な案配である。ダブ・ソリッド・ダブのサンドイッチ構造や〜と言わんばかりの中々のバランス感覚。完成された音は押さえつつも流行に迎合しないハードコアなものになっている。全体的な雰囲気は暗く沈み込んでいく様な陰鬱さがあって、所謂フロア向きで踊れるタイプの音ではない。(大音量でクラブで聴いたら格好いいのだろうが。)那倉さんも言っているがトリップホップに通じるものがある。悪ぶっているけど結構伝統に対してリスペクトがあるんじゃないの?という感じ。
曲は1分から2分台が多く33曲がテンポよく進む。印象的なのは曲の終わりがかなり唐突にぶったギっているものが何曲かある。これは一体どういう意図なのかわからん。お、と思ってリズムを取り出すとぶちっと終わってしまうのである。中々どうして捻くれた奴である。

ここで印象的な本人のインタビューが読める。人を食っているのか煙に巻いているのか、はたまた本当に性格が悪いのか判然としないのかやはり中々捻くれた兄さんのようである。
通して聴くとちょっと長いな…と思ったりもするがぼんやり聴いているとおお!っと思わせたりして中々どうしてなアルバム。仕事中に聴くと良い事を発見した。結構好きです。気になった人はどうぞ。

2014年11月30日日曜日

Mastodon/Once More 'Round the Sun

アメリカはジョージア州はアトランタのスラッジ/プログレッシブメタルバンドの6thアルバム。
2014年にReprise Recordsからリリースされた。
実は発売して割とすぐ買ってたのだけど何となく聴くのを後回しにしていたアルバム。というのも一個前の5thアルバム「The Hunter」があまり気に入らなかったから何となく今度もそんな感じなのかも?と思って何となく聴けませんでした。私は「Crack the Skye」から聴き始めて過去作もさかのぼったようなにわかファンなんだけど、結構聴いたから好きな分そんなためらいがあった感じ。「The Hunter」は悪かった訳じゃないんだけどあんまり印象に残っている曲がない。

という訳でおっかなびっくり聴き始めたこのアルバム、基本的には前作の延長線上にはあると思うんだけど、正直前作ほど悪くはない。キラーチューン!って感じの1曲は無いかもなんだけどアルバム全体を通して聴くとむしろとても良い。
ギターは大分重くなった印象で前回はクリアっぽい音だったんだけど、今回はかなり歪められていて幾らか乾いた埃っぽさが戻って来た印象。そんなもんで相変わらず高音でキャラキャラ弾くあの印象的なスタイルと一点ヘヴィなリフとの対比がよりくっきりして結果曲にメリハリが産まれている。やや陰鬱のあるコード感のある弾き方もこのバンドの特徴だと思う。(私は「Crack the Skye」から聴き始めたからってこともありそうだけど。)今作でも割と沢山披露されていて私としては嬉しい限り。
ギターが比較的中音〜高音も弾くもんでベースが一点ヘヴィネスを引き受けているのかもしれん。ってくらい重たい。音は凶悪なんだけどリズムを刻んでいるだけでなく、かなり伸びやかに自由に演奏している印象で気持ちよい。特に曲の速度が速い時は疾走感を担っているのがベース何じゃなかろうか。
元Today is te DayのBrann Dailorは今作でも叩きまくりスタイル。音は比較的軽快なんだけど、通常のリズムに+で乗るオカズが格好いい。ギターもそうだけどこれ以上言ったらくどすぎるぜ(くどいのがメタルの醍醐味ではあるんだけど)という一歩手前という感じの弾きまくり具合は嫌いじゃない。てか結構良い。テク以上に曲自体が良い所為だろうとは思いますが。
曲の速度や弾き方もあってほぼスラッジ感あまり無くて、はっきりとメロディを中心に添えた楽曲もあってちまたで言われているようにヘヴィメタルバンドって感じ。かといって個性が無い訳ではなくて、演奏も円熟味がまして全く日和っている訳ではない。むしろ良くこんなヘヴィな演奏陣で深みのあるポップ性を表現できるものだと感心。海のような深さをもっていて、その深部と表層の対比ある意味だいぶ変わったバンドだと思う。持ち前のマニアックさをそのままに間口の広さを展開している様な。前述のバカテクもそうだけど、プログレッシブ感も意識しないのであればすっと耳に入るこの心地よさ。

という訳で不安は杞憂に終わったアルバム。もっと早くに聴けば良かったと後悔。とても良いアルバムです。聴けば聴く程よいかも。オススメ。

個人的にはプログレ感のあるキモかっこいいこの曲と次の曲の流れがとても好き。

フィリップ・K・ディック/人間以前ーディック短編傑作選

アメリカのSF作家による短編集。編集したのは大森望さん。
残念ながら既に亡くなっておりますが、引き続き新刊がコンスタントにリリースされたり、最近は「PKD」というオフィシャルなサイトが構築されたりとまた流行っている印象のあるディックさん。私も少し前位に何冊か楽しく読んだ事がある。最近一新された表紙は如何にも格好いいが、昔のも味があって良いよね、と思います。例えば「ユービック」は変更後の方がポップで格好いいけど、「流れよ我が涙、と警官は言った」とかは昔のが好きかも。短編種もいくつか出ていてその中の何冊かは読んでいる訳で、どれが読んだ事あってどれが無いのかもう分からん。大森さんの後書きによるとハヤカワからはこれを含めて6冊の短編集が出ていて一応これが最後の1冊とのこと。幻想/子供をテーマにした作品を選んでいる。

ディックを久しぶりに読んだがやっぱり面白い。ハードなSF作家であり、難解な面白さがあるが同時にこんなに読み物として読みやすかったっけ?と思った。
よくよく読んでみると根底にあるのは政府や企業(具体的な社名がほぼほぼ設定されているあたり面白い。)のもつ巨大な権力やへの不信感であって、物語であるから現実の格差をある意味拡大して誇張して描いている訳だけど、あくまでも弱者の視点で彼らの境遇や心情を飾らない筆致であっても簡潔かつ丁寧に描く事で異質な世界でもっても普遍的なことがらを書いており、それが(特に今の日本では)長く広く愛されている理由の一つかも。(特にこの短編集は子供が主人公の話が多いので強くそう感じたんだと思うけど。)極端な話ガジェット愛というよりはテーマに沿って物語が構築され、そのフィクションの柱になっているのが科学技術、というイメージ。だから読みやすい。「父さんもどき」という作品は後書きによると幼い頃ディックが実際に思った、悪い父親と良い父親、2人が存在しているのでは?という思いから執筆されたようだ。結果的にだいぶ異形な物語ができている訳だけど出発点はあくまでも普段の毎日から生じる感情を原点にしている。だから良くも悪くも冷静な第三者的な俯瞰ではなく、あくまでも当事者としての生々しさでもって物語が紡がれていく訳で、面白いのはここに(物語とそれの登場人物の考えがそのまま作者のそれであると推測するのは大きな間違いである事は分かっているが、)ディックの個性が色濃く反映されていて、その個性というのは不遇な境遇(たしか何かの後書きで読んだのだが生前は貧乏だったようだ。)もあってか結構危うい感じ。「妖精の王」とかは田舎のガソリンスタンドの親父が妖精の王を引き継ぎ、仲の良かった友人を敵の親玉と思って殺してしまう話なのだが、ファンタジーというよりは統合失調的な妄想に読めてしまう。ここら辺は勿論確実にそう狙って書いているんだろうけど、それでもやはり恐ろしい。そういったちょっと不安定さがあって、それもディックの魅力の一つだなと思う。

どの短編も面白いが特に気に入ったものを紹介。
タイトルにもなっている「人間以前」は12歳以下の人間には魂が無いので間引く事が可能という法律がまかり通る世界を描いたディストピアもの。中盤の展開は胸がすくが、結局ユートピアにはたどり着けない諦観と空しさが横溢したラストが切ない。
とにかく気に入ったのが「この卑しい地上に」という作品。血を使って”天使”を呼び出す事のできる少女があるときふとした表紙に出血し、天使に殺され天使の世界に連れ去られてしまう。肉体は酷い状態になり埋葬されてしまうが、あきらめきれないボーイフレンドは精神となった彼女を取り戻そうとする話。ファンタジーものだが、天使の住まう世界の説明は流石SF作家と言いたくなるほどSF的。SF的というのは考え方の問題かもしれない。そして完全にホラーとの色調を帯びてくる終盤。個人的な思いが大変な結果を及ぼすことになる。話の筋は勿論、どこからとも無く違う世界からやって来て血をすする天使のアイディアが最高。私の中では肉感のある蛾の様な天使とはかけ離れたイメージでそれが炎をまき散らしながら大群となって押し寄せる様は、逆説的に天使的な畏怖を備えている。この1編だけでも買った価値があったなあと思った。(勿論他の短編も文句無しに面白いよ。)

という訳でディック好きな人には文句無しにお勧めだし、ディックのSFは興味があるけど難しそうという人は初めての1冊にも良いのではないかと思う。全体的には決して明るい話ではないので、そこだけご注意を。

2014年11月29日土曜日

上橋菜穂子/夢の守り人

日本のファンタジー守り人シリーズ第3弾。ハマっています。
来年NHKでドラマ化されるらしい。アニメが評判だったのかもしれない。観てないが。

新ヨゴ皇国で呪術師を営むタンダは眠ったまま目を覚まさないという姪の様子を見る。どうも魂が抜かれて何かにとらわれている節がある。数は少ないものの他にも同じ症状が出ている人間がいるようだ。姪の魂をたどって何者かの夢に潜入したタンダだが、逆にとらわれて夢の主の奴隷になってしまう。夢の主と浅からぬ因縁のあるタンダの師匠トロガイ、そしてタンダの幼なじみの女戦士バルサは人鬼と化したタンダを救う事ができるのか…

前作「闇の守り人」で過去とケリをつけたバルサ。今回は全く新しい物語。
前作の敵役は露骨に自分のために他を害をなそうとする攻撃的な男だったが、今回はナイーブな引きこもりが意気地がないもんでみんなを巻き込んで自殺しようというはた迷惑な話。そんな背景もあってか(「守り人」というタイトルからしてそうだが、)今作は色んな登場人物みんなの行動する動機が何かを守るためってことにセットされている。守るってことは脅威があって直接的もしくは予防的に動くもんだからどうしても動きが後手になりがちだし、地味だ。しばしば困難になりがちだが、あらためてその困難さを逆手にとったこのシリーズの巧みさを実感。このもどかしい感じ。やきもきする。
容赦のない格闘シーンは痛みを感じない人鬼の登場もあっていつも以上に生々しい。今回は一番動く敵がタンダなので刃物が使えない。動きを封じるために関節技主体の戦いになる訳だけど、外れるわ折れるわで読んでてイタタタとなる事請け合い。

この上橋菜穂子さんの各世界というのは牧歌的で美しい反面、しっかり現在ほど文明化されていない世界の残酷さと非情さ、そしてそこを生き抜くための力強さを描いている。今作ではぬるま湯につかっているようにただただ楽しい夢や過去にぼんやり浸っていても前進しないし、なんなら死ぬ、というちょっと説教的な内容でもあるんだけど、そこを言葉でこぎれいにまとめるのではなくて(ある意味)ばしーんと殴りつけて人間は飯を食わないと死ぬ!(だいぶ私なりのまとめ方です。)という様は潔くかつ説得力がある。主人公のバルサからしてそうだけど、このシリーズにはすごい優しくても生き抜くためには力強く無ければいけないよ、というメッセージがあると思っている。

安定の面白さ。次は皇子チャグムが主人公になるらしい。次も読むぜ。

2014年11月24日月曜日

Run the Jewels/Run the Jewels2

アメリカのニューヨーク/アトランタを拠点にするヒップホップデュオによる2ndアルバム。
2014年にMass Appeal Recordsからリリースされた。
2013年に結成されたグループだが新人ではなくOutkastのアルバムにも参加したラッパーKiller MikeとCompany Flowというグループのラッパーでプロデューサーとしても活躍するEl-Pというキャリアがある2人が結成したもの。勿論私は2人とも知らない。たまたまネットで聴いた曲が格好よかったので音源を買った次第。
事前情報が無いもんで買ってから気づいたのだが、元Rage Against the MachineのZackやBlink182のTravis Barkerなどロック方面からも豪華なゲストが参加している。

曲の方はというと今風の音出ある事は間違いないが、さすがにメジャー感のあるヒップホップ(メジャー感のあるヒップホップもあまり知らないのだが…)とは一線を画す様な一筋縄ではいかない仕上がりになっている。
曲作りの仕方はよくわからないが、元ネタがあるにしてもかなり自由かつ攻撃的な音作り。中心になるビートはさすがにヒップホップだが(こちらも下品なくらいぶっといモノもあれば、いかにもラップが目立つ地味な音もあって大分面白い。だいたいベース音がすごい凶悪。)、そこに乗っかる上物がかなり面白い事になっている。過激でノイジーな電子音が五月蝿いくらいに飛び交う。こういう風に書くと日本でも話題になっているDeath Gripsが思い浮かぶがあそこまでの浮遊感というか悪夢感はない。もっと地に足がついた音になっている。というのも派手な音使いでありながらもあくまでもヒップホップということはわかる音作りをしているからだと思う。いかにラディカルなトラックであってもラップを含めて聴けば、紛うことなき直球のヒップホップだと言う事は分かってもらえると思う。いわば正統な進化をとげた尖ったヒップホップとも言うべき音楽である。
凄みがありつつも低音〜中音が耳に良く馴染むKiller Mikeの流れ落ちるように流暢なラップに、中音〜やや高音のEl-Pのざらついたまくしたてるようなラップが見事に絡み合う。2人ともキャリアがあるんだけどこのアルバムでは超攻撃的。まるで2人の真剣勝負の様な雰囲気である。トラックに負けずヒリヒリしておる。

音の方は凝っているしゲストも豪華だがあくまでもラップを中心にした音作りは如何にもハードコア。ごまかしのきかないスキルむき出しの音に圧倒される。しかもただのスキル自慢ではなくて曲として体が自然に乗ってくる音作りでもって大変気持ちよい。

ちなみにこの音源、私はCDで買ったのだけど、なんとオフィシャルでフリーダウンロードできる。うかつな私は買った後に気づいたんだけど。気になった人はまずダウンロードしてみてはいかがでしょうか。

2014年11月23日日曜日

上橋菜穂子/闇の守り人

守り人シリーズ第2弾。前作「精霊の守り人」がすごく面白かったのですぐさま次作を買った次第。

新ヨゴ皇国の皇子チャグムを守りきったバルサは自分の過去と決着を付けるため6歳の時に後にした祖国カンバル王国に25年ぶりに足を向ける。祖国では裏切り者の汚名を着せられている育ての親ジグロの無念を晴らすために。しかし貧しい山国カンバルでは恐ろしい陰謀が進行していた。否応無く陰謀に巻き込まれるバルサの運命やいかに。

という訳で今回は(結果的に)復讐譚という人を惹き付けるおはなしに、祖国の地下に住む謎の山の王というファンタジー的な要素がくっついてまた面白い話になっている。
この面白さの中心にいるのが、バルサの育ての親ジグロに汚名を着せて、さらにはカンバルの伝統をさらには国そのものを意のままにしようとする敵役であるユグロの存在。こいつは平気な顔で嘘をつくし、人の命なんてな〜んとも思わない現代風に言えばソシオパス。とにかく敵役が嫌な奴かつ魅力的(ここが重要)だと物語とは俄然面白くなる。いつコイツのツラに拳をめり込ませるのだ!とやきもきしながら読み進めるのも読書の醍醐味の一つではなかろうか。
通常ならば血なまぐさい復讐単になる訳なのだが、ここでもう一つの要素が利いてくる。ユグロの陰謀を止めるべく、バルサも否応無しにカッサという陰謀を止める鍵となる男の子の用心棒を引き受ける事になる。復讐するのに守っている暇など無いからコイツは足かせにしかならない訳だが、復讐にはやるバルサは無力なカッサを”守る”ことで冷静になれる。単に復讐は何も産まない!という押し付けがましい傍観者の論理ではなくて、むしろもっと実際的な理由で復讐者になることができないバルサ。守る、となると攻める事が難しい。ベルセルクではないがどっちかを選ばない事には…って感じ。そんなもやもやした気持ちがクライマックス”槍舞い”に結実、昇華されるわけだけど、やはり作者上橋さんは様々気持ちがぎゅっと凝縮した、そのなんとも言葉にできない塊の様な感情を描き出すのが抜群に上手い。言葉にできない感情だからそのままかけない訳で、ちょっとした仕草や動きにそれが投影されている訳だけどそれが嫌み無くすっと入ってくるよね。

ファンタジー的なギミックも利いていて、オコジョを駆る妖精や山の地下水脈に存在する謎の肉食魚。中でも選ばれた人しか姿を見た事が無い、歴史の闇に存在する山の王の正体。如何にも恐ろしい彼の宮殿とともに存在がほのめかされるだけで中々詳らかにされないあたりは流石。
あとは解説がついているけど相変わらず食べ物がおいしそう。

やはり文句無しに面白かった。ファンタジーって良いな。峻厳な山の国のごろごろとした岩肌を突き刺す様な風が吹き荒れる、そんな光景が頭に浮かぶようでした。
バルサが過去に決着を付ける因縁譚。前作を読んだ人は是非どうぞ。気になった人は是非前作からどうぞ。

虚淵玄+大森望編/サイバーパンクSF傑作選 楽園追放rewired

今をときめく売れっ子脚本家の虚淵玄さんが新作映画「楽園追放」を公開するにあたり影響を受けたサイバーパンクSFの名作をまとめたアンソロジー。
私は虚淵玄さんの作品はちゃんと見た事が無いんだけど(サイコパスというアニメも始めは録画してたけど途中で録画に失敗してしまって見てないというていたらく。)、なんといってもウィリアム・ギブスンの「クローム襲撃」が収録されているので買ったのだ。サイバーパンクと言えばギブスンの「ニューロマンサー」であろう。かの攻殻機動隊にも影響を与えたとかなんとか。かくいう私のHNである冬寂もこの名作に登場するAIから取ったもの。ところがギブスンの本というと「ニューロマンサー」をのぞくとほぼほぼの本が絶版という残念な状態。「クローム襲撃」というのは名作と誉れ高い短編で同名の短編集があるのだが、こちらも絶版な訳で、これが読めるとなれば買うしか無い。
サイバーパンクのアンソロジーだが、サイバーパンクって何だろう。個人的には貧富の差が激しくて、”ネット”が発達して機械化された脳が直結した世界観がイメージされるけど、最後の解説で大森望さんが結構明快に定義を説明してくれている。
抜粋すると
  • コンピューターやネットを扱っている
  • 反体制
  • 情報密度が高い
  • 身体の改造
  • 時代の最先端
とのこと。なるほど!結構曖昧というか広義のニュアンスめいたところがあって、なんとなく上記に該当すればサイバーパンクってことで良いみたい。ということでこのアンソロジーにも色々なサイバーパンク作品が収録されている。

特に気に入った作品をいくつか。
ウィリアム・ギブスン/クローム襲撃
念願のクローム襲撃。一言で言うと青春小説。「ニューロマンサー」と共通のハードでナードな世界観だが、主人公のジャックとその相棒ボビイ、ボビイの彼女のリッキー、その3人の関係が青くて良い。ジャックもケイスと同じカウボーイだけど、ケイスはやはりハードボイルドだった。ジャックはケイスよりまだ若くてハッキングも生活のためというよりは知的好奇心とヤバいことに顔を突っ込みたいという”若さ”が強調されているようだ。3人の結末はいかにもオタクっぽいとひょっとしたら揶揄されるかもしれないが、個人的にはなんとも胸に残る様なストレートな感情表現はすごく良かった。超満足。短編集も重版してくれー。

大原まり子/女性型精神構造保持者 メンタル・フィメール
完全にいかれたAIが統治する未来都市で狼少年が逃避行を繰り広げるというSFというよりは未来のおとぎ話のような世界。ポップなアニメを見ている様なイメージで、ハードさはない極彩色の悪夢を見ている様なファンシーさと気持ち悪さが絶妙に混ざり合った空気は独特。

チャールズ・ストロス/ロブスター
現代情報社会の申し子の様な既成の社会体制にとらわれない男が婚約者(変態)と一悶着を起こしながらも、ネットに転写されたロブスターの意識を宇宙に亡命させる話。
何事?と思われるストーリーだが気になる人は読んでほしい。面白いのは最先端を行き過ぎて夢想家になった男と旧体制的でありながらも現状に足がついた婚約者とのやり取りで、始めは男の方に大賛成でなんてクソな(失礼!)女だ、と思っていたけどよくよく読んでみるとどんなに窮屈で欠陥のあるシステムでも生活を回すためには決しておろそかにできないな…と考えさせられた。あくまでも軽いノリが良い。IT業界で働いている人にはこのテキトーなノリ、よくわかるんじゃないだろうか。

というわけで解説でも述べられていたが、サイバーパンク作品というのは結構絶版になっている昨今であるようだ。そんな中手っ取り早くサイバーパンク作品を読みたいというのであればうっってつけの短編集では無かろうか。とりあえずギブスンを!という人も買ってしまって良いと思う。

2014年11月16日日曜日

Sargeist/ The Rebirth of a Cursed Exsitence

フィンランドはラッペーンランタのブラックメタルバンドのコンピレーションアルバム。
2013年にWorld Terror Comiteeよりリリースされた。前に紹介した「Feeding the Crawling Shadows」と一緒にレーベルから買ったもの。
コンピレーションなのだが調べてみると様々なスプリットや企画盤から曲を集めて来たようで同じ音源からでも多くて2曲、それ以外は1曲取って来ている。言い方は悪いが本当に寄せ集めて来た印象だが、逆に言えば多くの音源を一枚ずつ買う手間を省いてくれる良いアルバム。(リマスターも施されているそうだ。)恐らく古い順に曲を並べているのでバンドの音楽の変遷を楽しめる。所謂プリミティブなブラックなので音質は良くはないが、それでも時代を経る毎に格段に質が良く鳴っているのを感じる。しかし音の本質は見事に2002年のものから変化する事無く軸がしっかりしており、全体を通しても一貫性があり聴きやすい。

その本質とはプリミティブな精神を受け継ぐコールドかつ閉塞感のある正統派なブラックメタルであり、その峻厳さや取っ付きにくさを嵐の様なトレモロリフの儚いメロディラインが補う様なスタイルである。
ボーカルはぎゃいぎゃいわめくイーヴィルなスタイルでぐしゃっと押しつぶした様な独特な声。時代を経るとドスの利いた低音ボーカルも加わる。(ひょっとしたら選任ボーカルのものではないかもしれないが。)
ドラムは音の数がそこまで多くない。疾走パートもツーバスでどこどこいく派手さは無いが、ぱしんととぱしんと打たれるスネアは修行僧的なストイックさがある。
ギターが映えまくるバンドで曲によってはボーカルより饒舌ブリザードの様なトレモロリフの応酬で息つく暇も無い音の密度である。ドラマティックかつメロディアスだが、ともするとあざとく聴こえる高音の頻度は少なめで、あくまでも低音から中音で黒く空間を塗りつぶす様なストイックさ。初期のざらついたプリミティブな音質から後半ややソリッドな重さのある音に変化している。所謂刻むようなメタリックさはほぼ見られず、フレーズによってはハードコアパンクのそれを感じさせるリフ。(5曲目6曲目とかスタスタ突っ走る硬質なドラミングも合わせてはかなりパンキッシュだと思う。)
中速域で構成された曲調も時代を経る毎によりダイナミックになり、速度も増して来た印象で後半の曲まであくまでも自然に聴けるのに、頭の曲と比べると結構雰囲気が違うから不思議だ。技術があがった分できる事が増えた結果だろうが、芯はぶれないのでまさにパワーアップした様なイメージ。激しさの嵐のなかに垣間見える陰鬱なメロディアスさが癖になる。

というわけでプリミティブなブラックが好きな人は買ってみて損はないのではというクオリティ。時代順に並んだ質の高いディスコグラフィーってことでこのバンドに興味がある人はまずこのCDを手にとっても良いのかもしれない。

上橋菜穂子/精霊の守り人

日本人の作家によるファンタジー小説。NHKでアニメ化もされた作品で守り人シリーズの第1作目。知っている人も多いかと。私は正直そこまで興味があった訳ではないが、会社の人にお勧めされたので買ってみた。国際アンデルセン賞という章があるのだが、それの作家賞を作者の上橋さんは受賞されたそうだ。国際アンデルセン賞というのは児童文学が対象だそうな。私は守り人シリーズは名前くらい知っていたが児童文学だったとは知らなんだ。突然変な話で恐縮だが私は子供時代大好きだった絵本を引っ越しのときにすべて捨ててしまったのが一生の後悔している事のうち一つである。当たり前の話だが優れた物語は子供だろうが大人だろうが楽しめる。中学生のときに読んだゲド戦記を大人になってからまた読んだがやっぱり面白かった。だもんで児童文学、全然OK、問題無し。

30歳の女用心棒バルサは短槍の名手。ある時新ヨゴ国を旅しているとやんごと無き方の乗った牛車が橋の上で横転し、乗っていた第2皇子が川に転落。川に飛び込んだバルサは寸でのところで彼を救出。お礼に招かれた王宮で第2皇子チャグムの母親二ノ妃から何かに”憑かれた”チャグムは帝その人に命を狙われていること、彼を連れて逃げてほしい事を告げられる。断れば王家の秘密を知ったバルサは殺される。否応無しにチャグムをつれて逃げたバルサに帝の追っ手がかかる。次第に憑かれたものの影響を受けるチャグム。彼に取り憑いた”モノ”の正体は何なのか…

読んでいて児童文学だと意識した事は本当偽りなく一回もない。勿論読み終えてみてそういえば生々しい大人な描写はなかったな、と思うくらい。むしろ普通の小説となんら変わらなく読めたし、バルサの戦闘シーンは派手な首が飛ぶ、とか胴がまっ二つ、とか無いのにまさに手に汗を握る鬼気迫る描写で、命のやり取りの応酬が一挙手一投足に表現されていて凄まじかった。作者は女性なんだけど戦いの描写は男性に一歩も引けを取らない。戦いというのは勿論バルサなら槍を構えてのきったはったもそうなのだが、もう一人の主人公皇子チャグムも自分に取り憑いたもの、そしてその理不尽さ、宮廷生活から一転山中での逃亡生活と戦っていく。とにかくここの心理描写が巧みで、たとえばチャグムは〜〜と思った、とは書かない。でも不意に爆発する怒りだったり、涙だったり些細な行動にその裏にある心理状態が透けて見えて、押し付けられる訳ではなく滅茶共感できる。ここの書き方がとても丁寧。
チャグムが抱えているものの正体が次第に明らかになっていく中、混戦模様だった物語がとある一点で集中して最後ぎゅっとまとまる。その凄絶な戦いでさえも実は登場人物の意思が一つにまとまっていなくて、最後のチャグムの決断というのがだからこそ猛烈にいきてくる。この作者は女性だからかタイトルもそうだが、「守る」ということに主眼を置いていて二ノ妃もバルサも、帝の追っ手ですら何かを守ろうとして結果戦いが生じているんだけど、最後チャグムが自分の命ですら投げ出すように一歩を踏み出す、それが何なのかというと勇気だったり母性だったり、共感だったりするんだろうけどどれも一言では決して説明でき得ない、ない交ぜになった感情の爆発するようなそのまばゆい閃光。その圧倒的なまぶしさ。そこにこの本の、この物語のポジティブさが結実していると思う。思わず唸る。

児童文学である、ということは文体が明快で読みやすい、ただその一点に凝縮されているようで、文句無しに大人でも楽しめる物語。むしろ大人にこそ読んでほしいくらい。心がぐわっと熱くなる一方読後のさわやかさも素晴らしい。本にしてもちょっと変わったものばかり好んで読むが、この本に関しては普段本を全く読まないという人にもお勧めできる。是非手に取っていただきたいオススメの一冊です。私は2作目も勿論読むつもり!

ボストン・テラン/神は銃弾

アメリカのイタリア系アメリカ人作家による暴力小説。
1999年に発表された作者初めての小説とのこと。原題は「God is a Bullet」。

カリフォルニア州クレイで保安官を勤めるボブ・ハイタワーは約束していた娘からの連絡がこないので、再婚した元妻の家を義父と訪問した。そこで見たのは拷問の上殺された元妻とその夫。彼の娘ギャビの姿は見えなかった。遅々として進まない捜査にいら立ちを隠せないボブは独自に捜査を始める。捜査線上に現れたのは元麻薬中毒者で元カルト集団の一員だったケイスという女だった。彼女が言うには彼女がかつて身を置いたカルト集団が虐殺融解に関わっているらしい。ボブは藁にもすがる重いで、周囲の反対を押し切りケイスと娘を取り返す旅に出る。

というなんとも映画向けのようなストーリー。著者はイタリア系アメリカ人でかのブロンクス出身だそうで自身と彼の一族が手に染めている色々な”経験”が反映された生々しい暴力小説である。題材は日本人も大好きな復讐。ボブは娘を取り返し悪人をぶっ飛ばすため。ケイスは自分をとらえ続けるカルト集団との因縁を断ち切るため。砂漠の荒野をかっ飛ばすロードムーヴィ的な側面がある。また立場の違いすぎて相容れなかったボブとケイスがだんだんと心を通わせていく、そんな繊細さも丁寧に書き込まれていて、硬派であると同時にエンターテインメント性に富んだ小説。面白いのは如何にも銃弾が飛び交いそうなタイトルとお膳立てされた状況だが、実際にドンパチが始まるのが550ページくらいある超ど真ん中あたりなのだ。恐らく合えての構成なのだろうが、この本には単にドンパチ以上に文学的な要素がある。それは荒野の、アウトロー達の哲学ともいうべきもので登場人物達はとにかく癖のある詩的な言葉を吐くのである。とくにアウトロー側にいる登場人物達が。これがこの小説をかなり独特なものにしている。
粗さはあるものの物語としてはしっかりしていて、特にアメリカの闇を内包した乾いた砂漠の描写、そこに飛び散る赤黒い血、そして暴力の描写は凄まじい。退屈する事なく読めた。しかし私そこまで物語に入り込めなかったというのが正直なところ。理由は2つあって、一方は前述の詩的な台詞が合わなかった。気の利いた罵倒の応酬なんかは洋画を見ているようで下品で格好いいのだが、さらに一歩進んだ哲学めいた格言はたしかに言葉のチョイスは格好いいのだが、そこが意味するところが浮かんでこなかったのだ。簡単にいうと一見かっこ良さげだが実は何を言っているのか分からなかった。詩情というのは難しいもんで、波長が合えば何となく徴収的な言葉の向こうに風景や意図が見えてくるものだが、合わなければ曖昧模糊とした言葉の羅列にすぎない。どうも私は作者と波長が合わなかったようで、ページをめくる手を止めて大分考えてみたものだが、こういったものは考えれば分かるものでもない。
もう一つは敵役サイラスである。コイツは元男娼で元麻薬中毒者で元警察のカモだったがある時啓示を受けたんだが、悟ったんだがで麻薬を立ちジャンキーら犯罪者集めたカルトを結成し、今は麻薬の密売で利ざやを稼ぐ、人殺しもいとわない悪党である。ケイス評してカオスということでとにかく気の赴くまま何をするか分からないという、いわば危険が服を着て歩いている様な奴なのだが、なんとなくコイツが魅力的に写らなかった。恐くないというのではなくて、現実的に考えれば無軌道な暴力的人間でしかも武器を持っているとなればこの世で最も恐ろしい類いの人間である事は間違いない。しかし物語の敵役として魅力的かどうかはそれと別問題。どうもケイスを始めサイラスをしる登場人物が彼のことをヤバいヤバいというわけなんだが、あまりにヤバいっていうもんでなんかハードルがあがったのかこちらとしては逆に妙にさめてしまった。結果は麻薬密売業者じゃん?という感じ。彼は左手の小道(元の英語Left Hand Pathは左道という意味。)というカルトの教祖をやっているんだけど、申し訳程度に五芒星を用いるくらいで、あとは銃を片手に気に入らない奴は打ち殺し、攫って来た若い男女にセックスやレイプを強要。まあ確かに残虐非道なんだが、人間の基本的な欲求をブーストさせただけで逆に言えば結果極めて人間的なのだ。いわばたがは外れているんだろうが、私からするとただのいじめっ子の行動原理で、特にサタニストとしての哲学や教示や信仰はなくてただお洒落でヤバそうなんで五芒星を用いてます、って感じにしか写らなかった。もうちょっと人間を超越する様なぶっ飛び加減を期待したいところ。

私はちょっと合わなかったけど、読ませる良い小説ではあると思う。
いかれたジャンキーどもが殺し合う、そんな小説が好きな人は、ちょっと癖があるので本屋でパラぱらっとめくって波長が合いそうでしたら是非どうぞ。

2014年11月9日日曜日

Pallbearer/Fountains of Burden

アメリカはアーカンソー州リトルロックのドゥームメタルバンドの2ndアルバム。
2014年に一風変わった一癖も二癖もあるメタルバンドの音源ばっかりリリースしているProfound Lore Recordsからリリースされた。私がもっているのは2010年のデモ音源CDがついた日本盤で、こちらは御馴染みDaymare Recordingsから。

Pallbearerは2012年にリリーされた1stアルバム「Sorrow and Extinction」がPitchforkなどのメディアでベストに選出されたりと話題を呼んだもので、日本でも色んなブログでほめられていた記憶も新しい。私は何となく乗り遅れたというだけで聴いてなかったんだけど、今回新アルバムリリースという事で手に取ってみた次第。
バンド名のPallbearerというのはお葬式の際に棺を担ぐ人のことを言うらしい。業者というよりはやはり親しい人が担ぐのかな?まあそんなバンド名もあって非常に哀切とした雰囲気のあるドゥームメタルを演奏するバンド。
ドゥームメタルも当初となっては色々なバンドが色々な音楽をならしている昨今。激しくなる一辺倒とは言わないけど、この手のジャンルに置いてはやはりブルータリティというのはひとつの大事な指標でもって、多くのメタルバンドマン達も目には見えないけどそのゴール(明確に序列や地点がある訳ではないので勿論これというゴールはないですが。)にむかって切磋琢磨しているわけなんだけど、そんな中では結構異質な音楽をやっているという印象。暖かみのある演奏にクリーンボーカルがかなり伸びやかに歌い上げるというそのエピカルなスタイルが逆に昨今の音楽業界では目立つのかも。
私は軽薄な音楽好きなのでドゥームの歴史をひもといて考察する事ができないのだが、音楽は勿論、ちょっと不気味だが落ち着いたそのアートワーク(特にインナーとかはそうなんだが)も含めて意識的にある種のレトロ感を演出しようとしているのは間違いないと思う。
ぐしゃっと押しつぶしたように重みのあるドラムは破裂する様なタムとキンキンしたシンバルが良いアクセント。
ベースはぐーんと迫るように良く伸びる。アタックが格別強い訳ではないが、しっとり艶やかかつ厚みのある低音でドラムと合わせてドゥームの土台作りはばっちり。
ギターは2本で、両方ともにヴィンテージな暖かみのある音で、ジャリジャリしすぎない粒の粗さで詰まった音。ドゥームという事もあってアタック後の伸びが命。厚みのある良いんの気持ちよさがこのバンドの魅力の一つだと思った。2本でも微妙に音に差があって片方が職人芸って感じでひたすらドゥームリフを奏で、もう一方が広がりのある悲しい単音リフを担当というバランス。長めのギターソロも五月蝿くなくそれまでの演奏に良く馴染んだ形で良いアクセントになっている。
ボーカルは結構高めの音で、とにかくコイツが歌いまくるもんでこのバンドの一番の特徴かな。メロディアスに歌いまくる。
無骨な演奏かと思っていたけど、実はギターが結構饒舌でつま弾かれる様なフレーズは結構メロディアスだ。メタルには違いないけどミュートはあまり多用せず、あくまでもためる様な曲のアクセントで全体的には結構伸びやかに進む。ゆっくり流れる川みたいなイメージ。だから曲の尺は長いんだけど、ぶつぶつしている印象はなくて自然に最後まで聴ける。間の取り方は贅沢でこれも激しい音楽性だと中々できない曲作りかもだ。全体的には物悲しさが支配した様な曲調なのだが、その暖かみのある演奏とメロディアスなボーカルによって残虐性は皆無で、もっと奇妙に荒廃した風景を眺めている様な、そんな雰囲気。孤独感はありつつも閉塞感はないので、音的にもすっと耳に入ってくる。

始めは正直悪くないんだけどちょっと地味すぎるかな…と思っていたけど、そもそも激しさを期待するのが畑違いだった訳で、このバンドの特異なところに注目してみると中々よいアルバムだと思う。視聴して好みだったらどうぞ〜。

2014年11月3日月曜日

Greenmachine/The Earth Beater+3

日本は金沢のハードコアロックバンドの2ndアルバム。
オリジナルは1999年にMan's Ruin Recordsから発売されたものだがレーベルの消滅に伴い廃盤。私が買ったのはタイトル通り3曲ボーナストラックを追加した再発版。2003年にDiwphalanx Recordsからリリース。
前に紹介した「D.A.M.N」がとても格好よかったので割とすぐに買ったのだが、なにかと色々CDを買ってしまって封を開けるのが遅れてしまった。

基本的な音楽性は1stアルバムから変化無し。3人編成とは思えない音圧のスラッジ/ドゥームメタル。前作もドゥームというほどのゆっくり感は感じられないスタイルだったが、今作はそんな前作に比べるとさらに(体感)速度はあがっている。爆走感というか。これは速度は勿論、よりロックンロールっぽさが増した事もあると思う。

前作でもそうだったが、よくよく聴くとドラムが滅茶格好いい。重量級のバスドラの一撃と対照的に手数の多いスネアの連打。うーん、たまらん。
ベースは音が割れまくる直前の様な録音のされ方(もしくはリマスターの結果か)で、腹に響く低音。ぐろぐろ主張が激しい。ギターが結構暴れまくるのだが、ドラムと一体となってリズムをキープしつつ結構えぐい事をやっている印象。
ギターはこのバンドの華でとにかく弾くわ弾くわでお祭り騒ぎのようだ。すりつぶす様な中央〜低音を強調した音質で右に左に弾きまくる。フレーズのお尻にくっついたロックなオカズがとても格好いい。低音主体のリフとよく対を成している。またギターソロもロックでいつつもどこかしらヤバい雰囲気、妙な凄みがあって良い。独特のためのあるリフと疾走感のあるリフ、そしてノイズ満載のフィードバック。3つの使い分け(本当はそんな単純なものじゃないんだろうけど。)で曲を豊かなものにしている。
別に沢山メンバーがいれば一人当たりの負担が軽く分けではないけど、3人ということで演奏の緊張感が半端無い。スラッジ/ドゥーム特有の尻上がりで伸びる様な演奏が、フレーズ毎に演奏陣がかみ合ってこれが醍醐味。それでいて勢いを殺さないところはやっぱりロックンロールだ。
ボーカルは感情をそのまま吐き出すような激情系で、やけっぱち感でいうとEyehategodに通じる感じがある。鬼気迫るところは似ているが、あちらほどの世捨て人感はない感じ。伸びるシャウトが少し掠れているところが男っぽくて格好いい。

さてこうなると3rdアルバムが欲しいところだが、Amazonだと品切れだ…レーベルが同じなのにこれだけ再発していないのだろうか。困ったものだー。
というわけで個人的には1stよりこちらの方が好み。轟音ってこういうことをいうんじゃなかろうか。憂鬱を吹っ飛ばす様なロックンロールが聴きたい人は是非どうぞ、オススメです。

Arca/Xen

ベネズエラ出身イギリスはロンドン在住の弱冠24歳のアーティストによる1stアルバム。
2014年にMute Recordsからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが1曲追加された日本盤。
1stアルバムだが、どうもそれ以前のミックステープやKanye WestやFKA Twigs(両方とも気になっているけどまだ聴いてない。)の(共同)プロデューサーとして名を馳せているひとらしいからどうも「待望の」という感じのフルアルバムらしい。日本盤のリリースもそんな状況を反映しているだろう。
幼なじみの映像作家Jesse Kanda(日系人の神田さんなのかは不明。)とガッチリタッグを組んで音楽+映像というフィールドで近代アートの分野でも活躍する中々どうして話題の人らしい。
実際を見てもらえればわかるだろうが、エレクトロい音楽に乗せて像が融解した様な気持ち悪い映像を流すという手法で、テクノ巨人Aphex TwinとChris Cunninghamのコンビの再来かと言われたりもしているようだ。
今作もPVもそうだが、インナーの画像もやたらと光沢のあってつるっとした”生き物”たちがその一部を大きく歪められていたり、極度に強調されたりといわば奇形的なアプローチで表現されたアートワークで埋められている。

さて音の方はというと電子音で構成されたテクノということで間違いないのだろうが、なかなかどのジャンルというのは(私が詳しくないのもあるだろうが)きっちり判別しにくい。ダブ、ノイズ、アンビエントそこら辺のジャンルのハイブリッドという感じ。流行ものを良いとこ取りしたというとあんまりだが、聴いた印象はとにかく良くまとめられているし、アルバム全体での統一感もある。音の印象も最近流行の「ぶーぶーぴょろぴょろ」(本当ウンザリ)なんて軽薄きわまりない音からは明確に隔たりがある。
空間的な広がりを意識した音の使い方はアンビエントを彷彿とさせるが、ビートは太い。そのビートもちょっと楽しく踊れるような類いの音とは一線を画している。ベース音はぶわぶわしているもののアシッドというよりはウィッチハウス以降な感じの湿り気のある艶やかかつ若干の意図的なチープさを感じさせるもの。効果音的な音の使い方が巧みで、良く聴いていると1回しか出てこない様なエフェクト音も含めてすごい豊富だ。波の音や人の声と思わしき音のサンプリング等々。うわものの音も生音なのかはわからないが、ストリングスや乾いた古風な弦楽器など多岐にわたる。音の種類は結構豊富なのにとにかく間の取り方が贅沢で最終的にはやっぱりどことなく空白を意識した曲作りをしている。言葉にするとかなり難しいような印象だが、1曲1曲は比較的短く長くて3分台でわりとさっさと進む。なんというか曲後とのテーマは明確(それがなにかはわからないのだが)で、それが百面相みたいな感じで色んな曲が詰まっている感じ。1曲が難解という訳ではないので意外に聴きやすい。

Xenというタイトルも「セン」と読むのかと思ったら「ゼン」だそうな。日本盤の解説でも指摘されていた「禅」との関わりがあるのかどうかは分からないが、なにしろ一筋縄では行かない音楽である事は確かだ。個人的にはとらえどころがないけど、かといってはったりにも感じられない音楽性は結構気に入りました。視聴してみて気に入ったらどぞ。

2014年11月2日日曜日

Panopticon/Roads to the North

アメリカはケンタッキー州ルイビルのブラックメタルバンドの5thアルバム。
2014年にBindrune Recordingsからリリースされた。
私は3rdアルバムから聞き出したにわかのファンだが、元々大作指向だったが4thアルバム「Kentucky」でバンジョーなどの楽器とカントリー/フォークの要素を大胆に取り入れるとともに土臭い自然要素を取り入れたいわゆるカスカディアンな方向に舵を取って、結果個人的にはそれがとても気に入ったりした。

今作でもフォーキーな要素もあり基本的には前作の延長線上にあるものの、音の嗜好がちょっと変化している。簡単に言うと音色が大分派手になっている。リフ一つにとっても所謂ブラックメタル然としたコールドかつ無愛想なトレモロ一辺倒ではなく、よりメタリックな作りになっており、低音だけではなく高音を採れ入れたリフは否応無しに目立つ。また曲を盛り上げる様なメロディアスな中音〜高音のリフも台頭してきた。ブラストパートは勿論健在だが、内にこもる様な雰囲気は(それは前作からもなんだけど)なく、開放的な雰囲気は増した。ピロピロとまでは言わないが結構そういう印象。ほんちょっとだけビートダウンを思わせる様なフレーズもあったり。あとはベースが良く動く。ギターが遊びだしたからかもしれないが、ベースは結構ストレートかつ疾走感のあるリフを弾いていて、こもった音ながらその躍動感でもって存在感がある。曲全体で見れば明るいというのではなく、より音の構成と数が豊かになった。さすがにボーカルパートは叫び倒す様なものだが、その分楽器陣の饒舌さは大幅に増した所為でこれは結構取っ付きやすくなったのではなかろうか。3rdより4thアルバムが好きな私としては好意的に受け取れた。曲の長さはやはり結構あって、展開も変わるが一つ一つのパートは贅沢に時間が使われているため目まぐるしくて何が何やらという事にはならない。2曲目のタイトルは「山が天を突き刺すところ」(格好いいタイトル。)となっているが、変わりやすい山の天気みたいなもので急展開であってもよく見ればつなぎが自然で違和感は感じられない。

7曲目のイントロは結構攻撃的でビックリ。良い意味で興味のあるものは取り入れる人なのかもしれないが、色んな要素を取り入れつつもぎゅっとブラックメタル風にまとめているから、バリエーションがあっても締まりがあって長いアルバムでも全体を通して聞きやすいというのは流石。メタルのもつ攻撃性を保ちつつ全体的に陰惨にならないのはその思想故だろうか。カスカディアンというのは音のジャンルであるとともにやはり思想的な一つのくくりなのだろうかと思った。
という訳で非常に楽しめて聞けました。この手の音楽が好きな人は買っていただいて全く問題ないかと。私はAmazonでCD買いましたが、Bandcampなら7ドルで買えるみたいっすよ。


A・E・コッパード/天来の美酒/消えちゃった

イギリスの作家による恐らく本邦オリジナルの短編集。
訳して編んだのは南条竹則さん。
この間紹介した同じ作者の「郵便局と蛇」が面白かったもんで、すぐにこの本を買った次第。
生涯を通じて2編(自伝と子供向け)しか長編を書かなかったという生粋の短編小説作家であったコッパード。この本には11編の珠玉の物語が編まれている。
相変わらずちょっと不思議な様な、牧歌的な雰囲気があったかい様な、それでいて背筋が凍る様な、そんな要素が混沌として簡潔ながらも詩情に(作者は詩人でもありました。)あふれまくった短編に何とも言えない味わいがある。今作ではより幻想味は抑制され、かわりに悲劇的かつ宗教に関する不信感(無神論者であったそうな)をイギリス人らしく黒いユーモアに包み込んだ作品が目立つ。幻想味はあるものの大きな事件が起こる訳ではないが、おもしろおかしいとも思える物語の向こうに人間を冷静に観察し、その豊かな表情を書いている様な感じがあって、昨今の例えば派手な事件によって異常な心理を書こうとする物語とは明らかに別の境地にある作風。どちらが優れている訳でもないが、やはりこういう小説にはなにかしら深く感銘を受けてしまう。私が自分自身の日常で感じるもどかしさに名前を付けずに、より深い考察をもって目の前に提示する様なそのような感じがある。もともと何かに名前を付ければ本質がいくらか失われるのだから(言語のもつ限界)、変に説教じみた物語より、こういう言葉とそれが紡ぐ風景が心に響くのは当たり前かもしれない。

どの短編も面白かったのだが、特に最後に控える中編くらいの長さのある「天国の鐘を鳴らせ」が凄まじい。始めはなにかよくわからんな、って感じで面白くなかったのだが、中盤から一転、凄まじい物語になる。(最後のために前半は絶対に必要だったと、読み切ってから気づいた。)これは人生の話しだし(人の一生を短編に閉じ込める事が出来る、というのが作者の尋常ではない力量を証明していると思う。)、恋の物語だ。昨今恋の物語は成就する事が一つの前提にすらなっているが、これはいわばそんな風潮の中で見向きもされない様な恋物語かもしれない。恋物語というにはあまりにも儚い。一体恋に破れ落ちぶれた孤独な魂はどこに行くのか。
彼を悩ませ、居ても立ってもいられない気持ちにさせるのは、マリーを失ったことだけではなかった。彼自身のうちに何か孤独で頑迷なものがあって、それもまた彼を悩ませ、彼の奇妙な風体と一体になっていた。天国の輝きは曇り、もう望ましいものではなくなった。彼はこの世の住人だが、この世には嫌悪を覚えた。この世界を愛したい、狂おしいほど愛したいと思っていたが、その中に溶け込む事はできなかった。
ちょっと中々ない孤独感だ。コッパードはスポーツを愛する快活な人だったようだが、その身のうちにどんな孤独を抱えていたのだろうか。
私は気に入ったフレーズがあるとページを折って後で読めるようにするのだが、この本では4回ばかし折った。

ちなみにこの素晴らしい作家を日本に紹介したのはかの平井呈一さんで、荒俣宏さんも好んで訳したとの事。幻想怪奇のジャンルの本を読んでいるとこのお二方の名前は良く目にする。偉大な方達でおかげさまで大層面白い読書体験が出来ます。感謝。
というわけで非常にオススメの”物語”。本読むのが好きな人は是非どうぞ。

2014年11月1日土曜日

グレッグ・イーガン/宇宙消失

オーストラリアの作家によるSF小説。
原題は「Quarantine」で意味は隔離という事らしい。

西暦2034年突然太陽系が黒い膜によって覆われた。地球は大規模な恐慌状態に陥ったものの膜の正体は判然とせず、また破る事も出来なかった。人類は膜を「バブル」と呼び、次第にバブルに覆われた状況にも慣れていった。
33年後もと警察官の探偵ニックはとある失踪した女性の捜索依頼を受ける。先天的に脳に障害を持つ彼女ローラは精神病院に収容されていたが、セキュリティをくぐり抜け失踪したという。捜査を始めるニックだが、彼女の失踪のは以後には宇宙を揺るがす謎が横たわっていた。

イーガンの小説は昔結構ハマって短編集を(多分)全部読んだ。ただ長編はとにかく難解という話でなんとなく敬遠していたのだが、やっぱりSFは面白い。なにか読みたいな、ということで手に取ってみた。
SFというのはギミックが魅力的ということもあり、まずは小説の説明を。これが楽しい。
バブルの説明はあらすじ参考の事として、まず未来の人間達はモッドと呼ばれるナノマシンを服用する事で脳のシナプスの配線を意図的に組み替えて、半ばコンピュータ的に脳を使っている。脳は人間の色んな感情を司っているから、モッドを使用する事で感情をある程度コントロールする事が出来る。寝たいときにはすっと眠れるし、何かに集中したいときは機械的にその状態にもっていく事が出来る。悲しい状況でもまったく悲しまないという事も出来る。主人公ニックはカルト集団に妻を爆殺されたが、悲しむ前にモッドを使用して悲しい、という感情を抑制した。その後何かしらのモッドで妻の幻覚を見る事を選択している。人間というのは自分の感情や 身体の動きというのは自分のものにしても完全にはコントロールする事は出来ないが、この小説ではそこがテクノロジーによって征服されている。このようなモッドの使用は非人間的であると考える趣もあり、物語の中でニックもたびたびそう問われるが、その度にニックは半ば無意識的に感情的になり、こう返答する、元々人間の感情は不自然なもので、自分はモッドによってその元々の不自然な感情を強化しているにすぎない、自分がそうなりたいと思った状態にモッドを使ってなる事はなんら悪い事ではない、と。 作中ニックは忠誠モッドと呼ばれるモッドを強制的に注入されていて、自分の敵対組織に忠誠を誓う事になる。自分の忠誠はモッドによる人為的なものである事はニックにも分かっているが、それによって惹起された感情(というか脳の働き)自体は自然なものとはいっさい変わらないのだから、その働きに従うというのである。これは中々どうしてな判断である。短編を読んだときもそうだったが、イーガンは人間がどこまで人間なのかというアイデンティティに関わるテーマを好んで書いている。 誰だって悲しいのは嫌だが、自分の意志で人間以上の存在になった人間は果たして人間なのか?人間じゃないならどこから人間じゃなくなったのか?はっきりと言明する訳じゃないが、そんなテーマが見え隠れする。
このテーマだけでも何冊でも本が書けそうだが、イーガンはさらにもう一つとんでもない要素を物語の柱にしている。
それが量子力学である。シュレディンガーの猫というと日本の創作物にはたーくさんでてくるあれがまさにテーマである。
(こっから先は完全な門外漢である私の思うところを書いているので実際の科学、それから作者イーガンの意図と異なる事があるだろうが、ご了承くださいませ。)何かというのは ”観測”されるまで、あり得る可能性すべてを全部保有した状態(作中では”拡散”状態と言い表される。)であって、”観測”されて初めて一つの結果が” 選択”されるのである。常に今ある私というのは”選択”された一人であって、されなかった無数の私は別の宇宙で生きているのか?それとも一つの結果が”選択”された時点で死んでいるのか?それは分からない。この選択は一体どういうロジックで行われているのかは分からないが、とあるモッドによってどれを”選択”するか意識的に選ぶ事が出来たら?人間はそれこそ人間を超えた力を得る事が出来る。例えばさいころを手に取れば何でも好きな目を選択する事が出来る(というか他の目を選んだ無数の自分は死ぬ。)。そんな馬鹿なと思うでしょう。私もそう思いました。しかしどうも基本的な考え方は量子力学に沿っているらしい。考え方通りに無限の可能性に広がっていく宇宙に頭が痛い。私の頭では完全に理解できている気がしないが科学って面白いものです。

広大な宇宙がはらむ量子力学の謎と、個人レベルのアイデンティティのミクロの問題が渾然一体となって一人の女性の失踪事件がニックと読者をとんでもない結末に連れて行く事になる。SFの醍醐味がぎゅっと詰まった本でした。これはオススメ。

2014年10月26日日曜日

Sombres Forêts/Royaume de Glace

カナダはケベック州のブラックメタルアーティストの2ndアルバム。
2008年にSepulchral Productionsからリリースされた。
私はこのバンド全然知らずで、この間紹介したSargeistのCDを買うときに折角だからといって一緒に注文したもので、いわばジャケ買いの様なものだった。

バンド名はフランス語で「暗い森」の意。メンバーはAnnatar(どうも指輪物語のサウロンの別名らしいが。)なる人一人のみ。この界隈では珍しくない一人で全部やるバンドである。(ライブをやるようで勿論そのときはサポートメンバーを迎えているようだ。)
ブラックメタルというとメタル界で言えばかなり先鋭的なジャンルではあれど、 今では様々なバリエーションがあるのはご周知の通り。このバンドはバンド名からも想像できるが、プリミティブブラックのコールドさを保ちつつ、ブラックメタルのもつ攻撃性よりも孤独感に代表される暗い叙情性を突き止めたもので、一つの指標となるのが森をキーワードにした自然指向であろうと思う。ブラックメタルで自然というとどうしてもカスカディアンブラックスタイルの大立物Wolves in the Throne Roomが思い浮かんでしまうが、このバンドも曲の尺は比較的長めなものの、もう少しロウなブラックメタルな音楽を演奏している。取っ付きやすいとは言わないが、あそこまで(たとえば新しいアルバム「Celestite」の用な)突き抜けちゃった感、ある種仙人の様な孤高感はない。

ドラムはややもったりしたもので、はじけるように叩かれる様はアクセントに響いて良い。
ギターは真性プリミティブブラックメタルな感じでとにかくガリガリざらざらしており音の像が曖昧である。それなりに音の厚みがあるが、ジリジリしていて全体像がはっきりしない感じでテクニックというよりは雰囲気重視(テクニックがないとか下手とかではないです。)プリミティブな感じ。疾走感のあるトレモロはほぼ無し。
ボーカルはブラックメタルの一つの典型とも言うべきイーヴィルなもの。如何にも阻害されたものの叫びと行った感じで尾を引くそれは恐ろしさというよりも、どことなく悲痛な響きがあって曲の雰囲気に良く馴染む。
たまに出てくるシンセ音も浮遊感のあるやや荘厳な感じだが、あくまでも霧のように使われており、バンドサウンドの邪魔にならない程度。良いバランスではないでしょうか。
なんといってもアコギの使い方が 絶妙で、つま弾かれるアルペジオは本来暖かみのあるもののはずなのにここまで寂寥とした孤独感を表現できるのはすごい。イントロやアウトロ派勿論のこと曲中での使い方も巧妙である。
概ね曲のスピードは中速だがその悲哀を帯びた曲調の所為でよりもったりと感じられる。曲の運びはあくまでも陰鬱でブラックメタルの爽快感を代表するようなお家芸トレモロリフ成分もほぼなしで、バンド名通りくらい閉塞感の中進んでいく。メロさはほぼギター担当でたまに飛び出るフレーズは全体的な閉塞感もあってとにかく心に刺さること。間の使い方が上手でボーカルとギターの語尾をのばすかニュアンスとでもいうか、たまに見せる伸びやかな演奏スタイルが気持ちよい。

という訳で大満足な一品。ブラックメタルに何を求め得るかという事もあるが、孤独感疎外感、そんな魅力をそこに感じたい人にはまさにうってつけのコールドなブラックメタル。オススメです。


京極夏彦 柳田國男/遠野物語remix 付・遠野物語

民俗学者の柳田國男が1910年に岩手県遠野で採集した民間で流布している説話をまとめた「遠野物語」を、著者没後50年経過により著作権が切れたところ、作家で意匠家の京極夏彦がリミックスした本。
私が買ったのは元となる柳田國男の「遠野物語」がついた角川ソフィア文庫版。
「遠野物語」は民俗学界にすくっと立つ記念碑的な文献であるとともに、物語として面白い文学的な側面をもつ作品でもある。私はどこの出版社かは忘れてしまったが大学生のときに「遠野物語」の元の本を読んだ事がある。大変面白く読んだが、やはり文体が原題のそれとは少し隔たりがあるので読みやすいとは言えなかったのは事実で、作者が伝えたかった事が本当に理解でいているかははなはだ怪しいところがあった。ということで今作は渡りに船というかなんというか。リミックスというのは中々言い得て妙であり、原点をそのまま交互に訳したのは少し違う。順番をかえたり、ニュアンスを補ったり意訳していたりと、作家ならではの変更を加えているそうである。いわば独自の解釈というか。例えばやはり翻訳というのとは少し違うようだ。
元々民俗学というと堅苦しいが、原点に関しても柳田國男が遠野の佐々木さんからきいた昔話や民間伝承をなるべくその魅力を失わないようにまとめあげたものだから、好きな人にはたまらない面白いおはなしが満載なのである。かの泉鏡花も物語として面白いと評したとか。

一つ一つはとてもも次回おはなしが120弱収められており、そのどれもが不思議な話、奇妙な話、恐ろしい話 で、いずれもどこの誰々がその体験をした、もしくは彼から聞いたという形である。山中奥深くに住む恐ろしい山人や狐が人を化かす話、亡くなったはずの女が幽霊となって現れる話。 神隠し幽霊お化け妖怪天狗なんでもござれのまさに昔話の宝庫である。(当時の)不可思議の説明装置として上記のような怪異が社会の中で生み出され、機能していたとは如何にも現代的な解釈でそれはやはり間違いはないのだろうが、この本に収録されている不思議達は単純にそのの解釈にとどまらない豊かな色彩をもっている。恐ろしい妖怪達は実際に霧深い青い山々の奥に息づいていたのであり、人間はたまにその姿をかいま見たのだろうし、現代人がタイムスリップすればやはりその陰を同じく目にするのだろうと私は思う。だから怪異の解釈はなく、あった事感じた事がそのまま書いてあるその生々しさたるや、100年隔たった今でも身を凍らす。

個人的に面白かったのは山人で、コイツらというのはとにかく背がデカくて目の色が常人と異なる。こういう表現を読むと現代人である私たちは日本に漂着した外国人でしょ?と訳知り顔で意見を述べる訳である。所謂鬼達の一部に関しても山中に隠れ住む白人 という解釈がなされる事がある。しかし遠野物語でははっきりと西洋人に対する見識が既にあった事が書かれている( 85など)。ということは当時の人たちだってとっくに白人のことなんてご存知な訳であって、そうなれば当然山人や鬼が白人説は灰燼に帰すのである。昔の人間だからって馬鹿にするなよって訳である。(とにかく現代人は昔の人が素朴で馬鹿だったと考える傲慢な傾向があると思う。)じゃあ山人って何だったんでしょうね?うーん、面白くないですか?ゾクゾクしませんか?

という訳で日本の神話が好きな人、昔話が好きな人で何となく「遠野物語」を敬遠してた人、まだ読んでない人は是非是非読んでいただきたい。一遍一遍はとても短いので本当さらっと読める。さすがは京極夏彦さん。オススメです。

2014年10月19日日曜日

Today is the Day/Animal Mother

アメリカはテネシー州ナッシュビルの(FBみるとホームタウンはフロリダ州のオーランドになっているが)ノイズコアバンドの10thアルバム。
2014年にSunn o)))の Greg Andersonの運営するSouthern Lordからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが1曲追加された日本盤でこちらはいつも通りというかなんというかDaymare Recordingsから。

Today is the Dayは1992年に結成された比較的歴史のあるバンドで、かつては現Mastodonのメンバーが在籍していたりと 知っている人を多いのではなかろうか。実質フロントマンSteve Austin(同名のレスラーがいるらしいが勿論別人。)という人のプロジェクトである。Austinはレーベル(今は休業中かも。)もやっていて、たしかConvergeの「When Forever Comes Crashing」をプロデュースしていたハズ。バンド自体はメンバーチェンジが結構激しく、今のメンバーは3人(最近はだいたい3人編成が多いようだ 。)だが、Austin以外は2013年加入との事。
私は学生の頃たしかカオティックハードコアの文脈で知って、名盤と誉れ高い6thアルバム「Sadness Will Prevail」とライブ版「Live till You Die」がセットになった3枚組のセットを買ったのが出会いである。人生この1曲を選べと言われれば、前述のアルバムのタイトル曲「Sadness Will Prevail」を挙げるかもしれない(滅茶苦茶美しく悲しい曲なので皆さん聴いていただきたい。)位は好きである。一個前のアルバムが出たのがこの前の様な気がするが、調べてみると2011年だから時の経つのは速いものだ。
歴史が長い割にはあまり話題には上ってこない(今回日本盤出たのは結構すごいかも。)バンドの様な気がするんだが、何とも形容しがたい音楽性と所謂メタル文脈とは違う露悪性の所為かもしれない。 ノイズコアと称される音楽性だが、分解して聴いてみるとグラインドコアっぽくもあり、スラッジメタルっぽくもあり、メロディアスなロックであったりもする。全部が中途半端ではなく、Austinの頭の中の音楽を表現するために色々形を柔軟にかえている様な印象。その音楽性は悪夢的でとても取っ付きやすいとは言えない。とにかく嫌悪に満ち満ちており、それはこういった界隈では珍しくないのだろうが、例えてみれば他のバンドが観客とともに嫌悪を叫ぶなら、Today is the DayはとにかくAustinの嫌悪をひたすら リスナーが聴かされる様な孤高さがあって、なんとなく気安くお前の気持ち分かるぜって訳にはいかないのである。私の様なそれが好きな人にはたまらないのだが。

さて今作は10枚目であるがその権勢全く衰える事なく、今回も憎悪と厭世観にまみれた凄まじい音楽になっております。
全体的な音質はややもこもここもった感じがして閉塞感、アングラ感が出ている。
このバンドの常としてドラムが結構救いになっていて、手数が多くて比較的抜けの乾いた音質での良い連打は小気味よい。バスドラは結構えぐいが。
ベースは曖昧模糊とした唸りあげるものでギター音とシンクロするように良く動く。
Austinの手によるギターの音は流石というか結構音色的にも多彩である。乾きまくった固いハードコア音質のもの、メタルぜんとした若干湿気のある押しつぶす様な重たい音。アコースティックなものなどなど。このバンドの特色の一つでもある重たい音とぺなぺなした高音を織り交ぜたリフがなんとも嫌らしい。
さらに特徴的なのはボーカルスタイルで、しゃがれた声で吐き出すように歌い上げるもの、ドスの利いた低音シャウト、そして気の狂った猫の叫び声のような高音である。特に高音は精神がガリガリ削られる様な独特なものなのだが、慣れてくるとこれが不思議と癖になるから不思議だ。
全体的にはAustinの恨み節といった感じで時代を経る毎に衰えるどころが、偏屈にでもなったのか今回ますます盛んであり、リスナーはひたすたAustinおじさんの恨み言を聴かされる事になる訳である。一つ一つの音楽的な要素はそれぞれを突き詰めたエクストリームメタル界のバンドに比べれば抜きん出ている訳ではないが、兎に角Austinの混じりっけ皆無のぶち切れっぷりのスパイスがノイズロック、アートロックとさえ呼ばれるその音楽を結果的に悪夢的なものにしているから驚きである。そして屋台骨となるのが器用とも評価すべきそのソングライティング能力ではなかろうか。逆に凶暴過ぎても成り立たないとても希有な音楽性だと思う。ノリのある疾走感のある曲、一転速度を落とした低音の塊の様なスラッジ曲、前作の「Remember to Forget」を思わせる持ち前の暗いメロディアスさを堪能できる静かなアコースティック曲、バリエーションのある曲が絶えず蠢き続け得る悪夢のように一つの連なりになって全体的には違和感なくまとまっている。以前に比べると昨今はアートっぽい前衛さはいささか減退し、その分よりバンドサウンドでの表現の幅が広がっている印象。偏執狂っぽさは変わらないが。

日本盤はMelvinsの「Zodiac」の大分変質した様なカバーが収録されていてこれはとても格好いい。
思い入れのバンドのニューアルバム となると期待と不安が入り交じるところだが、今作は個人的にはもうちょっと暗いメロディアスさを押し出した楽曲がもう少し欲しかったところではあるが全体的には非常に楽しく聴ける。なんか嬉しい。というか10枚目なのに全くぶれていないところに喜びを抱くとともにSteve Austinって人はやっぱちょっとやべーなと再確認。
という訳で人の恨み節を聴くのが大好きという貴方には文句無しでお勧めできる一枚。快哉を叫びたいくらい。イエー、Today is the Day!
まあそんな感じなんでこの記事を読んだ貴方、まあちょっとまずは聴いていただきたい。

2014年10月18日土曜日

Kendrick Lamar/good kid, m.A.A.d city

アメリカはカリフォルニア州コンプトンのラッパーの2ndアルバム。
2012年にTop Dawg Entertainmentからリリースされた。
ラップ界の大物達をして西海岸の新しいキングといわしめたというからラップ好きのかたならとっくに知っているだろうミュージシャンで、このアルバムも世界で120万枚うりあげたからというからすごいものだ。
私はKendrickが所属しているグループBlack HippyのメンバーSchoolboy Qのアルバムやこの間紹介したFlying Lotusの新作での客演で彼を知った訳だが、2回となればなんかの縁だってことでこのアルバムを買ってみた。2枚組のデラックス版や日本盤も出ているが私が買ったのは通常盤。

どうもKendrickの出身地コンプトンというのは由緒のある犯罪多発区域らしく、そんな土地で生まれ育った彼の音楽にもその影響が強く出ているようだ。いわゆるギャングスタラップである。さてそんな前情報もありこっちも構えていざ聴いてみると、いきなりキリスト教のお祈りから始まるアルバムにまずはビックリさせられる。その後聴こえてくるラップはギャングスタっぽさ(自体私はよくわかっていないが、)は皆無でむしろ年齢(27歳だそうだ。)より大分落ち着いた男性の声ががやや浮遊感のあるアブストラクトな音楽に乗せて呟かれるようにだが、非常に力強く落ち着いたリズムをもって吐き出されるではないか。続く2曲目でも彼のペースは変わらない、強く打たれるバスとばっちりシンクロした彼のラップはすごく格好よい。トラックはどちらかというと落ち着いたもので否応無しにラッパーのスキルが問われるシンプルかつハードなもの。そこを力でねじ伏せる訳でなく、流れるようにしなやかに流れるラップ。思わず唸る様なクオリティだが、続く3曲目ではスタイルを変えてがなる様なひょうきんともとれるスタイルでいい感じの酔っぱらいの様なテンションである。しかしその口の早さには思わずこちらが舌を巻く。スキルの幅が広く、飛び道具風の変わり種も落ち着いて聴いてみたらきっちりものにしている。
アルバムを通じて暗いというか明るい曲調はあっても内省的なところがあって、それはどちらかというとストイックという形容詞がよく合う。トラックとラップで勝負というヒップホップの基本を押さえた堅実な作り。一番難しいのだろうがそこを平気の顔で繰り出してくるスキルにやはり圧倒される。
例えばこの曲なんだけど、 ラップを早口といったら全世界のラッパーが怒るだろうが、その早口の中にもリズムがあって一見ただ流れてくるはずの言葉が明確に跳ねているのが分かってもらえると思う。



とにもかくにもその落ち着いた真摯なスタイルに超ビックリした。勿論限界を超えるように背伸びはしているのだろうが、このハマり具合といったらちょっと他にはないのではなかろうか。全部が自分の言葉という感じで変な違和感がいっさいない。極めて自然体に聴こえる。

歌詞がついていないので分からないがリリックは抗争やハードな日常を歌ったものが多く含まれるという事だし、曲のアウトロに挿入された会話や銃の発射音などギャングっぽさはあるもののそこから一歩引いたところからラップをしている様な感じがあって、そこが私の様なリスナーにとっても非常に聴きやすい音楽になっていると思う。
普段ヒップホップ聴かない私でもすごいってことは分かるすごいアルバム。
普段ヒップホップ聴かない人でも是非どうぞ。ジャンルをぬきにしてとても良いアルバムを買ったと思ってます。超オススメです。

大江健三郎/死者の奢り・飼育

日本のノーベル文学賞もとった作家の初期作を集めた短編集。
私は本を読むのが好きだが、だいたい流血沙汰や飲酒など下世話でゴシップめいた要素の強い派手な作品が好きで、SFや幻想文学だったり現実から隔たりのある物語を 読む傾向があるようだ。根が低俗なもので手当り次第に気になるものを読んでいるだけなので、教養とかと向上心いったものとは無縁なのだ。学生の頃はそれでも芥川龍之介や太宰治や坂口安吾など大変面白く読んだものだが、最近とんと文学読んでないな〜ってことで別に高尚なものにコンプレックスがある訳ではないが、折角だしなんか読んでみようと思って手に取ったのがこの本。むかし町で大江健三郎さんご本人を見た事があるし。スラっとしてんな〜と思った。

始めにも書いたがまだ国内国外の文学賞を獲得する前に書かれた物語を集めたのがこの本。読んでみると私が普段読んでいる本とは大分趣が違って面白かった。
まず書き方の距離が大分近い。ほぼ密着していると行っても過言ではない。小説だと主人公の一人称であってもここまでの密着感はちょっとないのではなかろうか。見たものすべてを文章に起こすと行ったらさすがに語弊があるが、主人公が見たもの、嗅いだにおい、触れたものの感触がかなり細かくと着に執拗といっていいくらい書き込まれている。さらに主人公の心情も事細かに書いてある。ほぼ独白スタイルの日記ってくらい。言動も含めて振る舞いによって人間の様を書くのが文学の一つの側面だが、大江さんの小説はとくにその視点の置き所が細かく、そして詳細である。まさに微に入り細に穿つ。

たとえばエルロイの暴力の描写は凄まじく生々しい。匂い立つように下品だがやはりどこかに装飾性の格好よさというのがあると思うのだが、大江さんはその装飾性を取っ払ったように書く。別に露悪的という訳でもなかろうが、なんとなく嫌らしい感じがする。これは一体何が原因だろうと考えたのだが、日常といっても事件があってそれを書いているのだが、根本的にこの人というのはそれでも日常を書いている訳であって、その描写の凄まじさが私になんとも嫌な感じを呼び起こさせるのではなかろうか。私は日常を嫌悪している訳ではないし、そこは作者の視線の偏りもあって大分負のバイアスがかかった書き方をされているのもあって何とも言えない退屈で消耗させる日常(のさらに一段階すすんだ嫌らしさを有した、いわば可能性としての。)がその分の向こう側に透けて見えるどころかにおいもまざまざと生々しく眼前に広がってくるわけで。当然日常のある側面によって疲弊されているこっちとしてはなんともゲンナリするのである。いわば人生をある出来事に凝縮したものを読んでいる訳であってその濃さ、そして 現実とそれに必ず付随する(負だけでない)人の感情というもののやるせなさ(としか言いようがないがやるせなさだけではない事を是非主張したい。いわばこの「やるせなさ」という曖昧な一言に代表される過剰すべてを惹起させるために物語が必要なのだ。)に圧倒される。

派手な訳ではないがこっちの精神をガリガリ削ってくる様な陰湿な力を持った作品である。なんだか酷い言い方だけど見た事もない田舎の景色が現在の都会に生活する俺やお前の眼前に現出する様な化け物じみた筆の力を感じられる恐ろしい本でした。私の頭では本当の良さがちょっとでも分かっている気もしないけど、本好きかつまだ読んでない人はどうぞ。